コハリトりみっと
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「トライフル刑事」〜狂気のロンド ガーナ署トリニティ〜/タトパラ2
第14話:「インサニティ・レッド」
「な、なんだかやけに居心地が悪いな?」
所用から戻ってきたギャランはあたりを見回し、空気がトゲトゲしてる感じ、と子供のような感想を述べて不思議そうに首を捻った。
さっき、一階のエントランスで掃除のおばちゃんに、あたしゃアンタの味方だからね!とヘンな励ましを受けて背中を叩かれたばかりである。
周子のデスク、そのすぐ隣に椅子を引っ張ってきてどっかり腰掛けたギャランは、周子の書いた捜査報告書に目を通しながら、ちらちら周子の様子をうかがう。
「周子ちゃん、なんか調子悪そうだな?」
確かに、今までで一番調子が悪い、と周子は思う。できれば医務室で横になりたいくらいであるが、そんな甘えたことを言ってはいられない、と思って黙っているのだが。
「よし、医務室行くか」
―――どうしてギャラン刑事はこんな風に人の身体の調子の悪さを量ってくれるの?
あまりに思っているとおりのことを指摘されて。だがそれがありがたくて周子は大人しくうなずいた。
ギャランはちょっと意外そうに、だがたちまちいっそう心配そうに周子の頬に手をあてる。
「お前、よほど調子が悪いんだな?今日はずいぶんと素直で大人しい……」
顔色悪いし、と不安そうに呟いて指の腹で周子の頬を撫でさすった。
「!……いてっ!」
途端、はるか後方から飛んできた湯のみがギャランの金髪に見事にヒットして。ギャランはばっ!と振り返り、すぐにその犯人を断定すると眉根を寄せた。
「おう、なんだ、熊田熊雄」
「勝手に名づけるな!」
SATの男がむっとして怒鳴った。確かにそんな名前が相応しいようながっしりとした体格、男っぽい顔立ちの男である。ギャランはうんざりしたように耳をほじって。
「あーんだよ?なんか用か?まった殺られに来たか、懲りない奴だな」
「おれたち周子刑事ファンクラブはこの昼休みを以って解散!そして新たに周子刑事護衛隊を結成する!親衛隊ではないぞ、護衛だ、がっちりガードだ!」
「えっ?」
ギャランの青い目がテンになった。
しばらくきょとんとしていたが、やがて、肩を揺すって明るく笑った。
「強いオスがいい女を囲うのは自然の摂理だろ?一人じゃかなわないからって、ガーナ署の機動隊丸め込んで掛かってくるってェのか、じゃあなんだお前ら、徒党を組んで周子ちゃんを手に入れたらどうすんだ?みんなでマワすのか!?あーそりゃーどえらい平等だなー!民主主義ってやつ?おれは絶対やだね!」
「!マワ……!?」
周子は目を剥いた。
そうしてギャランは不意に笑いをおさめると、ゆらりと立ち上がりジャケットを脱いで椅子の背に掛け、ジーンズの後ろポケットに挟んでいた黒い革手をはめた。きゅっと鳴らした。ぞっとするほど物騒で不敵な笑みが口元に浮かんだ。
「お前はもういっぺん折ってやる、次はどこにする?さすがのSATだろうがナンだろうが半年寝てやがれ。言っとくがおれは周子ちゃんの相棒だぞ、このポジションは絶対にゆずらねぇ!」
「そんな減らず口をまだ利くか!警視庁警察機動隊特殊急襲部隊所属の私とガーナ署警備部警備課機動隊の精鋭揃いが総力を結集する!我々の任務は周子刑事を貴様の毒牙から護衛し、総力をあげて貴様を弾劾することである!」
SATの男がばっ、と手を上げると、どこから沸いたのか、捜査一課はたちまち機動隊の武装警官で溢れ返った。
「だー!既婚者もいるじゃねぇか!」
オマエトオマエトオマエダ!と指差された武装警官たちはきっぱりと首を振り、
「これは我々の信念に基づく任務である!」
高らかにそう宣言した。
「覚悟しろ、このエロ刑事!」
SATの男が両手指をバキバキと鳴らした。
周子は捜査資料の二冊のファイルを、机上から引っつかむと、ギャランとSATの男の顔面目掛け、同時に勢い良くぶつけた。
「職権濫用もいい加減にしてください!」
とうとう周子が怒鳴った。続けて文句を言おうと大きく肩で息を吸った、その瞬間。
唐突に、だが、まるで頃合を見計らったような、完璧なタイミングで周子の携帯の着信音が鳴った。周子はびっくりして飛び上がると、慌てて自分の携帯をデスクから取り上げた。
「はい?」
「やあ、周子刑事」
思わず携帯を取り落とし。携帯は硬い床を打って派手な音を立てた。
周子は慌ててソレを拾い上げた。拾い上げた拍子に七階の窓から外へ投げ捨てようかとも思ったのだが、さすがにそうは出来ず、仕方なく再び耳に当てた。そして、ギャランとSATの男をそのままの状態で残したまま、大慌てで捜査一課を飛び出し、廊下の端の、人気の無い隅の陰にしゃがみこんだ。
「カズマ特別補佐官……な、なにか御用ですか?」
声を潜めて恐る恐るそう訊ねると、ひどい扱いだな、と笑っている。その声色から察するに、どうやらひどく上機嫌らしかった。
「携帯を落とすだなんて、こちらの耳が壊れるかと思ったぞ」
「なんで携帯の番号知ってるんですか」
「聞かずとも分かるだろうに」
「……ギャラン刑事の携帯からですね?」
見れば着信はギャラン刑事の携帯電話の番号である。さっきギャランがカズマのところへお遣いに出ていたのを思い出し、おそらくギャラン刑事がカズマ特別補佐官の所に携帯を忘れてきてしまったのだろう、と周子はすぐに事態を察した。
―――何の用?人殺しの悪メガネ
周子にとってはカズマはまるで悪人である。殺すと脅されたり、実際銃を突きつけられたりしているのだ、ルシウスに、共に牙の教徒を追う同志だと言われても、周子の感覚としてはむしろ敵そのものである。
―――これが、インサニティ・レッド?
ルシウスはカズマ特別補佐官をそう呼んだ。そしてギャラン刑事をラジカル・ブルー、と。五年前の事件で、牙の教徒のほうからそう名指しされたのだと言う。暗号めいた犯行予告で、当初は誰のことか分からなかったが、どうやらこの二人のことを指しているのだと気付いたときには時既に遅く、例の派手な爆破事件が起きたのだ、とルシウスは言う。
例の航空機爆破事件に犯行予告があったということを初めて知って、その事実を隠蔽する国家警察に周子は黒髪が逆立つほどの怒りを感じたのだが、しかし、それ以上にもっと衝撃的なことを聞いたのだ、それが、父の言っていた、インサニティ・レッドとラジカル・ブルーである。人の名前、コードネームだとルシウスは言うのだ。
正気じゃない赤、過激なブルー、直訳したところでその意味はサッパリ不明だ。
なぜ、一介の刑事がそんなコードネームでテロ組織に指定されるのかがサッパリ分からない、とルシウスは言う。ギャランはガーナ署の捜査部捜査一課の刑事、そしてカズマはその相棒。その事件が起こるまでは少々はみ出してはいても二人は一介の刑事の枠内にあった。
それが、名指しされたのである。奇妙なコードネームを振られて。
当時内閣総理大臣だったルシウス・フォン・ソルティスはその権限で以って対策チームを設立稼動させた。名指しされたギャラン刑事とカズマ刑事を含む、牙の教徒を専門に追うためのさまざまな現実的権限を多分に委譲された実動部隊である。内閣総理大臣から警視総監へ、一気にランク落ちィ、警察庁長官は面倒くさそうだし、実がなさそうだったから、なんてルシウスは優雅に笑っていたが、わざわざガーナ署の署長を兼務するあたり、それなりの意図で動いているのだろうと周子は思う。
―――殺せば分かる……って、父さんは一体何を言っていたのか、一体何を知っていて何を言いたいのか、まるで分からない。父さんは、以前からこの二人を知っていたのだろうか。そこに何かのつながりがあるのだろうか。父が伝説のテロリストだなんて到底信じられるわけも無い。
第一、カズマ特別補佐官は、一癖も二癖もある感じで。いくら頭脳が明晰であろうと洞察力が優れていようと、表向きは負傷して引退したリタイヤ刑事である。世間的には一般人である、それが非常勤で警視庁に捜査協力を求められるというその立場自体、機密上おかしいし、その上、ルシウス直轄の暗躍組織に身を置きながら、だがやはり、下半身不随の身障者を貫いているのだ。カモフラージュというにも程がある、徹底が過ぎている、と周子は思う。カズマが歩けるというのは、まさにほんの一握りの人間しか知らぬ国家機密であり、確かに、ギャラン刑事はカズマの足が不自由であることにいささかも疑問を抱いていないようなのである。完璧な演技である。
―――おかしい、ぜったいおかしいって、この人。
そんな物騒な相手からの突然の電話に困惑する周子には全く構わぬ調子で、それにしても面白い話を聞いてね?とカズマは興味津々といった色合いの明るい声で切り出した。
「ガーナ署の新人刑事は信心深くて?常に位牌を携行しているんだって?」
「!!」
再び携帯を取り落とし。
「だ、誰に聞いたんですかー!」
「みんな言ってるよ。ポピュラーな噂だ」
「早すぎです!」
「あまりに面白かったから。きみの反応を聞きたくて」
どうやら、それがわざわざ電話してきた理由らしい。
「噂だなんて!絶対違います!カズマ特別補佐官、モニタリングしてますね!?」
「何を言う。していたらこんな携帯でかけるものか」
カズマの声は至って冷静である。超怪しい、と周子は疑いつつ。
「もう皆さん勘弁してください。いくら新人で女で物珍しくても、からかうにほどがあります。なんで私がギャラン刑事と夜も眠れぬほどに熱心なラブラブ同棲なんですか」
え?と携帯電話の向こうでいぶかしげな声があがった。
「ギャラン刑事のアパートで同棲なんだろう?」
「いえ、私の方に転がり込んできているんです、なんとかなりませんか?」
カズマに聞くのはあきらかに筋違いだが、これはさすがに他の刑事には相談できなかった。ギャランのあしらいがこの世で一番上手いのはカズマだろう、日頃さんざんオモチャにしているに違いないのだ、キャリアもノウハウも、きっとカズマの横に出るものは居ない。もはや、カズマぐらいしかこの事態に対処できないような気がして、周子はすがる思いで打ち明ける。
「恥ずかしがるなよ、って言って合鍵取り上げられたんですよ?ギャラン刑事が待ってると思うと、なんだか怖くて帰れないんです」
「ドアのカギぐらい、交換すればいいだろう」
「だって父さんが。父さんが帰ってきたとき、お家のカギが開かなかったらショックでしょうに!泣いちゃいますよ、父さん」
「死人を待つがために家内に獣を入れても仕方ないというわけか、なんだその論理は」
ヘンな奴だな、とカズマはまるで気のない冷えた声で言った。
死人ではありません、とすかさず訂正し、周子は勢い良くまくし立てた。
「ですから、その獣からカギを取り上げて、うちから追い出して欲しいんです。洗面所に男の人の電気シェーバーがあるなんて、なんだか耐えられないんです!カルチャーショックというか、著しいジェンダーギャップというか。私の常識にない世界がそこに広がっているんです。ギャラン刑事のいる空気はまるで異空間ですよ。父さんに関してはヒゲ生えてた記憶ないですし、そうですよ、朝食だって!周子ちゃんの言うとおり朝はおかゆが一番だ、とか、なんだか表面上を無理して合わせるようなこと言いながら、食べたそばからおなかすいたと言ってるんです。だったら最初っからちゃんと言って欲しいです。父さんは食事についてはまるで何も言わない人でしたし?感覚がサッパリわかんないんです。こないだなんか私、気付いたら、朝からキッチンでステーキ焼いてたんですよ?ギャラン刑事がお肉食べたがっていたなとか、思って!朝からですよ!なんだか無意識というかなんと言うか、なんだかどんどん毒されてるような気がしてなりません。私と父さんの生活を侵食されていくような気がして、怖いんです。こんな、こんな風に、勝手に押しかけてきて、到底一緒に住めるわけが無いんです!だから私がお家を出てきたんです。ときどき物騒な、男の目でこちらを見つめてきますし、もう、とにかく怖くて!」
「居直り強盗みたいなもんだな」
キッパリと冷静な声が返ってきた。周子は携帯を握る手に思わず力を込めて大きくうなずいた。
「そうそう!そのとおりなんです!」
「新人とはいえ、きみも刑事だ、居直り強盗と交渉するのも立派なスキルだ、いい練習になるだろう、よかったな」
追って報告を聞こう、楽しみだな、とより一層冷たい声が返ってきた。
―――マジですか!
ギャランを追い返してくれるのではないかと、ちょっとでも期待した自分がバカだった、と周子はうなだれた。
じゃあ、と電話を切りかけたカズマに周子は待ったをかけた。
「それにしても、あの……、シャツなんですけど」
「シャツ?」
初めてカズマの自宅に行ったあの日に借りたシャツが、そのままになっていることを周子は気に掛けていた。返すべきなのだろうが、なんだか会いに行くのも怖くて。かといって送りつけるのも大変な非礼に思われた。いや、こちらは殺されかけているのだから非礼も何も、と思いつつ、やはり手渡しで返して礼を述べるべきだと思うのである。
そんな周子の気遣いに、ああ、あのシャツか、とカズマはそっけなく呟いた。
「たかがシャツの一枚でなに困惑してるんだ、返す?ああ別にいらない。そんなもの返すだのなんだの、貧乏臭いこと言うな」
ぷつり、とデンワは切れた。
「な、なんなの?なんなの?」
要は位牌にウケてわざわざ電話してきたのだ、それ以上もそれ以下も無い、といったこのそっけなさ。ひょっとしてヒマしてるんだろうかあの男、と周子は握った携帯をまじまじと見つめた。
(第15話へつづく)
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第14話:「インサニティ・レッド」
「な、なんだかやけに居心地が悪いな?」
所用から戻ってきたギャランはあたりを見回し、空気がトゲトゲしてる感じ、と子供のような感想を述べて不思議そうに首を捻った。
さっき、一階のエントランスで掃除のおばちゃんに、あたしゃアンタの味方だからね!とヘンな励ましを受けて背中を叩かれたばかりである。
周子のデスク、そのすぐ隣に椅子を引っ張ってきてどっかり腰掛けたギャランは、周子の書いた捜査報告書に目を通しながら、ちらちら周子の様子をうかがう。
「周子ちゃん、なんか調子悪そうだな?」
確かに、今までで一番調子が悪い、と周子は思う。できれば医務室で横になりたいくらいであるが、そんな甘えたことを言ってはいられない、と思って黙っているのだが。
「よし、医務室行くか」
―――どうしてギャラン刑事はこんな風に人の身体の調子の悪さを量ってくれるの?
あまりに思っているとおりのことを指摘されて。だがそれがありがたくて周子は大人しくうなずいた。
ギャランはちょっと意外そうに、だがたちまちいっそう心配そうに周子の頬に手をあてる。
「お前、よほど調子が悪いんだな?今日はずいぶんと素直で大人しい……」
顔色悪いし、と不安そうに呟いて指の腹で周子の頬を撫でさすった。
「!……いてっ!」
途端、はるか後方から飛んできた湯のみがギャランの金髪に見事にヒットして。ギャランはばっ!と振り返り、すぐにその犯人を断定すると眉根を寄せた。
「おう、なんだ、熊田熊雄」
「勝手に名づけるな!」
SATの男がむっとして怒鳴った。確かにそんな名前が相応しいようながっしりとした体格、男っぽい顔立ちの男である。ギャランはうんざりしたように耳をほじって。
「あーんだよ?なんか用か?まった殺られに来たか、懲りない奴だな」
「おれたち周子刑事ファンクラブはこの昼休みを以って解散!そして新たに周子刑事護衛隊を結成する!親衛隊ではないぞ、護衛だ、がっちりガードだ!」
「えっ?」
ギャランの青い目がテンになった。
しばらくきょとんとしていたが、やがて、肩を揺すって明るく笑った。
「強いオスがいい女を囲うのは自然の摂理だろ?一人じゃかなわないからって、ガーナ署の機動隊丸め込んで掛かってくるってェのか、じゃあなんだお前ら、徒党を組んで周子ちゃんを手に入れたらどうすんだ?みんなでマワすのか!?あーそりゃーどえらい平等だなー!民主主義ってやつ?おれは絶対やだね!」
「!マワ……!?」
周子は目を剥いた。
そうしてギャランは不意に笑いをおさめると、ゆらりと立ち上がりジャケットを脱いで椅子の背に掛け、ジーンズの後ろポケットに挟んでいた黒い革手をはめた。きゅっと鳴らした。ぞっとするほど物騒で不敵な笑みが口元に浮かんだ。
「お前はもういっぺん折ってやる、次はどこにする?さすがのSATだろうがナンだろうが半年寝てやがれ。言っとくがおれは周子ちゃんの相棒だぞ、このポジションは絶対にゆずらねぇ!」
「そんな減らず口をまだ利くか!警視庁警察機動隊特殊急襲部隊所属の私とガーナ署警備部警備課機動隊の精鋭揃いが総力を結集する!我々の任務は周子刑事を貴様の毒牙から護衛し、総力をあげて貴様を弾劾することである!」
SATの男がばっ、と手を上げると、どこから沸いたのか、捜査一課はたちまち機動隊の武装警官で溢れ返った。
「だー!既婚者もいるじゃねぇか!」
オマエトオマエトオマエダ!と指差された武装警官たちはきっぱりと首を振り、
「これは我々の信念に基づく任務である!」
高らかにそう宣言した。
「覚悟しろ、このエロ刑事!」
SATの男が両手指をバキバキと鳴らした。
周子は捜査資料の二冊のファイルを、机上から引っつかむと、ギャランとSATの男の顔面目掛け、同時に勢い良くぶつけた。
「職権濫用もいい加減にしてください!」
とうとう周子が怒鳴った。続けて文句を言おうと大きく肩で息を吸った、その瞬間。
唐突に、だが、まるで頃合を見計らったような、完璧なタイミングで周子の携帯の着信音が鳴った。周子はびっくりして飛び上がると、慌てて自分の携帯をデスクから取り上げた。
「はい?」
「やあ、周子刑事」
思わず携帯を取り落とし。携帯は硬い床を打って派手な音を立てた。
周子は慌ててソレを拾い上げた。拾い上げた拍子に七階の窓から外へ投げ捨てようかとも思ったのだが、さすがにそうは出来ず、仕方なく再び耳に当てた。そして、ギャランとSATの男をそのままの状態で残したまま、大慌てで捜査一課を飛び出し、廊下の端の、人気の無い隅の陰にしゃがみこんだ。
「カズマ特別補佐官……な、なにか御用ですか?」
声を潜めて恐る恐るそう訊ねると、ひどい扱いだな、と笑っている。その声色から察するに、どうやらひどく上機嫌らしかった。
「携帯を落とすだなんて、こちらの耳が壊れるかと思ったぞ」
「なんで携帯の番号知ってるんですか」
「聞かずとも分かるだろうに」
「……ギャラン刑事の携帯からですね?」
見れば着信はギャラン刑事の携帯電話の番号である。さっきギャランがカズマのところへお遣いに出ていたのを思い出し、おそらくギャラン刑事がカズマ特別補佐官の所に携帯を忘れてきてしまったのだろう、と周子はすぐに事態を察した。
―――何の用?人殺しの悪メガネ
周子にとってはカズマはまるで悪人である。殺すと脅されたり、実際銃を突きつけられたりしているのだ、ルシウスに、共に牙の教徒を追う同志だと言われても、周子の感覚としてはむしろ敵そのものである。
―――これが、インサニティ・レッド?
ルシウスはカズマ特別補佐官をそう呼んだ。そしてギャラン刑事をラジカル・ブルー、と。五年前の事件で、牙の教徒のほうからそう名指しされたのだと言う。暗号めいた犯行予告で、当初は誰のことか分からなかったが、どうやらこの二人のことを指しているのだと気付いたときには時既に遅く、例の派手な爆破事件が起きたのだ、とルシウスは言う。
例の航空機爆破事件に犯行予告があったということを初めて知って、その事実を隠蔽する国家警察に周子は黒髪が逆立つほどの怒りを感じたのだが、しかし、それ以上にもっと衝撃的なことを聞いたのだ、それが、父の言っていた、インサニティ・レッドとラジカル・ブルーである。人の名前、コードネームだとルシウスは言うのだ。
正気じゃない赤、過激なブルー、直訳したところでその意味はサッパリ不明だ。
なぜ、一介の刑事がそんなコードネームでテロ組織に指定されるのかがサッパリ分からない、とルシウスは言う。ギャランはガーナ署の捜査部捜査一課の刑事、そしてカズマはその相棒。その事件が起こるまでは少々はみ出してはいても二人は一介の刑事の枠内にあった。
それが、名指しされたのである。奇妙なコードネームを振られて。
当時内閣総理大臣だったルシウス・フォン・ソルティスはその権限で以って対策チームを設立稼動させた。名指しされたギャラン刑事とカズマ刑事を含む、牙の教徒を専門に追うためのさまざまな現実的権限を多分に委譲された実動部隊である。内閣総理大臣から警視総監へ、一気にランク落ちィ、警察庁長官は面倒くさそうだし、実がなさそうだったから、なんてルシウスは優雅に笑っていたが、わざわざガーナ署の署長を兼務するあたり、それなりの意図で動いているのだろうと周子は思う。
―――殺せば分かる……って、父さんは一体何を言っていたのか、一体何を知っていて何を言いたいのか、まるで分からない。父さんは、以前からこの二人を知っていたのだろうか。そこに何かのつながりがあるのだろうか。父が伝説のテロリストだなんて到底信じられるわけも無い。
第一、カズマ特別補佐官は、一癖も二癖もある感じで。いくら頭脳が明晰であろうと洞察力が優れていようと、表向きは負傷して引退したリタイヤ刑事である。世間的には一般人である、それが非常勤で警視庁に捜査協力を求められるというその立場自体、機密上おかしいし、その上、ルシウス直轄の暗躍組織に身を置きながら、だがやはり、下半身不随の身障者を貫いているのだ。カモフラージュというにも程がある、徹底が過ぎている、と周子は思う。カズマが歩けるというのは、まさにほんの一握りの人間しか知らぬ国家機密であり、確かに、ギャラン刑事はカズマの足が不自由であることにいささかも疑問を抱いていないようなのである。完璧な演技である。
―――おかしい、ぜったいおかしいって、この人。
そんな物騒な相手からの突然の電話に困惑する周子には全く構わぬ調子で、それにしても面白い話を聞いてね?とカズマは興味津々といった色合いの明るい声で切り出した。
「ガーナ署の新人刑事は信心深くて?常に位牌を携行しているんだって?」
「!!」
再び携帯を取り落とし。
「だ、誰に聞いたんですかー!」
「みんな言ってるよ。ポピュラーな噂だ」
「早すぎです!」
「あまりに面白かったから。きみの反応を聞きたくて」
どうやら、それがわざわざ電話してきた理由らしい。
「噂だなんて!絶対違います!カズマ特別補佐官、モニタリングしてますね!?」
「何を言う。していたらこんな携帯でかけるものか」
カズマの声は至って冷静である。超怪しい、と周子は疑いつつ。
「もう皆さん勘弁してください。いくら新人で女で物珍しくても、からかうにほどがあります。なんで私がギャラン刑事と夜も眠れぬほどに熱心なラブラブ同棲なんですか」
え?と携帯電話の向こうでいぶかしげな声があがった。
「ギャラン刑事のアパートで同棲なんだろう?」
「いえ、私の方に転がり込んできているんです、なんとかなりませんか?」
カズマに聞くのはあきらかに筋違いだが、これはさすがに他の刑事には相談できなかった。ギャランのあしらいがこの世で一番上手いのはカズマだろう、日頃さんざんオモチャにしているに違いないのだ、キャリアもノウハウも、きっとカズマの横に出るものは居ない。もはや、カズマぐらいしかこの事態に対処できないような気がして、周子はすがる思いで打ち明ける。
「恥ずかしがるなよ、って言って合鍵取り上げられたんですよ?ギャラン刑事が待ってると思うと、なんだか怖くて帰れないんです」
「ドアのカギぐらい、交換すればいいだろう」
「だって父さんが。父さんが帰ってきたとき、お家のカギが開かなかったらショックでしょうに!泣いちゃいますよ、父さん」
「死人を待つがために家内に獣を入れても仕方ないというわけか、なんだその論理は」
ヘンな奴だな、とカズマはまるで気のない冷えた声で言った。
死人ではありません、とすかさず訂正し、周子は勢い良くまくし立てた。
「ですから、その獣からカギを取り上げて、うちから追い出して欲しいんです。洗面所に男の人の電気シェーバーがあるなんて、なんだか耐えられないんです!カルチャーショックというか、著しいジェンダーギャップというか。私の常識にない世界がそこに広がっているんです。ギャラン刑事のいる空気はまるで異空間ですよ。父さんに関してはヒゲ生えてた記憶ないですし、そうですよ、朝食だって!周子ちゃんの言うとおり朝はおかゆが一番だ、とか、なんだか表面上を無理して合わせるようなこと言いながら、食べたそばからおなかすいたと言ってるんです。だったら最初っからちゃんと言って欲しいです。父さんは食事についてはまるで何も言わない人でしたし?感覚がサッパリわかんないんです。こないだなんか私、気付いたら、朝からキッチンでステーキ焼いてたんですよ?ギャラン刑事がお肉食べたがっていたなとか、思って!朝からですよ!なんだか無意識というかなんと言うか、なんだかどんどん毒されてるような気がしてなりません。私と父さんの生活を侵食されていくような気がして、怖いんです。こんな、こんな風に、勝手に押しかけてきて、到底一緒に住めるわけが無いんです!だから私がお家を出てきたんです。ときどき物騒な、男の目でこちらを見つめてきますし、もう、とにかく怖くて!」
「居直り強盗みたいなもんだな」
キッパリと冷静な声が返ってきた。周子は携帯を握る手に思わず力を込めて大きくうなずいた。
「そうそう!そのとおりなんです!」
「新人とはいえ、きみも刑事だ、居直り強盗と交渉するのも立派なスキルだ、いい練習になるだろう、よかったな」
追って報告を聞こう、楽しみだな、とより一層冷たい声が返ってきた。
―――マジですか!
ギャランを追い返してくれるのではないかと、ちょっとでも期待した自分がバカだった、と周子はうなだれた。
じゃあ、と電話を切りかけたカズマに周子は待ったをかけた。
「それにしても、あの……、シャツなんですけど」
「シャツ?」
初めてカズマの自宅に行ったあの日に借りたシャツが、そのままになっていることを周子は気に掛けていた。返すべきなのだろうが、なんだか会いに行くのも怖くて。かといって送りつけるのも大変な非礼に思われた。いや、こちらは殺されかけているのだから非礼も何も、と思いつつ、やはり手渡しで返して礼を述べるべきだと思うのである。
そんな周子の気遣いに、ああ、あのシャツか、とカズマはそっけなく呟いた。
「たかがシャツの一枚でなに困惑してるんだ、返す?ああ別にいらない。そんなもの返すだのなんだの、貧乏臭いこと言うな」
ぷつり、とデンワは切れた。
「な、なんなの?なんなの?」
要は位牌にウケてわざわざ電話してきたのだ、それ以上もそれ以下も無い、といったこのそっけなさ。ひょっとしてヒマしてるんだろうかあの男、と周子は握った携帯をまじまじと見つめた。
(第15話へつづく)
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- 2005-05-31 06:42
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