コハリトりみっと
長編恋愛FT「タトゥー・オブ・ギャラン」がメインの小説・雑記サイト。
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罵倒された挙句に痛烈な平手を食らい、穏やかならぬ気持ちで眠れぬ夜を明かしたカズマは、ようやく白々とした朝を迎えると、ダイニングへ飛び込むなり周子の名を呼んだ。
その声に表情を険しくしたのはギャランである。
「ほおーん? いつもならまず、おれの姿を見るや、おはようございますギャラン様、だろ? 今朝はよほどあの女が気がかりと見えるな」
「おはようございます、ギャラン様、今朝はお早いようで」
棘のあるギャランの言葉にカズマは恐縮して、衣ずまいを正すと一礼した。
ギャランはといえば、ダイニングテーブルの上に足をどっかとのせてだらしなく椅子にのけぞり、ゆらゆらと揺らしている。朝から不機嫌丸出しの様子である。
「そんなことしてると、そのうちがたーん、とこけますよ?」
「うるせ」
侍女に出された紅茶をカズマは一口すすって。ギャランのそんな様子を見、こちらのお方もひょっとすると寝ていないのかもしれない、と思った。
「どうなさいました、機嫌悪いですね? 朝から」
「どうしたもこうしたも無ぇ、あれが奴隷だと? おれは要らねぇ」
軽く指を広げた己の利き手をぼんやり見つめながらギャランが答える。
それが周子のことだと察したカズマは、侍女に顔を向けた。
「では、先だって用意した馬と荷物一式を玄関先へ置くように。今すぐ」
「だから勝手に処分すんな、って!」
「要らないのでしょう? であれば私、彼女をあるべきところに帰しますが。うはうはで。晴れて厄介払いが出来ます」
ギャランが面白くなさそうに、ぐう、と唸って首を横に振った。
「おはよ。朝からなに? 私をどこへ捨ててくるかの相談?」
周子は笑って、ぐっ! と親指を立てた。こちらは朝から上機嫌である。
どうやら外を走ってきたらしく、額に汗をかいている。白い頬が上気し、かすかに乱れた黒髪、なかなかに可憐な姿だった。
「これはまたずいぶんとさわやかな」
「そう、朝早くから走るといい気持ちよ」
にこにこと答えた周子の背後から、遅れて入ってきた仏頂面の侍従長がぬっと顔を出した。こちらも走ってきたのか、だが周子よりもはるかに疲労の色濃く、しとどに汗をかいている。
「……脱走ですよ」
スキンヘッドの侍従長が、いつもの仏頂面をさらに不機嫌そうに顰め、低い声でうめいた。
軽く肩を竦める周子。
「このおっさん、案外えらく体力あるのよね、逃げても逃げてもしつこくって」
「脱走なぞ二度と試みてくれるな」
侍従長が周子を睨んだ。朝から走らされるこちらの身にもなってくれ、と言わんばかりである。
「エンギワルー、よくやった」
カズマより先に、ギャランが労をねぎらった。
ギャランの言葉に、カズマはギョッとして。短い言葉ではあるが、ギャランが他人をねぎらったのを初めて見たのである。
周子もまた汗を拭いかけたタオルを取り落とした。こちらはカズマとは別のところで、ギョッとしたらしい。
「え、エンギワルー? すごい名前ね、やっぱお坊さん? いや、坊さんじゃ余計に縁起悪くて商売にならないか」
「……商売になるならないという表現はそもそも僧侶には不適切ですが」
そう断って、四十数年生きてきた中でもう幾度となく繰り返されたか知れぬ、己の名をめぐる問いの答えを、侍従長はまた繰り返す。
「文字通り、縁起が悪い名でございましょう、これを冠することで負の威光を借り、私の身を守ろうと。私に手を出せば、死の制裁が待っている、と、まあ、そんな親の願いが込められているものでございましょうな」
無論自分は僧侶でもない、とエンギワルーは渋い声で補足した。
「ふえ、すごい名前。親の願いってのと死の制裁って言葉がこう並ぶところがありえないけど。ま、でもそのスキンヘッドも見慣れれば、渋くて素敵かもね」
エンギワルーの血筋はかなり名のある武人の家系であり、ゆえにその無事を願っての忌み詞的な名をつけるのが一族の慣わしなのだと聞いて周子はなるほどと妙な納得をした。
「渋くて素敵だと? お前、男を見る眼がねぇな! おれの方が余程いい男だろうが!」
口を挟んだギャランに、周子はいかにも嫌そうに黒目を半目に伏せて。
「そこのエロ金髪、視界に入ンな」
「おれの金髪はこのハゲより劣るってぇのか!」
エンギワルーが無言でギャランを見た。ハゲですと? とでも問い正したそうな無言の圧力に、ギャランはさすがにまずいと思ったのか、んん、と軽く喉を鳴らして。
「ちなみに、息子はコンジョナシだな」
「さよう。骨のある男になるようにと、私がつけました」
―――それっておかしいよ!
周子は口を飛び出してしまいそうになる言葉を慌てて飲み込んだ。
―――自分が親に勝手に付けられてしまったのはしょうがないけどさ、自分の子供に根性無しってのは非道くないか? このぶんだと、この人の一族って、みんなこんなノリの名前だったりするのか。
だがエンギワルー当人は、息子の名に誇りを持っているらしく、良い名でしょう、とにわかに機嫌を良くした。どうやら息子の事を出されるとたちまち態度が軟化する気質の男のようである。
「王が、私の息子の名をご存知だとは、意外でしたが」
「うむ。一度見たことがあるのだ。髪が生えていたので、驚いたというか、印象深かった」
「……………………」
「なんつーか、父子で揃って反面教師みたいな名前を付けてそのうえ丸坊主だと思っていたからな」
エンギワルーは黙ってしまった。そしてそのまま、厨房の奥へと姿を消してしまった。
ギャランはきまり悪そうにちょっと頭を掻いて。
「あー、カズマ、あとでとりなしておいてくれ」
「口から出す言葉はよく考えてからに、と昨夜申し上げたはずです、が……」
カズマもギャランも、それぞれの昨夜の苦さを思い出し、おもむろに口をつぐんだ。
やれやれ、と息を吐いて、カズマは運ばせた朝食をギャランと周子とに勧めた。
「なんといいますか、なんだか調子が狂いますね」
「そりゃそうでしょ。二人っきりの濃ゆい世界にいきなり私が入ってきたんだから。おかしいよ? この関係。いい年こいた大人の男が、なんでこんなお屋敷で二人でべったりなの?」
途端に真顔になったカズマの表情に、周子はあら、と軽く笑って。
「おっけ、聞かない。詮索する気もない。スルーして」
「……なかなか聡明な性質ではあるようですね」
さっぱりと答えた周子の機転の早さに、カズマは感心したように頷いた。
交渉事ならあんたを相手にする方が早そうね、と言い出した周子に、カズマはまんざらでもない表情をした。
「ギャランの望みは何か、聞きたい。知っているのなら教えて」
「理由を」
「タトゥーの呪を解く。おたくだって、輝かしい未来ある王様とやらにこんな小娘がくっついてるのは嫌でしょ」
ほう、とカズマは興味深そうに微笑んだ。
「あなたを従える王を傷物と? 自分を貶めてまで交渉するつもりか?」
「そのくらい私には大事なの。召喚の種を手放すに相応しいだけの代償を与える、それがタトゥーの呪を解く唯一の方法。何でも願いは叶えるわ、命がけで、どんな無茶な願いでも。だからタトゥーを解いて自由にして欲しいのよ」
「それは無理な話だな、最初からおれには望みは無いと言ってるだろ」
そう口を挟んだギャランだったが。
「……あ、泣かした」
カズマの指摘にギャランはひどく狼狽えた。
「た、タトゥーがあろうがなかろうが、おれはお前に悪いようにはしない」
「嫌なのよ」
い、嫌ってそんな……とギャランは途方に暮れた表情をした。
「ととと、とにかく、お前はおれのものだ。おれが見つけたんだ、タトゥーの代償にその身の安全も衣食住も、お前の望むことすべて叶えてやろう、おれの名にかけて。だからお前はおれのもの……」
「嫌だって、言ってるでしょう」
周子はギャランを見た。
―――お前の望むことすべて、叶えてやろう……タトゥーを刻まれたのだ、呪主の言うことなら何でも聞く奴隷たる立場の、これが、自分が言われるべき言葉か? 呪主の望みを叶えるために命を賭けねばならぬのは、真の名を知られてしまった自分の方である筈だ。
「私の相手はロレンスだって、決まってる。ロレンスの所に行かなきゃだ」
「お前言ったろ、召喚主よりタトゥーの呪主の方が上位だって。今更ロレンスなぞ……」
「私、ロレンスと婚約したんだった」
カズマが軽く紅茶を噴き、ギャランの落としたスプーンが床上で甲高い金属音を立てた。
「五千万ゴールドで」
「五千万ゴールド!?」
ギャランは目を剥いて、ばん、と勢い良くテーブルに手を突き立ち上がって。
「おまおまおまおま、おまえ、いいいくらなんでもそりゃあんまりな記憶の取り違え様だぞ? 婚約? 契約じゃないのか? 金が絡んでるならそりゃ召喚の契約だろう?」
「婚約よ」
なにもそんなに驚かなくても、と、周子は冷たくギャランの動揺を流した。
昨夜思い出したの、と周子は小さく唸って。
「石を、欲しいって……五千万ゴールドで買うとかそんな話を聞いた。私がこうして持っているんだもの、まだ売ってないんでしょうけど……どうも記憶が欠落してるみたいで召喚前の詳しいことが思い出せない」
「石?」
ギャランの言葉に周子は溜息をついてスカートのポケットに手を入れた。
「魔石。ドランクドラゴンの盟約石よ」
そう言って、周子はテーブルの上にその指輪を置いた。
「それも、呪われた」
呪われた? とギャランは眉を顰めた。
周子はその黒い魔石を指先でちら、と撫でて浅く笑った。
黒い輝石だといえばとおりはよいが、むしろ……こすってすすがつく、立派な石炭だとでも言ったほうがしっくりくる、と思った。
スクエアにカットされた大きな真っ黒な石が、銀の台座に乗っている。リングの部分には文字にも似た細かい文様のような装飾がびっしりと施されている。
手の込んだ、珍しい指輪。まれに大金を投じてでも手に入れたいと申し出る人間がいそうな独特の気配を纏った奇妙な指輪である。
所有主を選ぶ指輪というものはそんなものかもしれない。
それを摘み上げ、窓際に歩み寄り日に翳して石を見るギャランのしぐさは子供じみている。
「魔力を吸うの。私は父さんに持たされた、魔力の制御用にね」
光るな、とギャランは呟いた。
その石は底光りするように、不思議な光を放った。黒い石の底で、金の粒が、まるで星のように瞬き発光している。底知れぬ耽美的な美が、石の底に渦巻いている。
「普通の人なら、持っていても何とも無い。私は魔力をバカスカ吸われて酷い目にあった。できればこのまま手放したい位」
呪の指輪をためすつがめつ日に翳しながら、
「なぁ周子、ロレンスが確かにお前を召喚したというのなら」
ええ、と頷く周子に、
「じゃあ、おれがその婚約者ってことだろう?」
ギョッとしたようにカズマがギャランを見た。
「王、それは論理が飛躍してます」
いいやおれがそれだ、とギャランはカズマを拒んで鼻息を荒くした。
「事実、周子おれの下に飛んできた、それで十分だ、何よりの証拠だ。紛れもなく、おれはお前の婚約者だ、よし決まりだ、これでめでたくお前はおれのものだ」
おれはまじでお前に悪さしない、と続いたその言葉の拙さに周子はまたも脱力した。
「あいにく」
首を横に振って。
「私、ロレンスには一度、会った記憶がある、黒髪の……背が高くて、悪魔みたいにすごく綺麗な人だった。父さんみたいに理想的な外見だった、刻むんならあの男の名がいい」
「また黒髪かっ!」
ギャランはひく、と頬をひくつかせた。
カズマが間に入って冷静に話を区切った。
「まあ、とにかく、周子はロレンスに会ったことがあり、ロレンスが婚約者であるということで、通常の召喚契約とはずいぶん事情が違うということは分かりましたよ。それがどういう事情かはわかりませんが、まあこの場合一番あり得る可能性としては、召喚契約ではなく、嫁に出した、ってところでしょうかね?」
うん、と周子が力強く頷く。
「今ごろロレンスが私を探してるかもしれない」
「……一度会っているなら、お前を探したりはしないだろう」
「どういう意味よ」
「こんな乱暴な女、誰も欲しがるものか、おれ以外」
おれ以外、とくっついてきたその言葉に、カズマはなんとも嫌そうな顰め面をした。
「私、恋人にするなら黒髪がいい」
取り付く島も無い。ギャランは口惜しそうに周子を睨んだ。
「カズマ」
「は?」
「おれの髪は黒く染められるか」
「王、その話は既に論点がずれてます」
「だめよギャラン、頭だけ黒くたって。どうせあんたのそのど金髪、その髪や眉や睫だけじゃないでしょうに。 私、毛という毛は全部黒くなくちゃ嫌、もちろん、あっちの毛もね」
周子の言い様に、カズマがこほん、と小さく咳払いをした。
「あっちの毛、ってなんだよ、じゃあ、ロレンスとは寝たのかよ!」
おれとのメイクラブは断りやがったったくせに! と詰った言葉に、カズマは此の世の終わりを間近に見た、とでも言いたげな表情になった。
「王、まさか、よりによってこんな出自の不明な凶暴女に興味をお持ちか」
「出自なら明らかだろ、ミアムだ、魔法が使える」
カズマは、とんでもないと肩を震わせた。
「絶対にダメです、こんな女」
「もちろんよ、私だってお断りだわ!」
「な、なんで二人して全否定なんだ」
とにかく、とギャランは話を打ち切るようにおもむろに席を立った。
「もし向こうがお前を探してるんなら、向こうの方からやってくるだろ、ああいいさ、せいぜい、王子様を待つがいい、どうせお前は今におれがそれだと気付くんだかんな!」
「あり得無い」
「ええ、根拠無くなぜそのような仰りを」
「……すげー、むかつく」
馬引け、と叫んで部屋を出て行こうとしたギャランに、カズマは遠乗りでしたらお供します、と短く宣言して席を立った。
そんな二人の背中に、周子はふと思い出したように声を掛けた。
「さっきの石、指に嵌めちゃダメよ、抜けなくなるから。返して、危ないから」
そう言って、周子は振り返ったギャランの手許に目を落とし、その左薬指に黒く光る指輪を見た。
一瞬、部屋の空気が冷えた。
「もう嵌めた後だぞ」
ギャランが真顔で言う。
「……普通、指輪を見たら指に嵌めてみるだろう……お前はなぜそんな大事なことを後で言うんだ」
慌ててギャランは指輪を引っ張ったり、左手をぶんぶんと振ったりした。
「王、抜けないのですか?」
「……本当にぬけないな」
「呪いの指輪だからね」
カズマは周子を睨んだ。
「周子、早く何とかしろ」
「しろ? えっらそーに! 抜けないだけで別に何とも無いわよ、普通の人間だったら。そっちが勝手に嵌めたんでしょうが。文句を言うなら私のほうだ、五千万ゴールドの指輪だ、いっそ払え」
「しかたないな」
ギャランはため息をつきながら、だがあっさりと承諾した。
カズマを顧みる。
「カズマ」
「………」
嫌な予感がする、とでも言いたげにカズマはメガネのツルに少し触れた。
「五千万ゴールドだとよ」
やや間があって。
「………払えと?……馬鹿馬鹿しい、誰が呪いの指輪にそんな大金」
「ロレンスは払うと言ったらしいぞ、おれはロレンスには負けん」
「は?」
「お前はそのロレンスとか言う黒髪のわけの分からん男が払える額が、おれには払えぬとでも言うのか」
「…………………」
カズマは明らかにムッとしたようだった。
改めて椅子を引き、席につくと。カズマは黙って懐から手帳のようなものを取り出した。書き込んで、ちぎって。無表情で目の前に座っている周子にその紙切れを押し付ける。
記されたその額面に、周子は思いっきり椅子ごと体を引いた。
―――! この男は。
大人しく金を出すから、怖い。拒めよ!
「っていうか、金払えってのはただの冗談」
「存じてます」
小切手を押し戻した周子に、
「ですが、ロレンスに払える額が私に払えぬと言われては黙ってはおれません」
メガネのレンズが都合よく反射して表情が見えぬが、声は、ぞっとするほど冷えている。
「では、この小切手を……銀行に持っていけば、即日あなたの口座に振り込まれますから」
「口座、なにそれ」
「口座も持てないのですか」
カズマは低く唸るように小さく咳払いをした。その咳払いに、どこかさげすむような色が滲んでいるのを感じて。
「持てない、んじゃなくて、持っていない、だ。なんか知らんけどすっごい失礼な気がするよその言い方」
「ふむ。そう言って寄越すあたり、やはり頭は良いようですね」
感心したようにカズマは頷いて。
神経質そうな指先がすばやく動き、摘んだ小切手を破り捨て、床に払う。
黙って懐からサイフを取り出すと分厚い束を取り出し周子に渡した。確かめろと言われて、周子はそれを数えて。
「五千ゴールド?」
「十分でしょう」
「……って、万分の一じゃん!」
思わず周子は飛び上がった。
「いきなり値切ったな、この男、すごい愛想もなしで! ああ驚いた!」
カズマは愛想ですか、とちょっと苦笑して、それから、にっこり、と微笑んだ。
「周子、あまり大金を持ち歩いては身の危険にさらされますから、この程度が無難です」
にーっこりと、親切そうに微笑んで、周子の手に五千ゴールドを握らせる。
―――な、なんかいいように言いくるめられているような気がする……
「カズマ、違うだろ」
そ、そうよ、なんかいろいろと違うよ、と言いかけた周子の胸元に、ギャランはカズマから取り上げた札束をねじ込んだ。
「女に金を渡すときはこう……げふうっ!」
「どんな女にだ!」
鳩尾に周子の膝を喰らって、ギャランは身体を二つに折って床に落ちた。
[tog]11:割線[2005/07/19][2007/03/20]
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その声に表情を険しくしたのはギャランである。
「ほおーん? いつもならまず、おれの姿を見るや、おはようございますギャラン様、だろ? 今朝はよほどあの女が気がかりと見えるな」
「おはようございます、ギャラン様、今朝はお早いようで」
棘のあるギャランの言葉にカズマは恐縮して、衣ずまいを正すと一礼した。
ギャランはといえば、ダイニングテーブルの上に足をどっかとのせてだらしなく椅子にのけぞり、ゆらゆらと揺らしている。朝から不機嫌丸出しの様子である。
「そんなことしてると、そのうちがたーん、とこけますよ?」
「うるせ」
侍女に出された紅茶をカズマは一口すすって。ギャランのそんな様子を見、こちらのお方もひょっとすると寝ていないのかもしれない、と思った。
「どうなさいました、機嫌悪いですね? 朝から」
「どうしたもこうしたも無ぇ、あれが奴隷だと? おれは要らねぇ」
軽く指を広げた己の利き手をぼんやり見つめながらギャランが答える。
それが周子のことだと察したカズマは、侍女に顔を向けた。
「では、先だって用意した馬と荷物一式を玄関先へ置くように。今すぐ」
「だから勝手に処分すんな、って!」
「要らないのでしょう? であれば私、彼女をあるべきところに帰しますが。うはうはで。晴れて厄介払いが出来ます」
ギャランが面白くなさそうに、ぐう、と唸って首を横に振った。
「おはよ。朝からなに? 私をどこへ捨ててくるかの相談?」
周子は笑って、ぐっ! と親指を立てた。こちらは朝から上機嫌である。
どうやら外を走ってきたらしく、額に汗をかいている。白い頬が上気し、かすかに乱れた黒髪、なかなかに可憐な姿だった。
「これはまたずいぶんとさわやかな」
「そう、朝早くから走るといい気持ちよ」
にこにこと答えた周子の背後から、遅れて入ってきた仏頂面の侍従長がぬっと顔を出した。こちらも走ってきたのか、だが周子よりもはるかに疲労の色濃く、しとどに汗をかいている。
「……脱走ですよ」
スキンヘッドの侍従長が、いつもの仏頂面をさらに不機嫌そうに顰め、低い声でうめいた。
軽く肩を竦める周子。
「このおっさん、案外えらく体力あるのよね、逃げても逃げてもしつこくって」
「脱走なぞ二度と試みてくれるな」
侍従長が周子を睨んだ。朝から走らされるこちらの身にもなってくれ、と言わんばかりである。
「エンギワルー、よくやった」
カズマより先に、ギャランが労をねぎらった。
ギャランの言葉に、カズマはギョッとして。短い言葉ではあるが、ギャランが他人をねぎらったのを初めて見たのである。
周子もまた汗を拭いかけたタオルを取り落とした。こちらはカズマとは別のところで、ギョッとしたらしい。
「え、エンギワルー? すごい名前ね、やっぱお坊さん? いや、坊さんじゃ余計に縁起悪くて商売にならないか」
「……商売になるならないという表現はそもそも僧侶には不適切ですが」
そう断って、四十数年生きてきた中でもう幾度となく繰り返されたか知れぬ、己の名をめぐる問いの答えを、侍従長はまた繰り返す。
「文字通り、縁起が悪い名でございましょう、これを冠することで負の威光を借り、私の身を守ろうと。私に手を出せば、死の制裁が待っている、と、まあ、そんな親の願いが込められているものでございましょうな」
無論自分は僧侶でもない、とエンギワルーは渋い声で補足した。
「ふえ、すごい名前。親の願いってのと死の制裁って言葉がこう並ぶところがありえないけど。ま、でもそのスキンヘッドも見慣れれば、渋くて素敵かもね」
エンギワルーの血筋はかなり名のある武人の家系であり、ゆえにその無事を願っての忌み詞的な名をつけるのが一族の慣わしなのだと聞いて周子はなるほどと妙な納得をした。
「渋くて素敵だと? お前、男を見る眼がねぇな! おれの方が余程いい男だろうが!」
口を挟んだギャランに、周子はいかにも嫌そうに黒目を半目に伏せて。
「そこのエロ金髪、視界に入ンな」
「おれの金髪はこのハゲより劣るってぇのか!」
エンギワルーが無言でギャランを見た。ハゲですと? とでも問い正したそうな無言の圧力に、ギャランはさすがにまずいと思ったのか、んん、と軽く喉を鳴らして。
「ちなみに、息子はコンジョナシだな」
「さよう。骨のある男になるようにと、私がつけました」
―――それっておかしいよ!
周子は口を飛び出してしまいそうになる言葉を慌てて飲み込んだ。
―――自分が親に勝手に付けられてしまったのはしょうがないけどさ、自分の子供に根性無しってのは非道くないか? このぶんだと、この人の一族って、みんなこんなノリの名前だったりするのか。
だがエンギワルー当人は、息子の名に誇りを持っているらしく、良い名でしょう、とにわかに機嫌を良くした。どうやら息子の事を出されるとたちまち態度が軟化する気質の男のようである。
「王が、私の息子の名をご存知だとは、意外でしたが」
「うむ。一度見たことがあるのだ。髪が生えていたので、驚いたというか、印象深かった」
「……………………」
「なんつーか、父子で揃って反面教師みたいな名前を付けてそのうえ丸坊主だと思っていたからな」
エンギワルーは黙ってしまった。そしてそのまま、厨房の奥へと姿を消してしまった。
ギャランはきまり悪そうにちょっと頭を掻いて。
「あー、カズマ、あとでとりなしておいてくれ」
「口から出す言葉はよく考えてからに、と昨夜申し上げたはずです、が……」
カズマもギャランも、それぞれの昨夜の苦さを思い出し、おもむろに口をつぐんだ。
やれやれ、と息を吐いて、カズマは運ばせた朝食をギャランと周子とに勧めた。
「なんといいますか、なんだか調子が狂いますね」
「そりゃそうでしょ。二人っきりの濃ゆい世界にいきなり私が入ってきたんだから。おかしいよ? この関係。いい年こいた大人の男が、なんでこんなお屋敷で二人でべったりなの?」
途端に真顔になったカズマの表情に、周子はあら、と軽く笑って。
「おっけ、聞かない。詮索する気もない。スルーして」
「……なかなか聡明な性質ではあるようですね」
さっぱりと答えた周子の機転の早さに、カズマは感心したように頷いた。
交渉事ならあんたを相手にする方が早そうね、と言い出した周子に、カズマはまんざらでもない表情をした。
「ギャランの望みは何か、聞きたい。知っているのなら教えて」
「理由を」
「タトゥーの呪を解く。おたくだって、輝かしい未来ある王様とやらにこんな小娘がくっついてるのは嫌でしょ」
ほう、とカズマは興味深そうに微笑んだ。
「あなたを従える王を傷物と? 自分を貶めてまで交渉するつもりか?」
「そのくらい私には大事なの。召喚の種を手放すに相応しいだけの代償を与える、それがタトゥーの呪を解く唯一の方法。何でも願いは叶えるわ、命がけで、どんな無茶な願いでも。だからタトゥーを解いて自由にして欲しいのよ」
「それは無理な話だな、最初からおれには望みは無いと言ってるだろ」
そう口を挟んだギャランだったが。
「……あ、泣かした」
カズマの指摘にギャランはひどく狼狽えた。
「た、タトゥーがあろうがなかろうが、おれはお前に悪いようにはしない」
「嫌なのよ」
い、嫌ってそんな……とギャランは途方に暮れた表情をした。
「ととと、とにかく、お前はおれのものだ。おれが見つけたんだ、タトゥーの代償にその身の安全も衣食住も、お前の望むことすべて叶えてやろう、おれの名にかけて。だからお前はおれのもの……」
「嫌だって、言ってるでしょう」
周子はギャランを見た。
―――お前の望むことすべて、叶えてやろう……タトゥーを刻まれたのだ、呪主の言うことなら何でも聞く奴隷たる立場の、これが、自分が言われるべき言葉か? 呪主の望みを叶えるために命を賭けねばならぬのは、真の名を知られてしまった自分の方である筈だ。
「私の相手はロレンスだって、決まってる。ロレンスの所に行かなきゃだ」
「お前言ったろ、召喚主よりタトゥーの呪主の方が上位だって。今更ロレンスなぞ……」
「私、ロレンスと婚約したんだった」
カズマが軽く紅茶を噴き、ギャランの落としたスプーンが床上で甲高い金属音を立てた。
「五千万ゴールドで」
「五千万ゴールド!?」
ギャランは目を剥いて、ばん、と勢い良くテーブルに手を突き立ち上がって。
「おまおまおまおま、おまえ、いいいくらなんでもそりゃあんまりな記憶の取り違え様だぞ? 婚約? 契約じゃないのか? 金が絡んでるならそりゃ召喚の契約だろう?」
「婚約よ」
なにもそんなに驚かなくても、と、周子は冷たくギャランの動揺を流した。
昨夜思い出したの、と周子は小さく唸って。
「石を、欲しいって……五千万ゴールドで買うとかそんな話を聞いた。私がこうして持っているんだもの、まだ売ってないんでしょうけど……どうも記憶が欠落してるみたいで召喚前の詳しいことが思い出せない」
「石?」
ギャランの言葉に周子は溜息をついてスカートのポケットに手を入れた。
「魔石。ドランクドラゴンの盟約石よ」
そう言って、周子はテーブルの上にその指輪を置いた。
「それも、呪われた」
呪われた? とギャランは眉を顰めた。
周子はその黒い魔石を指先でちら、と撫でて浅く笑った。
黒い輝石だといえばとおりはよいが、むしろ……こすってすすがつく、立派な石炭だとでも言ったほうがしっくりくる、と思った。
スクエアにカットされた大きな真っ黒な石が、銀の台座に乗っている。リングの部分には文字にも似た細かい文様のような装飾がびっしりと施されている。
手の込んだ、珍しい指輪。まれに大金を投じてでも手に入れたいと申し出る人間がいそうな独特の気配を纏った奇妙な指輪である。
所有主を選ぶ指輪というものはそんなものかもしれない。
それを摘み上げ、窓際に歩み寄り日に翳して石を見るギャランのしぐさは子供じみている。
「魔力を吸うの。私は父さんに持たされた、魔力の制御用にね」
光るな、とギャランは呟いた。
その石は底光りするように、不思議な光を放った。黒い石の底で、金の粒が、まるで星のように瞬き発光している。底知れぬ耽美的な美が、石の底に渦巻いている。
「普通の人なら、持っていても何とも無い。私は魔力をバカスカ吸われて酷い目にあった。できればこのまま手放したい位」
呪の指輪をためすつがめつ日に翳しながら、
「なぁ周子、ロレンスが確かにお前を召喚したというのなら」
ええ、と頷く周子に、
「じゃあ、おれがその婚約者ってことだろう?」
ギョッとしたようにカズマがギャランを見た。
「王、それは論理が飛躍してます」
いいやおれがそれだ、とギャランはカズマを拒んで鼻息を荒くした。
「事実、周子おれの下に飛んできた、それで十分だ、何よりの証拠だ。紛れもなく、おれはお前の婚約者だ、よし決まりだ、これでめでたくお前はおれのものだ」
おれはまじでお前に悪さしない、と続いたその言葉の拙さに周子はまたも脱力した。
「あいにく」
首を横に振って。
「私、ロレンスには一度、会った記憶がある、黒髪の……背が高くて、悪魔みたいにすごく綺麗な人だった。父さんみたいに理想的な外見だった、刻むんならあの男の名がいい」
「また黒髪かっ!」
ギャランはひく、と頬をひくつかせた。
カズマが間に入って冷静に話を区切った。
「まあ、とにかく、周子はロレンスに会ったことがあり、ロレンスが婚約者であるということで、通常の召喚契約とはずいぶん事情が違うということは分かりましたよ。それがどういう事情かはわかりませんが、まあこの場合一番あり得る可能性としては、召喚契約ではなく、嫁に出した、ってところでしょうかね?」
うん、と周子が力強く頷く。
「今ごろロレンスが私を探してるかもしれない」
「……一度会っているなら、お前を探したりはしないだろう」
「どういう意味よ」
「こんな乱暴な女、誰も欲しがるものか、おれ以外」
おれ以外、とくっついてきたその言葉に、カズマはなんとも嫌そうな顰め面をした。
「私、恋人にするなら黒髪がいい」
取り付く島も無い。ギャランは口惜しそうに周子を睨んだ。
「カズマ」
「は?」
「おれの髪は黒く染められるか」
「王、その話は既に論点がずれてます」
「だめよギャラン、頭だけ黒くたって。どうせあんたのそのど金髪、その髪や眉や睫だけじゃないでしょうに。 私、毛という毛は全部黒くなくちゃ嫌、もちろん、あっちの毛もね」
周子の言い様に、カズマがこほん、と小さく咳払いをした。
「あっちの毛、ってなんだよ、じゃあ、ロレンスとは寝たのかよ!」
おれとのメイクラブは断りやがったったくせに! と詰った言葉に、カズマは此の世の終わりを間近に見た、とでも言いたげな表情になった。
「王、まさか、よりによってこんな出自の不明な凶暴女に興味をお持ちか」
「出自なら明らかだろ、ミアムだ、魔法が使える」
カズマは、とんでもないと肩を震わせた。
「絶対にダメです、こんな女」
「もちろんよ、私だってお断りだわ!」
「な、なんで二人して全否定なんだ」
とにかく、とギャランは話を打ち切るようにおもむろに席を立った。
「もし向こうがお前を探してるんなら、向こうの方からやってくるだろ、ああいいさ、せいぜい、王子様を待つがいい、どうせお前は今におれがそれだと気付くんだかんな!」
「あり得無い」
「ええ、根拠無くなぜそのような仰りを」
「……すげー、むかつく」
馬引け、と叫んで部屋を出て行こうとしたギャランに、カズマは遠乗りでしたらお供します、と短く宣言して席を立った。
そんな二人の背中に、周子はふと思い出したように声を掛けた。
「さっきの石、指に嵌めちゃダメよ、抜けなくなるから。返して、危ないから」
そう言って、周子は振り返ったギャランの手許に目を落とし、その左薬指に黒く光る指輪を見た。
一瞬、部屋の空気が冷えた。
「もう嵌めた後だぞ」
ギャランが真顔で言う。
「……普通、指輪を見たら指に嵌めてみるだろう……お前はなぜそんな大事なことを後で言うんだ」
慌ててギャランは指輪を引っ張ったり、左手をぶんぶんと振ったりした。
「王、抜けないのですか?」
「……本当にぬけないな」
「呪いの指輪だからね」
カズマは周子を睨んだ。
「周子、早く何とかしろ」
「しろ? えっらそーに! 抜けないだけで別に何とも無いわよ、普通の人間だったら。そっちが勝手に嵌めたんでしょうが。文句を言うなら私のほうだ、五千万ゴールドの指輪だ、いっそ払え」
「しかたないな」
ギャランはため息をつきながら、だがあっさりと承諾した。
カズマを顧みる。
「カズマ」
「………」
嫌な予感がする、とでも言いたげにカズマはメガネのツルに少し触れた。
「五千万ゴールドだとよ」
やや間があって。
「………払えと?……馬鹿馬鹿しい、誰が呪いの指輪にそんな大金」
「ロレンスは払うと言ったらしいぞ、おれはロレンスには負けん」
「は?」
「お前はそのロレンスとか言う黒髪のわけの分からん男が払える額が、おれには払えぬとでも言うのか」
「…………………」
カズマは明らかにムッとしたようだった。
改めて椅子を引き、席につくと。カズマは黙って懐から手帳のようなものを取り出した。書き込んで、ちぎって。無表情で目の前に座っている周子にその紙切れを押し付ける。
記されたその額面に、周子は思いっきり椅子ごと体を引いた。
―――! この男は。
大人しく金を出すから、怖い。拒めよ!
「っていうか、金払えってのはただの冗談」
「存じてます」
小切手を押し戻した周子に、
「ですが、ロレンスに払える額が私に払えぬと言われては黙ってはおれません」
メガネのレンズが都合よく反射して表情が見えぬが、声は、ぞっとするほど冷えている。
「では、この小切手を……銀行に持っていけば、即日あなたの口座に振り込まれますから」
「口座、なにそれ」
「口座も持てないのですか」
カズマは低く唸るように小さく咳払いをした。その咳払いに、どこかさげすむような色が滲んでいるのを感じて。
「持てない、んじゃなくて、持っていない、だ。なんか知らんけどすっごい失礼な気がするよその言い方」
「ふむ。そう言って寄越すあたり、やはり頭は良いようですね」
感心したようにカズマは頷いて。
神経質そうな指先がすばやく動き、摘んだ小切手を破り捨て、床に払う。
黙って懐からサイフを取り出すと分厚い束を取り出し周子に渡した。確かめろと言われて、周子はそれを数えて。
「五千ゴールド?」
「十分でしょう」
「……って、万分の一じゃん!」
思わず周子は飛び上がった。
「いきなり値切ったな、この男、すごい愛想もなしで! ああ驚いた!」
カズマは愛想ですか、とちょっと苦笑して、それから、にっこり、と微笑んだ。
「周子、あまり大金を持ち歩いては身の危険にさらされますから、この程度が無難です」
にーっこりと、親切そうに微笑んで、周子の手に五千ゴールドを握らせる。
―――な、なんかいいように言いくるめられているような気がする……
「カズマ、違うだろ」
そ、そうよ、なんかいろいろと違うよ、と言いかけた周子の胸元に、ギャランはカズマから取り上げた札束をねじ込んだ。
「女に金を渡すときはこう……げふうっ!」
「どんな女にだ!」
鳩尾に周子の膝を喰らって、ギャランは身体を二つに折って床に落ちた。
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- 2005-07-19 06:34
- カテゴリ : 「タトゥー・オブ・ギャラン」/長編/連載中
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