コハリトりみっと
長編恋愛FT「タトゥー・オブ・ギャラン」がメインの小説・雑記サイト。
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「トライフル刑事」〜狂気のロンド ガーナ署トリニティ〜/タトパラ2
第21話:「ハウスキーパー」
何処か遠いところでカズマの言葉を聞いた。
「私だって何も好き好んできみなんかと夫婦になるわけではないのだから、ここはひとつ私がひと肌脱いだと言うか、我が身を犠牲に投げ打ったというか、むしろ命拾いしたと感謝して欲しいところだ、が……ね?……おっと、おい?」
なにも泣かなくても、そんなに私が怖いか、まあ確かにこないだは悪かったよ、とカズマはぽろぽろと泣き出した周子を前に、あきれたように苦笑した。
それから、戸籍謄本を取り落として真っ白に固まっているギャランを見て。
バスタオル一枚だった周子と、上半身裸でベルトのバックルも外したギャラン、そんな二人の格好をカズマは不審そうにちらちらと見比べた。
そうしてしばらく考えてから、ようやく納得がいったように、カズマはひとつ唸った。
「……ひょっとして、実にタイミングが悪……」
「ギャラン刑事が好きなんです、補佐官と結婚なんて出来ません……」
周子がカズマにだけ聞こえるくらいの、消え入りそうな声でそう言うと、ひぃん、と泣き出した。
「周子刑事……きみ……」
小さく肩を震わせて泣き出した周子、真っ白に固まったままのギャランに挟まれて、まいったな、とカズマは腕組みをして唸った。いわば三すくみ、夜も更けゆく街頭の下で三人はしばらくそのままでたたずんだ。
かろうじて一番先に正気に返ったのはギャランだった。うーん、と唸ったまま考え込んでしまったカズマをガクガクと揺さぶって、その思考の深淵から引きずり出す。
「カズマ、お前なにおれの周子ちゃん泣かしてんだ!」
「嬉し泣きだ、うれし泣きっ!」
ギャランの声に、正気に返ったカズマがほとんどやけっぱちな勢いでイライラと鋭く返した。
「な、なあ、いつの間に周子ちゃん?そんな婚姻届なんかにサインを」
おれのこと好きじゃないの?と周子の泣き顔を覗き込んでおもむろに涙ぐみ出すギャランの様子が、これまたカズマにとっては鬱陶しくて。
「余計な詮索は無用だ、ギャラン、とにかくお前は帰れ。こんなところでみっともないだろ」
「だって周子ちゃん泣いてるし……お前何やったんだよ、まさか強姦して無理矢理……」
「貴様と一緒にするな!」
と、カズマがつくづく嫌そうに身を捩った。
「貴様、デキてるなら、それならそうと、なぜもっと早くに報告しない?私は人の女を盗る趣味はこれっぽっちも無いぞ!こっちは周子刑事に良かれと思ってわざわざ籍を入れてやったのに。いまさらそんな好き勝手にくっついて!人の迷惑も考えろ!このバカっ!」
カズマがものすごい勢いでギャランをなじった。
「グランツ家の籍の厄介さは貴様も知っているはずだ、ギャラン」
ひく、とギャランは頬を引き攣らせ、一度ぶるりと震えた。
「カズマ・フォン・グランツが入籍即離婚となれば、政財界が揺らぐ大ゴシップだぞ」
「あ……いや……」
私を傷物にする気か!と凛とした声で凄まれ、ギャランはたじろいだ。
入籍した以上、そう簡単に籍が抜けるものか、と断言するカズマと、そのことに妙に素直にうなずくギャラン、二人のやり取りがまるで飲み込めず周子はきょとんとして交互に見比べたのだが。
細かい話は後だ、とカズマは一方的に会話を切った。
「とにかくもう、私は帰る、きみも来るんだ、周子刑事」
「ええっ!」
カズマの車椅子にぐいぐいと引っ張られ、引きずられて、周子はカズマのポルシェに突っ込まれた。怒ったように鳴いたポルシェの艶やかなエンジン音ばかりが耳に残っている。
そんな夢をぼんやりと見ていた。
ただの夢だったら良かったのだが。
ベッドの上でぼんやりと目を覚まし、バスタオル一枚にカズマの白シャツを羽織っている、そんな自分の格好を見て、周子は両手を顔に当ててふうー、と大きく深いため息を吐いた。
夢だったらいいのに、と思いはするが、自分の記憶はクリアだし、昨夜帰宅してからのカズマは冷静だった。その冷静さを前にして周子も冷静になれた。
「ま、べつにいいんじゃないか?」
と、カズマは真顔で言ったのだ。
「籍は入れたが、別に実際のところは心の通った夫婦じゃないし?そもそも夫婦とやらが愛し合っているという世の常識も疑うべきだ、きみは確かに法的には私の妻だが、だがだからといってその生活を束縛する気はさらさらない。恋愛だって構わない、籍さえ入っていれば、見かけ上夫婦であれば、それで公安はよしとするだろう、妻が刑事だなんて、忙しくて家を空けているとでも言えばいくらでも通用するからな」
もちろん、私がきみを束縛しない以上、きみも私について厄介なことをいちいち言わないで欲しいね、とカズマはそっけなく言った。
それから、しばらく考えるかのように黙って。真顔で言った。
「セックスの最中、悪かったな」
「してません!してませんから!」
この人は何処か軸がずれている、そう思いつつも周子にはそれが有難かった。ただ入籍しただけ、サッパリとそう言われると、この先難しいことなど何もない気がした。
やはりまだその若さで死にたくは無いだろう?とさばさばと言って寄越す、そんなカズマを前にして、不思議と周子の動揺も収まったのだった。この男とは案外上手くやっていけるのかも知れない、と周子は思ったのだが。
「ピクリとも動かず、あまりによく眠っていらっしゃるので」
と、その男は仏頂面をほんの少し緩め、安堵の吐息を吐いた。よほど驚いたらしい。
「そうか、私、寝ちゃってたんだ……?ああそっか、セーブルーム……私出られなくなっちゃって。良かった、ドアが開いてる。あなたが開けてくれたの?」
「内側からは若の生体認証キーでしか開きませんからな」
周子が身を起こしてベッドの上に座ると、その男は恐縮しきったように深々と一礼をした。周子の格好がバスタオル一枚にカズマの白シャツを羽織っているだけ、というあたりが気になるらしい。たしかに、太ももも足も、露わになったままだ。
「……ええっとあの、あの、頭を上げてください?」
すぐ目の前に深々と下げられた見事なスキンヘッドはなかなか上がらなかった。むしろ周子の方が恐縮してしまうほどに深い礼である。相手はぱっと見、四十過ぎの大男、そんな相手に、まるで周子の方が主人であるかのように深々と頭を下げられれば、さすがに豪胆な周子とて動揺する。
再三促してようやく頭を上げたその男は、エンギワルーと名乗った。
聞けばカズマ特別補佐官宅のハウスキーパーを長年勤めている男らしいが、胸に小さな「エンギワルー商会」というバッジをつけているあたり、別段住み込みの家政夫というわけではないらしい。手に、仕立て上がったクリーニングの包みを幾つか抱えている。先日カズマが言っていた御用達のクリーニング屋、とは彼のことかもしれない、と周子は思った。
「ああ、貴方が補佐官御用達のクリーニング屋さん?」
「え?ええまあ、クリーニングはしますが。いろいろと」
―――いろいろと?
周子はたちまち眉根を寄せたが、エンギワルーの胸のあたりが厚くなっているのにすぐ気が付いた。そこにホルスターが仕込んであるのは、刑事である周子のように慣れた者が見ればすぐに分かる。
―――クリーニング屋、ね……。
「まるで人形のように身じろぎひとつなさらずに、深くよくお眠りで。いや、私、あまりのことに、これはひょっとしたら人形かと思ってしばし眺めておりました。え?ああ、いやいや、さすがにソレはアレなのですが、白肌のキメの細かい、美しい寝顔で……実に精巧な、よく出来た人形だなと」
―――白肌のキメの細かい美しい寝顔?……人形のよう?私が?
これは果たして誉められているのだろうか、と周子は首を捻った。だが確かに自分の眠りは深い、寝起きは良いが、起きること自体に難点がある、少々のことでは目を覚まさないという、深い眠りのクセは生まれついてのものである。
エンギワルーはズボンのポケットからハンカチを取り出すとその見事なスキンヘッドに滲んだ冷や汗を拭った。
「人形が、ベッドに。……どうしよう、はてさて、一体どうすべきか、さすがの若もとうとうソコまできたか、きてしまったか、……と、やはりというか、いや、ともかくそんな光景を目の当たりに致しまして、私、大変に困惑しておったところでして……」
と言ってエンギワルーはぴたりと周子を見つめた。
そして、破顔一笑した。
「生身の人間で良かった」
「ちょ、ちょっとなによそれ!」
なんともいえぬその間に堪らず周子が問う。
エンギワルーは仏頂面を微笑ませ、もう一度冷や汗を拭った。
「あ、いや、失礼。若はあまりそのう、女性とはそう親しくはなさらぬ気質でございましてな……このような、女性がベッドにいらっしゃるなど、なんとも珍しい……いや、同じ添い寝でもなんにしても、人形の方がまだいくらか現実味がある位であろうだとか、いや、だが、だからといってそんな……そんな……それはあまりにアレですからな、ああ、いや、失礼」
そう言ってエンギワルーはまた額に浮いた汗を拭った。仏頂面ではあるが、こう見えてこれでなかなかひどく動揺しているらしい。
「いや、申し訳ない。出張の予定が、当初よりも早くコトが済みましてな?若がさぞかしご不便なさっていらっしゃるだろうと、所用が済み次第すぐに、予定より一日早くこちらに舞い戻った次第だったのですが。むしろとんだお邪魔だったというわけですな、もっと気を利かせるべきでございました。いや、しっかしまさか、こちらに女性がいらっしゃるとは……いや、まこと、有難いことで……」
と呟いて。
有難い、と言うのは、感謝の言葉というよりもむしろその源語の通り、滅多にないことの意であろう、と周子は正確にエンギワルーの言葉の色を汲んだ。
「そうですか、ええ、私もカズマ特別補佐官はきっと女性がお好きでないと思います……むしろ、ホモで変態」
「ホモっ!?」
いや、それはさすがにあんまりだ、とエンギワルーはうめいて。
それからしばらく逡巡した後、だがどうにも気になるのか、大変失礼ですが、と丁重に前置きをして周子にこう尋ねてきた。
「若とは、どのようなご関係で?」
「若?」
「カズマ・フォン・グランツ殿の事です。こちらの」
「夫?」
そう答えて周子は首を捻る。
―――夫……夫、というほかないだろうな?
関係を問われれば、まさにそれくらいしか関係らしきものは思い浮かばない。なにせ知人だとか友人だとか、そんな交友関係を築く間もなく唐突に籍を入れられてしまったのだから。同僚、というのも何処か違う気がする。
夫、ぐらいしか二人の間の関係を言い表すものが無い、というのが実情である。
「なんと!」
エンギワルーは周子の言葉に、短く叫んで手にしていたクリーニングの包みを取り落とした。ばさばさばさっ、と乾いたビニールの音が床の上で鳴った。
「結婚を?一体いつの間に!?」
「……きのう?」
なんてことだ、とエンギワルーは床にくずおれた。両手を床についてがっくりと頭をうなだれる。
「若が……若が私に告げずに結婚を?あの女嫌いの若が!この私がどれほどその日を楽しみにしていたかお察しではないのか、おお、なんと冷たい!私が出張で不在の隙に?ひどい、なんと冷たい仕打ちだ!」
「ああ、冷たいですよね、あの人」
周子のさらりとした同意にエンギワルーはいっそう項垂れた。
「エンヴィ、いるのか、やあ、コンジョナシ、元気かい?」
聞き覚えのある澄んだ声が玄関先で響いた。電動車椅子のタイヤがきゅっと、大理石の玄関ホールを擦る、特徴ある音が聞こえた。カズマが帰宅したらしい。と、一拍置いて、子供の明朗な声が元気に挨拶する声が聞こえた。
きょとんとする周子に、息子です、とエンギワルーが低い声で告げた。
ニ、三会話を交わすカズマの声は柔らかく、上機嫌だ。その明るい声の主、子供とはどうやら打ち解けた親しい間柄なのらしい。カズマには数少ない相手だろうと周子は思う。
「……って……」
カズマは上機嫌でコンジョナシを伴い、若、お邪魔しております、と返したエンギワルーの声のするほう、すなわちカズマの寝室に続くセーブルームにカオを出した、そして、唐突に嵐の前のような不穏な表情になった。
「……きみはなぜこんなところにいるんだ」
「知りません!でも補佐官が悪いです!カギ!これじゃ出たくても出られないですよ!中から開かないカギだなんて!ほんとひどいです、これじゃ監禁です!」
どん、と怒りを爆発させて周子が詰め寄った。
「君は夕べ帰ったんじゃないのか?コーヒーを淹れに行って戻ってみれば君はいなかったじゃないか、私は君が勝手に帰ったのだと思っていたが?」
「なんとなく壁を触ったら、いきなりコッチの部屋に落ちたんです!カギがかかったのかドアは開かないし、どれほど騒いでも気付いてくれないし、おまけにどっか外出しちゃったみたいだし!」
周子はそう言ってモニタを指差した。
へぇ、とカズマは感心したように目を細めた。
「周子刑事、勝手にいじって多少はつかえたようだな?」
「あ、すいません、勝手に拝借しました、だって、閉じ込められちゃった以上、外の様子が気になるじゃないですか……ってかなんか突っ込むところが違うと思います、補佐官」
「いいや?君はやはり頭がいいな」
不意にカズマが機嫌を良くしかけたその瞬間、監禁ですと?と床の上から低い唸り声が上がった。地響きのような感じだった。
「なりませんぞ、若、いくらなんでもそんな、こんなうら若き女性を監禁など!」
カズマはギョッとしたように床上でくず折れたままのエンギワルーを見下ろした。
「いや!いやちがうぞ、エンヴィ勘違いするな、周子刑事!余計なことを言うな」
周子はぶすっと腕組みをして。
「余計も何も……私は夕べ一晩監禁されたんですよ、カズマ特別補佐官に。大体、セーブルームに閉じ込めたのは誰ですか、あんまりです」
「知らんぞ!君が勝手に入り込んだんだろ!」
ああ、もう!とカズマはいらだたしげに身を捩り、メガネのブリッジを押し上げた。
床の上でがっくりとうなだれたエンギワルーのスキンヘッドを指差し、周子を睨みつける。
「きみは彼に何を吹き込んだ!?」
「若とはどういう関係かと、聞かれました」
「で?きみはなんと答えた」
「夫?」
「最悪だ!」
カズマが叫んだ。車椅子から思わず立ち上がりそうなほどの勢いだった。
途端にその端正な顔立ちに枕がヒットした。顔のど真ん中に勢い良く枕を喰らってカズマは奇妙なうめき声を上げた。
「最悪ってなんですか!」
周子がむっとしてベッドの上にあった枕を掴んで投げつけたのである。
「ヒトの事勝手に無理矢理奥さんにしておいて!あんまりです!」
「勝手に無理矢理!?」
こちらの女性を無理矢理にですとッ!?とエンギワルーが目を剥き口元に手を当て、床上からカズマを睨みつけた。
「若!女性を無理矢理にとはどういうことか!」
カズマは竦んだ眼差しでエンギワルーを見る。枕の直撃を食らったメガネのフレームが歪んでポロリとカズマの膝の上に落ちた。
「違う、違うぞ、エンヴィ、それは断固としてちが……」
「若のおそばに仕えてはや十年、このエンギワルー、日夜若の御為を思って勤め上げて参りましたのに……女性を無理矢理にとはなんとも情けない!どこか私は間違っておりましたか!こここんな情けない恥ずかしい見下げ果てた行為をなさるとは!」
「してないから!」
カズマが身を捩って叫んだ。
周子はそんな二人を見てうへぇ、と奇妙な声を上げた。
「補佐官?どうして若様なんて言われてるんですか?こりゃお貴族プレイ?」
「ぷぷぷ、プレイですと!?監禁した挙句無理矢理、その上お貴族プレイを強要ですと?なんてこった!若、戯れが過ぎますぞ!」
エンギワルーがまた目を剥いた。もはやもつれた糸は雪だるま式に曲解を膨らませていく一方らしかった。エンギワルーが羞恥と怒りで肩を震わせている。鉄拳制裁でも飛びそうな勢いだった。
「ああ!周子刑事は黙ってろ!」
カズマがつくづく嫌そうに身を捩って悲鳴を上げた。
(第22話へつづく)
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第21話:「ハウスキーパー」
何処か遠いところでカズマの言葉を聞いた。
「私だって何も好き好んできみなんかと夫婦になるわけではないのだから、ここはひとつ私がひと肌脱いだと言うか、我が身を犠牲に投げ打ったというか、むしろ命拾いしたと感謝して欲しいところだ、が……ね?……おっと、おい?」
なにも泣かなくても、そんなに私が怖いか、まあ確かにこないだは悪かったよ、とカズマはぽろぽろと泣き出した周子を前に、あきれたように苦笑した。
それから、戸籍謄本を取り落として真っ白に固まっているギャランを見て。
バスタオル一枚だった周子と、上半身裸でベルトのバックルも外したギャラン、そんな二人の格好をカズマは不審そうにちらちらと見比べた。
そうしてしばらく考えてから、ようやく納得がいったように、カズマはひとつ唸った。
「……ひょっとして、実にタイミングが悪……」
「ギャラン刑事が好きなんです、補佐官と結婚なんて出来ません……」
周子がカズマにだけ聞こえるくらいの、消え入りそうな声でそう言うと、ひぃん、と泣き出した。
「周子刑事……きみ……」
小さく肩を震わせて泣き出した周子、真っ白に固まったままのギャランに挟まれて、まいったな、とカズマは腕組みをして唸った。いわば三すくみ、夜も更けゆく街頭の下で三人はしばらくそのままでたたずんだ。
かろうじて一番先に正気に返ったのはギャランだった。うーん、と唸ったまま考え込んでしまったカズマをガクガクと揺さぶって、その思考の深淵から引きずり出す。
「カズマ、お前なにおれの周子ちゃん泣かしてんだ!」
「嬉し泣きだ、うれし泣きっ!」
ギャランの声に、正気に返ったカズマがほとんどやけっぱちな勢いでイライラと鋭く返した。
「な、なあ、いつの間に周子ちゃん?そんな婚姻届なんかにサインを」
おれのこと好きじゃないの?と周子の泣き顔を覗き込んでおもむろに涙ぐみ出すギャランの様子が、これまたカズマにとっては鬱陶しくて。
「余計な詮索は無用だ、ギャラン、とにかくお前は帰れ。こんなところでみっともないだろ」
「だって周子ちゃん泣いてるし……お前何やったんだよ、まさか強姦して無理矢理……」
「貴様と一緒にするな!」
と、カズマがつくづく嫌そうに身を捩った。
「貴様、デキてるなら、それならそうと、なぜもっと早くに報告しない?私は人の女を盗る趣味はこれっぽっちも無いぞ!こっちは周子刑事に良かれと思ってわざわざ籍を入れてやったのに。いまさらそんな好き勝手にくっついて!人の迷惑も考えろ!このバカっ!」
カズマがものすごい勢いでギャランをなじった。
「グランツ家の籍の厄介さは貴様も知っているはずだ、ギャラン」
ひく、とギャランは頬を引き攣らせ、一度ぶるりと震えた。
「カズマ・フォン・グランツが入籍即離婚となれば、政財界が揺らぐ大ゴシップだぞ」
「あ……いや……」
私を傷物にする気か!と凛とした声で凄まれ、ギャランはたじろいだ。
入籍した以上、そう簡単に籍が抜けるものか、と断言するカズマと、そのことに妙に素直にうなずくギャラン、二人のやり取りがまるで飲み込めず周子はきょとんとして交互に見比べたのだが。
細かい話は後だ、とカズマは一方的に会話を切った。
「とにかくもう、私は帰る、きみも来るんだ、周子刑事」
「ええっ!」
カズマの車椅子にぐいぐいと引っ張られ、引きずられて、周子はカズマのポルシェに突っ込まれた。怒ったように鳴いたポルシェの艶やかなエンジン音ばかりが耳に残っている。
そんな夢をぼんやりと見ていた。
ただの夢だったら良かったのだが。
ベッドの上でぼんやりと目を覚まし、バスタオル一枚にカズマの白シャツを羽織っている、そんな自分の格好を見て、周子は両手を顔に当ててふうー、と大きく深いため息を吐いた。
夢だったらいいのに、と思いはするが、自分の記憶はクリアだし、昨夜帰宅してからのカズマは冷静だった。その冷静さを前にして周子も冷静になれた。
「ま、べつにいいんじゃないか?」
と、カズマは真顔で言ったのだ。
「籍は入れたが、別に実際のところは心の通った夫婦じゃないし?そもそも夫婦とやらが愛し合っているという世の常識も疑うべきだ、きみは確かに法的には私の妻だが、だがだからといってその生活を束縛する気はさらさらない。恋愛だって構わない、籍さえ入っていれば、見かけ上夫婦であれば、それで公安はよしとするだろう、妻が刑事だなんて、忙しくて家を空けているとでも言えばいくらでも通用するからな」
もちろん、私がきみを束縛しない以上、きみも私について厄介なことをいちいち言わないで欲しいね、とカズマはそっけなく言った。
それから、しばらく考えるかのように黙って。真顔で言った。
「セックスの最中、悪かったな」
「してません!してませんから!」
この人は何処か軸がずれている、そう思いつつも周子にはそれが有難かった。ただ入籍しただけ、サッパリとそう言われると、この先難しいことなど何もない気がした。
やはりまだその若さで死にたくは無いだろう?とさばさばと言って寄越す、そんなカズマを前にして、不思議と周子の動揺も収まったのだった。この男とは案外上手くやっていけるのかも知れない、と周子は思ったのだが。
「ピクリとも動かず、あまりによく眠っていらっしゃるので」
と、その男は仏頂面をほんの少し緩め、安堵の吐息を吐いた。よほど驚いたらしい。
「そうか、私、寝ちゃってたんだ……?ああそっか、セーブルーム……私出られなくなっちゃって。良かった、ドアが開いてる。あなたが開けてくれたの?」
「内側からは若の生体認証キーでしか開きませんからな」
周子が身を起こしてベッドの上に座ると、その男は恐縮しきったように深々と一礼をした。周子の格好がバスタオル一枚にカズマの白シャツを羽織っているだけ、というあたりが気になるらしい。たしかに、太ももも足も、露わになったままだ。
「……ええっとあの、あの、頭を上げてください?」
すぐ目の前に深々と下げられた見事なスキンヘッドはなかなか上がらなかった。むしろ周子の方が恐縮してしまうほどに深い礼である。相手はぱっと見、四十過ぎの大男、そんな相手に、まるで周子の方が主人であるかのように深々と頭を下げられれば、さすがに豪胆な周子とて動揺する。
再三促してようやく頭を上げたその男は、エンギワルーと名乗った。
聞けばカズマ特別補佐官宅のハウスキーパーを長年勤めている男らしいが、胸に小さな「エンギワルー商会」というバッジをつけているあたり、別段住み込みの家政夫というわけではないらしい。手に、仕立て上がったクリーニングの包みを幾つか抱えている。先日カズマが言っていた御用達のクリーニング屋、とは彼のことかもしれない、と周子は思った。
「ああ、貴方が補佐官御用達のクリーニング屋さん?」
「え?ええまあ、クリーニングはしますが。いろいろと」
―――いろいろと?
周子はたちまち眉根を寄せたが、エンギワルーの胸のあたりが厚くなっているのにすぐ気が付いた。そこにホルスターが仕込んであるのは、刑事である周子のように慣れた者が見ればすぐに分かる。
―――クリーニング屋、ね……。
「まるで人形のように身じろぎひとつなさらずに、深くよくお眠りで。いや、私、あまりのことに、これはひょっとしたら人形かと思ってしばし眺めておりました。え?ああ、いやいや、さすがにソレはアレなのですが、白肌のキメの細かい、美しい寝顔で……実に精巧な、よく出来た人形だなと」
―――白肌のキメの細かい美しい寝顔?……人形のよう?私が?
これは果たして誉められているのだろうか、と周子は首を捻った。だが確かに自分の眠りは深い、寝起きは良いが、起きること自体に難点がある、少々のことでは目を覚まさないという、深い眠りのクセは生まれついてのものである。
エンギワルーはズボンのポケットからハンカチを取り出すとその見事なスキンヘッドに滲んだ冷や汗を拭った。
「人形が、ベッドに。……どうしよう、はてさて、一体どうすべきか、さすがの若もとうとうソコまできたか、きてしまったか、……と、やはりというか、いや、ともかくそんな光景を目の当たりに致しまして、私、大変に困惑しておったところでして……」
と言ってエンギワルーはぴたりと周子を見つめた。
そして、破顔一笑した。
「生身の人間で良かった」
「ちょ、ちょっとなによそれ!」
なんともいえぬその間に堪らず周子が問う。
エンギワルーは仏頂面を微笑ませ、もう一度冷や汗を拭った。
「あ、いや、失礼。若はあまりそのう、女性とはそう親しくはなさらぬ気質でございましてな……このような、女性がベッドにいらっしゃるなど、なんとも珍しい……いや、同じ添い寝でもなんにしても、人形の方がまだいくらか現実味がある位であろうだとか、いや、だが、だからといってそんな……そんな……それはあまりにアレですからな、ああ、いや、失礼」
そう言ってエンギワルーはまた額に浮いた汗を拭った。仏頂面ではあるが、こう見えてこれでなかなかひどく動揺しているらしい。
「いや、申し訳ない。出張の予定が、当初よりも早くコトが済みましてな?若がさぞかしご不便なさっていらっしゃるだろうと、所用が済み次第すぐに、予定より一日早くこちらに舞い戻った次第だったのですが。むしろとんだお邪魔だったというわけですな、もっと気を利かせるべきでございました。いや、しっかしまさか、こちらに女性がいらっしゃるとは……いや、まこと、有難いことで……」
と呟いて。
有難い、と言うのは、感謝の言葉というよりもむしろその源語の通り、滅多にないことの意であろう、と周子は正確にエンギワルーの言葉の色を汲んだ。
「そうですか、ええ、私もカズマ特別補佐官はきっと女性がお好きでないと思います……むしろ、ホモで変態」
「ホモっ!?」
いや、それはさすがにあんまりだ、とエンギワルーはうめいて。
それからしばらく逡巡した後、だがどうにも気になるのか、大変失礼ですが、と丁重に前置きをして周子にこう尋ねてきた。
「若とは、どのようなご関係で?」
「若?」
「カズマ・フォン・グランツ殿の事です。こちらの」
「夫?」
そう答えて周子は首を捻る。
―――夫……夫、というほかないだろうな?
関係を問われれば、まさにそれくらいしか関係らしきものは思い浮かばない。なにせ知人だとか友人だとか、そんな交友関係を築く間もなく唐突に籍を入れられてしまったのだから。同僚、というのも何処か違う気がする。
夫、ぐらいしか二人の間の関係を言い表すものが無い、というのが実情である。
「なんと!」
エンギワルーは周子の言葉に、短く叫んで手にしていたクリーニングの包みを取り落とした。ばさばさばさっ、と乾いたビニールの音が床の上で鳴った。
「結婚を?一体いつの間に!?」
「……きのう?」
なんてことだ、とエンギワルーは床にくずおれた。両手を床についてがっくりと頭をうなだれる。
「若が……若が私に告げずに結婚を?あの女嫌いの若が!この私がどれほどその日を楽しみにしていたかお察しではないのか、おお、なんと冷たい!私が出張で不在の隙に?ひどい、なんと冷たい仕打ちだ!」
「ああ、冷たいですよね、あの人」
周子のさらりとした同意にエンギワルーはいっそう項垂れた。
「エンヴィ、いるのか、やあ、コンジョナシ、元気かい?」
聞き覚えのある澄んだ声が玄関先で響いた。電動車椅子のタイヤがきゅっと、大理石の玄関ホールを擦る、特徴ある音が聞こえた。カズマが帰宅したらしい。と、一拍置いて、子供の明朗な声が元気に挨拶する声が聞こえた。
きょとんとする周子に、息子です、とエンギワルーが低い声で告げた。
ニ、三会話を交わすカズマの声は柔らかく、上機嫌だ。その明るい声の主、子供とはどうやら打ち解けた親しい間柄なのらしい。カズマには数少ない相手だろうと周子は思う。
「……って……」
カズマは上機嫌でコンジョナシを伴い、若、お邪魔しております、と返したエンギワルーの声のするほう、すなわちカズマの寝室に続くセーブルームにカオを出した、そして、唐突に嵐の前のような不穏な表情になった。
「……きみはなぜこんなところにいるんだ」
「知りません!でも補佐官が悪いです!カギ!これじゃ出たくても出られないですよ!中から開かないカギだなんて!ほんとひどいです、これじゃ監禁です!」
どん、と怒りを爆発させて周子が詰め寄った。
「君は夕べ帰ったんじゃないのか?コーヒーを淹れに行って戻ってみれば君はいなかったじゃないか、私は君が勝手に帰ったのだと思っていたが?」
「なんとなく壁を触ったら、いきなりコッチの部屋に落ちたんです!カギがかかったのかドアは開かないし、どれほど騒いでも気付いてくれないし、おまけにどっか外出しちゃったみたいだし!」
周子はそう言ってモニタを指差した。
へぇ、とカズマは感心したように目を細めた。
「周子刑事、勝手にいじって多少はつかえたようだな?」
「あ、すいません、勝手に拝借しました、だって、閉じ込められちゃった以上、外の様子が気になるじゃないですか……ってかなんか突っ込むところが違うと思います、補佐官」
「いいや?君はやはり頭がいいな」
不意にカズマが機嫌を良くしかけたその瞬間、監禁ですと?と床の上から低い唸り声が上がった。地響きのような感じだった。
「なりませんぞ、若、いくらなんでもそんな、こんなうら若き女性を監禁など!」
カズマはギョッとしたように床上でくず折れたままのエンギワルーを見下ろした。
「いや!いやちがうぞ、エンヴィ勘違いするな、周子刑事!余計なことを言うな」
周子はぶすっと腕組みをして。
「余計も何も……私は夕べ一晩監禁されたんですよ、カズマ特別補佐官に。大体、セーブルームに閉じ込めたのは誰ですか、あんまりです」
「知らんぞ!君が勝手に入り込んだんだろ!」
ああ、もう!とカズマはいらだたしげに身を捩り、メガネのブリッジを押し上げた。
床の上でがっくりとうなだれたエンギワルーのスキンヘッドを指差し、周子を睨みつける。
「きみは彼に何を吹き込んだ!?」
「若とはどういう関係かと、聞かれました」
「で?きみはなんと答えた」
「夫?」
「最悪だ!」
カズマが叫んだ。車椅子から思わず立ち上がりそうなほどの勢いだった。
途端にその端正な顔立ちに枕がヒットした。顔のど真ん中に勢い良く枕を喰らってカズマは奇妙なうめき声を上げた。
「最悪ってなんですか!」
周子がむっとしてベッドの上にあった枕を掴んで投げつけたのである。
「ヒトの事勝手に無理矢理奥さんにしておいて!あんまりです!」
「勝手に無理矢理!?」
こちらの女性を無理矢理にですとッ!?とエンギワルーが目を剥き口元に手を当て、床上からカズマを睨みつけた。
「若!女性を無理矢理にとはどういうことか!」
カズマは竦んだ眼差しでエンギワルーを見る。枕の直撃を食らったメガネのフレームが歪んでポロリとカズマの膝の上に落ちた。
「違う、違うぞ、エンヴィ、それは断固としてちが……」
「若のおそばに仕えてはや十年、このエンギワルー、日夜若の御為を思って勤め上げて参りましたのに……女性を無理矢理にとはなんとも情けない!どこか私は間違っておりましたか!こここんな情けない恥ずかしい見下げ果てた行為をなさるとは!」
「してないから!」
カズマが身を捩って叫んだ。
周子はそんな二人を見てうへぇ、と奇妙な声を上げた。
「補佐官?どうして若様なんて言われてるんですか?こりゃお貴族プレイ?」
「ぷぷぷ、プレイですと!?監禁した挙句無理矢理、その上お貴族プレイを強要ですと?なんてこった!若、戯れが過ぎますぞ!」
エンギワルーがまた目を剥いた。もはやもつれた糸は雪だるま式に曲解を膨らませていく一方らしかった。エンギワルーが羞恥と怒りで肩を震わせている。鉄拳制裁でも飛びそうな勢いだった。
「ああ!周子刑事は黙ってろ!」
カズマがつくづく嫌そうに身を捩って悲鳴を上げた。
(第22話へつづく)
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- 2005-08-02 06:17
- カテゴリ : タトパラ2/長編/連載中
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