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[tog]13:別次元の王

 ギャランは馬車に乗り込むなり一切口をつぐんでしまった。
 よほど腹を立てているのか、周子が話し掛けても視線すら返してくれなかった。周子は、ギャランは本当に腹を立てると口すらもきかなくなる、といったカズマの言葉を思い出して苦笑した。
 ―――存外狭量な男……まるで子供みたい。
 それで仕方なく周子は窓の外を眺めたり、膝の上に載せたハンズと指相撲なぞして馬車での長い時間をつぶした。長い時間……カズマの屋敷から、半ば拉致されるように馬車に乗り込み、軽く三時間ほどは経ったろうか。
 車中での時が経つに連れ、車外の景色は、深い緑と清い小川に囲まれた、豊かな自然に細やかな手入れを施したカズマの屋敷周辺の美しい風景から、人工の建造物のひしめく、街中の喧騒へと変わりゆく。
 もともとミアムは隠れ里のような小さな国だが、ベースが仕切る契約のおかげで裕福な国でもあり、その町並みは美しかった。カズマには粗野、の一言で斬り捨てられた生来の性格ではあるが、周子は贅沢を知っている。華美を好まぬ父親同様、周子も贅沢には興味を示さなかったが、美しいものを見て育っている周子の目には自ずと審美眼が備わっているし、周子は回数こそは少ないが、自身の契約でミアムの外の国の高位貴族の下へと召喚されたことがある、召喚された先で贅を尽くした歓待を受け、召喚主が望むままの贅を浪費してやった経験もある。召喚の種を召喚した諸侯貴族はこぞってその歓待振りを競うのが習わしであったからだ。有る意味、周子は贅沢を知り尽くしている、だからこそ、贅沢なものには何一つ靡かぬし、粗野、であるのだ。
「立派な街ねぇ、これがガーナ?」
 ガーナのその町並みはいままで周子が見たどの都市よりも整備が行き届いていて立派だった。
 ギャランからの言葉はやはり返らない。
「あんたの国なんでしょ?ギャラン?ちょっとは自慢したら?」
「…………」
 そう言うと、おれは国王じゃあ無ぇ、とでも言いたげに一度きつく睨まれた。
 ―――ガーナ……
 周子はその国の名に、ちくり、と記憶の中で何かが引っ掛かるような気がした。記憶がどういう具合に欠落しているのか、それすらもまだ把握できていないのだが。

 城砦都市、というに相応しい堅牢な門があり、それを二つほど過ぎたところで、途端に街中の喧騒がぴたりと、止んだ。
 一部の高位貴族しか出入りできない区域があるらしい。だとすればこの奥にこそ、王宮があるのだろうと思いながら周子は辺りの様子を眺めていた。
 イーズリー卿ラインハルトと名乗ったあの恰幅の良い紳士が、王宮において相当な地位にあることは、ガーナの事情に無知の周子でもすぐに分かった。
 もちろん、周子とギャランとをのせたこの馬車の立派さもそれを語ってはいるが、この堅牢な門のいかつい表情をした検問係の兵士が、ちら、と覗かせたラインハルトの顔を一目見ただけで、職務であるとはいえ一瞬でもその馬車を停めたことを詫びるように、最敬礼をしてやり過ごすのである。
 無論、そのすぐ向かいに誰が座っているかなど、確認しようともしない。もっとも、確認すればあるいは、腰を抜かしかねないかもしれないが。
 ―――そんなにあっさりスルーしていいわけ?
 周子はラインハルトと厳しい表情をしたままのギャランとを交互に見比べた。この馬車に乗ることをギャランはいささかも同意していない。ラインハルトはギャランを国王、と呼び、そしてその国王を半ば脅すようにして馬車に乗せた。
 この狭い馬車の中で、ギャランが刺されるとか、国王の暗殺などといった事態が決してありえないとでも言うのか。もしこのラインハルトギャランの命を狙いでもしたら、どうするのか。
 そんな不穏な懸念の一切を不問にするかのような警備兵の態度こそが何よりもラインハルトの忠誠を示しているようにも思えた。
 ―――だけどギャランを脅してるしな?

 周子は、指相撲の相手を務めているライトの親指をギリギリ締め上げながら、だんまりを決め込んだギャランの秀麗な面立ちをじいっと見つめた。
 ―――そもそも、こいつは何者だ?
 あでやかな金髪に青い瞳、きりっとした顔立ちに意志の固そうな口元。その顔立ちはかなりの男前だとは思う。
 ちょび髭を生やした壮年の男は、自分よりもずっと年の若い、あでやかな金髪のギャランを、国王、と呼んだ。
 やはり、カズマの言うとおりこの金髪はガーナの国王ではあるのだろう。
 たしかに、おれは国王様だー、なんて当人も言ってはいた。
 だが、当人がそう言うのは、口答えをする周子に上段から偉そうに命令をするときくらいで、むしろ、おれは国王などではない!としかめっ面をして、自分のことを王、と呼び敬い奉ろうとするカズマを無下に蹴り上げることの方が多い。
 そして、周子の見る限り、ギャランは毎日カズマの屋敷で酒を飲んでぐうたらしている。
 初めて周子がギャランに会ったときも、ギャランは酒気を帯びていたし、喉の渇きで呼吸もままならぬ周子に勧めたのは酒である。いくら手にしていたのがたまたま酒の入ったボトルだからとて、あまりな仕打ちだ、と周子は思う。配慮が足りない。
 国王ならばそれ相応の品位や振る舞いがあって然るべきだろうが、ギャランには全くそれが無い。
 周子は、夕べのカズマとギャラン、酒を酌み交わす二人の様子を思い浮かべた。カズマが、静かに酒を飲むギャランの上機嫌な様子に微笑む様は、さながら意中の恋人でも前にしたかのような密かな悦び、恋人の機嫌を上手く取れたときのような雰囲気ですらあった。
 数日一緒にいて様子を伺うに、カズマはギャランの言うことなら何でも聞くらしかった。
 だが、カズマはギャランを諌めるだけの力も持っている。そして諌めはするが、結局はギャランのわがままな勢いに押されてあっけなく折れる。カズマは自分が折れるのを最初から知っている、それは王だから命令を聞く、というよりも、ギャランだから言うことを聞いてやる、という感じの方が強い気がする。むしろギャランを飼っている、と周子は思った。
 あの二人はやけに仲がいい。
 というより、カズマはギャランを甘やかしている。密かに自分に向けられるカズマの底意地の悪さを考えると、ひょっとしたらひょっとして、篭絡している、という表現の方が近いのかもしれないくらいだ、と周子は思った。

 ギャランの本性は、まるで夏の青空のように晴れ晴れとした、実にいい性格をしている。そんなギャランの気質は数日一緒にいるだけですぐに分かった。
 バカだ何だと言ってはみても、正直、今まで見た人間の中で一番サッパリとしていて、悪気のない、いい性格の人間だ。もっといえば、底の抜けたバケツのような性格をしている。
 そう思って、周子はうーん、と首を捻った。
 ―――なのに、なぜギャランはこんなに悪ぶっている?
 その傲慢さの源を推し量れずに周子はしばらくギャランを注視して。
 周子は硬く腕組みをして口元をぎゅむ、と苦々しげに引き結んだままのギャランの顔を、量るように見る。
 ―――この異様な怜悧さは何だ?迂闊に臣下に話し掛けるなとでも、そんな入れ知恵か何かであろうか、カズマならそんなことも言うかもしれない。
 底の抜けたバケツも、然るべきところに置きさえすれば、つまり、底が抜けていることが分からぬように置きさえすれば、それなりに見える、ということであろうか。
 カズマならばそれくらいは考えるだろう。

 ―――カズマはさもギャランに仕えている様子だが、だが実際はどうだ?ギャランを支配しているのこそがカズマその人ではなかろうか。

 周子はずきんとする頭の痛みに顔をしかめた。
 ロレンスとの契約にある召喚には失敗したが、自分を呼んだのは、やはり確かにこの男である気がする。
 この男の秘める、よほどの強い思いは、正規の召喚を乗っ取ったのだ。

 ―――望みなどない、と言い切るこの男は。このギャランは、何を乞うた?

 周子の食い入るような視線に、ギャランは二度と視線を合わせては来なかった。
 ちりちりと、左腕のタトゥーが痛んだ。


 ライトもレフトも震えるばかりで指相撲には応じなくなってしまったころ、ようやく馬車はラインハルトの屋敷についた。
 壮麗な石造りの堅牢な建物である。
 華美なほどに装飾がなされ、宝石をちりばめた見事な調度品がまぶしい。相当の財力がなければ建ちえぬ、豪華で無駄なつくり、華美な屋敷である。
 部屋に一歩足を踏み入れただけで、その筋の人ならばすぐに概算金額をたたき出せるほどに分かりやすい、大胆な金のかけ方であろうと周子は思った。
「ふわぁ、立派なお屋敷だね」
 周子はそう言ってみたものの、ギャランはやはり怒った風に沈黙したまま。指相撲で締め上げられもはやびくびくと震えるばかりだったハンズが、急に元気を取り戻し、周子の胸の谷間から飛び出そうとしたのだが、周子はそれを一度ずつ鋭くつねって牽制した。
「おイタはダメよ。調度品の宝石も、勝手に穿り出したらダメ」
 ハンズは綺麗なものが、とりわけ宝石の類が好きなので危険である。気に入ったものは勝手に持ってきてしまうのだ、文字通り手癖が悪い、手、である。

 国王を自邸に呼び寄せることに成功したのが余程嬉しいのか、ラインハルトと名乗ったこの壮年の男はギャランに深々と頭を垂れ、熱のこもった至極丁寧な口上を述べると、屋敷に迎え入れ、上機嫌ご満悦大大臣様な笑顔を浮かべた。まるで福の神のような、見事な上機嫌な笑顔だった。
 沈黙したままのギャラン、周子はその後ろに従う。周子は先程から胸元を押さえつけながら歩を進めているのだが、その胸元ではハンズが虎視眈々と飛び出す機会を窺い蠢いている。ギャランの伴う女は正直、異様な様子であった。
 だが、ラインハルトはそんな周子を上手く無視すると、ぱんぱん、と手を打って、瞬く間に豪華な宴の支度を整えさせた。ギャランを宴の席に促すが、ギャランはふい、と無視して部屋間のつながった隣室のソファにどっかと座った。
 ラインハルトはいささかも動じず、再びぱんぱん、と小気味よく手を打った。恭しく酒器を目線より上に掲げた美女が二人、優雅な笑みを浮かべてギャランの両隣に座り、酒を勧めた。
 そのほくほくとギャランをもてなす様は、半ば脅して拉致するかのように連行してきたなぞ間違ってもありえない、といった感じである。ややしてラインハルトは何かの準備であろうか、一寸席を辞した。

 ラインハルトがいなくなるなり、カッ、とギャランの青い瞳に意志が点った。
「とんだことをしてくれたな」
 ぼそっと呟いたギャランの頬がかすかに上気している。内に燻った怒りのせいか、瞳の青い色がいっそう色濃く見える。ぞっとするような深い色だった。
 ギャランの側に寄れば首でも締められそうな勢いだったので、周子は仕方なくソファから離れた場所で突立っていた。
 ややして戻ってきたラインハルトは数本の花を手にしていた。そして、選べ、とでも言わんばかりにギャランの前に並べたが、ギャランはふん、と鼻を鳴らして視線を避けた。
 周子はその意図がわからず突っ立ったままである。
 ラインハルトはしばらくの間、しきりに酒を勧めたり、花を弄くってみたり、さまざまな会話を試みようとしたが、一方的な空回りで終わった。
 ギャランはただの一言も発しなかったし、視線すら交えようとしなかった。用意された豪華な宴の席ではなく、このソファセットのテーブルにわざわざ場所を移して運ばれた豪華な食事だが、当人は硬く腕組みをしたまま、一切手をつけず、じっと宙を睨んでいる。
 どれほど勧められようと目の前の豪華な食事に手をつけぬし、傍らにはべった美女がしきりにすすめる杯酒すら、まるで目に入らぬかのように無視を決め込んでいる。
 じんわりと、涙目になって肩を落とす両隣の美女、そして、ラインハルトが自ら酒を勧め、腕組みをしたままのギャランの頑なさをとりなすようにしつこくしつこくだが丁重に言葉をかけたが、無論ギャランは押し黙ったままである。
 ―――おれはお前達とは話をしない……
 カズマの庭でラインハルトを見たとき、冷たくそう言い放ったギャランの言葉が脳裏に浮かぶ。
 ギャランは別の次元に陣取っている、と周子は思った。
 むしろその徹底した冷徹さは、相手の姿がギャランの目に入らぬのではなく、まるでギャラン自身が、同じ空間、同じ次元に存在していないかのような、異様な雰囲気ですらある。
 周子はギャランとラインハルトとを見比べ、首をかしげた。ギャランは、カズマ以外の臣下の者に対してはいつもこんな風なのだろうか。エンギワルーと口を利いているのを見たのも、周子の脱走を阻止したエンギワルーに対してよくやった、と短くねぎらった、あのときが最初で最後だ。あの屋敷でギャランが声を掛ける相手はカズマただ一人である。

 ふー、やれやれ、と深い息をついてラインハルトは気晴らしでも求めるかのように立ち上がる。そして、周子の周りを行ったり来たりして、上から下までしげしげと興味深げに見つめた。
 視姦、といった嫌な感じはなかったが、それとは別の不快感があった。値踏みするかのような眼差しである。ラインハルトは感心したように己のちょび髭をさすって唸った。
「それにしても、珍しい類の魔物を」
「……」
「しっかしこんなものは初めて見ますな」
 ふむむむむ、と唸りながら、まじまじと周子の胸元を覗き込んでくる。胸の谷間に収まったハンズがわらわらと各々の五指を嫌そうに揺すった。
「いったい何故こんな魔物を?」
 ラインハルトが振り返りギャランを見据える。ギャランはいっそううんざりと、面倒そうに眉をひそめただけだった。
 答える気も無いらしい。

 ラインハルトは再び周子の周りをうろうろと回って、ためすがめつ、しきりに無遠慮な視線を投げて寄越した。
 突然、髪の毛を摘まれたので、周子は反射的にその手を払った。パチッ、と神経質そうな高い音が鳴った。
 はっとしたような表情を、ラインハルトはした。周子が抗うとは思わなかったのかもしれない。
 ここに至って、ようやくギャランが短く言葉を発した。
「おい、お触りは禁止だ」
 ひどく機嫌の悪い声だった。
「尾は、羽根は、いつ出ますか?」
 ギャランのたまさかなる言葉にすがるように、間髪入れずラインハルトが聞く。ふい、と首を回して、再びギャランは無視を決め込んだ。それはまるで、知らない人とは口を利いてはいけません、と母親からきつく言い付けられている子供のような素振りですらある。
 ラインハルトはしつこくギャランへ声を掛けた。会話の可能性をちらりと見出したのかもしれない。周子の黒目をぐっと覗き込む。
「黒目黒髪とは、まこと珍しい魔物でございますな」
「待った!魔物、ってそれって私のことっ!?ハンズじゃなくてっ?」
 周子は軽く飛び上がるように驚いて、慌ててギャランとラインハルトの二人に聞くが、ラインハルトはいささかも動じず、周子の背中から、腰のラインに掛けてじっとりと視線を這わせるや、腰から尻のあたりをさわさわと手で撫でさすった。
 ―――はっ、やだ!えっち!
 思わずビクリと体を竦め、キッ、と睨みつけたが、まるで家畜の肉牛でも吟味するかのような、値踏みをするかのような、色気のひとつも無い真面目な表情だった。ラインハルトがうーむ、と唸ってまた自分の顎先の髭をちらちらと撫でた。
「魔物ならば尾ぐらい出るのだろうが」
「でねーよ、このっ、ちょびひげっ!」
 たまらず周子は身を捩ると、目の前の男を鋭く足蹴にした。
「……ちょびっ……!?」
 突き出た腹のあたりを力いっぱい蹴られ、どう、と派手にしりもちをつくと、さぞ驚いたのだろう、目をまん丸に見開いている。
 ギャランはその様子にニヤリとした。
 ラインハルトはそのギャランの表情の変化を見逃さなかった。ふむ、とやや腑に落ちぬ表情をしはしたが、その仕組みを理解した、周子を構えばギャランが何らかの反応を示すと知ったに違いなかった。
 ラインハルトが再び周子の黒髪に触れた。今度は指先で周子の黒髪を梳くような仕草をした。それが気に障ったのか、ギャランの視線が鋭くなった
「しっかし、黒とはまこと、珍しい色ですな。王もお人が悪い……このような面白い魔物を捕らえて一人で玩んでおられるとは。……王位を継承してかれこれ一年、これでは王は本気で王宮にお戻りになられるつもりはないのですかな?」
 さあてね、といった風にギャランは天井を見た。やはり無言を決め込んでいる。
 ラインハルトの顔がぐっと近づいた。ちょびヒゲが触れそうなその距離に、うっ、と周子は反射的に顔をひく。
 ラインハルトがはっきりした声で言った。
「コレを下さい」
「断る」
 すかさずギャランが却下した。
 初めて会話が成立した瞬間だった。
 短いが鋭いその答えを受け、ラインハルトが何か言おうとしたところを周子が遮った。
「だから、魔物って私のことっ!?ハンズじゃなくて?」
 邪魔をするな、とでも言いたげに、ラインハルトは周子を無視し、ギャランの向かいのソファにドカリと座った。恰幅の良い腹を軽く引いてギャランの方に身を乗り出し、したたかな、たくらむような深い色を称えた眼差しで、ギャランに鷹揚に微笑みかけた。
「西ベルンシルスの利権を差し上げましょう」
「商談ならカズマとしろ」
 応えるギャランの声はどこまでも冷たい。
 あとは再び沈黙のみ。
 それは異様な光景だった。
 ラインハルトがじっと正面切ってギャランを見つめている。
 冷静に正面を向いてはいるが、ギャランの青い目はラインハルトを全く捉えていない。
 やはりギャランには、一切交わる気がないのだ。

 ふいに、玄関の方が騒がしくなった。
 来訪者の名を聞くや、ラインハルトは途端に苦い顔をした。
 おせーよ、と、ギャランは一言低くぼやいて、組んだ長い足をひらりと解くと、さっさとソファから腰を浮かす。一秒たりとも長居はしたくない、と言外に告げている。
「もうしばらく……せめて今夜はお泊りいただけませんか?」
「結構だ」
 ギャランの声はやはりどこまでも冷たい。ラインハルトはテーブルの上の花をちら、と見遣った。
「美しい花々もご用意いたしております」
「花はカズマの屋敷に届けよ」
 最後のこの一言だけは、やけにキッパリと言いつけると、ギャランはつかつかと部屋の出口の方へ歩いていく。
 それを見計らったかように、畏まった仕草で従者が部屋の扉を開け放つ。そこへ、今しがた到着したばかりであるらしいカズマが、そのすらりとした見目良い長身を現した。
 カズマは見事な緋色のマントをつけていて。
 深々と恭しく、ギャランに対して一礼した。
「ひと時の行幸、光栄に思え」
 振り向きもせず、ギャランは言い捨てる。
 そうしてカズマすらも目に入らぬような尊大な態度で、部屋を出て行く。

 はあ、と、すぐ隣で深いため息が漏れた。見ればラインハルトががっくりと肩を落としている。さながら恋人にでも振られたかのような落胆ぶりである。
「あ、あのさぁ、あのですね?花って、もちろんいわゆる普通の、花束とかの、フラワーな花では、ないですよねぇ?」
「夜の花だな」
「あんのエロ国王!」
「なんと」
 ラインハルトは耳に届いた王への悪態に驚いてまじまじと周子を見る。
「まこと人語を介せるのか」
 失礼な、と低く唸って、周子は黒目を寒々と細める。
「……魔物でも、魔族でもなく、人間ですから」
「なんと。しかしその髪……黒髪は魔性の者の証だと古来より聞くが」
 ―――そんなこたぁ、当人がよく知っているわよ。
 ミアムの召喚の種には各々生来魔力が備わっている。この世で唯一呪文を行使することの出来る特殊な種族なのだ。
 周子はさばさばと頭を振った。長く艶やかな黒髪が、シャラシャラと気高い鈴のような音を立てた。グレーの髪の特徴を持つミアムの種の中では魔力の差異が髪の色に表れている、魔力が強ければ強いほど黒い。ミアムの中で最も魔力の強い特殊な血、万世一系のタチバナの血、この漆黒の髪をミアムの人間も諸侯貴族もどれだけ欲したことか。タチバナの自分に名を刻ませ、意のままに利用したいと、どれほどしつこく迫ってきたことか。
 周子の中に苛立ちが沸いた。
 ―――どれほど傷ついてきたことか。
「髪の色ぐらいでぐだぐだ言ってんじゃないわよ、玉の小さい!」
「……たま」
 絶句するラインハルトをよそに、周子は唸った。
「あいつ、なに……?あんなえらそうに……何様のつもりよ?」
 すぐ隣で、ラインハルトがひぃ、と乾いた声を上げた。周子の口から出る言葉がやはり王に対する悪口であることを知ったらしい。みるみるうちにその顔が青ざめてくる。
 情けない、と周子は舌打ちをした。
「国王のどこが偉いって言うの?あんなろくでなし、あなたみたいなオトナがきっちりしつけないでどーすんのよ!そこいらのガキよかよっぽど始末が悪いじゃない」
 周子の胸の谷間ではライトとレフトが重なるようにぎゅっとこぶしを握り合い、縮こまってびくびくと震えている、周子のいうところの躾というものを既に存分にその身に知っているのである。
 開いた窓から、風に混じって馬車の出立する音が聞こえてきた。
 御者の締まった掛け声と、馬のひづめの音、車輪のきしむ音、それらはすぐに聞こえなくなり、玄関のほうがしん、と急に静まった。

「あれ?私、置いてかれた?」
 周子がほえ?と奇妙な声を上げた。たっぷり間があき、ちょび髭をなでながらラインハルトが返した。
「つまりは、貴殿は私に下賜されたのであろうか」
「ええっ、そんな!」
 にやにやし始めるちょび髭のおっさんに動揺し、周子はばたばたと両手を振った。
「あ、あの男はですね、すんごいバカで、ろくでなしで思い上がりで、きっとねさっきなんかはね自分の威厳を保つので精一杯の一杯一杯で、ですね、バカでトリ頭で、ついうっかり私を連れて帰るのを、忘れたのよ!」
 ギャランはおそらくきっとそうだろう、ギャランはあれでなかなか狭量だ、慕ってくる臣下が怖いのだ、だから近づき難い傲慢な冷徹さでもってあしらうのだ。
 だがカズマは絶対違う。気づいていながら、わざと周子を置いていったのだ。きっと今ごろはギャランの目に入らぬところでざまあみろ、とこっそり舌を出しているに違いない。
「ああっ、やられた!」
 周子は床を蹴った。
 その隣でラインハルトは上機嫌でホクホクと肩を揺すり、ぱんぱん、と手を叩くと従者を呼ぶ。
「西ベルンシスの土地登記簿と、領地の利権の一覧を。王に一切を譲渡する。この娘と引き換えだ、その旨、契約書を即刻作成せい!」
「あ、あの……」
「これは真っ当な取引ですぞ。対価があればそうそうたやすく反古には出来まい。機を逃すな、というのが、私の座右の銘でしてな」
 ちょび髭をちょびちょびといじりながらしたり顔で満足そうに頷いている。
 しばらくして、執事か書士か何かであろう、初老の品の良い紳士が入って来、主人ラインハルトに書盆を差し出した。
 ラインハルトは書盆の上から書類を手に取り、じっくりと目を通すと、よしよし、と呟きながら、懐から取り出したペンでそこへさらさらとサインを書き加えた。
 すっかり満足した表情で、
「これを、カズマ・フォン・グランツのもとへ」
と言い、慣れた手つきで書類を突き返す。初老の紳士は恭しく一礼して書盆を奉げ持ち退出した。
「はれっ?ギャランとの契約じゃないの?」
 ラインハルトの指示の中に、嫌な名前を聞いた、と周子は思った。
「うん?王の私財の一切は、グランツ家の若造、カズマ・フォン・グランツが管理しておるからの。このレベルの契約に、わざわざ王ご自身の決済など、不要だ」
 ああ、と周子はうめいた。軽く額を押さえる。
 ―――そういえば、確かにギャランは、商談ならカズマとしろ、とかって言ってたな。
「もともと西ベルンシスの利権はグランツ家の若造が欲しがっていたからの。食いつくに違いない」
 ラインハルトの申し出は、最初からギャランの後ろにいるカズマの存在を見越してのものであるのだと周子は知った。カズマならコレ幸い厄介払いができるとうはうはでサインするだろう。どう考えてもこの状況はカズマにとって一石二鳥である。
 ―――くそー!あんのメガネ!きっとそれも計算済みだな!

「ところで、貴方は女性であろうか」
「見て分からんのか、このちょび髭ッ!」
 思わず周子はブルリと身を震わせ叫び返す。ラインハルトはふむ、魔物ではなく人間の女だと言うか、しかも器量はそこそこじゃの、と、じとっと値踏みする眼差しで踏み込んでくる。既に海千山千の政治家の表情に切り替わっている。
「王とは寝たか?」
「冗談。あんなバカ誰が相手にするもんですか!」
 ラインハルトがちら、と両の眉を上げた。驚いたようだった。
「だが、王がカズマ殿以外を側に寄せるというのは珍しいの」
「カズマ以外、って……」
 不意に色を帯びたようなニュアンスに周子はざわりと鳥肌が立った。
「カズマ殿はガーナで最も王の寵愛を受けている男だ」
 ―――寵愛?
 周子は不穏な色気を含んだその言葉を嚥下した。
「王とカズマ殿とは十年来の深い仲じゃ、いや、正しくは二十年にもなるかの」
 へぇ、そんなにずっとべったりなんだ、と周子は大人しくうなずいた。
「わしは……」
 ラインハルトは一度言葉を切って、考え深げにひとつ唸った。
「あの二人の異様な関係を崩したいと思う」
「え?」
 聞けば目の前のちょび髭、イーズリー卿ラインハルトは王宮でもかなりの実力を有する高位貴族。対するカズマは、権力財力においてこのラインハルトをも凌ぐといわれるグランツ家、まさに名実ともにこの国の最高位貴族、グランツ家の嫡男である。
「いつまでもグランツ家にこの世の春を謳歌させるわけにはゆかぬからの」
 ラインハルトは苦々しげな表情をしてひとつうなずいた。
 そこに明らかな政治的意図を悟って周子は、ああなるほど、と理解した。
「ギャランが欲しいって事ね?権勢を自分のものにしたいと?」
 たしかに、ギャランはカズマの下に転がり込んでいる。
「目下職務放棄で逃亡中の上、カズマ殿の屋敷で放蕩三昧をし尽くしているというのが、なんとこの国の国王ギャラン・クラウンであるからの。公然と屋敷に招き入れ、やりたい放題、何でもさせているのは、まこと愚かなことじゃ」
 自分の感じた、カズマがギャランを篭絡している、といった印象は決して間違いではなかったのだと周子は知る。
「王の落籍は認められぬ」
 ラインハルトの苦々しい声色に、周子は何かぞっとするものを感じた。
 そこには政治的主導権を握りたいと望む以上の何かがあった。
 だが、それが何かは周子にはまだ読めぬ。
 ただ、そこに男の生涯をかけるほどの重い真摯さがあった。この目の前の男が何を望んでどう転ぶつもりなのか、それがまだ読めぬ周子には、そんな覚悟をちらりと見せ付けられるのは、むしろ怖さでしかなかった。

「わしがあなたの面倒をみよう」
 その言葉には、逃がさぬ、とでも言いたげな重みがあった。

 いくらギャランが自分に隷属のタトゥーを刻んだ主であるとしても、ギャランが身を寄せているあのメガネ、あの抜け目ない冷徹なカズマ・フォン・グランツに庇護されるのは嫌だ。何かたくらんでいそうで気味が悪い。
 たとえギャランにこの国にずっといろ、と命令されたとしても、あのカズマの下に庇護されるのは周子はごめんだ。
 ―――ごめんなのだが。
 まあ、悪いようにはしないから、と言ってニヤリと笑う、この目の前のちょび髭のおっさんにじりじりと迫られて。
 ―――これはコレで、たじろがぬわけが無い。
 周子は逃げ道を求め、素早く周囲を見回した。

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