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[tog]22:ノッキンノン・ヘブンズドア

 石を寄越せ、という声が遠くで聞こえる。何度も何度も。
 石を寄越せと、どこにあるのだと、どこにやったのだと。

 石なら父さんの肚の中に。
 いや、違う、今は私が持っている。

 石が欲しいんなら、さっさと取っていってくれ、と思う。
 もう使い途がない筈だ。
 ドランクドラゴンは死んだって聞いている。

「……石ってどれよ?」
「……………」

 呟きに、何かの声が応える。
 聞き覚えのない声だ。

「……好きなようにしてよ。あんたが誰か知らないけど。あんたが必要としているのは、探してるってことだけど、あんたが正しくても間違ってても、保護し守ってくれて、どんなことでも叶えてくれる、そんな素敵な石じゃあ、ないわよ」
「……噂に聞くとおりの、とんだ減らず口だな」
「タチバナの娘って名指しでそう言って寄越すことにゃあ、ははん、ろくな噂じゃあ、ないんでしょうね」
 周子はふっ、と笑った。その拍子に口の端から生暖かい何かがこぼれた。血だ。

 あんたが探しているのはそんな石じゃあ、ない。
 その石はあんたの言うことなんか聞いちゃあくれない。
 ドランクドラゴンはもう死んだって、聞いている。
 いや、そういえば、私も、もう、持っていない。

 ―――暗い。

 真っ暗に、遠のいていく意識の中で、周子は白く輝く美しい白刃を、見た。
 ―――真っ二つの剣……。
 脳裏に浮かぶのは、美麗な父の笑顔ではなく。まして父が娘を抱き寄せる、そんな腕や胸でもなく……その代わり、日頃やたらとスキンシップを試みてきたクレリック・リザートの、百戦錬磨の傭兵と称される太い腕や、厚い胸板、あまつさえ、毛深い胸毛ジャングル。

 クル、五百年も前に、こんな剣なんか残して、どうするつもりだったのか。
 抜け、だなんて、何の余興にもなりゃしない。
 抜いた者が世界の王だなんて、一体どんな冗談よ。
 大体、魔剣のクセに、なんで白いのよ、聖剣なんて呼ばせてるのよ!

 暗い。どんどん暗くなってきた。暗くて見えない。
 急速に体が冷えてきた。

 ―――やば。なんかのドアが見えてくる気さえする。



 今夜はずいぶん冷える、と周子は軽く身震いした。つまみを盛った皿を手に、居間へのドアを開ける。目の前の光景はいつものことだ。居間では今夜もクレリック・リザートがどっかと座って存分に酒を、それこそ浴びるように飲んでいる。
 周子がつまみを持ってくると、おう、ここに座れ、と己のすぐ隣を指し、そこに置いてあった己の商売道具でもある大切な真っ二つの剣をぞんざいに居間の向こうに放り投げた。
「魔剣なのに、なんでこんなに白く綺麗に輝いているの?魔剣なら、黒じゃないの!?」
 そんな周子の言葉に、
「剣なんて、魔剣でも聖剣でも、白でも黒でもピンクでも、なんだっていいじゃねぇか、使えれば!」
と言い切り豪快に酒を呷ると、飲み干しきれずに盛大に口の端からこぼして。酒に濡れた服をぞんざいに脱ぎ捨てると、クレリック・リザートはピンクの縞のパンツ一丁で。 この酔っ払いには夜気の寒さなど関係ないらしい。
「なんだ、十八にもなってまァだ名を刻んでないのか」
 すぐ隣に腰を下ろした周子の細い白い腕をつかみ寄せると、クレリック・リザートはこの上なく上機嫌で。
「おれの名を刻め。おれの女になれ。イーイ声で鳴かしてやる」
 オレサマの自慢の剣で成敗してやろうか、と存分に酔っ払いエロ親父殿である。
 父、タチバナ修三が、黒瞳を寒々と細め、見遣る。

「クル、娘に手を出してみろ、さすがに命は無いぞ」
「そう、無下に脅すなって。冗談だよ、ジョーダン、たはっ!上段の構え〜、なんっつて!」
と言うや、おもむろに立ち上がり、パンツ一丁の腰を周子の目の前に突き出す下品なエロ親父である。
「……構えるほどの立派な代物でもなかろう」
 さながら絶対零度の風が吹きすさぶ凍土のような。ちらりとも笑わぬ、端正な顔立ちはむしろ無表情なくらいで。
 タチバナの血、と言われる、黒目黒髪。ミアムの召喚の種の中でも万世一系といわれるタチバナの血は、ひときわ魔力が強いというが。
 特に修三はその魔力が秀でていると言われ、またその所為かどうかは分からないが、ちょっと他人とは変わっている点の多い男で。
 無論、冗談を言って笑う男では全然無く。
 その分、いつもそばにいるクレリック・リザートが人一倍寒い親父ギャグを連発していたが……それでバランスが取れていたとは到底お世辞にも言えぬ。
 修三はただ黙って、クレリック・リザートの好きにさせていた。
 クレリック・リザートは毎回多額の金をつぎ込んでは、必ず修三を召喚する。どうしてクレリック・リザートがこうも多額の代償を払ってまで修三のそばにいたがるのか、周子にはさっぱりわからないのだが。

「……友達?」
 その昔、二人の関係を問うた周子に、修三は胡散臭そうに眉を顰めた。
「……召喚される限りは、まあ、友達にもなり得るだろう、それが望みだというのならな?……しかしまああ奴なら、そんなバカは言わぬ。第一、金にならん。金にならなければ、あ奴は私を召喚できぬからな」
 どれほど修三が冷静に距離を置こうが、クレリック・リザートはとにかく金を積んでは足しげくベースに通い、繰り返し繰り返ししつこく召喚契約を結ぶ。そして、家に遠慮なしに踏み込んでくる、親しげに肩を抱く、食事をしたり酒を酌み交わしたりする。ひとたびベースとクレリック・リザートとの間で契約が成立しさえすれば、修三はただ黙って好きにさせている。
 ひたすらに金をつぎ込む男と、普段は決して側に寄せ付けぬものの、ひとたび買われればその契約に相当する間だけは、相手の好きにさせている父、周子はそんな二人の関係がとにかく不思議だった。

 ―――父さんの様子と来たら、まさに柳に風、って感じ。

 まっすぐでさらさらの黒髪が、腰のあたりまで伸びていて。
 実の娘に、若作りで美形であると本気で思われている父親ってのは、あまりいないだろう、と周子は思うのだが。実際、他に並ぶ者の無いほどに整った容姿をしている。

「おっと、わりいな」
「……酔っ払いは自分の酒だけ、手酌で飲め」

 修三の機嫌をとろうとしたのか、クレリック・リザートは酌をしようとしたものの、手元がぶれて修三の胸だの膝だのに酒を降り注いでしまう。
 修三はうんざりしたように黙って服を脱ぐと、周子に渡す。修三の両袒は驚くほど白く滑らかで、かろうじて喉仏と、広い肩幅と、平らな胸で以って男であると判別がつくものの、女と見まごうほどに筋肉がなく、しなやかで華奢な感じがする。
 そんな美麗な父のことを、周子はとても好きで、その左腕に名がないことに、誰にも隷属していないことに、いつも尊敬に近い念を抱いていた。

「だが、イビサ、いいのか、娘が未隷属で?」
「そのうち惚れた相手ができるだろう」

 実は真の名を知っている、と真顔で言うクレリック・リザートはだが決してその名を呼ばない。イビサ、というのは修三の通り名である。

「呑気だなァ、ベースが大騒ぎしていたぞ、とうとう未隷属のままで世に出しやがったと」
「ふん、いいかげんにアレを世に出せと迫ったのはベースの方だ、わたしはさんざん断ったのだ、責められる所以は無い」
「おまけにずいぶんといい成績だったそうな、さすが百代目」

 タトゥーを刻まぬ未隷属のままで応じた二度の召喚とも、わずか三日でこなし、ケロリ、として帰ってきた、というのは既にミアムの中では広く……感嘆と畏怖を伴って知れ渡っている事実である。
「だって、よくよーく話を聞けば、可愛がってた犬がいなくなってそれで、不老不死にしろ、とかって無理難題言い出したようだったし、貴族のお家乗っ取りとかって言ってたけど、血みどろのお家騒動を起こさずとも他にやりようがあった……っていうか、要はストレス発散できりゃあそれで良かったんだってさ!こけおどしよこけおどし」
と、周子は平然と応える。
 クレリック・リザートは片眉を顰めて苦笑する。
「前代未聞の無理難題な契約だったはずなんだがな。ラッシュにとっちゃ、大したハナシじゃない、ときた!ベースは大ウケ。すっげー儲けたらしいぞ、イビサよ、お前の娘は高額商品。契約金、べらぼうな額だったらしいからなァ」
 おれにゃぁとてもとても!とクレリック・リザートは肩を竦める。
「ラッシュがいくらか知ってっか?」
「……ベースの言うところのラッシュの価値なぞ、全く興味はない」
 そんなハナシはお前の馴染みの高利貸し相手に愚痴るんだな、と修三は冷たく斬り捨てた。
「ははん、金にゃ換えられんてな?大事な娘ってなわけだ」
 それにしてもあの召喚を無難にこなして返って来るとはおれは思わなかった、アッタマいいんだなァ、とクレリック・リザートは言う。
 修三はちら、と目を細めて。微かに笑ったようだった。
「日頃お前を相手にしているのだ、さぞ機転の利く娘に育ったのだろう」
「はん、おれが育てたようなもんか?じゃあおれがもらってもいいな?何しろイーイ体つきに育ったことだしな、乳だっておれの手のひらに余るくらいにたわわに、ぼいんぼいん……こりゃ揉み甲斐があるってもんで……」
「カティノ」
 ポツリと、だが容赦なく呟いて。どさり、と頑強なクレリック・リザートの肉体が床に倒れこんだ。相手を眠らせる呪文である。
 修三は杯に残った酒を一息にクッ、と呷ると、静かに席を立った。
「周、そのまま転がしておけ、毛布なぞかけてやらんでいい」
「ああ、うん。でも先週もそれで熱出した、風邪引いて」

「いい気味だ」
 冷たく鼻を鳴らして、修三は自分の部屋へと引き上げていく。

 周子は敵を眠らせるスペルを食らってあっさりと意識を手離したクレリック・リザートをしみじみ眺めた。
 適度に刈り込んだ灰色の硬い髪が、その顔をどういうわけかきりりと引き締まった印象に見せている。しどけなく眠って……むしろだらしないはずなのに、かなりの男前に見えた。父よりも十は年上に見える壮年の男だが、鍛え上げた頑強な肉体はしなやかで、まさに男盛りといったつややかさがある。
 ―――男、ねぇ
 でも父さんのほうがよほど素敵、と周子はちょっと頭を振って。皿の上の唐揚げなぞをつまんで食べていると、ややして、そのごつい筋肉の塊のような体がびくりと動いた。
 周子はちょっと目を丸くして。
「あら、今夜はずいぶんお早いお目覚めで?」
「飲み足りねぇからな」
「……あんたはうちの酒を全部飲み尽くす気か」
「そもそもおれが持ってきた酒だ」
 クレリック・リザートは空の杯をぞんざいに周子の目の前に突きつける。周子は仕方なく酌をしてやる。クレリック・リザートは一気に杯を空ける。そして周子をひどく物欲しげにじいっと見詰めて。
「なぁ、お前ホントにおれの女にならんか?」
「やだ。よりによって三十も年下の娘にそう迫らないでよ」
「なーに言ってる、愛がありゃあ、年の差なんて」
「ないから、断ってんのよ」
「あーちくしょ、親子二代に渡っておれを振りやがって」
 周子は冷めた目で軽く睨むと、空いた杯に再び酒を注いでやる。
「いいかげんにしないと、奥さんに言うわよ」
「のわー、勘弁、おれが死ぬときはカミサンに殺されるときだ」
 周子は思わず笑った。
「浮気しなけりゃ殺されないはずだけど」
「しなけりゃあな!」
 酒を呷ってがはー!とクレリック・リザートは酒臭い息を吐いた。
 あっちこっちの女に手をつけては、そのたびに妻に追いまわされ愛人達に追い回され、時々半殺しにされては修三の下に強引に転がり込んでくる、男の本能に正直な男である。
 腕ッぷしの強さと度胸で有名な傭兵、クレリック・リザート。もともとその任務遂行率の高さから、かなりの報奨金をふんだくることで有名だったが、”地獄の沙汰も金次第”のミアムの召喚の種、それも召喚ご指名率ナンバーワンの一族最高の能力者、修三を従え、特にここ数年はまさに百戦錬磨の傭兵として諸国に名を馳せているという。
 傭兵として相当に荒稼ぎをしていたが、その分、金遣いも荒く……というより、その金のほとんどを修三の召喚につぎ込みまくっているといった有様で。
 それはまるで高級ホステスにでも金をつぎ込みまくっている男のようであると思ったのは、周子が世にはそんな夜の世界というものもあるのだと知ったのと同時だった。そんなものを知って、まさに、そのまんまである、と周子は妙に感心したものだ。

「浮気、ったってな、あいつが手に入らねぇんじゃ、他にどんなに手を出したって満たされるわけねぇだろうよ」
「クル、あんたホントに父さんとどうにかなりたいの?父さんは男だよ」
「ふあー、まだまだ子供だな!別にセックスの問題じゃあねぇ」
 小首を傾げる周子。
「それに抱くんなら、女のお前の方がよっぽど気持ち良さそうだ」
 不意に男の色気を込めた声で囁かれ、周子は、びくり、と身の危険を感じ一歩後じさる。
「はー、勿体ねぇ。おれに抱かれりゃ、ぜってー天国見させてやるのに」
「あんたが見れるわよ、父さんに殺られて」
「本物の天国はまだ早い」
 修三ならやりかねないだろう、と想像したに違いない、クレリック・リザートはぶるりとそのごつい両肩を震わせた。
「かわいいお前に天国を見せてやりてぇんだよ」
「ご親切にどうも。あんたがそんなに良さげには見えないけどね」
「けっ、親父と一字一句全く同じこと言いやがって」
 ほんっと、つれねぇよ、とクレリック・リザートは酒をあおり、バリバリと頭を掻いた。
「お前に惚れる男は難儀だなァ。ったく、これだから竜ってのは始末が悪い。気位が高くていけねェ」
「竜?」

 ―――竜?

 胸が、ずきりとする。
 激しく体を揺さぶられる感じがして、周子は息苦しさに大きく喘いだ。

「おっと。お前は本当にナニモ聞いちゃあいねェンだな、イビサは本気で自分一人でケリをつける気なんだろう、だが何にも話もしないで、あいつはそれでホントにいいんだか?一体どう始末つける気なんだかなァ?」

 ―――始末、って?



 がくがくと体が揺れる感じがする。

「……い…おい、」

 激しく揺さぶられて、ようやく周子は呼び起こされる。が、自分の胸倉をつかんでいるその腕の主は、クレリック・リザートの、見知った顔ではない。
 褐色の髪を短く刈り上げた、厳しい顔つきをした男が周子の胸倉をつかんで乱暴に揺さぶっている。
「おい、石はどうした?」
「……」
「だから!石はどうしたと聞いておる!」
 クレリック・リザートと同様、戦闘を生業とする者に特有の、鍛え上げた腕だ、と思った。鋭い目は恐ろしく陰鬱で冷酷だが、はっきりとそこに苛立ちを読み取れる。首元を締め上げられ、宙を浮いたかと思うと、地面に叩きつけられる。人を殺すのに慣れた目をしている、と周子は思った。
 何度か激しく地面に叩きつけられ、周子はその痛みで以ってだんだんとはっきりしてくる意識を忌々しく思った。先程はどのくらいの間かわからないが気を失っていたらしい。
 いっそ気を失っている方がよほどマシ、と思った。
 そうだ、洞窟に入るなりいきなり殴り飛ばされたのだ、しかも、お前がタチバナだな、とキッチリ名指しされて。
 ―――それはすなわち、通りすがりの暴行魔なぞとは違うということだ。
 起き上がろうとすると、利き腕の神経に直接太い針を入れられたような、ちくちくとしたやけに気に障る強くて鋭い痛みがあった。すぐに骨折だと分かる痛みだ。利き腕を、先程の奇襲で容赦なく折られている。腕を折られれば、印を結ぶのはそうそう容易ではない、つまりそれは、周子が呪文を行使するのに印を結ぶことを知っているということに他ならぬ。

 男は地面に叩き付けた周子を引きずり起こすと、左腕を吟味し、軽く息を呑んだ。
「お前、名を刻んだか!しかも、これは……」
「タトゥーに触るな!」
 鋭く叫んで男を蹴り上げたが、男は周子の左二の腕を取ったままびくともしない。鍛え上げられた頑強な肉体だ。そのまま腕をねじり上げられる。念には念を入れてもう一本の左腕まで折る気らしい。
「こうもやすやすと名を刻ませるとは!とんだ笑い草だな、百代目」
 この男はタトゥーの呪を知っている、明らかにこちらの事情を知っている、と周子は思った。だが、それが一体どういうことを意味するのかがサッパリ分からない。
 ―――カズマは五百年はゆうに経っていると言ってはいなかったか?

「石を寄越せ、タチバナ」
 男は執拗に周子に迫った。
「お前さえ殺せば、われわれはすべての野望を遂げられる」

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