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[tog]23:真っ二つの剣

 軋む左腕。間違いなく左腕も折られる、とその痛みに顔を顰めたとき、馬のひづめの音が聞こえた。激しく蹴り立てるその音は荒々しく、一直線にこちらの洞窟へと向かってくる。あやまたず真っ二つの洞窟の入り口で馬が鋭く一度嘶いたかと思うと、タッ、と地を打つ音がする、馬から飛び降りる人の気配。
「ちっ、邪魔が入った」
 男はその音にすばやく反応し、周子を手放すと洞窟の奥へと身を翻した。
 男が走っていったその向こう、洞窟の奥に鈍色のローブを目深にかぶった姿が闇の中にぼんやりと浮かび上がる。
 若いとも老人ともつかぬ、異様な雰囲気のその鈍色のローブの主は、何やら本のようなものを開いて低く詠唱を唱えると、にやり、と笑ったかのように見えた。表情は分からぬが、空間がそんな風に歪んだ、と周子は思った。一拍置いて、周子を襲った男と得体の知れぬ鈍色のローブの主、それらの姿がゆらりと宙に掻き消える。赤い魔石の残光がほのかに残った。転移したのだ。
 ―――テレポ石……
 周囲の空気にびりびりと不穏な振動が走る、ぞっとする気配に周子は身を竦めた。
 目に見えぬエネルギーが宙の一点に急に集約するのを感じた。
 振り返りそこに仰ぎ見たものは、ぞっとするほど凄惨な笑みを浮かべる、異形の天使である。ニ体が急速に実体化を遂げていた。
「我らを召喚したのは貴様か……ならば、礼を言おうぞ!」
 ―――くる!
 周子は咄嗟に身を竦めた。身を隠せる場所もその時間も全く無かった。
「マパラボル!」
 突如の閃光と、轟音。
 巨大な炎の嵐が巻き起こり、周子めがけてすさまじい勢いで襲いくる。
 天使の姿ではあるが繰り出した呪文は、さながら地獄の業火である。強烈な炎の衝撃を正面からまともに食らい、周子の小柄な体は見事に宙をぶっ飛んだ。
 洞窟の壁に激しく背を打ち付け、周子は喘いだ。その衝撃に急速に意識が遠のいていく。壁からか天井からか、バラバラと崩れた欠片の落ちてくる音が耳を打つ。
 ―――まただ、どんどん暗くなってくる。
 暗い。意識が遠くなっていくのと同時にどんどん不安ばかりが体の中で膨らんでゆく。その不安に飲み込まれゆく感じが、むしろなんとも心地よい。
 周子はどんどん暗くなりゆくその心地よさに意識を手離し……。

「なんだこれは!!」

 鋭い声が響いた。
 はっとして、目を開けると、まばゆいばかりの見事な金髪が目に飛び込んできた。そのまぶしさに混濁した意識が急速に呼び戻されて。
 意識を取り戻してはみたものの、全く予想だにしていなかった人物の登場にしばし言葉を失い……ぽかん、とあっけにとられて周子はギャランを見上げた。
「何をしている!」
 その声は鋭く厳しい。怒気に満ちたそれは、何か言い返せば殴られそうな勢いだった。
「けがは!……なければ立て!」
 左腕がずきりと痛んだ。
 タトゥーは短く簡単な命令には本当に反応が早い。
 周子が立ち上がると、ギャランは有無を言わさずその手を引いて、洞窟の壁を背に、そして周子の身体を己の後にかばうような形で立った。鋭い眼差しで素早く周囲を把握する。
 ―――助けに来てくれたの?ギャラン?
 その背中は広く、頼り甲斐がある気がしたのだが。
「ああ、畜生!なんだお前!ぼろっぼろにやられてるじゃねーか!癒せ!今すぐ癒せ!あのセックスよかよっぽど気持ちいいやつ、使えるんだろ!」
「えっ?」
「セックスよかよっぽどキモチイイやつだって!なんかの呪文、前におれに使ったろ!それだ、唱えろ!」
 ギャランのあまりな表現に周子は赤面しながら、治癒呪文を唱えるべく気を集中した。
 ―――ダメだ、なんか全然違う。緊張感の欠片も無い。セックス、って何よ、もう。なんでこんなときにそんなこというのよ、ギャランのバカ。
「……ディオス」
「よし!」
「よし、って何よ、よし、って、イヌじゃあるまいし……」
 ―――ああ、そういえばイヌ、って……
と、周子はカズマにイヌ呼ばわりされたことを思い出して。
「ああ、ヤバイ、カズマ様もひょっとしたらなんかえらい目にあってたりなんかするかも」
「てめーの心配しやがれ!」
 ギャランが周子の脳天をごちん、と打った。
「ソレよりも、なんだ、あれは!まずはアレだ、あれを何とかしろ!」
 びっ!と宙を指差すギャラン。
 宙には二体の異形の天使がこちらをぞっとするような凄惨な笑顔で見下ろしている。瞳のない目がきゅううっと吊り上がり、その口から陰鬱な詠唱が漏れ出している。
 だが異形の天使よりも、周子の方が詠唱は早く、その手の中で白く閃光が光った。
「カティノ!」
 宙に浮いていた羽根のついた異形の天使は、二体ともばさりと地に落ちた。
「いよし!次だ!何でもいいからこいつもなんとかしろ!」
 ギャランの指差すほうを振り返るなり、周子は短く悲鳴を上げた。
 振り返った瞬間、大振りの剣が空を切る音、血錆くさい匂いが、頭上すれすれの所を通り過ぎた。今のこの瞬間、ギャランが強く腕を引いてくれなければ、確実に首が飛んでいたに違いない。
 むしろ十分に引きつけて、というべきであろうか、ギリギリの所で剣をかわしたギャランに一度思い切り胴体を蹴り飛ばされて、重厚な甲冑を装備した異形の戦士は、一旦後ろに飛びすさぶと十分な間合いを取った。そして、すぐに剣を構えなおすと、再びこちらにひたりと狙いを定め、真鍮の踵が、ざり、とその足下で岩土を軋め鳴かせた。
 血と泥にまみれた、頑強な鎧を身に着けた戦士がこちらへ突進してくる。
 周子は壊れたようにぶんぶんと激しく首を振った。
「むむむむ無理無理無理!あの手の特別な鎧着たヤツには呪文は効かないの!そそそそのでっかい盾で無効化される」
「かーっ、使えねぇヤツ!」
「なんですって」
 あまりな言葉に思わず周子は目を剥いた。
 また力強く腕を引かれ、周子の肩先を血錆び濃く蔓延った切っ先が鋭く過ぎった。
 ギャランが腕を引いてくれなければ今度は真っ二つにされていたはずだ。
「おまえ、そんなんでどーやって戦う気だ」
 呪文とやらは万全じゃねぇんだな、と呆れたように言いながら、剣を見切って安全なところまで、適切に周子を引き寄せてくれるようなのだが。その身軽さはまるでダンスのステップでも踏んでいるかのようで、むしろギャランからは余裕とすら取れる、そんな雰囲気が漂っているのだが。
 ―――しかし、すれすれでかわすのは……怖い!
「おう、おれの動態視力もまんざら落ちちゃいねぇな、ははん見切り上手、ってやつ」
「見切り上手というのは、超すれすれ!でかわすのを自慢するものなの!」
 ―――っていうか、この男、助けに来てくれたんじゃあないのか?違うのか?
「黙ってろ、逃がしてやっから」
 一気に走るぞ、舌噛むなよ、とギャランは言って。間合いを詰められぬよう身をかわしながら、ギャランは洞窟の出口を見据え、駆け出す距離とタイミングを計っているらしかった。
 ギャランに手を強く引かれたと思った瞬間、ちっ、と大きく舌打ちするのが聞こえた。
 駆け抜けようとしたその瞬間に、向こうが洞窟の出口側を陣取ってしまったのだ。狙い定めた相手にただ力任せに向かってくるだけの、相手の退路を断つ、といったことを考えるだけの知力を残された魔戦士ではないのだが。
 出口側を陣取られてはやすやすと駆け抜けるわけにはゆかぬ。
 ギャランは、逃げる、という選択肢をあっさり捨てたらしい。周子を連れて洞窟の奥のほうへと走っていく。
「おい、おまえ、おれに助けて欲しいか!」
「は、はい?」
 ギャランは得意げに周子を見下ろしている。
 どういうわけか、妙にまぶしい。周子はとりあえずこくこくとうなずいた。
「乞え!百歩譲って王は国民を守る義務があるとしてだな、おれは王ではないしな、お前もガーナの国民ではない、よってもっとぐっと正当な理由が必要だ!乞え!」
「乞うのっ!?………えええっと、えとえと、お願いします!」
 わけがわからぬままに、なにやら自信たっぷりなギャランの勢いにすっかり押されて周子はギャランにそう言った。
「いよし!わざわざこんなところまで来た甲斐があったというものだ!剣だ!剣!剣を持て!よーっし!おれに惚れるなよ!」
「剣っ?」
 切先が鼻先を掠める。
 見事な一閃とともに、古い血錆の、饐えた匂いが鼻につく。
「ちがーう、こいつの汚ったねぇ剣じゃあねぇぞ!」
 ギャランが不満そうに鼻を鳴らした。
「おれは騎士サマサマだぞ!さー、剣を捧げやがれ」
「騎士、んなもんガーナにいないでしょ?なななな、何かの三流騎士小説でも読んだの?」
「侍女の間で流行ってんだって?ベッドの枕の下にたまたまあってだな。ヒマだったから。ヤるのも飽きたし?」
 どこのベッドのハナシよ!と思わずツッコみつつ。
「そんな都合良いようにできてるわけないでしょ!……あ、あんたひょっとして実戦経験ないんじゃあないでしょうね」
「!無礼な、いくら平和な世の中だからとて……あー、あいにくそんな面倒な目にはあったことがないがな?ま、実戦はともかく、四年に一度の剣術大会ではだな……」
「だから実戦じゃないんじゃん!」
 周子はがっくりとうなだれた。
 ふむ、とギャランは少し納得したようにうなずいて。

 また、腕を強く引かれる。
 かすった髪が、宙を舞った。
 そのうち耳が舞うかもしれない。

「ひっ。なんなのなんなのこのひと!なに余裕こいてんの!?」
 ギャランは周子の目の端に浮かんだ涙を興味深げに見て。
 かーわいーい、と呟いて。
「だってオレサマ、こんなのちっとも怖くないぞ。ぜってーおれの方が強えぇ」
「嘘!根拠の無いこと言うな!実戦経験無いくせに!それにクルはいくらおれでもコイツ結構厄介だぜ、って、言ってたことがあるもん!」
 ギャランが不意にむっとした表情をした。
「クルって誰だ、お前の昔の男か」
 唐突に面白くなさそうな険しい表情になる。
「はーん、ずいぶん弱い男とねんごろだったんだな、そーか、よーく見とけよ、お前の新しい男はすんげー強えぇぞ、そんな奴、一発で忘れちまえ!」
 さすがに素手、つーのはなんだな、棒でもいいぞ、と呟いて。
 そう言ってちょっとあたりを見回し……。
「お、ちょうどいいのがあるじゃないか!」
「ああっ、それは!」
 ギャランが見定めたその先には、岩に突き刺さった、白く輝き柄に青い輝石をはめ込まれた、伝説の……!
 真っ二つの剣につかつかと歩み寄ると、ギャランはおもむろにその柄に手をかけた。
「むりむりむりだって!そんな剣!カズマ様が触っちゃダメだって!うわあ危なっ!」
 あんたに何かあったら私があのメガネに殺されるー!と周子が叫んで。
 周子は慌ててギャランにしがみついたのだが。その制止を振り切ってギャランはあっさりと岩から剣を引き抜いた。

「真っ二つの剣!」

 剣を岩から抜き様に振り返り、白刃を宙に一閃させたかと思うと、突進してきた異形の戦士を一太刀でなぎ払った。
 どさり、と重い音を立て、骸が鎧盾もろとも真っ二つに、地に落ちた。

 ―――強い!

 ギャランは、ざっ、と剣を払うと、白く輝くその刀身をまじまじと見た。
「ずいぶん、いい代物だな。重さといい柄の握りといい、ぴったりだ。こんなにしっくりくる剣は初めてだぞ」
 感心するギャランの後方で、カティノから目覚めた二体の異形の天使の詠唱が始まった。
「はやっ!」
 すっかり油断していた周子は息を呑んだ。慌てて印を結ぶが、静寂の呪文は無効化された。
「マパラボル!」
「………ッ!」
 とっさに周子の前に立ちはだかったギャランが、まるで盾のようにまともに正面から強烈な火炎の嵐を食らって膝を折る。
「ちょっとあんたナニやって……!」
 周子が激しく焦りながらも治癒呪文を唱えるべく腕を伸ばしギャランを掴む、が、ギャランの姿はもうそこには無く。タッ、と力強く地面を蹴り、駆け出したかと思うや、一息に間合いを詰めた。

 ひゅっ。

 鋭く短い呼吸音を洩らした。目にも止まらぬ速さで剣が疾る。
 一瞬で、二体の異形の天使が地に堕ちた。まさに電光石火の早業であった。

「実にスッとする、満足な切れ味だ」
 爽快そうなその表情がなんともまぶしくて。周子は心底あっけにとられてギャランを見つめた。そんな周子を見て、
「お?惚れたな?」
とギャランがニカッ、と笑った。
 周子は今更ながらにどっと冷や汗が噴出すのを感じながら、がっくりと地面に座り込んだ。ややして噴出した冷や汗が強烈な安堵をもたらしたようで、次第に体の緊張が解けて。
「愛の言葉とやらをぜひ聞かせろ」
 ギャランは腰に手をあて、得意げだ。
「……さっき、惚れるな、って言ったでしょ」
「打てば響けよ」
「だから、響きましたとも。惚れるな、ってその言葉のとおりに」
 ギャランは首をひねった。
 思ってたのと違う、とかなんとか呟いて。
「とにかく、おれがイーイオトコだと認めるな?どうだ、お前の新しい男は強えぇぞ」
「ここは、礼を言うべきなんでしょうけれども……なんだか、どうにも……」
 周子はきっぱり首を振って。
「やっぱバカだと迷いなく剣が振れるのね」
 そう言い捨てた。
 いつのまにか宙に現れた鞘が、するりとギャランの手中に下りてくる。
「剣にはやっぱり鞘だな」
 岩から抜かれた真っ二つの剣の鞘だというのだろう、その鞘に剣を通すと、ぴったりと符合した。
 七色に輝く輝石のちりばめられた、実に美しい剣鞘である。剣の柄の中央の大きな青い輝石と組み合わさって、まさに聖剣、いや、宝剣と呼ぶのに相応しい神々しさ、美しさである。魔剣なのに、との言葉を周子は飲み込んだ。
 ふうううむ、とギャランは剣を握り締めじっくり唸った。
「高そうだな、落し物箱に届けた方が良いか?」
 ―――箱、ってナニよ。
 すすけた端正な顔で、真顔で聞いてくるのが可笑しくて。
「国王様はわざわざ御自身でそんな届け出なんてしなくていいと思うけど」
「あー、おれ、国王でないから」
「よっぽど嫌なのね」
 周子は、緊張の糸の最後の一本がすうと解けたのを感じて笑うと、さばさばと言った。
「岩から抜いた者に所有権があると聞いたわ?もらっとけば?」
 どうせクルはいないんだし、と思うとなんだか胸が痛んだ。
 ―――それにしても、五百年も経っているだなんて……。
「ふうーん、じゃあ、おれの物にしても文句は無いのだろうな。おれはこいつを気に入ったぞ!おれがもらうことにしてもかまわんということだな、いよし」
 まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のように、ギャランは真っ二つの剣をぶんぶんと振り回して。相当気に入ったらしく、重さや刃渡り、剣のつくりを一通り褒め称えた。
 百戦錬磨の傭兵、クレリック・リザートの愛用の剣だ、それはそれは使い勝手の良い名剣であろう、と周子は思う。
 それからギャランは、焦げてぼろぼろになったシャツの残骸をうっとおしそうにその身体から払って。
 ぼろぼろになっていたとはいえ、シャツに隠れていたがっしりした胸板や綺麗に割れた腹筋が目に飛び込んで来た、のだが、肌はごっそりと赤黒く焼け爛れ、見ている周子の方が動揺するほどに派手な火傷を負っている。そういえば火炎呪文を食らったのだと、思い出して思わず飛び上がった。
「なんでもっと早く言わないの!ディオス!」
「あっはー、おれコレ大好き、セックスよかよっぽどイイ……」
「だからその言い方やめて!」
 火傷を治癒させ、痛くなかったかと聞くと、そりゃ腹を焼かれれば痛いだろ、バカかお前、と返ってくる。
 思わず周子はぐう、と唸って。
「だったらなんで喰らうのよ、わざわざ、真正面から」
「あのタイミングでおれが避けたらお前が喰らうだろ?なんかお前の呪文、失敗したみたいだったし?」
 ―――失敗……。確かに、無効化された。いくらタチバナの血である自分の魔力が強いとはいえ、そもそも戦闘における呪文とはそれだけで完璧に相手をねじ伏せる性質のものでは無い。無効化の呪文もあるし、そんな効力をもつアイテムや武具もある、そして、詠唱そのものを封じてしまうといった静寂の呪文もある。クレリック・リザートのような、腕力で物理的に相手をぶちのめすような剣の使い手が共にあってこそ、呪文というものはよりいっそうの効力を奏するのだ。
 思わず唇を噛んだ周子の肩をぽんぽんと叩いて。
「おれはヒーローだからなー、惚れた女を守るのがおれの使命ィ、礼なら熱いチューをプリーズ」
「かばってくれてありがとう、と……やっぱしここでも私、礼を言おうと思ったんだけど……なんか、無性に肚が立つな……もいっぺん同じの喰らう?火炎呪文」
「いや!呪文なら、癒しのアレ!おれアレ大好き」
 キモチイイカラ、とストレートにそう言って笑う。
 ギャランは首を回し、身体を軽く揺すって。軽く身体を慣らすかのように腕を回し、腰を捻った。
「ばっちり回復、しかしまぁ、便利なもんだなー」
 ギャランがくるりと身体を回し、大きく伸びをした。
 それを見て、周子は、はっと、と身を竦ませ、息を飲む。
 上半身裸のギャランの、露になった広い背中に、大きくえぐれたような傷を見たからだ。いや、今の戦いでついた傷ではない。ためらいなく、斬りつけたような、何かを削ぎ落としたような……その痕を見ただけで、見ているこちらが痛みを、いや、痛みより何より、言葉にすら出来ぬ恐怖を先に感じるような、そんな凄惨な古い傷痕だった。
「……ギャラン、これ……」
 息をのんだ周子の眼差しの意味を察して、ギャランがすっと怜悧に目を細めた。
「へぇ、お前、見えるんだな?……ま、他人の古傷なんざ、詮索しないこった、カズマが沈黙は金なり、と言ってたしな。あいつはすんげえ金好き……ってか、きっとこういうときにジャストミートなんだろ?」

「ジャストミート……」

 なんか違う、と思いつつ、微妙にツッコむ間を外されて。
 これは、聞くな、と言われたのだろうか、と周子は首をひねった。

 鞘に収めた剣で肩のあたりをトントンと叩きながら、ギャランは周子に笑いかけた。
「で、ありゃあ、いったいなんだったんだ?」
「……あんたがお探しの異形の者、ってとこかしら?」
「へぇ、あれがか」
 周子は驚いてギャランを見上げた。
「……あれがか、って、あんた知らないで探してたの?」
「言っとくが、おれが探してるのはあんなへんな奴等じゃねぇ、本だ。”召喚の書”って呼ばれてる本。その本から、異形の者といわれるのが、わんさと出てくるてぇハナシだ」
「で、出てくるって……ハナシって、た、他人事みたいね?」
「実物見たことねぇからな」
「でも探してる?」
「ああ。物騒だろ?」
「物騒…………」
 ―――えーと、ということは?
 周子は首を捻った。ギャランを見上げて、問う。
「物騒だから、探してるの?」
 ギャランはこくりとうなずいて。
「国の奴らは欲しがってる。もともと王宮の宝物庫にあったものらしいしな。異形の者を呼ぶんだと。くだらねぇ。誰がやんだよ、誰が。んなキモい事。んな変態本の一つで、他国よりも優位に立てるって、抑止力とかいうやつだって、王宮の奴らは言ってやがったが、おれは納得いかねぇ。探して、焚いてやる」
「………………」
「大体だな、魔物を召喚して敵を蹴散らすだなんて、なんでそんなことをやらにゃならんのだ、拳で闘え、拳で。剣でも弓矢でもいいが、魔物ってのはナシだ。てめぇのパワーで戦えってぇんだ。だから、おれはもちろん嫌だが、他国に渡すのも嫌だ」
 ―――ああ、ということは?
 召喚の書で魔物を呼び出せば、世界は混乱する。召喚の書を探して焚くと断言しているこの男は案外、国の、いや、世界の平和の為に日夜駆けずり回っているとでもいえるのではなかろうか?
 ギャランは真顔で周子を見下ろした。
「なんでお前は異形の者を知っている?魔物の名なぞも知っているようだな?」
「ああ、記憶があいまいなのよね、そのあたり」
 周子は咄嗟にはぐらかした。
 どうやらそれはもっともらしく響いたようで、ギャランは気の毒そうな痛ましそうな表情をして周子を見下ろした。
 周子はしおらしく俯いた。それは演技というわけでもなく、なんだか素直に自分の言葉を信じるギャランを前に、なんともいえぬ罪悪感のようなものを感じたからだ。
 まして、先ほど自分を襲った輩が、タチバナ、を名指しした、とは到底言えず。
 おそらくこの国で、”召喚の書”と呼ばれている本、ギャランが探している本が、父修三の所管していた”封印の書”に違いない、と自分が今思っているということも、言えぬ気がする。
 あの鈍色のローブを目深にかぶった者の手にあった本……その背表紙には確かに見覚えがある。あれは父さんの物だ、間違いない。
「ギャラン、さっきの魔物……異形の者が出たってことは、”召喚の書”とやらを行使してる人間がいるってことだよね?」
 ―――それはやはりあのローブの主……奴らはなぜだかこの時代においてタチバナを知っている。そして、このタトゥーの呪のことも……。
 ―――父さん……いや、もし万一、自分同様五百年ばかりを越えたとしても。どんな理由があるにせよ、父さんがそんなヘンな格好をして私を狙ってくるはずが無い。
「知るか。相手が誰であろうと、焚くまでだ。このハナシは打ち切り!」
 ギャランの言葉はつくづく簡潔である。
 周子の心に垂れこめかけた闇も一掃してしまうほどの簡潔さだ。
 いつもは語彙不足を感じるものだが、このタイミングのこの言葉は実にキッパリしていてすがすがしく、その簡潔ぶりに、それこそ惚れてしまいそうなくらいだった。

「帰るぞ、こんな洞窟、辛気クセェ」
 きゅっと手を掴まれ、そのまま手を引かれて歩く。周子は自分の手の中のギャランの左手薬指に嵌められたままのドランクドラゴンの盟約石に触れて。自分を襲ったあの男が寄越せとせがんだ石とは、まさにこの黒い魔石のことであろう、と思って。
 己の魔力を吸う呪いの指輪、それがどういうわけか指から外れていたとはいえ、ここぞとばかりに要らぬと自分で勝手に決め付け手放したことを後悔した。
 ―――この男に迷惑をかけることになるのだろうか。
 自分はこの男の所為で、召喚事故の所為で、バカなガーナ国王のモラトリアム騒動に巻き込まれたと思っていたが。だが実際フタをあけてみれば自分は五百年もの時を越え、魔法も魔石も召喚の種も、既に人々の常識からは消え失せた世界へ干渉しているのだ。
 その上、あんな石をギャランに渡してしまって、厄介ごとに巻き込んでいるのはむしろ私の方ではないのだろうか。
「石?外せってか?なんで?」
 抜ける気配のない指輪をぐいぐいと引っ張られて。ギャランはきょとんとした表情で周子を見る。
「抜けねーっただろ?おう、お前の頼みならナンでも聞いてやる、どーしても、っていうならこの指くらい、落としてやってもいい。だがしかし、この石、お前が持つと調子悪くなるんだろ?だったらおれが持ってたって構わんだろが」
「いや、その、ひょっとしたら、狙われる、か、も、しれない、とかなんとか言ってみたりして……その、ええと」
 石について、何をどこまで説明すればいいのかサッパリ見当がつかない。そのためか恐ろしく歯切れが悪い。そもそも、なぜ石を寄越せと迫られて殺されかけねばならぬのかが分からない、盟約石とはいうが、実際はただの呪われた石、代々のタチバナがその魔力の強さゆえに与えられた枷のようなものだ。
「狙われる?ダレが?」
 口篭もった周子にギャランは少し黙ると、すぐにニカッ!と笑って。
「お前を狙うのはおれだけでいい」
 おれはお前にターゲットロックオンだ、夜這いに注意しろ!と胸を張って断言した。
「いや、だってそのっ!あんたが殺られたら私、あのメガネに殺される……」
「いや、だと?」
 いやなのかよ、とギャランが眉根を寄せた。そして、お前エロイなぁ、一度に何人相手にする気だ、だがしかしカズマは混ぜねぇぞ、いんや、誰も混ぜてやらねぇ、と不機嫌そうに唸って。
「とにかく、お前とヤるのはおれだけでいい」
 ―――だめだ、ハナシがさっぱり通じない。
 ギャランがまっすぐに見つめてくる。
「おう、おれ様は強いからな、どうだ、護られる感じは!おれを主と認めるか!エンリョなく言っていいぞ、惚れたって。惚れた、リピートアフタミー、せーの!」
 周子は力なく首を振った。
「なんだよ、労をねぎらえ、労を。わざわざお前のために来てやったんだぞ!王宮から馬を駆ってだな、ちょいとヒーローっぽかったろ?」
「で、そもそも何であんたはこんなところにいるのよ?」
 ん?とギャランは軽く首をひねった。
「ああ、おれは真っ二つの饅頭を、食いに……」
 なんで真っ二つというのだろうなぁ、と呟いて、手にした剣でトントン、と肩のあたりを叩く。
「お前、もう食った?いま、流行ってんだってナァ?」
 ああ、こいつ、やっぱバカだ、と周子は思い。

 出口の陽の光のまぶしさに目を細めた。

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