コハリトりみっと
長編恋愛FT「タトゥー・オブ・ギャラン」がメインの小説・雑記サイト。
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洞窟から出てくると、どう、と拍手が沸き起こった。
いつのまにか多くの兵士が洞窟の入り口前に詰めていて、ギャランが出てくるのを今か今かと待ち構えていたようだった。
「何?この軍人さんの山は」
周子は黒山の人だかりといったその数の多さに驚いてギャランを見上げたが、ギャランはといえば、いかにも不快そうに眉を顰め……また例の、他人を寄せ付けぬ冷たい表情へと変わりゆくところだった。
「周子殿、よくぞご無事で」
並み居る軍人を掻き分けて前に進み出たラインハルトが周子の手を取り膝まづくと、深々と頭を下げた。王の連れた女へ示すべき最上級の礼儀とでも表現したいのか、まるでそんな態度で。周子の方が困惑する位に深く丁寧な礼をしてから身体を起こし立ち上がると、ほっとしたような表情を浮かべてしみじみ周子を見る。
「お一人でこちらへ向かわれたと聞いたときには肝を冷やしましたぞ!」
「えっ?肝?」
全く事情の飲み込めぬ周子は思わずその言葉に、目の前に立っているラインハルトの股間のあたりに目を落とした。
「だーっ!おまえっ!どこ見てやがる!こんなじじいのタマのドコがイイのだ!おれを見やがれ!」
たちまちギャランが叫んでぐい、と周子を強く引き寄せた。
「なんと!」
凍り行く途中で突然反応を見せたギャランの様子に驚いたのは、周子よりもむしろラインハルトである。周子の手を握った己の手をギャランに払われてラインハルトは数瞬、ひたりと硬直したが、肩の上にぞんざいに担がれた真っ二つの剣を見、心底驚いたかのようにまじまじと真正面からギャランを見詰めた。
たっぷりと数拍おいて、ラインハルトは満面の笑みを浮かべた。
「お見事です、ギャラン様」
ラインハルトはひとつ咳払いをして、自慢気に胸を張って言った。
「真の王にしか抜けぬという、真っ二つの剣を、見事引き抜きましたな!」
そう言って、洞窟の番人エロック・スレルムの屋敷から兵を手配してのち駆けつけたラインハルトは、かの伝説の剣を下げて洞窟の奥から出てきたギャランのその姿に、その予想外の事態に、まさにひょうたんから独楽、小躍りせんばかりの喜びようを示した。
ギャランはギョッとしたように、手中の剣を見た。
「真っ二つの剣?」
「ええ!」
「ひょっとして、前王陛下でも抜けなかったという、あのいわくつきの剣か?」
「さようでございます」
「王の中の王、真の王だけが引き抜くことが出来るという、伝説の聖剣か?」
「まさしく!」
そう聞くなり、ギャランはその伝説の剣を地面に叩きつけた。
「ダメだぞ、嫌だぞ、おれはそんなもん知らん!」
身震いするように大きく肩を振るわせる。
「こんな伝説の剣など、ダレがだまされるものか!」
ヘンなもん押し付けるなー!と、心酔しきった熱い表情で自分を見つめてくる多くの兵士達の前であるにも関わらず、ギャランは大声で叫んだ。
「こんなちんけな剣を抜いたぐらいで、王になどなってたまるか!こんなもん要らん!」
冗談じゃねぇ、と叫ぶその隣で、周子はぶっと噴出して。
「ギャラン、あんたずいぶんとその剣を気に入ったみたいだったじゃない。オレニピッタリダー、マルデオレノタメニアツラエタヨウダー、って」
「黙れ!」
ギャランはむんずと周子をつかむと、その口を押さえた。
「む?」
途端に驚いたように手を離すと、
「おまえ、こう抱くとずいぶんと細いな?」
まるで食用の動物でも吟味するかのように、ばんばんと周子の体のあちこちをまさぐって。そうしてあきれたような声を出した。
「おまえ、そんな華奢なちんけな体で、あんなヘンな魔物を相手にしてどうにかなるとでも思っていたのか?」
「思うも何も、いきなり襲われたんだもん、仕方ないじゃないの」
ギャランは信じられんといったふうに金髪を振った。
「いや、待て待て、あんなもん、おまえじゃあ無理だろ、まじで」
と心配そうな表情をしたのもほんの束の間で、ギャランはたちまちに機嫌を良くした。腰に手を当て軽くふんぞり返ると、ニカリ、と笑って周子を見下ろして。
「お前、おれがお前の男でよかったなー!おれは強いぞ!見たろ。ってこた、いつでもおれがお前を助けに駆けつけてくれると思っているワケだな?ずいぶん期待してくれてるもんなんだなァ?アァ?あーそーか、こーゆーのが、王子様?ふふん、あいにくおれは王様だがな?」
「は?いやそんな全然、ってかなんであんたがあのタイミングでご登場なんだか、さっぱりなんだけどさ……?」
―――その前にあんたは、たった今自分のその口で、おれは王ではなーい!と言いまくっていたではないか、
相変わらず的外れなギャランの珍妙な言葉に笑いながら、周子は自分を抱き寄せようとするその腕をキッパリと払った。
「とっとと饅頭でも食べに行けば?」
「お?おう」
何処で食えるんだ?と困惑しつつも聞いてくるその表情はなかなか真剣で、周子はついついまた笑ってしまった。
「ギャラン様、周子、ご無事で」
馬に乗ったカズマが姿を現わす。ちょうど今着いたところのようなのだが、その姿はハッ、と人目を引くほどにひどく血に濡れている。
「周子、なぜそんなにぼろぼろになっているんです?」
カズマは不思議そうにそう言って、馬をひらりと下りた。
確かに、攻撃呪文を喰らい、怪我は呪文で治癒したものの、肌はすすけ、服はあちこちが破れている。周子もひどいが、ギャランに至っては上半身裸である。
「そっちこそ。血まみれのあんたのほうが不思議だわ」
カズマは周子の軽口も耳に届かなかったようだ。
上半身裸のギャランを見るや、にわかに表情を硬くして、だが何事もなかったかのようにさりげなく、ギャランの肩に自分の着ていた上着を掛けた。
―――それって、血まみれ!
思わず周子は目を瞠ったのだが。
どうやらカズマはギャランの上半身裸姿を衆目にさらすよりも、己の血まみれの上着を掛ける方を選んだらしい。
周子は首をひねる。
そういえば、半裸のギャランを囲んだ兵士共は皆口々にギャランを称えてはいるものの、だれもその派手な背中の傷に動揺していない。
見れば思わずはっと息を呑んでしまうほどに凄惨で派手な古傷だ。
―――普段見慣れているからなのか……いや、いくらギャランでも、仮にも王だ、日頃からそうそう半裸で出歩いているわけでもないだろう、ひょっとするとこの古傷、皆には見えていないのかもしれない。
とすれば、上着を掛けて寄越すあたり、このカズマにはそれが見えていると言うことか?
カズマを見上げると、紫の瞳が竦んだようにこちらを見返してきた。
瞬時に周子の考えていたことを汲んだらしい。
生唾を嚥下したかのように、その喉がかすかに動いた。
カズマの利き手が、腰の剣に仕込んだ小柄にかかるのを察し―――。
周子が瞬時に身を撓め、逃げを打とうと、した。
「なんか変なのが襲ってきたんだぞ?」
ギャランが真っ二つの剣で肩をとんとんと軽く叩きながら、二人の間に割って入ると、小首を傾げカズマの顔を覗き込んだ。
まるで計ったかのようなタイミングだった。竦むカズマと周子を前に憮然と鼻を鳴らして。
「何見つめ合ってんだ、お前ら。おれを差し置いて。不届き者め!」
そのとき、先に洞窟の奥へと駆け込んでいった一人の兵士が、わあ、と悲鳴を上げて転がり出てきた。異形の者です!と叫ぶその声に、わらわらと兵士どもが洞窟の奥へと飛び込んでいく。
その騒ぎにカズマがようやく金縛りが解けたように、小さく息を吐いた。
そんなカズマにギャランは厳しい表情をして。
「おれは言ったはずだぞ、こいつから目を離すなと。おれがいなかったらこいつは死んでたかも知れんぞ、おれの目の届かぬところへ勝手に連れ出すな!」
全くお前は頼りにならん!とギャランは憤慨した。
「いや、この人の制止を振り切って一人で行ったのは私だし」
「知るか!」
とギャランは一喝した。
「オンナ一人で行かせるほうが悪い。これだからお前は気が利かないと言うんだ!オンナは守るもんだぞ!金はオンナには化けねぇぞ!」
絶対に、こいつから目を離すな!とギャランは目を剥いて厳しく命じた。
カズマは膝まづいて許しを乞うた。
なんでそこで膝まづくかなァ、と周子は思いはするのだが、それがまた、なかなかサマになっている。グランツの貴公子といわれるだけのことはある。
もっとも、女嫌いのカズマの場合、大好きな金が女に化けてはむしろ非常に困るだろう、と周子はついつい苦笑したのだが。
洞窟の中の有様を確認したのか、もんどりうつように兵士どもがわらわらとギャランの元に駆け寄って来たかと思うと、熱っぽく息せき切って口を開いた。
「王!あやつらは王が倒されたのですかっ!」
「ん?ああ」
不機嫌そうに頷くギャランを前に、兵士達の間でどよめきが起こった。
「すばらしい!」
「さすがは我らが王だ!」
「こんな怪物を、伝説の聖剣、真っ二つの剣で一刀両断するとは!」
「すばらしい!」
「まさに王のための剣だ!」
「ギャラン国王陛下、万歳!!」
ギャランは口々に称える兵士達に なんともいいがたい、凄絶な表情を見せた。
「何が伝説の聖剣だ!こんなもん、要らん!」
そう言ってギャランは、ラインハルトの前で先ほど足元に叩きつけた剣を、今度は思いっきり蹴り上げた。
肩を震わせ、鼻息も荒く、茶番もいいかげんにしろ!と叫ぶと、踵を返して。
あーあー、と去り行くその背中に、並み居る兵士達の落胆の声がこれみよがしに追いすがる。他人を寄せ付けぬ態度を取ってはいるものの、ギャランと軍が親しいというのはラインハルトの言っていたとおりまんざら嘘でもないらしく、兵士達のその落胆の声にはびっくりするほど遠慮がないのだが。あーあー、とその落胆の声は、まるでさざ波のように、寄せては返し、ギャランのその背中にべっとりと絡みつくように追いすがるように、なかなか止まない。
カズマはようやく立ち上がると、ふむ、と小さく唸った。
キラリ、とメガネが光ったかと思うと、おもむろに周子を引き寄せ、長く繊細なその指先で周子のすすけた頬に軽く触れて。
「しかし、異形の者ならば、あなたは本当に危なかったのでは?」
「死ぬかと思ったよさすがに」
ぴたり、と去りかけたギャランの足が停まる。
「ではあなた、本当に異形の者に襲われたのですね?」
メガネを光らせ何か企んでいるようなカズマの無言の圧力に周子はひとまず応じてやることにして。小さく肩を竦めた。
「クルと一緒に父さんが戦っているのを見たことがあるけど、自分が迎え討ったのは初めてよ。いきなりハイレベルのモンスターが三体も同時に、ってのは、さすがにちょっとねぇ?まして記憶の曖昧な今、堂々と立ち向かえる相手ではなかったりして……襲ってくるから倒すんだけどさ、そもそもなんで襲ってくるのか、その理由がわからない。その分、攻撃する瞬間につい出遅れる、ってのは大いにあるよね」
「それは本当に危険でしたね?」
「危なかったよ」
カズマの意図が手にとるように良くわかり、周子はにやっと笑った。
「呪文の効く相手ならまだともかく、そうじゃない輩だと……さっきのアレは正直やばかったわねぇ。ギャランがやってくれなきゃ、私が真っ二つだったりしてね」
そう言って周子は真顔でラインハルトを見上げて。
「洞窟に魔物がいるならそう教えてくれてば、いくら物好きでも私、行かないのに」
「いえ、いたためしが無いのですが」
実は騙して私を始末する気だったんでしょう、との周子の言葉に、ラインハルトはとんでもない濡れ衣だと言わんばかりに慌てて手を体の前で大きく振った。
「めめめ、滅多なことをおっしゃるな!」
じゃあ、と周子は今度はカズマを見上げる。
「あんたが私が邪魔なのは知ってるけど、なにも殺そうとしなくたって」
「とんでもない。オンナコドモを手にかけるなど、さすがに少々……」
カズマは迷惑そうに目を細め、首を振ってみせる。
「じゃあ、実はギャランが黒幕だったり?」
「だったら助けねーだろっ!」
ばっ、と勢いよく振り返ると、文句か何かをすごい勢いでまくし立てて。
その間隙を突いて、すかさずカズマが口をはさんだ。
「われわれはつねづね、ギャラン王が王たる者としての証を立てることができれば……例えば伝説の聖剣を抜いてくれればいいのになぁ位には思っておりましたが。わざわざ異形の者を召喚したりなどするわけが無い……というよりも、そのようなことわれわれには無理です」
むむ、とギャランが唸った。
「ではこれはお前達の茶番ではないというのか」
「どれほど我々臣下の者共がギャラン様をガーナ国王として奉りたいと、強く願っていても、たかが周子一人を殺すのにわざわざ異形の者を召喚するほど、手の込んだことはいたしません。偶然か、必然か。偶然にしてはあんまりな出来事ですし。必然であれば、何を以ってして必然であるのか。たとえば周子が何者かに狙われるとか、そのような可能性がなくも無いと申し上げているのです」
「エロック……洞窟の番人の死も気になるな」
ラインハルトが絶妙な間で呟いた。
え?と顔を上げる周子の疑問の表情を無視して、おそらくそうでしょう、とカズマは目を伏せる。
「かつてはガーナ一の剣豪であったあの方が、ああも無残に……。生身の人間にそうやすやすと倒されるお方ではないですからな」
ラインハルトはそう言って、ギャランを見た。
「異形のものが出張るとなると……やはりお探しの……かの”召喚の書”に何か関係があるのでは?」
びくり、ギャランが大きく反応した。
ふん、と鼻を鳴らす。ラインハルトを初めて真正面に捉えたその表情は不遜だが、眼差しは真剣である。
「王宮に向かうぞ、事態を把握する」
ギャランの死角で、カズマが小さなガッツポーズをとったのを周子は見て、珍しいその姿に思わず苦笑した。それからカズマは、さらにもう一計とでもいうかのようにふむと低く頷き、踵を返そうとしたギャランを再び引き止めた。
「王、これを」
カズマはギャランが地面に打ち捨てた真っ二つの剣を指差した。
まさに真の王だけが引き抜くことができるという、伝説の聖剣、前王陛下でさえも抜くことが出来なかったという、かの真っ二つの剣を自分が抜いてしまったという現実を、再び目の前に突きつけられて、ギャランは露骨に嫌そうな顔になる。
「いらん!お前にくれてやる」
「この剣は自ら主を選びます。私共には触ることすら出来ません。われわれが迂闊に触ることのできぬ以上、ここに打ち捨てられても困ります。たかが剣の移動でムダに兵を死なせるわけには参りません」
「いらんといったらいらん!王の証だと騒がれてもみろ、どうすんだ!」
王になど、ならーん!!と、ギャランはこぶしを震わせて叫んで。
絶対にイヤだ、と言い張るギャランを前に。
ついさっきまであんなにこの剣のことを気に入っていたのだ、まるで子供のようなあのはつらつとした様を思うと、手のひらを返したようにこうも激しく拒否する姿は正直、面白くて。それほどに王たる身分が嫌いとみえる、そんなギャランに伝説の聖剣だの世界の王だのといった大層な御託を並べて剣を押し付けるのは……なんだかそれはクレリック・リザートのちょっとした冗談に思えて。周子は剣を、ギャランに持たせてみたくなった。
周子はギャランの手を掴んだ。
「ギャラン?あなたがいなかったら、あなたがあのタイミングで真っ二つの剣を抜いてくれなかったら、私、きっと死んでたわ。あなたがいつも下げているような、普通の剣ではあのレベルの魔物の甲冑は斬れないし。スペルの効かない相手なら、私はまじでやばいわよ。ギャランは、いざと言うとき、守ってくれるんでしょう?」
「……………」
ギャランが胸を衝かれたような、愛しげな表情をして周子を見つめてくる。
あなたがいてくれてよかった、と、周子は畳み掛けた。
「もしも、あなたが私の主なら、私を守るのが筋でしょう」
「よし」
ギャランは短く応えると、真っ二つの剣を拾い上げ、腰にさした。
剣をさすなり、うおおおおお、と感動のどよめきが兵士達の間に起こった。
兵士達には、ギャランがカズマと周子に上手く言いくるめられているとは到底見えず……ただただ、一人の女を異形の者の魔の手から救い出してきた、強く、雄雄しい王の姿が、そして伝説の剣を見事に引き抜き、腰にさした、まさに美丈夫な姿があるだけである。
ギャラン国王陛下への惜しみない賛辞を一身に浴びて、ギャランはよほど居心地が悪いのか、大股でその場を遠ざかっていく。無言のその背中が、いつもの彼を知る周子には何処か痛々しくも見えるのだが。
カズマは周子の頭にぽん、と優しく手を置いて。
「いやおみごとです、助かりました」
「あのバカに剣を持たせたかったんでしょ?これでさっき、あんたが私のことでギャランに不当になじられた件はチャラってことで。私、わがまま言って一人で洞窟に行って悪かったと思うわ」
と周子が素直に詫びると、カズマはふんわりと微笑んだ。
「今後もこんな調子でひとつ頼みますよ?」
「今後も、ですって?騙されるものか、微笑み魔人め!いつだれがあんたに協力するだなんて言ったのよ」
「……つれないですねェ」
はは、とカズマは笑って。上機嫌だ。
「今夜は何が食べたいですか?」
今夜の食事の献立を聞いてくるなんて、なんて巧に人のツボをついてくるのだろう、と感心しつつ、周子はどうにも気になってカズマの血にまみれたシャツを引いた。
「血、怪我したんなら私が治癒呪文を」
「いえ、これは……」
汚れますからお手をお放しください、と言ってカズマは済まなそうにそのシャツを脱ぎ、従者を呼び寄せそれなりに見られる姿に取り繕うと、手短に師匠が殺されていた旨を告げた。そして、あれほどの剣豪だ、それこそ不意を突かれ異形の者に襲われたのだろう、結論付けた。
「理由?……いえ、分かりませんね」
多分、自分を狙ってのことに巻き込まれたのだろうと周子は思ったが、口には出せなかった。
カズマらしく簡潔でこの上なく冷静な説明だったが。
彼がかなりのショックを受けていることは、そのメガネのグラス一枚だけでは到底隠し切れず。周子はその暗い眼差しに、かけるべき言葉が全く見つからなかった。ショックだの辛いだの、カズマが余計な言葉を言わない方がかえって辛く思えて。
言わないのではなく、言えない、のだろう。
―――このひとは。
それでも、私のために血の汚れのほうを気にしてくれたというのか。
あの血の染み具合から察するに、相当凄惨な状況だったに違いない。
周子はカズマの手を引くと、洞窟入り口にある簡素な手水場に連れて行った。そこでカズマの手を湧き水へ浸し、ふき取ってもなおこびりついていた血痕を洗い落としてやる。
さっきのギャランに掛けた、血に濡れた上着……ギャランの背中の古傷について聞きたいような気もしたが、おそらく聞いてはいけないことだろうと察しもして。
―――ある種の呪かなにかだろうか
だとすれば、魔力の強い自分はまァともかくいいとして。どうしてカズマにだけ、それが見えるのかが大いに気になった。
直接当人聞けば、あのギャランのことだ、案外あっさり教えてくれるだろうか、とも思いつつ、カズマが秘匿したがっているのなら、無理に聞き出さぬほうが身のためだとも思い直した。あの瞬間、ギャランが間に割って入らなければ、この指先は腰の剣に仕込んだ小柄を引き抜き、こちらの喉元を狙ってきたに違いないのだ。
周子はそんな確信を胸ですりつぶすと、ピアノでも弾きそうな綺麗な手、およそ軍人とは思えぬその手を丁寧に洗いこすった。
カズマは少し意外そうに、だが言葉もなく大人しく周子に手を任せていて。
不思議な静寂があった。
「あんたが元気になるまで、少し大人しくしていてあげるわ。こんなときに迷惑掛ける気にもならないしね。泣きたいなら胸を貸すけど?それともあんたなら、大好きな金庫にでもこもって一人で泣くかしらね?」
湧き水ですっかり冷たくなった手を引き上げると。
「……うちの金庫は真空になりますので、少々厳しいですね」
メガネの奥の紫の瞳はほんのりと微笑んでいて。
周子は知れず微笑みを返す。
―――自分もまた父と多くの知人を喪っているのだ。
自分ひとり時空を越えたなど、あまりに特殊すぎてそうそう泣けそうな気がしないのだが。
いつかはこの空虚さに竦む瞬間がくるのかもしれない。そのときに、自分はこの男のように一人黙ってやり過ごすことができるであろうか。
カズマは一人静かにその手を絹のハンカチで丁寧に拭っている。潔癖なその仕草、一見柔和な優男だが、ずいぶんと芯の強い男だと周子は思った。
周子はふと、クレリック・リザートの言葉を思い出した。
「ところでさ?クレリック・リザートの死因って、やっぱり奥さんに殺されたの?」
「は?」
きょとんとするカズマの表情がこれまた素敵だった。
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いつのまにか多くの兵士が洞窟の入り口前に詰めていて、ギャランが出てくるのを今か今かと待ち構えていたようだった。
「何?この軍人さんの山は」
周子は黒山の人だかりといったその数の多さに驚いてギャランを見上げたが、ギャランはといえば、いかにも不快そうに眉を顰め……また例の、他人を寄せ付けぬ冷たい表情へと変わりゆくところだった。
「周子殿、よくぞご無事で」
並み居る軍人を掻き分けて前に進み出たラインハルトが周子の手を取り膝まづくと、深々と頭を下げた。王の連れた女へ示すべき最上級の礼儀とでも表現したいのか、まるでそんな態度で。周子の方が困惑する位に深く丁寧な礼をしてから身体を起こし立ち上がると、ほっとしたような表情を浮かべてしみじみ周子を見る。
「お一人でこちらへ向かわれたと聞いたときには肝を冷やしましたぞ!」
「えっ?肝?」
全く事情の飲み込めぬ周子は思わずその言葉に、目の前に立っているラインハルトの股間のあたりに目を落とした。
「だーっ!おまえっ!どこ見てやがる!こんなじじいのタマのドコがイイのだ!おれを見やがれ!」
たちまちギャランが叫んでぐい、と周子を強く引き寄せた。
「なんと!」
凍り行く途中で突然反応を見せたギャランの様子に驚いたのは、周子よりもむしろラインハルトである。周子の手を握った己の手をギャランに払われてラインハルトは数瞬、ひたりと硬直したが、肩の上にぞんざいに担がれた真っ二つの剣を見、心底驚いたかのようにまじまじと真正面からギャランを見詰めた。
たっぷりと数拍おいて、ラインハルトは満面の笑みを浮かべた。
「お見事です、ギャラン様」
ラインハルトはひとつ咳払いをして、自慢気に胸を張って言った。
「真の王にしか抜けぬという、真っ二つの剣を、見事引き抜きましたな!」
そう言って、洞窟の番人エロック・スレルムの屋敷から兵を手配してのち駆けつけたラインハルトは、かの伝説の剣を下げて洞窟の奥から出てきたギャランのその姿に、その予想外の事態に、まさにひょうたんから独楽、小躍りせんばかりの喜びようを示した。
ギャランはギョッとしたように、手中の剣を見た。
「真っ二つの剣?」
「ええ!」
「ひょっとして、前王陛下でも抜けなかったという、あのいわくつきの剣か?」
「さようでございます」
「王の中の王、真の王だけが引き抜くことが出来るという、伝説の聖剣か?」
「まさしく!」
そう聞くなり、ギャランはその伝説の剣を地面に叩きつけた。
「ダメだぞ、嫌だぞ、おれはそんなもん知らん!」
身震いするように大きく肩を振るわせる。
「こんな伝説の剣など、ダレがだまされるものか!」
ヘンなもん押し付けるなー!と、心酔しきった熱い表情で自分を見つめてくる多くの兵士達の前であるにも関わらず、ギャランは大声で叫んだ。
「こんなちんけな剣を抜いたぐらいで、王になどなってたまるか!こんなもん要らん!」
冗談じゃねぇ、と叫ぶその隣で、周子はぶっと噴出して。
「ギャラン、あんたずいぶんとその剣を気に入ったみたいだったじゃない。オレニピッタリダー、マルデオレノタメニアツラエタヨウダー、って」
「黙れ!」
ギャランはむんずと周子をつかむと、その口を押さえた。
「む?」
途端に驚いたように手を離すと、
「おまえ、こう抱くとずいぶんと細いな?」
まるで食用の動物でも吟味するかのように、ばんばんと周子の体のあちこちをまさぐって。そうしてあきれたような声を出した。
「おまえ、そんな華奢なちんけな体で、あんなヘンな魔物を相手にしてどうにかなるとでも思っていたのか?」
「思うも何も、いきなり襲われたんだもん、仕方ないじゃないの」
ギャランは信じられんといったふうに金髪を振った。
「いや、待て待て、あんなもん、おまえじゃあ無理だろ、まじで」
と心配そうな表情をしたのもほんの束の間で、ギャランはたちまちに機嫌を良くした。腰に手を当て軽くふんぞり返ると、ニカリ、と笑って周子を見下ろして。
「お前、おれがお前の男でよかったなー!おれは強いぞ!見たろ。ってこた、いつでもおれがお前を助けに駆けつけてくれると思っているワケだな?ずいぶん期待してくれてるもんなんだなァ?アァ?あーそーか、こーゆーのが、王子様?ふふん、あいにくおれは王様だがな?」
「は?いやそんな全然、ってかなんであんたがあのタイミングでご登場なんだか、さっぱりなんだけどさ……?」
―――その前にあんたは、たった今自分のその口で、おれは王ではなーい!と言いまくっていたではないか、
相変わらず的外れなギャランの珍妙な言葉に笑いながら、周子は自分を抱き寄せようとするその腕をキッパリと払った。
「とっとと饅頭でも食べに行けば?」
「お?おう」
何処で食えるんだ?と困惑しつつも聞いてくるその表情はなかなか真剣で、周子はついついまた笑ってしまった。
「ギャラン様、周子、ご無事で」
馬に乗ったカズマが姿を現わす。ちょうど今着いたところのようなのだが、その姿はハッ、と人目を引くほどにひどく血に濡れている。
「周子、なぜそんなにぼろぼろになっているんです?」
カズマは不思議そうにそう言って、馬をひらりと下りた。
確かに、攻撃呪文を喰らい、怪我は呪文で治癒したものの、肌はすすけ、服はあちこちが破れている。周子もひどいが、ギャランに至っては上半身裸である。
「そっちこそ。血まみれのあんたのほうが不思議だわ」
カズマは周子の軽口も耳に届かなかったようだ。
上半身裸のギャランを見るや、にわかに表情を硬くして、だが何事もなかったかのようにさりげなく、ギャランの肩に自分の着ていた上着を掛けた。
―――それって、血まみれ!
思わず周子は目を瞠ったのだが。
どうやらカズマはギャランの上半身裸姿を衆目にさらすよりも、己の血まみれの上着を掛ける方を選んだらしい。
周子は首をひねる。
そういえば、半裸のギャランを囲んだ兵士共は皆口々にギャランを称えてはいるものの、だれもその派手な背中の傷に動揺していない。
見れば思わずはっと息を呑んでしまうほどに凄惨で派手な古傷だ。
―――普段見慣れているからなのか……いや、いくらギャランでも、仮にも王だ、日頃からそうそう半裸で出歩いているわけでもないだろう、ひょっとするとこの古傷、皆には見えていないのかもしれない。
とすれば、上着を掛けて寄越すあたり、このカズマにはそれが見えていると言うことか?
カズマを見上げると、紫の瞳が竦んだようにこちらを見返してきた。
瞬時に周子の考えていたことを汲んだらしい。
生唾を嚥下したかのように、その喉がかすかに動いた。
カズマの利き手が、腰の剣に仕込んだ小柄にかかるのを察し―――。
周子が瞬時に身を撓め、逃げを打とうと、した。
「なんか変なのが襲ってきたんだぞ?」
ギャランが真っ二つの剣で肩をとんとんと軽く叩きながら、二人の間に割って入ると、小首を傾げカズマの顔を覗き込んだ。
まるで計ったかのようなタイミングだった。竦むカズマと周子を前に憮然と鼻を鳴らして。
「何見つめ合ってんだ、お前ら。おれを差し置いて。不届き者め!」
そのとき、先に洞窟の奥へと駆け込んでいった一人の兵士が、わあ、と悲鳴を上げて転がり出てきた。異形の者です!と叫ぶその声に、わらわらと兵士どもが洞窟の奥へと飛び込んでいく。
その騒ぎにカズマがようやく金縛りが解けたように、小さく息を吐いた。
そんなカズマにギャランは厳しい表情をして。
「おれは言ったはずだぞ、こいつから目を離すなと。おれがいなかったらこいつは死んでたかも知れんぞ、おれの目の届かぬところへ勝手に連れ出すな!」
全くお前は頼りにならん!とギャランは憤慨した。
「いや、この人の制止を振り切って一人で行ったのは私だし」
「知るか!」
とギャランは一喝した。
「オンナ一人で行かせるほうが悪い。これだからお前は気が利かないと言うんだ!オンナは守るもんだぞ!金はオンナには化けねぇぞ!」
絶対に、こいつから目を離すな!とギャランは目を剥いて厳しく命じた。
カズマは膝まづいて許しを乞うた。
なんでそこで膝まづくかなァ、と周子は思いはするのだが、それがまた、なかなかサマになっている。グランツの貴公子といわれるだけのことはある。
もっとも、女嫌いのカズマの場合、大好きな金が女に化けてはむしろ非常に困るだろう、と周子はついつい苦笑したのだが。
洞窟の中の有様を確認したのか、もんどりうつように兵士どもがわらわらとギャランの元に駆け寄って来たかと思うと、熱っぽく息せき切って口を開いた。
「王!あやつらは王が倒されたのですかっ!」
「ん?ああ」
不機嫌そうに頷くギャランを前に、兵士達の間でどよめきが起こった。
「すばらしい!」
「さすがは我らが王だ!」
「こんな怪物を、伝説の聖剣、真っ二つの剣で一刀両断するとは!」
「すばらしい!」
「まさに王のための剣だ!」
「ギャラン国王陛下、万歳!!」
ギャランは口々に称える兵士達に なんともいいがたい、凄絶な表情を見せた。
「何が伝説の聖剣だ!こんなもん、要らん!」
そう言ってギャランは、ラインハルトの前で先ほど足元に叩きつけた剣を、今度は思いっきり蹴り上げた。
肩を震わせ、鼻息も荒く、茶番もいいかげんにしろ!と叫ぶと、踵を返して。
あーあー、と去り行くその背中に、並み居る兵士達の落胆の声がこれみよがしに追いすがる。他人を寄せ付けぬ態度を取ってはいるものの、ギャランと軍が親しいというのはラインハルトの言っていたとおりまんざら嘘でもないらしく、兵士達のその落胆の声にはびっくりするほど遠慮がないのだが。あーあー、とその落胆の声は、まるでさざ波のように、寄せては返し、ギャランのその背中にべっとりと絡みつくように追いすがるように、なかなか止まない。
カズマはようやく立ち上がると、ふむ、と小さく唸った。
キラリ、とメガネが光ったかと思うと、おもむろに周子を引き寄せ、長く繊細なその指先で周子のすすけた頬に軽く触れて。
「しかし、異形の者ならば、あなたは本当に危なかったのでは?」
「死ぬかと思ったよさすがに」
ぴたり、と去りかけたギャランの足が停まる。
「ではあなた、本当に異形の者に襲われたのですね?」
メガネを光らせ何か企んでいるようなカズマの無言の圧力に周子はひとまず応じてやることにして。小さく肩を竦めた。
「クルと一緒に父さんが戦っているのを見たことがあるけど、自分が迎え討ったのは初めてよ。いきなりハイレベルのモンスターが三体も同時に、ってのは、さすがにちょっとねぇ?まして記憶の曖昧な今、堂々と立ち向かえる相手ではなかったりして……襲ってくるから倒すんだけどさ、そもそもなんで襲ってくるのか、その理由がわからない。その分、攻撃する瞬間につい出遅れる、ってのは大いにあるよね」
「それは本当に危険でしたね?」
「危なかったよ」
カズマの意図が手にとるように良くわかり、周子はにやっと笑った。
「呪文の効く相手ならまだともかく、そうじゃない輩だと……さっきのアレは正直やばかったわねぇ。ギャランがやってくれなきゃ、私が真っ二つだったりしてね」
そう言って周子は真顔でラインハルトを見上げて。
「洞窟に魔物がいるならそう教えてくれてば、いくら物好きでも私、行かないのに」
「いえ、いたためしが無いのですが」
実は騙して私を始末する気だったんでしょう、との周子の言葉に、ラインハルトはとんでもない濡れ衣だと言わんばかりに慌てて手を体の前で大きく振った。
「めめめ、滅多なことをおっしゃるな!」
じゃあ、と周子は今度はカズマを見上げる。
「あんたが私が邪魔なのは知ってるけど、なにも殺そうとしなくたって」
「とんでもない。オンナコドモを手にかけるなど、さすがに少々……」
カズマは迷惑そうに目を細め、首を振ってみせる。
「じゃあ、実はギャランが黒幕だったり?」
「だったら助けねーだろっ!」
ばっ、と勢いよく振り返ると、文句か何かをすごい勢いでまくし立てて。
その間隙を突いて、すかさずカズマが口をはさんだ。
「われわれはつねづね、ギャラン王が王たる者としての証を立てることができれば……例えば伝説の聖剣を抜いてくれればいいのになぁ位には思っておりましたが。わざわざ異形の者を召喚したりなどするわけが無い……というよりも、そのようなことわれわれには無理です」
むむ、とギャランが唸った。
「ではこれはお前達の茶番ではないというのか」
「どれほど我々臣下の者共がギャラン様をガーナ国王として奉りたいと、強く願っていても、たかが周子一人を殺すのにわざわざ異形の者を召喚するほど、手の込んだことはいたしません。偶然か、必然か。偶然にしてはあんまりな出来事ですし。必然であれば、何を以ってして必然であるのか。たとえば周子が何者かに狙われるとか、そのような可能性がなくも無いと申し上げているのです」
「エロック……洞窟の番人の死も気になるな」
ラインハルトが絶妙な間で呟いた。
え?と顔を上げる周子の疑問の表情を無視して、おそらくそうでしょう、とカズマは目を伏せる。
「かつてはガーナ一の剣豪であったあの方が、ああも無残に……。生身の人間にそうやすやすと倒されるお方ではないですからな」
ラインハルトはそう言って、ギャランを見た。
「異形のものが出張るとなると……やはりお探しの……かの”召喚の書”に何か関係があるのでは?」
びくり、ギャランが大きく反応した。
ふん、と鼻を鳴らす。ラインハルトを初めて真正面に捉えたその表情は不遜だが、眼差しは真剣である。
「王宮に向かうぞ、事態を把握する」
ギャランの死角で、カズマが小さなガッツポーズをとったのを周子は見て、珍しいその姿に思わず苦笑した。それからカズマは、さらにもう一計とでもいうかのようにふむと低く頷き、踵を返そうとしたギャランを再び引き止めた。
「王、これを」
カズマはギャランが地面に打ち捨てた真っ二つの剣を指差した。
まさに真の王だけが引き抜くことができるという、伝説の聖剣、前王陛下でさえも抜くことが出来なかったという、かの真っ二つの剣を自分が抜いてしまったという現実を、再び目の前に突きつけられて、ギャランは露骨に嫌そうな顔になる。
「いらん!お前にくれてやる」
「この剣は自ら主を選びます。私共には触ることすら出来ません。われわれが迂闊に触ることのできぬ以上、ここに打ち捨てられても困ります。たかが剣の移動でムダに兵を死なせるわけには参りません」
「いらんといったらいらん!王の証だと騒がれてもみろ、どうすんだ!」
王になど、ならーん!!と、ギャランはこぶしを震わせて叫んで。
絶対にイヤだ、と言い張るギャランを前に。
ついさっきまであんなにこの剣のことを気に入っていたのだ、まるで子供のようなあのはつらつとした様を思うと、手のひらを返したようにこうも激しく拒否する姿は正直、面白くて。それほどに王たる身分が嫌いとみえる、そんなギャランに伝説の聖剣だの世界の王だのといった大層な御託を並べて剣を押し付けるのは……なんだかそれはクレリック・リザートのちょっとした冗談に思えて。周子は剣を、ギャランに持たせてみたくなった。
周子はギャランの手を掴んだ。
「ギャラン?あなたがいなかったら、あなたがあのタイミングで真っ二つの剣を抜いてくれなかったら、私、きっと死んでたわ。あなたがいつも下げているような、普通の剣ではあのレベルの魔物の甲冑は斬れないし。スペルの効かない相手なら、私はまじでやばいわよ。ギャランは、いざと言うとき、守ってくれるんでしょう?」
「……………」
ギャランが胸を衝かれたような、愛しげな表情をして周子を見つめてくる。
あなたがいてくれてよかった、と、周子は畳み掛けた。
「もしも、あなたが私の主なら、私を守るのが筋でしょう」
「よし」
ギャランは短く応えると、真っ二つの剣を拾い上げ、腰にさした。
剣をさすなり、うおおおおお、と感動のどよめきが兵士達の間に起こった。
兵士達には、ギャランがカズマと周子に上手く言いくるめられているとは到底見えず……ただただ、一人の女を異形の者の魔の手から救い出してきた、強く、雄雄しい王の姿が、そして伝説の剣を見事に引き抜き、腰にさした、まさに美丈夫な姿があるだけである。
ギャラン国王陛下への惜しみない賛辞を一身に浴びて、ギャランはよほど居心地が悪いのか、大股でその場を遠ざかっていく。無言のその背中が、いつもの彼を知る周子には何処か痛々しくも見えるのだが。
カズマは周子の頭にぽん、と優しく手を置いて。
「いやおみごとです、助かりました」
「あのバカに剣を持たせたかったんでしょ?これでさっき、あんたが私のことでギャランに不当になじられた件はチャラってことで。私、わがまま言って一人で洞窟に行って悪かったと思うわ」
と周子が素直に詫びると、カズマはふんわりと微笑んだ。
「今後もこんな調子でひとつ頼みますよ?」
「今後も、ですって?騙されるものか、微笑み魔人め!いつだれがあんたに協力するだなんて言ったのよ」
「……つれないですねェ」
はは、とカズマは笑って。上機嫌だ。
「今夜は何が食べたいですか?」
今夜の食事の献立を聞いてくるなんて、なんて巧に人のツボをついてくるのだろう、と感心しつつ、周子はどうにも気になってカズマの血にまみれたシャツを引いた。
「血、怪我したんなら私が治癒呪文を」
「いえ、これは……」
汚れますからお手をお放しください、と言ってカズマは済まなそうにそのシャツを脱ぎ、従者を呼び寄せそれなりに見られる姿に取り繕うと、手短に師匠が殺されていた旨を告げた。そして、あれほどの剣豪だ、それこそ不意を突かれ異形の者に襲われたのだろう、結論付けた。
「理由?……いえ、分かりませんね」
多分、自分を狙ってのことに巻き込まれたのだろうと周子は思ったが、口には出せなかった。
カズマらしく簡潔でこの上なく冷静な説明だったが。
彼がかなりのショックを受けていることは、そのメガネのグラス一枚だけでは到底隠し切れず。周子はその暗い眼差しに、かけるべき言葉が全く見つからなかった。ショックだの辛いだの、カズマが余計な言葉を言わない方がかえって辛く思えて。
言わないのではなく、言えない、のだろう。
―――このひとは。
それでも、私のために血の汚れのほうを気にしてくれたというのか。
あの血の染み具合から察するに、相当凄惨な状況だったに違いない。
周子はカズマの手を引くと、洞窟入り口にある簡素な手水場に連れて行った。そこでカズマの手を湧き水へ浸し、ふき取ってもなおこびりついていた血痕を洗い落としてやる。
さっきのギャランに掛けた、血に濡れた上着……ギャランの背中の古傷について聞きたいような気もしたが、おそらく聞いてはいけないことだろうと察しもして。
―――ある種の呪かなにかだろうか
だとすれば、魔力の強い自分はまァともかくいいとして。どうしてカズマにだけ、それが見えるのかが大いに気になった。
直接当人聞けば、あのギャランのことだ、案外あっさり教えてくれるだろうか、とも思いつつ、カズマが秘匿したがっているのなら、無理に聞き出さぬほうが身のためだとも思い直した。あの瞬間、ギャランが間に割って入らなければ、この指先は腰の剣に仕込んだ小柄を引き抜き、こちらの喉元を狙ってきたに違いないのだ。
周子はそんな確信を胸ですりつぶすと、ピアノでも弾きそうな綺麗な手、およそ軍人とは思えぬその手を丁寧に洗いこすった。
カズマは少し意外そうに、だが言葉もなく大人しく周子に手を任せていて。
不思議な静寂があった。
「あんたが元気になるまで、少し大人しくしていてあげるわ。こんなときに迷惑掛ける気にもならないしね。泣きたいなら胸を貸すけど?それともあんたなら、大好きな金庫にでもこもって一人で泣くかしらね?」
湧き水ですっかり冷たくなった手を引き上げると。
「……うちの金庫は真空になりますので、少々厳しいですね」
メガネの奥の紫の瞳はほんのりと微笑んでいて。
周子は知れず微笑みを返す。
―――自分もまた父と多くの知人を喪っているのだ。
自分ひとり時空を越えたなど、あまりに特殊すぎてそうそう泣けそうな気がしないのだが。
いつかはこの空虚さに竦む瞬間がくるのかもしれない。そのときに、自分はこの男のように一人黙ってやり過ごすことができるであろうか。
カズマは一人静かにその手を絹のハンカチで丁寧に拭っている。潔癖なその仕草、一見柔和な優男だが、ずいぶんと芯の強い男だと周子は思った。
周子はふと、クレリック・リザートの言葉を思い出した。
「ところでさ?クレリック・リザートの死因って、やっぱり奥さんに殺されたの?」
「は?」
きょとんとするカズマの表情がこれまた素敵だった。
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- 2005-09-13 00:40
- カテゴリ : 「タトゥー・オブ・ギャラン」/長編/連載中
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