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[tog]2:隷属のタトゥー

 泣き崩れたシャアラを後ろに、ようやく周子はロンの方を見た。
「よぉ、ラッシュ」
 ベースの建物の入り口を占拠し、血走った眼で小さな女の子の首にナイフを突きつけているロンのその様子は、最悪の惨事を予測させるに十分すぎる迫力だったが。
「ねぇ、とにかくその子、放しなさいよ。泣いてるし。あんたそんな小さな子を人質にとって自分が恥ずかしくないの? 見てる私はすッさまじく情けないよ?」
 周子を躊躇させるには全く足りなかった。
 うええ、情けなくて見てらンない、と長い黒髪をぱさぱさと振って。
 ばかー! 挑発するなー! ラッシュ、と、後ろで叫び声が上がったが。
「そんな子供盾に取ったって変わらないわよ、私はタトゥーを刻まないなんて言ってない、ただ私が従うとすれば私が認めた男だけ、私が本気出せばあんたなんか瞬殺よ、瞬殺」
「ぐぐっ」
 そのあたりの力の差は明らかなのでロンは悔しそうに唸った。
「ラッシュ、いいや今日こそはおれの言うことを聞け」
「嫌」
「す、すげえむかつくな、こんの情知らず。おれがこんな真似をしたところで、そう強気に出てくることくらい、よーく分かってら! 伊達に長いこと片想いしてるわけじゃねえからな!」
「わかってんならやめればいいのに」
 そう言ってしまえばまさに身も蓋もない。残忍なまでに率直な周子の言葉といってよかろう。
 四歳だぞ、四歳、おれは人生最初にお前に告ったときのあの衝撃が今でも忘れられねぇ、あんなに木端微塵に振るたぁ、お前はヒトじゃあねぇ、あれから何べん告ってると思ってんだおれの気持ちをちったぁ汲めよ、とロンは過去の数々の恥辱に肩を震わせた。
 周子は首を捻り、ふーん、と微妙な返事をして。
「そういうのはきっと、片想いじゃなくて、トラウマ?」
「ああそうだろうよ! ちっくしょう!」
 会話はどこまでも平行線、交わろうとする気配すらも無く。
 あるのはとことん気の無い素振りの周子、軽薄な沈黙だけ。
 ロンは人質の首にあてたナイフをちらとも緩めず、一枚の紙を周子に突きつけた。
「読め!」
「読め? ったくエラそーに」
 周子は紙に書かれた文字を目で追って、さらにまた首を捻った。
「リィアード・リルケルム……で? なにこれ?」
 ふっ、とロンは不敵に笑った。
「おれの真の名だ」
「……。へぇ。いい名前じゃない。ずいぶんと男前な」
 周子は感心したように微笑んでみせた。
 それから、その綺麗な黒眉を片方だけくにゃりと顰めて、
「でも真の名だなんて他人に洩らしちゃマズイでしょ。聞かなかったことにしてあげるからさ?」
「察しろよ!」
 ロンは叫ぶ。
 ぐっ、と少女の首に突きつけたナイフを一層近づけた。
 彼の手にしたナイフの切先が少女の首にふつりと血の珠を為すのを見て、さすがに周子は眼差しを厳しくした。
「おれの名は明かした。さあ、次はお前の名だ。ラッシュサマー、お前の真の名を明かせ!」
「……絶対イヤ。誰があんたの名なぞ刻むものか」
「こんな状況でもお前は折れないか」
 軽くナイフの切先を引くと、周子の注視に厳しさが増すのが分かった、こう強気でいてみせて、だが小さいものには存外優しいところがあるのも、ロンは良く知っている。泣き叫ぶ少女の声と滴り落ちた血に、彼女が内心はらはらしている、その手応えならば十分にある。
 だが。
「折れないね」
「こ、この状況でもおれたちの力関係が変わらないというのはくそうなんだこれ」
「魔力の差かね」
 絶望的とも言える宣言を下した。
 周子にとってはただの事実、だがそれが彼女にとっての友人を多く失わせてきた。ここミアムでは魔力の強い者こそが価値をもつ、彼女の特殊な血系こそミアムの誰もが渇望し、叶う事ならば手に入れようとしたものだ。
「おれはお前が好きなんだ、お前のものになりたい、お前のためだったら何でもする」
「絶対イヤ。誰があんたの呪主になぞなるもんか。使役獣としてでも要らん」
 熱っぽいロンの懇願だが、周子は再度キッパリと拒否した。
「シャアラの腕に名を刻んでおいて、今更何言ってるの。名を刻む行為はいわば番いになるってことじゃない。あんたはシャアラと幸せに暮らせばいいじゃないの」
 その言葉に心底カチンときたようにロンは叫んだ。
「ああそうだろうよ、だがなやっぱりおれはお前が好きなんだ、おれはお前じゃなきゃイヤだ、おれの魂はお前のものだ、他の女なんてただの気持ちいい穴だ! 踏み台だ、シャアラはお前に一番近いからヤった、あいつにお前の女友達以上の価値はねぇ。情なんざねぇんだよ!」
「なんですって?」
 周子は怒りに黒髪が逆立つのを感じた。
 シャアラは数少ない、いや、今となっては唯一の、周子の女友達なのである。
 今となっては、というのも、年頃になるにつれ周子が異様に男の感心を惹くようになったからで……特殊な血系という絶大なメリットとその容姿、同じ年頃の男どもはすべからく周子に夢中になる、本人には無自覚でも、本人に全くその気が無くとも、つまりはそれは同性からはどうしようもなく恨みを買ってしまうことと同義だ。
 シャアラだけが唯一、仕方ないわよあなた美人なんだし、と笑って流してくれたのだ。

「死 ん で 詫 び ろ!」

 周子を中心にその足下から突風が、ぶわりと巻き起こる。
 強力な魔法を行使する時に生じる魔法風である。
 青白い燐光が宙に浮き、急速に輝きを増しゆく。
 何処か次元の違うところから、金属軸の擦れるような、なにか膨大なエネルギーが一点に集約してゆく独特にして奇妙な音が響く―――、
 高い周波数の不穏な衝撃音、宙を裂くように閃光が疾り―――、

「げっ、おおおおお前、ラッシュまさかそれ……」
「さあ、その子をこっちへお寄越し!」
 広範囲に爆発の衝撃波と炎を撒き散らす殺戮の攻撃系最上級レベルの呪文、ロンの背後に今更ながらベースの豪奢な建屋が目に入ったが、

 ―――畜生、このクソベースも一緒にぶっ飛ばしてやる!

 血が沸き立ち肌がびりびり痺れ上がるような、強烈な威圧感。
 急激に満ちゆく魔力の手応えが、肌の表層を、髪の一筋一筋を、爪先を疾る。強力な呪文を放つ直前の凝縮されたエネルギー、ちりちりと肌を焼く帯電にも似たこの種の感覚はむしろ心地よく―――。
 だが。
「アア……」
 唐突に地に膝を折って周子はうめいた。
 大きくうなだれる。
 身体に満ちていた魔力がふいにかき消えたのだ。まるで乾いた砂地にすっと水が沁み入るが如く、左指の黒い輝石が魔力を吸ってしまったのだ。
「こんなときに呪文が出ないだなんて」
 よりによってこんなときに、と周子は地面を叩いた。
「ふははは、今日は絶不調みたいだな! おれは運がいい!」
 ロンはまるで勝ち誇ったように高笑いした。
 ちくしょう、と周子は恨みがましく左手薬指の石を見たが。
 ―――ドランクドラゴンの盟約石
 黒い魔石の底には無数の砂金のようなものが煌めき、魔力を吸った直後たる今や石自体が満天の星空の如く輝いている。それは、目も眩むような美しさだった。
「代々のタチバナの魔力を吸って、この石はどんだけ吸えば気が済むっていうのよ、くそう」
 魔力を抜かれた身体に置き土産の如く押し付けられた強い疲労感、褒美だとでも言わんばかりのそれはひどい屈辱にすら感じられた。
 ロンは周子の隙を見逃さぬほどには冷徹だった。
 一際高く悲鳴を上げた少女の声に、周子はハッ、と顔を上げた。
「さあ。おれの名は明かした、次はお前の名を明かせ。おれはやるときゃやる、本気だ。でなけりゃおれと一緒に幼女殺しの汚名を着ろ」
「……分かった、わーったって。ギブ。その子を放しな」
 よろよろと立ち上がると、少女を解放させた。
 少女の傷をちらと吟味した周子の手から、ぱっと癒しの白光が瞬く。
 ほんの簡単な治癒呪文なのに、それを行使するのにすらじっとりと嫌な汗をかいた。魔力はもうほとんど残っていない。先ほど唱えかけた最上級クラスの攻撃呪文なぞ、
 ―――到底、出そうに無い、か、
 やれやれと嘆息した周子にロンが歓喜の声を上げた。
「ほら、その能力! 攻撃呪文どころか癒しの呪文まで使えるたぁ、まじで珍しいんだぞ、まさに最強だ! さすがタチバナの血だ!」

 やっぱりタチバナの血だ、すごいぞ、とロンの尻馬に乗って野次馬が口々にざわめく。
 キッ! と振り返ると、うるさい! と周子は鋭く一喝した。

 こわいぞ、つえぇ、タチバナの血だ、怒らせたら間違いなく殺されるぞ、ああだがラッシュサマーが怒るのは見ごたえがあるな、イイ女だな、やりてぇな、タチバナの血を引く子が欲しいものだな、といっそう野次馬達はざわめいた。

「いーい黒髪だ、おれはそれが欲しい」
 嫌な汗を拭いざま掻き上げた黒髪に、ロンの視線がじっとりと熱っぽくまとわりつく。
「そのタチバナの血におれを入れろ! おれにやらせろ、いや、頼むから、おれをお前に縛ってくれ、おれにその名を刻め。おれはお前のために死にたい!」
「ちょっ」
 ナイフを放り投げロンは両手を広げると、小柄な周子を抱きしめようと、
「ラッシュ、お前が好きだァァァァァ!」
 そう叫んだ途端、へぶしっ! と周子の足の裏を顔面に喰らったが。
 ロンは低い声で不敵に笑った。
「……じき、シャアラは死ぬぞ」
「なんですって?」
「あれには、おれにお前の名を刻ませるよう、命じてある」
 命に背けば死ぬ。タトゥーの呪主の命令は絶対だ。周子はシャアラを見たが、彼女は力なく顔をそむけた。
 肯定。
 重く長い沈黙があった。
「お前にタトゥーを刻むなど、さすがにそこまでは要求しない。だが想いが伝わらなくてもおれはまじで惚れたお前に隷属したい。せめておれをお前のものにしろと言っている、これ以上は絶対に譲れない、死んでもだ、誰が死んでもだ、お前の唯一の女友達が死んでもだ」
「……」
 半眼を伏せ、周子はとうとう諦めの息を吐いた。
「リィアード・リルケルム」
 ロンの名を呟く。
 そうして、誰にも聞き留められぬよう、そっと小声で己が名を呟いた。

 ロンがにやっと笑った、その瞬間。

 彼の体がぶんっ! と一度大きく、弾けるようにして宙に飛んだ。
 激しく仰け反った身体、背骨の軋む音が鈍く響き―――、
 そのまま目に見えぬ力で叩きつけられるかのように、強烈な勢いで地面に落下、激しく地に打ち付けられた。

「がはっ!」

 その衝撃に一瞬体が硬直する。そして、この世のものとも思えぬものすごい悲鳴をあげた。
 派手な血飛沫が上がった。
 ロンの体ががくがくと激しく震える。

「ふ、ふはははははははは! ラッシュ、これでおれはお前のものだ!」

 ロンの血を浴びながら、周子はその左腕を取った。
 ひどい有様だ、二の腕が切り裂かれ、とめどなく溢れ滴り落ちる真っ赤な血の向こう、肉が弾けるように何かが刻まれている。
 それはひどく残忍で、醜悪に、見えた。
 タトゥーが刻まれる瞬間をこの目で見るのは初めてだった。

「……痛い?」
「痛いさ!」
 だがおれはようやく魂の居所が定まったような気がする、とロンは言った。
 人質をとって恐喝されて。強引に名を刻まされて。不本意にもロンの呪主となった周子は、それでもやはり特別な意味ではロンのことは好きにはなれなかったけれど。
 魂の居所……。
 その言葉には痛烈に妬けた。
 ―――いつか自分も、その名を刻みたいと願う相手に出会えるんだろうか、
 周子もそれを求めている、求心力を生む錘、この世に身を縛り、強くもしまた枷ともなり得る代え難い己が魂の等価品、この身の内の何処か深い処に巣食う欠落感が、絶望的な渇きの実感で以って何かを求めているのを知ってはいるのだ。あるいはそれはミアムの種の本能といってよいのかもしれない。
「なぁ、ラッシュ?」
 その声は甘い。まるでベッドの中で心底惚れた女に囁く声だ。
「せっかくお前の名を刻んだんだ、タトゥーの呪主としてなにかおれに、命じてくれ」
「誰にも私の名を漏らすな」
 端的に周子は命じた。
 分かった、とロンが短く頷いた。
 その体は震えが止まらない、傷を押さえた利き手の指の間から、血がぼたぼたと滴り落ちている。
 それでもロンは周子を熱のこもった愛しげな眼差しで見つめてくる。
「後は……一生涯私の半径三メートル以内に近づくな」
 キッパリと言い放った周子を、ロンはあっけに取られたように見つめた。
「んなあほな。まじで?」
「そして、二度と私の下命を乞うな、以上」
 ロンは呼吸さえ忘れてみるみる青ざめた。
「……ロン、言っとくけどね、これは策でも切れ者でもない、ただの犯罪。あんたは立派な犯罪者。人質とっといてよくもまあやらかしてくれたわね、せいぜい反省しな!」
「半径三メートル以内って、好きなお前に近づけないだなんて。こりゃ死刑宣告だな! タトゥーに抗っておれは死ぬかな! やってくれたな、ラッシュ、あまりに過酷過ぎて、なんだか笑えるな!」
「笑えるわね」
 ひときわ冷めた声で周子は呟き、肩を竦めた。
 取り押さえられ引立てられる自分の新しい情夫、奴隷を見送って。まあ、要は血迷っただけの、ただの痴話喧嘩だ、大して長い間は牢屋にも入らんだろう、と思って。

 ―――出てきたら、奴から逃げなきゃ、三メートル分。さすがに死なせるわけには行くまい。

「ああなんだか面倒になってきたな、ますます」

 周子は天を仰いで大きくため息を吐いた。
 騒ぎの結末を見届け、長老が去ってゆくのが視界の端に入った。この騒ぎの原因はあいつだ、追いかけて殴り倒してこようかと思ったそのとき、
「ラッシュ! よくも私のロンを盗ってくれたわね!」
 殴られたのは周子の方だった。
 強烈な平手打ちの痛みが熱く頬を焼いた。胸倉を掴まれがくがくと揺すられる。
「……盗ってないよ」
「ええ! ええ! 分かってるわ、あのバカは勝手にあなたのものになったんだわ! でもロンはあなたのもの、タトゥーは一度だけ、もう二度と私のものにはならない、あなたが悪くないのもそりゃ分かってる! 頭ではね!」

 いっそ殺してくれて良かった! とシャアラが激しく泣き崩れて。

「一生その腕、そのまんまでいればいいんだわ!」
「えっ」
「その傷の無い腕で、一生誰をも認めず、誰を愛することもなく、誰とも関係を築くことなくただひとり虚しく世界を彷徨えばいいんだわ!」

 その言葉はタトゥーよりも何よりも、強烈な呪そのものに聞こえた。


 ―――どうしてこんなにも見るもの全てが色褪せて見えるのか。

 確かにみなの言うとおり、手近な男に熱を上げることが出来たなら。
 もっとずっと早い時期に誰かと恋にでも落ちることが出来たなら、さっさとタトゥーを刻んでしまっていれば、なにもこんな厄介な騒動を引き起こさなくて済むはずなのだ。
 それはわかっている。
 分かってはいるのだ、ただ、これという相手が未だ見つからないだけなのだ。
 誰も選ばないとは言っていないのだ、せめて、好きな相手を決めるのに多少時間がかかったっていいだろうと思うのに、この国の人間は、周子にはそんな気配すらないと決め付け、勝手に押し付けてくる、それが我慢ならぬのだ、好きな相手ぐらい自分で決めて当然のはずだ。
 どうしてそれが許されないのか、もはやこの国には居場所がない、そう思うと周子はどうにもいたたまれなくなった。

「タチバナだ、さすがタチバナだ、強情だな、男一人仕留めて情の欠片もかけぬとは、よりによって近づくなだってよ! つめてぇな!」

 絶大な魔力を誇るタチバナの血への羨望の裏返し、畏敬と恐怖、野次馬どもが口々にささやくそれらの言葉は殊更容赦無く周子を傷つけた。
 うんざりしつつ、取り囲む野次馬に寄れば、ざっ、と道が開ける。
 虚しい距離だった。

 だが、そんな野次馬どもの向こうには。
 人ごみから離れたはるか先には、かろうじて、周子の救いが待っていて。
 ―――父さん、
 微かに聴く幽玄で気品高い沈香の匂い、人ごみから離れたはるか先から、風に乗ったそれを感じて周子は一瞬身体を震わせると、安堵の息を小さく吐いた。



[tog]2:隷属のタトゥー
Created: 2005-02-07 Modified: 2008-01-16
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