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[tog]26:残照

 鳩尾を殴られたという物理的な理由が他にあるにせよ、ギャランに頭を下げられて、アシューはひとしきり恐縮したのだが、すぐさま冷静にかつ的確に宮中に指示を飛ばすや、急遽あさっての挙式を取り決め、ギャランの元にかけてきて「今日はもう早退します!」と言い切り、去っていった。ギャランの気が変わらぬうちに、とでもいいたげな勢いだった。
 冷静沈着で有能なガーナの宰相、常に渋面ながらハンサムな色男、その当年三十九歳の男が、宮中をスキップしながら駆けていった後姿を見たのは、むろんギャランや周子ばかりではない。
 首を傾げ傾げ宮中を周子の姿を探して歩いていたカズマはそんなアシューの姿を見て、一層大きく首をひねった。
 ややして、王宮内に漣のように瞬くに広がった、「王が、アシュー殿の婚姻を認められたぞ!」「式には自らご出席なさるそうだ」「王がいらっしゃるとは実にすばらしい!」といったざわめきを耳にし、カズマは、ぽん、と一つ手を打った。
「ほう、やってくれました」
 周子を使えばギャランは動く、という確実な手応えを感じて。
 ところで、王と周子、そのご当人達はどこであろう、と思いつつ、カズマは一層上機嫌になって宮中を彷徨った、ギャランがその頃、執務室にいるとは到底思えなかったのである。


「なんでこうなる!?」
 ギャランの噛み付くような勢いに、カズマは微笑んだ。
「アシューは大喜びでしたよ」
 ギャランはどっか、と執務室の王の机につき、机上に積まれた書類に次々サインをしていく。
「周子も周子だ、まんまとおれを嵌めやがって」
「国王の決裁が必要な案件は何もアシュー殿の結婚ばかりではないですからねぇ」
 ようやく、周子とギャランを執務室で見つけるなり即座に状況を見極めるや、他に国王の決裁が必要な案件を次々とあげつらって上手い具合に周子だけを私邸に帰し、ギャランを王宮に留めた挙句に政務をごっそりと押し付けたのは、他ならぬカズマである。
「おれのせいで結婚できないと言われればさすがに寝覚めが悪いからな……っていうか、もう一年も前じゃないのか?アシューが結婚するんだって、周囲に触れ回っていたのは」
「家同士の婚姻とは言いながら、アシューはずいぶんと入れあげてましたからね。心労もさぞかしあったろうと思われます」
 カズマはそう言って微笑んでみせる。
「そうじわりと嫌味を言うのはよせ。大体、お前も知っていたなら一言ぐらい言えばいいだろうに」
「どうせお聞き上げいただけないと思っていましたから」
 さらりとした、全く動じないカズマの返答に、確かにそうだろうな、とうなずいて、ギャランは少し声の勢いを落とした。
「いや、だが、アシューには悪かったと思っているぞ?」
「あなたの辞書に詫びの言葉があるとは存じませんでした」
 しれっとして、カズマはサイン済みの書類に次々と目を通し確認する。
 それからしばらくして。
 カズマはふと、国王の執務デスクに座って政務を執り行うギャランの姿を眺めて、にっこりと満面の微笑を浮かべた。

「そのお姿、実にサマになっていますよ」

 そう言って微笑んだカズマの表情が、実にやさしくて。
 それは、ギャランがいままで見てきたカズマの表情の中で、一番幸せそうな表情にも見えた。
 他人のそんな表情が、自分の気持ちを和らげることを、ギャランは今になって初めて知った。なんとなく、未だ知らぬ温かいようなものが胸に生まれて、ギャランは照れたようにこほんと小さく咳払いをすると手元の書類に意識を戻した。

 カズマがすこし呆けた表情で、ギャランを見つめていた。
 気持ちばかりか、自分の表情まで和らげることに、ギャランはまだ気づいていない。


「わわわっ!これっ!なにっ?」
 篭に山盛りの、輝かんばかりの赤く美しい果実を見て、ビックリしたように喜ぶ周子の素直な笑顔にカズマはほんのり目を細める。
「……ごほうびです。私、王が政務を執られたこの数日間ほど幸せを感じたことはございません」
 アシューの挙式の宴から帰ってきて、カズマは華美な正装の襟元を軽く緩めてさらににっこりと上機嫌に微笑んだ。
「ほう、珍しい、セリアのイチゴですね」
 カズマの夜会の上着を受け取ったエンギワルーが周子の手の中の篭を見て、感嘆の声を上げた。普段仏頂面を貫いているエンギワルーが驚く位なのだから、さぞ珍しいものなのだろう、と周子は思う。
「イチゴなんて知らない」
と真顔で言うと、カズマは、ほう、と興味深げに周子を見た。
「果物ですよ、甘くて……ええ、甘酸っぱい感じの。これは特別に手配したセリアの最高級品ですよ」
 カズマは再びにっこりと微笑んで、その優雅な微笑を見て周子は、最高級品という言葉は確実にカズマの大好きキーワードだろう、と思ったりもした。
「エンヴィ、今夜はもう遅い、明日召し上がっていただくと良かろう、お前の分も用意してある。お前にはずいぶんと活躍してもらってますしね」
「ええー!今!今食べたいよ!」
「……勿体無いお言葉ですな」
「このイチゴがある限り、今夜は大人しくしていることでしょう、お前が少しでも休めるといいのですがね?」
 カズマの言葉に、はは、とエンギワルーが軽く笑い声を洩らした。
 エンギワルーは思いの外、よく立ち働いている、とカズマは評価している。たとえ、彼に課している侍従長としての通常の職務を放棄していたとしても、だ。
 ラインハルトがどれほど細心の注意を払って周子をこっそり外出させようとも、また周子がどれほど巧に周囲の目をごまかそうとも、必ずエンギワルーが首根っこを引きずって連れてくる。
 周子を探して日夜立ち働いているエンギワルーの様子を見れば、周子はエンギワルーとむしろ仲がよいのでは、とか、そんな下手な勘繰りを抱いてしまうほどである。
 周子が渋くて素敵!と言った仏頂面が日を追うごとにしかめっ面になりつつあるのを見れば、やはりそうでもないだろうか、とか、そんなことを量ってみたりもして。

「先日は一日、良い息抜きになりました」
 イチゴの篭を周子の手から取り上げ、エンギワルーがにこりと笑った。

 周子はびっくりしてそんなエンギワルーを見上げる。この男がこんな風に笑うことがあるとは思わなかったのである。
「先日って……私がカズマ様と一緒に王宮に行っていたあの日?ああ、そう……でもなにもあんたがそんな風に微笑むなんてありえないよ……そんくらい私が憎いの?いないほうが気が休まるって?……ああ、なんかとってもやな感じ。え、縁起悪ぅうーって、感じ」
 エンギワルーの微笑みに取り乱す周子にカズマは軽く肩を竦めて。
「はは。私は疲れました、もう休みます」
 くれぐれもイチゴは明日ですよ、私も今夜はゆっくり休みますからね、今夜くらいはゆっくり休ませて頂きたいものです、とカズマは優美にそう言うと、居間を後に、自室へと引き上げた。

 疲れとともに、ほのかな幸福感が体を満たしている。
 カズマは部屋に入るとそのままベッドにうつぶせになった。何かを抱きしめるかのように、身を捩る。
 そのまま眠りに落ちるかのように目を伏せたが、やはり几帳面な性格故であろう、身なりが気になったのか、ゆっくりと身を起こし、着替えをしメガネを外す。
 それからふと思い立った様に、侍女を呼ぶとグラス一杯の酒を持って来させた。

 一口含む。

 ギャランが大人しく執務室で政務を執り行っていたこの数日は実に良い日々であった。
 宮中の臣下の者共は王がアシューの挙式に姿を現したというだけで感激の涙を流した。確かに、一国の王としてキッチリと装ったギャランの姿はまるで神のような絶対の存在感と、神々しいまでの威厳と美しさを放ち、生まれながらに備わった圧倒的な格の差というものを存分に現していた。
 自分は酔わないので、酒を飲むとすれば王に付き合えと言われたときぐらいであるが、普段酒に酔うことの無い自分が、なんだか今夜は酔いそうな感じである。王と一緒に飲みたいものだな、と今夜はカズマは思った。
 気を利かせたのか、グラスの載った小盆に、軽いつまみとイチゴが添えられている。
 カズマは何の気なしにその赤い綺麗な果実を一つ、口に含む。
 芳醇な、甘くてほのかにすっぱいその味に、実に良い手駒を手に入れたものだ、とカズマは目を細めた。
 なぜ、今夜のうちにイチゴが自分の前に供されたかなど、つゆ考えもせず、ゆっくりとグラスを空けると、心地よい幸福感に身をゆだね、カズマは深い眠りについた。

「若っ!」
 低いが、切羽詰った鋭い一声が、ほの白い寝室に響く。
 まだ夜も明けきらぬうちに、エンギワルーがカズマの部屋に転がり込んできた。しとどに汗をかいている。
「……やられました」
 まるで血反吐を吐くかのように、ぼつり、とエンギワルーが報告した。
「先ほど、王がものすごい勢いで、まるで鬼神のごとく馬を駆っていらしたかと思うと、周子を攫って。深い朝靄の中を、あっという間に……イチゴが舞って!」
 いやイチゴは関係が無い、と自分で言いながらスキンヘッドを振り振り、大いに動揺している。
「確かに昨日はほんの数粒与えましたとも!ああああんまり今すぐ食べたいと言って聞かないので!屋敷を破壊すると本気で脅すので!ですが残りは明日の朝一緒に食べようと、きちんと約束を交わしたのに!あの女、約束を反古に!イチゴが!そしたらイチゴが宙を舞って!!」
「……エンヴィ、落ち着け」
「………………」
 カズマは寝台から身を起こすとメガネをかけた。
 ベッドサイドの小盆から、酒やつまみが消え、代わりに水が置いてあった。グラスに手を伸ばし、水を一口含む。まだ良く冷えている。
 スッ、と意識が冴える。
 では、昨日自分に供されたイチゴは、周子がごねてのおすそ分けか、と吐息をついた。
「だが、王がお連れになったのならばかまわないだろう」
「ですが、王は、イーズリー卿ラインハルトの直轄領、カシナルトへ向かうと仰っておいででした」
「………………」
 カズマはメガネを外すと目頭を押さえた。
「一体どうしたのであろうな、いや……」
 周子は私の下で生活することにずいぶん文句を言っていたな、とカズマは思った。
 冷や汗がどっと噴出してくる。
「まあ、アシュー殿の挙式も無事済んだことだし、政務も殊のほかすばらしく執り行われた、王も気晴らしが必要だろう、まあよい。しばらく遊ばせておきましょう。ほうっておけ」
 カズマはそう言って。
「お前も、しばらく気晴らしをしたほうがよい。私もそうすることにしよう、どうもこのごろは精神的になにかと参っているような気がしていたことですし。むしろ、ちょうど良いかも知れません」
 自分で言いながら、強がりにしか聞こえないな、とカズマは苦々しく思う。いまさら周子を手放すわけには行かぬ、という思いだけが胸を締め付ける。
 周子が王を御する、その思いも寄らぬ効果に、夕べはかなり上機嫌であったが、それもほんの一夜。必ずしも周子が自分の思い通りには動かぬことを改めて思い知らされて。あの女は決して自分の手駒にはならぬのだ、と思うと、なんとも憎らしいような、正体不明な感情が胸中を乱す。

 あがいてもしょうがない、とカズマはそれから一週間、自邸でのんびりと、王宮へ参内することも無く、本を読んだり書き物をしたりして過ごした。
 時折、カズマはふと手を止める。
 目が宙を彷徨うが、そこに黒髪の姿はない。
 屋敷の中はこの一週間、実にすばらしく静まり返っている。
 さやかな木の葉の風に揺れる、心地よいこずえの音が窓から染み入る。
 森深き緑と泉に囲まれた自然豊かな私邸とはいえ、こうまで静かな屋敷であったろうか、と、カズマはこの一ヶ月の周子とのやり取りを振り返る。
 この静けさに、どういうわけか、心満たされぬものを感じながら。

 真っ二つの剣の洞窟から戻ったギャランがそのまま王宮に詰めて一ヶ月。そのギャランの下へ、カズマは毎日参内していた。
 だが、カズマは王宮に参内しても、夕方には必ず私邸に戻ってくる。
「なんで毎日、片道3時間もかけて、王宮へ通ってるの?王宮にも、都にも、住まいはあるんでしょ?あっちにずっといればいいのに」
 帰ってくるな、とあからさまに言う周子をカズマは短くたしなめ、睨む。
 もともと、別荘のつもりで用意している私邸であるから、王宮へ通うにはもちろんかなり不便である。エンギワルーにもその点を効率的ではないと指摘されつつも、それでもカズマは私邸から王宮へ通い、夕方には戻ってきて、そして周子と一緒に夕食を摂ることに決めていた。
 なぜならば、目が離せないからだ。
「こうして食事のマナーの一つでも身に付けていただかなくては。あなたの世話をするよう、王にきつく命じられていますから」
 食事中は口を慎むように、と冷静に戒め。
 そんなに文句言うなら一緒に座るな、食事が不味くなる、と口を尖らす周子に怜悧な眼差しを向ける。
「私がこのように接しているのは、あなたに敬意を払っているからです。それ以上もそれ以下もない、グランツ家の客人であるからです。客人であるからにはそれ相応のもてなしを致します。致しますが、受けるあなたにも、それに相応しくもっと礼節をわきまえていただきたい」
「……なんなの?もてなすの?けなすの?どっちよ」
 周子は面白くないといった表情をしてため息をついている。
「ああしろ、こうしろ、こまかいことうるさすぎ」
「ほう、いいますね」
 カズマはいっそう冷ややかに目を光らせる。
 およそ食事時に見せる眼差しではない。手にしているフォークとナイフがこの上ない凶器にすら見える雰囲気の二人である。
「いったいどれほどの労力をあなたのために費やしていると思うのです?この、グランツの、私が、なぜ、あなたのために、そこまで?」
「ギャランに売るため」
 カズマの目がいっそう冷たく光る。
「ではそれなりの商品価値を持たなければ」
「これ以上くだらないことうだうだ言ったら、その首、へし折るわよ」
「物騒な物言いです、慎みなさい」
「ヒトのことを商品扱いするのと、どっちが物騒よ?……ったく、私を思い通りに動かしたいのなら、もっと心をこめて私にかしづきなさいよ!」
「かしづく?…………グランツの、私が?」
 さすがにそう言われたときにはカズマは頭痛を覚えた。
 そんな事を言われながらも、金にしか興味のないカズマが、こうまで気に掛ける理由は、もう一つ。
 ややもすればラインハルトが横槍を入れるからで。
 ラインハルトはことあるごとに周子の興味を引きそうなことを言って来ては、自邸へ、あわよくば自領カシナルトへ、連れて行こうとする。
 現在のところ、周子の身は王の命により、グランツ家に庇護されているわけであり、グランツ家の跡取としては、庇護を任された人間を横から掻っ攫うかのような、この類の干渉は非常に面白くない。
 家名に売られた喧嘩だ、とカズマは勝手に判断している。
 カシナルトの真っ二つの剣の洞窟で、あの時たしかに周子はしばらく大人しくしている、と申し出たが。その、しばらく、というものには互いに齟齬が大きいらしく。周子としては、ほんの一週間程度だったらしい。
 一週間を過ぎたころから、周子の攻撃が再開した。
 以来、どれほどの脱走が試みられたことか。
 どれほどの破壊活動が試みられたことか。
 次の保険料更新時には掛け金が軽く三倍額を超えてしまう試算である。もともと屋敷の全壊を想定した、高い掛け金であるから、その額たるや、それこそ気の遠くなるような額である。
 なにやら、ヘンな所で、必要以上に金のかかる女である。
 これならば着飾ったり、一般的な享楽に耽ってくれた方がよほど経済的である。
 エンギワルーは必ず周子を仕留めてくるが、一週間ほどそんな追いかけっこを繰り返した後、とある深夜にカズマの寝所にやってきた。
「全く心休まる暇がございません」
 エンギワルーはうめいた。
 カズマは言葉も出ないほど驚いた。
 忍耐強く頑強な彼がそんなことを言うとはよほどのことで、カズマはひとまず彼の報酬に大いに色をつけることでなんとか謝意を表明して見せた。
 エンギワルーは仏頂面でそれを断り、ひるんだカズマは更に金額を上乗せしてほとんど無理矢理に押し付けた。
 むむ、とさすがにエンギワルーがうめいた。
 金で示すのが、そういえばこの主の好意でもあると思い出したからだ。
「では、せめて、一日でも良いから休みを頂きたい」
と、エンギワルーが申し出たのには、カズマは、こくこく、とお人形さんのように頷いてしまった。
 まさにありえない言葉である。この十年、従者としてカズマに仕え、たとえ熱があろうとお決まりの仏頂面で何事も無いかのように仕えてきた意思の強い男である。
 周子を連れて来い、と言うギャランの言葉はさんざん無視したが、ありえないほどのエンギワルーの疲労困憊ぶりに、カズマはかなり動揺し、それでカズマはようやくようやく、周子を王宮へ伴い、参上することにした次第である。

「あんたと暮らすのもイヤだけど、何もなんで私がわざわざあんなバカに王宮に会いに行かにゃあならんのよ!」
「……若、最後の砦です、効く筈です」
 周子を伴い王宮へ出向く朝、エンギワルーが仏頂面でカズマにバスケットを押し付けた。
「特製グラハムサンドです」
 大真面目な顔をして囁く。
 ぶんむくれて矢継ぎ早に文句をまくし立てる周子のその口に、カズマがそれを押し込んだのは、到底昼までは待てず、まだ日が低い時分であった。
 グラハムサンドを口に押し込むなり、周子は面白いくらいにぴたりと静かになった。
 ようやく黙らせ、カズマはほっと一息ついた。やあうまい!と歓喜の声を上げるくらいは、馬車に同乗していても我慢できるからだ。
 エンギワルー特製グラハムサンドに舌鼓を打つ周子が、これを食べ終わったら今度は一体どんな騒ぎを起こすであろう、と、カズマは戦々恐々としていたが、食べ終えた周子はあっさりと眠りに落ちた。
「眠り薬……エンギワルー、さすがだな……」
 だったらもっと早く、馬車に乗るや否やその口に突っ込めばよかった、とカズマは思った。
「最後の砦などというから、結構我慢してしまったではないか」
 軽い嫌がらせだな、とカズマは苦笑した。



 王宮にて、スキップするアシューを見送って、ようやくカズマが周子とギャランの姿を執務室で見つけたときには、周子がものすごい勢いで、カズマがしつこいだの、しつけが厳しいだの、そんな類の文句をまくし立てていた最中であった。
「……何だお前、カズマよりラインハルトのヤツが気に入ったのか?」
 ギャランはああ分かったよ、と言ってバリバリと金髪を掻いた。そして、カズマが戸口に立っているのに気が付くとすぐに顎で入室を促して。
「ようカズマ、あんまり周子に厳しくするな」
「そのような女の言に従うなど、王らしくないですね。周子だって大人しくしていればそれなりの待遇が得られましょう、そうしないのはこの女のほうにこそ、非があるからです。このような粗野な女を連れ歩いては御名を汚すばかり、今のままでは、王、あなたが恥をかきます。王が恥をかけば、周子の世話を任された私の、ひいてはグランツ家の面子にかかわります、そこは私が譲れる部分ではございません」
 白々した目を半開きにしてギャランはカズマを見遣った。
「しつこい男は嫌われるぞ?お前がモテないってのは、おれはデマだと思っていたんだがな?」
 アシューの婚姻のほかにも、国王の決裁が必要な案件は多々あります、と、カズマは表情一つ変えずに、論理を武器に力づくでねじ込んだが、実は内心大いに、ギクリ、としたものだ。

 巧みに周子を私邸に帰すと、アシューの挙式が済むまでギャランを王宮に留め、その間政務を執り行わせた。出来るだけ多くの臣下の者に王への目通りをかなえさせ、若く美しく雄雄しい新国王の姿をその心に刻ませた。国王への忠誠を誓わせた。

 今回はそれでよかったではないか、と思う。
 今までに比べればずいぶんと大きな進歩である。十分である。

 だが。
 カズマは利き手の中指で軽くメガネのブリッジを押し上げた。
 ―――もうかれこれ一週間。
 ギャランが明け方に襲来するや周子を横抱きに抱え上げ、真っ赤に熟した食べ頃の美しいイチゴが舞い降る中、まだ夜も明けきらぬ朝靄の中を馬を駆り立てて間道を疾走し、必死で追いすがるエンギワルーを振り切るやそのまま、カシナルトへ。
 そうして、かの地に、かれこれ一週間の足止めを食らっている。

 周子を束縛したのが裏目に出た、というのを認めたくはなかったが。
 さすがにこれでは、ラインハルトの思うツボである。

 王になることを拒否し落籍したギャランの世話をしているのは、グランツ家でありこの一年、ギャランは事実上、グランツ家に入り浸っている。王とグランツ家の密月関係、これは揺らぎようのない事実であったはずなのだが。
 そのグランツ家の跡取という矜持も、王が一週間も他所に出たまま、となるともはや保つどころではない。
 ―――周子。
 カズマはその名を呟く。
 彼女は王を御する手駒である。彼女を使えば、王は面白いようにコロリと動く。
 動くのだが。
 問題は手駒、そのものの性質である。
 粗野で、勝気で、頭がよく、言葉鋭く。
 一般に言うところの女らしいしとやかさや美しさは微塵も無いが、動物的な強さを、本能的な輝きとしなやかさを、美しさを持っている。
 手駒として思い通りにならぬどころか、王を面白い位に簡単に動かす反面、カズマの意図せぬ、別な事態にまで王を巻き込む。
 ―――よもや王をラインハルトの下へ一週間も留まらせるとは。
 王を巻き込むところが、まことに恨めしい。
 グランツ家宗主のただ一人の正嫡として、幼少の頃より宮中へ出入りし、権謀術数のめぐる中、自身も数々の手駒を自在に操り、謀略の限りを尽くしてきた。その実績が今日のカズマを為している。
 だが、これほどに御しがたい手駒というものは初めてである。

 カズマは微かに息を吐いた。
 自分は確かに、目的のためには手段を選ばぬ怜悧なところはあるが、基本は穏やかな気質である。
 いままで生きてきて、これほど人を恨めしいと思ったこともない。
 自分は王の寵愛を一身に受けている、事実上の側近中の側近である。自分への王の関心が奪われたとか、そんなありきたりな嫉妬などではなく……。
 まことに、恨めしい。
 恨めしい。ただそれだけだ。
 王は関係なく、もちろん周囲とて関係なく、周子自体が、恨めしい。
 張り倒したい、と正直思う。

「……………………」
 何食わぬ顔を装って書き物をしていた手を、とうとう止めて。
 インク壺のフタをきっちり締めると、カズマは椅子から立ち上がり、外衣を手に取る。
「馬を引け」
 主の声に、エンギワルーが大いに戸惑った表情をした。いつもは無表情な彼の、珍しいその表情に問えば、
「本日は午後より、宰相アシュー殿とのご予定がございますが」
と冷静な声が返ってくる。
 珍しいのは主人の方だと、困惑した表情が語っている。
 カズマがあらかじめ取り決めた約束やスケジュールを無視するなど、これまで一度もなかったからである。
「……キャンセル」
 短く呟くと、カズマは玄関へ向かった。
 行き先を聞かずとも、エンギワルーにはカズマの赴く先が分かった。


「ずいぶんと……その、機嫌が良いですね?」
「そうか?」
 ギャランはソファのひじあてにひじをついて、斜めに寄りかかっている。
 あでやかな金髪、長い睫の影を色濃く落とした青い瞳。精悍なラインを描いた白皙の頬はピクリともしない。
 ぱっと見、普段とそう変わらない不遜で憮然とした様子に見えるが、付き合いの長いカズマが見ればその機嫌の良さは一目瞭然だ。
 自分の下を離れ、王はラインハルトの下でこんなにも上機嫌に過ごしていたのだろうか、と思うとどうにも不穏な気分になった。
 ギャランは長い足をもてあますように、組んだ足の靴先をゆらゆらと揺らしている。
「王はずいぶんとあの、あの……なんていったらいいのでしょう……」
「周子か」
「……ずいぶんとお気に召しておいでのようですが」
 明らかに馬を飛ばしてきたというのが分かる、乱れた緑の髪を見て、ギャランの目がゆるみ、少しだけ微笑む。
「いまさらだな。言いたいことがあるなら率直に言え」
「やはり危険ではないかと」
 ギャランはにやりと笑った。
「では、そうならぬよう、おまえが監視しろ」
 青い目がカズマをまっすぐに見つめてくる。決して他の臣下の者には向けぬ眼差しである。
「だいたい、この一週間、よくもまあ、放置したものだな。おれはお前がいつ迎えに来るものかと待っていたぞ?」
 自分の忠告は読まれていたらしい、冷ややかなその声に少しのからかいの色がある。
 だが、待っていたと言ってもらえたのが、嬉しかった。
 となると、いまこうして機嫌が良いのは、自分が迎えに来たから、ということなのである。
 王が、特段好んでラインハルトの下に留まっていたのではないと分かったのが、嬉しくて。周子がいようがいまいが、王は自分を必要としてくれていると思ったりして。

 したのだが。

「私は王を迎えに来たのです」
「あれがここにいてはおれはこっちに入り浸りだぞ」

 うぐ、とカズマは沈黙した。
 たっぷり間があいた後、カズマは眉根を引き寄せ、覚悟を決めた。
「正式に、後見人の手続きを致します」
「よし」
 にんまり笑うギャランになんとなく、不穏さを覚えつつ。
「ただ、わざわざなぜこの私が正式な後見人を名乗らねばならぬのかその理由が分かりかねるのですが」
「二言はねぇだろ、ごちゃごちゃ言うな」
 剣の腕には多少の覚えがある。
 株と先物取引、金融市場の操作にはかなりの自信がある。
 だが、剣筋を見切ることと、金融市場を先読みすること以外では、自分の直感というものに、カズマはさほど敏感ではない。
 暑い夏の日の午後に馬を駆って飛んできたが故のその汗に、なにやら得体の知れぬ、不安の汗が混じる。
 カズマは知れず、額を拭った。
「周子!帰るぞ!」
 ギャランが声をあげると、窓の上からひょい、と黒髪が逆立って覗いた。
 屋根からぶら下がり、逆さに部屋を覗き込む姿、およそ女性とは思えぬその行動に、カズマはギョッとし……ギャランはまるでサルの子をあやすような、慣れた手つきで腕を伸ばすと、周子を下ろす。
「……これまたすごいところから登場ですね」
「あら、カズマ様、こんにちは。」
で、何の用?グランツの坊ちゃま、と一際冷たい。
 周子はひく、と引きつったカズマの反応も不要、というように、まるで無視すると、ギャランを見上げる。
「ずいぶん陽にあててもみたけど、やっぱ変わんなかったわ。まあ、白でも黒でもピンクでも、使えりゃあいいって、クル本人も言ってたんだから、いいんじゃない?」
 そう言って真っ二つの剣をギャランに差し出す。
 カズマは周子が平然と剣をつかんでいるのにも驚いたが、ギャランが鞘を抜き、検分する真っ二つの剣の白刃が、今や黒く染まっているのには息を呑んだ。
 左薬指の呪いの指輪の放つ底知れぬ黒光には程遠いが、そのうちそんな色に染まりゆくにちがいない、そんな妙な確信に、得体の知れない不安に、カズマは知れず震えた。

 だが、ギャランは落ち着いた様子で頷いている。
「まあ、黒い方が、なんか強そうではあるな」

 思慮深く人心に篤い王、からはおよそかけ離れた、ギャランの率直過ぎる言葉に胸を痛めるのはいつものことで。
 カズマは再び汗を拭うと、当り障りのない言葉を選ぶ。
「カシナルトの間道の外れに、夕陽の綺麗な丘を通りますよ」
「だまして連れ帰る気でしょう」
「まあ騙されてやれよ」
 周子は、聡い。
 ギャランはそんな周子が面白くてたまらないといった風に、肩をぽんぽんと叩いてなだめてみせる。
 ―――普通の女なら、まあ素敵、の一言ぐらい、言うのではないか?
 そう口に出せば、勝気な黒い目で、矢継ぎ早に切り返されるのは分かっている。
 容易に想像つくのがまた、恨めしい。
 猿轡が、本気で欲しい、と思う。
 彼女を縛り上げて柱にくくりつけるか、いっそ簀巻きにして外の道をずるずると引きずって歩いたら、どれほど心がスッ!とすることだろう。
 そしてその奇妙な思い付きを振り切るようにカズマは軽く頭を振った。
 ―――このところ、私はおかしいな。
 ギャランと周子を伴い退出すると、屋敷の奥から慌てて出てきたラインハルトが思い切り文句を言い始めたが、カズマは微笑んで適当にあしらいつつ、確実に二人を馬車に乗せ、ようやく自邸へと回収する途についた。

 間道をゆく馬車の窓から、赤い光が斜に差し込んでくる。
 見事な金髪を赤く染め、秀麗な面持ちをこの上ないほどに上機嫌に輝かせ腕を組んでいる王の肩には、夕陽の見える丘に着くまでもなく馬車の揺れに任せてあっさりと眠りに落ちた周子の頭が乗っている。
 カズマは息苦しさを覚え窓の外に目を移す。
 夏の盛りの夕日は天と地とを境目の分からぬほどに赤く色濃くねっとりと染め上げ、低く垂れこめた赤い空が、暑くむせた空気が、ひときわ、重い。

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