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[tog]28:魂の一番美味しいところ

「もっとも、おれは……お前にだったら憑り殺されてもウェルカムだ。絞殺、バラバラ、焼死体、何でもおっけーだ」
「キスを迫りながら言う言葉じゃあないわね?」
「だったら黙れよ」
 黙るのはあんただろう、と思いつつ、周子は青い目がスッ、と伏せられるのを間近に見た。素直に応じる。
 何度かキスをして、ギャランは首をひねった。
「イイ。なんでこんな気分になるのかな。えれぇー、いい気分だ、こんなの初めてだな?」
「仕方ないわ、タトゥーが……」
 周子は己の額にじんわりと冷や汗が浮いてくるのが分かった。
 胸に湧き上がるギャランへの恋情を、なんとかねじ伏せようとするが、タトゥーのもたらすその勢いには抗いようがない。
 気が遠くなるような甘美な感覚が、左腕からじわりじわりと体内を冒す。まるで毒のようだと思う。
 やがて周子は小さく熱いため息を吐くと、ギャランの首に腕を回した。
「あなたに、抱かれたいわ。このまま抱いて」
「……えっ?」
 ギャランの驚いたような強い瞳に、ハッ、と周子は我に返った。
「私、今なんて言った?」
「おれに抱かれたいって」
「げ、最悪」
 周子は身を起こした。
 黒髪を揺すり、ばりばり、と軽く頭をかきむしる。ちくしょう、とかなんとか、粗野な言葉を吐いて。
「今の、忘れて!」
 キッパリとギャランに言いつけた。ギャランは変な表情をしはするがうなずいて。
「抱かれたい、って、最悪、って、なんだそれ、なんだかおれの方が最悪な気分だぞ、なんかうまい食い物を目の前で取り上げられたような。なんとも気に障る、情けない気分だ?」
「全く油断も隙も無いタトゥーだわね」
 ちっ、と舌打ちして、周子はベッドから下りると、頭冷やしてくる!とバスルームへ駆けていった。
 やがて、水の滴る黒髪をタオルでばっさばっさ拭きながら戻ってきて。ギャランを見てさもうっとおしそうに半目を伏せて睨んだ。
「やだ、まだ居たの?」
 あまりなぞんざいなその言い方に、ギャランはぐ、と言葉につまって。
「お前、おれのこと、おちょくってるだろ?」
「ああ、ストップ、あまり近寄らないで。ええと、そうね半径3メートルぐらい?」
「あほかっ!遠いっ!」
 それじゃあドアの外だろう、とギャランはツッコむと、周子はさらりと言った。
「ああ、だからさっさと出て行ってよ……出てけバカ。いっそこの左腕を切り落とすってのはどうだろう、ああ、私、気が狂いそう」
「そんな格好で何物騒なこと言ってやがる!」
 周子はバスタオル一枚だが、まとっている雰囲気には少しも色気が無い。昨夜の妖艶な様とはまるで別人である。
 周子は真面目な顔をしてギャランを見た。
「タトゥーを刻まれた私はしょうがないとしても、タトゥーの主にまで好いたの惚れたの、ヘンな影響が出るとは全然知らなかった、ギャラン、あなた私のこと好きなんでしょ」
「お、おう」
 周子の率直な問いにギャランは少し赤面しつつもコクリとうなずいて。周子はというと全く気の無い様子で、はーあ、と面倒くさそうにため息を漏らした。
「おかしいな。例えばロンはシャアラに名前を刻ませて、でもロンはシャアラを好きではなかった。むしろ抱くだけ抱いてひどい目に……挙句、ロンは私が好きだって言い張ってた」
「ロン、ってお前の昔の男かよ?」
 たちまち青い瞳が嫉妬に揺れる。
「違う。他の女のタトゥーの主なのに私を好きだって言ってたの。タトゥーの主は己の名を刻んだ相手のことは別段に好きになることは無い、って思ってたんだけど。だからあえて互いに名を刻み合うんだって思ってたんだけど。刻み合えば互いにラブラブというか、何より安全な感じ?ベースもそれを推奨してた」
「おれがお前に惚れたってのは、タトゥーは関係ない」
「あー……黙って。聞きたくない」
 周子は冷たく斬り捨てる。
「タトゥー、どうして隷属の、ってつくのか教えてあげましょうか」
「何でも言うこと聞くからだろ?」
「言うことを聞かせるのに手っ取り早い方法は?」
「そりゃ命令だろ」
「甘い」
 周子はキッパリと首を横に振った。
「主のことしか考えさせなくするのよ。いつもいつも主のことばっかり考えて、喜ばせることばかり考えて、主に尽くすことが最大の悦びになっちゃうのよ、惚れ薬というものがこの世にあるのなら、それのすっごく強力なやつを飲んだ、みたいな」
「じゃあ、何だ?お前はおれにぞっこんラブか?」
「……不本意ですが」
 まじでぇ?とギャランは素っ頓狂な声を上げた。びしっと周子を指差して。
「だがお前、全然おれに冷たいだろう、愛だなんて微塵もねぇ!」
 愛ですってぇ?一体何処に!どうしたらあるって言うの!と今度は周子が素っ頓狂な声を上げる。
「精神力がかなり強いですから。一族最強のタチバナの血ですもの。セーブというかコントロールというか、タトゥーを刻んでいようと、冷静さを、正気を保ってはいられるわね。でも時々は……魔力が不足していたりする時に、たとえばその美形で素敵な寝顔をじいっと眺めてたりとか、そんなときはいっそどうにかなってしまいたい気分になる、タトゥーの効力はものすごくキツイわ」
 抱いて、だなんて、あんた相手に正気で言える言葉じゃないわ、だから忘れて、と周子はキッパリと言った。
「あーと、えーと、じゃあ、おれは、損してるってことか?」
 ギャランはそう言うや、ばりばりと頭を掻いて、首をひねった。
「お前がそれほど魔力が強くなけりゃア、おれたちゃとっくにフォーリンラヴの、ランデヴーの、メイクラヴでやりまくりってこったろ?」
 ぶわしっ!と濡れたタオルが飛んできた。髪を拭いていたそれを、うぷ、と顔面にまともに食らい、周子のシャンプーの匂いにクラリ、と来てしまう。昨夜の姿があまりにも印象深くて、いっそどうにかなりたいものだと思った。
「だからあんたはバカだって言ってンのよ!」
「つまりはおれたちゃ両思いのラブラブカップルってこったろ!」
「ダレが!」
 周子が心底アッタマに来た、といった表情をギャランに向けた。
 ものすごい速さで印を組むと軽く息を吸った。
 不穏な魔法風が周子の足下から巻き上がる。
「もいっぺん、寝てろっ!……クオム!」
 途端に石化したギャランがベッドに転がった。
 周子はくらり、と強烈なめまいに襲われて。
「ああ、夕べハンズに魔力をやったんだった。うわー、強烈に足りない感じ……しかも、こんな、ギャラン相手に無駄遣いしてるし」
 ああ、あほらしい、と周子はふらふらとダイニングへと向かった。
 まずは食べるのが先である。魔力が十分であればそれだけタトゥーへの抗力を保つことが出来る。さっきギャラン相手にあんな気分になってしまったのも、つまりは夕べハンズにえさをやったのが一番の原因だと思い、いささか軽率だったと後悔した。
「封印の書、あのヘンな奴の所に取り返しに行かなきゃだわ」
 ハンズは修三のもので周子の使役獣ではないのだから、何も世話をしてやる必要は無い。修三がいない今、主を失った使役獣の運命は過酷なものだ。魔力が尽きて朽ち果てるか、新たな主を見つけるか、選択肢は二つしかない。一体どうやって探し出したのか、こうして周子の前に姿を見せたのも、周子を頼っているに他ならないのだろうと……なんだかそれが健気で見捨てられなくて。よりによってタチバナの魔力をフルチャージで周子は与えてやった。
 だが、考えてみれば、修三の使役獣はこればかりではないのである。
 それこそ、封印の書から出し入れ可能な使役獣だけでも膨大な数の魔物を飼っていた。下手をすると、それがごっそりと周子の下に押しかけてきかねない。
 修三と使役契約を結んだ使役獣は封印の書に戻れば、その効力によって魔力をチャージすることができる。封印の書は、使役獣にとっては快適な住空間である。コレさえあれば、ハンズでも何でも、それこそ数がどれだけいようが十分に養ってやることが出来る。
 だが、同時に。
 修三は自分に与しないものはさっさと封印の書の奥深くに封印していた。恐いのはこっちの奥にいるほうだ。
 契約を結ぶことなく封印された魔物はただ封印されるだけで。
 ただ封印されるだけ、というのは魔物でなくとも陰鬱になるだろう。つまりは相当な恨みを買うという事だ。
「我らを召喚したのは貴様か……なんつってイチイチ礼をされても、困っちゃうしねぇ……ああ、厄介、ドコが礼なのよ、礼って、礼ってモンが何なのか、キッチリしつけるべきだわ、父さんの手抜き」
 やれやれ、と周子は首を回した。真っ二つの剣を手に入れたときに遭遇した異形の天使の言葉を思い出す。
 修三の気に入らなかった魔物である、周子が気に入るはずがない。
 もし、かの書から出てくるのであれば、ともすれば力づくで組み伏せねばならぬ。そのためには魔力を温存しておく必要があるのは確かだ。

「周子、王がなにやら石になっているようだが?」
 エンギワルーがようやく、慎重に慎重に周子に声をかけたのは、食事を終えた周子がデザートの果物を口にしているときだった。
 ダイニングに姿を現した時にはギョッとするほど機嫌が悪かったのに、腹の膨れたが故か、今時分となってはかなり落ち着いたような表情で、むしろ上機嫌で。
 声をかけても瞬殺されずに済むであろうタイミングを見計らってようやく声をかけたのである。
「王に迂闊に手を出すな。若がお戻りになられたら、きっと怒られるぞ?」
 エンギワルーの言葉に、周子ははっとして。
「ああ、悪い、忘れてた!」
「忘れてたのか、王を?あんなザマで?そりゃあんまりだ」
 エンギワルーが呆れきった様子で呟いた。

 周子によって石化を解かれて、ギャランはやれやれと首や肩を回した。
「あは、悪かったわね、ギャラン。ちょっとやりすぎたかも」
「お前は前もそうだった。前は半殺しだったしな、ったく、スペルを吐く前に気づけよ」
 うんざりと、半目を伏せる。
「なんかすっかり、いつものカオだな?」
「おかげさんで、魔力もだいぶ回復しました」
「おれは嬉しくねぇな。お色気に迫られる方がよほどいい。やっぱ夕べのうちにいっぺん抱いとくんだったな。きっちりたっぷりじっくりおれに抱かれりゃア、ちったあ気が変わるってモンだろが」
 周子はあきれたように息を吐いた。
「もいっぺん、石になる?」
「魔力の無駄遣いをすんな」
 ぽん、とギャランが周子の頭を撫でた。
「あんま、心配させんな。無理すんな。なにも無理してタトゥーに抗わなくたっていいじゃあねぇか、力を抜け。身がもたねぇだろ?」
「……ギャラン」
 ―――この男は、優しい。
「おれとお前とは切っても切れぬ、タトゥーの絆で結ばれたラブラブ・ラヴァーズ!ってことでもういいだろ、おれはいいぞ、お前にぞっこんだからな」
「!だから、それが既にやばいんだって。精神乗っ取られてるよ」
 周子はやれやれと息を吐いた。
 一瞬なりとも、優しい男だと思ったのが間違いだった。どれほど見目が良くとも一度口を開けば、とことんお粗末な男だ。タトゥーがあろうとなかろうと、初めて会ったときからそうだった。
「あんただって、いやでしょう?こんなヘンな呪の所為で恋に落ちた気分を味わうってのは」
「ああ。だがな、おれのは呪は関係ねぇぞ?おれはお前に一目ぼれだ、おまけにお前がおれを擁護してカズマをひっぱたいたのを見た時にゃあもう、お前しかいないと思ったね、だからソッコー、おれはお前に惚れたって告ったろ」
 周子はなんとも嫌そうな表情をした。
「だっから、バカだって言ってんのよ!それも呪の仕業よ!疑いなさいよ、全くもう!」
 本当にそうなのか?とギャランは唸った。
「タトゥーの所為でそんな気分になってるだけなのよ。タトゥーに騙されてる、自らバナナの皮を踏んで滑るようなもので無意味に墓穴をほるようなものだよ!」
「バナナ?まあそれはわかりやすい気もするがな」
 ギャランがぽん、と手を打って笑った。
 バナナ、バナナねぇ、と口の中で繰り返す。
「隷属のタトゥーとやらがなんでこの世にあるのかな?なんかさ、隷属って、やらしくないか?ご主人様の好きにしてもいいってこったろ?ご主人様のバナナをどうか私の……イテっ!」
 周子に叩かれて金髪が揺れた。ばか、と周子が毒づく。
「ミアムの召喚の種はこの世界で唯一のスペルユーザー、魔法を使えて魔石の効力を発動させることの出来る種族ですもの、やっぱ枷の一つや二つ無いと、ってトコなんでしょう?世の中のバランスとかっていうの?」
 私だって全然知らないのよ、と言われてギャランはうむ、とおとなしくうなずいた。
「まあ、とにかく。バナナをドコに咥えるかはともかく……イテッ!」
 再び頭を叩かれて。ギャランは涙の滲んだ目で周子を見た。射殺しそうなほどにキツイ黒目が睨んできて、ギャランはぶるりと身体を震わせた。
「バナナはまあともかく。好きにしてとかいう隷属の主を探すのは、結構、人選にはシビアでいたいものだな?下手に世界征服、とか言われちゃぁたまらんな?」
「おっと、まともなこと言うわね!だから好きな相手の名を刻むんでしょう?お互いに大事にしてくれる人っていうか……ほんと、恋人探しよね。ああ、人選、人選ね!私の人選する権利は一体ドコ?確かに私は周囲の人間に文句言われるほど、人選に慎重だったわよ!ああ!そうよ、私の同意ナシでタトゥーを刻むだなんて、あんたって本当に酷い事を私にしたのよ!怒りすら感じるわ」
 ギャランはふうーん、と軽く唸った。
「普通は、恋に落ちてからその名を刻むのが手順だと?」
「ええ」
「じゃあおれたちはその反対?」
「そう、あんたが勝手に名を言い当てた挙句に名乗ったのよ」
 召喚の種への冒涜よ!本当にひどいことやらかしたのよ!と周子はまくし立てた。
ふうん、とギャランは納得したようにひとつうなずいた。
「ま、常套的手段の逆を突き、だが結果として同じかそれ以上をもたらすというのは、逆説的手法によってもなお同じ結果が証明されるってのは、まあつまりは一つの真理であるってこったな」
 その言葉にビックリしてまじまじと見たが、そこにあるのは、いつもとまるで変わらぬあっけらかんとした表情で。
「じゃあ、おれたちもいつかはそんな風になるといいな!」
 そう言って、にかっ!と笑った。
「良くない!」
「心配すんな。おれはお前のタトゥーの主たるに相応しい男になってやるぞ。要は順番の齟齬が気にならぬくらい、お前がおれに惚れればいいんだろ」
 魂の一番美味しいところをがっつりと食まれたような。むしろ魂でも心臓でもなんでも差し出して、もう好きにして欲しいような。
 周子は胸を突かれてギャランのその笑顔をしばし見つめた。
 これほどタトゥーの呪がきついとは正直思っていなかった。


 正直、ひどく落ち込んで。周子はダイニングに戻ると、熱い紅茶をすすった。はあーあ、と深いため息をつく。
「おいし。あなたみたいな仏頂面なおっさんがなんでこうも美味い紅茶をいれられるのかしらね?」
「プロの従者とはこういうものだ」
「ふうん、じゃ、この食卓の綺麗な切花もプロの従者の仕事ってことね。あんたが朝方に青虫取ってるの、見たわ。カズマ様に聞いたら、脱走を企てる私を追いかけるのに忙しくて、危うく枯らすところだったんですって?庭の花壇」
「え?ええまあ」
 それこそ意外そうにエンギワルーが頷く。
「園芸は、得意でしてな」
「ここでぼうっとしていたら身体もなまるし。あなた、いい体してるし、体力あるし丈夫だし、で、まるでクルと遊んでいるかのような、そんな気になっていたのよ。実際私の体術はクルに仕込まれたものだしね。たった一日、私が王宮に行くだけであなたがあんなに喜ぶだなんて、そこまで嫌われていたなんて、ちょっとというか、なんだか実はかなり落ち込んでねぇ……わがままが過ぎたわね」
 ―――そうよ、私のわがままなんて父さんにしか叶えられない。
 周子は軽く頭を下げた。
「悪かったわ。もう脱走はしない。今まで脱走だ何だとあんたを振り回して悪かったわ。これからは大人しくしているから、どうか夜は眠って」
「……あなた、何かあったか?やけに殊勝だな」
「うわー、傷つく。信じてないって顔ね」
 周子はかちゃりとカップを置いて、はあ、と息を吐いた。
「たまには私だって落ち込むわ。自分の身体がこんなにも自由が利かなくなるなんて、思ってもみなかった。誰も……父さんもそんなこと……タトゥーの呪がここまでひどいものだなんて、一言も教えてくれてなかった、私、あんまり知識が無いのよ。今度、っていつも父さんは先延ばしにはぐらかして。召喚の種のこともタトゥーのことも、封印の書のことも、分からないことだらけ、もう私、なんだか一人蚊帳の外って感じで」
 ほんとに父さん、何考えてたんだろう、と周子はテーブルに額を落とした。
「あなたが蚊帳の外なら、われわれは屋外だな」
 やれやれ、といったように冷静にエンギワルーが頷いた。
「自分に不足しているものがあるのなら、それを持っている人物にコンタクトをとるべきだ、向こうもそれを待っているだろう」
「………………」
 息を呑んだ周子の何か言いたげな目線をいつもの仏頂面でねじ伏せて。
「先ほどは、王とは何か、不穏な会話をなさっていたようだが?」
「不穏?」
「若が赦すわけが無い」
 あ、と周子は口元に手を当てた。
 ギャランが自分とラブラブだのなんだのそんなことを言って騒いでいたのを聞かれていたようである。
「ひょっとしてギャランの相手ってのもカズマ様が決めたりする?」
「どうであろう……だが、少なくとも、失礼だが、若はあなたを薦めたりは決してしないだろうな」
 周子はくすり、と笑った。
「ははは。確かに失礼だけど。ええ、私もそう思うわ」
「そもそも、あなたには既に定めた相手がいるはずだ、余所見をしている場合ではないだろう」
 周子はそれこそ意外なことを言い出したエンギワルーをまじまじと見た。年長者による助言、ではおさまりきらないようなことを、この男は言い出したのではないか?エンギワルーは何一つ表情を変えず、念を押すように再度、今度はその名をはっきりと口にした。
「あなたの相手はロレンスだ」
「うそ、なんであんたがロレンスの名を?」
「そばに主が居なくとも主の意思を果たす。プロの従者とはこういうものだ。王にはあまり近づくな」
「あなたの主って……」
「若だが」
 ―――本当にそうなのか?
 周子は急に不安になった。どれほどじっくりとその顔を見つめても見慣れたいつもの仏頂面には何一つ表情が浮かんでいない。
 ―――このあたりもプロの従者を自負しているといったところか。
「……って言うよか、プロの坊さん?」
「……私の表情を変えてみようと思った上での発言であろう?そうはいくものか」
「はー、はいはい、プロね。私の負け」
 周子は軽く肩を竦めた。美味い紅茶の甲斐もあってか、気分が少し楽になったような気がする。仏頂面でもスキンヘッドでも、この男は気遣いの良い男なのである。気難しいカズマがそばに重用するのも分かる気がした。

「エンギワルー、おめぇ死にたいか?」
 いつのまにか、戸口に寄りかかりギャランが腕組みをして立っている。その声はひどく苛立ちに満ちている。
「おれがくどいてんのに水差すな。よりによってロレンスの名を出すな、おれはかなり本気でむかつくぞ」
 むかつく、と口に出してみると一層気が立ったようであった。
「すげぇむかつく。周子お前何茶ぁ飲んでんだ!しかもいつの間にエンギワルーとそんなに仲良くなってやがるんだ?おまえ、マジで気が多いオンナだな?」
「多いも何も」
 周子は笑った。
「だったら、ガーナ一モテモテだと仰るあんたの方が多いのでは?ヤりまくりなんでしょ?」
「茶化すな!」
「茶化すも何も。あんた何をそんなに目くじら立ててるの」
「知るか!」
 周子はさばさばと肩を竦め、ご馳走様、と席を立つ。これ以上付き合っていられないという旨を言外に表明して。
「おい、何処へ行く?」
「エンギワルー、馬車出せる?王宮まで」
「王宮?おい待て、おれに無断でそんなところに出入りする気か、っていうか、まずはおれに言えよ、おれに!」
「何言ってんのよ、王宮嫌いのクセに。あんたにかまってちゃあ日が暮れるわ。私、忙しいの。それにアシューやラインハルトにもいろいろと聞きたいことがあるし」
 ギャランは目を剥いた。
「だからどうしてそこでアシューやラインハルトの名が出てくる?なにかあれば、おれに聞け、おれに言えと言っているだろう!」
「別にあんたが世界の中心て訳でなし。私は私で動くことに決めたのよ。ロレンス探しにね。使えるツテは何でも使うわ。あの人たち、権力者なんでしょう?」
「おまえ、頼る相手を間違ってるぞ!?」
 ギャランが驚いたように目を剥いた。
「権力者だと?この国で一番の権力者とは誰だ!国王の、この、おれだ!」
 そう叫んでギャランは、びっ!と親指を立て自分の胸を指したのだが。
 たちまちのうちに周子が眉根を寄せた。
「かはー。この、矛盾した存在が、ほんとむかつくのよね?おれは王ではないとさんざん言いまくってるくせに、都合のヨサゲなときだけ王様になるなんざ、あつかましいと思わない?これで信用しろったって出来るわけ無いじゃん、お・バ・カ」
「…………………」
 ギャランは二の句が接げず、呆然と立ち尽くした。

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