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[tog]29:宰相アシュー

 周子を伴いひょっこりと王宮の執務室に姿を現した国王。
 さてどちらがどう伴われたのか、その実際はエンギワルーのみぞ知る。
 アシューは椅子から腰を浮かせ呆然と国王の姿を見つめた。まるで不意に目の前に神でも降臨したかのように。
「……お、お待ち申し上げておりました」
「待たせちゃいねぇ」
 キッパリ、ギャランは首を振る。
「丁度ようございました、実は……」
「!おめぇが決めろ!」
 おもむろに決裁を仰ごうとしたアシューを足蹴にする。
 そのあまりな暴虐ぶりに、周子がふう、と息をつく。
「アシュー、私あなたにいろいろと聞きたいことがあってきたんだけど」
「え?ええなんなりと?」
「だーっ、畜生、だからなんだ!おれに何を決めろっていうんだっ!?早く言え!寄越しやがれ!」
 ギャランが周子を遮り、アシューの手の中の書類を奪い取って目を通す、アシューの話を聞き、いくつかの言葉を返した。
 それから心底うんざりしたように首を振った。
「こんな事しに来たんじゃあねぇ、鍵だ、資料室の鍵を取りに来た、いつもの場所にねえぞ、一体何処にやりやがった?」
「ええ、鍵はいつもとは別の所で保管しております。無論、鍵は差し上げます、ですがその前にこちらの処理をお願いしたい」
 山と書類の積まれた机を指差す。
「……もちろん全部とは申しません、三分のニ、で結構でございます」
 ギャランがたっぷりと沈黙した。
 うーむ、と首をひねる。
「お前、したたかになったな、お前のイイトコロは実直なところだった筈なんだが?」
「いいところ、など、そんな……勿体無いお言葉です」
「今は影も形もねぇな?」
「ぐ」
 なるほど、実直な男なのらしい、傷ついた表情をして自分より一回り以上も年の若いギャランを見つめる。
 ギャランは全然お構いなしで。自分の放った嫌味にも気づいていないかのようである。
 ギャランは資料室とやらの鍵を探してアシューのデスクの引出しを覗いたり、デスクの上の書類の束をひっくり返したり、と、ひととおり執務室の家捜しをした後、あきらめたように大きく息を吐いて頭を掻いた。
「大体、あの鍵と引き換えなど。あれはおれのだ。その上、三十パーセントオフ、割引セールでお得感アリアリだ、ちったあ、手を出してもいいような気になるじゃあねぇか!」
 ふん、と大きく鼻を鳴らす。
「お前も一国の宰相ならばもっと権限があるはずだ、同じ割り引きならもうちっと、七掛けくらいに気前よく行け!」
 アシューは苦笑した。
「……王、なにやら駆け引きがお上手になられましたな?」
「毎日危ない橋を渡ってるからな、今日は石化で済んだがな」
 その物言いにアシューは小さくため息をつくと、解説を加えた。
「ですが、七掛け、というのは、上代に七割を掛ける、ということでございまして、つまりは三割引きと同じでございます。三十パーセントオフ、そのまま、それでよろしゅうございますね、ではこのままデスクに御付き下さいませ」
「えっ」
「……今のドコが駆け引きなの?」
 周子はすっかりあきれて。
 だが、ギャランのその態度に、周子の気は多少晴れたと言っても良かった。
 確かにその態度はぞんざいだが、以前とはうって変わって打ち解けたようで。カズマを相手にするような、周子の知っているいつもどおりの口調でアシューにも話をしている。例の、近寄りがたい、奇妙なくらいにかたくなな冷たさはいつしか解けていて、その様子に周子はなんだかほっとしたのだ。こっちの方がよほどギャランらしい。
 それに。
 見たところ、なんだかアシューはカズマよりもはるかにギャランに甘い気がする。
 ラインハルトもギャランには妙に甘いし、ひょっとすると国中の臣下がこんな調子かも知れない、と思って。
 ―――それじゃあ、いやでもバカになるはずだ
 カズマも相当ギャランに甘いが。だがその違いは、例えば何かギャランが無茶を言ったとして、アシューやラインハルトは困りましたな、と唸りおたおたとなだめようとするのに対し、カズマは叶え得るものであれば万難を排してでも叶えるが、そうでないものはダメなものはダメ、とキッパリ却下する、そんな感じだろうか。
 ともすれば、ひょっとしてひょっとすると、カズマこそがこの国でギャランに対して最も辛口なのかもしれない。
 なんてコトを思いつつ。
 アシューのひそやかな会釈に笑顔で応えた。
 するとアシューが嬉しそうににっこりと笑った。その笑顔を見て、笑顔より渋面のほうが似合っている人というのもなかなか珍しい、と周子は内心思ったが。
「まあとにかくおれは忙しい、こんなことしてる暇は無ぇ。カギ寄越せ。仕事だと?まだ言うか。ああん?誰の入れ知恵だ、こら」
「イーヴが……、近いうちに王が鍵を必要となさるだろうと。彼女からコレを取り上げるのに、結構な代償を払いました。もはやワタクシ、所帯持ちですので、そうそう火遊びも出来かねます、危険度が、断然違いますな、イーヴはまたそれが面白いのだと申しますが、はあ、まあなかなかに身が持ちません」
 んん?と周子は首をひねった。なんかおかしなことが耳に聞こえたような気がしてならない。
「それにあまり残業で遅くなっては今度こそ新妻に殺されます」
「畜生、新婚かぁ、いいよなぁラブラブで」
 ちえ、とギャランは小さく舌打ちして、ちら、と周子を見る。
 どこか物欲しげなその眼差しを、周子は冷たい黒目であっさりねじ伏せた。
「だがこれでは半日はかかるぞ、とんだイヤがらせだな」
「……ったく、だからあんたに付き合ってたら日が暮れる、って言ってんのよ」
 アシューがいそいそと山と積まれた書類を自分の机上から国王の机にまで運んでくる。
 ギャランは大人しく国王のデスクにつき、ペンを執るが、不思議そうに首をひねる。
「なあ、だがアシュー、お前はこんなに仕事を溜め込む男ではないだろう?それこそ前王陛下が失踪しおれが出て行ってこの一年、お前は一人でそれでもきっちり政務を執り仕切ってきたではないか。宰相の机上にこれほどの書類が積まれているのをおれは初めて見たぞ?」
「は。はあ申し訳ございません、つ、妻が……」
「妻っ!?」
 アシューの意外な言葉にギャランが目を剥いた。
「なんだとお前、新婚生活にすっかり現を抜かしてやがるんだな?いっぱしの男がそんな理由で仕事の処理能力を低下させてんのか、それでそのツケを、あー、なんだ、この若き新国王様様に押し付けようってか?ふ、ふてぶてしいな!」
「い、一年も待たせまして、実は私、も、もはや妻には頭が上がらないのです」
「……お、おれの所為だと。ずいぶん持って回った非難の仕方だな」
「い、いえ決してそそそんなつもりでは……」
 恐縮しきった様子で数歩あとじさったアシューを睨んで。だがギャランは一瞬の後、ふっ、と目を細めた。
「ああ、悪かったな、アシュー、今日はもういいぞ、あとはおれが全部見とくし。早く帰って新妻にサービスしとけ」
「……王」
 ギャランの優しく細めた眼差しに感動したアシューはしばし言葉を失い、やがて正気に返ると深々と一礼して素直に退出しようとした。
「宰相アシューの新妻はさげまん、と。夫に仕事を放棄させて出世の道を閉ざしますぅ〜あぁぁ、背徳のぉ〜新妻ァ〜」
「へへへんな節回しで妙なこと仰らないで頂きたいっ!!」
 ドアに手をかけたアシューが、がびん!と飛び上がり、慌てて舞い戻るや勢い良くデスクに手を突いて抗議した。
 ざばりと書類がなだれを起こす。
「詩人だろ?」
「どこがですかっ!」
「大体だな、いくら新婚だからといって夫の仕事を邪魔するようなのはとんださげまんだろ。お前の唯一のとりえは、実直で政務一筋なトコロなはずだ。そのお前から仕事を取り上げるなんざ、ろくでもねェゾ!イイ女ってのはな、こうしておれのようにだな、やる気のない男にでも何だかんだいって結局仕事をさせるような……」
 そう言いかけて、ん?と首をひねり、向こうのソファで昼寝を決め込んだ周子を見遣る。
「……なあ、なんでおれ、こんなトコでこんな仕事なぞ、してるんだ?」
 たっぷり間があいて。
 かろうじて正気に返るのはアシューの方が早かった。
「あ、サインはこっちです」
「う、うむ?」
 アシューに押し切られ、ギャランは再び政務に戻った。

 帰って良いとは言われたが、ギャランがまたいつ脱線するか不安であったし、あの奇妙な歌を人前で歌われてはかなわぬ、と、アシューは結局執務室で、ギャランとともに仕事を執った。だが、一人で悶々と政務をこなすよりもはるかにはかどったし、何より気が楽だった。
 王の口から飛び出す言葉には思わず眉をひそめるような粗忽な言葉も時折含まれてはいるが、だがそれとて、愛しいような。政務の途中で言葉を交わす相手がいるということもまた、これまでに無いことで、すばらしいことだと思った。
 ギャランが存外まっとうに政務を執り行うことが出来ることを実感すると宰相アシューはもうどうしても国王としてのギャランが欲しくなってしまった。一度その味を知ってしまうと、もはや以前のように一人で何もかも抱え込んでひたすら政務を執る気には、到底なれるはずが無い。
 一心不乱にサインをしつづけているギャランを尻目に、アシューはそっと周子のソファに近づくと、わざわざ昼寝をしている周子を揺すり起こす。
「ああ、終わったの……?」
「ええ、私の分は」
「!だったらおれに押し付けた分も引き取りやがれ!大体おめぇはほんの三分の一だろ!」
 国王のデスクでギャランが叫んだ。
「ああ、あのバカ相変わらずやかましいな、水」
「どうぞ」
 アシューが手づから水差しを傾け周子に差し出した。
 水を一杯飲み、軽く頭を振ると、乱れた黒髪がさらさらと舞って見目良くまとまった。その様はちょっとした魔法のように可憐で、アシューは軽く目を細めた。
「周子殿、少々話が。こちらを出ませんか?」
「ダメだ、こっそりコイツに話をするな、物騒でかなわん、いまここで話をするならば百歩譲って許可する」
 ギャランがサインをしながらキッパリと釘を差した。
 アシューがふむ、とうなずくと、軽く自分の割れたあごに手をかけ、周子を見た。
「周子殿、あなた、私に仕えぬか?」
 インク壺がアシューめがけて飛んだ。あやまたずアシューのこめかみに命中し、フタは外れて頬から肩にかけてとっぷりと墨色に染まった。
「コイツの主はおれだ!誰がお前なんかにくれてやるか!」
「グランツ家から出ると良い。私が貴殿の正式な後見になろう、いっそ、私の跡を継がぬか?あなたは非常に有能な宰相になるだろう」
「何よ、このバカのお守りをしろって?新妻に骨抜きにされた?」
「……いや!面白いな、周子殿は!」
「おれは面白くねぇぞ!だからおれを無視すんな!」

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