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[tog]33:欠けているもの

「……おれはどえらく虚しいぞ」
「すこし、お黙りなさい」
 泣きじゃくる周子を胸に抱きかかえ、カズマは軽く目を伏せる。
「そそそそのオンナはなおれの……」
「ですから、お黙りなさい、彼女に嫌われたくなければ」
 う、とギャランは言葉に詰まる。カズマは自分の言葉がギャランを黙らせるこんな瞬間がたまらなく好きなのだが。
 そんなわけで目の端に浮いたほんのりとした笑みを、どうにも、ギャランは別の意味に取ったらしかった。
「……タトゥーがある限り、こいつはお前の好きなようにはならんぞ。おれはコイツの主だ、いくら押し売りでもなんでも、いまさら手離せそうな気がしねぇ。いくらお前の頼みでも、やれない」
「要りませんて」
 ここで笑っては逆効果だと思いつつ、周子の所有権を主張するギャランの口調が可愛くて。カズマはついつい、ふっ、と笑ってしまう。
「ふん、ずいぶん余裕だな」
「ふふ、嫉妬ですか」
 さらりと交わしたはずが、余計に煽ってしまうのを感じて。
 周子には悪いが、いい加減身を離したほうが良かろうと思った。
 だが幸い、カズマが周子を引き剥がすより先に、周子の方が自分で身を起こしてくれたのでカズマは内心ほっとした。周子のその表情はかなり落ち着いている、そのこと自体にもカズマは安堵した。
「大丈夫ですね?全くどなたのことを思ったんです、ガーナで最も身持ちのカタイ男と陰口を叩かれるこの私の胸を借りて泣くとは」
「……父さん」
「だーっ!まァァーった例の美麗親父かっ!」
 ギャランが耐えかねたように叫んで、おもむろに席を立ち、周子を掴み寄せると無理矢理に唇を奪った。次の瞬間、びったん!と派手に平手を食らって。
「……王、どうせならもっとまともな気の引き方を……」
「いいや!おれにはこれしかとりえが無い!しっかしなぜそこまで抗う?大人しく、タトゥーに身を任せればお前はおれのもとで幸せに暮らせると思うぞ、周子!」
 ギャランはちょっと素敵なことを思いついたとでも言うかのようにうっとりと目を細めた。
「カズマ、周子の子なら、おれはソッコーもうけても良いぞ、例の世継ぎ問題、お前とラインハルトが押し付けた後宮もこれで解散だ!」
「……それは私がいやです。周子の子など、お仕えしたくないです」
 末恐ろしい、と言って、きっぱりとカズマは首を振った。
「例の?世継ぎ?私の子?うわ、うっそ、やだな、勝手に話をすすめないでよ」
 周子が眉根を寄せ、心底ぞっとしたように肩を震わせた。
「いささかも進めてません。ご安心を」
 カズマの声には全く動じる気配がない。
「カズマ、おれはお前にこいつの後見を命じたぞ、その話はちゃんと進んでるんだろうな、握りつぶしたとでも言いそうな反論の仕方だな?」
「う」
 カズマはたちまちまずそうな表情をした。
 周子はそんな上段に構えたギャランの物言いに思いっきり白けたカオをして。
「大体、いくらタトゥーの呪の効力でも、このバカと幸せになれだなんて。冗談きついわよ。それに私にはココロに決めた婚約者がいるんだし。そうだ、そもそも私はロレンスを探すためにいろいろ情報を探ろうと、わざわざ王宮へ来たってのに。このバカがこんなところで足止め食らって……この人、ホントに一体、ドコまで私の足を引っ張るつもりかしらね、全く頭にくる。私はロレンス一筋、揺るがないわよ絶対に」
 いや、と周子は思い直したように首を振った。
「でも今思ってもやっぱり、私、刻むなら父さんの名が良かった。父さんの名を刻んで、父さんのものになりたかった、ずっとずっとそばに居たかった」
 思いもよらぬ告白である。
 ギャランが、大きくショックを受けたように息を呑んだ。
「父さんはどうして私の婚約者にロレンスを選んだんだろう、なんだか私、振られた気分だわ、なんで父さんじゃダメだったのかしら」
 たっぷり間を空けて。ギャランがかすれた声で応える。
「……な、何でって、血のつながった実の親子だからだろう?」
「うん、そうなのよ。実の父。まさしく」
 素朴に周子が応える。どこかすがるようにギャランを見る。
「それって、ダメよね?」
「ダメだな」
「すごーくイイオトコでも?」
「ダメ」
 きっぱり、ギャランが首を振る。
 がっくりと肩を落とした周子に、ギャランはどこかほっとしたように。
「あー、だから、ナンだな、もっとほかに目を向けてだな、なんかお前は父親しかいままで見てこなかったんだろうな、ちゃんとまっとうな恋愛を、新しい男と、幸いおれはこの上なくイイ男でかつこの国一番の権力者だ、おれがちょっと本気になれば何一つ不自由させずにお前を幸せに……」
「ロレンス!ロレンス探さなくちゃ」
 ははは、とカズマが膝を打って乾いた笑い声を漏らした。
「これはあくまでも召喚事故。私が会うはずなのはロレンス。前提条件がそもそも違う。恋に落ちるのもロレンス。だから呪を解かなくちゃ。のらりくらりと、見せ掛けのラブラブ生活をここでこのバカと送る気は微塵も無い」
「見せかけ、ってあんまりな言い様だな……解くって……ああ!おい!ちょっと待て!ちったあ、おれのことも見ろ!おれをちゃんと見やがれ!」
 ギャランが叫んだ。
 ぱちん、と怒りのスイッチが入ったかのように、それに周子が噛み付く。
「だっから、最初ッから、言ってるでしょ!望みをいえ、って!私の正規の召喚を乗っ取っただけの、強烈な望みが、ギャラン、あんたにはあるんでしょう?それを吐けって、言ってるの!」
「吐け、ってまるでおれは犯罪者だな」
「そうよ、五百年だかなんだか知らんけどとっくの昔に私の相手はロレンスだって決まってんのよ!いまさらあんたは認めない。私の婚約者は、私の父さんが認めたんだから!」
 周子の言葉の鋭さはいささかも緩まない。
「あんたがタトゥーの主だなんて私は認めない」
 その鋭さに、うっ、とギャランがたじろぐ。
「私はロレンスに会って、そして恋をして、まっとうに呪を刻んで、幸せな生活を送るんだもん!父さんが認めたその筋書き、邪魔したのはあんただわ!私の主はロレンスだわ、人の人生にどかどかと勝手に土足で上がりこまないで!」
「……父さん父さんって、おまえは父親のことばっかりだな、夢中だな。お前は父親の選んだ男ならそれで満足か」
「満足よ!ロレンスは黒目黒髪、もろタイプだって言ってるでっしょーが!」
「お前はどうしようもないトコロで駄々をこねる!!」
 ギャランは肩を震わせた。
 頭の悪い自分だが、とにかく見てくれだけは極上だと思っているからこそ、そのダメージは計り知れない。
「タトゥーさえなけりゃ、ダレがアンタなんか!今すぐ、吐きなさいよ!どんな無茶な望みでも、かなえてやる!そしてとっととアンタとはおさらばよ!」
「ない。おれには望みなど、これっぽっちも、ない!」
 ギャランは怒りに任せてがつん、と怒鳴った。身を翻して部屋から出て行こうとする。
「あ、王、お待ちなさい。あ、いや、どうでしょう、ええと」
 突如勃発した口論に静観を決め込んでいたカズマが呼び止めつつも言いよどむ。
「申し上げることがございます」
「……早く言え」
「セリアの、セリアのシュルツ宰相が、お見えです」
「な、に?」
 ギャランの顔色が変わった。
 たっぷり間をあけて。
 おたおたとあらぬ宙へと目が泳いだ。
「……ガーナの国王ギャラン・クラウンは急死したとでも言っておいてくれ」
「……おっけ、遠慮なく仕留めてやるわよ?」
 印を結びかけた周子に、
「周子、冗談言ってる場合ではございません」
 ぴしゃりとカズマが言った。確かに、二人とも厳しい表情をしている。
「私それで王を探しておりました、ああ、とんだ脱線です。それもこれも周子が悪い大体周子は」
 そしてまたしまったという表情をして。んんっ、と喉を鳴らした。
「セリアの宰相が、何の前触れも無く、ひょっこりとおみえになり、幸いアシュー殿が居りましたのでいま対応しておりますが、王は、謁見なさいますか」
「あの悪魔にか!バカ言え!」
 短くそう叫んでギャランはブルリと身を震わせた。
 それから再びどっかとソファに座った。
「……ではここでおれはこっそりと篭城する、時間はどれほどだろうか」
「いえ、そう長くはいらっしゃらないことと思います。もう結構な時間が経っておりますし、ひょっとしたらもう既に御立ちかも知れません。ホントにふらりと立ち寄っただけだと仰っておりましたから」
「すげぇ胡散臭い。なんか理由があるんだろ?」
「あると思いますが、さっぱり見当が付きません」
 ギャランは神妙そうに首をひねった。
「あれから、この十年、特に変わったことは無かった。いや、まあ前王陛下が失踪なされたごたごたはあったがな?だが、おれが王位を継いでも特段顔を見せようとしなかった、不遜で剣呑なあの男……あれがいまになってここへ姿を見せるとは……最近、なにが変わった?何か変わったことでもあったか?あのシュルツ・ゲッターフィールドが動くような?」
 重い沈黙があった。
 ギャランとカズマが周子を見るべく目線を上げようとしつつも恐くて床を睨んでいるといった感じで。びくびくと床を睨むその様子はあきらかに不審で。
 あまりにギャランとカズマが深刻そうに押し黙っているので、周子はうんざりしてソファを立った。
「ギャランが苦手な男?へぇ、面白い、わたしちょっと見てこようっと!」
「ダメダ!」
「いけません!」
 周子の言葉にギャランとカズマが同時に腰を浮かせた。
「あ、カズマ様までもが引き止めるなんて珍しい」
 周子が意外そうに首をひねった。
「ホントに剣呑な男なんですよ。頭の回転が恐ろしく速い」
「セリアか!ガーナの外よね、他所の国よね、ってことはこのバカ国王様様もてんで権力揮えっこないわよね?じゃあ私がセリアへ行けばこのバカは手出しできないってワケよね?」
「……なんでしょう、私、ちょっとおかしな既視感が」
 カズマが軽く首をひねった。
「周子の頭の回転のよさ、言葉の鋭さ、向こう気の強さ、交渉力、どれをとってもあの男に通じるものがあるような気がしてなりません」
「カティノ!」
 突如周子がすばやく印を結び、スペルを唱えた。
 眠らせる効力をもつスペルを食らって、ギャランはどさりとソファに倒れこみ、バランスが悪かったのかそのままずるりと冷たい床に崩れ落ちた。
「私、セリアに行くわ、じゃあねー……え?」
 周子はビックリしたようにすぐ目の前のカズマを見つめた。
 カズマはぞっとするほど迫力のある冷酷な表情で、小柄を周子の喉下へ突きつけている。
「……全く、油断も隙も無い」
「どうして?効かないの?無効化?」
 カズマの胸のあたりで何かの光が透いて見える。服の下で何かが発光しているらしかった。
「王への攻撃系スペルは一切禁止。抜け駆け禁止。セリアへ抜けるなどとんでもない。おっと、抵抗すれば、私ためらわずに突きますよ?」
「……だったらまず、指を、左右十指を、もれなく折ることね、印を結ばないように」
 面白くなさそうにぶすっと周子が呟く。以前確かにその目的で利き腕を折られている。カズマはちら、と周子の手に目を落とした。
「白くて繊細な、女の指なれば、まあ、折って楽しいものではないな」
 そう言ってちょっと笑って。小柄を突きつけていない方の手で周子の片手をとると、そっとその指先にくちづけた。無論、小柄はピクリとも揺らがぬ。
「あなたを相手にする場合、折って恨みを買うよりは、恩を売ったほうがはるかに良さそうですね」
「キスなんて、これから恩を売ろうって相手にすることじゃあないわね」
「はは。もちろんいやがらせの方向で……」
 カズマがきゅっ、と周子の手をそのまま握り、力を入れた。
 確かに折れるほどの力をこめられて。周子はうっ、とカオを顰めうめいた。
 その手をぐっと引いて、カズマは唇が触れそうなほどにカオを近づけて。
「聞こう、王になぜ、取り入った」
「あんた人のハナシ聞いてないでしょ」
 にっこりと周子が微笑んだ、次の瞬間周子がぐっと身を乗り出し、カズマの冷酷に引き結んだ意思の強そうな唇にキスをした。
「―――!」
「嫌がらせ、っつーのはね、こんぐらいキツくないと」
 にやっと笑う。
「指先にキスだなんて、それで嫌がらせだなんて、あんたとんだドーテーなんじゃないの?」
 そう言って、唖然としたカズマの腹を、思いっきり蹴り上げた。
 カズマが大きく体を折って。周子は目の前に下りてきたカズマの後頭部めがけ、組んだ両手の拳を振り下ろした。カズマは勢い良く床に落ち、応接テーブルにしこたま顔面を打ち付けてうめき声を上げた。ひどく咽込んで。
「タトゥーを刻んだのはあのバカよ、タトゥーがなきゃ、私はとっくにおさらばしてるわよ。取り入るも何も、ダレが好き好んであんなバカと!私は悪くない、文句ならあのバカに言いな!」
 はたはたはた、と周子の首下から鮮血が滴る。
「……ほんと、あんたは頭くるわね」
 カズマにキスをしようと身を乗り出した時点で、周子の首にはざっくりと小柄が刺さっていたのだ。
「痛いな。刺さってもあんたをぎゃふんと言わせたかったんだけど、ずいぶんと念入りに研いであること。ざっくりすっぱり、よくもやってくれたわね!」
「それはあなたの所為だ!あなたが動くからだ!」
 カズマが大慌てで叫んだ。
「刃を突きつけられてそれでもなお動くだなんて!どういう女だ!」
 すっかり余裕を失って肩を震わせている。
 ああやりすぎたかな、と周子は思いつつ。なぜか差し出されたカズマの絹のハンカチで首を押さえた。
 土台、オンナ嫌いで潔癖症のカズマにキスするなんて、ちょっと意地悪が過ぎたかと思いつつ、改めて目の前のオトコを見る。
 衝撃でメガネを飛ばした素の顔は、端正な顔立ちで。切れ長の形良い目元がとても涼しげで。どう見ても、かなりの美形である。もっと言えば、こういう涼しげな美形のほうが、周子の好きなタイプだ。修三に通じるものが在る。
 周子はポン、と手を打った。
「ねえ、カズマ様、いっそ、私と恋愛する気ない?」
 およそ恋を知る者の言葉ではない。
 ああ、この提案の仕方もどっかおかしいかな、と周子は自分でも多少は思ったのだが、ほかに適切な言葉も見つからないのでこんな打診をしてみるのだが。
「ここここの!無作法者めが!」
 カズマがたちまち不快感に肩を震わせ、ビシィ!と周子を弾劾するかのように鋭く指差した。
「は?ああ、いや、まあとにかくさ、私に他に好きな男の人が出来ればこうもギャランのことでタトゥーに振り回されないんじゃないかと思って」
「それこそロレンスがいるだろう!」
「うん、そうなんだけどさ、すぐにはそうそう見つからないだろうし。その間だけでも、やっぱほかに好きな男が欲しいと思って。じゃないとどんどんタトゥーに侵食されていく気がする。タトゥーの所為でついついあのバカに心揺れて、ああもうあのバカ相手に何べんキスしちゃったんだろう、不覚よね。うっかりすると迫り倒された挙句にホントに身体を赦してしまいそうで。正直、怖いのよ」
「ロレンスが見つかるまでの使い捨てか、私は!あなたには誠意というものが無いのか!」
 カズマの動揺振りにあきれつつ、周子は手をひらひらさせた。
「あー、あんたさ、ギャランが好きなんでしょう、大事なんでしょう?ギャランがさっきみたいに私のことを好きだって言うのが気に食わないんでしょう?だったらさ、ええと、身を呈してさ、私の餌食となって、あれ?ああ餌食とはなんだかなーな感じだわね?私と恋愛の一つでもしてくれれば、私のハートを捕らえてくれれば、キッチリ私をつなぎとめておいてくれれば、私、そうそうギャランとはくっつかないわよ。タトゥーさえなけりゃ私はギャランには揺れないんだし。それはあなた的には嬉しいでしょう?ねー!そうしようよ!」
「なんですその奇妙な交渉は。私は願い下げですよ!」
「ギャランと天秤にかけてみれば?自明でしょう?」
 カームダウンカームダウン、と周子は手をひらひらさせて軽く笑っている。
「あんたは自分の幸せよりもあのバカの幸せを願う人でしょ?」
「まるで悪魔のようだな!」
「大人しく私の恋人になりな、これはビジネスよ、取引よ」
 血をしとどに吸った絹のハンカチから、やがてこらえきれずはたはたと血が床に落ちた。動脈は傷ついていないものの、結構な量になる。
 床に散った鮮血に、動揺しきったようにカズマが背を向ける。慌ててメガネを床から拾い上げて。
「と、とにかく、い、医者を呼んできます、大人しく座ってなさい」

 カズマがばたばたと部屋を出て行って。言われたとおり大人しくソファに座ろうかと振り返ると、仏頂面のギャランが立っていた。
「帰るぞ」
「あ?ああ、早いね、カティノから目覚めるの」
「こんだけ騒げばな」
 ギャランは床に捨ててあった自分のシャツを拾い上げると周子の喉下に押し付ける。
「押さえてりゃ、そのうち止まる」
「ああ、ごめん、そんなカッコで冷たい床に転がして」
 そういえばギャランはパンツ一丁で。ギャランは無言でズボンをはくとドアから出て行こうとする。それを引き止めて。
「カズマ様がここで待っていろって」
「ふん、そのくらいの出血でがたがた騒ぎやがって。あんな奴、待つな、帰るぞ」
 ぐい、と腕を強く引かれて。ほとんど強引に資料室から引きずり出されるように廊下へ出る。
「篭城するんじゃなかったの?」
「…………」
 セリアの宰相にぜひ会いたいと思ったがそう言ったらなんだか思いっきり殴られそうな気がして。せめてそのセリアの宰相とやらが立ち寄っていそうな応接室とか会議室とかの前を通らないかな、と思いつつ、そのいずれにも続かぬ廊下を行く。
 先を行くギャランの背中が、気落ちしているかのように丸い。
 いつもはむしろふんぞり返り気味の、えばったようなしっかりとした広い背中なのだが。
周子には見えるその古傷の凄惨さよりもなによりも。
 そこにはすっかり落ち込んだようなすさんだ雰囲気が漂っている。
「どうかしたの?」
「…………」
 無言で見返してくる。首だけ回して。
 それから首を振って。
「どうせお前に言っても無駄なことだ」

 しばらく歩いて。たっぷり沈黙してから。
 だがやがて耐えられなくなったかのようにギャランは口を開いた。
「おれの前で他のオトコを口説くな」
 ぷっ、と周子が噴いた。
「ああ、あれ?ごめんごめん、でもオトコって、カズマ様がオトコって?あはははははは。と、遠くない?遠いって。なあに?それが私に言ってもムダなことだって?結局あんたは言いたいことは口を突いて出る性格してるんだから、なにもそんなこと溜めなくてもいいじゃん!あはははは、お、男、あれが、オトコ!オトコ〜!いっぺん脱がしてみなくちゃまじでどうだかかわかんないかもよ!」
「あいつはイイ男だぞ、お前は目の付け所がいい。おれがオンナを寝取られるとしたらあいつぐらいだと常々そう思ってきた」
「前提条件が違うよ。私はあなたのオンナではないし、カズマ様が女性に興味を示すとは到底思えない。あの男は金塊を抱いてりゃ幸せなタイプよ?」
 ギャランがうんざりしたように周子を見た。
「お前は頭がいいが、何か決定的に欠けてる。情だ、恋情だ、お前は人の情を思い遣れないのか!冷たいぞ、お前人を好きになったこと無いだろ」
「れ、恋情なら。ほら、タトゥーが教えてくれたし」
 ぴっ、と自分を指差されて、ギャランはぷちっと軽くキレた。
「とんだ世間知らずだな」
 よほど頭にきたのだろう、先を行くギャランの歩が早くなり、どんどんその背中が遠くになる。
「父さん、みんなして私のこと世間知らずって言うよ……いったい私の何がいけないって言うのよ。ギャランまでクルと同じこと言い出して。ああ、なんか落ち込むわ……」
周子は頭を掻きぼそっと呟いた。
 ―――オトコ、っていったって、父さんとクルしか知らないしなァ、同じ年頃のオトコはさんざんつきまとった挙句いきなり押し倒してきたり何だりでロクなのがいなかったし。
「周子!何をぐずぐずしている!行くぞ!」
 ギャランが振り返って怒鳴る。
 この男が、欠けているものを補ってくれるとでも言うのだろうか。
 最初は強引に、けれどたちまちに甘くなるギャランのキスを唇に思い出し、周子はどきんとする。
 ずいぶん器用な効力をもつタトゥーだと感心しつつ、慌てて首を振る。

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