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[tog]37:交錯

 ―――なんだかずいぶんといい匂いだな。
 その花の香りに時折ふっと意識を掬い上げられるような。
 眠りと覚醒とが何度も交錯しなんとも言いがたい心地よさがある。
 頬に触れる滑らかなシーツの感触に、脳の奥を擽る匂いの記憶を手繰り寄せ……まどろむ。
 世にある普通の父子のように、父さんは決して抱き寄せてはくれなかったけれど。
 すぐそばへ寄れば、焚き染めた沈香の幽玄で気品高い、心に染みるようななんともいえぬ良い心地がして。肌は触れずとも言葉は無くともすっと包んでくれる。とても心が落ち着いて良い心地になる。
 ベースには名を刻めと連日責められ、同年代の男共には迫られ、女友達には男を取るなと文句を言われ……世に年頃という年齢になって、周子は生きるのがどうにも辛くなりゆくような気がして。
 中途半端な相手の名を刻むのがイヤだと、ただそれだけを言っているのに、その年で恋を知らぬのがおかしい、他人を好きにならぬのはおかしい、とまでいわれて。
 さすがタチバナの百代目は気位が高い、とおよそ誉め言葉とは到底思えぬ評価をされて。
 どうしようもなくさびしくなると、父さんの隣へもぐりこんだ。
 気配に聡い父さんが、それでも黙って背を向けてくれていて。
 そのうなじのあたりに顔を寄せて、肌に染みたその香りをかいで。
 ほんのりと落ち着いて。
 朝、目を覚ますと、体の向きを変えた父さんが軽く抱いていてくれて。その穏やかな寝顔が、とても綺麗で。
 白皙の頬も、通った鼻筋も、形良い唇も。
 綺麗な柳眉も伏せた長い黒い睫も。
 こんな優美な寝顔を持つ男など他にいるはずがないと思った。わざわざ他の男と寝て確かめるまでもない。
 そんな朝、父さんは私が起きない限り身を起こさなかった。とうに目覚めていたとしても、意識をあちらがわへ手離して。私が満足するまでずっとそこで眠っていた。それが決して寝たふりではないところがまた素敵だった。寝ると決めたらホントに眠ることの出来るちょっと変わった人だった。
 たとえ召喚時刻が過ぎていようとも。
 起きてベッドを抜けると、少ししてのちその身を起こす。私が起きたら目が覚めるの?と一度聞いたことがあるが、返ってきたのは
「……寒いから」
 そんな意味不明な一言で。
 シャワーを浴びてベッドに腰掛けると、沈香の木片をほのかに温める香炉を傍らにおいて。
「鼻から入る香りは一番脳に近いところを通るのだそうだ、邪気を払い清浄を保つとは世にいうが。私にとっては薬だと……クルがいうには私は頭がおかしいのだそうだ」
 そう呟いてほんのり目を細めている。
 髪を拭くのが面倒なのか、はたはたと黒髪を滴るしずくがベッドを濡らして。
 ハンズがタオルを持って駆け寄ってくる。
「……ハンズ、それじゃ絡まるよ?」
 ばさばさと修三の黒髪が宙に舞うのを見かねて、周子はハンズからタオルを取りあげると、修三の髪を手にとった。
「お前!いま何時だと思ってんだ!」
 クレリック・リザートがばたん!と飛び込んでくる。
 そして数瞬あっけに取られたように言葉を失い、それから首を振ってうめく。
「本当に、血のつながった親子なんだよな?」
「下世話な勘繰りだな」
 腰掛けた修三の後ろでベッドの上で膝を付きその長い黒髪を周子が拭いてやっている、その姿はなんとも色めいていて。
 修三が迷惑そうに黒目を細めた。
「……こんなゆったりしたひと時に。無粋な男だ」
「おれが来たときに喜んだことがあるか、おまえ!」
「喜ばれていないことが分かっていてなお押しかけて来る所が、この上なく無粋だ、と言うておる」
「おまえーッ立場わかってんのか!召喚主に対してなんだその態度は!遅刻だぞ、遅刻、石を使え、石を。おれは三十キロ先の国境で待ちぼうけだぞ!んで来て見りゃこのザマだ、若い娘といちゃつきやがって!」
 馬を駆ってきたのだろう、クレリック・リザートはしとどに汗をかいている。
「ここ数年、私を召喚するのはお前だけだ、別に遅れたってかまわんだろう、こうして迎えにくるのだからな」
「もし違う奴だったらどーすんだよ!ベースにクレーム入るぞ!」
「違う奴?お前は私を違う奴には召喚させぬだろう?」
「ああ!畜生、おれはそのためにどれだけ苦労しているか!お前をキープするのにどれだけ金が必要か!」
「その文句ならベースに言え」
 お前の懐事情なぞ知らん、と冷たく言い捨て、乾いた髪を無造作に束ねると、するりとシャツに袖を通し、部屋を出て行く。

 ある時には、むこうの国の兎の肉はとりわけうまいそうだ、と言って血の滴る兎の死骸をぶら下げて帰ってきたことがあった。
「ううううまいったって!こんなの丸ごと?とと年頃の娘に捌けって?血みどろ……こんな可愛いうつろな目をした兎を?毛、毛がっ!コレをむしるのっ?」
 さすがに動揺すると、修三はふらりと家を出、しばらくして女を伴って戻ってきた。
 女はうきうきした様子で肉を綺麗に捌いてシチューに仕立てると、食後に周子を追い立てて修三と寝室へ消えた。
「……兎の肉には懲りたな」
 翌朝周子が覗くと、案の定な有様だった。
 修三はうんざりしたように長い黒髪をかきあげて半身を起こすと、すぐ隣で眠っている妖艶な女の寝顔にシーツをかけた。
「ずいぶん高くついた……ああ、生臭い」
 そうぼそぼそと呟いて浴室に消える。
 出てきたときには女の姿は無く。少しほっとしたように修三は周子を見つめてくる。
 周子はその眼差しに苦笑して。
「年頃の娘に女の人を追い返させるなんて」
「たしか向こうの国の東の海には珍しい魚が……」
「さ、魚料理なら大丈夫!さ、捌けるから!」
 父さんしっかり!と慌てて周子は修三の手をとった。

「……でさあ?もうびっくりだよ、うちの父さんには。兎だよ、兎。そりゃ確かに私、父さんにね前になんか美味しいもの食べたいなぁー、って言ったけどさ?血の滴るナマ肉はちょっとね。新鮮過ぎだってば。みんなは変わり者だ変わり者だと一歩引くけどさ?変わり者って言うより、天然ボケよね、うちの父さんってば」
 クレリック・リザートは、口へ運びかけていた芋の煮付けをポロリと取り落とした。
 信じられん、といった表情で周子を見る。
「天然?なーにを言う、イビサはミアムきっての切れ者だぞ?変わり者、っつーのは誰も歯が立たねぇ天才につく称号だ!イビサはミアム最強の能力者だぞ。頭の回転も早いが何よりその度胸、交渉力、お前以外の者を前にした時の鋭さといったら、絶対零度の嵐吹きすさぶ凍土よかキツイ、そら恐ろしいぞ?」
「ってゆーか、あんた汗臭い」
「ほんとガキだな!これが男の匂いってんだよ!それよりお前、人の話を聞け!」
 むんずと周子の腕をつかんで、嗅げ!と抱き寄せる。
「苦しいって!寄せんな、胸毛だらけッ!きしょい!」
「この胸毛ジャングルになんて無礼なことを言う!これが男だ!」
 ひととおり、そんないつものやり取りがあって。
 クレリック・リザートは存分に周子に男の匂いとやらを押し付けて満足したようだった。
 ぜえはあ、と肩で息をする周子に言う。
「なあ、ラッシュ、切れ者の男がな、ボケるときってのはそりゃもう、アレだ、恋に落ちてるって時だ」
 話の脈絡からすると切れ者の男というのは修三のことだろうが、どう考えても修三と恋のつながりが分からない。再婚話があるならきっと当人の方からあっさりと持ち出してくるはずだ。周子は首をひねった。
「だれと?」
「ざまぁミロだ!」
 クレリック・リザートは肩を揺すって大笑いした。
 ふと後ろを見ると、いつのまにか修三がゆらりと姿を現している。空間の揺れがまだ余韻のように残っている、転移してきたのである。
「……楽しそうだな、クル、これでもう世に未練は無いな」
「ある!あるある!欲望てんこもりだ!待ってくれって!」
 百戦錬磨のごつい傭兵が、ばばっ!と周子の背に隠れる。
「ああ、父さんお帰りィ、おつかいご苦労さん」
 修三はほのかに目を細めて、周子に頼まれたお遣いの買い物袋を差し出して。
 その表情にうぐぐ、とうめいてクレリック・リザートが文句を言う。
「ただのおつかい如きにテレポ石を使うな!」
「……余ってる。ベースが支給したんだが」
「だっから、使えよ!おれが召喚した時に!そのための石だ!」
 ナメてんだろ、おめー!とクレリック・リザートがツッ込む。
 修三はクレリック・リザートを無視して席に付くと手酌で酒を注いだ。
 やがてつまみを盛って現れた周子をクレリック・リザートは隣に座らせ、言う。
「おれの欲望は、お前ら父娘をおれに従わせることだ」
「で?世界征服かなにか?」
「かはー。ほんとガキ!ちいせぇこと言うな!愛だろ、愛っ!」
「ガキガキ、ってうるさいよ、失礼だよ!」
「おう、いつでもオトナの女にしてやるぜ?なんなら今からでも」
 途端にばっちん、と平手を食らって。
 ああ、そういえば、とクレリック・リザートは思い出したように口を開いた。
「ロン、という若造がおれの自宅まで押しかけてきて、土下座したぞ?どうかラッシュと一発やらせてください、って」
「は?なにそれ?」
「どうにもお前のことがあきらめきれんのだそうだ、好きでたまらんと。正面から口説こうが斜から口説こうがお前はちっとも聞いてくれんと。目の端にも入れてくれんと。カワイソーになぁ。せめて一度でも抱けば、言葉じゃないものでその気持ちが伝わるかもしれんと、チャンスが欲しいと、そうおれに直談判してきた」
「は。要はヤりたいってことでしょ?最近みんなそればっかでうーんざり」
「まじでつめてえ。奴の本気がわかんねぇのか、おれは奴に同情する。許可すりゃよかった。生憎奴はコワーイおれのカミサンの前でそうまくし立てやがったからな、キッチリ半殺しにしてやった。おれがあとでカミサンに半殺しにされるのが分かってたからな」
「そもそもなんであんたがそんな許可権限もってんのよ、なんでロンがあんたのトコに行くのよ?」
 クレリック・リザートはにやりと笑った。
 そして、じっとりと周子を見詰めて。
「このところ、どうやらお前がおれにオチたとの噂が」
「げっ」
「嘘から出た真というのは世の常だな、足しげく通った甲斐があったというものだ」
「ウウウウ噂にも程があるよ!あんまりだ」
 クレリック・リザートが周子の手をとった。おもむろにその人差し指を噛む。
 ぞくり、とする感覚が背を走った。
 さっ、と朱の差した周子の頬に手をあて、いたぶるように撫でさする。
「ほら。カラダはオトナだ。上等な、正直な、イーイ体だ。そろそろイイ頃合だろう、男が欲しくなってくるんじゃあねぇのか?濡れる、っての、知ってんだろ?もういっぱしの大人の女だ、いっぺん男を入れてみろ、お前はさぞかし上等な女に化けるだろうよ」
 修三が冷たい声で口をはさんだ。
「いまや百戦錬磨で驀進中のクレリック・リザートが仕留めた女とあっては、誰も手は出せぬだろう、このところ、まこと、色気づいた外野の小童どもがうるさくてな」
 パチクリ、と目を丸くしてクレリック・リザートは修三を見た。
「お前、お前が仕掛けたのか!イビサ。はん!そうか!ようやっとおれに娘を抱かせる決心がついたんだな!ははっ!いいぞ!まかしとけ!」
 ふ、と修三がかすかに笑った。
「噂、というものは良いものだな。おかげでここ数日は平穏だ。クル……お前はまだまだ長生きしたいのだろう?」
 ふいにぞっとするほど冷たい風が室内を抜けた。
「……こう言ってやろうか、お前を信用している、とな?」
 クレリック・リザートはなんともいえぬ嫌な表情をした。
「なんだと……おれをただの当て馬にする気か」
「この私に信用していると言わせて、手出しできるか?」
 うう、と低くうめいたきり、クレリック・リザートはどっぷりと長い間沈黙した。
 やがて降参したかのように両手を軽く、ぱっ、と上げた。
 それを見て修三は満足そうに目を細めた。黙って杯をひとつ呷る。
「ラッシュ、この男は本当に容赦ない、切れ者だってのがよーくわかったろ?」
「?どこが切れてんのか、わかんないよ」
「ったく、なーにをぽややーん、としくさってる!ホントに情の疎い女だな、いっぺんキッチリじっくりおれの寝技を堪能してみやがれってぇんだ、こんの情知らず」
 そこで言葉を飲んで。うんざりしたように頭を振って。
 ああ、酒だ、酒!と叫んだ。
 その夜、クレリック・リザートはさんざんに酔っ払って。
「もひとつ教えてやろう、ラッシュ、日頃バカをやらかしてる男がやけに切れ者になるとき、それも恋だ」
 そんなときはためらわず受け入れてやれ、と説いた。

 窓から、午後の陽射しがベッドの上に落ちてくる。陽が、だいぶ傾いてきたようだった。
シーツに、ちょうど陽の落ちるところで。目の先でちらちらと動くハンズをしばらく眺めて。その姿が金色にキラキラ輝いて見える。
 その金色のまぶしさにすがるように、ようやく周子は現実に戻ってきた。どれほどに想っても体は五百年を超えたこちら側にある。諦めでも何でも、なんとか折り合いをつけるしかない。
 過去と現在がこうもたやすく交錯する、こんなふうに意識があるのに修三の幻影を見るのは問題があるだろう、気力が保てない。それはスペルユーザーとしては致命的だ。
 ―――父さんは私を憑り殺す気か?
 いや、いっそ、そっち側へ連れて行って欲しい。

 身を起こして、ベッドを降りると熱いシャワーを浴びて。
 ようやく少し意識がはっきりして。
「……?なんでローブが無いの?」
 いつものところにいつものものが無い。侍女の不手際?というより、あたりを見回せば、違和感が募るばかりで。浴室に並ぶ品々も、洗面台に並ぶ品々も、まるで周子の見慣れぬものばかりで。
 ―――というより、部屋の間取り自体も違うじゃない。
「……あきれた」
 いや、自分に。
 と思いつつ、手近なタオルをとって体を拭いて。
 無造作に脱ぎ捨てた服は、あいにくシャワーの飛沫で濡れている。
 体を巻くことの出来る大きさのバスタオルは何処にも無く。周子はひとまず浴室のドアのところにかけてあった白いシャツを勝手に羽織った。
 羽織るなり、紫丁香花の残り香で、その持ち主はすぐにわかるのだが。
 そのシャツが意外なほど周子の体には大きくて。細身の優男とばかり思っていたのだが、結構しっかりした身体をしているのかもしれないと知った。
「うわ!ハンズ、何して……だめっ!イタズラしちゃ!」
 ハンズが、洗面台をなにやら物色していたかと思うと、そこからボトルを一つ引っつかんで、たっ、と走って逃げていく。
 何か気に入ったものがあったらしい。
 周子が浴室を出、追いついたときには、もう既に遅く。
 ベッドの上で、ローションを派手にぶちまけている。
 清涼な、とてもよい香りが立ち上って。ああ、カズマの匂いだ、と周子は改めてこの部屋の主を感じて。レフトとライトはご機嫌な様子で瓶を逆さに、ローションを互いにかけて撫でている。
「そうそう、あんた達はおしゃれさんだったっけ」
 周子はあきれて肩を落とした。
 しっとりとつやつやと濡れて、満足そうにハンズは踊った。ベッドの上を派手に濡らすあたりはやはり子供の知恵足らずといったところではあるが。
「ま、可愛いもんだわね」
 濡れてしまったものはしょうがない。周子はあっさりとあきらめた。カズマに見つかる前にエンギワルーに言いさえすれば良い、と周子は髪を拭きながらあたりを見回した。
 どうにもやはりカズマの部屋らしい。
 部屋は、周子の部屋にはありえないくらいに整然としていた。ここで人が生活しているとは到底思えないほどの片付き様である。
 王宮に向かわぬときはいつも仕事をしているそのデスクのそばに寄って。
「経済日報、ねぇ……」
 机上の折りたたまれた新聞状のものを指で摘み上げるが、びっしりと並んだ細かい数字にわざわざ中を開きみる気も起きず、はたり、と取り落とす。
 机の上に積まれた書類を取り上げるが、どれもこれもびっしりと数字やグラフが並んでおり、所々が朱で小さくマルが付けられたりしている。
 ―――これを読んで意味がわかるのは絶対おかしい。
 金の蒔絵の美しい万年筆が一つ、机上に転がっているが。この部屋には、無駄なものが何も無い。というより、必要ものさえここにあるのか周子には分からない位に本当によく片付いている。
「つまんねぇ……」
 さすれば、この整然とした部屋こそが、カズマの気質を存分に顕しているということか。
 あまりに整然と片付きすぎていてツッコミどころもまるで無く、すっかり興冷めして周子はベッドに戻る。
 ベッド脇のテーブルの上には、シルクを張った瀟洒な銀の支柱のナイトランプ、その下には「金融時報」。新しいめがね拭きが一枚。
 ―――寝る前のスリリングなひと時?
 経済が日報で金融が時報か。
「あーあ、たのしそ!」
 髪を拭きながら、周子はベッドに上がりハンズが濡らしていない部分を選んで腰を下ろした。
「それは何?まーった、勝手に持ち出して来ちゃダメよ?」
 ハンズの持ってきたものを見て周子は思わず笑う。ハンズのほうが、周子より面白いものを見つけてきたようで。
「カズマ様って、こんなもの持ってるの?うわー、几帳面」
 ライトの持ってきたケースの中には一通りの爪手入れセットが揃っている。日頃使われている形跡があり、あの男ならいかにも几帳面に爪を削っていそうだと周子は苦笑した。
 そしてレフトはどこからか色のはっきりとした綺麗な赤いマニキュアを持ち出してきている。
「ダレの?ええ?この部屋にあった?ベッドの下の奥の奥?うそ、趣味?なわけないか」
 まあそりゃ女の影のひとつやふたつ……どうにも想像するのは難しいけどな、と思いつつ、周子はボトルを強く振った。発色には恐らく支障ないがその分離具合からしてかなり古い。一体どれほど放置されていたのか。
「ハンズ、カム……おっけ、オーバル、承りました?ええ?やだ、レフトとライト、ちゃんと相談して決めてよ。どっちか。どっちか一つよ。左右同じにしておいて。とんがらせる?ダメ。とんがらせるのはダメ、肩揉んでもらえなくなるし、ああ、それが狙いね?ライト、あんた知恵ついてきたわね?」
 くすくす笑いながら、周子はハンズの爪先を整えてやる。それから片膝を立てるとその上にハンズを載せ、その小さな爪に色をのせていく。
「父さんいないと、さびしいわよね、あんた達も」
 魔物に情などあるのだろうかと思いつつ、もはや父のことを知っているのはハンズだけだと思うと……どんなカケラでも共有したい気分だ。
「……父さん、何考えてたんだろう、どうしてタトゥーのことやタチバナの血のことや魔物のこと、それから百代目、って……なんでちゃんと教えておいてくれなかったんだろう、そばにいてくれないってだけでも淋しいのに、こんなにナゾを残してくれちゃって……まあ、らしいといえば、そりゃものすごく父さんらしいけど……」
 大人しく待っているレフトが、指でスッと周子の太ももを撫でた。
「あ、ははは、くすぐったいって!えっち!大丈夫!だーいじょうぶだって!元気出すからさ、ね、あはは、やめてってば!」
 周子は笑って。軽く肩を竦める。
「本、探さなくちゃね。ごめんね、思ったように身動きが取れなくて……ええ?酔っ払って寝こけるからだ?時間の無駄?たはー、ごめんごめんて……あー、なんだ?あんまり文句言ったりすると、派手にはみ出すわよ?生憎リムーバ、無いからね!」
 びくん、とハンズが固まった。やはり綺麗に塗って欲しいらしい。

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