コハリトりみっと
長編恋愛FT「タトゥー・オブ・ギャラン」がメインの小説・雑記サイト。
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王宮から戻ってきたカズマは開け放しのドアの奥を覗いてギョッとする。
自分の寝室のベッドの上に、まだ周子がいる。
思わず、なぜ?とうめき声が喉の奥で鳴った。しかも見れば自分のシャツを勝手に着ているようである、ぱっと見、これではちょっとイイ仲の情婦のようではないか。
なにやら部屋の中がとてもよい香りがして。
それが普段自分が馴染んでいる香料の匂いだとわかっていても、まるでまったく別な色を含んでいるようで、カズマは妙に落ち着かないような心持ちになった。
周子はベッドの上に片膝を立てて座っている。首を傾げ、濡れた長い黒髪が、肩に背に斜に乱れていて。
立てた膝の、シャツの裾から覗く足の白さや、長い袖をまくった腕の細さが、しなやかそうな手首の括れが、カズマの視線をひどく惹きつけた。ハンズを相手に話をしながらなにやら笑ってはいるようだがどこかひどく深く落ち込んでいるような。濃い影を背負ったその背中はまるで消え入りそうに儚く。
―――これがあの、周子か?
ぞっとするほどに壮絶な色気が漂っている。
この光景を王に見せてはいけない、とカズマは思った。
―――いや、誰にも。
なぜドアを開け放している、こんな無用心に、そんな姿をさらして。
むしろ苛立ちを覚え、カズマははっきりと音を立ててドアを閉めた。
「ああ、ごめん、今さっき起きたの」
周子は首だけちょっとひねって振り返ると笑った。悪びれる様子も無い。
「何をしている?」
「これが漆塗金蒔絵の伝統技術に見えて?」
周子はついでだから、と言って自分の爪先も染めている。一体どこから手に入れたのか、ずいぶんと綺麗な赤い色、いや、色が綺麗というより、周子のその細い白い指先によく似合っていた。そんな可憐な女の指先を間近で見るのはずいぶんと久しぶりのような気がしてカズマは目を逸らした。周子の前には既に爪先を真っ赤に染めたハンズが、ぺたり、とまるでせんべいのように平べったくなって手の甲をベッドの上に並べている。どうやらこちらは爪を乾かしている最中のようだ。
カズマは上着を脱ぐとソファにほおった。
ベッドが派手に濡れているのを見て、そして、蓋が開いたままベッドの上に転がっているローションのボトルを見、うんざりと息を一つ吐く。
「おねしょじゃないわよ」
「あたりまえです」
カズマはメガネのブリッジを中指で押し上げた。
「王宮で、私のことをずいぶん調べまわっていたらしいですが。アシュー殿に聞きました」
凛とした、澄んだ声で問いただす。周子が笑う。
「そうそう、誰に聞いても返ってきたのはトウヘンボクという答えばかりで」
カズマは動じない。
「……で?なにかわかりましたか?」
「あなたの素性を」
「そうですか」
カズマは軽く頷くと、メガネを外し、胸ポケットから取り出したハンカチで額の汗をぬぐった。
「今日は暑いですね」
思わず、そうですね、となどとのんびり返したくなるような穏やかな間である。
確かに今日は暑いらしい。
建屋の中は涼しいが、窓の向こうを見れば木々を照りつけるその日差しの鮮やかさ、その暑さは容易に推し量れる。
ガーナに来てからというものの、日を追うごとに気温は確実に増し、まさに盛夏真っ盛りに突き進んでいこうとしているのが、周子にも肌で分かる。ミアムよりも季節の寒暖の差、一日の気温差は激しい。
こんな暑い日にも律儀に王宮に行ってきたんだな、と思いつつ、周子はカズマを見上げる。ようやく襟元を少し緩めたところだった。
メガネを外すと、カズマは、やはり思った以上にいい男で。
ギャランのよりも深い紫の瞳が、とっぷりと憂いを含んでいる。切れ長の涼しげなまぶたと、長いまつげが印象的だ。
カズマ・フォン・グランツ、ガーナで最も王に近い男。
カズマの、フォン・グランツ家はガーナ国において最も由緒正しく、権力財力ともにこの国最大の実力を有する最高位の貴族であるということを周子はやはり王宮でもアシューの口から確認した。代々王宮の財務管理を担っている上、土地を転がし株を操作し、経済金融市場を完全に牛耳っているそうである。
カズマはその宗主の正嫡、貴族の中の貴族、まさに貴公子の中の貴公子、王宮に通じ、政界に通じ、経済界に通じ……名実ともに次の宗主としてあまねく名が通っているのだそうだ。
周子がカズマという男について聞いて回って得たのは、そんな輝かんばかりの血筋と、実務に関する高い評価だった。
まじまじと自分を正面から見詰めてくる周子に、カズマは優雅に問い掛ける。
「一点の曇りもない、すばらしい血統でしょう?」
「おっしゃるとおりです……ご立派過ぎで」
カズマの悠然とした微笑に、周子はこくこくと頷いた。
カズマはガーナで最も有力な、最高位にある貴族だ。
だから、それゆえに「王」とは相容れない。
王ではなく、王に近い、男だ。実際には政治経済の実権を握っているといえるかもしれない。だがやはり、王、では無い。
「私、あなたこそが王だと思ったのよ。本当の意味で」
「ええ」
「なんか楽しそうね」
「最初から私にそう聞けばよかったのにと思ってますよ。エンギワルーにもずいぶん突っ込んで問い質したようですが。彼も楽しんでいたようです」
お茶でも入れましょう、カズマは周子をソファに促すと、珍しく手づから冷茶を入れ、勧めた。
「礼儀正しくて穏やかでやさしいし、頭もいいし、まるで理想的な王子様なのに」
「そんなにお褒めいただけるとは」
茶を口元へ運ぶ手を止め、目を細める。
「本当の性格はかなり悪いみたいだけど」
「思慮深いんです」
周子のツッコミに一層、カズマは嬉しそうな表情をみせた。
そんな表情に、周子は数瞬見惚れ……慌てて目をそらした。
「最初は、やっぱり前王陛下とやらの落し胤かなにかかと思ったのよ。ギャランが、ああも派手でバカなのはいわゆる影武者みたいなもんで。カズマ様の方が本当の王子で……ほら、臣下のところにこっそり養子みたいに預けてさ、暗殺とかから逃れさせる、みたいな。カズマ様、って様付きで呼んだ方がなんだかはるかにしっくりくるじゃない、ギャランはなんでおれは呼び捨てでカズマには様付きなんだ、ってずいぶん文句言ってたけど」
周子は、ぐっとカズマの顔を覗き込んだ。
王宮にあった肖像画で見た、前王陛下とやらの面影はいささかもない。
だがそれはギャランも同じで。前王陛下はギャランのような派手なド金髪ではなかったし、顔立ちもさほど似ているというわけでもない。
ただ、ギャランの何も考えていなさそうなクリアブルーの瞳より、カズマの深い紫の瞳の方が、神秘的ではるかに思慮深く知的で高貴な印象があり、よほど王というものに相応しい気がするのだ。
「……ほんとに、こっそり前王陛下とやらの血を引いているって事はないの?」
「ルドルフが聞いたらぶっ飛びますよ」
カズマは笑ったような、冷めたような、同時に微妙な表情をした。
「お父様のことを名前で呼ぶのね」
「仲悪いですからね」
と、そっけない。奇妙な顔をする周子に、腹黒い男ですから気をつけるように、とおよそ父親に向ける言葉とは思えぬ忠告を吐く。
そして、小さく息をついて。
「まもなく、ルドルフがこちらへ来ることになっていまして」
カズマはつい、と冷たく目を細めると周子を見た。
「出来れば、会わせたくないんですがね」
「あ、じゃあ、どこかで隠れて静かにしてよっか?」
「いえ、そうもいかないのですよ、ひと目、ひと目は会っていただく必要があります。例の後見の件、一応宗主の了承がいることでして。それで仕方なく。ルドルフがわざわざこちらへ来ると言い出したのには驚きましたがね、おそらく、ラインハルトから何かと話を聞いているに違いない。あなたがミアムの召喚の種であることには気づかれぬよう、出来るだけの手は打とうと思いますが、まあその黒目黒髪は隠しようが無い。して、あの狸、どう出るか、一目、で済めばよいのですが。面倒なことにならなければ良いのですがね、なにせあの男は相当のやり手ですから」
―――狸、って。
と、突っ込むのを飲んで。
「周子は私を信頼して大人しく黙っていてくれればそれでよいですから」
「信頼、して……ねぇ……」
「ええ、信頼して」
カズマはそう言って軽く肩を竦めて。当人もおかしいと思っているに違いないその素振りに、周子もまた笑ってしまった。
「なんだかカズマ様も、お父様との仲が良くないんだ?」
「も、ってなんです?」
カズマが意外そうに周子を見る。
「ああ、あのボンクラ様も、なんっか引っかかるのよね。急に前王陛下のことを褒め称えたりもして。あの男がそんなこと言うなんて。変よ、変、おかしいと思わない?」
「口を慎むように!」
ぴしりとカズマが戒める。
それから、いっそう冷めた顔をして聞く。
「王から、なにか聞いたのですね?」
「前王陛下があなたのお母様にぞっこんだったって」
「…………ストレートですね……」
カズマの目が驚いたようにちょっと丸くなった。
「王にはもう少し、歯にきぬを着せた話し方を習得して頂かないと……」
「カズマ様の関心はそこですか!」
「え?ええ」
見返してくるカズマの目にはいささかのたじろぎもない。
「じ、自分のお母さんが、他の男に言い寄られて、当時はずいぶんもめたとかなんとか、って言われてんのよ?こう、心に傷とかトラウマとか、大人のどろどろした関係に一言物申すとかどうとか、ないの!」
カズマは首をひねった。
「……ないですね。母は、最期まで応じなかったと聞いていますし」
「へっ?あっ?そうなの?私はてっきり不倫のダブル不倫の離婚とか親権とか愛憎劇どうとか、きったはったのなんだかかと」
あたふたとする手を振って説明する周子にカズマは冷たい嘲笑を向けた。
「王には、事実をきちんと他人に説明する能力がいちじるしく欠けてますね。まあそれは以前から思ってはいたのですが。困ったものですね。世間一般に言われる純愛劇をありふれた不倫話に仕立ててしまうとは……」
そう言って、唸った。
この男の関心事はあくまでもギャランについてのことなのらしい。
「じゃあ、カズマ様のお母様って、前王陛下の求愛を袖にしたの?」
「前王陛下が母を求めたときには、既にルドルフとは結婚していましてね。ルドルフは離婚までして彼女を王に献ぜようとしたのですが、女というものはしたたかなものですね、挙句、ルドルフの子を産みまして」
「したたか、って、それって……」
ルドルフの子、ってあんたのことだろ、と内心突っ込みつつ。カズマの言葉を待つ。カズマは真面目な顔をして首を傾げつつ、話を継ぐ。
「それが、どうしてなのか息子の私にもさっぱりわからないのですが、ルドルフが良かったらしいんですよ。あんなに優れた前王陛下を振って」
「どうしてかって……」
「いえ、どうしてか、ですよ。見目とて特に優れたところのない、ただ、血筋が良いだけの、貴族の金持ちの男ですよ?腹黒いし?政敵を篭絡するのも得意ですし?あまつさえ、自分の妻でさえ、王に献じて寵を受けんとした、最低な男ですよ?」
こういうときのカズマは本当に容赦がない。
「それでお父様とはいさかいが?」
「いえ。べつに。そんな、普通の親子の血のいさかいならば、そういうことが理由でしたら縁を切りますでしょう、普通。確かに私は潔癖ですが、縁を切るなんてとんでもない、そのようなことでイチイチ目くじらを立てるほど子供ではない、第一そんな些細なことで実の父親と揉めても家内が荒れるばかりで一文の得にもならないですからね」
その論理がさっぱり飲み込めず、周子は首を傾げた。
「私はもう成人です。そろそろ家督を譲って頂かなくては。家督を譲る、譲らない、そのことで一年前に派手にもめたんです、あの時はこてんぱんにやられました」
カズマはちら、と苦い表情をした。
「ルドルフの仕掛けた似非情報に見事に踊らされた挙句、株で大穴をあけましてね、全財産差し押さえですよ。それでグランツの総資産を預けるにはまだ早いってね、あのルドルフに上段からこう、ビシリと言われたのですよ。なんとまあ容赦の無い、大人げの無い、一粒胤のかけがえのない正嫡である私を、それこそぐうの音も出ないほど叩き潰してくれたのですよ」
カズマはそう言ってかちゃり、と音を立てて紅茶のカップを置いた。
「自分の息子をですよ、あんなに容赦なく叩き潰すなんて、絶対異常です。確かに莫大な資産ではありますが、まさかあそこまでグランツ家の財産に執着する男だとは思いませんでした!完璧だと思っていた私の策略をああも見事に、くしゃっ!と……あれを恨まずして何を恨むというのですか!いまだに私に家督を譲らないのですよ!あの頑固者めが!」
「は、はあ?」
何気にヒートアップしてくるそのココロがよく分からないが。
どうもそのあたりが不仲の原因らしい。
「じゃあ、お母様の話って!」
「関係ないですよ、全く。私とルドルフの不仲はそんな些細なことが原因ではありません。政治と経済と金の絡んだ、まさに実益攻守の頭脳戦ですよ。もっとぐっと根深い。まあ、たしかにあなたの仰る話のほうが分かりやすい、不仲の説明には便利だ、以後使いましょうかね」
ふふ、と笑うと、家督ねぇ、と一人呟いてメガネをキラリと光らせた。
「勿論私は自分の名で新しく家を興すことも出来ますが、やはり、グランツ家宗主、というのは捨てがたい」
「……………………」
「ま、暗殺など、謀らずとも。年ですし。まあそのうち死ぬでしょう。私は正当な、一人しかいない嫡子ですから、果報は寝て待て、とは世の先人はよくまあ言葉を残したものですね」
「って、ねぇ!」
―――なんなんだ、その冷淡さは。
カズマの絶妙にキラリと反射するメガネのグラスを見ていると、どうも肌寒いような、室温が冷えたような妙な気分になってきて周子はすがるように窓の外に目をやった。
窓の外では照りつける午後の暑い陽射しに木々の緑が焼かれるように見える、外はかなり暑そうだ。
「それに、あれは……今思えば、母は、ルドルフが好きなのではなく、むしろ嫌いだったのではないか、と思います……ルドルフは、王の怒りを買って一時は思いっきり左遷されましたから」
「へ?」
「べつに、ルドルフには非は無かったんですがね。王が勝手に人妻に惚れて、寄越せと。献上するために取り急ぎ離婚したのは良いが、母当人が俄然抵抗したって言うんですから。それに肚を立てた前王陛下がルドルフを左遷したのですよ。一時は世界の経済王、わがグランツ家も終わりかと囁かれたそうです、その点についてはまこと、一人の男として同情を禁じ得ない」
「せ、世間一般で言われている、前王陛下と臣下の妻の、純愛物語で終わらせておこうよ、ねっ」
「……………」
あまりな事実の暴露に周子は涙目で訴えた。
なんだか複雑な気分だ。ありふれた不倫劇のほうがよほどすっきりする。
「でも、あのバカを王にしたいなら、カズマ様がとっとと家督を早く継いで金でも権力でも何でもつぎ込んで強引に後押し、ってのが一番確実なんじゃないの?グランツ家、ってすんごい権力持ちなんでしょ?その権力を以ってすればそんなの簡単なんじゃないの?なんでそうしないの?」
ぐ、と初めてカズマは詰まった顔をした。
「私が家督を継ぐのには無論、誰も異存がない。実際、すぐにでもという話もまあ、あるにはあるのです。ですがしかし、ルドルフが提示してきた、家督を継ぐ条件というものがありましてね?ルドルフは私の結婚を、妻帯を条件にしてきたのですよ」
「あー、そりゃあ、無理だわ」
沈黙。
「………なんでしょう、いま、こう、強烈に、かちーんと……」
周子を見詰めてくるメガネの奥で紫の目が微かに歪んでいる。
「ラインハルトがそんなに私がモテないモテないとけなしていましたか」
「唐変木?ああ、トウヘンボク、気に食わないんだ、実際めっちゃ女嫌いのクセに」
カズマは異議有り、というように不快そうに一つ喉を鳴らした。
「例えば、自分の犯したミスで王の怒りを買うのなら、わかります。ですが、女の所為で左遷だなんてそんなそら恐ろしいこと、ごめんです。女なんて身の内に巣食う性質の悪い病とおんなじですよ、妻ですって?なぜそのようなものを嬉々として受け入れねばならんのです」
「ああ、お母様……」
―――息子さんの女嫌いはあなたに由来するようです……。
「いずれにせよ、結婚なぞただの取引、その気になれば私は誰とでも出来ます。くだらない条件ですよ」
「でもしていない」
「まだしたくないからです、それだけです、女に身を売る前にまだまだすることがある」
「ははあ、アンタにとっちゃ身売り?情のカケラもないなぁ」
それは単純に結婚がイヤだというだけなのではなかろうか、と思いつつ。
このカズマは一見物分りの良さげなふりをしているが、実はイヤなものはイヤだとどこまでも強情に突っ撥ねるタイプに違いない。大財閥の御曹司、若様気質といった感じだろうか。
「っていうか、あんたのその政治欲とか財産欲とか、少しでもギャランに分けられればいいのにね!あのバカは全然そういうの興味なさそうだし。あんた方二人、全然アンバランス!足して二で割れば少しはましに……」
「果報は寝て待て、……か」
カズマはまじまじと周子を見た。
「あなたはそんなに無防備だが、王とは本当にまだ何も無いのですか?」
「まだ、って何よ、まだ、って!未来永劫無いよ!」
周子はキッパリと言い切った。カズマは少し不思議そうに首を捻る。
「もともと女の体がそこに転がっていたとして、そう辛抱強く黙って指を咥えて見ていられるお方ではない……惚れたと騒いでいる割に、実はそれほどには興味が無いのでしょうかな?」
「もともと、って女のカラダはそこらへんに転がってるものではないよ!」
アンタの現実認識のほうが大問題だよ、と口を尖らせる周子のツッコミを無視して、カズマは自分のあご先に軽く指を当てて考えている。
「ふむ、好きな女をこう、私のところに預けておくというのも妙な話だ。王の気質を思えば、とにかくどこかに引きずりこんでたっぷりじっくり抱いてそれこそ自分だけの物に。極力人目に触れさせぬようにしようとするだろうに」
「まっ先にあんたのトコに連れてきたわね。どえらく自慢げに。水を飲ませてやるって、すごく優しく言ってくれたのに。だから付いて行ったのに」
カズマも周子と初めて会ったときのことを思い出したようだった。
「子供が、形の良い石ころを拾ってきて自慢げに見せるのと同じだと思いましたね」
そう言って、くすりと微笑む。
「石ころ、って!悪かったわね!あんたの好きな金塊じゃなくて!」
「いえ、金塊よりももっと素敵な輝石かも知れませんよ?王が、動くんですから。実際、伝説の真っ二つの剣を抜きましたし。王宮へ出入りすることもぐっと増えている、私はあなたを評価していますよ?」
カズマは満足げににっこりと微笑んだ。
自分で仕立てた筋書きをなぞるように。
「最初に申し付けたとおり、あなたは私に協力するのですよ。ギブアンドテイク、これはあなたの得意な交渉ごとです。王をいっぱしの押しも押されぬすばらしきガーナ国王に据えるのです。あなたは私を主ではないと言う、だが私の命令は聞かずとも私との交渉になら、応じるでしょう?」
「……うん……じゃあ、テイクは?」
「ロレンスを探してあげます。実際、既に私の息のかかった人間が調査に動いています。莫大な金をつぎ込んでますよ。安心なさい」
涼しい顔をして応えたカズマを周子はぽかん、と見つめた。動いていたのだ。
「だが、まずはともかく、あなたは私を困らせることなく、大人しく、王の下へ行ってくださいね。ルドルフの二の舞はごめんです」
「は?」
「あなたの今後の身の処遇について、私に後見人になれと、王直々にお達しがあったのです。後見人になるのは私ですが、その決済にはグランツ家宗主のルドルフの許可が必要で、先程申し上げたとおり、それでルドルフがわざわざこちらへ立ち寄る手筈になっているのですよ。後見だなんて、たかが情婦相手にわざわざこんな面倒な手続きを踏ませるなど、今までに無かったことなのですが」
「処遇、ってなにがどんな風にすすんでんの?なんかさー、いちじるしく当人無視してない?」
いやあな予感を感じつつ。
農作物かなんかをみる目だ、と思った。自分がかぼちゃかなんかで、おおきくなれよーとかってぺちぺち叩かれているようなイメージが頭に浮かんでしまう。
周子はぶんぶんとかぶりを振った。
そんな周子の様子に、カズマはうなずいた。至極冷静なカオをしている。
「私があなたに尽力する理由は、王があなたの言うことならば恐ろしく素直にきくからだ、その効力が失せるか、あるいは、王が真に王となったとき、あなたにはそれなりに身を処していただく。鞭打たれて追い出されるか、金を山と積んだ豪華な馬車で送り出されるか、それはあなた次第だ」
ははは、えげつないね、と周子は笑った。
「にしてもギャランはどうして、私にちょっかいをかけるんだろうね」
「かわいいからではないですか?」
「…………………」
「なにもそんなに不審そうな目で私を見ずとも」
周子の不審感たっぷりな眼差しに、カズマは笑みをもらした。
「涼しい顔して表情一つ変えず、心にもない事と言ってますって感じ」
「聡いですね」
こいつ絶対もって生まれた性格だ、と思いつつ、周子は軽くこぶしを握ったが、はた、と手を打った。
カズマの望みどおりギャランが王になり、かつ自分がギャランに差し出されずに済む、一石二鳥の案を思いついたのである。早い話、こんなまどろっこしい遠回りをしなくとも、カズマさえ妻を迎えその身をキッチリと固めさえすれば、済むのである。カズマが結婚しグランツ家の家督を継いでその権力で以ってギャランを強力にバックアップしさえすればそれでよいのだ。
「家督を継ぐ気はマンマンなんでしょ!だったらさだったらさ!名案があるよ!」
周子は極上の笑みを湛えて身を乗り出した。
「私と結婚しない?」
「…………………」
カズマは懐から扇子を取り出すとばさり、と仰いだ。
「こうも暑いと、気が変になりますね」
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自分の寝室のベッドの上に、まだ周子がいる。
思わず、なぜ?とうめき声が喉の奥で鳴った。しかも見れば自分のシャツを勝手に着ているようである、ぱっと見、これではちょっとイイ仲の情婦のようではないか。
なにやら部屋の中がとてもよい香りがして。
それが普段自分が馴染んでいる香料の匂いだとわかっていても、まるでまったく別な色を含んでいるようで、カズマは妙に落ち着かないような心持ちになった。
周子はベッドの上に片膝を立てて座っている。首を傾げ、濡れた長い黒髪が、肩に背に斜に乱れていて。
立てた膝の、シャツの裾から覗く足の白さや、長い袖をまくった腕の細さが、しなやかそうな手首の括れが、カズマの視線をひどく惹きつけた。ハンズを相手に話をしながらなにやら笑ってはいるようだがどこかひどく深く落ち込んでいるような。濃い影を背負ったその背中はまるで消え入りそうに儚く。
―――これがあの、周子か?
ぞっとするほどに壮絶な色気が漂っている。
この光景を王に見せてはいけない、とカズマは思った。
―――いや、誰にも。
なぜドアを開け放している、こんな無用心に、そんな姿をさらして。
むしろ苛立ちを覚え、カズマははっきりと音を立ててドアを閉めた。
「ああ、ごめん、今さっき起きたの」
周子は首だけちょっとひねって振り返ると笑った。悪びれる様子も無い。
「何をしている?」
「これが漆塗金蒔絵の伝統技術に見えて?」
周子はついでだから、と言って自分の爪先も染めている。一体どこから手に入れたのか、ずいぶんと綺麗な赤い色、いや、色が綺麗というより、周子のその細い白い指先によく似合っていた。そんな可憐な女の指先を間近で見るのはずいぶんと久しぶりのような気がしてカズマは目を逸らした。周子の前には既に爪先を真っ赤に染めたハンズが、ぺたり、とまるでせんべいのように平べったくなって手の甲をベッドの上に並べている。どうやらこちらは爪を乾かしている最中のようだ。
カズマは上着を脱ぐとソファにほおった。
ベッドが派手に濡れているのを見て、そして、蓋が開いたままベッドの上に転がっているローションのボトルを見、うんざりと息を一つ吐く。
「おねしょじゃないわよ」
「あたりまえです」
カズマはメガネのブリッジを中指で押し上げた。
「王宮で、私のことをずいぶん調べまわっていたらしいですが。アシュー殿に聞きました」
凛とした、澄んだ声で問いただす。周子が笑う。
「そうそう、誰に聞いても返ってきたのはトウヘンボクという答えばかりで」
カズマは動じない。
「……で?なにかわかりましたか?」
「あなたの素性を」
「そうですか」
カズマは軽く頷くと、メガネを外し、胸ポケットから取り出したハンカチで額の汗をぬぐった。
「今日は暑いですね」
思わず、そうですね、となどとのんびり返したくなるような穏やかな間である。
確かに今日は暑いらしい。
建屋の中は涼しいが、窓の向こうを見れば木々を照りつけるその日差しの鮮やかさ、その暑さは容易に推し量れる。
ガーナに来てからというものの、日を追うごとに気温は確実に増し、まさに盛夏真っ盛りに突き進んでいこうとしているのが、周子にも肌で分かる。ミアムよりも季節の寒暖の差、一日の気温差は激しい。
こんな暑い日にも律儀に王宮に行ってきたんだな、と思いつつ、周子はカズマを見上げる。ようやく襟元を少し緩めたところだった。
メガネを外すと、カズマは、やはり思った以上にいい男で。
ギャランのよりも深い紫の瞳が、とっぷりと憂いを含んでいる。切れ長の涼しげなまぶたと、長いまつげが印象的だ。
カズマ・フォン・グランツ、ガーナで最も王に近い男。
カズマの、フォン・グランツ家はガーナ国において最も由緒正しく、権力財力ともにこの国最大の実力を有する最高位の貴族であるということを周子はやはり王宮でもアシューの口から確認した。代々王宮の財務管理を担っている上、土地を転がし株を操作し、経済金融市場を完全に牛耳っているそうである。
カズマはその宗主の正嫡、貴族の中の貴族、まさに貴公子の中の貴公子、王宮に通じ、政界に通じ、経済界に通じ……名実ともに次の宗主としてあまねく名が通っているのだそうだ。
周子がカズマという男について聞いて回って得たのは、そんな輝かんばかりの血筋と、実務に関する高い評価だった。
まじまじと自分を正面から見詰めてくる周子に、カズマは優雅に問い掛ける。
「一点の曇りもない、すばらしい血統でしょう?」
「おっしゃるとおりです……ご立派過ぎで」
カズマの悠然とした微笑に、周子はこくこくと頷いた。
カズマはガーナで最も有力な、最高位にある貴族だ。
だから、それゆえに「王」とは相容れない。
王ではなく、王に近い、男だ。実際には政治経済の実権を握っているといえるかもしれない。だがやはり、王、では無い。
「私、あなたこそが王だと思ったのよ。本当の意味で」
「ええ」
「なんか楽しそうね」
「最初から私にそう聞けばよかったのにと思ってますよ。エンギワルーにもずいぶん突っ込んで問い質したようですが。彼も楽しんでいたようです」
お茶でも入れましょう、カズマは周子をソファに促すと、珍しく手づから冷茶を入れ、勧めた。
「礼儀正しくて穏やかでやさしいし、頭もいいし、まるで理想的な王子様なのに」
「そんなにお褒めいただけるとは」
茶を口元へ運ぶ手を止め、目を細める。
「本当の性格はかなり悪いみたいだけど」
「思慮深いんです」
周子のツッコミに一層、カズマは嬉しそうな表情をみせた。
そんな表情に、周子は数瞬見惚れ……慌てて目をそらした。
「最初は、やっぱり前王陛下とやらの落し胤かなにかかと思ったのよ。ギャランが、ああも派手でバカなのはいわゆる影武者みたいなもんで。カズマ様の方が本当の王子で……ほら、臣下のところにこっそり養子みたいに預けてさ、暗殺とかから逃れさせる、みたいな。カズマ様、って様付きで呼んだ方がなんだかはるかにしっくりくるじゃない、ギャランはなんでおれは呼び捨てでカズマには様付きなんだ、ってずいぶん文句言ってたけど」
周子は、ぐっとカズマの顔を覗き込んだ。
王宮にあった肖像画で見た、前王陛下とやらの面影はいささかもない。
だがそれはギャランも同じで。前王陛下はギャランのような派手なド金髪ではなかったし、顔立ちもさほど似ているというわけでもない。
ただ、ギャランの何も考えていなさそうなクリアブルーの瞳より、カズマの深い紫の瞳の方が、神秘的ではるかに思慮深く知的で高貴な印象があり、よほど王というものに相応しい気がするのだ。
「……ほんとに、こっそり前王陛下とやらの血を引いているって事はないの?」
「ルドルフが聞いたらぶっ飛びますよ」
カズマは笑ったような、冷めたような、同時に微妙な表情をした。
「お父様のことを名前で呼ぶのね」
「仲悪いですからね」
と、そっけない。奇妙な顔をする周子に、腹黒い男ですから気をつけるように、とおよそ父親に向ける言葉とは思えぬ忠告を吐く。
そして、小さく息をついて。
「まもなく、ルドルフがこちらへ来ることになっていまして」
カズマはつい、と冷たく目を細めると周子を見た。
「出来れば、会わせたくないんですがね」
「あ、じゃあ、どこかで隠れて静かにしてよっか?」
「いえ、そうもいかないのですよ、ひと目、ひと目は会っていただく必要があります。例の後見の件、一応宗主の了承がいることでして。それで仕方なく。ルドルフがわざわざこちらへ来ると言い出したのには驚きましたがね、おそらく、ラインハルトから何かと話を聞いているに違いない。あなたがミアムの召喚の種であることには気づかれぬよう、出来るだけの手は打とうと思いますが、まあその黒目黒髪は隠しようが無い。して、あの狸、どう出るか、一目、で済めばよいのですが。面倒なことにならなければ良いのですがね、なにせあの男は相当のやり手ですから」
―――狸、って。
と、突っ込むのを飲んで。
「周子は私を信頼して大人しく黙っていてくれればそれでよいですから」
「信頼、して……ねぇ……」
「ええ、信頼して」
カズマはそう言って軽く肩を竦めて。当人もおかしいと思っているに違いないその素振りに、周子もまた笑ってしまった。
「なんだかカズマ様も、お父様との仲が良くないんだ?」
「も、ってなんです?」
カズマが意外そうに周子を見る。
「ああ、あのボンクラ様も、なんっか引っかかるのよね。急に前王陛下のことを褒め称えたりもして。あの男がそんなこと言うなんて。変よ、変、おかしいと思わない?」
「口を慎むように!」
ぴしりとカズマが戒める。
それから、いっそう冷めた顔をして聞く。
「王から、なにか聞いたのですね?」
「前王陛下があなたのお母様にぞっこんだったって」
「…………ストレートですね……」
カズマの目が驚いたようにちょっと丸くなった。
「王にはもう少し、歯にきぬを着せた話し方を習得して頂かないと……」
「カズマ様の関心はそこですか!」
「え?ええ」
見返してくるカズマの目にはいささかのたじろぎもない。
「じ、自分のお母さんが、他の男に言い寄られて、当時はずいぶんもめたとかなんとか、って言われてんのよ?こう、心に傷とかトラウマとか、大人のどろどろした関係に一言物申すとかどうとか、ないの!」
カズマは首をひねった。
「……ないですね。母は、最期まで応じなかったと聞いていますし」
「へっ?あっ?そうなの?私はてっきり不倫のダブル不倫の離婚とか親権とか愛憎劇どうとか、きったはったのなんだかかと」
あたふたとする手を振って説明する周子にカズマは冷たい嘲笑を向けた。
「王には、事実をきちんと他人に説明する能力がいちじるしく欠けてますね。まあそれは以前から思ってはいたのですが。困ったものですね。世間一般に言われる純愛劇をありふれた不倫話に仕立ててしまうとは……」
そう言って、唸った。
この男の関心事はあくまでもギャランについてのことなのらしい。
「じゃあ、カズマ様のお母様って、前王陛下の求愛を袖にしたの?」
「前王陛下が母を求めたときには、既にルドルフとは結婚していましてね。ルドルフは離婚までして彼女を王に献ぜようとしたのですが、女というものはしたたかなものですね、挙句、ルドルフの子を産みまして」
「したたか、って、それって……」
ルドルフの子、ってあんたのことだろ、と内心突っ込みつつ。カズマの言葉を待つ。カズマは真面目な顔をして首を傾げつつ、話を継ぐ。
「それが、どうしてなのか息子の私にもさっぱりわからないのですが、ルドルフが良かったらしいんですよ。あんなに優れた前王陛下を振って」
「どうしてかって……」
「いえ、どうしてか、ですよ。見目とて特に優れたところのない、ただ、血筋が良いだけの、貴族の金持ちの男ですよ?腹黒いし?政敵を篭絡するのも得意ですし?あまつさえ、自分の妻でさえ、王に献じて寵を受けんとした、最低な男ですよ?」
こういうときのカズマは本当に容赦がない。
「それでお父様とはいさかいが?」
「いえ。べつに。そんな、普通の親子の血のいさかいならば、そういうことが理由でしたら縁を切りますでしょう、普通。確かに私は潔癖ですが、縁を切るなんてとんでもない、そのようなことでイチイチ目くじらを立てるほど子供ではない、第一そんな些細なことで実の父親と揉めても家内が荒れるばかりで一文の得にもならないですからね」
その論理がさっぱり飲み込めず、周子は首を傾げた。
「私はもう成人です。そろそろ家督を譲って頂かなくては。家督を譲る、譲らない、そのことで一年前に派手にもめたんです、あの時はこてんぱんにやられました」
カズマはちら、と苦い表情をした。
「ルドルフの仕掛けた似非情報に見事に踊らされた挙句、株で大穴をあけましてね、全財産差し押さえですよ。それでグランツの総資産を預けるにはまだ早いってね、あのルドルフに上段からこう、ビシリと言われたのですよ。なんとまあ容赦の無い、大人げの無い、一粒胤のかけがえのない正嫡である私を、それこそぐうの音も出ないほど叩き潰してくれたのですよ」
カズマはそう言ってかちゃり、と音を立てて紅茶のカップを置いた。
「自分の息子をですよ、あんなに容赦なく叩き潰すなんて、絶対異常です。確かに莫大な資産ではありますが、まさかあそこまでグランツ家の財産に執着する男だとは思いませんでした!完璧だと思っていた私の策略をああも見事に、くしゃっ!と……あれを恨まずして何を恨むというのですか!いまだに私に家督を譲らないのですよ!あの頑固者めが!」
「は、はあ?」
何気にヒートアップしてくるそのココロがよく分からないが。
どうもそのあたりが不仲の原因らしい。
「じゃあ、お母様の話って!」
「関係ないですよ、全く。私とルドルフの不仲はそんな些細なことが原因ではありません。政治と経済と金の絡んだ、まさに実益攻守の頭脳戦ですよ。もっとぐっと根深い。まあ、たしかにあなたの仰る話のほうが分かりやすい、不仲の説明には便利だ、以後使いましょうかね」
ふふ、と笑うと、家督ねぇ、と一人呟いてメガネをキラリと光らせた。
「勿論私は自分の名で新しく家を興すことも出来ますが、やはり、グランツ家宗主、というのは捨てがたい」
「……………………」
「ま、暗殺など、謀らずとも。年ですし。まあそのうち死ぬでしょう。私は正当な、一人しかいない嫡子ですから、果報は寝て待て、とは世の先人はよくまあ言葉を残したものですね」
「って、ねぇ!」
―――なんなんだ、その冷淡さは。
カズマの絶妙にキラリと反射するメガネのグラスを見ていると、どうも肌寒いような、室温が冷えたような妙な気分になってきて周子はすがるように窓の外に目をやった。
窓の外では照りつける午後の暑い陽射しに木々の緑が焼かれるように見える、外はかなり暑そうだ。
「それに、あれは……今思えば、母は、ルドルフが好きなのではなく、むしろ嫌いだったのではないか、と思います……ルドルフは、王の怒りを買って一時は思いっきり左遷されましたから」
「へ?」
「べつに、ルドルフには非は無かったんですがね。王が勝手に人妻に惚れて、寄越せと。献上するために取り急ぎ離婚したのは良いが、母当人が俄然抵抗したって言うんですから。それに肚を立てた前王陛下がルドルフを左遷したのですよ。一時は世界の経済王、わがグランツ家も終わりかと囁かれたそうです、その点についてはまこと、一人の男として同情を禁じ得ない」
「せ、世間一般で言われている、前王陛下と臣下の妻の、純愛物語で終わらせておこうよ、ねっ」
「……………」
あまりな事実の暴露に周子は涙目で訴えた。
なんだか複雑な気分だ。ありふれた不倫劇のほうがよほどすっきりする。
「でも、あのバカを王にしたいなら、カズマ様がとっとと家督を早く継いで金でも権力でも何でもつぎ込んで強引に後押し、ってのが一番確実なんじゃないの?グランツ家、ってすんごい権力持ちなんでしょ?その権力を以ってすればそんなの簡単なんじゃないの?なんでそうしないの?」
ぐ、と初めてカズマは詰まった顔をした。
「私が家督を継ぐのには無論、誰も異存がない。実際、すぐにでもという話もまあ、あるにはあるのです。ですがしかし、ルドルフが提示してきた、家督を継ぐ条件というものがありましてね?ルドルフは私の結婚を、妻帯を条件にしてきたのですよ」
「あー、そりゃあ、無理だわ」
沈黙。
「………なんでしょう、いま、こう、強烈に、かちーんと……」
周子を見詰めてくるメガネの奥で紫の目が微かに歪んでいる。
「ラインハルトがそんなに私がモテないモテないとけなしていましたか」
「唐変木?ああ、トウヘンボク、気に食わないんだ、実際めっちゃ女嫌いのクセに」
カズマは異議有り、というように不快そうに一つ喉を鳴らした。
「例えば、自分の犯したミスで王の怒りを買うのなら、わかります。ですが、女の所為で左遷だなんてそんなそら恐ろしいこと、ごめんです。女なんて身の内に巣食う性質の悪い病とおんなじですよ、妻ですって?なぜそのようなものを嬉々として受け入れねばならんのです」
「ああ、お母様……」
―――息子さんの女嫌いはあなたに由来するようです……。
「いずれにせよ、結婚なぞただの取引、その気になれば私は誰とでも出来ます。くだらない条件ですよ」
「でもしていない」
「まだしたくないからです、それだけです、女に身を売る前にまだまだすることがある」
「ははあ、アンタにとっちゃ身売り?情のカケラもないなぁ」
それは単純に結婚がイヤだというだけなのではなかろうか、と思いつつ。
このカズマは一見物分りの良さげなふりをしているが、実はイヤなものはイヤだとどこまでも強情に突っ撥ねるタイプに違いない。大財閥の御曹司、若様気質といった感じだろうか。
「っていうか、あんたのその政治欲とか財産欲とか、少しでもギャランに分けられればいいのにね!あのバカは全然そういうの興味なさそうだし。あんた方二人、全然アンバランス!足して二で割れば少しはましに……」
「果報は寝て待て、……か」
カズマはまじまじと周子を見た。
「あなたはそんなに無防備だが、王とは本当にまだ何も無いのですか?」
「まだ、って何よ、まだ、って!未来永劫無いよ!」
周子はキッパリと言い切った。カズマは少し不思議そうに首を捻る。
「もともと女の体がそこに転がっていたとして、そう辛抱強く黙って指を咥えて見ていられるお方ではない……惚れたと騒いでいる割に、実はそれほどには興味が無いのでしょうかな?」
「もともと、って女のカラダはそこらへんに転がってるものではないよ!」
アンタの現実認識のほうが大問題だよ、と口を尖らせる周子のツッコミを無視して、カズマは自分のあご先に軽く指を当てて考えている。
「ふむ、好きな女をこう、私のところに預けておくというのも妙な話だ。王の気質を思えば、とにかくどこかに引きずりこんでたっぷりじっくり抱いてそれこそ自分だけの物に。極力人目に触れさせぬようにしようとするだろうに」
「まっ先にあんたのトコに連れてきたわね。どえらく自慢げに。水を飲ませてやるって、すごく優しく言ってくれたのに。だから付いて行ったのに」
カズマも周子と初めて会ったときのことを思い出したようだった。
「子供が、形の良い石ころを拾ってきて自慢げに見せるのと同じだと思いましたね」
そう言って、くすりと微笑む。
「石ころ、って!悪かったわね!あんたの好きな金塊じゃなくて!」
「いえ、金塊よりももっと素敵な輝石かも知れませんよ?王が、動くんですから。実際、伝説の真っ二つの剣を抜きましたし。王宮へ出入りすることもぐっと増えている、私はあなたを評価していますよ?」
カズマは満足げににっこりと微笑んだ。
自分で仕立てた筋書きをなぞるように。
「最初に申し付けたとおり、あなたは私に協力するのですよ。ギブアンドテイク、これはあなたの得意な交渉ごとです。王をいっぱしの押しも押されぬすばらしきガーナ国王に据えるのです。あなたは私を主ではないと言う、だが私の命令は聞かずとも私との交渉になら、応じるでしょう?」
「……うん……じゃあ、テイクは?」
「ロレンスを探してあげます。実際、既に私の息のかかった人間が調査に動いています。莫大な金をつぎ込んでますよ。安心なさい」
涼しい顔をして応えたカズマを周子はぽかん、と見つめた。動いていたのだ。
「だが、まずはともかく、あなたは私を困らせることなく、大人しく、王の下へ行ってくださいね。ルドルフの二の舞はごめんです」
「は?」
「あなたの今後の身の処遇について、私に後見人になれと、王直々にお達しがあったのです。後見人になるのは私ですが、その決済にはグランツ家宗主のルドルフの許可が必要で、先程申し上げたとおり、それでルドルフがわざわざこちらへ立ち寄る手筈になっているのですよ。後見だなんて、たかが情婦相手にわざわざこんな面倒な手続きを踏ませるなど、今までに無かったことなのですが」
「処遇、ってなにがどんな風にすすんでんの?なんかさー、いちじるしく当人無視してない?」
いやあな予感を感じつつ。
農作物かなんかをみる目だ、と思った。自分がかぼちゃかなんかで、おおきくなれよーとかってぺちぺち叩かれているようなイメージが頭に浮かんでしまう。
周子はぶんぶんとかぶりを振った。
そんな周子の様子に、カズマはうなずいた。至極冷静なカオをしている。
「私があなたに尽力する理由は、王があなたの言うことならば恐ろしく素直にきくからだ、その効力が失せるか、あるいは、王が真に王となったとき、あなたにはそれなりに身を処していただく。鞭打たれて追い出されるか、金を山と積んだ豪華な馬車で送り出されるか、それはあなた次第だ」
ははは、えげつないね、と周子は笑った。
「にしてもギャランはどうして、私にちょっかいをかけるんだろうね」
「かわいいからではないですか?」
「…………………」
「なにもそんなに不審そうな目で私を見ずとも」
周子の不審感たっぷりな眼差しに、カズマは笑みをもらした。
「涼しい顔して表情一つ変えず、心にもない事と言ってますって感じ」
「聡いですね」
こいつ絶対もって生まれた性格だ、と思いつつ、周子は軽くこぶしを握ったが、はた、と手を打った。
カズマの望みどおりギャランが王になり、かつ自分がギャランに差し出されずに済む、一石二鳥の案を思いついたのである。早い話、こんなまどろっこしい遠回りをしなくとも、カズマさえ妻を迎えその身をキッチリと固めさえすれば、済むのである。カズマが結婚しグランツ家の家督を継いでその権力で以ってギャランを強力にバックアップしさえすればそれでよいのだ。
「家督を継ぐ気はマンマンなんでしょ!だったらさだったらさ!名案があるよ!」
周子は極上の笑みを湛えて身を乗り出した。
「私と結婚しない?」
「…………………」
カズマは懐から扇子を取り出すとばさり、と仰いだ。
「こうも暑いと、気が変になりますね」
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- 2005-10-01 06:48
- カテゴリ : 「タトゥー・オブ・ギャラン」/長編/連載中
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