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[tog]39:グランツ家父子

 周子は目の前につながれている小さめの馬を見定め、乱暴に蹴り上げると、馬は猛々しく首をしならせた。怒りのあまり灰色のたてがみを炎のように振り立て後ろ足を高く蹴り上げるそれにひらりとまたがると、カズマを追った。
 追いつかないまでも、背後に猛々しい馬のひづめの音を認め、カズマが振り返る。
「なぜついてくるんですっ!」
 きっ、と振り返って、周子を睨む。
「あなたが馬に乗れるとは思いませんでしたがっ!」
「この手の教育ならしっかり施されててねっ!」
 正確に言えば、酔っ払ったクレリック・リザートが周子を馬の背に乗せるやその尻を蹴り上げ、三日三晩、馬の背であちこちを彷徨う破目になったのだが。おかげで馬の扱いは得意だ。クレリック・リザートが修三にキランとパラボルの、氷と炎の複合呪文を容赦なく食らわされ、三週間再起不能にされただけの値は十分にある。
「血!慣れないと噛みますよ!」
 拭うと、手の甲に血がべっとりとついた。カズマに答えるうちに思いっきり噛んだらしい。やや遅れて、痛みと、血の味が口中に広がった。
 いかに優美な貴公子のカズマとはいえ、さすがは軍属の身である。馬を駆る力強いその後姿は実に勇壮である。
 周子は、だが、そのスピードが決して全速力ではないことに気づき……そしてまた、周子の姿を認めるまでは確かに猛烈な勢いで馬を駆っていたと思うと、大きく舌打ちし、それこそ思いっきり馬の腹を蹴るや、一気にカズマの横に並んだ。
「余計な気遣いをしてないで、とっとと、行け!」
 ギョッとしたようなカズマが、一拍間を置いて、力強く馬の腹を蹴った。

 国境沿いをセリアへと続く間道を駆け抜けると、前方から荒ぶった獣の唸り声が耳に届いた。やや遅れて生臭いような匂いが鼻につく。血の匂いだ。
 やがて遠目に、ニ台の馬車が立ち往生し、完全に及び腰ながらそれでも健気に剣と盾を構え、だが立ち向かうでもなく逃げ回る従者の姿と荒ぶる獣の姿が、木立の向こうに見え隠れした。
 カズマは軽く身を震わせると、いっそう強く馬の腹を蹴り、土くれを蹴立ててその中に突進する。
「なんだ!ただの狼ではないですかっ!」
 駆け込みザマに襲い掛かる狼をなぎ払い、カズマは馬を御すると飛び降りた。続けて数匹の狼を斬り倒す。狼の群れを蹴散らしてから、カズマはルドルフを一喝した。
「どれほど心配したと思っているんです!」
 カズマはざっと剣を振って、血しぶきを飛ばすと、かちりと剣を納めた。
 息子に一喝された父親は、隠れていた馬車の中からようやく姿を現し息子に短く詫びた。
「兵を一人もつけないなんて、無用心ではないですか!」
「お前の領地だから大丈夫かと思ったんだが」
 間。
 はて、とカズマは首をひねる。
「確かに、そうですね。確かにこんなことは珍しいですね。兵を編成して領内の見回りを強化することに致しましょう」
「身を呈した助言だと思ってくれれば……」
「思えません」
 カズマはぴしゃりと言い捨て、父親の従者共に被害状況などを確認・報告させると、遅れて馳せたエンギワルーに後を一任した。
「いきなり、”宗主殿ご一行が魔物に襲撃されましたー!!”って。血まみれの従者が駆け込んできたときにはそりゃあビックリしたけど。よかったわね?大事じゃなくて。来てみりゃ、ただの狼だったし」
 カズマの見事な剣捌きに、狼の群れを蹴散らした勇壮な馬の御し様につくづく感心しながら、完全に出番の無かった周子は陽気に笑って馬からひらりと下りた。
「普通は、ただの狼でも十分、怖がるはずなんですがね、女性なら」
「やー、かっこよかったよまじで。強いじゃん、ラインハルトがべた褒めしてただけあるね!」
「論点がまるでかみ合わないな」
 カズマはつくづくあきれたように。だがその表情は屋敷で襲撃の報告を聞いた時よりもはるかに落ち着いていて。ほっとしたいい表情をしている。
「……大丈夫ですか?振り返ると血を滴らせながら馬を駆る女がいて、さすがにギョッとしましたよ。それもすごい形相で」
 カズマは冗談めかして笑いながら、従者から水を受け取ると、絹のハンカチを濡らし、それで周子の口元を拭った。
「どれ」
 口を開けさせると噛んだ舌の具合を検分して。
「今夜はおかゆですね」
 今夜はルドルフが泊まるので盛大にごちそうをと手配していたんですが、と言う微妙に底意地の悪いカズマを周子は軽く蹴り上げる。
「足。お行儀の悪い。ルドルフには屋敷についてから話をしますから、今は大人しく見つからぬよう、侍女にまぎれてお戻りなさい」
と、軽く肩を抱き寄せささやいたのだが。
「うを!」
 カズマは振り返り様にビクリとのけぞった。
 ルドルフがすぐ後に立っていたからで。
「珍しいな、お前が女を伴うとは。領内に野生の狼や熊が出るより珍しいではないか」
「…………書簡でお知らせしておりました、例の後見を務める娘です」
 軽い抵抗の後に、うんざりと述べた。
 ルドルフは軽く目を見開いた。
「では、この娘か、過日ラインハルトがわざわざワシの元を訪れて、寄越せ寄越せとしつこく迫った女は。西ベルンシスと東ベルンシス、ベッツヴァーラ河にリンツ銅山の利権をやると、申し出てきた、所望の女は」
「リンツ銅山、ですか」
「恩を売るのも悪くないと思ってな」
 カズマは意外そうな声を上げた。
 リンツ銅山、と繰り返し呟き、カズマはふむ、と頷いて。
 ベッツヴァーラ河同様、食指の動くものらしい。
「そういえば過日リンツ銅山から産出銅原石の含有量、極めて良質の層が見つかったとか……」
 全く、当人を無視するな、と思いつつ、大して興味の湧かない銅の話が始まり出したのであたりを見遣れば、せわしく立ち働く従者達の向こうで、ひとりじっと馬のそばにかがみこんでいるエンギワルーの姿がある。
 銅がどうの、経済波及効果かどうの、と利権の話で盛り上がるカネスキー親子を残し、かのスキンヘッドの元へこっそりと歩み寄る。
 こちらを見つめてくるエンギワルーの目が、明らかに厳しい。
 普段でも十分仏頂面であるその表情に、陰鬱で、剃刀のように鋭い眼差しを添えて、周子を見る。
「馬、走るにはそれなりの能力というものがあるのだが」
「ええ、よく走って、いい馬で……はれっ?」
 周子の駆ってきた灰色の馬は、座っているのではなく、力なく地面に横たわっているわけで。しかも、息も絶え絶え、見るからに死にそうである。
「若の馬は前王陛下から賜った駿馬であるからして、そこいらの馬で追いすがることなど到底無理な話。無茶をさせるにもほどがある」
 鋭い眼差しをいっそう細め、怜悧に睨みつける。
 ほのかに吊りあがった口の端が、怒りを湛えている。
「肉体の限界を越えて走ったのであろう、馬上の駆り手がよほど恐ろしかったとみえる」
「ご、ごごごめん」
「この馬は私の息子の愛馬だ。さぞショックを受けるだろう」
 ―――あんたもすっげー、オッソロシイよ、
 そんな軽口も叩けない。
 周子とエンギワルーの見ている前で、灰色の馬は、はっはっ、と浅く息を吐くと、急速に活力を失い、首を前に出し、手や足をしどけなく伸ばしたまま、ビクビクッと数瞬激しく痙攣したかと思うと、ぴたりと動かなくなる。絶え絶えだった呼吸は既に止まっている。
 すぐ隣で、エンギワルーが抑え難い怒りと悲しみに任せ低く唸った。
 周子は慌ててエンギワルーに詫びると、ちょっと馬の体に手を当て意識を集中し、馬体めがけてスペルを唱えた。
「デイ!」
 カッ、と閃光が炸裂したかと思うと、馬体がピクリ、と反応し、たちまちに起き上がる。
「……蘇生が、出来るのか」
 周子の能力に、唖然としたエンギワルーが呟く。
 一瞬の閃光に、周子!と短く叫んでカズマが駆け寄ってくる。その腕をぐっとつかんで引き寄せると、焦ったような余裕のない表情で言う。
「呪文など、くれぐれも人前では控えて下さい。この時代、こんなことが出来る人間は他にいないんですよ!」
「あ、そっか、ごめん」
「それにしてもそんなことが出来るなんて……私も初めて見ましたが、なんということだ、すごいことです」
 ほとんど抱きしめるに近く。
 驚いているカズマの体は微かに震えている。
 背後から急に声がかかった。
「カズマ、その娘御をワシにくれんか」
「お断りします」
 即座にカズマはキッパリと断った。
 あなたの能力は物騒すぎる、とカズマは周子の耳元で小さく囁いた。
 それをどうとったのか、ルドルフは、はははん、と頷いた。
「いや珍しい。お前が女に執心するとは」
「いえ、これは王が……」
 抱きしめるようにしていたその体を慌てて離し、改めて周子の立場を説明しようとしたカズマの手を、今度は周子が、きゅっ、とおもむろに握ると。
 ルドルフを見上げ、にこりと笑った。
「お父様、私、こちらのカズマ様と結婚したいのですが」
「周子!」
 横でカズマが、がびん!と飛び上がった。
「お父様、とな……」
 ルドルフは口元に手を当て、呆然と呟く。
「あはは、やっぱ無理よねぇ」
「!あああ、あたりまえですっ!」
 あっけらかんと笑った周子の隣でカズマは青筋を立て、クチをパクパクさせた。
 だが、しばしの沈黙の後、顔を上げたルドルフは意外にも破顔一笑して見せた。
「お父様……いや、まこと、いいものですなあ、若い娘御にそう呼ばれるのは!ワシにはこの息子しかおりませんでな!この分からず屋で堅物の。かねがね、美人の娘が欲しいと思っていたのですぞ!第一、あのカズマがこう手を握らせてなお大人しくしているなど、前代未聞、女を伴っていること自体、珍しいのに……これは脈があるな!」
 カズマの女嫌いは根強くて、こんな調子ではいつ嫁を迎えるのかとやきもきしていたのだが、そうかそうか、好いた女が出来たか、結構結構、これで安心して家督を譲れる!と、ルドルフはまくし立て、満足そうにバンバンとカズマの背を叩いた。
 カズマがずり下がったメガネを押し上げる。
「あの……」
「何も言うな!お前の選んだ娘御だ、ワシには文句のつけようがない!というより……」
 おもむろに言葉を切って、周子のもう一方の手を握った。
「どうかカズマを頼む。まさかこの堅物の愚息に貴方のような美女が添ってくださるとは」
「美女っ?」
 目を剥くカズマを後ろ足で蹴る。
「まあ。私、お父様譲りのその美しい紫の瞳にもう惚れて惚れて惚れまくってますの!」
「あれに惚れたと仰っしゃってくださいますか!」
 驚いたようなルドルフの物言いに、周子は真面目に少し驚いたように目を見開いて。
「え、ええもちろん、っていうか、そこは冗談抜きでカッコいいし。頭いいし、私には不釣合いなくらい、高嶺の花、って感じで……さっきなんて、そりゃあもう、日頃の唐変木ぶりも一掃するほどにすばらしくかっこよくて。狼をばっさばっさと斬り捨ててねぇ。いやほんとにちょっと尊敬したよ、恋に落ちたかな、あー、この感じ?」
 無論その口ぶりは到底恋を知る者の言葉ではないが。周子はイマイチつかめぬながらも、うううん、と軽く唸りつつ首を傾げ、微笑んでみせた。
「ああ周子、もう良いですからどうか、どうか下がって……」
 カズマはため息をつきつつ、ルドルフと周子の間に割って入ると、周子の手を引いて、ぐい、と強引に自分の背に隠した。
「ふむ、お前がニールセンの鉄鋼脈を手離してまで固執したとはまことらしいの」
「!!」
「ワシに隠しとおせると思っていたのか、ラインハルトから筒抜けじゃぞ、ニールセンの鉄鋼脈、お前に預けたばかりのまさに金の成る木、お前にとっての事業展開に実に有益なかの拠点をこうもやすやすと手放すとは、まこと、耳を疑ったぞ、ニールセンの鉄鋼脈を譲る代わりにこの娘に手出しするなと啖呵を切ったというではないか」
「は、あ、あの……それは申し訳なく、なんと報告しようかと……」
 さすがに独断でこれほどの大きな損失を犯したのだ、いずれ報告せねばならぬのだが、さてなんと言ったものか、と正直カズマは頭を抱えていたといってもよかった。
 思わずしどろもどろに口篭もってしまったカズマを見て、ルドルフは笑うと、大いに満足したように強くうなづいた。
「カズマ、ワシは決めたぞ、お前に家督を譲る!この娘御をすぐに妻に迎えよ!」
「ですから妻になんぞしませんて……え?今なんとおっしゃいました?」
「家督を譲る!お前が妻を迎えれば、もう、この世に未練はない!」

 たっぷり間があいた。

「……これは、なにかの、嫌がらせですか」
 ルドルフを真正面に見詰めて、ぽつり、と。
「家督、こんなにあっさり譲ってくれるって!万々歳!」
 それも、親子のいさかいも断絶もあったもんじゃない、ただの親ばかな親父様で、カズマ様のことが可愛くってしょうがないのよ!と、周子はカズマを揺さぶって笑っている。
「私を幸せにしてね!」
 周子はカズマの首っ玉に抱きつくと、その頬にちゅっ!と可愛い音を立ててキスをした。
 抱きついたカズマの身体がヒタリ、と硬直し、嫌悪と怒りで小刻みに震えるのを周子だけが知ることが出来る。もちろんこんな振る舞いはれっきとした嫌がらせ、女嫌いのカズマがルドルフを前にどこまで平静を装うのか、周子としては興味津々である、抱きつかれたカズマと抱きついた周子、当人たちのみぞ知る、水面下での密かなせめぎあいがあるのだが。
「時期がある、とはまさにこういうことであろうか」
 エンギワルーの言うとおりじゃった、と、ルドルフは目を細めて満足そうに若い二人の姿を見つめて。
 トドメ、といわんばかりに周子はカズマの腕にきゅっとしがみつくとルドルフを見てにっこりと満面の笑みを浮かべてみせる。
「お父様、周子です。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
「う、うむ。ほうほう愛らしいのう!」
 ルドルフはあっさりと破顔した。
 よく見れば、その顔には面影がある。やはり、カズマはこのルドルフの息子なのだろう。前王陛下よりもはるかにこの二人の方に血のつながりを感じる。目が、同じ紫色で美しい。 ルドルフは仕立ての良い、高級そうなスーツに身を包んだ中肉中背の男で、確かにカズマのいうとおりありきたりの外見ではあるが、この、理知的に輝く瞳は、明らかにカズマに通じるものがある。白髪の混じった緑髪を見目良く整え撫で付けていて、品のいい、印象、同じ金持ちでも成金とは違い、いかにも貴族といった品の良さがある。
 左右のすべての指にもれなく嵌めた各種宝石のきらめき輝く指輪が、かなり露骨にカネスキーぶりをアピールしてはいるが、それを差し引いても由緒正しい名家のいいおじ様である。
 カズマはざばりと周子を引き剥がすと、軽く突き飛ばし、一度メガネを押し上げて、いつもの口調で毅然とルドルフに迫った。
「彼女は、私が後見になると、書簡でお知らせしていますが、それ以上のことはございません。そもそも、王直々のご命令であるからして、私の一存でその身の処遇を決める事は出来かねます」
 だがルドルフはいささかも耳を貸さぬ様子で。ちら、と再び周子を見ては満面の笑みを浮かべる。ずいぶんと気に入ったようである。
「まあ、これほどの美人なれば、王でなくとも心揺れるだろう、というよりも何よりも、お前が揺れたか!お前がぞっこんなのが、なによりオドロキじゃ!お前は、実はかなり理想が高いのだな。美人な上に、実に賢そうな目をしておる。我グランツ家が迎えるにふさわしい、いや、見事だ、カズマよ!よくぞ選んだ!」
「………ですから、決してぞっこんでは……全然」
「何も恥ずかしがらなくてもよいだろう」
 カズマは苛立ちを露わに頭を振った。
「とにかく、王に供する女です!」
「ふむ。王のこの娘御への執着振り、書簡にもあったな。ラインハルトもひとしきりごろついておったし」
 ルドルフは軽く腕組をして、あごに親指をかけ、ふむ、と頷いた。
 聞けば、ラインハルトは周子を寄越せと今度はルドルフに相当ごり押ししてきたらしい。
「でしょう、なれば私の妻になど到底……」
「障害が大きければ大きいほど燃えるというではないか」
 奪ってしまえ、とルドルフが真顔で言い放った。
「は?」
「男の人生、一度や二度の左遷くらい味わってみた方が良いぞ、栄光と挫折、そして奇跡の復活、まさに男のロマンじゃ!グランツ家宗主としてもハクがつくというものぞ!」
「ちょ、ちょっと、待ってください」
「はっはっはっはっはっ!」
 高笑いをしながら、馬車に乗り込むルドルフを追い、カズマもわたわたと同乗すると、馬車はそのまま屋敷へと向かってしまった。

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