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[tog]42:誰が味方かよく考えろ

「きゃああああああっ!」
 屋敷中が震えるほどの大きく声高な悲鳴に、周子はがばっと身を起こした。
「なに?」
「心配するな、寝ていろ、おれがここにいる限りお前の身は安全だ」
 ギャランが至極落ち着いた冷静な声でそう言って。優しい色を湛えた青い目で周子を見つめる。
「おれが守ってやる」
「!なにバカ言ってんのよ!あれ悲鳴よ悲鳴!女の子の!」
「だから……ああっ、畜生、おれを無視すんな!」
 ギャランが腕を伸ばしたときには、周子は既に窓から身を乗り出している。
 窓から地に飛び降りると、外は叩きつけるような激しい雨だった。肌にあたる雨粒が痛いほどの激しい勢いである。
 どんよりと低く重く空が垂れ込め、オレンジと紫の入り混じった、なんとも不気味な色を湛えている。さほど刻が経っていない筈なのに天の気分は豹変したようだった。
 周子は激しい雨の降る中、声がしたと思った裏庭の方へ駆けて行く。
「うわ……いったいいつの間に」
 それはまるで裏庭に雲海が低く垂れこめたかのようである。
 だが、それには弾力がある。叢という叢にびっしりと、綿のような細く白く細かく弾力に富んだ白い蜘蛛の巣が張り巡らされている。それがびっしりとまるで地に下りた雲のようにあちらこちらにかかっている。
 蜘蛛の巣……それは、宙の虫を捕らえる類ものではない。その糸の主は明らかに土蜘蛛であると周子はすぐに判断した。白く密度の濃い糸、こんな気味の悪い糸を吐くのは魔物と決まっている。
 そしてその主はすぐそばにいた。
「でか!」
 蜘蛛特有の赤く小さく陰鬱で鋭い幾つもの眼が周子をじっとりと睨みつけてきた。
「さっきのキラーウルフといい、なんかそこはかーとなく、いやーな気がするんだけど、たぶん、きっと、狙う相手をお間違いではないかと。すくなくともそちらのかわいらしいおちびちゃんではないだろうと……」
 思うのよねぇ、と言いつつ、周子はグリグリと首を回した。
 ―――だるい。
 先程はどのくらい眠っていたかは知れぬが、短い時間に違いない、魔力がほとんど回復していない。
 ―――タチバナの血、と名指ししてけしかけるのは……
 それがロレンスなのか?と思っただけでブルリとする。
 真っ二つの剣の洞窟の時といい、ついさっきのキラーウルフの襲撃といい、自分に異形の者をけしかけて来る輩がいるのは、そして、長老が父さんの封印の書を手にしているのは明白だ。
 だけど、と周子は呟いた。
 視線を下に落とす。
 肌を打つ雨が痛い。
 さっきの悲鳴の主は、見ればまだほんの子供である。地面に仰向けに転がって、わあわあとべそをかきながら、紫色に変色した右腕を押さえている。蜘蛛の毒にやられたに違いない。雨が降り出して、外に干した洗濯物を大慌て取り込んでいる最中だったのだろう。小さな女の子のそばには、洗濯物が泥だらけになって散らばっている。
「たかが、虫よ、虫。蜘蛛なんて怖くないでしょ。サイズは規格外のようだけど」
「うわああああああん!」
 ひっ、と短くひき付けたかと思うと褐色の髪をした女の子が一層激しく泣き出した。
「……たく、こんな可愛い女の子相手に、こいつらは何やってんのか、全くむかつくわね、ストレートに私のところに来なさいってもんよ。無粋な奴らめ」
 だるい。なにより戦える精神状況ではない、分かってはいるが、自分をめがけて敵が現れる以上、こんな小さな子供を巻き込むことなく正面から戦わねば!などと戦隊ヒーローモノのような気分で、周子は、なにはともあれまずは印を組むべく腕を前に構えた。
 周子はだるい己の気力にハッパを掛けると詠唱にあわせて印を結ぶ。
「パラボル!」
 火炎が周子の手から放たれ、蜘蛛が消し炭になってすっ飛んだ。
 そこへようやく追いついたギャランが、ぐらついた周子の身体を支えるように後から抱き抱えた。
「ばかっ!力を使うな力を!ついさっきまでおまえくたばって、挙句にめそめそ泣いてたろ!ロレンスロレンスロレンスと奴の名前なぞ呼びやがって!ああああああもう!」
 どうやら先程は眠りながらロレンスの名を呼んで泣いていたらしい、そう聞くといっそう周子は自分の弱さ心細さに苛立った。
「うーるさ!」
 周子はギャランを突き飛ばすとその腕を振り払い、蹴り飛ばした。気を取り直すように黒髪を一度強く振ると、地に仰向けに腰を抜かしている少女に手を差し出し、優しく微笑んでみせる。
「大丈夫?」
「ううう、き、気持ち悪いですゥ〜」
 泣きじゃくる姿も愛らしい。そういえば手首以外の子供なんて久しぶりに見たなあ、なんて周子は思いつつ、目を細めた。
「まあ、かわいそうに……」
「お姉さまに蜘蛛の液がついているですぅ〜」
「!私が気持ち悪いのっ?」
 ごいん、と一つ周子はその少女の脳天を殴った。
 泥だらけになって起き上がったギャランが目を丸くした。
「ひでえ。おまえ助けに来たんじゃあないのか?」
「ふん。助けてもらって、ろくな口も利けないようなガキにくれてやる情けなんざないわよ!」
 ギャランは周子の強気な言葉に生唾を飲むと、しゃがみこんで少女を抱き起こす。少女は肩を震わせ泣いている。まだほんの子供だ。そんな可愛らしい様子だと、やはりなんだか周子の方が悪人のような気がしてきて……罪悪感で一杯になって周子は、ああ、とうめいた。
 しゃがむと、少女に目線を合わせて。
「ごめん、私が悪かった、怖かったでしょう?」
 こくり、と頷く。
「ああ、可愛いなぁ。女の子、っていいわねぇ」
 周子は笑ってギャランを見上げた。
「えーと、イーイ男のギャラン様、どうぞこちらのお姫様をお屋敷の中へお連れしてくださいな。こんなにずぶ濡れで、風邪引いちゃうわよ」
「いやしかし、おれは何よりおまえのことが心配……」
「うるさい、とっとと連れて行けよこの馬鹿!」
「お、おう」
 周子に凄まれてギャランは納得ゆかぬ素振りでうーん、と首をひねりつつも、少女を抱き上げ、歩き出した。
 周子は地べたに座ると、消し炭になったヒュージスパイダーの巨大な爪を拾い上げ、自分の目線まで持ち上げるとしみじみ眺めて。
「爪だけ見りゃ、毛ガニのでかい奴みたいな感じ?」
 周子はははは、と笑う。
「そういやカズマ様が今夜はゴチソウと言っていたわね。それまでにはもう少し体力回復させて、たんまりご馳走を食べなくちゃ。おかゆなんてごめんだわ。ああなんかおなか減っちゃったなぁ、ルドルフがいるから豪華な食事って言ってたけど、何かなァ、まじですっごいご馳走出そう、やっぱ肉?特上お肉?」
「おまえ女のクセにホントに蜘蛛が怖くないんだな、フツーこんなときに食い物の話なぞ、出来るか?グロイぞ、でか蜘蛛、このグズグズの緑の体液を見ろ!体液を」
「うーるさ!はやくその子、連れて行きなって!」
 足を止めたギャランにそう怒鳴り返し手にしていた蜘蛛の爪を投げつけると、ギャランが慌てて背を向けて少女を抱きかかえて走ってゆく。
 周子はがっくりと両手を地面に付き、大きく息を吐いた。
「……私のせいなんだわ、きっと。でもなんでこんなのがごっそり私についてくるのよ?ホントにロレンスは私を討とうとしてるのかな……長老とロレンスって、一体なんの取り合わせになるのよ」
「おい待て、ロレンスってなんでそこで奴の名が出る?」
 ロレンスの名に過剰に反応するギャランは、周子の力ない呟きの中にもその名を聞き逃すこともなく。再び、ぴたり、と足を止める。
「早く行かないと風邪引くわよ!雨!ずぶぬれ!」
「ならば、お前も早く来い!ンなトコ、なに座ってやがる」
「うるさい、早く行けよ馬鹿!」
 周子はそう叫ぶが、ギャランはわざわざ戻ってきた。あまつさえ、抱えていた少女を地面に下ろしている。確かに少女は泣いてはいるが、腕以外にはかすり傷程度で目立った外傷もなく、しっかりと両足で立ち、心配そうにこちらを見ている。大したことは無いようである。
「お前、どうした?」
 わざわざ戻ってきたギャランが、心配でたまらないといった表情で覗き込んでくる。
 周子はそんな真剣な表情のギャランがなんだか妙に有難かった。
 周子はギャランを見上げて。
「ごめん、抱いていって、もらえてくれちゃったりなんだりして」
 ギャランは一瞬、え?という意外そうな顔をしたものの、
「お、おう」
 すぐにギャランはひょいと周子を抱き上げた。
「実は、歩けないの、疲れて。ごめんね」
 そう白状すると、たちまちギャランは破顔した。
「おまえ、可愛いなぁ、そうだぞ、そうだ、もっとおれを頼れ。そうだおれはロレンスなんぞよりはるかにいい男だぞ」
 ギャランの口から洩れるその名に周子は首を傾げる。
「なんでそんなにロレンスのことばっかりあんたが言うのよ?」
「おまえずっとうわ言で言ってたぞ、奴の名ばかりを。何度たたき起こそうと思ったことか」
「うん、ま確かに、ロレンスの夢を見てたけどね」
 ギャランが露骨に嫌そうな顔をした。
「お前、おれになにか、というか、いろいろと隠し事をしているだろう?ひょっとしてロレンスにでも会ったか?」
 周子は首を振る。
「でもとにかく私は彼を探して、会わないことには。絶対こっちにいるはずなのよ」
「その、確信めいた口ぶりにはなにか根拠があるんだろうな」
「あんたには言いたくないわ」
 ギャランが一層苦い顔をする。
「ロレンスは好きか?」
「私が信じているのはロレンスだけよ」
「地面に叩き付けたい気分だな」
 そう言ってギャランは周子を抱く手にぎゅっと力を込めた。
 悩みを振り切るように、力強く歩き出す。
「とにかく、寝ろ、寝てその熱に浮かされたくさった頭をすっきりさせるんだな、誰がお前の味方かよーく考えろ」
 ―――味方?
 見上げるギャランの青い瞳は強く、怒ったような色を湛えていた。

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