コハリトりみっと
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「トライフル刑事」〜狂気のロンド ガーナ署トリニティ〜/タトパラ2
第27話:「疑惑の端緒」
先ほど容赦なく加えられた手首の痛み、向けられるその眼差しと口調の厳しさとに周子は厳しい追及を覚悟したが、周子の予想に反してカズマは極めて冷静だった。
そうか、と一度うなずいて、それ以上の追及は無かった。
本当に頭の良い男の飲み込み、というものはこういうものなんだろう、と周子は思って。なんとなくその雰囲気は父さんに似ている、言ったことを二度三度と聞き返すことなぞ全く無かった、と周子は修三のことを思い出した。
カズマのその態度を見るに、彼は周子がそれ以上のことは決して言わないだろう、とすぐに察したらしかった。言わない、のではなく、言えない、言うべきことがない、と言うあたりまで正確に察してくれているのかどうかは、周子には分からなかったが。
「確かに、父の時計ですが、それがどうしてこんなことに使われるのかサッパリ分かりません」
本当です、と周子は続けた。
いや、確かに本当だった。
修三がエタニティヴァリアスをつけているのは日頃見ていたが、実際それがどれほどに稀少で高価な時計なのかなど知る由も無かった。ずいぶんと美しい時計だとは思っていた、そして修三に実によく似合っているといつも思っていた、それが、聞けば数千万の代物だという。そんな大金なぞ、うちには絶対あり得ない、と周子は思った。
「それより聞かせて欲しいです、空港で起きたことを。桜井さんは私を囮だって。あれは私を狙っての事件だったんですか」
「桜井!」
カズマはムッとしたように短く桜井の名を呼んだ。桜井はフイ、と顔を背けて沈黙を決め込んだ。
「君に話すべきことは何もない」
チャーター機が爆発してるんですよ!とカズマのその言葉に喰ってかかろうとしたとき、勢い良く会議室のドアが開いた。両腕に缶コーヒーを抱えたギャランがずかずかと室内に入ってくる。
カズマは自分の腕時計に目を落として小さく吐息を吐いた。心配そうにギャランを見上げる。
「一分二十三秒。ギャラン、いつもより遅いな。やはり傷が痛むか、調子が悪そうだな」
「秒の単位で、おれの怪我の具合を量るな」
ギャランは笑ってカズマに缶コーヒーを投げた。ぱし、とカズマの受けた手のひらでいい音を立てて。
「課長、今日はもうお開きにしたいと思います、ギャラン刑事を病院に移送しなければ」
カズマの言葉に、アシューはそうだね、とうなずいた。
「エッ?もう調べは済んだのか?」
「現場に残された品、それがエタニティヴァリアスだ、ってだけで、それ以上もそれ以下もない、課長の仰るとおり手掛かりになるような痕跡は一切残っていないからな、まぁ、エタニティヴァリアスを見れただけで眼福だよ」
カズマはにっこりと微笑んで。
「帰るぞギャラン、お前を病院に送っていく」
「やだな何言ってんだよ、まだ勤務時間中だぜ、勤務時間……」
「勤務時間も何も、お前は当面入院の上安静にしなければならん、勝手に脱け出してうちの医師の寿命を縮めるのは止めてもらおう」
そんなカズマの言葉に、周子は、素直に怪我の具合が心配だから寝ていろと言えばいいのに、と内心思った。こういうところは父さんとはまるで違う、父さんは言いたいことそして正しいことを必要最低限の言葉数で端的に伝えてくる、と周子は思った。
ギャランは胸を張って言った。
「おれはこうして周子ちゃんの顔さえ見れれば元気百倍、入院してるよかこっちのほうがよっぽど癒されるね!」
「お前が入院すると、夜勤の希望者が増えてシフト組むのに婦長が悲鳴を上げる、いつもお前は大人気じゃないか、ギャラン刑事」
「わあっ!」
ギャランは飛び上がると、カズマの口を押さえた。
「なんてこと言いやがる、そんな不純な!それは昔のハナシだ、おれはもうどんなに迫られたってダレ一人抱かねぇぞ!しゅ、周子ちゃんにそんなチープな男だと誤解されたらおれはもう生きていけない」
ギャランにしがみつかれてカズマは鬱陶しそうにその手を払った。
「……あいにくだが、どれほど惚れようが、人妻に操を立てる必要は無いと思うぞ?」
「!」
ギャランはかっと赤面した。
「第一、あれは私の妻だ」
カズマは極力そっけなく、だがとどめを刺すようにきっぱりとそう言って、ちら、と桜井のほうに視線を流した。
「だ、だが全然そんな気にならん、こればっかはしょうがねぇだろ!」
「勃起不全の専門医を紹介しようか?」
カズマに冷たく笑われて、ギャランはわあっ、と号泣して部屋を飛び出していった。
ふと自分に向けられた、カズマの何かいいたげな表情を周子は笑い飛ばした。
「もともと男っぽい人だって、分かってますよ。そんなことで見損なうわけ無いじゃないですか。ご心配なく、補佐官の大好きなギャラン刑事のことじゃないですか。ギャラン刑事はギャラン刑事、あんないい人をそんなことくらいで軽蔑するわけ無いですよ」
周子はさばさばとそう言って皆の湯のみと缶コーヒーの空き缶をお盆の上に載せると、給湯室までさっさと下げに部屋を出て行った。
「過去をあげつらうとはひどい言い様だな、フォン・グランツ」
「桜井、貴様も例外ではないぞ?」
桜井は苦笑した。
「驚いた。案外ガードが固いんだな?」
むしろ、周子刑事に見損なわせたかったかのようにも思えたが?と桜井は切り込んだが。
「では私は帰る」
カズマはあっさり桜井を無視すると、会議室を後にした。
捜査一課へ戻り、デスクにつくも、すでに終業間もない時間だったこともあって、アシューからは今日はもう切り上げていいよ、とあっさりした声がかかってきた。
帰り支度をし始めた周子は、おもむろにぽん、と手を打った。
「あ、バイク、今日明日とで十二ヶ月点検に出してたんでした」
そうでしたそうでした、とうなずくと周子は携帯を取り出して。
「まじで?朝はどうやって来たんだよ?」
「バスですよ?」
「バス!?」
周子の答えに、ギャランはあんのトロい乗り物に乗ってきたのか!と青い目をまん丸に見開いた。
「カズマは送らなかったのか」
「出勤するのにわざわざ車で送ってもらうなんてそんな贅沢な。あっ丁度良かった、すぐそこのバス停なんですけど、あと十分くらいでバス来るみたいです」
携帯でバスの時刻を検索した周子は手早く周囲の同僚に挨拶して。
「じゃあギャラン刑事、怪我、お大事にしてくださいね?」
周子はちょっと微笑んで手を伸ばすとギャランの頭を撫でた。
「あの時は本当にありがとうございました、もうなんてお礼を言ったらいいか心苦しくて。どうかくれぐれもお大事に」
包帯を巻いた頭をなでなでされて、ギャランはくぅ、と声にならぬ声を上げて身を固くした。
「お、送ってく!」
たちまち真っ赤になってそう宣言したが。
「ダメですよ、まっすぐお家に帰らないと。本当は入院して安静にしてなきゃならないんですから。あっ、ギャラン刑事まさか」
「おれは車で出勤してきたぞ」
「うそでしょ!自分で運転して?」
「おう」
周子が信じられない、といった表情をしてギャランの青い瞳を覗き込む。
「朝、いきなり病院抜け出したって仰って席に付かれたときにもずいぶんと驚きましたけれど……ホントに大丈夫なんですか?」
「本気でアタマ打ったんじゃないか?」
桜井が割って入った。どこから持ってきたのか、大きなダンボール箱を抱えている。
「ギャラン刑事、これを運ぶのを手伝ってくれ。十階まで」
「……てめえ一人で十分だろ」
おれと周子ちゃんの会話を邪魔するな、とギャランはつくづく嫌そうに青い目を半目に伏せた。
「これと同じのがもうひとつあるんだ」
そう言って廊下の端を指し示す。確かに、そこにはいつのまにか大きなダンボール箱が置いてあって。
「だったら二度行き来しろよ、ははっ、おれは怪我人だそうだからな」
ギャランはそう言って腰に手をあてると堂々とえばってみせた。
「周子ちゃんにこんな可愛いカオされて労わられるほどの大怪我人だ、ふはは!」
「じゃ、私が運びますね桜井さん」
周子がそう言ってさっさと腕まくりをしたので桜井はギョッとした表情をした。
「いや、結構重いぞ、中は書類だ、周子刑事、無茶言うな」
「だーじょうぶ大丈夫。桜井さん、私こう見えても結構力持ちなんですよ」
そう言って周子はギャランを見上げ、微笑む。
「ギャラン刑事は休んでてください、怪我人なんですから。大事にしてもらわないと。えーっと桜井さん、十階の資料室へ運ぶんですね?」
「あいにくエレベータが点検中なんだよ」
桜井は笑って、君には無理無理、となだめた。
「ここは七階ですから、ほんの三階分じゃないですか、階段でいけますよ、大丈夫」
これが一階とかだったらキツイですけど、と周子は笑い返す。ギャランは慌ててそんな周子の無邪気な腕を強く引いた。
「おれが運ぶ!」
「でもギャラン刑事……」
「とにかく帰りはおれが車で送っていくから周子ちゃんは黙ってそこで待ってろ!」
ギャランはガッ、とダンボール箱を持ち上げると、いくぞ!熊田!と勢い良く声を掛けた。
「待て、走るなギャラン刑事」
どこが怪我人だ、すこぶる元気じゃないか、と桜井は苦笑してダンボールを持ち上げると、ギャランを追って階段ホールへと向かった。
追いついた桜井はギャランと並んで階段を上りながら、やがて静かな声を掛けた。
「周子刑事は優しいな?」
「おれは想われている、幸せだ」
「……。ああ、本当にシアワセな野郎だな、貴様は」
桜井の声に突然滲んだ嘲笑の色に、ギャランはふと、桜井を見た。
「どーゆーこった?ナーンカ含みのある言い方だな?」
「ああそうだ、実はお前に話があってわざわざこうして二人きりになったんだ」
荷物を運び終えて戻ってきたギャランに、乗れと言われて周子は大人しく礼を述べ助手席に座ったものの、当のギャランは押し黙っている。そのままギャランは黙って車を発進させ、車内は静かなままにしばらく街中を走った。やがて周子はいつにないそんなギャランの静かな様子に堪えかねて、頭の傷が痛むんですか?と尋ねてみた。
「いや?なんで?」
ギャランが真顔で聞いてくる。自分がいつになく静かなことにすら気付かないのかも知れない、そんな感じだった。
「なんだか静かだから、心配になりました」
「おれだってちったあ考え事もするさ」
「!ホントにひどく頭を打ったんですね!?」
驚いたようにそう言って黒目を見開いた周子の表情がとにかく愛しくて。ギャランはつい、ぼうっと周子を見詰めた。
「赤ですよ!」
慌てた周子の声に、おっと、と呟いてギャランは急ブレーキを踏んだ。見れば停止線を車体の半分ほど越えてしまっていた。
「ホントに大丈夫ですか?運転代わりましょうか?」
「ああ、心配すんな」
そう言ってギャランは煙草に火をつけて。一度深く吸い込んだ。
「あ、わりぃ……」
吸ってしまってから、ギャランは周子に詫びた。周子はすぐに首を横に振って、煙草を揉み消そうとしたギャランの手を止めさせた。
「ギャラン刑事の煙草吸ってる姿、好きなんですよ。久しぶりに見ました。ほら、このごろはなんか副流煙がどうとかヘンに気を遣って下さって……やあ、もうホントに気を遣わないで下さい、赤ちゃんなんてそんな。はは。まさか、まさかデスヨ!」
そう言って笑う周子の困りきった表情をギャランはじっと見つめて。
―――所帯じみた気配がないんだよな?
そう言った桜井の言葉を思い出していた。
大きなダンボール箱を抱えて二人並んで階段を上りながら桜井がそう切り出したのだが、ギャランは桜井のその言葉の意図がつかめず首を傾げた。
「所帯じみないって、別にいいことじゃねぇか」
「我々周子刑事親衛隊は彼女が新妻な雰囲気をかもし出すのを楽しみにしていたのだ」
「ハイ?」
桜井の言葉にギャランは思わず上りかけた階段を一段踏み外した。
よろけて、慌てて体勢を立て直した。眉根を寄せて桜井を見る。
「待てよおい、大体、親衛隊ってのは解散したんじゃなかったのか?」
「再結成した。お前が手を引いた今、護衛する必要はなくなったからな」
「ぐは。そんなあっさり。ったくいい気なもんだな。勝手に組織建てしやがって、お前そーゆーの好きだな」
「周子刑事新妻化研究会とも言う」
「な、なんか絶妙にやーらしーな?おれはぜってー入らねぇぞ」
ギャランはくだらねぇ、とキッパリそう言い捨てるとさばさばと金髪を振った。
「新婚家庭をうだうだ詮索すると馬に蹴られて死ぬぞ」
「詮索したくもなるだろうが」
ふん、と桜井が鼻を鳴らす。
「ああ?」
「周子刑事、結婚はしたが、実際ちっとも以前と変わりがないだろ?全然新妻っぱくない、家庭の匂いが無いって言うか」
「周子ちゃんは家庭的だぞー?料理も美味いし。おれが肉がいいって言ったらマジで肉焼いてくれたりするしな?やさしーのなんのって。なにしろ一緒にいてキョーレツに癒されるしな?」
そういえばお前は一時周子刑事の自宅に転がり込んでいたんだったな、と桜井は少々羨ましそうな、悔しそうな表情をした。
「彼女自身が家庭的かどうかってのはともかく。あの男と結婚しても今までと全然雰囲気が変わらないではないか、と私は言いたいのだ」
ギャランは黙って首を捻った。
いままで全く考えてもみなかったことを指摘されて。
「周子ちゃんは周子ちゃんだ、たかが結婚したぐれぇでそうころころ変わるもんか」
「女は変わるものだ」
こう、ぐぐっと、色気が増すんだよ、と桜井は真顔でギャランを見た。
「我々はその新妻な色気のおこぼれにあずかりたいと……そんな他愛も無いささやかな男の夢ってのに支えられてるんだよ」
ギャランは苦笑した。
「だから何だってんだ?」
「とことんおめでたい男だな、お前は」
足を止めたギャランに、桜井は数段上から見下ろして、言った。
「私は偽装結婚の線を疑っている」
「あ?あれ?今のとこ、右ですよ?」
周子がきょとんとした声を上げて、コッチコッチと人差し指で右折の方角を指差し首を捻る。交差点を過ぎて。
「ひょっとしてギャラン刑事、私の家、お忘れですか?」
これまでだってもう何度も送っていただいてるのに、と言って周子はまじまじとギャランを見た。
「これはホントに打ち所が悪……」
「言いすぎだぞ」
そう言ってギャランは周子の頭を小突いて。それから黙ってぐるりと一ブロック回りこむと元の道路に戻り、先ほどの交差点を右折し、周子の示すままに車を走らせた。着いたその先はやはり、周子の自宅である。
「いんや、忘れちゃいねぇ。忘れるものか。だけど周子ちゃんはカズマとは一緒に暮らしていないのか?」
「え?」
「結婚したのに?」
周子はぱちくりと、すぐ隣のギャランの横顔を見た。
「おれは今、カズマの家に向かおうとしてたんだ。結婚したんならここの家は周子ちゃんにとっては実家、だ。実家ってのはだな、旦那と喧嘩とかしてぶち切れた時に帰るところだって、みんな言ってっぞ?」
「はー、いやー、そ、そういえば」
周子は視線を泳がせた。
「ほ、ほら、補佐官は何かと忙しいんですよ。なんか今夜はどこかに出かけるって仰ってましたし?た、たまには実家にでも帰ろうかなー、なんて?た、たまたまですよ?ほ、ほらなんて言いましたっけ?鬼のいぬ間に心の洗濯、とかって言うんでしたっけ」
―――ダメだ、しどろもどろだ、
己の動揺ぶりに周子は自分の舌を引っこ抜きたくなった。
ギャランの指摘があまりに突然でビックリしたのだ。これまでギャランは全くと言っていいほど、カズマとの結婚生活について聞いてこなかったから、なおさらだ。そういえば、籍を入れてからというもの、仕事で一緒にいる以外では、とりわけプライベートではキッパリ!と言っていいほど顔を合わせていない、少し前まで公私混同ともいえるほどべったりだったのに、と思えばそれは明らかにカズマに気を遣ってのことだと思う。
もともと、ギャランは車、周子はバイクでの通勤、こうして帰りに送ってもらうのもずいぶんと久しぶりのことだった。
喧嘩とかはしてませんから大丈夫ですよ、と周子は畳み掛けるようにそう言い足したものの、もちろん、カズマの今夜の予定なぞ些かも知る由もない。
「ほ、補佐官がいないんじゃ、お家に帰ってもつまらないし、な、なんてね?」
「へぇ。出不精のカズマがわざわざ出かけるとは珍しいな?」
「う」
ちら、とギャランに睨まれて。私何か悪いことしただろうか、と周子は急に不安になってギャランを見た。いつもは優しいギャラン、一緒にいるとヘンなことばかり言って笑わせてくれるギャラン、それがこう、こんな厳しい表情を見せるのは、珍しい気がして……だが、ギャラン刑事がガーナ署きっての凄腕刑事といわれていることを考れば、こっちこそがギャランの本質なのかもしれない、と周子は思って。
なんだかギャランは機嫌を悪くしたようだった。
「署内ならまだともかく、おれの前でカズマのことを補佐官だなんて呼ぶな、他人行な。自分の旦那だろ」
「…………」
苛立った厳しい声でそう言われて。周子は言葉が見つからなかった。何を言っても痛いところを突かれそうで怖かった。
―――何か、怒らせるようなことをしただろうか?
苛立ちを露わにした強い指先が煙草を吸殻入れの底でねじ消すのを見て。
ああなんか怒らせたに違いない、と思うと、周子は唐突にギャランとの距離を感じてなんだか淋しく心細くなった。
「気をつけて帰れ。家に入るまで待っててやっから」
怒気を孕んではいるが、だがその言葉自体はいつもと同じ優しさがある。
周子は言葉に出来ぬ己の心情にひとつため息をついて車を降りた。玄関の鍵を開けて、ふと気配を感じて振り返ると、ギャランがすぐ後ろに立っていた。
抑え難い情動に駆られたような、逡巡したその青い瞳が印象的だった。
一度、抱きしめようとでもするかのように腕が伸びかけたが、すぐにぴたりと止まって引っ込んだ。この玄関先でギャランに抱きしめられキスをされたことを周子は身体に思い出した。
「カズマとは上手く行ってんだろ?」
念を押すようにそう聞かれて。
「もちろんです」
上手く行くとか行かないとか、そもそもそれは何らかの情動があっての結果の結婚生活だ、互いにこじれるようなそんな要素、それ自体が無いのに上手く行かないなんてこともない、と周子は思った。
ならいい、とギャランはきっぱりとうなずいた。
「おれはカズマを信頼している」
―――ああもうこの人は!
なんて性根のまっすぐな、いい男なんだろう、と周子は胸が熱くなった。
「じゃあな!」
明るい声で、ぴっ、と一度敬礼をして笑って寄越したギャランが、ありがたくて。この男の相棒でいられることこそが何よりかけがえのないことだと思った。
「ギャラン刑事、ちゃんとお家で休んでくださいね?」
「お、おう!……ったく周子ちゃん、そんな目で見上げて来るんじゃねぇや」
キスしたくなるだろ、とギャランはそんな言葉を飲んで金髪を掻いた。
不意に口篭もったギャランを見て、一方の周子は、本当はやっぱり頭が痛いんじゃなかろうか、と再び怪我の心配をした。
「ごはん、お家でちゃんとごはん食べられますか?ちゃんと食べないと怪我、治るものも治りませんよ?」
ギャラン刑事は夕食はいつもどうしてるのだろう、と周子は思った、まあ、適当に?と言って首を傾げるギャランを見れば、いかにも外食かコンビニ弁当か、といった雰囲気だった。
「あの、このまま私のうちで食べていきますか?あるものでよければなんか適当に作りますけど……」
「え?」
ギャランが数瞬たっぷり硬直した。
男っぽい熱情に肚の底を焼かれて。それでも強く首を横に振った。
「ばーっか、おれのことは心配すんな」
ギャランは周子の頭をくしゃっとすると、ぽんぽんと軽く叩いて、背を向け車に乗り込んだ。窓を開けて周子に手を振ると、周子が家の中に入ったのを見届けてから車を発進させた。
少し車を走らせて周子の自宅から離れると、ギャランは車を路肩に寄せ、携帯を取り出しカズマの自宅へと掛けた。
「ああ、カズマいるのか?」
「いる?いるが、どうした?」
いぶかしげなカズマの声が返ってくる。
「今日はどっか出かけねぇのか?」
「私が用も無いのに出かけるわけが無かろう。夜遊びの誘いなら無論断るぞ」
ギャランはしばらく沈黙して。
「いや、なんでもない」
ギャランは通話を切ると、折りたたんだ携帯でコンコンとこめかみの辺りを叩いた。
「……どーゆーこった?」
あるものでよければなんか適当に作りますけど、周子のその言葉を思い出して。
周子が自分の身体を気遣ってわざわざ飯を作って食わせてくれるという、その言葉自体には、それこそ理性をすっ飛ばされるほどの強烈な魅力があったが。
―――あるものでよければ。
あるものがある、つまり冷蔵庫が空ではない、ということは、日頃からあの自宅を留守にはしていない、ということだ、とギャランは思った。
桜井の言葉が頭を過ぎった。
(第28話へつづく)
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第27話:「疑惑の端緒」
先ほど容赦なく加えられた手首の痛み、向けられるその眼差しと口調の厳しさとに周子は厳しい追及を覚悟したが、周子の予想に反してカズマは極めて冷静だった。
そうか、と一度うなずいて、それ以上の追及は無かった。
本当に頭の良い男の飲み込み、というものはこういうものなんだろう、と周子は思って。なんとなくその雰囲気は父さんに似ている、言ったことを二度三度と聞き返すことなぞ全く無かった、と周子は修三のことを思い出した。
カズマのその態度を見るに、彼は周子がそれ以上のことは決して言わないだろう、とすぐに察したらしかった。言わない、のではなく、言えない、言うべきことがない、と言うあたりまで正確に察してくれているのかどうかは、周子には分からなかったが。
「確かに、父の時計ですが、それがどうしてこんなことに使われるのかサッパリ分かりません」
本当です、と周子は続けた。
いや、確かに本当だった。
修三がエタニティヴァリアスをつけているのは日頃見ていたが、実際それがどれほどに稀少で高価な時計なのかなど知る由も無かった。ずいぶんと美しい時計だとは思っていた、そして修三に実によく似合っているといつも思っていた、それが、聞けば数千万の代物だという。そんな大金なぞ、うちには絶対あり得ない、と周子は思った。
「それより聞かせて欲しいです、空港で起きたことを。桜井さんは私を囮だって。あれは私を狙っての事件だったんですか」
「桜井!」
カズマはムッとしたように短く桜井の名を呼んだ。桜井はフイ、と顔を背けて沈黙を決め込んだ。
「君に話すべきことは何もない」
チャーター機が爆発してるんですよ!とカズマのその言葉に喰ってかかろうとしたとき、勢い良く会議室のドアが開いた。両腕に缶コーヒーを抱えたギャランがずかずかと室内に入ってくる。
カズマは自分の腕時計に目を落として小さく吐息を吐いた。心配そうにギャランを見上げる。
「一分二十三秒。ギャラン、いつもより遅いな。やはり傷が痛むか、調子が悪そうだな」
「秒の単位で、おれの怪我の具合を量るな」
ギャランは笑ってカズマに缶コーヒーを投げた。ぱし、とカズマの受けた手のひらでいい音を立てて。
「課長、今日はもうお開きにしたいと思います、ギャラン刑事を病院に移送しなければ」
カズマの言葉に、アシューはそうだね、とうなずいた。
「エッ?もう調べは済んだのか?」
「現場に残された品、それがエタニティヴァリアスだ、ってだけで、それ以上もそれ以下もない、課長の仰るとおり手掛かりになるような痕跡は一切残っていないからな、まぁ、エタニティヴァリアスを見れただけで眼福だよ」
カズマはにっこりと微笑んで。
「帰るぞギャラン、お前を病院に送っていく」
「やだな何言ってんだよ、まだ勤務時間中だぜ、勤務時間……」
「勤務時間も何も、お前は当面入院の上安静にしなければならん、勝手に脱け出してうちの医師の寿命を縮めるのは止めてもらおう」
そんなカズマの言葉に、周子は、素直に怪我の具合が心配だから寝ていろと言えばいいのに、と内心思った。こういうところは父さんとはまるで違う、父さんは言いたいことそして正しいことを必要最低限の言葉数で端的に伝えてくる、と周子は思った。
ギャランは胸を張って言った。
「おれはこうして周子ちゃんの顔さえ見れれば元気百倍、入院してるよかこっちのほうがよっぽど癒されるね!」
「お前が入院すると、夜勤の希望者が増えてシフト組むのに婦長が悲鳴を上げる、いつもお前は大人気じゃないか、ギャラン刑事」
「わあっ!」
ギャランは飛び上がると、カズマの口を押さえた。
「なんてこと言いやがる、そんな不純な!それは昔のハナシだ、おれはもうどんなに迫られたってダレ一人抱かねぇぞ!しゅ、周子ちゃんにそんなチープな男だと誤解されたらおれはもう生きていけない」
ギャランにしがみつかれてカズマは鬱陶しそうにその手を払った。
「……あいにくだが、どれほど惚れようが、人妻に操を立てる必要は無いと思うぞ?」
「!」
ギャランはかっと赤面した。
「第一、あれは私の妻だ」
カズマは極力そっけなく、だがとどめを刺すようにきっぱりとそう言って、ちら、と桜井のほうに視線を流した。
「だ、だが全然そんな気にならん、こればっかはしょうがねぇだろ!」
「勃起不全の専門医を紹介しようか?」
カズマに冷たく笑われて、ギャランはわあっ、と号泣して部屋を飛び出していった。
ふと自分に向けられた、カズマの何かいいたげな表情を周子は笑い飛ばした。
「もともと男っぽい人だって、分かってますよ。そんなことで見損なうわけ無いじゃないですか。ご心配なく、補佐官の大好きなギャラン刑事のことじゃないですか。ギャラン刑事はギャラン刑事、あんないい人をそんなことくらいで軽蔑するわけ無いですよ」
周子はさばさばとそう言って皆の湯のみと缶コーヒーの空き缶をお盆の上に載せると、給湯室までさっさと下げに部屋を出て行った。
「過去をあげつらうとはひどい言い様だな、フォン・グランツ」
「桜井、貴様も例外ではないぞ?」
桜井は苦笑した。
「驚いた。案外ガードが固いんだな?」
むしろ、周子刑事に見損なわせたかったかのようにも思えたが?と桜井は切り込んだが。
「では私は帰る」
カズマはあっさり桜井を無視すると、会議室を後にした。
捜査一課へ戻り、デスクにつくも、すでに終業間もない時間だったこともあって、アシューからは今日はもう切り上げていいよ、とあっさりした声がかかってきた。
帰り支度をし始めた周子は、おもむろにぽん、と手を打った。
「あ、バイク、今日明日とで十二ヶ月点検に出してたんでした」
そうでしたそうでした、とうなずくと周子は携帯を取り出して。
「まじで?朝はどうやって来たんだよ?」
「バスですよ?」
「バス!?」
周子の答えに、ギャランはあんのトロい乗り物に乗ってきたのか!と青い目をまん丸に見開いた。
「カズマは送らなかったのか」
「出勤するのにわざわざ車で送ってもらうなんてそんな贅沢な。あっ丁度良かった、すぐそこのバス停なんですけど、あと十分くらいでバス来るみたいです」
携帯でバスの時刻を検索した周子は手早く周囲の同僚に挨拶して。
「じゃあギャラン刑事、怪我、お大事にしてくださいね?」
周子はちょっと微笑んで手を伸ばすとギャランの頭を撫でた。
「あの時は本当にありがとうございました、もうなんてお礼を言ったらいいか心苦しくて。どうかくれぐれもお大事に」
包帯を巻いた頭をなでなでされて、ギャランはくぅ、と声にならぬ声を上げて身を固くした。
「お、送ってく!」
たちまち真っ赤になってそう宣言したが。
「ダメですよ、まっすぐお家に帰らないと。本当は入院して安静にしてなきゃならないんですから。あっ、ギャラン刑事まさか」
「おれは車で出勤してきたぞ」
「うそでしょ!自分で運転して?」
「おう」
周子が信じられない、といった表情をしてギャランの青い瞳を覗き込む。
「朝、いきなり病院抜け出したって仰って席に付かれたときにもずいぶんと驚きましたけれど……ホントに大丈夫なんですか?」
「本気でアタマ打ったんじゃないか?」
桜井が割って入った。どこから持ってきたのか、大きなダンボール箱を抱えている。
「ギャラン刑事、これを運ぶのを手伝ってくれ。十階まで」
「……てめえ一人で十分だろ」
おれと周子ちゃんの会話を邪魔するな、とギャランはつくづく嫌そうに青い目を半目に伏せた。
「これと同じのがもうひとつあるんだ」
そう言って廊下の端を指し示す。確かに、そこにはいつのまにか大きなダンボール箱が置いてあって。
「だったら二度行き来しろよ、ははっ、おれは怪我人だそうだからな」
ギャランはそう言って腰に手をあてると堂々とえばってみせた。
「周子ちゃんにこんな可愛いカオされて労わられるほどの大怪我人だ、ふはは!」
「じゃ、私が運びますね桜井さん」
周子がそう言ってさっさと腕まくりをしたので桜井はギョッとした表情をした。
「いや、結構重いぞ、中は書類だ、周子刑事、無茶言うな」
「だーじょうぶ大丈夫。桜井さん、私こう見えても結構力持ちなんですよ」
そう言って周子はギャランを見上げ、微笑む。
「ギャラン刑事は休んでてください、怪我人なんですから。大事にしてもらわないと。えーっと桜井さん、十階の資料室へ運ぶんですね?」
「あいにくエレベータが点検中なんだよ」
桜井は笑って、君には無理無理、となだめた。
「ここは七階ですから、ほんの三階分じゃないですか、階段でいけますよ、大丈夫」
これが一階とかだったらキツイですけど、と周子は笑い返す。ギャランは慌ててそんな周子の無邪気な腕を強く引いた。
「おれが運ぶ!」
「でもギャラン刑事……」
「とにかく帰りはおれが車で送っていくから周子ちゃんは黙ってそこで待ってろ!」
ギャランはガッ、とダンボール箱を持ち上げると、いくぞ!熊田!と勢い良く声を掛けた。
「待て、走るなギャラン刑事」
どこが怪我人だ、すこぶる元気じゃないか、と桜井は苦笑してダンボールを持ち上げると、ギャランを追って階段ホールへと向かった。
追いついた桜井はギャランと並んで階段を上りながら、やがて静かな声を掛けた。
「周子刑事は優しいな?」
「おれは想われている、幸せだ」
「……。ああ、本当にシアワセな野郎だな、貴様は」
桜井の声に突然滲んだ嘲笑の色に、ギャランはふと、桜井を見た。
「どーゆーこった?ナーンカ含みのある言い方だな?」
「ああそうだ、実はお前に話があってわざわざこうして二人きりになったんだ」
荷物を運び終えて戻ってきたギャランに、乗れと言われて周子は大人しく礼を述べ助手席に座ったものの、当のギャランは押し黙っている。そのままギャランは黙って車を発進させ、車内は静かなままにしばらく街中を走った。やがて周子はいつにないそんなギャランの静かな様子に堪えかねて、頭の傷が痛むんですか?と尋ねてみた。
「いや?なんで?」
ギャランが真顔で聞いてくる。自分がいつになく静かなことにすら気付かないのかも知れない、そんな感じだった。
「なんだか静かだから、心配になりました」
「おれだってちったあ考え事もするさ」
「!ホントにひどく頭を打ったんですね!?」
驚いたようにそう言って黒目を見開いた周子の表情がとにかく愛しくて。ギャランはつい、ぼうっと周子を見詰めた。
「赤ですよ!」
慌てた周子の声に、おっと、と呟いてギャランは急ブレーキを踏んだ。見れば停止線を車体の半分ほど越えてしまっていた。
「ホントに大丈夫ですか?運転代わりましょうか?」
「ああ、心配すんな」
そう言ってギャランは煙草に火をつけて。一度深く吸い込んだ。
「あ、わりぃ……」
吸ってしまってから、ギャランは周子に詫びた。周子はすぐに首を横に振って、煙草を揉み消そうとしたギャランの手を止めさせた。
「ギャラン刑事の煙草吸ってる姿、好きなんですよ。久しぶりに見ました。ほら、このごろはなんか副流煙がどうとかヘンに気を遣って下さって……やあ、もうホントに気を遣わないで下さい、赤ちゃんなんてそんな。はは。まさか、まさかデスヨ!」
そう言って笑う周子の困りきった表情をギャランはじっと見つめて。
―――所帯じみた気配がないんだよな?
そう言った桜井の言葉を思い出していた。
大きなダンボール箱を抱えて二人並んで階段を上りながら桜井がそう切り出したのだが、ギャランは桜井のその言葉の意図がつかめず首を傾げた。
「所帯じみないって、別にいいことじゃねぇか」
「我々周子刑事親衛隊は彼女が新妻な雰囲気をかもし出すのを楽しみにしていたのだ」
「ハイ?」
桜井の言葉にギャランは思わず上りかけた階段を一段踏み外した。
よろけて、慌てて体勢を立て直した。眉根を寄せて桜井を見る。
「待てよおい、大体、親衛隊ってのは解散したんじゃなかったのか?」
「再結成した。お前が手を引いた今、護衛する必要はなくなったからな」
「ぐは。そんなあっさり。ったくいい気なもんだな。勝手に組織建てしやがって、お前そーゆーの好きだな」
「周子刑事新妻化研究会とも言う」
「な、なんか絶妙にやーらしーな?おれはぜってー入らねぇぞ」
ギャランはくだらねぇ、とキッパリそう言い捨てるとさばさばと金髪を振った。
「新婚家庭をうだうだ詮索すると馬に蹴られて死ぬぞ」
「詮索したくもなるだろうが」
ふん、と桜井が鼻を鳴らす。
「ああ?」
「周子刑事、結婚はしたが、実際ちっとも以前と変わりがないだろ?全然新妻っぱくない、家庭の匂いが無いって言うか」
「周子ちゃんは家庭的だぞー?料理も美味いし。おれが肉がいいって言ったらマジで肉焼いてくれたりするしな?やさしーのなんのって。なにしろ一緒にいてキョーレツに癒されるしな?」
そういえばお前は一時周子刑事の自宅に転がり込んでいたんだったな、と桜井は少々羨ましそうな、悔しそうな表情をした。
「彼女自身が家庭的かどうかってのはともかく。あの男と結婚しても今までと全然雰囲気が変わらないではないか、と私は言いたいのだ」
ギャランは黙って首を捻った。
いままで全く考えてもみなかったことを指摘されて。
「周子ちゃんは周子ちゃんだ、たかが結婚したぐれぇでそうころころ変わるもんか」
「女は変わるものだ」
こう、ぐぐっと、色気が増すんだよ、と桜井は真顔でギャランを見た。
「我々はその新妻な色気のおこぼれにあずかりたいと……そんな他愛も無いささやかな男の夢ってのに支えられてるんだよ」
ギャランは苦笑した。
「だから何だってんだ?」
「とことんおめでたい男だな、お前は」
足を止めたギャランに、桜井は数段上から見下ろして、言った。
「私は偽装結婚の線を疑っている」
「あ?あれ?今のとこ、右ですよ?」
周子がきょとんとした声を上げて、コッチコッチと人差し指で右折の方角を指差し首を捻る。交差点を過ぎて。
「ひょっとしてギャラン刑事、私の家、お忘れですか?」
これまでだってもう何度も送っていただいてるのに、と言って周子はまじまじとギャランを見た。
「これはホントに打ち所が悪……」
「言いすぎだぞ」
そう言ってギャランは周子の頭を小突いて。それから黙ってぐるりと一ブロック回りこむと元の道路に戻り、先ほどの交差点を右折し、周子の示すままに車を走らせた。着いたその先はやはり、周子の自宅である。
「いんや、忘れちゃいねぇ。忘れるものか。だけど周子ちゃんはカズマとは一緒に暮らしていないのか?」
「え?」
「結婚したのに?」
周子はぱちくりと、すぐ隣のギャランの横顔を見た。
「おれは今、カズマの家に向かおうとしてたんだ。結婚したんならここの家は周子ちゃんにとっては実家、だ。実家ってのはだな、旦那と喧嘩とかしてぶち切れた時に帰るところだって、みんな言ってっぞ?」
「はー、いやー、そ、そういえば」
周子は視線を泳がせた。
「ほ、ほら、補佐官は何かと忙しいんですよ。なんか今夜はどこかに出かけるって仰ってましたし?た、たまには実家にでも帰ろうかなー、なんて?た、たまたまですよ?ほ、ほらなんて言いましたっけ?鬼のいぬ間に心の洗濯、とかって言うんでしたっけ」
―――ダメだ、しどろもどろだ、
己の動揺ぶりに周子は自分の舌を引っこ抜きたくなった。
ギャランの指摘があまりに突然でビックリしたのだ。これまでギャランは全くと言っていいほど、カズマとの結婚生活について聞いてこなかったから、なおさらだ。そういえば、籍を入れてからというもの、仕事で一緒にいる以外では、とりわけプライベートではキッパリ!と言っていいほど顔を合わせていない、少し前まで公私混同ともいえるほどべったりだったのに、と思えばそれは明らかにカズマに気を遣ってのことだと思う。
もともと、ギャランは車、周子はバイクでの通勤、こうして帰りに送ってもらうのもずいぶんと久しぶりのことだった。
喧嘩とかはしてませんから大丈夫ですよ、と周子は畳み掛けるようにそう言い足したものの、もちろん、カズマの今夜の予定なぞ些かも知る由もない。
「ほ、補佐官がいないんじゃ、お家に帰ってもつまらないし、な、なんてね?」
「へぇ。出不精のカズマがわざわざ出かけるとは珍しいな?」
「う」
ちら、とギャランに睨まれて。私何か悪いことしただろうか、と周子は急に不安になってギャランを見た。いつもは優しいギャラン、一緒にいるとヘンなことばかり言って笑わせてくれるギャラン、それがこう、こんな厳しい表情を見せるのは、珍しい気がして……だが、ギャラン刑事がガーナ署きっての凄腕刑事といわれていることを考れば、こっちこそがギャランの本質なのかもしれない、と周子は思って。
なんだかギャランは機嫌を悪くしたようだった。
「署内ならまだともかく、おれの前でカズマのことを補佐官だなんて呼ぶな、他人行な。自分の旦那だろ」
「…………」
苛立った厳しい声でそう言われて。周子は言葉が見つからなかった。何を言っても痛いところを突かれそうで怖かった。
―――何か、怒らせるようなことをしただろうか?
苛立ちを露わにした強い指先が煙草を吸殻入れの底でねじ消すのを見て。
ああなんか怒らせたに違いない、と思うと、周子は唐突にギャランとの距離を感じてなんだか淋しく心細くなった。
「気をつけて帰れ。家に入るまで待っててやっから」
怒気を孕んではいるが、だがその言葉自体はいつもと同じ優しさがある。
周子は言葉に出来ぬ己の心情にひとつため息をついて車を降りた。玄関の鍵を開けて、ふと気配を感じて振り返ると、ギャランがすぐ後ろに立っていた。
抑え難い情動に駆られたような、逡巡したその青い瞳が印象的だった。
一度、抱きしめようとでもするかのように腕が伸びかけたが、すぐにぴたりと止まって引っ込んだ。この玄関先でギャランに抱きしめられキスをされたことを周子は身体に思い出した。
「カズマとは上手く行ってんだろ?」
念を押すようにそう聞かれて。
「もちろんです」
上手く行くとか行かないとか、そもそもそれは何らかの情動があっての結果の結婚生活だ、互いにこじれるようなそんな要素、それ自体が無いのに上手く行かないなんてこともない、と周子は思った。
ならいい、とギャランはきっぱりとうなずいた。
「おれはカズマを信頼している」
―――ああもうこの人は!
なんて性根のまっすぐな、いい男なんだろう、と周子は胸が熱くなった。
「じゃあな!」
明るい声で、ぴっ、と一度敬礼をして笑って寄越したギャランが、ありがたくて。この男の相棒でいられることこそが何よりかけがえのないことだと思った。
「ギャラン刑事、ちゃんとお家で休んでくださいね?」
「お、おう!……ったく周子ちゃん、そんな目で見上げて来るんじゃねぇや」
キスしたくなるだろ、とギャランはそんな言葉を飲んで金髪を掻いた。
不意に口篭もったギャランを見て、一方の周子は、本当はやっぱり頭が痛いんじゃなかろうか、と再び怪我の心配をした。
「ごはん、お家でちゃんとごはん食べられますか?ちゃんと食べないと怪我、治るものも治りませんよ?」
ギャラン刑事は夕食はいつもどうしてるのだろう、と周子は思った、まあ、適当に?と言って首を傾げるギャランを見れば、いかにも外食かコンビニ弁当か、といった雰囲気だった。
「あの、このまま私のうちで食べていきますか?あるものでよければなんか適当に作りますけど……」
「え?」
ギャランが数瞬たっぷり硬直した。
男っぽい熱情に肚の底を焼かれて。それでも強く首を横に振った。
「ばーっか、おれのことは心配すんな」
ギャランは周子の頭をくしゃっとすると、ぽんぽんと軽く叩いて、背を向け車に乗り込んだ。窓を開けて周子に手を振ると、周子が家の中に入ったのを見届けてから車を発進させた。
少し車を走らせて周子の自宅から離れると、ギャランは車を路肩に寄せ、携帯を取り出しカズマの自宅へと掛けた。
「ああ、カズマいるのか?」
「いる?いるが、どうした?」
いぶかしげなカズマの声が返ってくる。
「今日はどっか出かけねぇのか?」
「私が用も無いのに出かけるわけが無かろう。夜遊びの誘いなら無論断るぞ」
ギャランはしばらく沈黙して。
「いや、なんでもない」
ギャランは通話を切ると、折りたたんだ携帯でコンコンとこめかみの辺りを叩いた。
「……どーゆーこった?」
あるものでよければなんか適当に作りますけど、周子のその言葉を思い出して。
周子が自分の身体を気遣ってわざわざ飯を作って食わせてくれるという、その言葉自体には、それこそ理性をすっ飛ばされるほどの強烈な魅力があったが。
―――あるものでよければ。
あるものがある、つまり冷蔵庫が空ではない、ということは、日頃からあの自宅を留守にはしていない、ということだ、とギャランは思った。
桜井の言葉が頭を過ぎった。
(第28話へつづく)
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- 2005-12-04 05:01
- カテゴリ : タトパラ2/長編/連載中
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