コハリトりみっと
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「トライフル刑事」〜狂気のロンド ガーナ署トリニティ〜/タトパラ2
第29話:「ラブラブの新婚いちゃいちゃ共同戦線」
会場に到着するなり、タキシードを身につけたプロのセキュリティがそこかしこに配置されていることに周子は素早く気付いた。エンギワルーを見上げそう言ったら、静かだが厳しい眼差しで窘められて。それは相当な迫力だった。どうも自分は極力黙ってなくてはならないらしい、と周子はあきらめて静かにカズマの隣を歩いた。
カズマに伴われる周子、二人の後ろに一歩下がってエンギワルーが付いている。足の不自由なカズマの介助という名目なのだろうが、どう見てもプライベートなボディガードにしか見えない、と周子は思った。補佐官は自分だけずるい、と口を突いて出そうになったが、あえて言葉を飲み込んだ。
煌びやかなパーティ会場を奥へと進んで。パーティの主催者らしき壮年の男、華やかな人だかりに囲まれていたのだが、それがカズマが姿を見せるなり、気遣うようにすう、と引けて。主催者に挨拶をするのかと思ったら、父だ、と端的に一言で紹介されて。
新聞や雑誌で見たことのあるその顔、ルドルフ・フォン・グランツ、世界有数の大財閥のトップ、それが目の前で上機嫌に握手を求めてくる。
唐突に知らされたその事実に、くらり、と眩暈を感じた。
「ほ、補佐官?」
思わずカズマを見下ろすと、
「カズマと呼べと言ったろ!」
焦ったようなそんな小声で素早く窘められて。
「カ、カズマ……さん!?」
―――なんだそりゃ!
口当たりの悪いその呼び方に周子は思わず眉を寄せた。
カズマ・フォン・グランツ、……グランツ、そういえばそんな名前。グランツ、それはただの偶然だと言う程度にしか思っていなかった、だが、目の前の壮年の男、銀にも見える年相応な白髪が多く混じっているものの、カズマと同じ緑髪で、そして瞳の色も同じ紫、その珍しい取り合わせはまさに血、を感じさせるもので……周子は、カズマの正体を知ったはずなのに、ますますカズマその人が分からなくなった気がした。
「人に酔われましたか?」
ちょっと気分が、と断ってその場を抜けたのだが、ふと背後に感じた人の気配に振り返ると、なぜかエンギワルーが当然とでもいわんばかりの落ち着いた表情でそこに立っていて。エンギワルーはそう言うと、いつもの仏頂面をほんのわずかに緩め、気遣うようにこちらの様子を推し量ってくる。
外の空気を吸いたい、と言うと、エンギワルーは中庭へと続くテラスへと案内してくれた。会場を過ぎるその様は案内、というよりむしろ立派なエスコート、そして中庭へ出る直前に素早く周囲を見回すその抜け目無さ、それはエスコートというより完全なボディガードの仕種だった。
「私はいいから、補佐官についていたらどうなんです?」
そう言うとエンギワルーは、まさか、と言って苦笑した。
「周子殿をお一人にするわけには参りません」
「監視つき、ってワケね」
とにかく一人で夜気に当たりたかった周子はたちまち苦笑した。
「人に酔ったっていうよりなんだかもう、補佐官に悪酔い、って感じ」
「周子殿、あなたは少々若を誤解してい……」
エンギワルーが弁解をしようとしたのを遮って、周子は数歩歩いて距離を置いたのだが。
あ、と思わず周子は奇妙な声を上げてしまった。何気なく視線をやった中庭の噴水のその向こう、茂みの陰にひっそりと立っているその姿を見るなり、ぴたりと立ち止まり、凝視した。
上背のあるその立ち姿、広い肩に締まった腰とすらり伸びた長い足、こんなバランスの整った体つきの男はそういない、いないというより、周子には間違えようの無いその男、珍しくキッチリとオールバックに撫で付けてはいるものの、目にもあでやかなその金髪、やはりギャランである。
確かに正装ではあるがあまり目立たぬ可も無く不可も無いその格好、それはすなわち彼が警備の側の人間であることを意味しているし、耳穴に小型無線をはめ込んでいるのも見て取れる。
―――張り込み?
張り込みならば他に見知った刑事の姿があるに違いない、と周囲を見回したが、特段他に見知ったガーナ署の刑事の顔があるわけでもなく。会場のそこかしこに配置されている他の人間の身のこなしを見れば、ここにいるのはやはり警官ではなくプロのセキュリティに違いないだろうと思うのだが。なぜかそこにギャランが混じっている。
どういうことかと見詰めているうち、視線を察したのか、ふっとギャランが振り返って。
目が、合った。
向こうも驚いているようだった。
数秒の間たっぷりと見詰め合って。ぴたりと動きを止めてしまった周子の気配を察してエンギワルーがその視線の先を追う。
そしてエンギワルーはそこにギャランの姿を見て取って、おや、と両眉を上げた。カズマの身の回りの事ならなんでも知っている彼にも意外だったらしい。
不意に低いところから腕を引かれて、周子はハッとした。
どのくらい時間が経っていたか知れない。見れば、父親と歓談していたはずのカズマがいつのまにかすぐ側に来ていて。
すぐにカズマもギャランも互いのその存在に気付いたようだった。カズマは一瞬、やはり驚いたような表情をしたが、すぐに軽く苦笑するともとの真顔になって周子を見上げ、言った。
「周子刑事、済まないが、今日のところは勘弁してくれ、今日のこの場、私には妻が必要なのだよ」
「え、ええ、分かってます」
そう答えると、カズマが周子の手を握ってきた。それは意外な仕草だった。
「……補佐官?」
「捜査でも狂言でも何でも、奥さんは奥さんだ、今日は他所見禁止」
「え、ええ、大丈夫ですってば。ですから……」
少し驚きつつも周子がそう言って手を解こうとしたが、カズマは手を離してはくれなかった。カズマと手を繋いでいるところをギャランが見ていると思うと周子はなんだか居たたまれない気がして、内心焦った。
「ずいぶんと入念なアピールぶりだな、フォン・グランツ。手を繋ぐとは」
中庭を後にし、会場に戻るなり不意に正面から声を掛けられて、周子は軽く飛び上がった。
がっしりした体格の主が、ビシッとタキシードを着こなしている。片手にカクテルグラスを持ち、もう片手をズボンのポケットに入れ、どこかしらからかうような色を浮かべた表情でちょっと小首を傾げ斜に周子とカズマとを見詰めてくる。彼の肩越しに、少し遠まきながら人々の好奇の眼差しがこちらへ向けられているのにもまた、周子は気付いた。
「桜井さん!?」
「やあ、周子刑事。今宵はまたたいそうお美しい、グランツの若様は実は相当に理想が高かったのだと噂で持ちきりだよ」
「え? ええ。たぶん、チョモランマよりも高いでしょうね? 世の中正義が勝つと信じて疑わない補佐官、でもやってることはなんだかとってもブラック、つまりは現実に対する理想がむやみに高いんだと思いますよ、この人」
見知った相手である桜井を見た途端、緊張の糸が切れて、すかさず周子は軽口を叩いた。
その容赦ない皮肉にエンギワルーはやってしまったといわんばかりに痛烈に顔を顰めたのだが、一方で桜井は、チョモランマ! と復唱して快活に笑った。
「きみのことだよ、周子刑事」
「へ?」
「グランツの若様がこれまで女を寄せなかったのは女嫌いなのではなく、選びに選んでいたのだと。みなさんご納得だよ。はん、フォン・グランツ、うまく動いたものだな?」
桜井に振られてカズマはなんのことやら、といった表情で返事をスルーした。
「悔しそうだったぞ、これまでお前に言い寄ってきていた例の……」
「小うるさいぞ桜井、余計な口を利くな」
カズマは素早く遮ったが、多少酔いが回っているのか、桜井はいささかも怯む様子も無くそのまま話を続け、周子も聞いたことのある大会社の名を幾つか挙げて。いずれも財界の大物であるところの御令嬢とカズマとの縁談をそれぞれが熱心に進めようとしていたらしいことを周子は知った。
「血縁ルートは断たれたわけだ、彼等は熱烈にグランツの血を欲しがっていたのに。ルドルフ・フォン・グランツは身の回りの人間の選別に非常に厳しい男だからね」
「優秀な人間ならばルドルフとて自ずと近くに置くはずだ」
カズマは短くそう返すと、過日籍を入れたばかりの妻を前にそんな生臭い話を持ち出すとはお前もずいぶんと無粋な男に成り下がったものだな、ときっぱりと嫌味を返した。
おっと、と苦笑する桜井だが、やはりいささかも動じる様子も無く。カズマから視線を外すと、今度は周子の装いを褒め称えて。ストレートなお世辞に周子が思わず赤面すると桜井はいっそう機嫌を良くしたらしかった。
「それにしても桜井さんもですか? SATまで出動? ……裏で待機してるんですか? でも……警備にしては他のセキュリティと比べてもお一人だけずいぶんとびしっと決まってますね……なんだかセキュリティっていうより何処かの国の王子様みたいですよ?」
周子の言葉に桜井は肩を揺すって笑った。
「はは、私は警備じゃないよ」
「えっ?」
張り込みじゃないんですか、と続けかけた自分の言葉を周子は慌てて飲み込んだ。エンギワルーの鋭い眼光を察したのである。
「フォン・グランツ、王子といえば、例の金髪の野良犬がなんとびっくりセキュリティに混じってバカみたいに突っ立っていたが?」
「桜井!」
カズマが不意に厳しい声で遮った。
「……そう軽々しく口に出すな」
「おーっと。しかしほんとのことじゃないか、どんな血統書もそれを無くせばただの犬、今夜はお前が呼んだのか? 全く、いつも一緒だな」
「…………。どこまで掴んでいる、桜井」
「……さあ?」
おっそろしいね、その怒気を孕んだ紫の瞳、お前は奴のことになると容赦ないね、と桜井は肩を竦めて。
「いやさすがに、まさか、な。呼びつけておいてセキュリティに混ぜるわけがないし、大体、親友からその女を取り上げておいて、こんな、見せびらかすような真似、しないよな。お前の新妻を披露するために開かれたようなこんなパーティにわざわざ呼ぶわけないだろう? お前も、さすがにそこまでの嫌味をする男ではないだろうよ、フォン・グランツ、奴が惚れた女を取り上げるなんざ、恩を仇で返すような仕打ちだがな」
「あの……金髪って……」
「周子、こちらは桜井重工、旧財閥桜井の直系、曾孫にあたる男だ」
ギャランのことを匂わすような桜井の発言に割って入ろうとした周子の興味を、きっぱりと削ぐようにしてカズマはそう短く解説を入れた。
案の定、予想外のカズマの紹介の言葉に周子は思わず、別人なんですか? と聞き返してしまいそうになって。周子はしげしげと目の前の体格の良い男を見詰めた。
目の前の正装の男はどう見ても周子の知っている桜井征一郎その人である。タキシードよりも柔道着の方がよほど似合うと言ってやりたい、桜井征一郎その人である。
「はぁ。幼馴染って仰ってましたけど……ええーっとじゃあ、財閥仲間?」
「馴染んじゃいない」
どうもカズマは幼馴染と言われるのが気に障るようで、素早く否定した。
「桜井重工っていったら、ミサイルとか戦車とか作ってるところじゃないですか」
「財閥といっても昔の話」
首を捻った周子に桜井は上機嫌ににこっと笑いかけた。
「本体の桜井重工はまだ残ってはいるが、ご存知のとおり私はSAT配属だし、父は警察庁長官、つまりは国家治安の一公僕にすぎないのさ」
そうサッパリと善人ぶって言ってのけた桜井に、カズマは冷笑して。
「そうして発注先をこそ、牛耳るつもりなのだろうが。大体、先程の話も私なぞよりもお前と縁を結んだほうがよほどいい入札条件を得られるだろうに、な?」
「私よりお前のほうに先に話が行ったというのがなんとも気に食わんが。ま、私はお前と違って家柄や利権で妻を持つ気は無いんでね……といってみたところで……なんといおうか、その……やはり青天の霹靂だな、お前が周子刑事を……」
桜井は認め難いとでも言いたげに、口をつぐむと刈り込んだ短髪を掻いた。
それから、周子を上から下までしげしげと遠慮なく眺めて。ちら、とフロアのほうへ視線を流すと、
「周子刑事、一曲、どうだい? 私と」
カズマの前で堂々と周子にダンスを申し込む。
カズマの目がほんの少し厳しい色を増したのを察してすかさず周子は首を横に振った。
「はは。フォン・グランツの嫉妬が怖いか。執念深い男だからな。しかし君のような可憐な女性が、夫君が車椅子では、パーティもそう楽しめないだろうに」
「桜井さん、彼が車椅子であることをあげつらうのは失礼です」
桜井の物言いにかちんときた周子はきっぱりとそう言った。
予想だにしていなかった周子の強い拒絶に桜井は数瞬押し黙り、そしてカズマを見下ろすと、面白くなさそうに低く唸った。
「お前がまさか周子刑事を一本釣りするとは思わなかった、お前のことだ、手間の掛からない万事に上出来な御令嬢とやらを多額の持参金付きで引き取るとばかり思っていたんだがな。……くっそ、私より後に知り合ったくせにこうもあっさりと。メガネなくせに案外目は悪くないんだな」
「目はめっちゃくちゃ悪いですよ」
周子は気を取り直したかのように、明るく笑って話に割って入った。
出かける前、支度をするのにカズマがちょっとの間メガネを外しテーブルの上に置いたのを、なんとなく周子が邪魔に思って棚の上に避けたのだが。しばらくしてメガネが無い! と一言叫ぶやテーブルの上をばたばたと取り乱しながら叩くようにして必死で探していたのを、周子は唐突に思い出したのだ。やがてカズマがメガネを探しているのに気付いた周子にメガネを差し出され、カズマは真っ赤になると、外したメガネを勝手に移動させるなとひどく怒ったのだった。
周子はカズマをすぐ隣に、あはは思い出し笑いです、と言ってのけて。その緑髪にぽん、と手を置いた。
「この人、メガネがないとてんでダメ、なんちゃって。いやーすごく面白かったですよ、今度わざとやってみるといいですよ桜井さん」
「! あれは君がわざとではないらしいと知ったから赦したんだ、二度目はないぞ、もしも今度やったら……」
「あー、うん、で、ほら。この人、性格もかなり悪いですよ。まあ幼馴染だと仰るくらいですから、桜井さんもようくご存知だと思いますけれど」
凄みかけたカズマを周子は明るく笑い飛ばした。
「周子……」
うんざりした表情でカズマは頭上の周子の手に自分の手を重ねた。除けようとしたその華奢な周子の手は存外な強さで。自分の頭にこんなふうに気安く手を置く人間がいようとは全く思いも寄らなかった、それはむしろ、意外な死角だったとでも言っていいかもしれないくらいだった。確かに車椅子に腰掛けた自分の頭部は周子の視点よりも下だが、だがまさか、この自分の頭をこうも気安く撫でて寄越すとはまったく思いも寄らなかったのである。
まるで犬の子か何かのように周子にくりくりと頭を撫でられて。
「たのむから、君は少し黙っていてくれ」
思わずカズマは懇願した。いつにないカズマのその様子に桜井は目を丸くして周子とカズマを見比べた。
「驚いた。案外仲がいいんだな?」
「ええ、そうですよ。ラブラブですよ」
いや、と思わず真顔で否定しかけたカズマの緑髪をぽんぽんと軽く叩いて制すると、周子はにっこりと微笑んだ。
桜井は食い下がる。
「私はこの性格の歪んだフォン・グランツに添える女など此の世にいないと思っているんだが……いや、何も私の目の前でそんなに手を握り合わなくても良いではないか……ら、ラブラブか? かの女嫌いが、ぞっこん、か? 気位の高いこの男が人前でこんな真似を赦すだなんて」
「この変人ぶりを許容できる人なんてそうそういないんじゃないんですか? 私、補佐官のこう、いろいろと屈折したところがすごく好きですけれど」
「……変人ぶり……」
桜井は唸った。
「周子刑事はこれでなかなか懐が広いな……あ、いや、なんだかものすごく羨ましいぞ、フォン・グランツ、本当に結婚したのか、本当にこの周子刑事を妻に……一体どうやって仕留めたんだ、あのギャランを出し抜いて。あり得ない、偽装じゃないのか、いや、籍が入っているのは知っている、だがまさかこう周子刑事にストレートに人前で好きだと言われて……ほ、本当に本当に事実として結婚しているのか……事実として結婚生活を……ということはつまり、まさかまさかやはり夜毎に抱い……」
う、とうめいて桜井は鼻の付け根辺りを指で押さえた。
「さ、桜井さん?」
桜井は所持していた正絹のハンカチで鼻血を拭うと、ドの付くほどの真顔でカズマに迫った。
「いくらで離婚する? フォン・グランツ、離婚しろ今すぐにだ」
「バカを言え。離婚なぞ! 死んでもするものか」
半ば自棄になったカズマは苛立ちを込めてこれは私の妻だ、と言い放った。そう言い放ってしまってから、カズマはなんだか妙なドツボにはめられた気がした。
桜井は言う。
「周子刑事、こんなフォン・グランツなぞ捨てて私と添わないか、いや、これは本気だ、こんなところでいきなりナンだが、本気の本気だ、君を幸せにする、絶対にだ」
「私はカズマさんが好きで結婚したんですよ、離婚だなんて、妙なこと仰らないでください、桜井さん。馬に蹴られますよ? あるいは、私に蹴られたいですか? ヘンな言い掛かりもいい加減にしないと、ちょっと本気で見損ないますよ?」
先程から続くまるで想定外の周子の言葉の数々にギョッとして見上げてくるカズマの眼差しを、周子は笑顔でねじ伏せる。
「やだもー、そんな照れること無いじゃないですか、カズマっさん!」
わしわしと緑髪をかき回すようにしてさんざんにカズマの頭を撫でると、もう一度桜井に念を押すように周子は笑顔ではっきりと言った。
「離婚して桜井さんと結婚だなんて何おかしなこと迫ってるんですか。突然の入籍でみなさんにもあらぬご心配をおかけしたかもしれませんが、互いに望んで籍を入れたんです、是非よろしく関係各所方々にもそうお伝えください。ラブラブの新婚でいちゃいちゃですよもう」
「い……」
「エンヴィ、桜井を救護室へご案内しろ。真っ青だ」
カズマはようやく周子の手を己の頭上から引き離し、乱れた緑髪をばさり、と一度強く振ると、エンギワルーにそう短く指示した。
「どういう風の吹き回しだ、周子刑事」
「さっそく文句ですか」
休息用に設けられた控えの部屋に入るなり、そう厳しく切り出してきたカズマの言葉に、はは、と周子はさばけた風に笑い返して。
「で? あれでダメでしたか? 迷惑ですか?」
「……。いや、全く支障はない。迷惑でもない、むしろ……」
「しつこい桜井さんをぐうの音も出なくなるほどやり込めていい気分、ですね?」
カズマはしばし沈黙して、そうだ、と同意した。
「だが困るのは君だろう」
カズマの脳裏にギャランの姿が浮かぶ。周子はギャランのことを好きだとはっきり言っていたではないか、と思うし、先程の中庭での様子を見てもそれは明らかだった。この煌びやかなパーティ会場の人ごみで、互いに予期していなかったその姿を見つけてしまうというのは、なにやら必然めいたものを感じるくらいなのに。ルドルフとの歓談中に、細君を紹介されたし、と笑って割って入ってきた桜井の手前とはいえ、ギャランの見ているその前で手を握って中庭から連れ去るようにして悪かったと、むしろこちらが罪悪感を感じていたくらいなのに。
「何も、いくら桜井がしつこいからとはいえ、ああ公言する必要はなかったんだ」
「いいえ、いいんですよ、どっちみち籍は入っちゃってるんだし、対外的なその事実は変わりません。確かに、補佐官がお気遣いくださるように私はギャラン刑事のことが好きですけど、それはまた別の話というか。もともとギャラン刑事も、私と補佐官とが互いに好き合って籍を入れたんだとひどく思い込んでますし……。ああ言い切ったところで、状況は何にも変わらないんです。それよりなにより……」
周子はちょっと言葉を切ってカズマを見詰めた。
「みんな補佐官の一挙手一投足を注視して。こちらに来てからというもの、好奇の眼差しというか……最初は私、補佐官の見てくれがいいから、単に人目を引いているだけなんだろうと思ってたんですけど」
「何をバカな。私の外見なぞ」
カズマは吐き捨てるかのように苦笑した。
「あれ? 何仰ってるんですか、補佐官の外見はすごくカッコイイですよ? 普通に考えれば補佐官はすごくもてると思いますけれど?」
周子はきょとんと目を丸くして、鏡とかご覧になってご自身でそうは思わないんですか? と聞いてくる。些かの虚飾もないその黒目の純粋な強さが何より印象的だった。思わずカズマはその黒目をまじまじと見詰めて。
「中身は最悪ですけど」
一瞬存外に誉められたかと思った途端、中身は最悪、ときっぱりそう言われて、カズマは接ぐべき言葉を失った。
「でも、もっと最悪なのは周りの視線です、なんかこっちのことを探ってくるような。粗探しでもするかのような。好奇心アリアリな目でコッチを見てきて。補佐官はいつもあんな人たちとオトモダチなんですか、実際あんなんじゃ気が抜けないですよね、ずーっとこう、神経がピリピリするようで」
それに肚が立ったんです、と周子は言って笑った。
「……周子刑事……」
カズマは全く想定外の相手から寄せられた理解溢れる言葉に思わずさらに目を瞠ったのだが。
「なるほど補佐官が、引きこもりの変人になるのも無理は無い、と思いました」
「…………。私は、君のその舌を引っこ抜きたいね」
どうして君はそう一言多いんだ、とカズマは周子にわしわしと乱された緑髪を整えると、真顔で呟いた。
「君もなかなかの役者だな」
「飲み込みが早いと申し上げたはずですよ」
「桜井も言ったとおり、君との入籍は青天の霹靂だったろうからな、まして今まで君を伴って出歩いたことはなかったんだ、皆が興味を持つのも仕方がない」
「ははあ、なるほど。今まで女嫌いを理由に数々の縁談を破談にしてきたそのツケが回ってきてたわけですね?」
「違う、逆だ。破談にすればするほど女嫌いなどと妙な噂が立ったんだ」
カズマは思わず言質を正したが、自分は何をそんなムキになっているのか、と途端に冷めた気分になった。
「ルドルフをどう思った?」
「お父様のことを名前で呼び捨てになさるんですか? お優しそうな恰幅の良いお方でしたけれど」
「あの男は容赦のない腹黒い男だよ」
緑髪紫瞳、明らかなその血の発露、まったく同じ外見上の特徴を持った実の息子に腹黒いといわれるのはどうしたことだろうと周子は首を捻った。
「腹黒いんなら、補佐官も一緒じゃ……」
そう言いかけた途端、キッ、と睨まれた。
「私はあの男の一人息子でね、身の処し方ひとつにしても面倒が多いんだ。ある意味、グランツ家という政財界の怪物と戦っていると言ってもいいかもしれない、どうせならもっと山ほど兄弟を作っておいてもらいたかったよ」
ふうん、補佐官も一人っ子かぁ、と周子はちょっとうなずいた。
「兄弟がいたら、それならそれで骨肉の争いとかになりそうなのに。そして補佐官は、並み居る御兄弟を虎視眈々と陥れ、ちゃくちゃくと生き残る、そんな筋書きが見え見えですけど」
「本当に舌を抜かれたいか、周子刑事」
カズマは大きく肩を落として深いため息をついた。
「思った以上に君は御し難い女だな」
周子は目を丸くして。
「まだ、御す、だなんて仰る気ですか。可愛い新妻に向かって」
「……奇怪な修飾をつけてくれるな、たのむから」
「私が求めるのは対等な立場です、補佐官。補佐官は、なんだか周囲に対して体面を保つ義務があるんでしょう? 私は今夜それを知りましたけど。補佐官は、私の助けが必要なはずです、協力なら、してもいいと申し上げてるんです」
グランツの跡取だかなんだかよくは知りませんけど、とにかく補佐官に必要なのは妻という肩書きをそつなくこなす女、そういうことでしょう、と聡明な眼差しで見据えられて。
「これでなかなか、上手くやっていけると思いますよ?」
「……ああ、そうかもしれないな」
確かに周子の論理展開は正しい、と認めてカズマは笑ってみたが、今この瞬間、周子の申し出になんだか妙に腹が立った気がした。
「万事に上出来な多額の持参金付き御令嬢じゃなくってすまないですが」
「本当に君は一言多いな」
控えめなノック音、そして、失礼、と低く断ってエンギワルーが入ってくる。
「……帰るか。なんだかもう疲れた。来はしたんだ、ルドルフの気も済んだだろう」
カズマはやれやれとそう言って、控え室のサイドテーブルの上に用意されてあるグラスをひとつ取り上げそこに氷を放り込むと、手近なウィスキーを注いだ。苛立ちを紛らわせるかのようにぞんざいにウィスキーを呷るその仕種は意外と男っぽかった。
「では、車を回します」
「あれ? 帰るんですか? それで例の囮捜査はどうなったんです?」
電子薬物とセレブとの闇な関係は? などと再び言い出した周子のその言葉に、カズマは、くはっ、と思わず咽た。
大きくため息を吐いてがっくりと肩を落とすと、車椅子の肘掛に肘をつき、気だるげに首を一度強く振ってから肘にもたれかかった。
「エンヴィ、この女、本当にどうにか他所へやってくれ」
「まさか。とんでもない。満点、ですな」
途中どうなることかと危惧しましたが、しかし周子殿は頭の回転が速い、と日頃仏頂面の男に満面の笑みで微笑まれ、周子は一瞬きょとんとしたものの、すぐさま感嘆の声を上げた。
「満点、って、じゃ、一網打尽、ですか! すごい、一体いつの間に!」
「いい加減にしろ! 今夜口腔外科医を呼ぶぞ周子刑事!」
君は頭がいいのかバカなのか一体どっちだ! とうとうカズマが叫んだ。
(第30話へつづく)
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第29話:「ラブラブの新婚いちゃいちゃ共同戦線」
会場に到着するなり、タキシードを身につけたプロのセキュリティがそこかしこに配置されていることに周子は素早く気付いた。エンギワルーを見上げそう言ったら、静かだが厳しい眼差しで窘められて。それは相当な迫力だった。どうも自分は極力黙ってなくてはならないらしい、と周子はあきらめて静かにカズマの隣を歩いた。
カズマに伴われる周子、二人の後ろに一歩下がってエンギワルーが付いている。足の不自由なカズマの介助という名目なのだろうが、どう見てもプライベートなボディガードにしか見えない、と周子は思った。補佐官は自分だけずるい、と口を突いて出そうになったが、あえて言葉を飲み込んだ。
煌びやかなパーティ会場を奥へと進んで。パーティの主催者らしき壮年の男、華やかな人だかりに囲まれていたのだが、それがカズマが姿を見せるなり、気遣うようにすう、と引けて。主催者に挨拶をするのかと思ったら、父だ、と端的に一言で紹介されて。
新聞や雑誌で見たことのあるその顔、ルドルフ・フォン・グランツ、世界有数の大財閥のトップ、それが目の前で上機嫌に握手を求めてくる。
唐突に知らされたその事実に、くらり、と眩暈を感じた。
「ほ、補佐官?」
思わずカズマを見下ろすと、
「カズマと呼べと言ったろ!」
焦ったようなそんな小声で素早く窘められて。
「カ、カズマ……さん!?」
―――なんだそりゃ!
口当たりの悪いその呼び方に周子は思わず眉を寄せた。
カズマ・フォン・グランツ、……グランツ、そういえばそんな名前。グランツ、それはただの偶然だと言う程度にしか思っていなかった、だが、目の前の壮年の男、銀にも見える年相応な白髪が多く混じっているものの、カズマと同じ緑髪で、そして瞳の色も同じ紫、その珍しい取り合わせはまさに血、を感じさせるもので……周子は、カズマの正体を知ったはずなのに、ますますカズマその人が分からなくなった気がした。
「人に酔われましたか?」
ちょっと気分が、と断ってその場を抜けたのだが、ふと背後に感じた人の気配に振り返ると、なぜかエンギワルーが当然とでもいわんばかりの落ち着いた表情でそこに立っていて。エンギワルーはそう言うと、いつもの仏頂面をほんのわずかに緩め、気遣うようにこちらの様子を推し量ってくる。
外の空気を吸いたい、と言うと、エンギワルーは中庭へと続くテラスへと案内してくれた。会場を過ぎるその様は案内、というよりむしろ立派なエスコート、そして中庭へ出る直前に素早く周囲を見回すその抜け目無さ、それはエスコートというより完全なボディガードの仕種だった。
「私はいいから、補佐官についていたらどうなんです?」
そう言うとエンギワルーは、まさか、と言って苦笑した。
「周子殿をお一人にするわけには参りません」
「監視つき、ってワケね」
とにかく一人で夜気に当たりたかった周子はたちまち苦笑した。
「人に酔ったっていうよりなんだかもう、補佐官に悪酔い、って感じ」
「周子殿、あなたは少々若を誤解してい……」
エンギワルーが弁解をしようとしたのを遮って、周子は数歩歩いて距離を置いたのだが。
あ、と思わず周子は奇妙な声を上げてしまった。何気なく視線をやった中庭の噴水のその向こう、茂みの陰にひっそりと立っているその姿を見るなり、ぴたりと立ち止まり、凝視した。
上背のあるその立ち姿、広い肩に締まった腰とすらり伸びた長い足、こんなバランスの整った体つきの男はそういない、いないというより、周子には間違えようの無いその男、珍しくキッチリとオールバックに撫で付けてはいるものの、目にもあでやかなその金髪、やはりギャランである。
確かに正装ではあるがあまり目立たぬ可も無く不可も無いその格好、それはすなわち彼が警備の側の人間であることを意味しているし、耳穴に小型無線をはめ込んでいるのも見て取れる。
―――張り込み?
張り込みならば他に見知った刑事の姿があるに違いない、と周囲を見回したが、特段他に見知ったガーナ署の刑事の顔があるわけでもなく。会場のそこかしこに配置されている他の人間の身のこなしを見れば、ここにいるのはやはり警官ではなくプロのセキュリティに違いないだろうと思うのだが。なぜかそこにギャランが混じっている。
どういうことかと見詰めているうち、視線を察したのか、ふっとギャランが振り返って。
目が、合った。
向こうも驚いているようだった。
数秒の間たっぷりと見詰め合って。ぴたりと動きを止めてしまった周子の気配を察してエンギワルーがその視線の先を追う。
そしてエンギワルーはそこにギャランの姿を見て取って、おや、と両眉を上げた。カズマの身の回りの事ならなんでも知っている彼にも意外だったらしい。
不意に低いところから腕を引かれて、周子はハッとした。
どのくらい時間が経っていたか知れない。見れば、父親と歓談していたはずのカズマがいつのまにかすぐ側に来ていて。
すぐにカズマもギャランも互いのその存在に気付いたようだった。カズマは一瞬、やはり驚いたような表情をしたが、すぐに軽く苦笑するともとの真顔になって周子を見上げ、言った。
「周子刑事、済まないが、今日のところは勘弁してくれ、今日のこの場、私には妻が必要なのだよ」
「え、ええ、分かってます」
そう答えると、カズマが周子の手を握ってきた。それは意外な仕草だった。
「……補佐官?」
「捜査でも狂言でも何でも、奥さんは奥さんだ、今日は他所見禁止」
「え、ええ、大丈夫ですってば。ですから……」
少し驚きつつも周子がそう言って手を解こうとしたが、カズマは手を離してはくれなかった。カズマと手を繋いでいるところをギャランが見ていると思うと周子はなんだか居たたまれない気がして、内心焦った。
「ずいぶんと入念なアピールぶりだな、フォン・グランツ。手を繋ぐとは」
中庭を後にし、会場に戻るなり不意に正面から声を掛けられて、周子は軽く飛び上がった。
がっしりした体格の主が、ビシッとタキシードを着こなしている。片手にカクテルグラスを持ち、もう片手をズボンのポケットに入れ、どこかしらからかうような色を浮かべた表情でちょっと小首を傾げ斜に周子とカズマとを見詰めてくる。彼の肩越しに、少し遠まきながら人々の好奇の眼差しがこちらへ向けられているのにもまた、周子は気付いた。
「桜井さん!?」
「やあ、周子刑事。今宵はまたたいそうお美しい、グランツの若様は実は相当に理想が高かったのだと噂で持ちきりだよ」
「え? ええ。たぶん、チョモランマよりも高いでしょうね? 世の中正義が勝つと信じて疑わない補佐官、でもやってることはなんだかとってもブラック、つまりは現実に対する理想がむやみに高いんだと思いますよ、この人」
見知った相手である桜井を見た途端、緊張の糸が切れて、すかさず周子は軽口を叩いた。
その容赦ない皮肉にエンギワルーはやってしまったといわんばかりに痛烈に顔を顰めたのだが、一方で桜井は、チョモランマ! と復唱して快活に笑った。
「きみのことだよ、周子刑事」
「へ?」
「グランツの若様がこれまで女を寄せなかったのは女嫌いなのではなく、選びに選んでいたのだと。みなさんご納得だよ。はん、フォン・グランツ、うまく動いたものだな?」
桜井に振られてカズマはなんのことやら、といった表情で返事をスルーした。
「悔しそうだったぞ、これまでお前に言い寄ってきていた例の……」
「小うるさいぞ桜井、余計な口を利くな」
カズマは素早く遮ったが、多少酔いが回っているのか、桜井はいささかも怯む様子も無くそのまま話を続け、周子も聞いたことのある大会社の名を幾つか挙げて。いずれも財界の大物であるところの御令嬢とカズマとの縁談をそれぞれが熱心に進めようとしていたらしいことを周子は知った。
「血縁ルートは断たれたわけだ、彼等は熱烈にグランツの血を欲しがっていたのに。ルドルフ・フォン・グランツは身の回りの人間の選別に非常に厳しい男だからね」
「優秀な人間ならばルドルフとて自ずと近くに置くはずだ」
カズマは短くそう返すと、過日籍を入れたばかりの妻を前にそんな生臭い話を持ち出すとはお前もずいぶんと無粋な男に成り下がったものだな、ときっぱりと嫌味を返した。
おっと、と苦笑する桜井だが、やはりいささかも動じる様子も無く。カズマから視線を外すと、今度は周子の装いを褒め称えて。ストレートなお世辞に周子が思わず赤面すると桜井はいっそう機嫌を良くしたらしかった。
「それにしても桜井さんもですか? SATまで出動? ……裏で待機してるんですか? でも……警備にしては他のセキュリティと比べてもお一人だけずいぶんとびしっと決まってますね……なんだかセキュリティっていうより何処かの国の王子様みたいですよ?」
周子の言葉に桜井は肩を揺すって笑った。
「はは、私は警備じゃないよ」
「えっ?」
張り込みじゃないんですか、と続けかけた自分の言葉を周子は慌てて飲み込んだ。エンギワルーの鋭い眼光を察したのである。
「フォン・グランツ、王子といえば、例の金髪の野良犬がなんとびっくりセキュリティに混じってバカみたいに突っ立っていたが?」
「桜井!」
カズマが不意に厳しい声で遮った。
「……そう軽々しく口に出すな」
「おーっと。しかしほんとのことじゃないか、どんな血統書もそれを無くせばただの犬、今夜はお前が呼んだのか? 全く、いつも一緒だな」
「…………。どこまで掴んでいる、桜井」
「……さあ?」
おっそろしいね、その怒気を孕んだ紫の瞳、お前は奴のことになると容赦ないね、と桜井は肩を竦めて。
「いやさすがに、まさか、な。呼びつけておいてセキュリティに混ぜるわけがないし、大体、親友からその女を取り上げておいて、こんな、見せびらかすような真似、しないよな。お前の新妻を披露するために開かれたようなこんなパーティにわざわざ呼ぶわけないだろう? お前も、さすがにそこまでの嫌味をする男ではないだろうよ、フォン・グランツ、奴が惚れた女を取り上げるなんざ、恩を仇で返すような仕打ちだがな」
「あの……金髪って……」
「周子、こちらは桜井重工、旧財閥桜井の直系、曾孫にあたる男だ」
ギャランのことを匂わすような桜井の発言に割って入ろうとした周子の興味を、きっぱりと削ぐようにしてカズマはそう短く解説を入れた。
案の定、予想外のカズマの紹介の言葉に周子は思わず、別人なんですか? と聞き返してしまいそうになって。周子はしげしげと目の前の体格の良い男を見詰めた。
目の前の正装の男はどう見ても周子の知っている桜井征一郎その人である。タキシードよりも柔道着の方がよほど似合うと言ってやりたい、桜井征一郎その人である。
「はぁ。幼馴染って仰ってましたけど……ええーっとじゃあ、財閥仲間?」
「馴染んじゃいない」
どうもカズマは幼馴染と言われるのが気に障るようで、素早く否定した。
「桜井重工っていったら、ミサイルとか戦車とか作ってるところじゃないですか」
「財閥といっても昔の話」
首を捻った周子に桜井は上機嫌ににこっと笑いかけた。
「本体の桜井重工はまだ残ってはいるが、ご存知のとおり私はSAT配属だし、父は警察庁長官、つまりは国家治安の一公僕にすぎないのさ」
そうサッパリと善人ぶって言ってのけた桜井に、カズマは冷笑して。
「そうして発注先をこそ、牛耳るつもりなのだろうが。大体、先程の話も私なぞよりもお前と縁を結んだほうがよほどいい入札条件を得られるだろうに、な?」
「私よりお前のほうに先に話が行ったというのがなんとも気に食わんが。ま、私はお前と違って家柄や利権で妻を持つ気は無いんでね……といってみたところで……なんといおうか、その……やはり青天の霹靂だな、お前が周子刑事を……」
桜井は認め難いとでも言いたげに、口をつぐむと刈り込んだ短髪を掻いた。
それから、周子を上から下までしげしげと遠慮なく眺めて。ちら、とフロアのほうへ視線を流すと、
「周子刑事、一曲、どうだい? 私と」
カズマの前で堂々と周子にダンスを申し込む。
カズマの目がほんの少し厳しい色を増したのを察してすかさず周子は首を横に振った。
「はは。フォン・グランツの嫉妬が怖いか。執念深い男だからな。しかし君のような可憐な女性が、夫君が車椅子では、パーティもそう楽しめないだろうに」
「桜井さん、彼が車椅子であることをあげつらうのは失礼です」
桜井の物言いにかちんときた周子はきっぱりとそう言った。
予想だにしていなかった周子の強い拒絶に桜井は数瞬押し黙り、そしてカズマを見下ろすと、面白くなさそうに低く唸った。
「お前がまさか周子刑事を一本釣りするとは思わなかった、お前のことだ、手間の掛からない万事に上出来な御令嬢とやらを多額の持参金付きで引き取るとばかり思っていたんだがな。……くっそ、私より後に知り合ったくせにこうもあっさりと。メガネなくせに案外目は悪くないんだな」
「目はめっちゃくちゃ悪いですよ」
周子は気を取り直したかのように、明るく笑って話に割って入った。
出かける前、支度をするのにカズマがちょっとの間メガネを外しテーブルの上に置いたのを、なんとなく周子が邪魔に思って棚の上に避けたのだが。しばらくしてメガネが無い! と一言叫ぶやテーブルの上をばたばたと取り乱しながら叩くようにして必死で探していたのを、周子は唐突に思い出したのだ。やがてカズマがメガネを探しているのに気付いた周子にメガネを差し出され、カズマは真っ赤になると、外したメガネを勝手に移動させるなとひどく怒ったのだった。
周子はカズマをすぐ隣に、あはは思い出し笑いです、と言ってのけて。その緑髪にぽん、と手を置いた。
「この人、メガネがないとてんでダメ、なんちゃって。いやーすごく面白かったですよ、今度わざとやってみるといいですよ桜井さん」
「! あれは君がわざとではないらしいと知ったから赦したんだ、二度目はないぞ、もしも今度やったら……」
「あー、うん、で、ほら。この人、性格もかなり悪いですよ。まあ幼馴染だと仰るくらいですから、桜井さんもようくご存知だと思いますけれど」
凄みかけたカズマを周子は明るく笑い飛ばした。
「周子……」
うんざりした表情でカズマは頭上の周子の手に自分の手を重ねた。除けようとしたその華奢な周子の手は存外な強さで。自分の頭にこんなふうに気安く手を置く人間がいようとは全く思いも寄らなかった、それはむしろ、意外な死角だったとでも言っていいかもしれないくらいだった。確かに車椅子に腰掛けた自分の頭部は周子の視点よりも下だが、だがまさか、この自分の頭をこうも気安く撫でて寄越すとはまったく思いも寄らなかったのである。
まるで犬の子か何かのように周子にくりくりと頭を撫でられて。
「たのむから、君は少し黙っていてくれ」
思わずカズマは懇願した。いつにないカズマのその様子に桜井は目を丸くして周子とカズマを見比べた。
「驚いた。案外仲がいいんだな?」
「ええ、そうですよ。ラブラブですよ」
いや、と思わず真顔で否定しかけたカズマの緑髪をぽんぽんと軽く叩いて制すると、周子はにっこりと微笑んだ。
桜井は食い下がる。
「私はこの性格の歪んだフォン・グランツに添える女など此の世にいないと思っているんだが……いや、何も私の目の前でそんなに手を握り合わなくても良いではないか……ら、ラブラブか? かの女嫌いが、ぞっこん、か? 気位の高いこの男が人前でこんな真似を赦すだなんて」
「この変人ぶりを許容できる人なんてそうそういないんじゃないんですか? 私、補佐官のこう、いろいろと屈折したところがすごく好きですけれど」
「……変人ぶり……」
桜井は唸った。
「周子刑事はこれでなかなか懐が広いな……あ、いや、なんだかものすごく羨ましいぞ、フォン・グランツ、本当に結婚したのか、本当にこの周子刑事を妻に……一体どうやって仕留めたんだ、あのギャランを出し抜いて。あり得ない、偽装じゃないのか、いや、籍が入っているのは知っている、だがまさかこう周子刑事にストレートに人前で好きだと言われて……ほ、本当に本当に事実として結婚しているのか……事実として結婚生活を……ということはつまり、まさかまさかやはり夜毎に抱い……」
う、とうめいて桜井は鼻の付け根辺りを指で押さえた。
「さ、桜井さん?」
桜井は所持していた正絹のハンカチで鼻血を拭うと、ドの付くほどの真顔でカズマに迫った。
「いくらで離婚する? フォン・グランツ、離婚しろ今すぐにだ」
「バカを言え。離婚なぞ! 死んでもするものか」
半ば自棄になったカズマは苛立ちを込めてこれは私の妻だ、と言い放った。そう言い放ってしまってから、カズマはなんだか妙なドツボにはめられた気がした。
桜井は言う。
「周子刑事、こんなフォン・グランツなぞ捨てて私と添わないか、いや、これは本気だ、こんなところでいきなりナンだが、本気の本気だ、君を幸せにする、絶対にだ」
「私はカズマさんが好きで結婚したんですよ、離婚だなんて、妙なこと仰らないでください、桜井さん。馬に蹴られますよ? あるいは、私に蹴られたいですか? ヘンな言い掛かりもいい加減にしないと、ちょっと本気で見損ないますよ?」
先程から続くまるで想定外の周子の言葉の数々にギョッとして見上げてくるカズマの眼差しを、周子は笑顔でねじ伏せる。
「やだもー、そんな照れること無いじゃないですか、カズマっさん!」
わしわしと緑髪をかき回すようにしてさんざんにカズマの頭を撫でると、もう一度桜井に念を押すように周子は笑顔ではっきりと言った。
「離婚して桜井さんと結婚だなんて何おかしなこと迫ってるんですか。突然の入籍でみなさんにもあらぬご心配をおかけしたかもしれませんが、互いに望んで籍を入れたんです、是非よろしく関係各所方々にもそうお伝えください。ラブラブの新婚でいちゃいちゃですよもう」
「い……」
「エンヴィ、桜井を救護室へご案内しろ。真っ青だ」
カズマはようやく周子の手を己の頭上から引き離し、乱れた緑髪をばさり、と一度強く振ると、エンギワルーにそう短く指示した。
「どういう風の吹き回しだ、周子刑事」
「さっそく文句ですか」
休息用に設けられた控えの部屋に入るなり、そう厳しく切り出してきたカズマの言葉に、はは、と周子はさばけた風に笑い返して。
「で? あれでダメでしたか? 迷惑ですか?」
「……。いや、全く支障はない。迷惑でもない、むしろ……」
「しつこい桜井さんをぐうの音も出なくなるほどやり込めていい気分、ですね?」
カズマはしばし沈黙して、そうだ、と同意した。
「だが困るのは君だろう」
カズマの脳裏にギャランの姿が浮かぶ。周子はギャランのことを好きだとはっきり言っていたではないか、と思うし、先程の中庭での様子を見てもそれは明らかだった。この煌びやかなパーティ会場の人ごみで、互いに予期していなかったその姿を見つけてしまうというのは、なにやら必然めいたものを感じるくらいなのに。ルドルフとの歓談中に、細君を紹介されたし、と笑って割って入ってきた桜井の手前とはいえ、ギャランの見ているその前で手を握って中庭から連れ去るようにして悪かったと、むしろこちらが罪悪感を感じていたくらいなのに。
「何も、いくら桜井がしつこいからとはいえ、ああ公言する必要はなかったんだ」
「いいえ、いいんですよ、どっちみち籍は入っちゃってるんだし、対外的なその事実は変わりません。確かに、補佐官がお気遣いくださるように私はギャラン刑事のことが好きですけど、それはまた別の話というか。もともとギャラン刑事も、私と補佐官とが互いに好き合って籍を入れたんだとひどく思い込んでますし……。ああ言い切ったところで、状況は何にも変わらないんです。それよりなにより……」
周子はちょっと言葉を切ってカズマを見詰めた。
「みんな補佐官の一挙手一投足を注視して。こちらに来てからというもの、好奇の眼差しというか……最初は私、補佐官の見てくれがいいから、単に人目を引いているだけなんだろうと思ってたんですけど」
「何をバカな。私の外見なぞ」
カズマは吐き捨てるかのように苦笑した。
「あれ? 何仰ってるんですか、補佐官の外見はすごくカッコイイですよ? 普通に考えれば補佐官はすごくもてると思いますけれど?」
周子はきょとんと目を丸くして、鏡とかご覧になってご自身でそうは思わないんですか? と聞いてくる。些かの虚飾もないその黒目の純粋な強さが何より印象的だった。思わずカズマはその黒目をまじまじと見詰めて。
「中身は最悪ですけど」
一瞬存外に誉められたかと思った途端、中身は最悪、ときっぱりそう言われて、カズマは接ぐべき言葉を失った。
「でも、もっと最悪なのは周りの視線です、なんかこっちのことを探ってくるような。粗探しでもするかのような。好奇心アリアリな目でコッチを見てきて。補佐官はいつもあんな人たちとオトモダチなんですか、実際あんなんじゃ気が抜けないですよね、ずーっとこう、神経がピリピリするようで」
それに肚が立ったんです、と周子は言って笑った。
「……周子刑事……」
カズマは全く想定外の相手から寄せられた理解溢れる言葉に思わずさらに目を瞠ったのだが。
「なるほど補佐官が、引きこもりの変人になるのも無理は無い、と思いました」
「…………。私は、君のその舌を引っこ抜きたいね」
どうして君はそう一言多いんだ、とカズマは周子にわしわしと乱された緑髪を整えると、真顔で呟いた。
「君もなかなかの役者だな」
「飲み込みが早いと申し上げたはずですよ」
「桜井も言ったとおり、君との入籍は青天の霹靂だったろうからな、まして今まで君を伴って出歩いたことはなかったんだ、皆が興味を持つのも仕方がない」
「ははあ、なるほど。今まで女嫌いを理由に数々の縁談を破談にしてきたそのツケが回ってきてたわけですね?」
「違う、逆だ。破談にすればするほど女嫌いなどと妙な噂が立ったんだ」
カズマは思わず言質を正したが、自分は何をそんなムキになっているのか、と途端に冷めた気分になった。
「ルドルフをどう思った?」
「お父様のことを名前で呼び捨てになさるんですか? お優しそうな恰幅の良いお方でしたけれど」
「あの男は容赦のない腹黒い男だよ」
緑髪紫瞳、明らかなその血の発露、まったく同じ外見上の特徴を持った実の息子に腹黒いといわれるのはどうしたことだろうと周子は首を捻った。
「腹黒いんなら、補佐官も一緒じゃ……」
そう言いかけた途端、キッ、と睨まれた。
「私はあの男の一人息子でね、身の処し方ひとつにしても面倒が多いんだ。ある意味、グランツ家という政財界の怪物と戦っていると言ってもいいかもしれない、どうせならもっと山ほど兄弟を作っておいてもらいたかったよ」
ふうん、補佐官も一人っ子かぁ、と周子はちょっとうなずいた。
「兄弟がいたら、それならそれで骨肉の争いとかになりそうなのに。そして補佐官は、並み居る御兄弟を虎視眈々と陥れ、ちゃくちゃくと生き残る、そんな筋書きが見え見えですけど」
「本当に舌を抜かれたいか、周子刑事」
カズマは大きく肩を落として深いため息をついた。
「思った以上に君は御し難い女だな」
周子は目を丸くして。
「まだ、御す、だなんて仰る気ですか。可愛い新妻に向かって」
「……奇怪な修飾をつけてくれるな、たのむから」
「私が求めるのは対等な立場です、補佐官。補佐官は、なんだか周囲に対して体面を保つ義務があるんでしょう? 私は今夜それを知りましたけど。補佐官は、私の助けが必要なはずです、協力なら、してもいいと申し上げてるんです」
グランツの跡取だかなんだかよくは知りませんけど、とにかく補佐官に必要なのは妻という肩書きをそつなくこなす女、そういうことでしょう、と聡明な眼差しで見据えられて。
「これでなかなか、上手くやっていけると思いますよ?」
「……ああ、そうかもしれないな」
確かに周子の論理展開は正しい、と認めてカズマは笑ってみたが、今この瞬間、周子の申し出になんだか妙に腹が立った気がした。
「万事に上出来な多額の持参金付き御令嬢じゃなくってすまないですが」
「本当に君は一言多いな」
控えめなノック音、そして、失礼、と低く断ってエンギワルーが入ってくる。
「……帰るか。なんだかもう疲れた。来はしたんだ、ルドルフの気も済んだだろう」
カズマはやれやれとそう言って、控え室のサイドテーブルの上に用意されてあるグラスをひとつ取り上げそこに氷を放り込むと、手近なウィスキーを注いだ。苛立ちを紛らわせるかのようにぞんざいにウィスキーを呷るその仕種は意外と男っぽかった。
「では、車を回します」
「あれ? 帰るんですか? それで例の囮捜査はどうなったんです?」
電子薬物とセレブとの闇な関係は? などと再び言い出した周子のその言葉に、カズマは、くはっ、と思わず咽た。
大きくため息を吐いてがっくりと肩を落とすと、車椅子の肘掛に肘をつき、気だるげに首を一度強く振ってから肘にもたれかかった。
「エンヴィ、この女、本当にどうにか他所へやってくれ」
「まさか。とんでもない。満点、ですな」
途中どうなることかと危惧しましたが、しかし周子殿は頭の回転が速い、と日頃仏頂面の男に満面の笑みで微笑まれ、周子は一瞬きょとんとしたものの、すぐさま感嘆の声を上げた。
「満点、って、じゃ、一網打尽、ですか! すごい、一体いつの間に!」
「いい加減にしろ! 今夜口腔外科医を呼ぶぞ周子刑事!」
君は頭がいいのかバカなのか一体どっちだ! とうとうカズマが叫んだ。
(第30話へつづく)
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- 2006-01-05 16:10
- カテゴリ : タトパラ2/長編/連載中
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