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[tog_p2_32]「風呂と奥方」/タトパラ2

「トライフル刑事」〜狂気のロンド ガーナ署トリニティ〜/タトパラ2
第32話:「風呂と奥方」



「おや? なんだか今日はやけに機嫌がいいんだね?」
 今日は早く上がります、と定時で素早く帰り支度を始めた周子にアシューがそう声を掛けた。昨日なぞは半休にしてそれでも来たかと思えば、なんだかカズマ君とひと喧嘩でもしてきたかのような勢いで心配したんだが、と言われて周子は苦笑した。
「今日はお外で食事をして、それからお風呂に行くんですよ」
 デートかい? と聞かれて、そう笑顔で返した周子の明るい声、すぐ隣のデスクで周子の淹れてくれた緑茶をすすっていたギャランは思わず湯飲みを取り落としそうになった。
 ―――ふ、風呂っ!?
「ギャラン刑事も一緒に行きますか? もしお暇でしたら」
「ヒマも何も、お邪魔虫だろが、んな新婚組になんでおれが混ざらにゃならん」
 コン君とですよ、と微笑まれて、ギャランは、へ? と間抜けな声を上げた。
「今日はエンギワルーさんと補佐官が所用でお出かけで。これからコン君を保育園にお迎えに行くんですよ、で、ご飯食べて。コン君ってばなんと銭湯って行ったことないんですって、それでちょうどいいから、先月新しく出来た隣町のスパ施設ってのに行ってみようかと思って。掃除のおばちゃんがタダ券くれたんですよ、四名様無料ご招待ってやつ、ギャラン刑事はもうそこへ行った事ありますか?」
 なければせっかくですからいかがですか? と言われてギャランは首を捻った。
「銭湯っていやぁ、おねぇちゃんがイイコトしてくれるトコだろ?」
「それは違うお風呂です」
 すかさず周子のパンチが鼻面に炸裂した。あたたたた、とギャランは椅子の背もたれに寄りかかって仰向けになると、金髪を掻いた。
「違うのか、じゃあおれはそれを知らんなァ」
「普通はその逆です!」
 周子はちょっと赤面したものの、苦笑した。ギャランは時折不思議なことを言う、と思う。常人では普通憚るようなこともさらりと言ってしまう、それはまるで子供のような、世間的な常識がないのだと言っても良いくらいの屈託のなさで。事件の捜査をしているときの鋭さとのギャップの大きさが、むしろ愛しくて。ふと、桜井がギャランのことを野良犬、と呼んでいたのを思い出した。この人は普通の家庭で知るような事をあまり知らないのかもしれない、と周子は思った。
「ほら、早く行かないと、お迎え時間に遅刻しちゃいますよ」
 周子は明るく笑ってギャランを急き立てた。

「周子ちゃん、この、家族風呂、ってなに?」
 コンジョナシを迎えに行った後、ファミレスで食事を済ませてからその新しく出来たスパ施設に行くと、ギャランは不思議そうに周囲を見回し、そして、券売機の上にある料金表を指差して周子にたずねてきたのだった。
「ああ、それは個室のお風呂を貸しきるんですよ。普通の銭湯って、男女別じゃないですか、でも家族風呂なら、パパとママと子供と、とかってみんな一緒に入れるんですよ」
 ギャランは周子の手を強く引いた。
「こ、こっちがいい、おれ絶対こっちがいい」
「おばちゃんにもらったのは普通の入浴券ですよ、ダメ」
 周子は飛び入り参加のギャランのために、入浴セットを買って渡すと、かけ湯をしてから浴槽に入ることなどを教えて、じゃあ、テキトウに、先に上がったらビールでも飲んで待っていてください、帰りも運転は私がしますから、と言って男湯と女湯の分岐でギャランと別れようとした。
「コン、お前、男だろ? トーゼンこっちだよな?」
 なーんで周子ちゃんと手を繋いで女湯に行くんだ、とギャランは両眉を顰めてすかさずツッコんだ。
 え? と不安そうにコンジョナシが周子の手をきゅっと握った。
「いいじゃないですか、まだ五歳だし、普通はまだママと一緒に女湯に入るお年頃ですよ?」
「こんのませガキが。コイツの口の利き方はこれで五歳たぁ思えねぇくらいじゃねぇか。なんでいきなりお子様扱いなんだよ、えーっまじでーっ、ずるい、ずるすぎる、おれも周子ちゃんといっしょがいーい!」
 まるで子供を二人連れてきたみたいな感じだった。
「ギャラン刑事の方がよほど子供みたいですね」
「お、おれも子供になりてぇ」
 もうほっといて行こ、と周子はさばさばとコンジョナシの手を引いて女湯への暖簾をくぐった。

「周子様、雪がありますー」
 一通り風呂を巡って、最後に露天風呂へのドアを開けるなり、コンジョナシは寒そうに小さな身体をガクガクと震わせたものの、男湯と女湯とを仕切る竹製のついたての近くの植え込みの陰にほんの少し残っている雪を指差して明るい声を上げた。触ってみたいに違いない、と周子は目を細めたが、すぐにコンジョナシは、ああでもちょっと植え込みの中へ行くのは怒られそうですね、と子供らしい断念の呟きを漏らした。
「おおー! 周子ちゃーん、このついたての向こうにいるのかよ」
 暢気なギャラン刑事の声が響いた。
「ギャラン刑事、意外と長湯なんですね? 私はてっきりカラスの行水かと」
「いや、案外いいもんだなーと思ってな」
 はだしの足の裏で雪を踏むと気持ちがいいな、と言われて周子は首を捻った。こちら女湯はと言えば、雪は、植え込みの松のあたりに少し残っている程度である。ついたてを挟んだその向こうにも同様の植え込みがあることを思えば、男湯のほうもこちらと大差ないに状況に違いないと思うのだが、はたして一体どんな入り方をしているのだろうか、素っ裸で植え込みの中に乱入してはいないだろうか、とはなはだ不安になりつつ、ま、まあ一応大人なはずだから、と周子はどうにかこうにか思い直した。
「こっちこない? こっちだーれも入ってくる気配ナーシ。いたとしてもおれが湯船に沈めてやるから大丈夫」
 ギャランの無邪気な声に周子は思わず笑う。
「なに言ってるんですか、温泉ならともかく」
「温泉かぁ、温泉も行ったことねぇなぁ。つーこた、温泉なら一緒に入れるってこったな?」
「普通は入れませんけれど」
 混浴露天風呂や個室に温泉がついてるのならあります、と言ってから、周子はあらぬ知恵を植え付けたかもしれない、と内心焦った。ギャラン刑事のことだ、その気になれば今からでも温泉に行くぞと言い出して強引に引きずっていくだろう。
 言い出さなかったのはコンジョナシに遠慮しているに違いなかった。さすがに子供の前では、たとえ冗談だとしても、そんな色めいた話をする気にはならないのだろう。
 ちょっと腕を引かれて周子はコンジョナシの顔を覗き込んだ。
「えっ? なに、コン君? ……ええっ? そ、そりゃ確かにそこにくぐり戸があるけど……えーっ、でもな、でもぉきっと勝手に開けちゃダメなんだよ、お掃除の係りの人とかが通るのに使うんだよ」
「おーい、コン、なんだ? 周子ちゃんにわがまま言ってんじゃねぇぞ?」
 ギャランの声が掛かる。周子はコンジョナシの要望を説明した。
「あ、あのですね? コン君がそっちに行きたい、って」
 こっちにはいま誰もいないですから、そこのくぐり戸を開けてコン君を連れて行ってもいいですか、と言えば、おう、と気軽な返事が返って来る。
 バスタオルで巻くでもない、タオル一枚で以って身体の前を申し訳程度に隠した周子の身体をちら、と見て。
「ギャラン刑事、鼻血!」
「のぼせたんだ! こんな風呂なんて初めてだかんな! べべべべ、別にエロいこと考えてるわけじゃねーからなっ!」
 ギャランはそう叫んで湯船に飛び込んだ。
 そしてくぐり戸を閉めてそっと後から湯船に入ってきたコンジョナシを睨んで。
「あんだよ、なんでコッチに来たんだよ、お前すっげー羨ましいポジションに収まっていたくせに、っつーかむしろおれに譲りやがれ」
「いえ、皆さんの視線がどうにもきつくて。パッと見、僕を女の子だと思うんでしょうね、で、こう、視線を下に下ろして、あら、といった顔をなさるんです」
 居心地が悪くて、とコンは複雑な表情をした。
「なるほどな。しっかしお前は父ちゃんみたいに育つのかね? そんなにきゃわゆいカオしちゃってマァ」
「そうなりたいと望みます」
「望むのか! まじで? あれを?」
 ギャラン刑事、私先に上がりますねー?とのんびりした周子の声が掛かって、やがて、女湯の方の気配がなくなった。
「ギャラン刑事、出ないですか? 僕ちょっともう……のぼせそうです」
「お、おう、てめえは一人で先に出てろ」
 いえ、とコンジョナシは心配そうに首を横に振った。
「ギャラン刑事こそ、赤くなって調子悪そうですよ? なんてったってさっき鼻血噴いてたぐらいですし。きっとひどくのぼせ……」
「……だーっ、いいからおれはもう少し一人で入ってるのッ!」
 ―――かーっ、周子ちゃんってばまじでイイ
 出るに出られない、とはさすがに言えず、ギャランはためらうコンジョナシを無理矢理追い立てると、己のあらぬ熱が冷めるまで一人露天風呂に残った。

 ギャランが風呂を出ると、脱衣所の鏡台でコンジョナシが一人大人しくドライヤで髪を乾かしていた。
「なんだか親切なおじ様が使い方を教えてくださいました」
 どこまでもしっかりしてるんだな、とギャランにぐりぐりと小突かれて。やがて二人は支度を済ませて出てくると、休憩用の小上がりの座敷のようなところに周子の姿を見つけて。
 先に上がった周子は、携帯を弄っていたらしかった。
「ふふふー、ネットで買っちゃった、覚えてろあんのメガネめ!」
 なんだか企み顔で上機嫌である。
「どーしたんだ、周子ちゃん?」
「んー? もうすぐイイモノがくるんですヨ、奥方様がね!」
 奥方様? たちまちいぶかしげな表情をしたギャランの金髪をぽんぽんと撫でて。
「なんか飲みます? ビールでも買ってきましょうか」
 周子は上機嫌で席を立つと売店のほうへ向かった。
 お、ゲーセン、とギャランはロクに落ち着きもせずにコンジョナシを連れてすぐ側のゲームコーナーを覗いた。あとでやろうか、と人懐こくコンジョナシに笑いかけてから、
「おい、なに大事そうに持ってるんだよ?」
 コンジョナシの手の中にある、折りたたまれたティッシュを見て首を捻った。
「ああ、ギャラン刑事の髪の毛を一本」
「髪の毛? 気色悪いヤツだなお前」
「ギャラン刑事の髪が本当に美しかったもので」
 そういや周子ちゃんもそう言っていたっけ、とギャランは思った。
 だが、
「なんか、持っていたらいいことでも起きそうな気がして」
 そう言って、ほら、と屈託のない笑顔で手の中の折りたたんだティッシュを広げて見せて寄越したそれに、ギャランは思いっきりずっこけた。
「おまっ! それ、それってばよ、髪の毛じゃねぇぞ、縮れてるだろが! くせっ毛とかじゃねぇぞ、捨てろ、捨てちまえ、ってか、捨ててくれ!」
 きょとん、と不思議そうなコンジョナシにギャランは言う。
「あー、ほら、お前の父ちゃんにだって生えてるだろが。こう、股間にもじゃもじゃーっと……つまりはチン……」
 ギャランはそう言いかけて慌てて口をつぐんだ。生ビールのジョッキとラムネの瓶を両手に持って、満面笑顔の周子がやってきたのが目に入ったからだ。
「ああ、では、チン毛ですか」
「!」
「ち……! ギャラン刑事、こんな子供に何教えてるんですかッ!」
 真っ赤になった周子の膝を鳩尾にくらい、ギャランは一瞬で床に沈んだ。
「もう、ギャラン刑事はビールお預けです、私が飲みますから、帰りの運転はギャラン刑事がしてくださいねッ!」
「あー、わるい、悪かったって」
 席に付くと、周子はギャランのために買って来たジョッキをぐいぐいと呷った。
 あー、飲んじゃったよ、んじゃ帰りの運転はおれかー、とギャランは苦笑した。そして、ビールではない、押し付けられたガラスの瓶をしげしげと眺めて。
「ナニコレー。フルーツ牛乳ってぇキモ!」
「あー、やっぱ知らないんだ」
 ふふふ、と周子に笑われて。
 おいしいんですよ、といって笑う周子の仕種がなんとも色っぽくて。
 湯上りの周子、ちょっと酔った周子にギャランは目を細めた。
 ―――いいもん見てんなァ、おれ
「ギャラン刑事って、なんかこう、普通の常識が欠けてますよね、いったいどんな育ち方をしたのか、ナゾですね」
「ロクな育ち方じゃねぇさ」
 ギャランは小声で呟いた。
 いまのこの幸せがこの先もずっと続けばいいと思った。

 それから数日後のある日、玄関のチャイムに応じたカズマはモニタを覗き込んで、驚愕のあまり我が目を疑った。
 そして慌てて玄関へと向かう、モニタ越しではなくこの目で直に確認しなくては、いや、触って、あるいは銃で撃ちでもしてその赤い血でも見ない限り、その存在を信じられない気がした。
 玄関ドアを開けた。
 そのドアの向こうに立っていたのは、紛れもなく。
「しゅ、修三タチバナ……?」
「新聞を見た」
 その手には新聞が握られていて。見れば、経済面のトップにカズマと周子とのツーショット写真が掲載されている。先日のパーティでの写真だ、ご丁寧にもグランツ家次代宗主が入籍、と大きく報じられている。あれほどメディアを入れるなと言っておいたはずなのに、とカズマは忌々しく思った。そんな風にあざとく、周囲から圧力を掛けでもするかのように念に念を押してくるやり方はルドルフの仕業に違いないのだ。
 まるで駅のキオスクかどこかでふと見掛けたから買った、とでもいった具合に、修三が手にしているその新聞は剥き出しで縒れていて……混んだ電車の中で他人に押されでもしたかのような撚れ方だった。
 修三の格好は、どこか奇妙だった。素肌に一枚羽織っただけの白シャツに黒のスラックス、長い黒髪を後ろでひとつに無造作に束ね、そして、裸足に健康サンダル。ほんの近所に散歩にでも出たかのような、あるいはゴミ出しの帰り、とでもいった、ごくごくありふれた日常的なその格好、だが、いまが冬であることを思えば、その薄着はこの季節に出歩くには不自然なほどに軽装である。
 修三は玄関先に佇んだまま、表情ひとつ変えず、冷え切った平坦な声音で、周子はいるか? と聞いてくる。平日の、昼間だ、普通の社会人ならまず家にいるわけがないだろうが! とカズマは言い返しそうになったのだが。
 思わず言葉を飲んだ理由、それは一言でいえば、不敬なことを言って機嫌を損なえば呪い殺されそう、そんな強烈な印象ゆえだった。
「周子なら今、勤務中の時間ですが?」
 そう答えはしたものの、まさか、とっとと帰れ、とも言えまい、とカズマは思った。一応、妻の実の父親に当たる人間なのだ、こうして間近に見ると、その黒髪黒目、白皙の肌、特徴が周子とよく似ている。
 これまで何度も手配写真で見たことのあるその顔、ずいぶんと美麗な男だと思っていた、だが、実際の修三は、手配資料のそれよりもはるかに怜悧で、かつ捉えどころのないような不思議な印象が漂っている。
 仮に百歩譲ってテロリストかどうかを今この場では不問にするとしても、五年もの間、周子が本気で探している男である。時計の事で聞きたいこともあった。周子でこの男が釣れるのなら、なんとしてでもここで足止めを食らわせるべきだ、とカズマは思った。
「お、お茶でも、いいい、いかがです?」
 緊張した所為か、思わず吃音が出た。
 カズマの申し出に、修三は少し嫌そうに、だが、無言で靴を脱ぐと、静かに一歩、足を踏み入れ、上がってきた。ほとんど気配を感じないその身のこなし、それはまるで、此の世のものではないもののような、すっと冷ややかな一閃の風でも舞い込んだかのような、奇妙な感覚であった。
 微かに聴く幽玄で気品高い冷涼な香り、なにやらカズマの知らぬエキゾチックな香を焚きしめたその匂いにふと注意を引かれて。
 思わず、目が合った。
 なんとなく、背筋がぞっとして。
 カズマは何か得体の知れぬ魔物でも家内に引き入れたかのように不安な気分になった。
 まるで生気を感じさせぬ、だが圧倒的なその存在感、カズマはどうにかこうにか修三を居間に通すと、コーヒーを淹れて、差し出した。
 修三は手をつけない。
「毒など入っていませんよ」
 思わずそう言ってしまってから、なんと自分は怪しげな発言をしてしまったのかと思った。
 それからしばらくの間、重い沈黙が流れてようやく、車椅子の肘かけの裏に取り付けられた無線発信機の緊急通信で呼び出されたエンギワルーが離れから駆けつけ、何気ない落ち着いた様子を装って居間に入ってきたのだが。
 エンギワルーは、入ってくるなり、はっ、とした表情をした。さすがのエンギワルーでさえ、思わず息を飲んでしまうほどにありえない来客である。
 エンギワルーはしばらくの間言葉を無くして、修三とカズマとを見比べていたが、やがて、スキンヘッドに浮いた冷や汗をハンカチで拭いながら言った。
「まさか、先日周子殿が仰っていた、若にぴったりの奥方、とはこちらのお方のことではあるまいな?」
 周子殿は若がホモだと本気でお思いなのか、と呟いたエンギワルーにカズマはバカ言え、ときっぱりと否定したのだが。
「…………奥方? 私が?」
 修三はいかにも嫌そうな表情をした。
 ちら、と流し目でこちらを睨んできたその怜悧な黒目には、一瞬で相手の心臓を止めてしまうほどにぞっとする殺気があったといっていい。


(第33話へつづく)
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