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[tog_p2_34]「迷走」/タトパラ2

「トライフル刑事」〜狂気のロンド ガーナ署トリニティ〜/タトパラ2
第34話:「迷走」



 ゼロハリバートンのアタッシュケースの持ち手がギャランの手を抜け、床を打つ硬質な音が響いた。
「周子ちゃん、おれを好きって、どーゆーこと?」
「ふぇっ……ええっとそのあのその」
 真っ赤になってカズマの車椅子から一歩後ずさり動揺する周子。
 後は勝手に話し合え、とかなんとか言い捨ててカズマはエンギワルー共々さっさと居間を出て行った。息苦しい沈黙が居間を支配する。
 ギャランは真っ直ぐに周子を見詰めた。
「どーゆーことかって聞いてるんだが」
 いつにない強い口調でそう尋ねれば、周子がビクリと肩を竦める。
「いや、どーゆーことかってのは、……別にどーでもいい」
 ギャランはつかつかと居間の中へ入っていくと、おもむろに周子の手首を掴んだ。
「おれを好きなのか」
 聞きてぇのは、周子ちゃんがおれを好きなのかどうかってことだ、とギャランははっきりとそう問い質した。
 その手首を強く引いて自分の腕の中に周子を抱きしめる。
 いつも強気な周子が、言葉を失って自分を見上げてくるその表情がたまらなく良い。
 怯えたように微かに震えるばかりで言葉の出ないその唇にそっと優しく口づけて。
 強張ったその唇がふと解けるのを感じて、ギャランは周子の気持ちをはっきりと悟った。
「教えて? 周子ちゃんおれを好きなの?」
「あ、あの、ちが……」
「違くない」
 ギャランは周子の言葉を鋭く遮った。動揺する周子の黒目を覗き込んで、優しい口づけとは裏腹に、ギャランは圧倒的な威圧感をこめて命じた。
「言え」
「い、言え、って……なに、を」
「言えよ、おれを好きだって」
 周子の言葉を待たずにギャランは再び口づけた。
 その戸惑いを押し切るように深くキスをすると、周子の舌を一度きつく吸った、驚いたようにビクリと硬直させた肩の不慣れな様が愛しくて。軽く舌を噛んで、逃げるその舌を追いまわすように弄ぶと、微かに甘く鼻を鳴らして。周子が感じたのだろう、
「あ、あのっ、ちょっと、ギャラン刑事っ」
 真っ赤になってなんとか抗って唇を外し顔を背けた周子、抗ってみても感じたのは良く分かっている、息苦しそうに胸を上下させて身じろぎする、そんな微かなためらいの仕草こそがおれを煽るのをこの女は知ってんじゃねぇかとギャランは思う。顔を背けた周子の、耳にうなじに首筋に幾度も幾度も優しいキスを落とす。
 唇が触れるたびにびくんと身体を硬直させるその初心な身体の手応えに、ギャランは熱い息を吐いた。
「お前が赦してくれないとおれは指一本触れられない」
「ふ、触れてるじゃないですか」
 それでも拒もうとする消え入りそうなその声を、吐息に埋めてしまって。
 さんざんにキスを落として。
 手は既にシャツの裾から中に入り込んでブラジャーのレースの端を指でなぞっている。
「おれの恋情は募るばかりだ。一度お前を抱いてしまうともう他は目に入らない」
 ―――? 一度? まだいっぺんもヤってねぇぞ?
 己の言葉にふと妙な疑念が頭を過ぎるが、周子の問いにかき消されて。
「そ、そんなに私の身体が好きなの?」
「好き」
「ででででもだめ、だめですってば」
「好き好き好き好き、周子ちゃん好きすごく好き」
 ギャランは甘えるように額を擦り付け、何度も囁く。
「駄目?」
 ―――ヤれる、
「駄目!」
 そう言って首を横に振る周子だが、その黒目は艶っぽく潤んでいる。上気したその頬に一度自分の頬をぴたりと合わせると、どきん、と周子の胸が大きく鳴ったのを聞いて。
「おれを好きなんだな?」
 すき、と掠れた声が返ってきて、ギャランは頭の後ろが痺れるような快感の予感が全身を疾るのを知った。
 既にギャランの手はするすると動いて周子のシャツのボタンを外しにかかっている。二つ三つ、そしてあっという間に全て外してしまうと、シャツを肩先から外してそこに口付ける。同時に背中のホックまで外してしまい、次の瞬間には、シャツもブラジャーもすべて一度に床に落としてしまって。
 細い肩、柔らかなその身体を抱きしめて。腰に回した一方の手を、スカートの中へ内腿へと這わせてゆく。
 ギャランは周子をベッドに押し倒した。
 とさり、と小気味良い音を立てて周子の頭がシーツを打った。
 ―――ベッド?
 ああ、そうだ、ベッドだ、とギャランは思いながらそのまま周子を抱こうとし……ふと、なぜ、居間にベッドがあるんだ? と思った。

 刹那。
「のわっ!」
 ギャランはベッドからがばり!と勢い良く上半身を起こした。
 静かな室内。酒の気が濃く立ち込めている。
 厚い高級な織りの遮光カーテンの、ほんのわずかな隙間から細く白い光が差し込んでいて。
 見慣れぬホテルの一室、窓際にはソファーセット、そのテーブルの上にはビールの空き缶や中途半端に残されたバーボンのボトル、テキーラにショットグラスが二つ、そのひとつは横向きに転がりテーブルの上に小さな水溜りを、そしてもうひとつはきっちりと華麗に裏返されている。
 ギャランはパンツ一丁のままだった己の腰のあたりに思わずシーツを引き寄せて。
「ゆゆゆゆゆゆ、夢オチかッ? 夢オチなのかっ、これはッ!」
 ギャランは頭を抱えた。
「なんつー夢をっ!」
 身悶えしてベッドマットに頭を打ちつけた。
「どうせなら最後までこう、ガッツリと! せめて、せめて夢ならさんざんにヤってから……くわーっ、ヨかったな、あれ……はっ、イヤ、イヤちがいますよ、御父さん! ……おとうさ……御父さんッ!?」

 親父がいねぇ! とギャランは思わず叫んだ。

 その最後の記憶は、ショットグラスをきゅっと一度に呷る、その伏せた長い黒い睫毛。
 重ねても重ねても、その酒を注ぐ手許が狂うことは無く。空けては順番どおり交互に呷るのだが、どうにも自分の方がキツイ、と感じたときには、もう既に、遅かった。

 ツインではあるが、広い部屋、広いベッド。馴染みの無い上等な質感のマットに光沢を消し込んだ肌触りのよいシルクのシーツ、だが、ギャランの隣のベッドのシーツには皺一つ無く。
 ギャランは、ばたばたとツインのベッドの並んだこの室内を、それからバスルームとクローゼットを覗いて……やはり何処にも修三の姿がないのを知ると、脱ぎ捨ててあった己のズボンとシャツにとりあえず体を通し、昨夜泊まったこのホテルの一室を飛び出してゆく。
 ホテルの一室……。ここはグランツ財閥系列のとあるスキーリゾート地、遠目には美しい雪化粧を施した南アルプス連峰を、眼下にはよく整備された華やかなゲレンデを一望できる超高級ホテルの一室である。ここに昨夜、ギャランはその身柄を任されるという名目で修三と同室していたのだった。

「へっくし!」
 大きく肩を揺すって、カズマは何度か立て続けにくしゃみをした。
「どうやら本格的に風邪をお召しになったようでございますな」
 計測を終えた体温計に目を落として、エンギワルーは心配そうにそう言った。八度五分、高熱ではないものの、万全な体調管理こそ人生の基本だ、と常に自負しているカズマにしてみればここ十数年は出したことのない熱の具合である。
 まさに調子っぱずれな様子だったが、カズマはそれでも昨日ギャランが持ち込んだセロハリバートンのアタッシュケースに入っていた捜査資料に夜通し目を通していた。だが、一夜明けて仔細を飲み込むと、とうとうカズマは苛立ちを抑えきれぬように資料をテーブルの上に投げ出した。
「結局エタニティヴァリアスは分解不可能だったそうだ」
 じゃあ一体どうやってメンテナンスをするんだ、時計だろうが、とカズマは低く唸った。ちっ、と舌打ちをして携帯を取り出す。
「……課長、ええ、私です。関係機関からの例の報告書を拝見しました……納得いかないのはエタニティヴァリアス、あれの意味だ、だから言ったではありませんか、分解するならまずは私に検分させるようにと。ええ? しがらみ? 鑑識の面子? そんなものをきっぱりすり抜けるのが課長の仕事ではありませんか!」
 携帯の向こうからアシューの困り果てた声が、離れたエンギワルーにも聞こえるような気がした。不機嫌丸出しのつっけんどんなカズマの声だ。上司に対する礼節なぞ微塵も無い。
「鑑識で分解する前に、ええ、あの時に見せたのが精一杯だと仰られても。鑑識が分解する予定だったなんて聞いてませんよ、あの時点で既に決定していたんですか、なぜそれを言わないんです! そのことを知っていれば大人しくあなたの手に返すはずが無かったんだ……あたりまえです、私が押さえるに決まってるじゃないですか……分解するのなら私に……ああ、もういい、済んだことだ」
 話をしている間もその指先はせわしなく車椅子の肘掛を叩いている。相当に苛立っているのだ。エタニティヴァリアス、己が最も興味を抱いていた証拠品を、関連部署同士の勢力の小競り合い如きで他所に奪われたというのが実に気に入らなかった。その上、なにも分からなかったと言うのだからいっそう腹が立つ。劣悪な脳みそをいくつかき集めたところで何の役に立つわけでも無いだろうに。
 カズマは気を取り直すようにテーブルからコーヒーカップを取り上げ、一度唇を湿らせた。
「で? ではなぜ昨日ギャランに持たせた資料のケースに同梱してくださらなかったのです、分解できなかったのなら、エタニティヴァリアスそのものがまだ残っているはずでしょう、今からでいい、至急こちらに送りつけてください、私がやりますから。もはや文句は無いはずだ」
 寄越せ、と露骨な勢いでカズマは強く押し切ったのだが。
 次に返ってきたアシューの問いに、たちまちカズマは口の端を苦々しく下げた。
「今、何処にいるか、ですって?」
 窓の外の雪景色にちら、と目をやって。
「……蓼科……信州の南アルプスですよ」
 ああ、全く、とんだところにいますよ、とカズマは深い深いため息を吐いた。

 カズマは通話を切ると、閉じた携帯で顎先を数度叩いた。
 先ほどのアシューの問いに急激にカームダウンしたのだろう、だるい、と呟いてカズマは携帯をテーブルの上に投げ出すと、車椅子の背もたれに深く寄りかかり、肘掛に肘をつくと窓の外の雪景色に遠く視線を飛ばした。
 雪景色。
 南アルプスを臨む絶好の景勝地、そのなかでも最も良いロケーションに位置している最高級ホテル、その最上階ロイヤルスイートから眺める窓の向こうは、何処までも白銀の世界の広がる、実に美しい光景である。
「しかしなぜ、私がこんなスノーリゾート地に来る破目になったのか」
「まあ、はは、はは」
 エンギワルーは笑って誤魔化した。この件については、ほぼ百パーセント、カズマが自ら掘った墓穴に由来するからである。
「周子刑事が絡むとろくなことにならん」
 そう言ってはあ、と深くため息をついた憂鬱そうな横顔は高熱の所為と片付けてしまってよいものかどうか。
 好き、という言葉にもいろいろと意味合いがある。カズマがつい勢いで周子がギャランを好きだと口を滑らせたあのタイミングでは別に、親愛の情であると、例えば相棒刑事だからだと、そんなことを言えばそれで普通に丸く済むはずだったのではないか、とエンギワルーは思う。
 別に、ここまでムキになって無理矢理に誤魔化す必要もなかったのでは? と。
 そう、ここまで……ギャランに聞かれてしまったあの一言を誤魔化すため、ただそれだけのために、わざわざこんな高級スノーリゾート地にまで、みながみな、出張って来る破目になってしまっているのだ。
「クワガタは元気そうですな」
 部屋の向こう隅のテーブルの上に置かれた飼育ケースの中でオオクワガタがしきりにカサコソと音を立てている。それをコンジョナシがしきりに黙って眺めていて。
「なぜ連れてきたんだ、こんなムシ。あのまま捨て置けばよかっただろうに」
「まさか。この季節、寒空の下に放置しては死んでしまいますよ」
 屋敷が大破した以上、さすがに置いてはこれません、と告げるエンギワルーの仏頂面を見て。
 そうだった、とカズマはさらに熱が上がってしまいそうなその事実を思い出して己の額に手のひらを当てた。
「修三め……」
 まさかあの屋敷が修三によって大破させられるとは全く予想だにしていなかったのだ。なんと物騒な男を家内に引き入れたものか、ああまで見事に屋敷が消し飛ぶともはや乾いた笑いしか出ないというのが実際だ。
「悪魔じゃないのかあの父娘は」
「はは」
 エンギワルーは浅く笑って、カズマの苛立ちを上手く流した。
 悪魔だとすれば、それこそ勝負はついている、魅入られたほうが、負けだ。
 この事態が、カズマが自ら掘った墓穴に由来することを思えば、既に勝負はついている、とエンギワルーは思うのだ。風邪を引いたその理由に未だ当人は気付いていないとしても。
 コーヒーではなくカフェインレスの紅茶を入れなおしながら、昨日の騒動をエンギワルーがゆっくりと反芻しかけたとき、彼の携帯が鳴った。
「若? 少しお眠りになられますか?」
 ああ、と気だるげな声が返ってくるのに目を細めて。
「では私はもう一度、屋敷に戻って被害の確認をしてまいります、ヘリが着いたようですので。御用の向きはコンジョナシにお申し付けください」
 エンギワルーはそう言うと一度深く一礼し、部屋を出て行く。


(第35話へつづく)
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