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[tog_p2_35]「逆鱗と弱いところ」/タトパラ2

「トライフル刑事」〜狂気のロンド ガーナ署トリニティ〜/タトパラ2
第35話:「逆鱗と弱いところ」



 ヘリに乗り込むと、エンギワルーは目を伏せ、しばしの休息をとった。全く、昨日から騒動続きで、散々な気がした。そもそも、昨日のその日は、早朝からして居間の様子が異様だったのだ、まさかあのカズマが、神経質で几帳面なあのカズマが、居間で車椅子に腰掛けたまま転寝をしているとは思わなかった。
 ―――それも周子刑事を見守るように。
 それだけでもかなり信じられない光景だったのだが。その日の夕方には、コンジョナシを迎えに保育園まで行った、そのちょっとした不在の間に……戻ってみれば、屋敷が全壊していた。

 アシュー課長のいつものお遣い、捜査資料を入れたゼロハリバートンのアタッシュケースを下げてカズマの自宅を訪れたギャランは、居間に入ろうとしたところで、唐突に、信じられないようなカズマの言葉を聞いた。
「君の好きな男はギャランだろが!」
 ―――え?
 居間のドアを開けたその向こうには、取っ組み合いの最中であるかのようなカズマと周子の姿が。
 ―――周子ちゃん?
 ギャランの手から力が抜けた。
 ゼロハリバートンのアタッシュケースの持ち手がギャランの手を抜け、床を打つ硬質な音が響いた。
「しゅ、周子ちゃんがおれを好きだって?」
 ギャランのその言葉に、周子はたちまちぴたりと硬直したのだが。
 そんな周子を横目に、カズマは大真面目な表情をすると一度メガネを押し上げ、ギャランを真っ直ぐに見上げ、キッパリと言った。
「スキーだ」
「へっ?」
 思わずギャランが聞き返す。カズマは至極冷静に言った。
「周子にスキーリゾートをねだられていてね?」
 ちら、と睨まれて周子はとにかくコクコクとうなずいた。それこそ首でももげてしまいそうな勢いで。
 ―――好きとスキーじゃバリバリ無理があるじゃないですか!
 そうツッコみたいのをなんとか抑えて。周子はこのカズマの論展開の転がる先が全く読めぬままに、とにかくうなずいた。
 何を考えているのかサッパリで、キラリと光るカズマのメガネがなんだか妙に怖かった。なんだか妙に肚の座っているらしいカズマのこの様子を見るにつけ、この男は、口から出任せというものにさぞかし慣れているのだろう、本当に嘘のプロなんだな、と周子は思ったのだが。
「周子がスキーに行きたいと言い出してきかないんだ。だがなにぶん私は足がこれだろう? 彼女を存分に楽しませてやるのは到底無理だ、よって、ギャランとスキーに行くのがいいと、ちょうどそんな話をしていたところだ」
 ―――なによそれ、むちゃくちゃ無理があるじゃないですか!
 どうしちゃったんですか補佐官、とその首根っこを締め上げようとした周子の手を遮って、カズマは厳しい眼差しでギャランを見上げた。
 数瞬、二人の間に息の詰まるような沈黙があった。
 なにか聞き間違いでもしたか、ギャラン? と言われて、ギャランはたちまちカッ、と赤面した。
「おれの幻聴だ」
 いい加減諦めなければと思っていた矢先の事だからこそ、そう指摘されてしかるべきだ、とギャランは思った。このごろは特に、自分で認識している以上にしつこくしつこく周子に執着しているのではないかという危惧を抱いているからなおさらだった。
 そうか、ならそれでいい、カズマはキッパリとそう言って。
 携帯を取り上げた。
「……ああ、私だ。系列のスキーリゾートをひとつ押さえてくれ。……ああ……そうだな、うん、そこならいいだろう、ヘリポートもあるし……ではそのように手配してくれ、え? 日程だと?」
 カズマは困ったようにふむ、と唸った。
「今日でいい、いや、今からだ」
 カズマはそう言って、携帯を切った。
「周子刑事、では今からスキーに行くぞ、私も、ギャランも一緒だ」
「ほほほほほほ、補佐官?」
 唐突なカズマの言葉に、周子は飛び上がらんばかりに驚いた。
「スキーだ、周子刑事」
 スキーに行くぞ、と再び念を押すようにキッパリとカズマは周子にそう告げた。
「ヤだ補佐官、もうなにワケのわかんないこと言い出すんですか」
 ダメダこの人、と両手を上げてお手上げを示す周子の腕を引き寄せると、カズマは小声で囁く。
(元はと言えば君がギャランを好きになるからこんな面倒なことになるんだッ)
(ち、違います! 今の、口を滑らせたのは補佐官じゃないですかッ! なんでスキーに、なんですかスキーリゾートって、系列、って。まさかヘリで行く気なんですか、またグランツ財閥の闇の権力かなにかですか)
(だから、闇、は不適切だ!)
 部屋の片隅でひそひそと押し問答を始める二人。
 そんな二人を横目に、エンギワルー、彼は彼ですぐに携帯を取り出すと、おもむろに電話を掛けた。
「あっ、ガーナ保育園ですか、いつもお世話になっております、コンジョナシの父親ですが……ええ、所用がございまして今すぐ……ええ、すぐに迎えに参ります」
 これからすぐにヘリで系列のスキーリゾートに飛ぶ、カズマの電話の内容から状況を一人的確に把握したらしいエンギワルーは、すかさず携帯で保育園に連絡をしたようだった。カズマが行くとなれば、当然自分も付き従わねばなるまい、遠隔地に行く以上、コンジョナシを同行させる気なのだろう。
 失礼、と短く断って、エンギワルーはポケットをまさぐって車のキーを持っているのを確認すると、上着を羽織ってばたばたと居間を飛び出してゆく。今からすぐにスキーへ行くと言い出したカズマ、下手をすればコンジョナシだけ置いていかれそうなその勢いだから、彼が焦るのも無理は無かった。
 カズマと二人、押し問答していた周子が、ああっ、もう! らちがあかない、と苛立った声を上げた。
「大体私、有休もうないですよ! 無理です」
「案ずるな、私が課長に掛け合っておく」
 もう帰る、と言い出しかねない周子の腕をがっしりと掴んで。抗う周子と、引き止めるカズマ、ほとんど掴み合いな状態で。
(なんかワケの分かんない誤魔化ししないでくださいよ!)
(元はといえば君が悪いんだ、私ばかり責めるな!)
(なんでスキーにッ! 誤魔化し方にセンスがないんじゃないですか?)
(あの時私とて動揺したんだ、君が認識している以上にな! 悪いのは君だ!)
(補佐官が墓穴を掘ったんですってば!)
 そんな二人のやりとりをギャランは呆気に取られたようにしばし眺めて。
「……なんだよ、まじでカズマがぞっこんラブなんじゃねぇか」
 妬く元気も無ぇや、と金髪をばさばさと掻くと、ギャランははーあ、と大きく息を吐いて、ソファに腰を下ろす。己の膝と膝との間に一度頭を埋めるようにがっくりと項垂れると、再び深い吐息を吐いた。
 そして、ふと、隣を見て、目を丸くした。
 まるで空気のように溶け込んで一切の気配を感じさせなかったその存在に、ようやく気付いたのである。
 いくら周子とカズマとに気を取られていたとはいえ、プロの刑事である自分にその気配を感じさせないなど、到底ただの人間とは思えなかった。何か、相当な訓練を積んだ危険な存在であるのをギャランは本能で察した。
「周子ちゃんの父ちゃんか?」
 うなずく修三に、ギャランはちょっと考えるようにして懐から煙草を取り出すと火を点けた。ゆっくりと時間をかけて一服し、リラックスするかのようにぼうっと紫煙を眺めて。それから。
「おれとカズマのことを、なぜ妙な名で呼んだ?」
 いきなり切り出してきたギャランの鋭い質問に、修三はちら、と片眉を上げた。
 ギャランは煙草を揉み消すと、真面目な顔をした。
「ちょいと部屋を移るか。聞きてぇことが山ほどある、まさか、娘の前で腹に穴開けたくは無いだろ?」
 いつのまにかギャランの拳銃がぴたりと修三のわき腹に当てられている。
「立てよ」
「…………」
 ギャランは修三と連れたって部屋を出て行こうとしたが。
「父さん、何処行くの?」
 部屋の隅でぎゅむぎゅむとカズマの首を締め上げていた筈の周子が素早く声を掛けてきた。ずいぶんと目ざとく見つかった、とギャランはわずかに口の端を下げた。
 気配を押し殺して移動する、今のこの段取りは完璧だったはずなのに、自分はもちろん、この男とてこんなに気配を消しているのに、周子にはすぐに分かったらしかった。
 ふむ、と修三は小首を傾げて。
 すぐ隣の、銃を隠すがためにぴたりと身体を密着させるように寄り添ったギャランの顔を間近に見る。ためらい無く向けてくる、その厳しい青い眼差し。言外の圧力で指示されて。
「……トイレ」
「ああそうだトイレだ、おれたちゃ連れションだ」
 間髪いれずにギャランはそう言って明るく笑うと、修三を促し背を向けようとした。
 その瞬間、チャッ、と聞き慣れた軽快な金属音が耳に届いた、反射的に振り向きかけた視界の端に、銃を構えた周子の姿が映る。
 完全に身体の向きを変えるのすら許されず、ギャランはその場で静止した。
「ギャラン刑事、銃を置いて!」
「おいおい周子ちゃ……」
「置いて!」
 ギャランは苦笑してゆっくり振り返ると、拳銃のトリガの先を人差し指に引っ掛けてぶらりとさせた。拳銃を手から離す気はもちろん、ない。
「周子ちゃん、おれは親父さんに何もしない、約束する、だから……」
「置いてって、言ってる! 聞こえないの!?」
 その声の鋭さに、ギャランは、おっと、と口中を舌で打った。
「まーてーよー、おれと周子ちゃんの仲だ、銃なんて……」
「置け!」
 まるで気でも違ったかのような鬼気迫るその声に、ギャランはようやく諦めて銃を床に置くと、両手を頭上で組んだ。
「周子ちゃん、そうカッカすんな、って……」
 周子はギャランを無視して足先で銃を自分のほうへと蹴り寄せると、その隙を突くようにして瞬時に乱れた背後の気配に、間髪いれず叫ぶ。
「補佐官! あんたも銃を捨てて!」
 ぴたり、と周子に銃口を向けられて。周子のほうが早かった。
 数瞬の沈黙の後、カズマはやれやれと銃を床の上に放った。
 実に見事なタイミングだった。
 その場を完全に制圧したといってよかった。
 ピュウ、と軽くギャランが口笛を吹いた。
「すっげ、完璧」
「そうだな、新人刑事とは到底思えんな」
 ギャランの言葉にカズマが返す。そんな二人の間合いを、いかにも嫌そうに周子は肩を軽く揺すった。
「さすが、元相棒なだけあるわね、こんな状況でもなんだか余裕ね」
 ギャランはサッパリと笑った。
「おれは周子ちゃんとやりあう気は無ぇ」
「もちろん私もだ、周子刑事、落ち着いて銃を下ろせ」
 そうね、と周子もにっこり笑って。カズマに向けられていた銃口が外れる。
 だが、銃口はそのまま横に動いて、周子に身体の正面を向けたギャランの腹に、ぴたりと向けられた。周子のその表情が険しくなる。
「補佐官、車椅子から降りて」
「!」
「あんたの車椅子には何が仕込んであるか分からない」
「待てよ周子ちゃん何言って……」
 カズマは足が、と言うギャランの声を遮って。
「今すぐ下りないと、ギャラン刑事の腹に穴があくわよ」
 カズマと周子が睨み合った。
「アカデミーでの成績、補佐官ならとうにお調べでしょ」
「ああ。実に優秀な成績だったな」
 カズマが苦笑する。周子のそういった類の素性は確かに既に調べ上げている。
 ギャランは周子を宥めるように柔らかい口調で言った。
「だが人を撃ったこたぁねぇだろう?」
「光栄ね、ギャラン刑事が最初よ、ハクがつくわ」
「……わかった」
 カズマは唸るようにそう応えると、車椅子から己の身体を引きずり下ろした。車椅子から降りるその様子を見て、周子は驚いて目を丸くした。
 車椅子の肘掛にぐっと両の手で力をかけて身体を持ち上げたかと思うと、重心を片方に寄せ、本当に自力で車椅子からその身を引き摺り下ろしたのである。それはどうみても足の不自由な人間のする仕種にほかならなかった。
 ―――どこまでも演じきるってわけね、ギャラン刑事の前では。
 こっちは本気なのにこの期に及んでまで嘘をつきとおそうとするのかと思うと、周子はいっそう腹が立った。
「補佐官は本気でギャラン刑事が好きみたいね、まぁ、いいわ」
 床にうつ伏せに、手を頭の上で組んで、と周子はカズマに冷たく命じた。
「父さん、こっちへ」
 修三が隣に来ると、周子はきゅっとその腕を掴んだ。まるで恋人に縋るように。
「二度と私に黙って父さんに手を出さないで」
「…………オーケー」
 銃を向けられたまま、ギャランは眉を顰めて渋い表情でうなずいた。
 周子は床からカズマとギャランの銃を拾い上げると、キッチンの流しの中に放り込んだ。
「帰るわ。すっごく気分が悪い」
 周子はちょっと周囲を見回し、棚からガムテープを取り上げると、それでギャランの手を後ろ手にひとつにまとめた。
「おいおい周子ちゃん、やりすぎだろ」
「私たちが帰ってから補佐官に解いてもらうのね」
「そんなに怒るなよ、悪かったって。銃だってすぐに手放したんだ、おれが周子ちゃんを撃てるわけ無い、そんなに怒るなよ、おれたちゃ相棒じゃねぇか」
 悪かった、と謝るギャランに、周子は浅く笑って。
「相棒でも何でも、私の逆鱗に触れた。父さんに銃を向けるだなんて。今回は出来心ってことで赦してあげる」
 どかっと、強烈な膝蹴りがギャランの鳩尾に飛び込んで、思わずギャランは身体を二つに折って床に膝をついた。
「ゆ、赦してねーだろッ」
「そうよ、激烈怒ってンの。もう二度とこんな真似しないで」
 黙って床に膝まづいてな、そうギャランにきつく命じると、周子は床にうつぶせになったままのカズマの側に来、その顔からメガネを抜いた。それをたたんで自分のシャツの胸ポケットに差し込んで。
「預かるわ。これが無きゃあんたはてんでダメだもの、はん、やっぱいい男ね」
 その顔ならいっそ男だってオチるわよ、手探りで触れ合えるチャンスをあげるわ、何年来の付き合いだか知らないけど、もういい加減コクればどう? と言われてカズマはムッとした。
「帰ろう、父さん」
 そう言って修三を振り返った周子は、修三のその肩ごしに棚を見て、ああ、と声を上げた。棚に並んだ本の間に無造作に挟まれたままの茶封筒を見つけたからだ、あの夜、カズマが見せてくれた戸籍謄本が入っている封筒だった。周子は中から戸籍謄本を取り出して、ふぅん、と白けた眼差しで眺めて。
「離婚届は入ってないのね」
「リコン!?」
 ギャランが素っ頓狂な声を上げた。
 周子は謄本をビリビリと破り捨てた。
「あんたとは離婚するわ、補佐官」
「チョッ、チョット待て周子ちゃん!」
 ギャランが悲鳴に近い声を上げて引き止めた。
「おおおおおおおおれの所為で離婚するのかっ、まさかだろ!」
「私には父さんさえいればいいのよ」
 たかが修三に銃を向けただけでこんなオオゴトになるとは思わなかった、とギャランは床に額を打ちつけた。
「すまねぇ、カズマ」
 カズマは一度すこぶる嫌そうな表情をしたが、すぐに冷静な声を出した。
「周子刑事、我々は話し合うべきだ」
「今はダメ、無理。あったま血が上っちゃって」
 離婚協議ならあとにして、と周子はカズマとの間にのみ通じる冗談を飛ばした。
 その冗談にカズマはキッパリと首を横に振った。問題は今この場で周子がこうした形で父親と共に去ることだ。
「違う、冗談は抜きだ、離婚には応じない、私は君の生活を保障すると約束した。まずはそのメガネを返せ」
 ああ、これ? と周子は胸のポケットに差したカズマのメガネを抜くと、床に落とした。かたん、と軽い音を立ててメガネはカズマの手の届くところに落ち、カズマは手を伸ばしかけたのだが。
 ばりん、と見事な音を立てて、周子が拳銃の柄裏でグラスを砕いた。
「イヤよ。言ってるでしょ、すっごーく怒ってるって」
「わ、わるかった……」
 些かの非もないカズマが、思わず詫びの言葉を口の端からこぼしてしまうほどに凄みのある笑顔だった。
「父さん、帰るよ」
 周子は修三の腕を取って部屋を出て行く。
「周子ちゃん待てよ!」
 後ろ手にガムテープで結わえられたままのギャランだが、大慌てで立ち上がると、とにかく落ち着けって、と周子の前に立ちはだかった。
「カズマの話を聞けよ、離婚だなんて早まるな!」
「ごちゃごちゃうるさいわね」
「新婚だろが!」
「待て、ギャラン、それは話の本筋からズレ……」
「いいや! 親父に銃を向けただけで離婚だなんておかしい、そもそも悪いのはおれだし、カズマには何の関係もないだろがっ! 頼むからおれの所為で離婚するな! カズマが惚れ込んだ女だぞ、それがおれの所為で離婚だなんて、んなあほな! おれは死んでも死に切れん!」
 周子はしばし沈黙して。
「補佐官、どうにかして」
 顎をしゃくった。
 その意を解したカズマも渋い表情をした。
「君が離婚だなんて言い出すからギャランが動揺したんだ、自分の責任だと思ったんだろうな」
「……ええ、そうよ。全部ギャラン刑事の所為」
 そう言った途端、わるかった! とギャランが盛大に土下座をして詫びた。
「……なんか、笑えるわね」
「……ああ、そうだな」
 周子の冷たい笑いにカズマも一度は同調したが。
「落ち着け、周子刑事。そんなに怒らなくてもいいだろう? 話し合いをしよう」
「ああそうだ、夫婦は話し合いだ!」
 すかさずギャランが叫んだ。
「…………ギャラン」
 カズマはますます話がこじれてしまいそうなギャランの合いの手に、不機嫌そうに低く唸った。
「少し黙っていろ、ギャラン。彼女との交渉権は私にある、邪魔をするな」
 カズマはきっぱりとそう言ってギャランを黙らせた。
 それから、真っ直ぐに周子を見詰めて、言葉を選んだ。
「私達はまだ知り合って日も浅い。君の逆鱗のありかを知らなかっただけだ、悪かった、謝る」
「ごめんで済めば警察は要らないのよ、はっはー、まさにまんまな言葉ね。警察は要らない、そう、私、刑事も辞めるわ、そもそも父さんを探すために選んだ職だもの、用は済んだ」
 やはりそう来たか、とカズマは内心焦った。
 ―――問題は今この場で周子がこうした形で父親と共に去ることだ。
「父さんを見つけた。私は父さんと父娘二人、平和な暮らしがしたいの。牙の教徒なんて知らない、テロリストなんて知らない、航空機爆破事件だってもうどうでもいい、だからほっといて。私は父さんとどっかで幸せに暮らすの、私は父さんを見つけるためにずっと一人で頑張ってきたの、もう、邪魔しないで」
 それは駄目だ周子刑事、とカズマは拒否した。
「我々には時間が必要だ、もっと互いに深く理解し合うための時間が。誤魔化しも嘘も無用だ、もっと君のことを知りたいんだ、君たち父娘は一体何を隠しているんだ」
「補佐官には関係ないわ」
「修三と君の身の安全を保障する、取引しよう」
「信用できない」
 キッパリと周子は言った。
「だって。補佐官は嘘つきだもの」
 ちら、とその足に目線を遣れば、カズマは痛い所を突かれた、といった表情をした。
「もうかれこれ何年? 五年? 大切な親友を騙し続け……」
「黙れ! 周子刑事!」
 咄嗟に遮ったカズマに周子が痛烈に言い放った。
「黙るのはあんたの嘘つきなその口よ、絶対に信用しない」
 カズマがしばし呼吸を失いでもしたかのように息を詰めた。
 長い沈黙があった。カズマはゆっくりと頭を振って。
 いいか、良く聞け周子刑事、と、静かな口調で丁重に説得を試みた。
「私は君を必要としている、もっと君のことを知りたいんだ、私が調べ上げた君の素性はどこまでも表向きのそれだ。君の、その奥に隠した本性を知りたい、君は何を知っているんだ、私は本気だ、誤魔化しも嘘もつかない、君の問いにも答える、我々は互いにもっとよく理解する必要がある。もっと落ち着いて、冷静に話をしよう」
「私のことを知りたいですって? そんな、はっ、よく言えたものね。そんなに本気だって言うんなら、立って歩いて見せたらどうなのよ! こんの嘘つきっ……」
 その瞬間、
 ぱちん、と頬を平手で打たれて、周子はハッ、とした。呆然と目の前の男を見上げる。
「八つ当たりもいい加減にしろ」
 怒りを湛えた真っ直ぐな青い瞳に、射抜かれて。
 いつのまにか、ギャランがカズマと周子との間に割って入るようにして立ちはだかっていて。
「修三に銃を向けたのはおれだ、文句ならおれに言え」
 確かに、ガムテープぐらいギャランにとっては大して意味は無いのかもしれなかった、意味があるのは、むしろ、あえてそれでも黙って拘束されていたそのこと自体だったかもしれない。この男は絶対に自分には手を出さない、そのことを肌に知って。
 だから、打たれた頬が、いっそうに熱かった。
「カズマは立てない、歩けない、周子ちゃんだって知ってるだろが」
 口の過ぎた子供を叱るような、厳しいが優しい表情でギャランは諭すように周子を見下ろし、言った。
「足の悪い男に、歩けたぁ、ひどい言いざまじゃねぇか」
「だから! どこまで素直に騙されて……こんのバ……」
 一度はものすごい勢いでカッ、と頭に血を上らせた周子だったが。
 次の瞬間、すっと真顔になった。
 ギャランのその向こうに、カズマのこれまでに見たことのないほどに真剣な表情を見たからだ。それは周子を冷静に返らせるのに十分すぎるほど真摯な眼差しだった。
 ギャランを押しのけ、つかつかとカズマの下へ歩み寄ると、その胸倉を掴んで聞いた。
(どーゆーことよ)
 声を押し殺して問えば、カズマはキッ、と周子を睨みつけてくる。
(だから、私の話を聞けといつも言ってるだろが! 周子刑事。足は本当に、ダメなんだ)
(だって、歩けるって! 歩いたの見たし!)
(歩けるさ、だが今は……今日は無理なんだ、本当に下半身の自由がきかない。週のうちニ日、薬物を投与してるんだ、たまたまそれが今日なんだ、私は健常者だ、例の事故の後リハビリを終えて三年近くになる、常に演技ではボロが出る、あたりまえだ、私だって完璧ではないんだ、周囲を信じさせるためには本当に不自由であることも重要なことだ、それを身体にトコトン教え込むのもだ)
(嘘でしょ!)
(この期に及んで嘘をついてどうする!)
 思いも寄らぬカズマの告白に周子はしばし硬直した。
 ―――なにもそこまで……狂ってるんじゃないの、この人
 エンギワルーしか知らないというその事実を知らされて。週にニ日、それを三年続けるとなるとかなりのことだ、それだけの量の薬物を投与してまで周囲を欺く、何がそこまでカズマを駆り立てるのか、周子には分からなかった。
「本気なの?」
「とにかく、落ち着いて、冷静になれ。修三には手を出さない」
「……」
「取引しようと言ってるんだ、なぜ修三がここにきたか、まずはそこからだ、私はまだ事情を知らない、なにか理由があるんだろう、どうだ? 交渉の余地が十分にあるはずだ」
「…………」
「私は君に嘘はつかないと約束する、どうすれば信じてもらえる?」
「…………」
 しばらく長く押し黙って、ようやく周子は答えた。
「信じる信じないは、何かをしてもらって決めることではないと思います」
 やれやれ、ようやく人の話を聞く気になったか、と呟いたカズマに、周子は一度肩を竦めて。それからさばさばと軽く笑った。
「あえて何かをしてくださるというのなら、逆立ちで町内一周でもしてもらいましょうかね」
「君を相手に交渉するのは実にハードだな」
 周子の怒りが完全に引いたのを知ってカズマは、ほぅっと深い深い安堵の息を吐いた。
 身体を起こさせてくれ、と言われて、周子は掴んでいた胸倉をようやく手離した。
 カズマは器用に身体を起こすと、両足を前に出して床に座った。不自由な下半身を上手く正面に回すその仕種は本当によく手馴れているように思えた。
 カズマは、ちら、とギャランを見上げて彼の気を引くと、周子に言った。
「ひとまず、離婚の話は他所に置いてくれ」
 そもそも本筋と逸れた話だろう、と言われて、周子も大人しくうなずいた。
「今君を失うわけには行かない」
 カズマが計算づくの言葉を吐いた。
 ギャランが大きく息をついた。確かにそれは安堵ではあるのだが、また別な致命傷を負った、そんな具合にかなり微妙な色合いを含んだため息だった。
「オーケー、おれはしょんべんに行ってくる、五分は戻らない、キスでも何でも、せいぜい仲直りしてくれ」
 そう言って金髪をバリバリと掻いて部屋を出てゆく。
「……憐れだな」
「またひどい誤解を。いいじゃんもう離婚でも何でも。私、父さんさえいれば公安なんて怖くないです、あの時身の安全保障がどうのと補佐官の取引に応じたのは、公安に追われれば父さんを探すのが大変になるだろうと思ったからです」
 周子はそう言って大きくため息を吐くと、床にぺたりと座り込んだ。痛々しげに周子を見つめて寄越す、罪悪感の濃く滲んだカズマの表情をどこか慰めるように、周子は微笑んだ。
「で? その、足はナンなの? どういう仕組み? だっから最初っからちゃんと話して」
 あのままぶちキレていたら、私、本当に引き金を引いていたかもしれません、と周子は小さな声で詫びた。
「君を失うわけには行かないと言うのは、本音だ。同じ言葉でも、ギャランには全く別の意味に聞こえただろうがな。君は修三の娘だ、修三共々、現在私の有する唯一のルートだ、牙の教徒とのな」
「……補佐官はなぜそんなに牙の教徒を追い回すんです」
「話せば長い」
「話して」
「……。容赦ないな」
 カズマは苦笑した。
「キッチンなら流しの引き出しと右下棚。居間ならそこの書棚とソファの下、電話の横……」
 カズマは周子の注視を逐一引きながら、視界に入る限りの中での箇所を幾つか指差しあげつらって。
「そのどこからでもいい、とにかく……手近なところからメガネを取ってくれ」
「メガネっ!?」
 この期に及んでメガネですか、と周子は軽く飛び上がった。
「メガネがないとてんでダメだと、君が自分で言ったじゃないか、認めよう、そのとおりなんだよ、こう視界が曖昧だと脳も上手く動かない、よって、君と適切に話が出来る気がしない。つまりは、いざというときのスペアをこの屋敷中のいたるところに仕込んである、今私にはメガネが必要だ、取ってくれ」
「うっそ、まじですか? そんなに目が弱点なら視力矯正手術でもなんでもすればいいじゃないですか」
 弱点言うな、とカズマは口の端を下げて。
「人間、ひとつくらい、弱いところがあったっていいだろう? コンタクトはそもそも嫌いだし私の生活には現実的に適さない。不思議と、妙なこだわりがあってね、メガネを失ったときに感じる茫洋さがたまらなく好きなんだよ、自分が、ものすごく弱い存在になった気がしてね。私にとって自主的にメガネを外すというのはだな、ひとつのストレス発散と言うか、精神的にリセットするのに実にちょうど良い効果を持っているんだ、これにはちゃんと科学的にもまっとうな根拠があって、これを心療学的に言えば……」
「補佐官、ひとつくらい、って仰いますけど、けっこうあちこち弱いんじゃないんですか? 実際、物理的に今立てないし歩けないし。風邪だって引いてるみたいだし。そういえば頭いい人って案外精神的な衝撃にも弱かったりするんですよね」
「…………」
 カズマは唖然と周子を見詰めて。
「…………………………メガネを、とってくれ。もう、いい。君と話をするのは嫌いだ、今つくづくそう思った」
 大体、メガネを故意に割られるなぞこんなひどい目に遭わされたのは生まれて初めてだ、と、カズマは力なく頭を振った。


(第36話へつづく)
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