コハリトりみっと
長編恋愛FT「タトゥー・オブ・ギャラン」がメインの小説・雑記サイト。
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「やあ、ハリー」
「や、やあ、って、やあ、って、……ギャラン様?」
いきなり打って変わった気さくな様子に、出迎えた西方の国境警備の要、血盟砦の総司令官ハロック・スレルムはすっかり言葉を失ってまじまじと目の前のギャランを見た。
軽く十年は遡ったような気がする。
ギャランがこんな風に気さくに声をかけてくるなぞ、かれこれ十年は無かったことである。
「まあ、一杯付き合えヤ?」
ニッカリ、笑うと、ギャランは手にぶら下げていた極上のバーボンのボトルをハロックの胸に押し付けた。
深夜に姿を現したガーナ国王、ギャラン・クラウンは黒い上等な革のジャケットに革のパンツ、ごついブーツで身を固めている。
両の手に、指先を切り落とした革の手袋をきりりと嵌めている。
腰には伝説の聖剣、真っ二つの剣が炯然と圧倒的な覇気を放っている。
ふと思い立ち一人で馬を駆って来た、といった感じであるが、どうにも目が据わっている、やる気である。肌がびりびりするような、ぞっとするほどに激しく不穏な空気を感じながら、とにかくハロックはギャランを中へと引き入れた。すぐ側に控える士官に手早く小声で指示を出すと、士官はもんどりうつように慌てて奥へと走り去ってゆく。久方ぶりの国王の来訪を告げに。
正面の門から続く、細く狭く長い廊下を抜けると、急に視界が開ける。
だだっ広い、円形のコロシアムのような吹き抜けのホール、いや、まさにコロシアムそのものであり、ここ血盟砦に敵襲があったとき、まずはその細く狭い廊下で一度に入る数を減らし、それを突破し中に入りた敵をこの広い闘技場で迎え討つのである。
吹き抜けの二階程の高さに相当する部分には、その広いホールの壁からぐるりと円状に取り巻くように足場が組まれており、空中戦を見込んだつくりになっている。
ギャランは迷わず、二階のギャラリーへと続く階段に足をかけた。
ハロックはその意図を察して、ごくり、と喉を鳴らした。
階段を上っている間に、仕官の伝令、国王ギャランの突然の来訪の旨を聞きつけ、中央のホールには多くの兵士が集まり整然と並んだ。
元来ギャランは、サーデュラス前王陛下が失踪し王位を継承する前には、非公式ながら軍部の最高司令たる特権を握っていた。非公式、即ち、公的な軍部のトップ、鬼神エロック・スレルム、そしてその息子闘将ハロックを、完全に我が身に従えていたのであり、つまりは、彼ら二名の管轄する軍のすべてを、国内でも極めて優秀な精鋭部隊を完全に押さえていたのである。
鬼神エロック・スレルムがここを統率していた頃から、まだ年端も行かぬほんの子供の頃から、出入りは勿論のこと寝食をも共にたびたび繰り返してきたギャランは、とりわけ、ここ血盟砦の兵士達には人気がある。若く、強く、気性も激しく、そして、見るものを魅了するその美貌、むしろ、崇拝に近い神格すら抱く勢いで兵士達は心酔しきっており、それはつまりは、ギャランにとって最も動かしやすい精鋭部隊がここに集結しているということである。
吹き抜けのホールの二階部分から下を見下ろせば、全員がびしっ! とギャランに向かって敬礼をした。
「はん、ちっとも変わってねぇな」
「いつどのような時でもすみやかにご下命に従えるよう、万全に整っておりますれば」
「よし」
ざわめき一つなく、全員の目がギャランに注がれる。
ギャランは皆に己の立ち姿が良く見える位置に立つと、整然と並んだ兵士を見下ろし、キッパリと言い放った。
「総員戦闘配置に就け、まもなく客が来る、討て!」
ハロックは久々にびりびりするような緊張と興奮の空気があたり一面に立ち込めるのを味わった。
「ただし!」
と、ギャランは厳しい声で気を引いた。
「客は、異形の者だ」
魔物だと? と、動揺で室内が鳴った。召喚の書が失せて一年、だが実際に魔物のそれと思えるようなものが国内に出没したことはほとんど無く、無論、兵士達が魔物と戦いを交えたことなぞ無いのは当然のことだった。
ギャランは、ダン! と一度足を床に鋭く打ってそれを鎮めると。
「畏れることは無い。コツを教えておく!」
数瞬、言葉を溜めた。
黄金の髪のけざやかに燿ける頭を一度大きく振った。壮絶な笑みを浮かべ、バルコニーの手すりにガン! と足を立てる。
じっくりと眼下の兵士達を見回し、存分な注視の手応えを得ると、握った拳の親指を立て、すっ、と首の前を横一文字に引いた。
「一発で仕留めろ」
一気に昂揚した士気がどうっとホールを揺るがせた。
「ハリー、一杯やるぞ」
静かな押し殺した声で呟くと、くるりと踵を返す。
ハロックを従え奥の司令室に進むと、ギャランは備え付けのデスクから椅子を引き、一番奥の壁際に押し付け、どっかとそこに座った。
ビッ!と軽快な音を立ててボトルを封切ると、ハロックの差し出したグラスに手づから注ぎ入れた。
「やれ。案ずるな、最後の酒にはならん」
そう言ってニッカリと笑う。
ハロックはその不敵な表情に心底ホレボレしてぐっと一気にグラスをあおった。胸の奥が熱くなるのは単に酒精の所為ではない。
もはや十年にはなるであろうか、まだ少年だったこの目の前の男が、ぱたりと、それこそ唐突に他人とのまともな会話や情、そういったものの一切のやり取りを断ち切ってしまってから。自分はその最後の瞬間に居合わせた。グランツの貴公子、カズマ・フォン・グランツを連れて血盟砦へ来たあの日、今日が最後だ、酒宴を開け、善良なる皇子殿下に最後のお別れの挨拶をしろ! と目の前で、まだ幼いギャラン・クラウンが晴れ晴れとした口上を述べたその瞬間に。
すさまじい徹底振りだった。
ただのやんちゃな皇子、それがここまで意志の強い男だったとは全く思ってもみなかった。
どれほど熱くかき口説こうと、ギャランは彼を慕うものの言葉には一切の無反応を貫き通した。ここ血盟砦でさんざんやんちゃをやらかした、その盟友、兄分でもある筈の自分にもまったく興味を示さぬ、まるで視野にすら入っていないかのような徹底した冷徹ぶりだった、慕われていたと思うからこそ、そのぞっとするほどに壮絶な無関心ぶりが胸に堪えた。
特に前王陛下が失踪した一年ほど前、つまりは、王になるべく退路を断たれた後のこの一年は、ますます狂悖の性抑え難く、荒れる一方であった。
どれほどに言葉を尽くして諌めようが、届かない。ごくたまに、失せた召喚の書を探すという無理難題な理由をつけ自分を連れて国中を馬で駆けるが、結局は足蹴にされて追い返される。
唯一の親交を保っているカズマ・フォン・グランツがひたすらにうらやましくねたましく……暗い嫉妬の炎を胸の内に抱くのは何も自分ばかりではない。王宮にはもっと性質の悪いそれを抱いている輩も多い。それらを一切合財カズマ・フォン・グランツの両肩に負わせ、ギャラン・クラウンは平然としている。
その様子はまさに、異様だった。
それが、まるで憑き物でも落ちたかのような、今宵の来訪である。
「ここ最近、特におれの様子をうかがっている気配がある。はん、お前の暇つぶしにちょうどいいだろ、闘将ハリーもそろそろ体が鈍ってんだろが」
にやっと笑って。
ギャランは正面からぐっ、とハロックの灰色の瞳を射る。
「ハリー、おれを守る気があんだろ?」
「は!」
自分をハリーと呼ぶその声。ギャラン・クラウンが元に戻っている、とハロックはたまらず感涙に咽んだ。
ハロックは聞かずにはいられなかった。あれほどに強固に貫こうとしていた周囲一切の拒絶を、なぜ自ら解いたのか。自分が十年もの間、説きに説き、なおピクリとも動かなかったその強固な意思を。
「しかし、何かございましたか、ギャラン様」
「イーイコト、さ」
心底惚れた女が出来たんだよ、と青い目を楽しそうに細めて、ギャランは不敵に微笑み返した。
ハロックは言葉を失うほどに驚いてギャランを見た。
そして、さもありなん、と思う。
いままでと明らかに違う王の様子には、なんとも雄雄しく、くらくらするような、あでやかで艶やかな、実に派手な色気があった。
「ちょっとわけありの女でね」
ハロックは、だがギャランの青い瞳がふっと不安に揺れたのを見た。
「いろいろと手順を間違えて、恋に落ちるどころか、味方だとさえ認識してくれん、あれが信じるのはその父親が赦したという許婚だけだ」
「よもや、相手の決まっている女を無理にお望みか?」
どれほど女を抱こうと、それはさまざまな思惑で以って供される女であって、いままでギャランは他人の女を盗るといった無理難題を言い出したことはない。むしろそんな無粋な真似を最も嫌っていたと言っていい。
「おれはあれがいい」
そう言うその声は、むしろ悲痛だ。
ハロックは息を飲んだ。こんな風に一人の女に固執するのを見るのは初めてである。
「おまけに、命を狙われている。異形のものにだ、いや正確には異形のものを操る奴らに、だが」
「異形の者、とくれば、お探しの……例の失せた召喚の書と関係がございますな?」
「だろうな。おれの女は目下そいつらに狙われている、既に何度か魔物に襲われるところに遭遇している、狙いは周子だろう」
周子、とハロックはその名を胸に刻んだ。
「召喚の書はガーナの宝物庫に眠っていた、元来ガーナの所管するものだ、それを使って襲われるとなると」
ハロックは無言でうなずいた。
「召喚の書を有する者こそが、ガーナに仇なすものか、もしくは……」
ギャランは一度そこで言葉を切って、浅く笑った。
「あの女が、ガーナに仇なすものか」
「一人の女が、でございますか?」
―――この東の大国ガーナに仇を?
なんと物騒な推測を成り立たせる女であろうか。
ハロックは思わず喉を鳴らした。
「あいつはつえぇぞ、そこいらの女とは違う」
「物騒が過ぎますぞ」
だがギャランはそんなハロックのぞっとするような不安を他所に、はあ、となんともやるせない吐息を吐く。
「いいんだよ、それで」
「は?」
「周子がなんであれおれは構わん。ガーナを潰すと言うならそれで構わん」
「い、いやしかし」
このガーナをですぞ、と言うハロックの動揺ぶりにギャランはまた浅く笑った。
「なぁ、ハリーお前どう思う? 心底惚れた女が命を狙われていて、おれはなんとかしたいと思う、だがおれが差し伸べる手をあっさり振り払うんだ、自分が他人を助けることはあっても他人が自分を助けることがあるとはつゆ思っていないんだぞ」
「手を……引いた方が」
ハロックは自分でも驚くほどにかすれた声が出た。
冗談は止せよハリー、とギャランは浅く笑った。
その男くさい色香に、ハロックはいつまでも子供だと、大人なのはせいぜいが身体だけだとばかり思っていた目の前の男が急に大人になっているのを知った。
「案外現実屋なんだな、ハリー? もうちょっと色気のある男かと思っていたが?」
ハロックは苦笑した。
「国を賭けるほどに剣呑な女など」
「賭けはでかい方が面白い、と、この血盟砦でさんざんイロ賭博をおれに教え込んだ男の言葉とは思えねぇな?」
ハロックはキッパリと首を振った。
「今や私はこの血盟砦の総司令官、いわば国家警備の要に当たる人間です、国家を危機にさらすような真似は決して出来ません。私の立場には、あなたをお諌めする責務がある。あなたに賭博を教えたのはやんちゃが楽しくてしょうがなかった若い時分のことでございます」
「面白い賭けになる、のれ」
ギャランはキッパリとそう言うとハロックのグラスに酒を注いだ。
「あれが手に入るのならば、おれはこの国の国王になってもいい。今のようなただの飾りではなく、名実ともに後世に語り継がれるガーナ王、今までお前達がさんざんにおれに望んで寄越した、雄雄しく強い、若き美貌の新国王にだ」
予想外のギャランの言葉に、ハロックの胸に嫌な予感が過ぎった。
「廃帝のサーデュラスはいかがなさるおつもりか」
「おっと」
ギャランが軽く眉を上げる。明かしていなかった筈の事情を知っているらしいハロックに意外そうな目を向けて。
「以前、カズマ殿を問い詰めてかなり強引に聞き出しております。突如王にならぬと言い出したそのご変貌ぶりがあまりに異様でしたので。廃帝のサーデュラス、あなた様を王にするための呪であると。前王陛下があなた様を生贄にするためにかけた呪であると」
まあね、とあっさりギャランは頷いた。
「おれが王になれば即殺すようにな」
とん、と首の付け根あたりに手刀を軽く落として。
記憶の底に埋もれていた、いやわざと忘れていたそれを周子が抉り出した。
対峙すべきものがありながら、ずっと目を背けてきたもの、それを周子は無邪気に抉り出し突きつけてきた。
「サーデュラスはおれを王にするつもりだ、自分がその王たる地位を捨ててでも、おれを王に据える気だ。そして……なんとしてもおれを殺す気だ、ヤツは絶対にやる、執念深い男だ」
ギャランはにやりと笑った。
「サーデュラスはおれを待っている。生贄の条件は、ヤツと同等、あるいはそれ以上の、良く出来た王だ、サーデュラスは王としては……稀代の王とまで言われるほどに良くやっていると評価のあった男だ、名ばかりの王、今のおれとは正反対だ」
そう言ってからギャランはたっぷりと沈黙した。
「十年前、おれは王にはならない、と決めた。サーデュラスの思惑を踏みにじる、それがおれのすべきことだと、くだらぬ酒や情事でこの身体を削って死ねればそれでいいと。……すべてに目を背けても生きていけると思っていた。おれの人生なんてそんなもんだろうと」
ギャランは一度言葉を切ってグラスを呷った。
「なぁ、ハリー? おれの人生、まんざら捨てたもんじゃあァないそうだ!」
ハロックは唐突なその言葉に、なんと返すべきか困惑した。
誰にも言うなよ、とギャランは念を押してから、言った。
「身に過ぎた望みを抱いた報いだ」
「は?」
「おれがタトゥーを解かねば周子はおれを一切認めぬ気だ」
タトゥー、耳慣れぬその言葉にハロックは首を捻った。
「隷属のタトゥー、周子を拘束しているタトゥーを解くには、おれはいっぱしの王にならねばならん。酔ってたんだよ、と言ってしまいたいくらいだがな、おれはあの時確かに、願った、誰もが認める、王たる王、王の中の王という程に望まれた以上の王になりたいと」
「なんと」
いままで全く思いも寄らなかったギャランの言葉である。
退屈、ってのはキツイ、と呟いて、ギャランはゆっくりと首を振る。
「願った、そのときに、周子が目の前に落ちてきた、そして召喚した理由たる望みをいえと言う。死ぬ呪がかかっているその王になりたいなぞ、願ったにせよどうせ酔った勢いだ、言えるわけが無い。もし望みを言えば……周子はどんな手段を使ってでもおれを王にするんだそうだ、馬鹿馬鹿しい、おれを殺す気か、と思ったね。それを拒んで押し問答をしているうちに、タトゥーの呪が発動した」
ギャランはハロックに事情を話した、隷属のタトゥーがある限り周子は呪主である自分の命令には絶対服従であること、タトゥーがある限りまるで惚れ薬のように正気を失い、抗い難いほどに強烈な衝動で以ってその身体とて許してしまうこと。
「おれがあいつを抱いたのが、タトゥーの所為だと言うんだが、絶対に違う、おれは惚れたから抱いた、あんな気持ちで女を抱いたことなんざ無ぇ、おれはガッツリ本気なのに、周子は絶対に信じないと言う、タトゥーに操られているだけだと。んなあほな話があるか。ちょいと無理に手をつけて、めちゃめちゃ怒っている、いや、怒っていない、まるで何事も無かったみたいだ。タトゥーの所為だから気にしないんだと。おれは到底そんなのは耐えられない、ああ畜生、もういっぺんこの腕であいつを抱きたいんだ、おれはタトゥーを解くぞ、絶対にだ」
そしてキッチリと思い知らせてやる、とギャランは言った。
「いい女だ、最初はタトゥーがあるなら思い通りだし、気のつえぇ女を飼うのはいいザマだと思った、だがな、コッチが本気だと言ってるのに違うと言いやがる、本気で惚れた女だ、おれはそれを証明する」
やけに熱い、男くさい言葉を吐く。ハロックは知れず目を細めた。
若い時分、滾る性欲とただの退屈紛れに相当女を抱いた。それでも飽き足らず退屈しのぎに、まだ幼いギャランに女の抱き方を教えてやったのはハロックである。
ハロック・スレルム、ガーナ一の剣豪、鬼神エロックの息子、親の威光や名ばかりでなく、ハロック自身、事実相当に腕が立った。あいつはキレている、そんな揶揄が嬉しく感じる愚かな若い時分があった。腕力にもの言わせ、人を人と思わぬほどに傲慢に他人を蹴散らし、歯向かう者があれば腕慣らしとでもなんとでも理由をつけ斬り殺してきた、若き狂獅子、闘将ハリー、それをカッコいいと言って慕ってくるまだ幼いギャランにさんざん不道徳を教えこんだのは自分である。
酒も煙草も女も賭博も暴力も、すべて鬼畜の限りを尽くし教え込んだ、逐一まともに取り合う子供のギャランの様子が面白かったからだ。オモチャだった。
だが。
ハロックにとって、恰好のオモチャであったはずのバカな皇子がいつしか可愛いと、大切に思うようになったのはどうしたことか。オモチャから、可愛い弟分へ、そして守るべき存在として変わるのにさほど時間はかからなかった。
ギャランの存在を心の内に寄せて後、ハロックの奇行は、ぴた、と止まった。
若き狂獅子は皇子の忠実なペットとなったのである。
そして皇子は、ハロックを従え今度は自ら先頭に立ち、やんちゃの限りを尽くす。狂獅子、その呼称までも引き継いで。ハロックがギャランを諌める。ここに至りて、ハロックは初めて父エロックの苦労と心痛を知った。
まだまっとうにギャランが皇子であった頃は、サーデュラス国王陛下の一粒胤たる高貴な身分と彼の持って生まれた顔立ちの良さ、そこに、ハロックの教え込んださまざまな悪さがむしろ危険な色気を添えて、やんちゃな皇子、で済んでいたものだったが。
皇子は気が狂っている、と口々に臣下は言う。日々増し行く狂悖の性、荒ぶる魂、その狂気への扉のありかを示したのは自分ではなかったか。
怖いもの知らずの幼さゆえにあっさりとその扉を開け放った。本来は人生のちょっとしたスパイスであるべきものを、大量に摂取させた、その責任はひとえに自分にある、と、ハロックはどれほどに我身を責めたことか。
好いた女ができた、という事は実に良かった。
生憎惚れた女というものには出会わなかった、ずいぶんと時を重ねてようやく丸くなったハロックは、そんなギャランがまぶしいくらいにうらやましく、そして、やはり、可愛らしかった。
損得抜きに、ギャランが好きなのである。
―――まあ確かに、ギャラン様は狂獅子、という派手な称号で呼ばれもするがな?
我が身を悔いたその昔、自分の懺悔の言葉を聞いた父エロックは、称号まで昔のお前と同じとは楽しいものだ、と豪胆に笑い飛ばしてくれた。
―――お前はキッチリ筋は通してあるはずだ、大切なことは教えてあるはずだ、本当に大切なものが見つかれば、ころりと憑き物が落ちたように戻ってくる。お前のようにな?
今ギャランを前に、エロックのその言葉を思い出す。そう言ってくれた父、エロックの偉大さがつくづく、身に染みた。
音に聞く限り、室外の戦いの喧騒は多分に熱を帯びてきている。
ギャランはグラスの中の琥珀色の液体をじっと睨んだ。
「東の大国ガーナ、その国王としての絶対的な権力と、強大な軍事力と、莫大な金と、それらを全部つぎ込んででもおれはあれが欲しい」
またたっぷり長い間沈黙して。
ギャランは軽く肩を竦めた。竦めた、というより、身震いした、と言う方が正確だったかも知れぬ。
「なァ、ハリー、おれは正直怖くてしょうがねぇんだよ、あれが欲しい、死んでもだ、決めた、サーデュラスはおれが真正面から潰す。逃げるのは終わりだ、おれの背中を思いっきり押してくれよ」
ものすごく真摯な、すがるような眼差しを向けてくる。
ハロックはぎゅっと心臓が握りつぶされるような苦しくそしてなんとも甘美な感覚を味わった。
―――あのギャラン・クラウンが、自分を頼りにしている。
ハロックはただぐっと、そのグラスを一気に呷った。
グラスを空け、真摯な眼差しで正面からまっすぐに見つめてくるギャランに、ハロックはキッチリと腹を括ると、毅然とした真顔でしっかりと頷いた。
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「や、やあ、って、やあ、って、……ギャラン様?」
いきなり打って変わった気さくな様子に、出迎えた西方の国境警備の要、血盟砦の総司令官ハロック・スレルムはすっかり言葉を失ってまじまじと目の前のギャランを見た。
軽く十年は遡ったような気がする。
ギャランがこんな風に気さくに声をかけてくるなぞ、かれこれ十年は無かったことである。
「まあ、一杯付き合えヤ?」
ニッカリ、笑うと、ギャランは手にぶら下げていた極上のバーボンのボトルをハロックの胸に押し付けた。
深夜に姿を現したガーナ国王、ギャラン・クラウンは黒い上等な革のジャケットに革のパンツ、ごついブーツで身を固めている。
両の手に、指先を切り落とした革の手袋をきりりと嵌めている。
腰には伝説の聖剣、真っ二つの剣が炯然と圧倒的な覇気を放っている。
ふと思い立ち一人で馬を駆って来た、といった感じであるが、どうにも目が据わっている、やる気である。肌がびりびりするような、ぞっとするほどに激しく不穏な空気を感じながら、とにかくハロックはギャランを中へと引き入れた。すぐ側に控える士官に手早く小声で指示を出すと、士官はもんどりうつように慌てて奥へと走り去ってゆく。久方ぶりの国王の来訪を告げに。
正面の門から続く、細く狭く長い廊下を抜けると、急に視界が開ける。
だだっ広い、円形のコロシアムのような吹き抜けのホール、いや、まさにコロシアムそのものであり、ここ血盟砦に敵襲があったとき、まずはその細く狭い廊下で一度に入る数を減らし、それを突破し中に入りた敵をこの広い闘技場で迎え討つのである。
吹き抜けの二階程の高さに相当する部分には、その広いホールの壁からぐるりと円状に取り巻くように足場が組まれており、空中戦を見込んだつくりになっている。
ギャランは迷わず、二階のギャラリーへと続く階段に足をかけた。
ハロックはその意図を察して、ごくり、と喉を鳴らした。
階段を上っている間に、仕官の伝令、国王ギャランの突然の来訪の旨を聞きつけ、中央のホールには多くの兵士が集まり整然と並んだ。
元来ギャランは、サーデュラス前王陛下が失踪し王位を継承する前には、非公式ながら軍部の最高司令たる特権を握っていた。非公式、即ち、公的な軍部のトップ、鬼神エロック・スレルム、そしてその息子闘将ハロックを、完全に我が身に従えていたのであり、つまりは、彼ら二名の管轄する軍のすべてを、国内でも極めて優秀な精鋭部隊を完全に押さえていたのである。
鬼神エロック・スレルムがここを統率していた頃から、まだ年端も行かぬほんの子供の頃から、出入りは勿論のこと寝食をも共にたびたび繰り返してきたギャランは、とりわけ、ここ血盟砦の兵士達には人気がある。若く、強く、気性も激しく、そして、見るものを魅了するその美貌、むしろ、崇拝に近い神格すら抱く勢いで兵士達は心酔しきっており、それはつまりは、ギャランにとって最も動かしやすい精鋭部隊がここに集結しているということである。
吹き抜けのホールの二階部分から下を見下ろせば、全員がびしっ! とギャランに向かって敬礼をした。
「はん、ちっとも変わってねぇな」
「いつどのような時でもすみやかにご下命に従えるよう、万全に整っておりますれば」
「よし」
ざわめき一つなく、全員の目がギャランに注がれる。
ギャランは皆に己の立ち姿が良く見える位置に立つと、整然と並んだ兵士を見下ろし、キッパリと言い放った。
「総員戦闘配置に就け、まもなく客が来る、討て!」
ハロックは久々にびりびりするような緊張と興奮の空気があたり一面に立ち込めるのを味わった。
「ただし!」
と、ギャランは厳しい声で気を引いた。
「客は、異形の者だ」
魔物だと? と、動揺で室内が鳴った。召喚の書が失せて一年、だが実際に魔物のそれと思えるようなものが国内に出没したことはほとんど無く、無論、兵士達が魔物と戦いを交えたことなぞ無いのは当然のことだった。
ギャランは、ダン! と一度足を床に鋭く打ってそれを鎮めると。
「畏れることは無い。コツを教えておく!」
数瞬、言葉を溜めた。
黄金の髪のけざやかに燿ける頭を一度大きく振った。壮絶な笑みを浮かべ、バルコニーの手すりにガン! と足を立てる。
じっくりと眼下の兵士達を見回し、存分な注視の手応えを得ると、握った拳の親指を立て、すっ、と首の前を横一文字に引いた。
「一発で仕留めろ」
一気に昂揚した士気がどうっとホールを揺るがせた。
「ハリー、一杯やるぞ」
静かな押し殺した声で呟くと、くるりと踵を返す。
ハロックを従え奥の司令室に進むと、ギャランは備え付けのデスクから椅子を引き、一番奥の壁際に押し付け、どっかとそこに座った。
ビッ!と軽快な音を立ててボトルを封切ると、ハロックの差し出したグラスに手づから注ぎ入れた。
「やれ。案ずるな、最後の酒にはならん」
そう言ってニッカリと笑う。
ハロックはその不敵な表情に心底ホレボレしてぐっと一気にグラスをあおった。胸の奥が熱くなるのは単に酒精の所為ではない。
もはや十年にはなるであろうか、まだ少年だったこの目の前の男が、ぱたりと、それこそ唐突に他人とのまともな会話や情、そういったものの一切のやり取りを断ち切ってしまってから。自分はその最後の瞬間に居合わせた。グランツの貴公子、カズマ・フォン・グランツを連れて血盟砦へ来たあの日、今日が最後だ、酒宴を開け、善良なる皇子殿下に最後のお別れの挨拶をしろ! と目の前で、まだ幼いギャラン・クラウンが晴れ晴れとした口上を述べたその瞬間に。
すさまじい徹底振りだった。
ただのやんちゃな皇子、それがここまで意志の強い男だったとは全く思ってもみなかった。
どれほど熱くかき口説こうと、ギャランは彼を慕うものの言葉には一切の無反応を貫き通した。ここ血盟砦でさんざんやんちゃをやらかした、その盟友、兄分でもある筈の自分にもまったく興味を示さぬ、まるで視野にすら入っていないかのような徹底した冷徹ぶりだった、慕われていたと思うからこそ、そのぞっとするほどに壮絶な無関心ぶりが胸に堪えた。
特に前王陛下が失踪した一年ほど前、つまりは、王になるべく退路を断たれた後のこの一年は、ますます狂悖の性抑え難く、荒れる一方であった。
どれほどに言葉を尽くして諌めようが、届かない。ごくたまに、失せた召喚の書を探すという無理難題な理由をつけ自分を連れて国中を馬で駆けるが、結局は足蹴にされて追い返される。
唯一の親交を保っているカズマ・フォン・グランツがひたすらにうらやましくねたましく……暗い嫉妬の炎を胸の内に抱くのは何も自分ばかりではない。王宮にはもっと性質の悪いそれを抱いている輩も多い。それらを一切合財カズマ・フォン・グランツの両肩に負わせ、ギャラン・クラウンは平然としている。
その様子はまさに、異様だった。
それが、まるで憑き物でも落ちたかのような、今宵の来訪である。
「ここ最近、特におれの様子をうかがっている気配がある。はん、お前の暇つぶしにちょうどいいだろ、闘将ハリーもそろそろ体が鈍ってんだろが」
にやっと笑って。
ギャランは正面からぐっ、とハロックの灰色の瞳を射る。
「ハリー、おれを守る気があんだろ?」
「は!」
自分をハリーと呼ぶその声。ギャラン・クラウンが元に戻っている、とハロックはたまらず感涙に咽んだ。
ハロックは聞かずにはいられなかった。あれほどに強固に貫こうとしていた周囲一切の拒絶を、なぜ自ら解いたのか。自分が十年もの間、説きに説き、なおピクリとも動かなかったその強固な意思を。
「しかし、何かございましたか、ギャラン様」
「イーイコト、さ」
心底惚れた女が出来たんだよ、と青い目を楽しそうに細めて、ギャランは不敵に微笑み返した。
ハロックは言葉を失うほどに驚いてギャランを見た。
そして、さもありなん、と思う。
いままでと明らかに違う王の様子には、なんとも雄雄しく、くらくらするような、あでやかで艶やかな、実に派手な色気があった。
「ちょっとわけありの女でね」
ハロックは、だがギャランの青い瞳がふっと不安に揺れたのを見た。
「いろいろと手順を間違えて、恋に落ちるどころか、味方だとさえ認識してくれん、あれが信じるのはその父親が赦したという許婚だけだ」
「よもや、相手の決まっている女を無理にお望みか?」
どれほど女を抱こうと、それはさまざまな思惑で以って供される女であって、いままでギャランは他人の女を盗るといった無理難題を言い出したことはない。むしろそんな無粋な真似を最も嫌っていたと言っていい。
「おれはあれがいい」
そう言うその声は、むしろ悲痛だ。
ハロックは息を飲んだ。こんな風に一人の女に固執するのを見るのは初めてである。
「おまけに、命を狙われている。異形のものにだ、いや正確には異形のものを操る奴らに、だが」
「異形の者、とくれば、お探しの……例の失せた召喚の書と関係がございますな?」
「だろうな。おれの女は目下そいつらに狙われている、既に何度か魔物に襲われるところに遭遇している、狙いは周子だろう」
周子、とハロックはその名を胸に刻んだ。
「召喚の書はガーナの宝物庫に眠っていた、元来ガーナの所管するものだ、それを使って襲われるとなると」
ハロックは無言でうなずいた。
「召喚の書を有する者こそが、ガーナに仇なすものか、もしくは……」
ギャランは一度そこで言葉を切って、浅く笑った。
「あの女が、ガーナに仇なすものか」
「一人の女が、でございますか?」
―――この東の大国ガーナに仇を?
なんと物騒な推測を成り立たせる女であろうか。
ハロックは思わず喉を鳴らした。
「あいつはつえぇぞ、そこいらの女とは違う」
「物騒が過ぎますぞ」
だがギャランはそんなハロックのぞっとするような不安を他所に、はあ、となんともやるせない吐息を吐く。
「いいんだよ、それで」
「は?」
「周子がなんであれおれは構わん。ガーナを潰すと言うならそれで構わん」
「い、いやしかし」
このガーナをですぞ、と言うハロックの動揺ぶりにギャランはまた浅く笑った。
「なぁ、ハリーお前どう思う? 心底惚れた女が命を狙われていて、おれはなんとかしたいと思う、だがおれが差し伸べる手をあっさり振り払うんだ、自分が他人を助けることはあっても他人が自分を助けることがあるとはつゆ思っていないんだぞ」
「手を……引いた方が」
ハロックは自分でも驚くほどにかすれた声が出た。
冗談は止せよハリー、とギャランは浅く笑った。
その男くさい色香に、ハロックはいつまでも子供だと、大人なのはせいぜいが身体だけだとばかり思っていた目の前の男が急に大人になっているのを知った。
「案外現実屋なんだな、ハリー? もうちょっと色気のある男かと思っていたが?」
ハロックは苦笑した。
「国を賭けるほどに剣呑な女など」
「賭けはでかい方が面白い、と、この血盟砦でさんざんイロ賭博をおれに教え込んだ男の言葉とは思えねぇな?」
ハロックはキッパリと首を振った。
「今や私はこの血盟砦の総司令官、いわば国家警備の要に当たる人間です、国家を危機にさらすような真似は決して出来ません。私の立場には、あなたをお諌めする責務がある。あなたに賭博を教えたのはやんちゃが楽しくてしょうがなかった若い時分のことでございます」
「面白い賭けになる、のれ」
ギャランはキッパリとそう言うとハロックのグラスに酒を注いだ。
「あれが手に入るのならば、おれはこの国の国王になってもいい。今のようなただの飾りではなく、名実ともに後世に語り継がれるガーナ王、今までお前達がさんざんにおれに望んで寄越した、雄雄しく強い、若き美貌の新国王にだ」
予想外のギャランの言葉に、ハロックの胸に嫌な予感が過ぎった。
「廃帝のサーデュラスはいかがなさるおつもりか」
「おっと」
ギャランが軽く眉を上げる。明かしていなかった筈の事情を知っているらしいハロックに意外そうな目を向けて。
「以前、カズマ殿を問い詰めてかなり強引に聞き出しております。突如王にならぬと言い出したそのご変貌ぶりがあまりに異様でしたので。廃帝のサーデュラス、あなた様を王にするための呪であると。前王陛下があなた様を生贄にするためにかけた呪であると」
まあね、とあっさりギャランは頷いた。
「おれが王になれば即殺すようにな」
とん、と首の付け根あたりに手刀を軽く落として。
記憶の底に埋もれていた、いやわざと忘れていたそれを周子が抉り出した。
対峙すべきものがありながら、ずっと目を背けてきたもの、それを周子は無邪気に抉り出し突きつけてきた。
「サーデュラスはおれを王にするつもりだ、自分がその王たる地位を捨ててでも、おれを王に据える気だ。そして……なんとしてもおれを殺す気だ、ヤツは絶対にやる、執念深い男だ」
ギャランはにやりと笑った。
「サーデュラスはおれを待っている。生贄の条件は、ヤツと同等、あるいはそれ以上の、良く出来た王だ、サーデュラスは王としては……稀代の王とまで言われるほどに良くやっていると評価のあった男だ、名ばかりの王、今のおれとは正反対だ」
そう言ってからギャランはたっぷりと沈黙した。
「十年前、おれは王にはならない、と決めた。サーデュラスの思惑を踏みにじる、それがおれのすべきことだと、くだらぬ酒や情事でこの身体を削って死ねればそれでいいと。……すべてに目を背けても生きていけると思っていた。おれの人生なんてそんなもんだろうと」
ギャランは一度言葉を切ってグラスを呷った。
「なぁ、ハリー? おれの人生、まんざら捨てたもんじゃあァないそうだ!」
ハロックは唐突なその言葉に、なんと返すべきか困惑した。
誰にも言うなよ、とギャランは念を押してから、言った。
「身に過ぎた望みを抱いた報いだ」
「は?」
「おれがタトゥーを解かねば周子はおれを一切認めぬ気だ」
タトゥー、耳慣れぬその言葉にハロックは首を捻った。
「隷属のタトゥー、周子を拘束しているタトゥーを解くには、おれはいっぱしの王にならねばならん。酔ってたんだよ、と言ってしまいたいくらいだがな、おれはあの時確かに、願った、誰もが認める、王たる王、王の中の王という程に望まれた以上の王になりたいと」
「なんと」
いままで全く思いも寄らなかったギャランの言葉である。
退屈、ってのはキツイ、と呟いて、ギャランはゆっくりと首を振る。
「願った、そのときに、周子が目の前に落ちてきた、そして召喚した理由たる望みをいえと言う。死ぬ呪がかかっているその王になりたいなぞ、願ったにせよどうせ酔った勢いだ、言えるわけが無い。もし望みを言えば……周子はどんな手段を使ってでもおれを王にするんだそうだ、馬鹿馬鹿しい、おれを殺す気か、と思ったね。それを拒んで押し問答をしているうちに、タトゥーの呪が発動した」
ギャランはハロックに事情を話した、隷属のタトゥーがある限り周子は呪主である自分の命令には絶対服従であること、タトゥーがある限りまるで惚れ薬のように正気を失い、抗い難いほどに強烈な衝動で以ってその身体とて許してしまうこと。
「おれがあいつを抱いたのが、タトゥーの所為だと言うんだが、絶対に違う、おれは惚れたから抱いた、あんな気持ちで女を抱いたことなんざ無ぇ、おれはガッツリ本気なのに、周子は絶対に信じないと言う、タトゥーに操られているだけだと。んなあほな話があるか。ちょいと無理に手をつけて、めちゃめちゃ怒っている、いや、怒っていない、まるで何事も無かったみたいだ。タトゥーの所為だから気にしないんだと。おれは到底そんなのは耐えられない、ああ畜生、もういっぺんこの腕であいつを抱きたいんだ、おれはタトゥーを解くぞ、絶対にだ」
そしてキッチリと思い知らせてやる、とギャランは言った。
「いい女だ、最初はタトゥーがあるなら思い通りだし、気のつえぇ女を飼うのはいいザマだと思った、だがな、コッチが本気だと言ってるのに違うと言いやがる、本気で惚れた女だ、おれはそれを証明する」
やけに熱い、男くさい言葉を吐く。ハロックは知れず目を細めた。
若い時分、滾る性欲とただの退屈紛れに相当女を抱いた。それでも飽き足らず退屈しのぎに、まだ幼いギャランに女の抱き方を教えてやったのはハロックである。
ハロック・スレルム、ガーナ一の剣豪、鬼神エロックの息子、親の威光や名ばかりでなく、ハロック自身、事実相当に腕が立った。あいつはキレている、そんな揶揄が嬉しく感じる愚かな若い時分があった。腕力にもの言わせ、人を人と思わぬほどに傲慢に他人を蹴散らし、歯向かう者があれば腕慣らしとでもなんとでも理由をつけ斬り殺してきた、若き狂獅子、闘将ハリー、それをカッコいいと言って慕ってくるまだ幼いギャランにさんざん不道徳を教えこんだのは自分である。
酒も煙草も女も賭博も暴力も、すべて鬼畜の限りを尽くし教え込んだ、逐一まともに取り合う子供のギャランの様子が面白かったからだ。オモチャだった。
だが。
ハロックにとって、恰好のオモチャであったはずのバカな皇子がいつしか可愛いと、大切に思うようになったのはどうしたことか。オモチャから、可愛い弟分へ、そして守るべき存在として変わるのにさほど時間はかからなかった。
ギャランの存在を心の内に寄せて後、ハロックの奇行は、ぴた、と止まった。
若き狂獅子は皇子の忠実なペットとなったのである。
そして皇子は、ハロックを従え今度は自ら先頭に立ち、やんちゃの限りを尽くす。狂獅子、その呼称までも引き継いで。ハロックがギャランを諌める。ここに至りて、ハロックは初めて父エロックの苦労と心痛を知った。
まだまっとうにギャランが皇子であった頃は、サーデュラス国王陛下の一粒胤たる高貴な身分と彼の持って生まれた顔立ちの良さ、そこに、ハロックの教え込んださまざまな悪さがむしろ危険な色気を添えて、やんちゃな皇子、で済んでいたものだったが。
皇子は気が狂っている、と口々に臣下は言う。日々増し行く狂悖の性、荒ぶる魂、その狂気への扉のありかを示したのは自分ではなかったか。
怖いもの知らずの幼さゆえにあっさりとその扉を開け放った。本来は人生のちょっとしたスパイスであるべきものを、大量に摂取させた、その責任はひとえに自分にある、と、ハロックはどれほどに我身を責めたことか。
好いた女ができた、という事は実に良かった。
生憎惚れた女というものには出会わなかった、ずいぶんと時を重ねてようやく丸くなったハロックは、そんなギャランがまぶしいくらいにうらやましく、そして、やはり、可愛らしかった。
損得抜きに、ギャランが好きなのである。
―――まあ確かに、ギャラン様は狂獅子、という派手な称号で呼ばれもするがな?
我が身を悔いたその昔、自分の懺悔の言葉を聞いた父エロックは、称号まで昔のお前と同じとは楽しいものだ、と豪胆に笑い飛ばしてくれた。
―――お前はキッチリ筋は通してあるはずだ、大切なことは教えてあるはずだ、本当に大切なものが見つかれば、ころりと憑き物が落ちたように戻ってくる。お前のようにな?
今ギャランを前に、エロックのその言葉を思い出す。そう言ってくれた父、エロックの偉大さがつくづく、身に染みた。
音に聞く限り、室外の戦いの喧騒は多分に熱を帯びてきている。
ギャランはグラスの中の琥珀色の液体をじっと睨んだ。
「東の大国ガーナ、その国王としての絶対的な権力と、強大な軍事力と、莫大な金と、それらを全部つぎ込んででもおれはあれが欲しい」
またたっぷり長い間沈黙して。
ギャランは軽く肩を竦めた。竦めた、というより、身震いした、と言う方が正確だったかも知れぬ。
「なァ、ハリー、おれは正直怖くてしょうがねぇんだよ、あれが欲しい、死んでもだ、決めた、サーデュラスはおれが真正面から潰す。逃げるのは終わりだ、おれの背中を思いっきり押してくれよ」
ものすごく真摯な、すがるような眼差しを向けてくる。
ハロックはぎゅっと心臓が握りつぶされるような苦しくそしてなんとも甘美な感覚を味わった。
―――あのギャラン・クラウンが、自分を頼りにしている。
ハロックはただぐっと、そのグラスを一気に呷った。
グラスを空け、真摯な眼差しで正面からまっすぐに見つめてくるギャランに、ハロックはキッチリと腹を括ると、毅然とした真顔でしっかりと頷いた。
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- 2006-01-27 14:15
- カテゴリ : 「タトゥー・オブ・ギャラン」/長編/連載中
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