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[tog]53:ハロック・スレルム

 正面の方で派手な爆発音が立て続けに轟いた。門はおろか、あの細い通路までもがこの一撃で吹き飛んだかも知れない、建屋自体を震撼させる物理的な衝撃だがハロックは真面目な表情のまま、顔色一つ変えぬ。この男は己の率いる精鋭部隊を信頼しているのだ。
 ギャランはグラスに残った最後の一口を呷ると形良いその唇をちら、と舐めた。
「さーてと」
「雑魚はすべて討ち伏せましょうぞ、ここにはわが国の精鋭が詰めておりますゆえ」
「おう、はなっから任せるつもりで来てるのさ、おれはここ数日しつこく付きまとっている殺気の主とやる」
 かの鬼神エロック・スレルムの息子、闘将ハリー、お前の腕には期待してる、そう言ってギャランは、ドア向こうに気配を察し、きゅっと、革手の袖口を一度きつく引いた。
 ―――マパラボル!
 突如、巨大な炎の嵐がドアを突き破って室内に炸裂した。
 ギャランは素早く真横の壁際に飛びすさび、ハロックに場所を譲ったが、当のハロックはといえば、唖然と宙に浮かぶ異形の天使を見上げたまま動かなかった。
「王……これは!」
 きゅうっと吊りあがった瞳の無い眸に見下ろされて、ハロックは数瞬たっぷり息を飲んだ。長く真っ白な蓬髪がざわざわと逆立ち、ぞっとするような凄惨さを醸し出している。それはハロックを見据えると、まさにこの世のものとは思えぬ壮絶な笑みを浮かべた。その異形の天使、初めて見るその姿は、まさに、異形そのものだった。
「呪文さえ出させなければ、斬り易い。言ったろ! 一発で仕留めろと!」
 身体は柔らけぇぞ、ギャランの端的なその言葉に、はっと正気を取り戻したのか、ハロックは腰の剣を抜き払った。
「なるほど、魔物とはこういうものでございますか」
 かつて目にしたことのある出来損いのゼリー状の軟体物とはまるで次元が違う、と一人低く唸ると、宙に浮くそれに素早く飛び掛った。
 一太刀で絶命した異形の天使を蹴り落とし、ハロックはその後方の宙半ばに浮いていた二体のそれとの間合いを一気に詰めた。
 鋭い気合と共に、ハロックの剣が空気を裂いた。たちまち二体の異形の天使がどさりどさり、と地に堕ちた。
 しかし剣は止まらなかった。ついで襲い来る大型のネズミの前肢を瞬時に斬り落とすと、大きくのけぞるようにして見せた腹の、脂光りする獣毛のびっしりと生えたそこを右わき腹から左肩へと抜くように真っ二つに切り裂いた。
 そしてそのまま振り返り、すぐ側からまさに襲い掛からんとしていた牛頭虎体の魔物を蹴り上げると、仰向けになったその腹に足を乗せ体重を掛け、その喉元に容赦なく剣を突き立て、引いた。たちまち上がったすさまじい血飛沫降り注ぐ中、抜いたその刀身を返しがてらすぐ後ろの敵兵の頭上に振り下ろす。
 ぐしゃり、と嫌な音がした。
 すさまじい剣の威力である。刀身の切れもさることながら、刀身自体の重さたるや、ハロック専用に打ち直されて通常の倍はある。それ自体の破壊力も相当なものだが、それを自在に使いこなすハロックの腕力にはとてつもないものがあることは、その一振りで明らかだった。
 数瞬の間があった。
 敵兵が怯んだのである。あっという間に駆逐された異形の者共の次の部隊はまだ出現してこない。
 ―――あとほんの一歩、寄っただけで殺される、
 それほどに獣の穢れたた返り血をざんぶりと浴びたハロックの形相はすさまじかった。
 だが。
 ハロックは待たなかった。怯んだ敵兵の群れに、たっ、と身を躍らせたのである。踏み込むと同時に右手の剣を大きく振り下ろした。
 肉塊をつぶす嫌な音と、それを真横で見た者のひい、という短く息を詰めるような叫び声。
 だがそれ以上の惨めな叫び声を上げる間も与えずにハロックは次々と脳天を叩き斬った。

「仕えるべき主を誤ったな」

 絶命した敵兵をどかり、と足蹴にすると、ようやく新たに投入された異形の者の塊に飛び掛っていく。
 ひとり壁を背に、そんなハロックの鬼神の如き戦いぶりを眺めながらギャランは、微かな、鈴の音のようなものを聞いた、と思った。
 咄嗟にギャランは体を右に倒した、そうして瞬時に強く床を蹴り、横様に飛び退く。
 鈴の音……それは怜悧な、洗練された殺気であった。
 背にしていた壁にあざとく光る短刀が突き刺さっている。
 それが放たれてきた方、即ち窓の外を見遣れば、塀の上から褐色の髪をした屈強な体躯の男がこちらを睨んでいる。ギャランはそれを認めて、革手を嵌めた利き手を前に差し出すと、手のひらを上に、人差し指を軽く数回曲げ、誘い入れた。
 屈強な体躯の男が音ひとつ立てずに塀伝いにするりとバルコニーへと降り立った。
 やけに大きな剣を下げている。太い首にごつい肩、ハロック同様、戦闘を生業とする者の鍛え上げた腕だ。細く鋭い目は恐ろしく陰鬱で、冷酷で、それは人を殺すのに慣れた目である。
「お前だな、ここ数日おれを狙ってたのは」
 ギャランよりもはるかにがっしりした岩のような肉体である。鍛え上げられた分厚い筋肉は頑強でそれでいてしなやかで敏捷であろう。
「牙の教徒」
 ギャランは胸に浮かんだ確信を口にした。
「サーデュラスがおれを欲しいと言ったか?」
 ギャランは上体を低くし、ほぼ滑り込むようにして剣を横一文字に振り抜いた。まずは低くその両足を狙ったのだ。
 だが真っ二つの剣は虚しく空間を一閃しただけだった。敵将はひらりと飛び上がると宙の高い位置から剣を振り下ろしてきた。
 ギャランは身体を倒してそれをやり過ごすと、返す刀でその脇腹に斬りつける。
 がしいん、と重く鈍い、頑丈な鎧の音が響いた。
 刀と装甲とがぶつかり、瞬間に激しい火花が散った。
「アア? いいモン仕込んでやがるな」
 ちっ、とギャランが舌打ちする。
 この体つきでこの重装備、それでいて敏捷な身のこなしは、相当な手慣であることを示す以外の何ものでもない。
 ひゅっ。
 ギャランは再び鋭い呼吸音を洩らした。目にもとまらぬ速さでギャランの剣が疾る。
 すさまじい勢いで幾度か派手に切り結んでのち、敵将が大きく退いて、二人の間に数歩を要する間合いが生じた。
 ―――相当に、やるな
 ギャランはゾクゾクとした。それは快感に近い。
 殺気を感じてはいたものの、ハロック並みの強兵が他所にいるとは思わなかった。
 再び間合いを詰めようと一度足裏で床を擦ったギャランは、だが唐突に感じた不穏な気配に踏み込もうとしたその足を止めた。
 不意に、暗闇が前方の隅に生じた。
 強烈な殺気に満ちた気配が前方の暗闇から立ち込めてくる。物理的な圧力にすら感じられる、禍禍しい瘴気。首筋から背筋にかけて得体の知れぬ悪寒が疾り、瞬く間にギャランの全身が粟立った。空間が歪んだような、眩暈にも似た奇妙な感覚があった。
 その暗闇に鈍色のローブが浮かび上がる。目深にかぶったローブの奥で両目を炯々と輝かせた、矮小な術者に見えた。若いとも老齢ともつかぬ、男とも女ともつかぬ、正体不明な邪悪な気配を濃厚にまとっている。

 かっ。

 術者が、煙に見えそうな息を吐いた。
「おまえか。この若造めが。あの娘を―――」
 人の言葉を発音するのに適さない声帯で無理に喋った、といった具合の、実に気味の悪い声、その喉の奥になにか別な獣でも潜んでいるかのような、不気味な痰の絡む音が、ゴロゴロと、低く鳴り続けている。
「よくも名を刻んでくれたな……憎い、憎いのう」
 術者の手中で何かが激しく発光した。
 片手で印を結びながら、じっとりと詠唱を唱え始める。
「そいつは召喚の書だな?」
 それを見て取るや、ギャランは剣を構え、唸りを上げて突進する。
 そのギャランの前に、先ほど対峙をしていた敵将がすかさず割って入ってきた、その巨体にそぐわぬ速さはむしろ異様なほどである。
「どけっ! まずはそいつを殺る!」
 怒髪天を突くギャランのその勢いに敵将はちらとも怯まず。
 ギャランの振り下ろす剣をがっちりと捉え、むん、と唸ると、重い一撃を返す。
 予想以上に重い返しに、痺れかけた腕が一瞬下がる、その隙を突いて、敵将はだが意外なところに剣を振るってきた。
 ハッとして、ギャランは咄嗟に上半身を起こし、身体を大きく右に捩った。
 刹那、焼けるような熱く鋭い痛みが左腕を裂いた。
 ギリギリでかわしたものの、あと一瞬反応が遅ければ、左腕が無かったと思う。
「うでっ? 腕か?」
 ギャランは驚いたように自分の左腕を触った。指先に感じたぬめり、それが己の血であるのを知って。
「もっと他に狙うところがあるだろが! たわけ」
 ギャランは指についた己の血で一度唇を湿らせた。
「お命頂戴と言われたことがあっても、腕だけ欲しいって、言われたこたぁねぇな? おれはどのパーツとっても一級品だが、いっちばん高価く売れるのは、なんと言ってもこの首から上だと思うがなァ! アア?」
 剣を持たぬ左の親指を立て、己の喉笛を軽く突いた。
 首ではなく腕を寄越せとは、まるきり馬鹿にされた感じで腹が立った。敵将を睨みつける己のこめかみがどくどくと激しく鳴っているのを感じる。
 いいのかそれで、と低く唸って。
「コイツがいらねぇってこたぁ、首じゃなく腕が欲しいと言うってこたぁ、アア? つーこた、この石か?」
 凄みのある笑顔で再び剣を構えた。
 敵将がちらと嘲笑した。
「お前なぞ、生きていようが死んでいようがもはや我々にはどうでもよい、腕を寄越せ」
 首を落とすほうが手っ取り早いか、と嗤うその声に、ギャランははらわたが煮え繰り返るような腹立たしさを覚えた。
 東の大国ガーナの国王の命よりも、もっと欲しいものがある、というのである。それは、この石、そしておそらく周子だ。
「は! そうか! じゃあせいぜい後悔するんだな、殺しといた方がよかったとな! これでハッキリした、牙の教徒があいつに手ぇ出すってぇんならマジで容赦しねぇ」
 敵将が両の眉を寄せた。
「……先に手を出したのはお前の方だろう」
「なにッ?」
 ギャランが剣を構えたままじりじりと横に動く。互いに間合いを量りながら、睨み合う。
「なぜ名を刻んだ、あの強情なタチバナが赦したのか?」
 敵将が低い声で聞いてくる。その声にはひどい困惑の色があった。
「あいつを知ってるんだな、やはり探してるんだな」
「ああもう五百年も追っている」
 しつけぇな、とギャランは喉の奥を鳴らして片目を顰めた。
「つーこた、てめぇがロレンスか!」
 ―――ロレンス!
 全身の血が沸騰するかとさえ感じる強烈な激情に任せ、一足で間合いを詰めるや、すかさず剣を振り下ろした。
 鋼が鋼を打つ激しく神々しい音が一際高く響いた。
 ギャランの渾身の一撃を正面から受けて、力づくで弾き返すが、一瞬、耳を疑ったとでも言わんばかりの表情で相手は口許を怯ませた。
「ロレンス? いやまさか」
 低く唸った。鋭く陰鬱な剃刀のような眼差しを顰めるようにして目の前のギャランを凝視する。
「……お前はロレンスを知っているのか」
「非常に、残念だな、ああ、残念でならねェゾ、てめえらはロレンスの一味じゃあねぇんだな? つーこたロレンスは周子を狙ってるんじゃねぇのか。くっそ、てめぇがロレンスだったら話ははえェーのに! 一気にここで叩き殺せるからな!」
 どおりゃぁっ! と気合の入った掛け声と共に、ギャランが敵将の胸板のど真ん中を強烈に蹴り飛ばした。相手の隙をついた渾身の一撃、ロレンスの名に一瞬気を削がれた敵将が勢い良く壁に背を打ち付ける。レンガ壁を打ち砕かんばかりの派手な崩壊音と衝撃とが室内に響き、一瞬遅れて建屋を揺らした。
 その強い衝撃に、王、とギャランの身を案じて寄越したハロックの声が一度鋭く耳に届いた、その瞬間、大きく喘いで身を起こしかけた敵将の喉元を狙いすまし、ギャランは己の堅牢なブーツで勢い良く壁に蹴りつけた。まるで煉瓦壁に縫い付けんばかりのものすごい勢い、一拍遅れてずるずるとその頑強な肉体がくず折れるように床に腰を落とす。
 通常ならば頚椎が折れるはずの強烈な一撃だが、鍛え上げた太い首は堅牢に頭の位置を保持していた。
 ちゃっ、と刀身の返る音が冷酷に鳴った。
 即座に首を刎ねたい気持ちを抑えギャランは剣を突きつけた。聞くことがある。
「ロレンスの名で気を散らすたァ、どーゆーこった」
 ロレンス、と掠れた声で呟いて再び大きく喘ぐと、口から血を吐き捨てて。
「名を刻んだばかりかロレンスまで知っているとは、貴様物騒だな」
「物騒なのはお前だろが! あいつをどうする気だ?」
 ギャランは、つ、と動いた敵将の視線のその先を追った。
 やはり自分の左腕に注視している。左腕、いやそれも、左手薬指に、だ。
 左手の薬指は、革手のその指の根元を深く裂いてある。
 黒い魔石が革手袋を通らなかったからだ。
「……石か、やはりこの石が欲しいんだな?」
「抜けまい」
「だから腕を落とそうってのか、とことんおれのこたぁ無視なんだな!」
「おまえなぞ、とるにたらん」
 ひゅっ、とギャランは殺気をこめた息を吐いた。
 敵将のその言葉に奥歯を低く鳴らして。
「おれを殺りにきたんじゃあなく、石を取りに来たんだな? じゃあ周子をどうする気だ」
「周子?……ああタチバナか、そうか、そうかそれは……いい名だな」
 フッ、と顔を歪めて笑ったその様子に、
「! てめぇにンなこと誉められる筋合いはねぇ!」
 いっそう腹を立てて、ギャランが叫ぶ。
 敵将は至極真面目な顔をしてギャランを間近に睨んだ。
「貴様、知らぬのか、タチバナの血系にとってその名がどれほどに大切か。その名を軽々しく口にするな。万一その名を握れるとすればそれこそ懇ろになった男くらいしか……」
「おれがそれだ!」
 ギャランの弾けるような堂々とした声に、それこそビックリしたように敵将がギャランを見返してくる。信じられぬ、と呟くと大きく首を振り、やがてにやりと笑った。
「タチバナはロレンスの女だ、お前のようなガキなぞ、唾も引っ掛けんわ。ほう、しかし、面白いな、あの強情なタチバナが? 抱いたというか? ではどうせ手篭めにしたのだろうな、タトゥーを使ったか? ほう、ならばさすがのタチバナも逆らえまい」
 痛いところを突いてくる。ギャランは、さあっ、と血の気が引いた。
「図星か」
 くつくつ、と意地の悪い笑い声を立てた。
 あれの身体に溺れたか、とまるで知ったような口を利いて、口の端をきゅう、と吊り上げた。
「とんだ、色にませたガキだな」
 血の気が引いたギャランの、一瞬の隙を突いてその剣を蹴り上げると、敵将は軽々と身を起こす。先ほどまでの劣勢がまるで嘘のようだった。
 牽制を込めて一度鋭く斬りかかり、それから再びギャランと対峙するように慎重に剣をかまえる。それを見てギャランが薄く笑う。
「サーデュラスはおれを狩れとは言わんかったのか?」
「生贄に相応しい立派な王になる気なぞ無いのだろう? とんだ無駄手間だ、サーデュラスもそうそう馬鹿ではないわ」
 己の放蕩は確かにそれが目的だったが、今に至ってはその策は何にもならぬ、と、自分を付け狙うその理由が、既に別なものへとシフトしているのをギャランははっきりと知った。
「牙の教徒は痺れを切らしたってか?」
「タチバナがようやく姿を現したからな」
「タチバナがなんだ、サーデュラスとどういう関係がある、そもそもサーデュラスの望みはくだらん蘇生術に過ぎん筈だ」
 敵将はそれには答えず、我々はあの女が再び此の世に姿をあらわすのをもう五百年も待ったのだ、とだけ、どこか感慨深げに呟いた。
 不気味な熱のこもったその告白にギャランは苦々しい表情をしたが、敵将は石を寄越せ、と再び迫った。
「どうやって取り上げたかは知らんが、イビサは石の価値すら教えなかったようだな、あのタチバナの血系がこうもやすやすとあの石を手放すなぞ」
「そんなにこの石が欲しいか?」
「石をもらう」
 ギャランはギリ、と歯を鳴らし、敵将を慎重に睨みつけた。
「石はやる。だから周子から手を引け」
「飲めぬ。タチバナの血が要る」
 ギャランは、周子がララクロノフと契約を結んだあの光景を思い浮かべた。
「血。契約やら呪とやらを発動させるのに使うんだな? だったら必要なだけは抜いてやる、だから周子のことはきっぱり忘れろ、二度と手出しするな」
「……一滴残らず、すべてだ。逆さ吊りにし完全に血を抜いてのちその身体を使う、肉を依り代にタチバナの末代のあの血と魂とを……」
 大事そうにしっとりとその後ろの言葉を飲み込んで、そして楽しいことでも考えるかのように、敵将は一度ニヤリと笑った。
 ギャランの頭の中のものが一瞬で沸騰でもしたかのように真っ白になった。
「ぶっ殺す!」
 すさまじい覇気で飛び掛り剣を振り下ろす。
 刹那。
 ―――ラダキラン!
 すぐ目の前で強烈な冷気の嵐が炸裂した。絶妙なタイミングで呪文を放ち割って入った異形の魔物に、ギャランは口汚く悪態を吐いた。
「王!」
 ハロックの切羽詰った声が飛ぶ。どん、と一度強く壁に背中を打ちつけ、すんでのところで冷気の直撃をかわしたギャランは、凍りついた革のジャケットを脱ぎ捨てた。
「ハリー! てめーにこのごつい野郎を任せた! おれはあのひらひらした術者を殺る! 次から次へと魔物を出しやがって。ったくキリがねぇからな!」
 ギャランはそう叫ぶや、召喚の書を手に新たに数体の異形の者を召喚した鈍色のローブの術者めがけ怒号を上げ猛烈な勢いで突進する。
「させるか!」
 敵将がその線上に割って入る、ギャランはそれを力づくでいなすとハロックの方へと強く蹴り飛ばす、すかさず血に濡れたハロックの大剣が大きく振りかぶるのが視界の端に入って、ギャランはそのまま術者目掛けて前に突進した。
 鈍色のローブの術者を完全に捉えた。
「まずはその本を寄越せ!」
 唸り声を上げ大きく剣を振り下ろした時、ふっ、と鈍色のローブの術者が、煙をかき消すかのように目前から消えた。ギャランの剣を受け、床は轟音を立て大きな亀裂を刻んだ。
「ハリー、仕留めろ!」
 ギャランは慌てて振り返り、鋭く叫んだ。
 だがハロックの一撃をかわすように一度強く斬り結ぶと、敵将も忽然と消えた。その手に見覚えのある赤い透いた石があった。
 ―――魔石……では、ミアムの生き残りか?
 確信に近いその思いを廻らす間もなく、ギャランは大きく剣を一閃した。
 白光がきらめいて派手な血飛沫が上がる。隙をついて襲い掛かろうとした異形の獣が一拍遅れてどうと床を打った。
「ちっ、またぞろ来やがったな」
 宙に掻き消えた鈍色のローブの主と敵将、それとタイミングを同じくして、大量の魔物が、中空から室内へとなだれ込んできた。無粋な置き土産だ。
 瞬く間に、吐き気を催すほどの禍禍しい瘴気と殺気が部屋に満ちる。
 ギャランは唐突にやる気を失った。掻き消えたものを今更追えるわけも無い。
「たー、めんどくせぇ、ハリー、お前分裂しろよ! 雑魚は一気にやっちまえ!」
「はは、出来ればそうしたいですが」
 腹立ち紛れに壁を蹴って舌打ちをしたギャランに、息一つ乱れぬハロックが軽く笑って応える。
「さあて、どっから行きますかね」
と呟いたときにはもうその姿は無い。
 ものすごい勢いで押し寄せる魔物を斬り捨て、並み居る敵兵の首を刎ねてゆく。
 ギャランは、ぶん、と一度大きく真っ二つの剣を振って、白刃に滴る血を祓った。
「おい、トリ! なんか派手な大技でねェのか? 一発で片付けやがれ!」
「……つくづく無礼な物言いじゃ、若造。案ずるな、小物は小物に任せておけ」
「小物?」
 突如、獣のような咆哮が轟いた。
 いや、音はない。
 だが、獣の咆哮のようなぞっとするほどの強烈な殺気がギャランの後方からすぐ隣を通り抜けた。
 熊ほどの大きさの何かの塊が目の前に踊り出たかと思うと、敵兵を握るように覆い被さった。この世のものとは思えぬ敵兵の断末魔の叫び声が空気を引き裂いた。
 一瞬遅れて、ぐしゃり、となんともいやな音がした。
 肉色をしたそれが、どっぷりと血肉を滴らせゆっくりと振り返る。
「でか!」
 見覚えのあるその姿、だがその大きさに思わずギャランはあんぐりと口を開けた。
 それが合図とでもいわんばかりに、左右対の手はすばやく文字通り左右二手に分かれ疾るや、並み居る敵兵をなぎ倒し、摘み上げ、勢い良く壁に打ち付ける。骨々が砕ける鈍い嫌な音が響いた。
「ひぃっ!」
 恐怖に竦む敵兵。たちまちに壁に叩きつけられ一瞬にして絶命する。ものすごい勢いである。あるいはなにか弾力のあるものを握り潰して押し破るかのような、妙に生ぬるい破裂音が上がって。手の中の肉塊を絞るかのようにして握るハンズの拳の中から、血と脳漿と肉片とが交じり合った太い血飛沫がびゅうびゅうと上がる。
 容赦の一切無い血なまぐさい光景、壁といい天井といいどっぷりと派手に血塗られて。無残に潰され弾け飛んだ肉片があちこちに飛散し、壁にも天井にも奇妙な肉塊がへばりついていた。床上には血の池が広がり、みるみるうちにそれが拡大してゆく。
 その血の池を嬉々として這いずり回るのは……肥大化したハンズである。
「ハリー! 退け! おれの傍に来い!」
 どこまで敵味方を識別するのか分からない、さすがのハロックもこんな魔物が相手では敵うまい、とギャランは思った。
 ハロックが血の池を突っ切りギャランの元へ駆け寄ると、足下でじゃぶじゃぶと嫌な血の波音が鳴った。
 ハンズがすべての魔物と敵兵を片付けるのにさほど時間はかからなかった。
 やがて、しん、と部屋が静まった。
 呼吸の音を立てるのさえ怖いような、ぞっとするほどの静寂が生じた。
 これほど静かな空間は、天にも地にも、他に無い、生唾を飲み込んだ自分の喉の音がやけに大きく聞こえた、とギャランは思った。
「おい、トリ、でかいぞこいつら、どこが小物だ」
「小物ぞ」
 真っ二つの剣は嗤ったようだった。あざけるようなちりちりとした波動が剣柄から伝わってくる。
「……そうか。そうだな」
 たかがハンズごときに気落されるな、ということである。
 異形の者を相手に戦うつもりであればこんな程度で動揺するわけには行かぬ、既に周子の敵は自分の敵と定めたのだ、それがどれほどに残虐で血塗られた光景だとしても、周子を守るのならばそれでよい。
 吐き気をもよおすほどに壮絶に凄惨な有様だったが、それはそれで実に魔物らしい戦いぶりだと、ギャランは思った。
 ギャランは、満面の笑みを浮かべた。
「グッ!」
 拳を強く握ると親指を立て、ハンズに良くやったと合図をした。
 レフトとライトもそれに応じ、軽く拳を握ると、ギャランに向けた。が、次の瞬間、親指を……中指と人指との間にはさんで、古びた木造の小屋が軋みでもするかのような奇妙な笑い声とおぼしき音を立ててその親指を揺すった。
「ああっ!?」
 思わずギャランはカオを真っ赤にして飛び上がった。
「て、てててめーら見てやがったな!」
 キュン! と小さな可愛い音を立ててハンズは元の大きさ、幼児の片手のサイズに戻ると、からかうように楽しげに、交互に軽くぴょこぴょこと飛び跳ねた。
 わらわらと二手に分かれて逃げてゆくハンズを、ギャランは剣を振り回しながら追いかける。
「だーっ! 待てっ、てめーら、的が小さくなりやがって、畜生、ちょろまかちょろまかと! ハリー! どけっ! こんのエロガキめ!」
 ギャランはハンズを追って部屋を飛び出していく。
 ハロックはしばし、ぽかんとそんな様子を眺めて。
「ハロック総司令官!」
 ぶち抜かれたドアから、上級士官が飛び込んでくる。
「ご無事で! ……は……」
 上級士官は凄惨に血塗られた室内の光景を見て、くらり、とたちまちのうちに膝から折れるように落ちて頭を床に打ち付けた。
「まったく。ご無事じゃないのは誰かね?」
 足下から、ごぶう、と血を飲む音がする。血の池に頭を沈めているのだ、仕方なくハロックは襟首を掴むとその身体をむんずと引き揚げた。
 根性あるやつー? と部屋の外に声をかける。ハロックの声を聞きつけ、われこそは! と数名が集まるが、部屋に一歩入るなり、やはりそのうち一名を残してそれ以外はくるりと踵を返すと膝まづき、激しく嘔吐した。
「こいつの立派な徽章は今からお前のもんだ、外して付けろ、昇進おめでとさん」
 さばさばとそう言うと、その残った気丈な一人の胸に血をしたたかに飲んだ士官を押し付け、びゅっと剣を一振りして血を祓うと腰に収めた。
 たしかに、ドアの外に広がるのは、相手が魔物とはいえ、普通に切り結んだ戦いの光景でしかなく、肥大化したハンズが暴れた後のこの室内の凄惨な光景よりも、ずっとはるかにマシなように見えた。
「キミらはまだ若い、まだまだだな」
 にっこりと笑う。
 ハロックはそんな若い士官達の様子がうぶで面白かったので、ただ素直に笑ったのだが、このときの返り血をどっぷりと浴びてなお笑う、むしろ壮絶な様相の闘将ハリーのこの笑顔は、のちのちまで語り継がれることとなる。
「床から血、さっさと汲み上げろ。こんなに派手な池が出来上がっちゃって、まァ。一階の天井にまで染みたら、洒落にならん、ちょうどこの下は私の私室だ」
 駆けつけてきた参謀の姿を認めると、ああ、報告は下の部屋で聞く、いいか、一滴でも洩らすな、どれほどに小さな血の染みでも、階下の私室の天井に出来た暁にはどうなるか分かっているだろうな、と言い捨て、部屋を後にする。
 そもそも血の染みなど微塵も気にしない豪胆な男である。
 ハロックとしては限りなく冗談なのだが、士官どもが震え上がったのは言うまでもない。

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