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[tog]54:舌を呪う

 もう結構長いこと、かれこれ二十分ほどカズマは考えこんでいた。
 腕を組んで。あご先に軽く指をかけて。
 盤面を睨んで。
 ―――強い。おまけに定石を踏まない。
 ルールは教えた。実にすんなりと飲み込んだ。一種のボードゲームである。白と黒の駒が十六個づつ、相手の主駒を詰めることを目的とする。
 定石を踏まないのは、そうと言われるものをまだ教えていないからに他ならないが、時折ハッとするような攻めを見せてくる。カズマは改めて周子の頭の良さを確認し、また同時に彼女に対してのより一層の慎重さを己に課した。
「若……」
「うるさい。あとにしろ」
 ためらいがちに声を掛けて寄越すエンギワルーを、カズマは盤面を睨んだまま遮る。
 それからしばらくして。
 カズマが一手進めた。
「……うへー、やられた」
 途端に周子が口惜しそうな顔をして落胆の色濃い吐息混じりの声を上げた。
 その声を受けて、たちまちカズマが嫌そうな顔をする。
「うへー、って。あなた……もうちょっとましな言葉は無いのですか」
「ああ、もういいよ、負け、私の負け、そこにそう来るともうダメ。打つ手ナーシ」
 そう言ってどさりと背を椅子の背もたれに預ける。負けを認める判断が早いのも論理的思考能力に長けた証拠だな、とカズマは思った。
「疲れたよ」
「ええ。ですが私は満足しましたよ」
 カズマは微笑んで。
「私をこうも満足させるなんて」
「はは、思わせぶりなセリフ」
「ね? 申し上げたとおり、やはり一人でするより二人でする方が楽しいでしょう?」
「ワタシモウクタクタヨ」
「……。なんだか下品だな」
 嫌そうに返すカズマに周子はニヤリと笑って。
「はははー。グランツ家若様の深夜の一人遊戯、って言い出すから私はてっきりアッチのほうかと」
「あなたは本当にあけすけですね」
 夜も更け、いつもならばそろそろ寝ようかという時分になってカズマが周子を自室へ呼びつけたのだ、深夜の遊戯に付き合え、と。
 周子は周子で別の理由があって起きていたのだが、その理由がカズマに通じているのかもしれない、と思った。いや、そうに違いなかった。だからこそ周子とてわざわざカズマの居室にまで出張りこうして付き合っているのである。
 かちゃかちゃと駒を片付けながらカズマはやはり微笑んで。
「相手になる人間が他にいるわけでなし。考えごとをするにはちょうどよいのですよ、深夜に一人でね」
「深夜に一人でいろいろと企み事をするわけね」
「眠れない夜もありますからね」
 神経質そうだもんね、と周子が返すと、カズマは一度メガネを押し上げ、さらりと言った。
「あなたは眠りの深い性質でしょうね、きっと寝ている最中にいたずらされても気づかないに違いない」
 びくり、と周子の体が震えて硬直した理由をカズマは知る由もないが。
 既にその失態を己の身に知る周子は怯んだ瞳でカズマを見上げる。
「ま、マジックペンでヒゲを書かれたりとかね?」
 カズマは、へぇ、というカオをした。
「あなたは存外子供だな。私ならもっと大人な悪戯をしますけどね?」
「す、スナック菓子を鼻の穴に詰めるとかね?」
「それの何処が大人ですか?」
 あきれた声でそう返し、いつもはむしろ娼婦かといった位の蓮っ葉な態度や口ぶりなのに今夜はどうしたんです、調子が狂う、とカズマは胸元のボタンをひとつ外して浅く笑った。テーブルからグラスを取り上げ、水を一口含む。
 そのカズマの様子になんだかいつにない色を感じたような気がしたが、だがそんなことよりもなによりも、周子としては、過日のギャランとの間のとんだ失敗についてあまり深く追求してくれないよう密かに祈るばかりだった。
「じゃ、眠れない夜なら、たまにここに来て相手してあげるわ」
 いえ、とカズマは首を横に振る。
「次はそちらに伺いますよ、一人でするより二人でする方が楽しいことはまだ他にもありますからね。あなたとて子供じゃない、その肢体に世の男どもが示す、舐るような劣情の類をもう既にご存知でしょう」
 周子がひた、とカズマを注視した。ちょっとした沈黙が生じた。
「なに考えてるの?」
「答えのわかっている問いならば問うだけ無駄だ」
 カズマはグラスの奥の紫の瞳をちら、と細く引き伸ばした。上機嫌なのか不機嫌なのかどちらとも取れる表情だった。
「私をモノにしようと? 私を使えばギャランが動くから?」
 周子は肩を竦めた。
 カズマの女嫌いは有名だし、当人もそうはっきりと認めている事実だ。
「抱きたくも無い女を抱いて、そうまでしてあのバカを操りたいの?」
「……全く興ざめだな」
 ここで動揺すればまだ少しは可愛らしいのに、とカズマは声を冷たくしてぴしゃりと返す。表情も声も冷たく戻った。それはいつもの一見貴公子風の柔和で優秀そうな面立ちだが、そういった表情をするときほどむしろ内的にはひどく冷徹な、そんな策略家の顔であることを既に周子は知っている。

「若」
 間を計って、再びエンギワルーが声を掛けた。
 カズマはちら、と冷たい眼差しで横目に彼を睨むとその先を促す。ギャランを前にしたときの丁重で柔和な様とは打って変わって、グランツ家次代宗主としての自邸内でのカズマは多分に威厳を帯び、無論、敬語も使わない。その立場というものが非常に厳格で規律的なものなのか、生まれながらに身分の差というものを魂によく知っている男である。
「……動きました」
「やはりな。牙の教徒か」
 カズマは立ち上がると上着に手を伸ばすが、それをエンギワルーが押し止めた。
「無用でございます、王は血盟砦に詰めておいででございますれば、危険はございますまい」
 うむ、とカズマはひとつ唸った。目の前の周子に視線を戻して。
「王が私に声をかけぬ理由はこの女の所為であろうな。まあ命令とあらば致し方ない」
 そう言って小さく鼻を鳴らした。王が剣を下げて王宮を出て行ったことは既に知っている、だがあえて自分を伴わずハロック・スレルムを求めたことに、カズマはその意図するところを察していた。ギャランはカズマには周子の側にいるよう言外に命じているのだ。
「なによ? あのバカのこと?」
 周子は冷めた声で浅く笑う。
「あのバカにはうちのチビッコが付いているわ、心配要らない」
「……魔物を遠隔で使役しているのか?」
 カズマは少し驚いたように眉を上げたが、それを周子は睨み上げて。
「……分かってるくせに。だから呼んだんでしょ、ここに。ガーナで最も身持ちの堅い男の寝室で話すことといったら、まあ物騒なことに違いないわね? 間違っても好いた惚れたといった睦言じゃあないわね、ははっ、あり得ない。で、物騒な話は? 私にどうしろと? いまさら下りられないんでしょう? さあどうなの?」
「よくそんな強気な減らず口が利けるものだな」
 カズマが感心したように唸って、立ったまま一度腕組をした。
「で? こいつらはナンなの? 魔物が続出。あんたは相手が誰か知ってるわね? 牙の教徒、って何?」
 カズマは無言のまま腕を組み直す。
「ちゃんと話して。ハンズはあのバカについている、ああ可愛らしく見えて本性はものすごく獰猛な魔物なの、あのバカを守ればいいんでしょ?」
 少し沈黙してから、さよう、とカズマが小さく唇を噛んだ。
「牙の教徒と呼ばれる狂信者達です。歪んだ世界認識、狂った戒律、みだらな儀式、死者蘇生を謳う醜悪な連中です」
「死者蘇生……そんなものがギャランを狙ってるの?」
「私の予想よりもはるかに時期が早い。今、牙の教徒が行動に移すにはそれなりの理由があるはずだ」
「はん、その原因が私だと」
 察しの良いことだ、とカズマは周子を見据えた。
「向こうは予定を大幅に繰り上げた感がある。ギャラン様の期が熟すのを待たずに」
 周子は自分を見据えて寄越すカズマの視線を真っ直ぐに受けて。
「それはあのバカに掛かってる呪のこと?」
「ええ」
 応えは短い。
「仮に連中がその呪を反古にすることにしたとして、それでもやはりギャランを狙っているってことは、今度はまた別の意味でギャランに用があるってことよね?」
 そう言って周子は思いっきりしかめっ面をした。
 ため息を吐いて、それからちょっと泣きそうな表情をした。
 ―――やっぱり、よりによってギャランを、一国の王を巻き込んだ、
「ったく、なんであのバカが国王なのよ、あのバカに何かあったらただじゃ済まないじゃないの、この国中の人間を敵に回せって?」
 真っ二つの洞窟で感じた嫌な予感が的中したのを知って。
「そんな面倒はごめんだわ」
「ええ。……だがその態度、やはりあなたは向こう側の人間ではないな」
 向こうってどっちよ、と言う周子を受けて、カズマはふうっと、大きく息を吐いた。そして腕組みを解いて、一度緑髪をぞんざいに掻いた。それは普段のカズマには珍しい、苛立ちのこもった、むしろ男っぽい仕種だった。
「あなたと付き合って、確かに頭は良いが、裏表のある人間ではないことは分かっています。王は直感であなたを受け入れたが、だが、私はそうは出来ない」
 あなたが牙の教徒に通じているのではないかと、もうずっと逡巡していた、とカズマはようやく心情らしきものをほんの少し吐露した。
「ばかね。私に直接聞けばいいのに。こんの根暗めが」
「……根暗?」
 至極不服そうにカズマが復唱し、たっぷり間を空けてから、思慮深いんです、といかにも几帳面に訂正した。
「牙の教徒なんて、知らない、聞いたことも無い」
 周子の言葉にカズマはきっぱりと首を横に振る。
「だが、石を持っていた。ドランクドラゴンの盟約石、とある条件が整えば発動する、とてつもない魔力を秘めた魔石。それこそこの世のどんな願いでも叶えることの出来る石だ……あなたがそれを現世に持ち込んだ張本人だ、無関係だとは言わせない」
「持ち込んだも何も。だったら、そもそもその文句なら……私を誤召喚したあのバカに言うのね。私はロレンスの所に飛ぶ予定だったんだから。私をロレンスの所に返して」
 またその話か、とカズマはうんざりしたように口の端を歪ませた。
「あなたも頑固だな」
「願いが叶うだかなんだか、石の事は本当に私は知らない。むしろ今あんたの口から聞いてビックリした。ナニヨそんな冗談みたいな石。あんたはなんだかいろいろ知ってるのね? 父さんは私に、持ってろとしか言わなかった。でもあんたは違う、知っててギャランに持たせるなんて、あんたのほうがよっぽど……どえらく物騒じゃない?」
 カズマは冷たくひとつうなずいてみせる。
「敵か味方か分からない、いきなり飛び込んできた粗野な女がそれを持っているほうがよほど物騒だと判断したのです。確かに私は、私の事情でその石を知っている、どれほどに重要な石か、私は一目見て気付きました。あなたがご自身で王に渡さなければ、それこそ私はあの早い段階であなたを殺してそれを手に入れたことだろう」
「……うわ。物騒だなぁ、つくづく。あんたの事情、ってのが激しく嫌な感じ。で? どこまで洗いざらい話してくれるの? なんか隠してるそんな態度で味方だなんて言い出すわけ?」
「味方です」
 キッパリとカズマは言った。もはやそこに微塵のためらいもない。
「あなたの手をお借りしたいと申し上げているのです」
「それが人にモノを頼む態度ですかと聞きたいわ」
 そう返す周子にカズマは苦笑した。
「言ったはずです、私はあなたに、私のことをもっと信用してもらいたいと。その対価として、既に私はロレンスの捜索にかなりの額と人手とを投入している、あなたの為にだ」
「でも見つからないんじゃ意味無いじゃん。無能めが」
「あなたは一言余計です。自分の立場が、人の神経を逆撫で出来る立場かどうかようく考えるべきだ」
 カズマは不快そうにそう言って、一度メガネを外しポケットから取り出した絹のハンカチで以ってそのグラスを丁寧に拭った。
「私は自分の誠意を、既に態度で示している、あなたもそう示して然るべきだ」
 断定的で几帳面な口ぶりだった。
 彼が汚れてもいないグラスをわざわざ拭くのは苛立ちを紛らわせる仕種に他ならない。そうしてカズマは幾分気を取り直したかのように再びメガネを掛けた。
「今宵の牙の教徒は王を狙っているというよりその石を回収しに行ったという所でしょう、万が一のことがあっても、おそらく、左手の薬指一本、悪くて腕の一本を失う程度で済むはずです」
 それから、ふうん、とひとつ冷たく低く唸って、
「だができることなら五体満足で。ハンズに守らせると言うのなら、ぜひそうしてもらいたいところだ」
と、念を押すようにそう言って周子を見下ろした。
 一見細身の優男に見えて、だがギャラン同様しっかりと筋肉のついた上背のある男である、上から見下ろすようにそう周子に言う様は、ぜひそうしてもらいたい、ではなく、絶対にそうしろ、という圧力に他ならない。
「だがあいにく、私は石の価値については聞き及んでいても、具体的な使途については全く知らないのですよ。牙の教徒はあの石を何の目的で、どう使うつもりなのか、そこが一番の懸念だ、持ち主のあなたが知らないはずはないだろう? 悪いようにはしない、正直に……」
「石の使い方なんて知らない。何も聞いてない。ほんとだってば」
 周子は強く頭を横に振った。
「父さんは……あの人はもともと無口だったし。私を育てたくせに、教えてくれないことが多くて。私をそういったしがらみに一切関わらせないようにしているみたいだった……ああ、どうしよ……なんかすっごく父さんに会いたいなぁ」
 周子はそう言って、ふと懐かしそうに笑った。
 ひどく寂しげな笑顔だった。
「なんで私、こんなところにいるんだろ? ひとりぼっちで」
 不意に滲んだ女らしいその表情にカズマは一瞬息を呑んで。
 テーブルの上に片肘をつき、顎をその上に載せて、ここではないどこかを想うその表情は、まるで篭に捕らわれた妖精かなにかを想像させた。金で買える天使、周子は自分をそう自嘲していたが、なぜだか確かに、こちらの征服欲や独占欲をむやみに煽るような、道具として力づくで言うことを聞かせてみたくなる、そんな奇妙な情欲を相手に抱かせるような感じがしてたまらなかった。
 ―――これが召喚の種の本性とでもいうのだろうか、
「ねぇ、しばらく黙ってもいい? 具合悪い」
 周子は小さく呟くと、カズマの返事を待たずに目を伏せた。
 何処か遠いところに意識を飛ばしているような、ハンズと遠隔で何かやりとりをしているのだろう、頭痛でもするのか、不快そうに寄せる眉。
 どこまでも強気ないつもの調子そのものだが、魔力の消耗が激しいのか次第に血の気が引いてゆくその頬の白さがなんとも心もと無くて。強いような弱いような……いつもは何かと口の立つ、小憎らしいほどに賢い周子が、こうして長く沈黙したままじっと目を伏せている様子というのは、とにかくはっとするほど美しかった。
 しばらくの間、目を伏せた周子の様子を眺めていたものの、見れば見るほど引き込まれそうなその雰囲気に、やがてカズマは耐えられなくなって周子から目を逸らせた。
 長い沈黙があった。
 周子の頬からますます血の気が引いてゆく。このまま周子を放置すれば失血死でもするのではないかとさえカズマは思った。理屈では血の気が引いているからといって別に失血しているわけではないのはよく分かっている、だが、どうにも……なんと言うべきか知れぬ、抗い難い不安が募った。
 カズマはとうとうその沈黙に耐えきれず声を掛けた。
「かくなる上は、私は本気であなたを懐柔したい。あなたのその力を欲しい。それこそどんな汚い手を使ってでも……私の言うことを聞かせるまでだ」
 こう言ってしまってからカズマは己の舌を呪った。こんな言葉をかけたいのではない、と思い、唇を噛んだ。
 ―――なんと言おうか、こう、彼女を包み込みたいのに。彼女を落ち着かせ、あなたは決して一人ではないと言い聞かせ、自分が側にいる、と守ってこそやりたいのに。
 そんな想いで、だが口をついて出た言葉は、懐柔、である。
 庇護したい、が、懐柔である。全力で、がどんな汚い手を使っても、である。
 牙の教徒を追って既に十年、王の知ると知らざるとに関わらずもうずいぶんとこの手を汚してきている、優しい言葉を吐くには自分の手は汚れすぎているのかも知れぬ、とそんな感傷じみた気分にさえ襲われた。
 周子を庇護するのは、王を守るためにその力が必要だからだ。
 王を守る、それだけの目的で、もっと割り切って彼女を庇護しさえすればよい。そうは思うものの、どういうわけかそこに躊躇いがある。机上で策を練るのとは違う何かが、こうして彼女を前にするとどうも何か齟齬があるように思えてならない、それは気味の悪い予感めいたものに似ていた。
 カズマは自分の中の未だ知れぬ何か不穏な感情を吹っ切るように執務デスクの方へ歩み寄ると、その引出しの中から紙に包まれた一本の葉巻のような物を取り出した。
「あなたは今、相当に辛いはずだ、使いなさい」
 そう言って突きつける。
 途端に露骨に嫌そうな顔をした周子のその反応に、これが一体何かを彼女が知っているということをカズマは確認して。なんだか手駒がぴたりとひとつ思うところに収まったような、そんな気分になった。
「こんな物を持ち出すとは。石のことについてもそうだけど、カズマ様、あなた一体、われわれミアムの召喚の種についてどれほどのことを知ってるの? 前にギャランの前では知らない、って言ってたくせに、嘘つき。相当、知ってるわね?」
「時系列に多少の齟齬があるな。……私の身内に、史実に大変詳しい男がいましてね? なかなか一筋縄では行かぬ男ですが、過日ようやく渡りをつけてミアムに関する情報を得ることが出来た、これはその時に譲り受けてきた物だ、ミアムの種なれば一目見れば分かる、説明は要らぬ、と言われてね」
 ちらとも揺るがぬ冷たい表情でカズマはそう答えると、もう長いこと直接には会っていない従兄弟の、銀の瞳を思い浮かべた。角度によっては灰色にも見えるあの瞳、こうして周子を前にして思うのは、あの従兄弟の、万事を己が為に都合よく仕切るあの頭の回転の良さ、抜け目のなさ。今にしてみればこの目の前の女に何か通じるものがあるのではないかとさえ思いもする。
 カズマに無理矢理に押し付られ、しぶしぶと周子はそれを受け取ると、コンコン、とテーブルの上をそれで軽く打って質を吟味する。硬質な、小気味良い音が響いた。
「うわ、上物だこと。で? あんた、これに一体いくら出したの?」
 カズマは再び口を固く引き結んだ。口を割る気など全く無いと示すその態度に周子は小さく悪態をついて。
「あんたの小柄、貸して。ええそうよ、前にあんたが私の喉を掻っ切ったヤツよ」
「…………。あなたがご自身で突き刺した。事実を曲げるな」
「ったく。イチイチ小うるさい男だな」
 周子はカズマから小柄を受け取ると、スパッと華麗にその一端を切り落とした。よく乾燥した薬草特有の、渋みのある乾いた匂いが鼻につく。
 周子はそれの反対側に火を点けると、切り取ったばかりの鮮やかな切り口の方を口につけた。
 深く、肺の奥まで、ゆっくりと吸い込む。
 火のついた先端がちりちりと微かな音を立て、周子は自分の肌が粟立つのを感じた。
「ほんと、どえらく物騒な人ね」
 見た目は貴公子なのに、と毒づく周子の黒髪が、やがてゆらりと逆立つように揺れて。
 一層血の気が引いたか、その肌の色が蒼白になりゆく。
 だが先ほどの失血死を思わせるような危うげな雰囲気は微塵も無く、むしろ、血の気が引けば引くほど、どこか壮絶な殺気が漂ってくるように見えた。
「ミアムの召喚の種御用達の薬草よ、魔力の増幅効果がある。ちなみに私は大がつくほどキライ。必要以上に神経が逆撫でされる感じで。こんなクスリ仕込んで仕事をするなんて、まるで道具のようよ、自分が。最悪」
 きーん、という微かな異音を耳の奥で聞きながら、じっくりと時間をかけて吸い、やがて周子は苛々と指先で数度テーブルの上を小刻みに打った。
「……たく。気味悪いくらいに魔力が増えるわね。ハンズに喰われた魔力が嘘みたい」
 決して良い匂いとはいえぬ不穏な煙がゆらりと宙をかき乱す。
 憂鬱そうに煙を吐きながらこちらを見上げてくる目には恐ろしく殺気があって。
 カズマはその物騒な黒目に呑まれるように喉をひとつ鳴らした。
「我がグランツ家は、世界で最も財力を誇る一族だが……」
 どんなに優れた調教師でも、一度や二度、必ず噛まれはするものだ、ましてやこれは非常に頭の良い、ミアムの猛獣だ、とカズマは肚を括った。
「これほどの財力を一体どのようにしてなし得たのか。無論、我々はまっとうな経済活動によってグランツ家を存続させているが、その財力の根本、そもそもの由来はそうではない、と申し上げれば、あなたはすぐに察するだろう、かつて、此の世に絶大な財力を誇った存在を」
 周子がちら、とカズマを睨み上げた。
「ベース」
「ええ。タチバナ、特殊な血系が百代もの間続いたのは、ミアム創始以来初めてのことだったと聞く、あなたが端的に百代目、とのみ呼ばれるのもそれが理由だろう。あなた方父娘を得てベースはかつてないほどに財力面で繁栄の極みにあった、五百年前の話だ」
「世界一? いくらなんでもベースがそこまで金持ちだったとは知らなかったけどね?」
「あなた方親子が、いや、あなたが稼いだのですよ」
「たった二回の召喚で?」
「さよう、回数は問題ではない。要は召喚主があなたにつぎ込んだ金の量だ」
 周子は殺気に満ちた舌打ちをした。
「で? ああそう、あんたはベースの側の人間てわけね。とんだ告白だこと。私に魔力を補給して、そのタイミングでこんな告白、つまりは殺して欲しい、って解釈するけど」
「落ち着け」
「あんたを殺る。二度とベースの許には戻らない」
「落ち着け、私の話をちゃんと聞いて欲しいと言っている」
 カズマはそう言って椅子を引くと、先程ゲームをしていたのと同じようにテーブルをはさんで周子の向かいに座った。周子と同じ高さに目線を持ってくると、薬草の所為か細かく震えるその手をとった。その指先は驚くほど冷たくて、カズマは己のやらかした所業にどっと冷や汗が噴くのを感じた。
「あなたの話を聞くと、ベースは確かにあなた方を道具として使役した感が否めない、だが、ベースには召喚の種を守るという役割があった、名を他者に知られぬよう、決して悪意ある人間に洩らさぬよう、召喚の種を守りもしていたのではなかったか?」
 カズマとしては誠意を込めて丁重に選んだ言葉だったが、周子にとっては大いに癪に障ったようだった。
「守る? ミアムの召喚の種を、名で、タトゥーで縛って? なにが愛に生きる高潔な一族よ、タトゥーを刻めと好きでもない男をけしかけられて、どれほど不愉快だったか。あんたならちったぁ察するものがあるんじゃないの? 女嫌いのグランツの若様」
 心底バカにしきった、あざけるような色だった。
「あんたがその史実に詳しいとかいう身内から引き出したのは、そんなくだらない情報なわけだ」
 キッ、とカズマを睨み、周子は椅子を蹴り倒すようにして勢い良く立ち上がると、噛み付くような鋭い勢いで叫んだ。
「私を守ってくれたのは父さんだけだわ!」
「ならばわたしは、修三だ」
 間髪いれずカズマはそう一言、鋭い語気ではっきりと切り返した。
 はっ、と大きく息を呑んだ気配、印を結びかけた周子が目を大きく見開いてカズマを見つめた。そのあまりに意外な言葉に呼吸も忘れて固まって。
「父さん? ……カズマ様が?」
 呆然とした長い沈黙の後にそう呟いた、掠れたその声になんとも切ない色が滲む。
 いささかも怯まずにカズマはもう一度同じ言葉を吐くと、それから、理性的な落ち着いた声で以って周子に言って聞かせた。
「あなたと同じように五百年の時を越えたことは勿論ないし、生憎私はあなたの父上の生まれ変わりだとかそんな都合の良い話にはならぬ、だが……」

「あなたに仇なすものは、私が徹底排除する」

 長い沈黙があった。
 かなりの時間をかけ、カズマの言葉が比喩的な意味であると、彼がすなわち修三であるという直接的な意味ではない、と周子はようやく理解したらしい。一度期待に輝いた眼差しがみるみるうちに失意に翳ったのを見て、カズマは修三がこちらの世界にいる、そのことを周子は本気で願っていたに違いなかったことを痛切に思い知った。
「父さんなら転生ぐらいやらかして、ひょっこり現われそうだけど……ああ、でもあなたは父さんとは違う。父さんではない、考えてる肚の中が違う、だって……」
 周子は寂しげに揺れる眼差しでカズマを見下ろした。
「カズマ様、あなたは、ギャランを守るために、私を守るんでしょう」
 私を道具として使いたいのね、と周子が呟いた。
 ああ、とカズマは絶望に近いものを感じて目を伏せた。
 それこそよく研いだ刃物で胸を切りつけられた感じだった。
「私は、牙の教徒を討たねばならない」
 味方として力を貸してもらいたい、と言いかけて、カズマはそれをやめた。ミアムの召喚の種を道具として扱う、周子が嫌うそのことを既に自分はしてしまったのだと知ったからだ。渡せば分かる、そう言って葉巻を寄越した、史実に詳しい従兄弟の策略にはまったと言っても良かった。これでは協力を乞うどころか、むしろねじ伏せるという行為に他ならぬ。
 沈黙するカズマを前に、周子はもう要らない、と呟いてテーブルに葉巻の火口を押し付ける。苦くて燻い煙が一筋立ち昇り、すぐに掻き消えた。
「はん、いいテーブルね、グランツの若様、さすがお金持ち」
 焦げ痕もつかぬ堅牢な木だ。周子はかろうじて表面に残ったそのすすを指先で、つ、と軽く引いた。
「その計算づくの頭の良さはほんとさすがだわ。私を動かすために父さんの名まで語るの。似非修三を演じるの。ははん、大きく出たわね、いーい根性してる、どうせ語るんならその嘘、ちゃんと突き通せばいいのに。あんたはそのくらいの頭はある人だ、どうせならキッチリ騙せばいいのに。私は父さんの言うことなら何でも聞く」
「いや、私はただ……」
「黙って」
 ぴしゃり、と周子が遮った。
 手負いの野生の獣が見せるような、他人を一切寄せ付けぬ強烈な拒絶が対峙するカズマのその肌を焼いた。
 やってしまった、そんな実感を伴うひどく痛い空気だった。
「……全く、人を道具みたいに。……そうよ、あなたの分かりやすい、費やす金の多少で計るがいいわ、所詮は金で買える天使、召喚の種ですもの、有り余るその金で私を買いな、せいぜい丁重にかしづくことね」
 テーブルに額を付けると、頭を抱えるようにして頭痛い、と小声でうめいて。
「こんなすさんだ気持ち、分かるのは父さんだけだわ」
 そんな周子の様子を前に、カズマは息を詰めた。周子に改めてその孤独を突きつけた、それは予想以上の痛みだった。膝が震えるのを感じて、立ち上がってこのまま部屋を後にしたかった、だが、その場を離れるわけにもまたいかなかった。
 決してこんな風に周子を傷つけて利用したいとは思っていない、むしろ、五百年後のこの世界で、望まぬ相手に否応無く隷属を強要され、ひとり孤独感を強めてゆく周子を、自分の下で守りたいのだ。だが王を守ろうとする限り、一体どれほど彼女を傷つけることになるだろうか。
 ―――修三。
 カズマはなんとかその立場にゆけぬものか、と思った。
 これほどに周子に求められて。
 死してもなお、彼女をがっちり庇護しているその存在に、なれぬものか、と。

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