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[tog]55:倦厭の獣

 どのくらいの間そうしていたのか、ずいぶんと長く互いに沈黙していたような気がする、だが、テーブルに額をつけ伏せたままの周子のほうが先に沈黙を破った。
「……あっちのカタはついたわ。もちろんギャランは無事」
 その言い様は素っ気無い。やや間を開けてから、周子は血の気の引いた頬をテーブルに押し付けたままほんの少しだけ視線を上げ、反応の返らぬカズマの様子をうかがった。そして、カズマの無表情を見るなり唇が尖った。ムッとした所為で、途端にその黒目に力が戻る。
「何よ? 少しは嬉しそうにしなさいよ、あんたの望みどおり力を貸してんのよ? ご丁寧にわざわざ用意してくれた薬草まで使った、何もかもあんたの筋書き通りでさぞやご満足でしょうが。なーんかむかつくなーその態度」
 乱暴にそう言うと頭をもたげて、周子は部屋の隅に控えていたエンギワルーを呼びつけた。
「エンギワルー、私の水、替えて。冷たいやつ、レモン絞って」
 それからもう一度カズマをちらりと一瞥すると、ちっ、とはっきり聞こえる舌打ちをして。
「コッチには雑巾の絞り水」
と、彼のグラスをテーブルから取り上げてエンギワルーに押し付けた。
「目が醒めるでしょうよ。ったく、なんつーカオしてんのよ。なんでもねぇ、無表情だとか上品でそつのない微笑みだとかが通用すると思ってんじゃないわよ、私を誰だと思ってんのよ、ミアムの召喚の種、しかも、いっちばんお高い天下のタチバナ、どんな契約だってどんなに無茶で無謀な要求だってこなすことになってるんだから」
 カズマは少し嘲笑したようだった。
「それは前評判で、だろう? たまたま二度ほど上手くは行ったものの、実際のあなたは経験値の低いただの世間知らずだ」
 ぐ、と周子は詰まった。
「実際のあなたはただの、修三タチバナの娘、だ。多少見目良く出来ていてたまたまそれが王のストライクゾーンに入った、ただそれだけの小娘に過ぎないじゃないか、ここは五百年前のミアムじゃない、父親の権威をカサに着るのも大概にすべきだ、この世界であなたを守ってくれるとすればそれは唯一絶対の父親ではなく、あなたと情を交わした、あなたが自身で築いた信頼関係だけだ」
 泣いて喚いたって修三が助けにきてくれないのはあなただって分かっているはずだ、とカズマははっきりと断定した。
「私はあなたと信頼を基とした協力関係を結びたいと申し出ている、権力も、財力もある。私の庇護下にあることはあなたにとっては決して不都合なことではないはずだ」
 周子はやれやれといった溜息を吐いて、テーブルの上の自分の利き手を見た。さっきカズマが握り締めたそのままになっている。ずっと握ったままだった。
「懐柔でも庇護でも、そんな言葉どうでもいいわ。あんたは、私が泣きたいときに胸を貸してくれたし、落ち込むときや辛いときにこうして手を握ってくれる。前に蜘蛛を蹴散らしたときにとても優しい言葉をくれた、私はそれが本当は嬉しかったのよ」
 カズマは静かに重ねた手を引いた。
「好きって告白されたほうがむしろ分かりやすいくらい」
 軽く冗談めかして笑う周子、それを受けてカズマが一度目を伏せ、エンギワルーは神妙な面持ちになった。
 長年従ってきたエンギワルーには、今やカズマがものすごい勢いで周子に傾きゆくのが分かるのだ。その勢いは恐ろしく急で、不穏なほどに。
 異様な、重力めいたものすら感じるほどに。
「……ごまかしは好まない」
 冷静にカズマが答えた。
「いずれにせよ、私は自分でも非常に冷酷な人間だとは思いますが。そうですね、確かに、あなたを相手に今更本性を隠す必要もない」
「本性、ね。どうだかなぁ。言葉で聞いても信用できない」
「何が不満です?」
「隠し事。まだ私に言ってないことが山ほどある、あなたが私を信用できないのと同じね」
 途端にカズマは痛烈な表情をした、痛いところをダイレクトに突いてきた、とでも言わんばかりの表情である。
「嘘は吐いてないってあんたは言うかもしれない、嘘を吐くのと隠し事をするのとは意味が違うとか言うつもり。でも隠し事をされていたんじゃ危なくって仕方が無い、いざと言うときの判断を誤るもの。信頼関係、はあんたの態度次第」
「あなたの態度次第だろう」
「お互い様ね」
 周子は浅く笑った。
「ベースとグランツ家の関係を言え」
「聡明だな」
 周子の問いにカズマは冷静に一言そう呟いた。周子はそんなカズマの様子をじっと見詰めて。
 ミアムの係累ならば黒髪黒目の特徴を持っているはず、もっともそれは特殊な血と言われるタチバナの血系だけで、残りの大半はもっとずっと薄い灰色ではあるのだが、と周子はかつての友人たちの容姿を思い浮かべた。
 しかし目の前の、緑髪紫瞳のこの男には、それにすら程遠いことはすぐに理解できる。明らかな血の違い、ミアムという国が小国でありながら決して他国とまじらなかった理由は遺伝的に相容れないことが最大の理由なのだろうと周子は直感した。
「おそらく財力のみをごっそり引き継いだと私は思っています」
 それこそ莫大なね、と言葉を続けて、ようやくカズマはにっこりと微笑んだ。つくづく金の好きな男なのである。
「それはむしろ、ミアム爆破の混乱に乗じて強奪したに近い?」
「そんなところでしょうね」
「過去の犯罪を肯定したな?」
「五百年も経って、当事者もいなくて、そんなものとうに時効でしょう」
 カズマは悪びれることなくさらりとそう返した。
「おそらくベースが源だ……ミアムが爆破されたその混乱を機に、もともと一つのものが二つに袂を分かった、一つはグランツ家、今や世界の金融経済を仕切る大財閥。もう一つは牙の教徒、顧客に各国の王族・貴族クラスのVIPを列ね、死者蘇生を執り行う、甘美で物騒なカルト集団。この二つは全くの別物、この五百年もの間一度も交わることがなかった」
 そう言って、だが、と短く言葉を転回し、カズマはゆっくりと顔を上げると正面から周子を見つめた。
「実は私、牙の教徒の総裁でした」
「は?」
「十年前までは。いわば、抜け教徒、追われる身です」
「若ッ」
「口を出すな、エンヴィ」
 焦って短く遮ろうとしたエンギワルーを、ぴしりと厳しく一喝して。普段仏頂面のエンギワルーには珍しく二言も三言も文句のありそうな表情だったが、カズマはそんな彼を鋭く制するとメガネの奥の瞳をほんのりと細く引いた。
 なんだか甘くて優しい、とてもいい表情だった。
「今から十年ほど前のことでしたか。事情を話したのですよ、直接、ギャラン様に。その御誕生の折に、サーデュラスが御身に呪を掛けた、とね」
「……。でも魔除けなら良いアイテムなんじゃないの?」
「ええ。魔除けです。ギャラン様の身を守るためのものです。ギャラン様がまこと王になったときに発動する呪、ギャラン様のその命を奪い死者蘇生の生贄とするためのもの。生贄として御身を行使できるようになるまで、断固としてその身を御守する、そのための魔除けです。殺すために守る、そんな魔除けです」
 サーデュラスとは前王陛下、ギャラン様の実の血を分けた御父上様です、とカズマはしっとりとした落ち着いた声で続けた。
「私はその誕生の折から、ずっとギャラン様を見ておりました。もっと正確に言おう、監視していたといっていい。年の頃は十かそこらの、まだ幼い王子は屈託無く私の後を追って来たものです。この宮中で比較的年が近く、また身分が近い……つまりは周囲が、国王の正嫡王子が親交を持つべき相手として認めるに最も相応しい人物、それがこのガーナで最も権力を有する貴族、グランツ家の宗主の正嫡にして次代宗主たるこの私だったわけです。ギャラン様のお側近くに御仕えするのに、即ちその成長の様を監視するのに、万事都合が良かった」
 そう言ってカズマは目を細める。なにか懐かしくまた眩しいものでも思い出すかのように。
「ギャラン様は、まこと、可愛らしかった。出自は国王陛下の唯一の正嫡、周囲の者共に大切にかしづかれ、怖いもの知らずでまっすぐにお育ちになられた。生まれ持ったキラキラと輝く見事な金髪は幼少の頃から人目を惹き付けましたし、鮮やかなブルーの瞳も珍しく、整ったその精悍な面立ちはまこと人心を捉えた。臣下にも民衆にも、王子としての人気は高かった。誰もが王子を好いていたし、王子もまたそれを疑ってはいなかった。ギャラン様ご自身、誰にでも受け入れられるとそう本心から思っていたのは明らかでした。この可愛らしい人の存在を、その誕生からそもそも間違いだと、言ってみたらどうなるだろう、と思ったのですよ」
 なによそれ、そんなことになんの意味があるのよ、と周子は不快そうに口を挟んだ。カズマの性格ならばむしろ一切を黙って、着々と時が経つのを、目的の用を為し得るまでじっと成熟するのを待つのではないのか。
 そう言うと、カズマは、ああなるほど、やはりあなたは私の本性を分かっていないな、と微笑んだ。
「厭きる、というのは深刻な病のようなものでしてね」
 カズマはそう言葉を切った。
「十……十数年にもなりますかね、それほどもの間総裁やってますと、厭きるんですよ。ええ、厭きた、それが本当の理由です。やり尽くして、厭きたのです、牙の教徒の総裁という立場にすら」
 そう言ってカズマは軽く腕組みをして一方の指先を顎下に掛けた。
 落ち着いたカズマの仕種、だが告白するその不穏な動機に周子は小さく喉を鳴らした。
 可愛いから、周囲に愛され真っ直ぐに育っているからこそ、いじめてみたくなった、と言うのである。自分が退屈だったから、と言うのである。その誕生、つまりは存在自体を否定するような内容を、ほんの幼い子供の王子に対して話して聞かせたのだと、カズマは言うのだ。己の倦厭を紛らすただそれだけの為に。
「私は物心ついた頃から、牙の教徒の総裁という立場にありました。選び抜かれた、ごく限られた人間のみが立ち入ることの出来る秘密のカルト教団、それは世間の一般常識からかけ離れていればいるだけ、血生臭くて淫らな恍惚があればあるほど、奇妙なほどむしろ却って現実感が増す。いかにも密室でカルト的な、生贄を使う儀式も残虐な行為も淫らな行為も、すべては総裁である私が指示をしていましたが、それにすら、私はもうどうしようもなく厭きてしまったのです。厭きた、あなたには分かるまい。退屈と言うのはまこと、始末の悪いものです」
 まさに心を蝕みゆく己の強烈な倦厭感、それに堪え切れず、とうとう十年前のあの夜、わずか十歳の少年、ギャランの幼く眩い魂に手を出したというのである。

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