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[tog]56:御し難い情熱

 月どころか、星一つ瞬かぬ墨色の天が、どこまでも深く広がっていた。深夜をとうに過ぎている、無論、子供の出歩く時間ではなかった。
 カズマはギャランを目的の地まで連れ出すと、近くの木に馬をつなぎ、懐から取り出した頭巾をギャランに渡した。
「王子、ではこれを被ってください」
「マジで? ずいぶんへんてこな集まりなんだな」
 ―――へんてこ……
 幼いその言葉を窘めるかのように、カズマはにっこりと一度微笑んで。
「互いに秘匿しあわねばならぬ身分の高い方々が集まっておりますゆえ。ガーナに限らず、セリアの貴族高官も多く含まれているかと」
 目にあたる部分に二つ穴が開いただけの、茶色い三角の布で出来た頭巾を頭からすっぽりかぶり、少年ギャランはうっとおしいなァとうめいた。
「さあ、これより先はくれぐれもお声を発しませぬよう……王子の場合はその鈴のような美声ですぐに素性がばれてしまいますよ。つまりは……そのお声に覚えのある者がそこかしこにいるということでございます。悟られぬよう、お気をつけなされませ」
 ギャランを促し、彼が逃げ出さぬようぴったりとその後ろに付き従って、カズマは重い鉄の扉を開け地下へと続く階段を下りてゆく。地中深くへと続いた石の階段、行き着いた先の扉をゆっくりと押し開くと、湿気って澱んだ空気がねっとりと肌に絡んだ。
 その正面の薄闇の向こうに不気味な回廊が続いているのが見える。
 数歩歩いて後、むせるような血臭が闇の向こうに濃く漂っていることを察したカズマは、遅かったか、と頭巾の内で低く舌打ちした。
 生憎、余興は終わってしまっていたらしかった。
 凄惨な、血生臭い生贄の儀式の光景、幼いギャランにこそ彼のその年相応の幼い人生ではまず見たことがないであろうそれを見せたかったのだが。
 人目を盗んで王宮から王子を連れ出すのに、予想以上に手間がかかったのだ。

 回廊を抜け、また扉を開けた。広間だった。その床に、なにか違った色のものが敷かれているのが見てとれた。大量の砂、いや、砂ではない、灰だ、しかもただの灰ではない、死体を焼いたときに残る、あの灰だ。大量の遺灰が、撒かれていた。
 その灰を見て、カズマは今度はあからさまにちっ、と舌打ちをした。
 ギャランにも聞こえるほどの舌打ちだった。頭巾を被ったギャランがこちらを見上げてくるのが分かったが、カズマはそれを無視した。
 黒いローブを目深に被った男が、ひたりと刃物でも首筋に当てるかのような嫌な寄り添い方をした。カズマは不快そうに一度頭を振るとその男から半身を引いて低く声を掛けた。
「死者の灰を混ぜたのか?」
「……蘇生に失敗して、皆あきらめた。もういいから好きにしてくれと多額の寄付金を押し付けてそそくさと帰っていった、興ざめだ」
「あれは?」
 カズマが広間中央に向け顎をしゃくった。
「あれは、ひとり余った生贄の女を好色な連中がただ遊んでいるだけだ。今日はもうすっかりお開きさ、来るのが遅い」
「余った?」
 男は軽く肩を竦めて見せた。ローブの奥で浅く笑ったようだった。
 広間の中央で、男が三人、こちらに背を向けている。その誰もが頭にすっぽりと頭巾をかぶっていて、一人は床に膝をついた状態で腰を動かしていた。他の二人はその両側に立って、それを眺めている風だった。真中のその男の両脇からは女の白い足が力なく突き出している。
 男が腰を引き寄せるたびに、女の短い声が上がった。嫌悪の悲鳴かと思えば、あらぬ色がある。やがて悲鳴とも懇願ともつかぬ啜り泣くような声に変わり行き、次第に女の弾んだ荒い息が辺りを淫らに擦り始めた。
 何か一服盛られているらしい女の熱の帯び様は尋常ではなく、長い髪と白い肌が灰にまみれたその姿は何か異形の獣のようにも見え、身を捩って快楽を乞うその啜り泣く様と絹を軋ませるような喜悦に満ち満ちた女のよがリ声に、カズマはギャランの肩が強張ったのを察した。
「こういう淫らな行為には御身は熱くなりますか?」
 ギャランのその耳元に小声でそう囁きかける。
 それは甘く痺れるような、背徳に満ちた悪魔のささやきだ。そんな声の出し方もカズマはよく心得ている。
 この声で、どれほど多くの者を篭絡してきたことであろう。
 そして、今宵の獲物はこの見目麗しき怖いもの知らずの王子である。

 やがて広間の中央で行為を眺めていた二人の頭巾男が、足下の灰をかき集め恍惚と喘ぐ女の口に次々と詰め込み出した。
 激しく咽ぶ声が響く。灰が酷く喉に張り付くのか、つい先程まで上がっていた恍惚たる喘ぎ声がみるみるうちに苦悶のそれに変わりゆく。男が激しく腰を揺すって執拗に強く突き上げ、短く低い声を洩らした、女が最後の一呼吸を欲して大きく肩を揺すって男にしがみつき、一声ひどい嗄れ声で喘ぐと、不意に咽ぶ声が止んだ。力ない両足が、だらり、と下がった。
 ギャランの背が嫌悪に固まったのを察して。
 カズマはギャランを促し広間を抜け、最奥の部屋へ入ると、ここは牙の教徒の総裁の私室です、と冷えた声で告げた。
「いえ、ここでもその頭巾は取ってはいけません。牙の教徒の総裁の私室ですが、誰が入ってくるとも限りません」
 カズマの制止を聞かず、ギャランは頭巾をとった。
 さらさらとしたあでやかな金髪に、澄み切った青空のような青い瞳、少年らしいやわらかそうな血色のよい頬。
 ぼんやりとランプの光をひとつ点しているだけのこんな薄暗い部屋でも、その美しさは少しも損なわれぬ。いや、むしろ一層の輝きを誇るかのようだった。
 カズマはつ、と瞳を細く引いた。
 現ガーナ国王のただ一人の正嫡、まさに見目麗しい輝かんばかりの美少年、将来を嘱望された、屈折を知らぬ王子。周囲の臣下に大切にかしづかれ、人に好かれる美しい王子である。
 このまぶしさ、まるでそのままこの王子の魂のようである、と思うと、その汚し甲斐にカズマはゾクゾクして。身の内に巣食う、己を倦厭せしむる何かが、ふつふつと煮えたぎるようで、この時ばかりは―――圧倒的な快感だった。

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