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[tog]58:来い!

 来い、と言ってギャランは部屋のドアを開け、堂々と総裁の私室から出て行こうとした。
「お、王子、頭巾を」
「要らぬ! ダレがかぶるかそんなへっぽこ帽!」
 湿気った石の廊下にへっぽこ帽、という音が妙に音高く響いた。
「なりませぬ、ここで下手に騒いでは御身が」
「バカ言え!」
 ギャランはくるりと振り向くとカズマを見上げた。
「身が危ないのはお前の方だ! カズマ、お前は今日でこんなへんてこな集まりとはおさらばだ、総裁も辞める、総裁をやって悪いとはおれは一言も言わぬ、だが、おれに仕えるには、二足のわらじは無理だ。総裁やってる暇はねェぞ、ルドルフにも言っとけ、大事な一人息子のカズマは当面家督を継がぬ、おれの世話に追われててんてこ舞いでそれどころじゃあない、ってな、そのどえらい情熱でおれに尽くせ!」
 ―――へっぽこ? わらじ……?
 矢継ぎ早のギャランの珍妙な言葉に、カズマは激しく混乱した。
 すぐに騒ぎを聞きつけた牙の教徒ら、頭巾をかぶった者どもが廊下に集まって来た。
 総裁が、抜けるだと? 許すものか! 死だ、制裁あるのみだ
 怨念のこもった異様な熱気がたちまちのうちに狭い回廊の澱んだ空気を不穏に染め上げた。
 この瞬間、自分達こそがこの日最高の余興になりつつあるのをカズマは知った。
 時を移さずして剣を手に現われた者どもを見て、カズマはなんともいえぬ不思議な気分になった、討たれるのだろう、と理性では思うものの、だが、この目の前のわずか十歳の少年がここから連れ出してくれるにちがいない、という奇妙な確信があった。
「剣! お前の腰の! よこせ!」
 そう言って、この夜帯剣していなかったギャランは、無作法にもカズマの腰の剣を勝手に抜き、そして眼を丸くした。
「なんだおい! ずいぶんななまくら刀だな!」
 それはそうである。
 文人のカズマが帯剣しているのはほんのお飾り程度のものである。グランツ家次代宗主たる立場ともなれば私設の護衛がつきこそすれ、己の剣の腕など些かも必要としないのである。
「ほんとにお前はつかえねー!」
 大いに笑ってギャランはその剣を床に叩きつけた。
 音だけは、いっぱしのいい音がした。
 ギャランは丸腰ながらに物騒なその連中と真正面から対峙して。
「おれはギャラン・クラウンだ、ガーナ国王、サーデュラスの嫡男、見目麗しき美貌の王子だ! さあ、おれは剣は強いぞ! 師匠はガーナ一の剣豪エロック・スレルムだ。やる気ならば剣を寄越せ! いっとくが、おれは腕もクチも立つ、ついでに先日あっちも勃つようになったぞ! これでおれはいっぱしの大人だ、文句あるか!」
「ギ、ギャラン様?」
 きりりとした口上に、何か余計な一言がついて台無しだった。
 笑う場面では決してない、と思うのだが、その無邪気な自慢にカズマはつい笑った。
 その勢いが、圧倒的に愉快だった。
 ギャランが腰に手を当て堂々と周囲を睨む。
「さあ、おれに手を出すか? おれを殺してみろ、サーデュラスが黙っちゃいないぞ! 収穫前の実りを摘み取って、欲張りなあ奴が黙っていると思うか! 命知らずがあらば今すぐ名乗りをあげよ!」
 ギャランが一歩足を踏み出す。取り囲んでいた連中が一歩後退る。
 圧倒的な威圧感だった。
「ではこの男は確かにおれが貰い受けた。これについては一切の文句は受けぬ、総裁だったかなんだったかは知らぬが、以後こやつに手を出せば、おれが許さぬぞ、ぶち殺す! 分かったな!」
 分かったら道を開けよ!
と高らかに叫んで、ギャランは周囲の輩を蹴散らした。
 言葉も振舞いも派手だったが、何よりその気迫が、ど派手であった。
 ほんの十歳の少年が繰り出す、怖れというものを些かも知らぬその口上がなんとも愉快だった。
 驚くほどすんなりと退路が開け、カズマはギャランに手を引かれ牙の教徒の巣窟から外へと出た。
「お前の方がでかいがおれが前だ、手綱はおれだ! おれの腰につかまれ!」
 言われたとおりに馬に跨る。なんだか奇妙なタンデムだった。
 つないでいた二頭のうち、一頭は無残に斬り殺されていた。
 最初から、ギャランだけは逃がすつもりだったらしい。まさかギャランがこれほど断固としてカズマを連れ出すとは思っていなかったようであり、また、サーデュラスの生贄への配慮、サーデュラスが牙の教徒にかなりの意志を押し通しているのがはっきりと分かった。
 サーデュラスの大切な生贄であるギャランに対し、カズマは挿げ替えの効く総裁、どうでも良い捨て駒、ギャランの背につかまり馬に相乗りしてカズマは、牙の教徒の総裁としての自分にそれこそ本当に急激に熱を失われていくのを感じていた。
 背後に不穏な気配はあったが、ギャランがいる限り、あえて手を出してくることはなさそうだった。
「サーデュラス! おれを殺そうとしている男に庇護されるとはなんとも愉快な気分だな!ざまあ見ろ、だ!」
 軽快に馬を駆りながら、ギャランは笑っている。
 少年ならではの強さがあった。

 カズマはこの強さを誰にも手折らせたくないと思った。

 馬上で仰ぎ見た、陽の昇りゆく天は白く赤く、実に壮麗な美しさだった。
 実に爽快な気分だった。これほど愉快な気分を味わったことはなかった。
 馬上で振り向きニッカリ笑うギャランは全く以っていつものギャランである。
 ああそうか、この王子を自分はとても好きだったのだ、とカズマはようやく知った。

 やがて王宮に馬で乗りつけたギャランはカズマを背ろに従えどかどかと宮中を歩いてゆく。
「父上!」
 ギャランは勢い良く執務室のドアを開けた。
「やあ、これは王子」
 サーデュラス国王陛下が執務室のデスクから立ち上がり、満面の笑みで出迎える。
 宰相アシューや他の臣下たちが、これまた笑顔で迎え入れ、深く頭を下げた。
 それはまさに輝く将来を約束された、見目麗しい王子殿下を取り巻く美しい光景である。
「どうかしたかな? 王子」
 慈愛に満ちた穏やかなサーデュラスの問い。昨夜の一件は既にサーデュラスに伝わっているはずである、その上でのこの満面の笑顔を見れば、不問に附した、というのが言外に判る、つまりはそれほどにまだ強く執拗に、サーデュラスは生贄の王子を要求しているということに他ならぬ。
 カズマは自分が致命的な過ちを犯したことに気づいた。
 後年かほどに愛しいと思うようになる王子を生贄と定めたこと、そんな十年も前の、予想だにしていなかったことを、だが今更あやまちと思う。

 どうしたらよいか分からぬ、痛烈な痛みだった。

 席を立ったサーデュラスが、数歩、ギャランへ寄った。ギャランは威厳と慈愛に満ちた様相の父国王の前まで来ると、真正面から見つめて、一言。
「おれは王にはならん!」
 そして、にやっと笑って一瞬の後、どおりゃあ! と気合の入った掛け声一発、国王の腹に思いっきり蹴りを入れた。
 ものすごい勢いで国王は執務室の壁に激突した。
 天井が揺れ、掃除の行き届いているはずの執務室に埃が降った。
「どうせ貴様は前から気に食わんかった! 今日はずいぶんと良い日だ、サーデュラス、もうこれ以上の干渉はお断りだ! あの縁談もお断りだ!」
 ビシィ! と指を突きつけそう宣言すると、激しく背を壁に打ち付け床に倒れ呼吸困難に陥った父王サーデュラスの胸倉をつかんだ。
 その首に一筋の細い鎖を見て。
「ははあ、カズマ、こいつだな、その魔寄せとか言う奴は!」
「……魔除け、でございます」
 カズマは、ギャランのこの言葉にどっと冷や汗が出た。
 やけにすんなり話を飲み込んだと思ったが、やはり、飲み込んではいないらしい。
 訂正する舌の根も渇かぬうちに、それが宙に放られる。
 きらりと銀に輝くそれをカズマは慌ててキャッチした。
「お前がかけろ!……よし、お似合いだ! 次!」
 ギャランはくるりと踵を返し執務室を出てゆく、慌ててカズマがそれを追った。
「遅い!」
 圧倒的な勢いだった。
 馬にひらりと跨ると、ギャランはその足で血盟砦に向かった。

「エロック! エロックはいるか!」
 王子の突然の来訪に、不寝番の衛兵が飛び上がって奥へと駆け込むや、すぐに岩のように大柄で頑強な肉体を持つ男が飛び出して来た。
「エロック! おれはとうとうサーデュラスを蹴っ飛ばしてきたぞ!」
「なんと!」
「ハリーはドコだ! 呼べ、この賭けはおれの勝ちだ、おれは国王陛下様様を蹴っ飛ばしたんだからな! ハリーの腰の名ヒューラ、これでそいつはおれのもんだ。誰だ、おれがまっとうな王になるものだと期待しくさった輩は! さあ、今日が最後だ、貴様らにはとりわけ世話になった、善良なる王子殿下に最後の別れの挨拶をする時間をくれてやる!」
 晴れ晴れとした、まさに怒涛の勢いの口上である。
 ややして、ハロックが奥から転がるように出てきた。
 その髪はしとどに汗で濡れ、シャツは慌てて羽織ったらしく、胸板が全開、ズボンのファスナーも上がりきっていない。息子のあられもないその恰好に、くわっ、とエロックの瞳が怒りに見開かれるのをカズマは間近に見た、それはガーナの武神ではなくまさに怒りに身を震わせた悪鬼そのものの表情だった。
「おう、朝っぱらからオンナたぁ、相変わらずいいご身分だな、ハリー! なあ、ハリー、おれは、キラッキラのエンジェルボーイだとよ! えらく愉快じゃネエか!」
 事情を知らぬハロックにとってはまったく意味の呑めぬ、まさに晴天の霹靂たるギャランの言葉である。
 カズマの知らぬところで、もうずいぶんと頻繁に出入りしていたらしく、いつのまにやら、ギャランはここ血盟砦の中に己の部屋を持っていたようである。出迎える兵士どもの熱烈歓迎ぶりを見れば一目瞭然、ギャランはここでも非常に好かれているのが判った。
 ギャランの姿に最敬礼をする兵士達、だが、ギャランがさぞ親切そうに手を引いてやっているのが、戦とは最も遠いところにいるような優男、グランツの貴公子であるのを知るや、前線基地では普段滅多に見ることのないその姿をしげしげとものめずらしそうに見つめて寄越した。
 ギャランは居心地の悪そうな、途方にくれたようなカズマの表情を見て、ニカリ、と笑った。
「お前、水臭いな! おれは物心ついたときからお前と遊んでいたろう! なんでいまさら生贄だなんだとそんな些細な、下らぬことでお前がうだうだ悩まんとならんのだ、おれは王にならんし、今日を限りにお前以外の人間とも話をしない。これでいいんだろ、気にすんな!」
「些細? とんでもない、王位を捨てるなぞ……」
「貴様、改めておれに死ねと言うか」
「滅相な。とととんでもない」
「なら余計な口を叩くな。王の身分よりおれはお前の方がずっと好きだ」
 王にならぬおれはキライか、と問われてカズマは慌てて首を振った。ふむ、とギャランは納得するようにひとつうなずいて。
「おれはなー、実はかねがね、あのサーデュラスが嫌いだった」
とギャランは言った。
「なんか偉そうで? いつもおれはいい奴だって言ってるみたいで? やたらとおれには親切で? 下心アリアリな。癪にさわるっつーの?」
 実にいい勘をしている、とカズマは思った。
 ギャランの天性の強さはこの勘に素直に従うところだと知る。
「まあ、とにかく。おれは親父ってぇのはここのエロックみたいな奴のことだと思っているからな! サーデュラスはおまけにこんな若いおれに結婚しろだとよ! セリアの皇女との縁談の話はお前も聞いているだろう?」
「ええそういえば……」
 そういえば、王子には縁談話が上がっていたか、とカズマは思い出した。王位を継がすべく、サーデュラスがやけに乗り気で勧めようとしていたのだ、まだ年若に過ぎると反対した一部の良識ある臣下は既に粛正されていた。
「おれはこ・れ・か・ら・女遊びを始めるのだ、結婚なぞ冗談ではないぞ。なんてたっておれの相棒はちょいと前にようやっと役立つようになったばかりだからな! これでおれも男だ、あんなエロっこハリーなぞには引けを取らぬ! なんでもチンで千人斬るんだそうだぞ」
「………………」
 一体王子に何をお教えしているのか、とカズマはがっくりと肩を落とした。
「ハリーの腰の剣を賭けて一博打してたのさ、おれが縁談を破談にし国王陛下様様を蹴れるかどうか、ってな、どぉせ蹴るなら蹴り殺す気合がねぇと。おい! ハリー! お前!」
 遅れてギャランの私室に姿を現したハロックの顔面は、どっぷりと血にまみれている。額が大きく割れているようだった。
「ハリー! ずいぶんオトコマエになったじゃあねぇか!」
 ギャランが喜声を上げると、ハロックは顔面蒼白となって深々と額を床に擦りつけた。
 毛足の長い高級なじゅうたんが、無残に血に染まる。
「先程、ち、父に鉄拳制裁を。あー、あのー、まこと申し訳ございません。私がむやみやたらに焚き付けたばかりに……あれはほんの冗談のつもりだったのですが、まさかその……本気になさるとは……」
「気にすんな! オトコマエなお前が見れて、おれは楽しいぞ! それにおれがサーデュラスを蹴ったのは何もお前が焚き付けたからではない、ここに、ほれ。とんだ爆弾王子が控えているだろ!」
「は?」
 ハロックが全く理解できぬといったきょとんとした表情でギャランとカズマとを交互に見比べた。
「グランツの貴公子、カズマ・フォン・グランツが何か?」
「エロックに半殺しにされるなら、こいつもお前と一緒に鉄拳を食らうべきだ! カズマがおれにサーデュラスを蹴り殺せ、と」
「いいいいい言ってません!」
 カズマは慌てて手を振った。
 先程のエロックの恐ろしい形相を思い、カズマは必死で否定した。あの恐ろしさは理屈抜きでとにかく怖い。
 大体だな、とギャランはそんなカズマを見て笑った。
「お前みたいな若いもんが、退屈だと! 笑わせるじゃねぇか!」
「……………ええと、私、あなたよりもずいぶんと年上ですが」
「心配すんな! おれが毎日、お前を困らせてやる」
 キッチリホネの髄まで愛してやるからさ、とギャランはカズマをぎゅっと抱きしめる。竦むカズマが見たのは呆気にとられたハロックのまん丸の鳶色の瞳。
 昨夜からまさに怒涛の勢いだった。
 面白かった。
 これほど愉快なことはかつて無かった、こんな芯の強い、真っ直ぐな男が国王だったらどんなに素晴らしいだろう、そんな理想が脳裏を過ぎり、甚だしい矛盾だ、と思いながらも、カズマはその瞬間それを強く望んだ。

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