コハリトりみっと
長編恋愛FT「タトゥー・オブ・ギャラン」がメインの小説・雑記サイト。
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周子の姿を見るなり腕を引き、抱き寄せようとしたギャラン、みぞおちに思いっきり周子の膝をめり込ませ、うぐぐ、とうめいて身体を二つ折りにして頭を下げた。
その金髪の中からレフトとライトがひょこりと姿を現す。
「な、なにやら、知らぬ間に良い物を借りたらしいな?」
うめきながら笑って、だがどこか神妙に、そして愛しげに、その胸の内に何かを探るように周子を見る。
「すげー活躍してもらったぞ、おれの出る幕が無かったくらいだ」
「ええ。小物は小物に任せておけばいいのよ」
ララクロノフとまるで同じ台詞を吐いて、周子はギャランの金髪の中からハンズを取り上げたが、すぐに露骨に不快そうな表情をした。
「ハンズ、手洗っといで。……ああ汚ね」
「おまっ!……懸命に働いてきた使役獣を労われねぇのか! きたねぇってなんだそれひどいじゃねぇか。おれは今すげービックリしたぞ」
うるっさいな、あんたも十分汚いよ、と周子は一蹴して。
「あれでなかなか強かったでしょ。なにせ父さんのお気に入りの使役獣だし」
「魔物っつーのはいつもあんなもんか?」
「物騒なもんよ」
「つーこた、それを使うお前も相当物騒だな?」
「ご名答。その目で見て実感した? だから早いうちに手を切りたいと私は言ってたのよ。私なんかとつるんでいたってろくなことにならないんだから」
その言葉にギャランはたちまち寂しげな表情をした。
「……あんまりそう突き放してくれるなよ」
はーあ、こんなに身を尽くして働いてきたのにつれねぇなァ、どうやったらおれがお前の味方だと思ってくれるんだろうな、と言ってギャランは大きく肩を落とすと、血にまみれた革のジャケットを脱いで床に落とした。
「おれの扱い、まるでハンズ以下じゃねぇか」
がっかり、とひどく重たい文字ブロックを頭の上に載せでもしたかのような、そんな感じで背を丸め深く息を吐くギャランを前に、周子はちょっと冷たかったか、と口の端を下げた。
これだけの返り血を浴びているのだ、大変だったには違いない。
だが、どうにもねぎらう言葉が出てこない。寄ればもっと寄りたくなる、心よりも腕の傷が、一度抱かれた肌のほうが先に反応する。だからなお一層、反発せざるを得ないのだ。ついこないだ、わざわざ自分で王宮にまで出かけていって、元通りに接する、って確約させたのは誰だったろう、と周子は己の下唇を噛んだ。
決してあれは無理矢理ではなかったと周子とて分かっている、確かに最初は戸惑いはしたが、悪くはなかった、いや正直、気持ち良かった、だが。
だが同時に、それはタトゥーがあったからこそのことだと、タトゥーの所為でつい赦すそんな気分になったのだと、それとて分かっているのだ。だからギャランを責めるのはひどい不当なことのようにさえ思える、怒りを向けるべき先はタトゥーの呪そのものだ。
―――そもそもあれはそういう仕組みなのだ、ただそれだけのことだ
とにもかくにも、あの夜のことは一切合財、水に流すべきなのだ、と強く黒髪を一度揺すって、周子は心の中のリセットスイッチをまた押した。実はもう何度押したか知れないのだが。そもそもあるのかどうなのか、押したところでそれが効く、のかどうなのかも分からないのだが。
「ハンズが自分たちから、あなたのところへ行って来たい、って言ったの。他人に興味持ったのなんて初めてなのよ、やーあんた、好かれてんのかしらね、意外」
「いや?」
ギャランは首をもたげにっこりと微笑んだかと思うと、周子にずい、と一歩寄る。唇が触れそうなほど近くに顔を寄せ、もう一度にっこりと笑った。満面の笑みだった。しょげ返っていたのが、たちまち上機嫌になったようだった。
「おれを主と認めたのさ、お前のな?」
「はは、まーった何言ってんだか。さては頭打ったな?」
「ハンズは、口が利けるんだな、トリ同様」
「えっ、喋ったの? あんたに? そりゃ珍しいよ! ハンズが主以外に話すなんて!」
あり得ない、と黒目をまん丸に見開いて驚いている周子のその反応に、ギャランは、んーんん、と上機嫌に喉の奥を鳴らした。
「奴らのドコに口があるのかってのは、甚だ疑問だが、んなこた、どーだっていい」
周子は、間近に自分を覗き込んでくる青い目がますます上機嫌に細められ、形良い唇が不敵な笑みを浮かべるのを見た。
「つ・ま・り・は、だ。客観的に見ても十分お前はおれの物だってこった、分かってないのはお前のその変に賢い頭だけだ、だがそれならそれでかまわねぇ、キッチリその肌に教え込むだけだ」
来い、と強く腕を引かれて。視界が転じたかと思うと、ベッドに組み敷かれている。
「ちょ、ちょっと!?」
「お前のアノときの、めちゃめちゃかわゆい表情を、おれ以外にも見てたやつがいるんだとさ……」
「アノときッ?」
「イッタだろう? おれに抱かれてさんざん、な?」
「さささ、さんざん、って……ちょっ!」
熱い吐息で迫ってくる。耳元にキスされて周子は慌ててギャランの胸板を押した。
「やめて、こらっ、やめろっ! あほ! 寄んな、ばかッ!」
お前はおれにベタボレだそうだ、とギャランは周子の耳に細く囁き入れて。睫毛が互いに触れるほど近くに迫って、犬かなにかのように鼻面を擦りつけてくる。
ああ、なんていうか、いい匂いだなァ、ひと暴れすると、つくづく女が欲しくなるもんだなァ、とギャランはやけに男くさい言葉を吐く。
途端、堰きを切ったかのように好きだ、好きだ、と、かき口説く。
周子の戸惑いを一気に押し流すかのような勢いでかき口説き、お前を抱きたい、とあられもない言葉を吐く。
「お前のしっぺ返しにガラにも無くずいぶん落ち込んだものだが、まんざらでもなかったと聞いておれは今大変にごキゲンだ。あいにくおれは立ち直りが早い。不都合なことはすぐに忘れることにしている。そして気に入ったことはずうっと覚えておくことにしてるんだ。旨い酒も、お前のカラダもな」
「みみみみみてたって……だだだれかな……聞いた、って何?」
「ははん」
ご機嫌な様子でギャランは周子の唇にキスをする。周子は慌ててその胸を押し戻したものの、ギャランの手が巧みにそして遠慮なく服の裾からもぐりこんできてやわやわと胸を揉み解す。
周子は、駄目ッ、と叫んで真っ赤になってシャツの上からその手を押さえ込んだ。
「わかった、か、カズマ様!?」
「キタ。キマシタ。いま、どえらくがっつーんと」
「ななな、なに? 主語、主語は?」
「今このタイミングでその口からあいつの名が出るとおれはどえらく嫉妬する」
ギャランは嫉妬に揺れるきつい眼差しを半目に伏せるとおもむろに周子の首筋を強く吸った。
「いたっ!」
思わず周子がひとつ高い声を上げた。
「いい。そーゆー声……お前、いーいオンナだなァ、ったく、お前の妖艶さに身も心も奪われて際限も無く朝までその身体を手離せそうに無いな」
そう囁きながらするりと周子の両腿の間に指先を滑り込ませ、ショーツの上からなで上げる。飛び上がらんばかりの勢いで周子が身体を捩じらせ抵抗した。
「はわわわわっ……ちょ、ちょっと! あんた懲りてないのッ!」
「懲りる、ってなにが?」
抗う腕を押さえ、再びしっかりと周子をベッドに押し付けると、文句を言おうとするその口をキスで塞ぐ。
「失礼ですが!」
カズマがごほん、と大きく咳払いして割って入った。周子が首を捩れば、つくづくあきれ返ったような表情でベッドサイドに立ち腕組みをしている。
「人のことを無視して、なに始めようとしてるのですか、ギャラン様」
「決まってんだろが! セックスだ!」
「セッ!……」
ストレートな回答にカズマは一瞬二の句を失って。だがすぐにひとつ咳払いをすると強く頭を横に振った。
「失礼な。そこは私のベッドです。よくもまあそんな血まみれで。勘弁して下さい」
「お前のベッド?」
ギョッとしたようにギャランが身を起こす。くるりと周囲を見回して。
「まじで!? なんでこんな深夜に周子がカズマの寝室にいるんだ!」
一体どういうことだ、おれは非常に気に食わねぇぞ、とギャランは周子に迫った。
「いやあのそれは……」
しどろもどろに周子が身体を起こし、すでに下ろされてしまっていたスカートのファスナーを引き上げ、ホックを留めた。
「別に子供じゃああるまいし。大人の男女が、深夜に何してたって良いではありませんか」
「か、カズマ様?」
思いも寄らぬカズマの返答に周子はビックリしてカズマを見たが、あいにくランプの光がメガネのグラスに反射してその目の表情はまるで読めなかった。
ナンダト? とギャランは一度その青い目をぱちくりとさせ、途端に不機嫌丸出しになってカズマを睨んだ。
「てめーはどうせ勃たねーんだろ、女嫌いのクセに。お前が周子を抱くなんざ到底想像がつかねぇ! ふっざけんな、なにが大人の男女で深夜だ、こんの勃たずペニ……」
カズマは大きく咳払いしてその不適切ともいえる言葉の続きを遮った。
「そもそも私が女を抱かない理由が、身体的な不能によるものではないと申し上げればよろしいか? 周子に聞くといい、今宵は二人で大人の深夜の遊戯を楽しんでいたのです、二人でするならそれこそいろいろやり様がございましょうに」
「ナンダト! おまおまおまおままさか……」
カズマはわざとそういった台詞回しでギャランを軽く動揺させると、改めてキッ、と周子を睨んだ。
厳しい眼差しで見下ろし、問う。
「周子、聞きます、答えなさい。王にいたずらされましたか、寝てるときに? あなたの仰る、マジックペンやスナック菓子以外の、もっと快感を伴う、そんないたずらを?」
「ああああの……」
周子は真っ赤になって、壊れた人形のようにしきりに首を横に振りながらベッドから下りようとしたが、ギャランに片肩を掴んで強く引き戻され、再びベッドに仰向けに沈み込んだ。
「ふわあっ、ちょっ、やめっ……!」
「ガッツリ抱いたぞ! 周子は正真正銘おれの女だ」
しかもおれがハジメテだった、と言い出したギャランに、周子が羞恥に満ちた悲鳴を上げた。
「驚きました、いったいいつの間に。油断も隙もありません」
ぴしゃり、と言い捨てる。矛先はギャランへと代わったようだった。
「王はそんな様だから女にだらしが無いといわれるのです。だからたやすくイーズリー卿ラインハルトなぞにつけ込まれるのです、こともあろうにあ奴は養女セサメイ嬢との縁談を持ちかけてきているのですよ、あなたがいつぞやつまみ食いをしたからです、仕組まれた火種にあっさり火を点す、のちのち消し伏せるために奔走するわれわれの苦労を少しは思ってください!」
「あんたの関心はそこかーッ!」
ベッドに仰向けに、ギャランの身体に再びがっしりと組み敷かれ、周子は抗議の声を上げた。
「フツーはちょっとは女の私の方をフォローするんじゃないの!? 私はこのエロ男に無理矢理ヤら……」
「お黙りなさい。女性がそうはしたない言葉を使うな」
周子をぴしゃりと遮ると、失礼、と一言短く断って、カズマはギャランの襟首を引っつかんで無理矢理に引き離し、ベッドから床へと引きずり下ろした。
「あなたは先日私を非難しました、好きでもない女を権力調整のために抱かせていると。それほどに楽しんでおいて、何をいまさら仰るのですか! そもそもあなたはそちら方面のことに飽きるということが無いのですか、全く次から次へと、女という女、此の世の女を片端から。本当に節操が無い」
まさに矢継ぎ早に具体的な事例を上げつらい辛辣にギャランの手癖の悪さを非難した。まるでその不誠実さをこそ周子に説明するかのようなしつこさだった。
まるきり図星なのであろう、うぐぐぐぐぐ、とギャランは一言も返せずに唸っている。
―――まじで夜のお花畑なんだ、このバカ!
それを聞く限り、日頃からギャランは相当に手癖が悪いらしい。カズマによる糾弾を聞けば聞くほど、どうにもこうにも周子の胸の内には暗雲が立ち込めた。
まさに返す言葉も無いほどにやり込めて、カズマはふい、と首を周子に向けた。
「周子、分かりましたね、寵を受けたからといって図に乗らぬことです、王はこの通り気が多い。口説かれたのならばそれは気のせい、もし何かあったというのなら、野良犬にでも噛まれたと思ってとっとと忘れることです」
カズマはキッパリとそう言い渡した。
やり込められはしたものの、ここに至ってギャランが果敢に割り込んだ。
「ちょっとまて。そのあたりの言い草は聞き捨てならねぇ」
「お黙りなさい」
「周子はだな、おれが初めて本気になった女だ」
その他大勢に混ぜるな、とギャランは青い目を厳しくしてカズマを見上げた。
「私に、彼女の後見人になるよう言いつけたのはどなたです、たとえ気が進まずとも、お受けした以上、私は彼女の保護者ですよ! 彼女の身の処遇の一切の責任は私にある、私の庇護下にある女に手をつけるとは、言語道断。いくら王、あなたとはいえ、こうも顔に泥を塗られて、私、黙ってはいられません、我がグランツ家の面子を踏みにじる気ですか」
一度メガネのブリッジを押し上げ、カズマはギャランを頭ごなしに強く叱りつけた。
「むざむざとあなたの性の捌け口として供するためにこうしてここに置いている訳ではない。それに手を出すとは何事です!」
ギャランはしばらく押し黙った。
お前がそんなに怒るなんてガキの時以来じゃねぇか、と心底打ちのめされたように、まるで子供がすっかりいじけたように口を尖らせ、ギャランは顔を背けた。
「ではこいつを王宮へ連れて行く、後見人はもう止めだ!」
「はっ?」
「おれがいままで抱いた女の数なんざ知るか。おれは周子さえいればいい、お前に周子はやらん、絶対にだ」
「やらん、て……別に私は要りませんが」
むしろ願い下げです、と言わんばかりにカズマは露骨に眉根を寄せた。
「ええっ! ウッソ、さっき結婚するって約束したじゃん」
「今この場で面倒ごとを増やすな、周子」
カズマが余計なことを口走った周子の口を利き手で素早く塞いだが、ギャランは目を剥いた。てめおれの周子に何しやがった、とギャランはカズマの横腹に蹴りを入れ、カズマはその勢いで周子に覆い被さる形になってベッドに倒れこんだ。
「だーっ! 気安くおれの周子に乗るんじゃねぇ!」
「冗談じゃない、誰がッ!」
カズマが羞恥に身を震わせて抗議し飛び上がった。
「とにかく!」
ギャランが大きな声でカズマの言葉を強引に遮った。
「ここは自由で良いが警備はゆるい、おれは周子を王宮で保護する。周子は狙われているし敵は存外強い、今宵のおれの手負いのサマをみりゃあ、お前も察するだろうがよ!」
周子は驚きの声を上げた。
「えっ、ギャラン、怪我してるの? 返り血じゃないの!?」
周子は勢い良くその胸倉を掴み上げた。それは到底、怪我人相手に振舞う仕種ではないのだが。
「返り血さ。だがこっちの左腕のは正真正銘、トゥルー! オーイエス、マイ・ブラッドだ! んなことよか、性の捌け口、ってなんだそら! なんかすっげアッタマきた! いいか、カズマよく聞け、おれは周子にべた惚れだ、抱いたさ、何が悪い。おれのもんだ。絶対におれのもんだ、本気中の本気だ、お前がその上等なおつむでどんな計算してるか知らねぇがな、たとえお前でも周子は絶対にゆずらねぇ!」
「周子、王の傷を」
カズマが冷静に周子を促す。周子はギャランの左腕のシャツを袖から捲り上げて。
「うわ、結構切れてるよ、カズマ様」
「おい! てめぇら人のハナシ、聞けよ!」
治癒呪文を唱えようと印を組みかけた周子の手をギャランが大きく払った。その拍子にはたはたっ、と血が滴るのを見て、カズマと周子は一度、互いに厳しい目線を交えた。
「よせ。こんな怪我、たいしたこと無い、つべこべ言うな! んなもん縫って包帯で縛っときゃいい、上等だ、ほっときゃ治る」
「なんてこと仰るんですかギャラン様」
「そうだよギャラン」
「畜生! おまえら息ぴったりだな!」
ほんっと仲良しさんだな! 一体いつの間にだ! と、ギャランはますます苛立ったようだった。周子の腕を掴んで引き寄せるとその黒目を至近距離で覗き込んでねじ伏せるように睨んだ。
「こんな怪我くらい。お前の魔力が勿体無いだろが。お前の魔力はあのヘンなトリのエサだし、こないだみたいなデカ蜘蛛がまたわんさと湧いたらどうする、魔力をキープするのはお前の務めだ、おれにかまってる余裕はねぇはずだ」
「は! こんなヘンなトリなんて! 餌断ちしたってたいしたこたないわよ! なにせ五百年は軽く絶食できたんだからいまさら何過保護なこと言ってるのよ!」
周子の言葉にギャランの腰の真っ二つの剣がざわざわと鳴った。
真っ二つの剣はたちまち白鳳凰の姿になって。
ばさり、と大きく羽根を一閃し具現化すると、派手に羽根を散らした。
「まったく無礼なヤツめ、タチバナ! ヘンなトリ言うな! 我が名はララクロノフじゃ!」
「うるッせーんだよ、トリ、てめ勝手に出てくんな!」
ギャランはちょうどエンギワルーが差し出してきた薬箱を取り上げるやララクロノフに向けて勢い良く投げつけた。その瞬間ララクロノフが羽根を広げて宙に舞い、直撃を避けた所為で、薬箱は部屋の壁に当たって派手に中身をぶちまけた。包帯やガーゼ、ハサミや塗り薬が舞い上がり、消毒薬の瓶が派手な音を立てて床上で割れた。大きくて白く輝く艶ややかな羽根がばさりばさりと舞い落ちる。
「部屋を散らかすんじゃねぇ! トリ!」
「ぬお! まこと癪に障る若造じゃ! タチバナもよりによってこんなバカな若造に惚れるとは、世も末じゃ!」
「! ほほほほれっ!?」
周子が軽く飛び上がった。
「黙ってな! パラボル!」
「な、にッ!」
ララクロノフがぎょっと怯む隙すらなく、瞬時に吹っ飛んで壁に激突し派手な瓦解音を立てた。
「なんてこと言い出すの! ヘンなトリまで」
部屋の壁からずるずると消し炭になってずり落ちるララクロノフの惨状にギャランは思わず、目を瞠った。
「ハンズ! ハーンズ、カム! ちっくしょ、逃げたわね!」
あんのチビ共もお仕置きだわ、と歯軋りをする周子を取り押さえるギャラン。
「いやおいまて、待てってそらちょっとやりすぎ……相手は子供……」
「ディオス!」
間髪いれず、ぱっ、と癒しの閃光が瞬いた。
「ああっ! 畜生、勝手にやりやがったな!」
「いたっ! 感謝されこそすれ、なんであんたにごちんと脳天殴られなきゃなんないのよ! 痛いわね!」
殴られた己の頭頂部を押さえて周子がギャランを蹴った。鋭い蹴りを腹に喰らって、ぐはっ、とギャランが濁ったうめき声を上げ大きく身体を二つに折った。
「おれの思いやりを汲め! 好きだ! 愛してる! 魔力を無駄遣いすんなって言ってんだろが! おれのハナシを聞けー!」
「イチイチ余計な告白混ぜんなばか! 誰がンナ話聞くかばか!」
ギャランが周子の腕を引っつかみ、周子が容赦なく蹴り上げる、あっという間に取っ組み合いの喧嘩が始まった。
まさに軍人らしい毅然とした不動の姿勢で控え、部屋の入り口で黙って静観していたハロックがカズマの下へそっと近づいてきた。
「……カズマ殿」
「はい」
「……こちらではいつも王はアアですか?」
ハロックにとっては、それこそが最も問い質したいことだった。ギャランがこんな風に対等に誰かと話しているのをもうここ何年も、見ていなかったのだ。
「お見苦しいところをお見せいたしておりますな」
肯定と取れるカズマの返答に、いや、とハロックはほんのりと破顔した。
「楽しそうで何より」
「…………。眼科にかかられよ」
冷たい声で容赦なく切り返すと、ふん、と鼻を鳴らしてカズマはハロックから離れた。
居間へと身を移したものの、自分の寝室を出たところでその大層賑やかな騒ぎは居間でも十分に聞こえるほどだった。
一度火がついた喧嘩はそうそうおさまりそうも無い、付き合うだけ時間の無駄だ、とカズマは居間のソファにどっかと腰を下ろした。下ろすなり、ふう、と知れず深い吐息が漏れ、カズマ自身、自分でも驚いた。
つくづくうんざりと自分の額に手を当てる。ややしてエンギワルーを呼びつけた。
「エンヴィ、水」
エンギワルーからグラス一杯の水を受け取って。
よく冷えた水が喉を通り胃の腑へ落ちるのが分かるが、どうにも胸を通った気がしない。胸の焼けるような熱さは一向に引かず、胸を押さえて軽く首をひねった。そこにあるのは苛立ちか、とカズマは情の在り処を内に問うたがいまいちすっきりとしなかった。
「嫉妬、ですか」
「主人を量るとは、まことゆきすぎだな?」
カズマはたちまち機嫌を悪くして、水を飲み干した。
侍従長たるお前の長所は口の過ぎぬ所のはずだが、とちくりと嫌味を添えてグラスを返すと、はは、とあきれたような色の滲んだ、かすかな反応があった。
エンギワルーは全く落ち着いたいつもどおりの仏頂面で。
「その感情を知ることも、名づけることもできないのに、それを御するだなんて、到底無理な話でございます」
「別に。チェスの相手ならばお前がいる」
「ご勘弁を。深夜ともなればさすがに私も休みます。翌日の諸事に差し支えますゆえ。侍従長たる職務は多忙極まりないですからな」
エンギワルーはしれっと答えた。
カズマはしばしの間エンギワルーを見つめて。
「ははあ、面白いわけだ?」
「いいえ? むしろ少々怒っています」
「え?」
間髪いれず返って来たエンギワルーの言葉にカズマは目をパチクリとさせた。
こんな風に私情の色濃くエンギワルーが意見を述べるのは非常に珍しかったからだ。
意外そうな表情をしたカズマに、相変わらずの仏頂面のままエンギワルーは言葉を続ける。
「あの女はいくらなんでも物騒ですよ。ああも熱く真摯に王に求愛されてなおロレンスを追っている、ああふらふらして蓮っ葉に見えて、だが本当の芯は情の固い、融通の利かぬ女です。最も厄介なタイプです。おやめなさい、まして、そんな女と結婚なんて冗談ではありません。本気でグランツ家を潰すつもりですか」
潰す? とカズマは心外そうに語尾を上げて呟いた。
「ふむ、では私が御せぬというのだな? あれを。ずいぶんと足下を見られたものだな」
「これ以上敵を増やしてどうするのです、ロレンスまで? 王まで?」
「……わくわくするな」
「若!」
「……ああそうか、ああわかったよ」
あっさりとカズマは頷く。
無駄だ、とエンギワルーは内心どんよりした心情になった。ちらとも話を聞いていない反応である。カズマは、そういう時は驚くほど素直に言葉だけが返ってくるのだ。
そして、カズマがこんな言い方をした後は、相当の嵐が待っている。
容赦のない方法で、どれほどの政敵を泣かしたろうか、どれほどの投資家を破産に追い込んだことか。どれほどの利権を搾取しただろうか。
ちょっと興味があった、こう責めて相手がどう揺れるのかが見たくてな、とぞっとするほど冷たい表情で深く策を練り手を打つその様子は、まさに狂気である。仕事ならまだしもやり手、で済む、だが、男女の情となるとどうだ? 貪欲なカズマの欲望を満たすだけの素養を持ちうる相手など、まずいないのだ。
先ほどの空中戦、撃墜されたのはまさしくカズマの方だとエンギワルーには分かっていた。カズマがものすごい勢いで周子へと傾いで行くのが分かる、こんな激しい恋に身をやつして、無事でいられるはずが無い、というほどに。
そして、何より恐ろしいことに当の本人が、その想いに気づいていない。
これまでギャランに注いできたその情熱を一気にあの黒目黒髪に注ぐ気ではなかろうか、と思い、周子はこの責任を取れるだろうか、とその受け皿の頼りなさにぞっとする。
周子はあまりに情に疎く、無邪気すぎる。狂気に近いこの情熱を、あの女は受け止めることができるのだろうか、と。
「……ロレンス、ロレンスを早急にあぶり出さねばならぬな。ずいぶんと念入りに隠れているが、おそらく周子はロレンスを押さえられればぐうの音も出ないだろう、いいなづけだと当人胸張って言っている位だからな。修三亡き今、ロレンスこそが周子を動かすといっていいかもしれん。やはり保険が要るだろう、周子を確実に御すためには」
もっとずっと捜索を厳しくするか、とカズマは冷たい声で呟いた。
捜索の手を厳しくする理由が、周子を確実に御さねばと思う理由が、むしろ既に別の心情に拠るとはカズマ自身は全く気づかない様子なのだが。
エンギワルーは深いため息を吐いた。
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その金髪の中からレフトとライトがひょこりと姿を現す。
「な、なにやら、知らぬ間に良い物を借りたらしいな?」
うめきながら笑って、だがどこか神妙に、そして愛しげに、その胸の内に何かを探るように周子を見る。
「すげー活躍してもらったぞ、おれの出る幕が無かったくらいだ」
「ええ。小物は小物に任せておけばいいのよ」
ララクロノフとまるで同じ台詞を吐いて、周子はギャランの金髪の中からハンズを取り上げたが、すぐに露骨に不快そうな表情をした。
「ハンズ、手洗っといで。……ああ汚ね」
「おまっ!……懸命に働いてきた使役獣を労われねぇのか! きたねぇってなんだそれひどいじゃねぇか。おれは今すげービックリしたぞ」
うるっさいな、あんたも十分汚いよ、と周子は一蹴して。
「あれでなかなか強かったでしょ。なにせ父さんのお気に入りの使役獣だし」
「魔物っつーのはいつもあんなもんか?」
「物騒なもんよ」
「つーこた、それを使うお前も相当物騒だな?」
「ご名答。その目で見て実感した? だから早いうちに手を切りたいと私は言ってたのよ。私なんかとつるんでいたってろくなことにならないんだから」
その言葉にギャランはたちまち寂しげな表情をした。
「……あんまりそう突き放してくれるなよ」
はーあ、こんなに身を尽くして働いてきたのにつれねぇなァ、どうやったらおれがお前の味方だと思ってくれるんだろうな、と言ってギャランは大きく肩を落とすと、血にまみれた革のジャケットを脱いで床に落とした。
「おれの扱い、まるでハンズ以下じゃねぇか」
がっかり、とひどく重たい文字ブロックを頭の上に載せでもしたかのような、そんな感じで背を丸め深く息を吐くギャランを前に、周子はちょっと冷たかったか、と口の端を下げた。
これだけの返り血を浴びているのだ、大変だったには違いない。
だが、どうにもねぎらう言葉が出てこない。寄ればもっと寄りたくなる、心よりも腕の傷が、一度抱かれた肌のほうが先に反応する。だからなお一層、反発せざるを得ないのだ。ついこないだ、わざわざ自分で王宮にまで出かけていって、元通りに接する、って確約させたのは誰だったろう、と周子は己の下唇を噛んだ。
決してあれは無理矢理ではなかったと周子とて分かっている、確かに最初は戸惑いはしたが、悪くはなかった、いや正直、気持ち良かった、だが。
だが同時に、それはタトゥーがあったからこそのことだと、タトゥーの所為でつい赦すそんな気分になったのだと、それとて分かっているのだ。だからギャランを責めるのはひどい不当なことのようにさえ思える、怒りを向けるべき先はタトゥーの呪そのものだ。
―――そもそもあれはそういう仕組みなのだ、ただそれだけのことだ
とにもかくにも、あの夜のことは一切合財、水に流すべきなのだ、と強く黒髪を一度揺すって、周子は心の中のリセットスイッチをまた押した。実はもう何度押したか知れないのだが。そもそもあるのかどうなのか、押したところでそれが効く、のかどうなのかも分からないのだが。
「ハンズが自分たちから、あなたのところへ行って来たい、って言ったの。他人に興味持ったのなんて初めてなのよ、やーあんた、好かれてんのかしらね、意外」
「いや?」
ギャランは首をもたげにっこりと微笑んだかと思うと、周子にずい、と一歩寄る。唇が触れそうなほど近くに顔を寄せ、もう一度にっこりと笑った。満面の笑みだった。しょげ返っていたのが、たちまち上機嫌になったようだった。
「おれを主と認めたのさ、お前のな?」
「はは、まーった何言ってんだか。さては頭打ったな?」
「ハンズは、口が利けるんだな、トリ同様」
「えっ、喋ったの? あんたに? そりゃ珍しいよ! ハンズが主以外に話すなんて!」
あり得ない、と黒目をまん丸に見開いて驚いている周子のその反応に、ギャランは、んーんん、と上機嫌に喉の奥を鳴らした。
「奴らのドコに口があるのかってのは、甚だ疑問だが、んなこた、どーだっていい」
周子は、間近に自分を覗き込んでくる青い目がますます上機嫌に細められ、形良い唇が不敵な笑みを浮かべるのを見た。
「つ・ま・り・は、だ。客観的に見ても十分お前はおれの物だってこった、分かってないのはお前のその変に賢い頭だけだ、だがそれならそれでかまわねぇ、キッチリその肌に教え込むだけだ」
来い、と強く腕を引かれて。視界が転じたかと思うと、ベッドに組み敷かれている。
「ちょ、ちょっと!?」
「お前のアノときの、めちゃめちゃかわゆい表情を、おれ以外にも見てたやつがいるんだとさ……」
「アノときッ?」
「イッタだろう? おれに抱かれてさんざん、な?」
「さささ、さんざん、って……ちょっ!」
熱い吐息で迫ってくる。耳元にキスされて周子は慌ててギャランの胸板を押した。
「やめて、こらっ、やめろっ! あほ! 寄んな、ばかッ!」
お前はおれにベタボレだそうだ、とギャランは周子の耳に細く囁き入れて。睫毛が互いに触れるほど近くに迫って、犬かなにかのように鼻面を擦りつけてくる。
ああ、なんていうか、いい匂いだなァ、ひと暴れすると、つくづく女が欲しくなるもんだなァ、とギャランはやけに男くさい言葉を吐く。
途端、堰きを切ったかのように好きだ、好きだ、と、かき口説く。
周子の戸惑いを一気に押し流すかのような勢いでかき口説き、お前を抱きたい、とあられもない言葉を吐く。
「お前のしっぺ返しにガラにも無くずいぶん落ち込んだものだが、まんざらでもなかったと聞いておれは今大変にごキゲンだ。あいにくおれは立ち直りが早い。不都合なことはすぐに忘れることにしている。そして気に入ったことはずうっと覚えておくことにしてるんだ。旨い酒も、お前のカラダもな」
「みみみみみてたって……だだだれかな……聞いた、って何?」
「ははん」
ご機嫌な様子でギャランは周子の唇にキスをする。周子は慌ててその胸を押し戻したものの、ギャランの手が巧みにそして遠慮なく服の裾からもぐりこんできてやわやわと胸を揉み解す。
周子は、駄目ッ、と叫んで真っ赤になってシャツの上からその手を押さえ込んだ。
「わかった、か、カズマ様!?」
「キタ。キマシタ。いま、どえらくがっつーんと」
「ななな、なに? 主語、主語は?」
「今このタイミングでその口からあいつの名が出るとおれはどえらく嫉妬する」
ギャランは嫉妬に揺れるきつい眼差しを半目に伏せるとおもむろに周子の首筋を強く吸った。
「いたっ!」
思わず周子がひとつ高い声を上げた。
「いい。そーゆー声……お前、いーいオンナだなァ、ったく、お前の妖艶さに身も心も奪われて際限も無く朝までその身体を手離せそうに無いな」
そう囁きながらするりと周子の両腿の間に指先を滑り込ませ、ショーツの上からなで上げる。飛び上がらんばかりの勢いで周子が身体を捩じらせ抵抗した。
「はわわわわっ……ちょ、ちょっと! あんた懲りてないのッ!」
「懲りる、ってなにが?」
抗う腕を押さえ、再びしっかりと周子をベッドに押し付けると、文句を言おうとするその口をキスで塞ぐ。
「失礼ですが!」
カズマがごほん、と大きく咳払いして割って入った。周子が首を捩れば、つくづくあきれ返ったような表情でベッドサイドに立ち腕組みをしている。
「人のことを無視して、なに始めようとしてるのですか、ギャラン様」
「決まってんだろが! セックスだ!」
「セッ!……」
ストレートな回答にカズマは一瞬二の句を失って。だがすぐにひとつ咳払いをすると強く頭を横に振った。
「失礼な。そこは私のベッドです。よくもまあそんな血まみれで。勘弁して下さい」
「お前のベッド?」
ギョッとしたようにギャランが身を起こす。くるりと周囲を見回して。
「まじで!? なんでこんな深夜に周子がカズマの寝室にいるんだ!」
一体どういうことだ、おれは非常に気に食わねぇぞ、とギャランは周子に迫った。
「いやあのそれは……」
しどろもどろに周子が身体を起こし、すでに下ろされてしまっていたスカートのファスナーを引き上げ、ホックを留めた。
「別に子供じゃああるまいし。大人の男女が、深夜に何してたって良いではありませんか」
「か、カズマ様?」
思いも寄らぬカズマの返答に周子はビックリしてカズマを見たが、あいにくランプの光がメガネのグラスに反射してその目の表情はまるで読めなかった。
ナンダト? とギャランは一度その青い目をぱちくりとさせ、途端に不機嫌丸出しになってカズマを睨んだ。
「てめーはどうせ勃たねーんだろ、女嫌いのクセに。お前が周子を抱くなんざ到底想像がつかねぇ! ふっざけんな、なにが大人の男女で深夜だ、こんの勃たずペニ……」
カズマは大きく咳払いしてその不適切ともいえる言葉の続きを遮った。
「そもそも私が女を抱かない理由が、身体的な不能によるものではないと申し上げればよろしいか? 周子に聞くといい、今宵は二人で大人の深夜の遊戯を楽しんでいたのです、二人でするならそれこそいろいろやり様がございましょうに」
「ナンダト! おまおまおまおままさか……」
カズマはわざとそういった台詞回しでギャランを軽く動揺させると、改めてキッ、と周子を睨んだ。
厳しい眼差しで見下ろし、問う。
「周子、聞きます、答えなさい。王にいたずらされましたか、寝てるときに? あなたの仰る、マジックペンやスナック菓子以外の、もっと快感を伴う、そんないたずらを?」
「ああああの……」
周子は真っ赤になって、壊れた人形のようにしきりに首を横に振りながらベッドから下りようとしたが、ギャランに片肩を掴んで強く引き戻され、再びベッドに仰向けに沈み込んだ。
「ふわあっ、ちょっ、やめっ……!」
「ガッツリ抱いたぞ! 周子は正真正銘おれの女だ」
しかもおれがハジメテだった、と言い出したギャランに、周子が羞恥に満ちた悲鳴を上げた。
「驚きました、いったいいつの間に。油断も隙もありません」
ぴしゃり、と言い捨てる。矛先はギャランへと代わったようだった。
「王はそんな様だから女にだらしが無いといわれるのです。だからたやすくイーズリー卿ラインハルトなぞにつけ込まれるのです、こともあろうにあ奴は養女セサメイ嬢との縁談を持ちかけてきているのですよ、あなたがいつぞやつまみ食いをしたからです、仕組まれた火種にあっさり火を点す、のちのち消し伏せるために奔走するわれわれの苦労を少しは思ってください!」
「あんたの関心はそこかーッ!」
ベッドに仰向けに、ギャランの身体に再びがっしりと組み敷かれ、周子は抗議の声を上げた。
「フツーはちょっとは女の私の方をフォローするんじゃないの!? 私はこのエロ男に無理矢理ヤら……」
「お黙りなさい。女性がそうはしたない言葉を使うな」
周子をぴしゃりと遮ると、失礼、と一言短く断って、カズマはギャランの襟首を引っつかんで無理矢理に引き離し、ベッドから床へと引きずり下ろした。
「あなたは先日私を非難しました、好きでもない女を権力調整のために抱かせていると。それほどに楽しんでおいて、何をいまさら仰るのですか! そもそもあなたはそちら方面のことに飽きるということが無いのですか、全く次から次へと、女という女、此の世の女を片端から。本当に節操が無い」
まさに矢継ぎ早に具体的な事例を上げつらい辛辣にギャランの手癖の悪さを非難した。まるでその不誠実さをこそ周子に説明するかのようなしつこさだった。
まるきり図星なのであろう、うぐぐぐぐぐ、とギャランは一言も返せずに唸っている。
―――まじで夜のお花畑なんだ、このバカ!
それを聞く限り、日頃からギャランは相当に手癖が悪いらしい。カズマによる糾弾を聞けば聞くほど、どうにもこうにも周子の胸の内には暗雲が立ち込めた。
まさに返す言葉も無いほどにやり込めて、カズマはふい、と首を周子に向けた。
「周子、分かりましたね、寵を受けたからといって図に乗らぬことです、王はこの通り気が多い。口説かれたのならばそれは気のせい、もし何かあったというのなら、野良犬にでも噛まれたと思ってとっとと忘れることです」
カズマはキッパリとそう言い渡した。
やり込められはしたものの、ここに至ってギャランが果敢に割り込んだ。
「ちょっとまて。そのあたりの言い草は聞き捨てならねぇ」
「お黙りなさい」
「周子はだな、おれが初めて本気になった女だ」
その他大勢に混ぜるな、とギャランは青い目を厳しくしてカズマを見上げた。
「私に、彼女の後見人になるよう言いつけたのはどなたです、たとえ気が進まずとも、お受けした以上、私は彼女の保護者ですよ! 彼女の身の処遇の一切の責任は私にある、私の庇護下にある女に手をつけるとは、言語道断。いくら王、あなたとはいえ、こうも顔に泥を塗られて、私、黙ってはいられません、我がグランツ家の面子を踏みにじる気ですか」
一度メガネのブリッジを押し上げ、カズマはギャランを頭ごなしに強く叱りつけた。
「むざむざとあなたの性の捌け口として供するためにこうしてここに置いている訳ではない。それに手を出すとは何事です!」
ギャランはしばらく押し黙った。
お前がそんなに怒るなんてガキの時以来じゃねぇか、と心底打ちのめされたように、まるで子供がすっかりいじけたように口を尖らせ、ギャランは顔を背けた。
「ではこいつを王宮へ連れて行く、後見人はもう止めだ!」
「はっ?」
「おれがいままで抱いた女の数なんざ知るか。おれは周子さえいればいい、お前に周子はやらん、絶対にだ」
「やらん、て……別に私は要りませんが」
むしろ願い下げです、と言わんばかりにカズマは露骨に眉根を寄せた。
「ええっ! ウッソ、さっき結婚するって約束したじゃん」
「今この場で面倒ごとを増やすな、周子」
カズマが余計なことを口走った周子の口を利き手で素早く塞いだが、ギャランは目を剥いた。てめおれの周子に何しやがった、とギャランはカズマの横腹に蹴りを入れ、カズマはその勢いで周子に覆い被さる形になってベッドに倒れこんだ。
「だーっ! 気安くおれの周子に乗るんじゃねぇ!」
「冗談じゃない、誰がッ!」
カズマが羞恥に身を震わせて抗議し飛び上がった。
「とにかく!」
ギャランが大きな声でカズマの言葉を強引に遮った。
「ここは自由で良いが警備はゆるい、おれは周子を王宮で保護する。周子は狙われているし敵は存外強い、今宵のおれの手負いのサマをみりゃあ、お前も察するだろうがよ!」
周子は驚きの声を上げた。
「えっ、ギャラン、怪我してるの? 返り血じゃないの!?」
周子は勢い良くその胸倉を掴み上げた。それは到底、怪我人相手に振舞う仕種ではないのだが。
「返り血さ。だがこっちの左腕のは正真正銘、トゥルー! オーイエス、マイ・ブラッドだ! んなことよか、性の捌け口、ってなんだそら! なんかすっげアッタマきた! いいか、カズマよく聞け、おれは周子にべた惚れだ、抱いたさ、何が悪い。おれのもんだ。絶対におれのもんだ、本気中の本気だ、お前がその上等なおつむでどんな計算してるか知らねぇがな、たとえお前でも周子は絶対にゆずらねぇ!」
「周子、王の傷を」
カズマが冷静に周子を促す。周子はギャランの左腕のシャツを袖から捲り上げて。
「うわ、結構切れてるよ、カズマ様」
「おい! てめぇら人のハナシ、聞けよ!」
治癒呪文を唱えようと印を組みかけた周子の手をギャランが大きく払った。その拍子にはたはたっ、と血が滴るのを見て、カズマと周子は一度、互いに厳しい目線を交えた。
「よせ。こんな怪我、たいしたこと無い、つべこべ言うな! んなもん縫って包帯で縛っときゃいい、上等だ、ほっときゃ治る」
「なんてこと仰るんですかギャラン様」
「そうだよギャラン」
「畜生! おまえら息ぴったりだな!」
ほんっと仲良しさんだな! 一体いつの間にだ! と、ギャランはますます苛立ったようだった。周子の腕を掴んで引き寄せるとその黒目を至近距離で覗き込んでねじ伏せるように睨んだ。
「こんな怪我くらい。お前の魔力が勿体無いだろが。お前の魔力はあのヘンなトリのエサだし、こないだみたいなデカ蜘蛛がまたわんさと湧いたらどうする、魔力をキープするのはお前の務めだ、おれにかまってる余裕はねぇはずだ」
「は! こんなヘンなトリなんて! 餌断ちしたってたいしたこたないわよ! なにせ五百年は軽く絶食できたんだからいまさら何過保護なこと言ってるのよ!」
周子の言葉にギャランの腰の真っ二つの剣がざわざわと鳴った。
真っ二つの剣はたちまち白鳳凰の姿になって。
ばさり、と大きく羽根を一閃し具現化すると、派手に羽根を散らした。
「まったく無礼なヤツめ、タチバナ! ヘンなトリ言うな! 我が名はララクロノフじゃ!」
「うるッせーんだよ、トリ、てめ勝手に出てくんな!」
ギャランはちょうどエンギワルーが差し出してきた薬箱を取り上げるやララクロノフに向けて勢い良く投げつけた。その瞬間ララクロノフが羽根を広げて宙に舞い、直撃を避けた所為で、薬箱は部屋の壁に当たって派手に中身をぶちまけた。包帯やガーゼ、ハサミや塗り薬が舞い上がり、消毒薬の瓶が派手な音を立てて床上で割れた。大きくて白く輝く艶ややかな羽根がばさりばさりと舞い落ちる。
「部屋を散らかすんじゃねぇ! トリ!」
「ぬお! まこと癪に障る若造じゃ! タチバナもよりによってこんなバカな若造に惚れるとは、世も末じゃ!」
「! ほほほほれっ!?」
周子が軽く飛び上がった。
「黙ってな! パラボル!」
「な、にッ!」
ララクロノフがぎょっと怯む隙すらなく、瞬時に吹っ飛んで壁に激突し派手な瓦解音を立てた。
「なんてこと言い出すの! ヘンなトリまで」
部屋の壁からずるずると消し炭になってずり落ちるララクロノフの惨状にギャランは思わず、目を瞠った。
「ハンズ! ハーンズ、カム! ちっくしょ、逃げたわね!」
あんのチビ共もお仕置きだわ、と歯軋りをする周子を取り押さえるギャラン。
「いやおいまて、待てってそらちょっとやりすぎ……相手は子供……」
「ディオス!」
間髪いれず、ぱっ、と癒しの閃光が瞬いた。
「ああっ! 畜生、勝手にやりやがったな!」
「いたっ! 感謝されこそすれ、なんであんたにごちんと脳天殴られなきゃなんないのよ! 痛いわね!」
殴られた己の頭頂部を押さえて周子がギャランを蹴った。鋭い蹴りを腹に喰らって、ぐはっ、とギャランが濁ったうめき声を上げ大きく身体を二つに折った。
「おれの思いやりを汲め! 好きだ! 愛してる! 魔力を無駄遣いすんなって言ってんだろが! おれのハナシを聞けー!」
「イチイチ余計な告白混ぜんなばか! 誰がンナ話聞くかばか!」
ギャランが周子の腕を引っつかみ、周子が容赦なく蹴り上げる、あっという間に取っ組み合いの喧嘩が始まった。
まさに軍人らしい毅然とした不動の姿勢で控え、部屋の入り口で黙って静観していたハロックがカズマの下へそっと近づいてきた。
「……カズマ殿」
「はい」
「……こちらではいつも王はアアですか?」
ハロックにとっては、それこそが最も問い質したいことだった。ギャランがこんな風に対等に誰かと話しているのをもうここ何年も、見ていなかったのだ。
「お見苦しいところをお見せいたしておりますな」
肯定と取れるカズマの返答に、いや、とハロックはほんのりと破顔した。
「楽しそうで何より」
「…………。眼科にかかられよ」
冷たい声で容赦なく切り返すと、ふん、と鼻を鳴らしてカズマはハロックから離れた。
居間へと身を移したものの、自分の寝室を出たところでその大層賑やかな騒ぎは居間でも十分に聞こえるほどだった。
一度火がついた喧嘩はそうそうおさまりそうも無い、付き合うだけ時間の無駄だ、とカズマは居間のソファにどっかと腰を下ろした。下ろすなり、ふう、と知れず深い吐息が漏れ、カズマ自身、自分でも驚いた。
つくづくうんざりと自分の額に手を当てる。ややしてエンギワルーを呼びつけた。
「エンヴィ、水」
エンギワルーからグラス一杯の水を受け取って。
よく冷えた水が喉を通り胃の腑へ落ちるのが分かるが、どうにも胸を通った気がしない。胸の焼けるような熱さは一向に引かず、胸を押さえて軽く首をひねった。そこにあるのは苛立ちか、とカズマは情の在り処を内に問うたがいまいちすっきりとしなかった。
「嫉妬、ですか」
「主人を量るとは、まことゆきすぎだな?」
カズマはたちまち機嫌を悪くして、水を飲み干した。
侍従長たるお前の長所は口の過ぎぬ所のはずだが、とちくりと嫌味を添えてグラスを返すと、はは、とあきれたような色の滲んだ、かすかな反応があった。
エンギワルーは全く落ち着いたいつもどおりの仏頂面で。
「その感情を知ることも、名づけることもできないのに、それを御するだなんて、到底無理な話でございます」
「別に。チェスの相手ならばお前がいる」
「ご勘弁を。深夜ともなればさすがに私も休みます。翌日の諸事に差し支えますゆえ。侍従長たる職務は多忙極まりないですからな」
エンギワルーはしれっと答えた。
カズマはしばしの間エンギワルーを見つめて。
「ははあ、面白いわけだ?」
「いいえ? むしろ少々怒っています」
「え?」
間髪いれず返って来たエンギワルーの言葉にカズマは目をパチクリとさせた。
こんな風に私情の色濃くエンギワルーが意見を述べるのは非常に珍しかったからだ。
意外そうな表情をしたカズマに、相変わらずの仏頂面のままエンギワルーは言葉を続ける。
「あの女はいくらなんでも物騒ですよ。ああも熱く真摯に王に求愛されてなおロレンスを追っている、ああふらふらして蓮っ葉に見えて、だが本当の芯は情の固い、融通の利かぬ女です。最も厄介なタイプです。おやめなさい、まして、そんな女と結婚なんて冗談ではありません。本気でグランツ家を潰すつもりですか」
潰す? とカズマは心外そうに語尾を上げて呟いた。
「ふむ、では私が御せぬというのだな? あれを。ずいぶんと足下を見られたものだな」
「これ以上敵を増やしてどうするのです、ロレンスまで? 王まで?」
「……わくわくするな」
「若!」
「……ああそうか、ああわかったよ」
あっさりとカズマは頷く。
無駄だ、とエンギワルーは内心どんよりした心情になった。ちらとも話を聞いていない反応である。カズマは、そういう時は驚くほど素直に言葉だけが返ってくるのだ。
そして、カズマがこんな言い方をした後は、相当の嵐が待っている。
容赦のない方法で、どれほどの政敵を泣かしたろうか、どれほどの投資家を破産に追い込んだことか。どれほどの利権を搾取しただろうか。
ちょっと興味があった、こう責めて相手がどう揺れるのかが見たくてな、とぞっとするほど冷たい表情で深く策を練り手を打つその様子は、まさに狂気である。仕事ならまだしもやり手、で済む、だが、男女の情となるとどうだ? 貪欲なカズマの欲望を満たすだけの素養を持ちうる相手など、まずいないのだ。
先ほどの空中戦、撃墜されたのはまさしくカズマの方だとエンギワルーには分かっていた。カズマがものすごい勢いで周子へと傾いで行くのが分かる、こんな激しい恋に身をやつして、無事でいられるはずが無い、というほどに。
そして、何より恐ろしいことに当の本人が、その想いに気づいていない。
これまでギャランに注いできたその情熱を一気にあの黒目黒髪に注ぐ気ではなかろうか、と思い、周子はこの責任を取れるだろうか、とその受け皿の頼りなさにぞっとする。
周子はあまりに情に疎く、無邪気すぎる。狂気に近いこの情熱を、あの女は受け止めることができるのだろうか、と。
「……ロレンス、ロレンスを早急にあぶり出さねばならぬな。ずいぶんと念入りに隠れているが、おそらく周子はロレンスを押さえられればぐうの音も出ないだろう、いいなづけだと当人胸張って言っている位だからな。修三亡き今、ロレンスこそが周子を動かすといっていいかもしれん。やはり保険が要るだろう、周子を確実に御すためには」
もっとずっと捜索を厳しくするか、とカズマは冷たい声で呟いた。
捜索の手を厳しくする理由が、周子を確実に御さねばと思う理由が、むしろ既に別の心情に拠るとはカズマ自身は全く気づかない様子なのだが。
エンギワルーは深いため息を吐いた。
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- 2006-06-22 04:25
- カテゴリ : 「タトゥー・オブ・ギャラン」/長編/連載中
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