コハリトりみっと
長編恋愛FT「タトゥー・オブ・ギャラン」がメインの小説・雑記サイト。
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やはり案の定、周子は急ピッチで杯を空けると、くう、と倒れこんだ。
「美味い酒があるとこいつは早いな、楽しむということを知らんのか」
この飲みっぷり、むしろ無駄遣いに近いな、とギャランはあきれて笑う。
ギャランと周子の、全く治まる気配の無い言い争い、それを、次々と破壊されゆく備品調度品の数々にとうとう見かねたエンギワルーが間に割って入って仲裁した。
仲裁と言っても、単に機転を利かせて、周子お気に入りの例の酒を封切っただけなのだが。
むしろそれで十分だった。
周子があっけなく一番先に沈んだのである。
ギャランはやれやれ、と大仰に溜息を吐いて。
座っていたソファを立ち上がると、床の上にしどけなく転がった周子を抱き上げ、ソファに横たえた。
毛布を持って来てその体の上にそっとかけてやる。
頬にかかった黒髪を指先でそっと避けてやる。
そんなギャランの慈愛に満ちた仕種、カズマは一人窓際に立ち、それを白けた表情で眺めていた。杯に唇をつけたままだが、酒量はちらとも進まぬ。
そういえば、ああ見えても周子はかなり疲労していたはずだな、と思って。
実際、魔力も相当使っていたはずである。
魔力を増幅させる葉巻を咥えた荒んだ様子がまざまざと思いだされ、存外に彼女を追い詰めたことを思い出し、なんともいえぬ胸の痛みを覚えた。
―――似非修三、か。実によく言ったものだな。
確かに自分は周子を庇護したいと思っている。修三のように、絶対的に周子に頼られたいと思っている。
あの勝気な周子が全身全霊で縋るならば、修三は一体どんな心地であったろう。
彼女の寄せてくる信頼の情というのはなかなか率直で、実際それを向けられると、むしろそれだけでも十分な、それだけでも良いような気さえする、満足感、いや、もっと言えば、悦楽めいたものを感じると言っていい。
修三が己が娘に、常軌を逸脱した執着、血のつながった実の父親が示すものとは到底思えぬ粘度のそれを示していたにも関わらず、それほどに固執していながらも、だがしかし、指一本手を出していないのは、つまりはそこに尽きるのかもしれない。
修三は、一体どういうつもりで周子を育てたのだろう。
タチバナの血が万世一系の希少なものであるにもかかわらず、その情報をほとんど与えていない。代々伝わるというドランクドラゴンの盟約石も、それがどういうものでどういった役割を果たすのか、教えていない。
なぜそんな石を周子に渡したのか、そして、今、明確な理由も分からぬままに命を狙われ、それで生き延びろ、と、果たしてそれが父親のすることだろうか。そもそもベースとは、周子は極端に嫌っているようだが、だがそれでも、一族にとっては本来味方であるはずのものではないのか。
石について周子が問うても、周子には関係が無いと言い切ったらしい。
本当に関係がないのか。
あるいは、本気で、周子を守り抜くつもりだったのか。
一切の情報が要らぬほど、周子が自分で判断をせずに済むほど、完璧に庇護するつもりだったのか。
―――浅いな。
ソファのところで、ギャランが眠りこけている周子の頬を指先で突っついている。己が名を刻んだその傷を慈しむかのように左腕の無残な傷痕に口付けを落として。なんとも愛しげな、ギャランの甘い表情、カズマの見ているその先で、眠っている周子のほのかに開いた無防備で可憐な唇にキスをする。
―――そのツメの甘さが、のちのち、こんな男に娘をやることになるのだ。
カズマは唇を噛む代わりにくっ、と杯を呷った。
タトゥーの呪とはどれほどのものだろう、どうして自分がその呪の主にならなかったのだろう、とカズマは冷めた頭で考えた。なぜそのチャンスが自分には訪れなかったのか。
「あきれた、ホントにやりたい放題なんですね」
「意識があればこっちは半殺しだからな」
周子は一度寝ると眠りが深いからな、睡眠欲の塊だ、とギャランは悪びれる様子も無くカズマに言った。
「いくら眠っていても、でもさすがに犯せば気づくでしょうに」
周子を抱いた、と言う、コトの顛末をギャランの口から聞いて、カズマはあまりの周子のお粗末さにしばらくの間、開いた口が塞がらなかったものだ。
大体、ひとりの女の、一生に一度の貴重なその機会に、文字通り寝込みを襲われ……果たしてそんな目に遭ってよいものか? そんなことがあってよいものか?
「そのときには文句は出ないさ、出させない」
自信たっぷりにギャランはにやりと笑って見せた。
ちら、とカズマは眉根を寄せる。では、周子は嬉々としてその身を任せたというのだろうか、それこそありえない。
「では、タトゥーを使ったのですね」
「あいつとおなじことを言うな」
「あいつ?」
「牙の教徒にえらくつえー奴がいた。周子はロレンスの女だお前なぞ唾も引っ掛けん、だとよ、どえらいむかつく言い様だった。ロレンスだとよ! おれは絶対ロレンスを引きずり出してぎっちょんぎっちょんに叩き潰してやるんだ、覚えてろあんのマッチョめ」
ったく、ホントに人の気にしているところをぐさりと突いてくる奴だった、とギャランは舌打ちをする。次に会ったら絶対ぶっ殺す、と拳を握って。
「気の強いタチバナだ、ヤるとすればどうせタトゥーにモノ言わせて無理矢理に犯したんだろう、って、言いやがった」
カズマは憮然とした表情で一度頷き、メガネのブリッジを押し上げた。
「いや……まさにそのとおりではないですか。あなたのような所業を……失礼、はっきりと申し上げますが、男の風上にも置けない、というのですよ」
「なにが失礼、だ、丁寧ぶった挙句ごっつ直球で貶しやがって」
「……ん」
再びギャランに口付けられて、周子が息苦しそうに顔を避けた。
その嫌そうな様が、どうにもカズマの庇護心を刺激した。
「敵はどうも周子の性格を良く知っているような感じですね、タトゥーのことも」
ではやはり、五百年越しの旧知の仲だろうか、とカズマは思った。
「な? むかっぱら立つだろ?」
「立ちますね。その手をお放しなさい」
杯をギャランの金髪めがけて放る。
スコン、と際立っていい音がした。
「……いい音ですね」
「しみじみ言うな!」
窓辺に立っていたカズマは投げつけた杯を拾いに来ると、そのまま周子の横になっているソファの肘掛に浅く腰をかけた。
「今となっては私が彼女の後見人です。そう無体に手を出さぬように」
ギャランは一度カズマを睨むと、向かいのソファにどっかと腰を下ろし、そしてつい先ほどまで周子と喧嘩になっていた話を再び繰り出した。
「おれが王宮で暮らすと言っているんだ、お前は文句がないどころか万々歳だろう。お前はおれを王宮に戻したと周囲にもてはやされる、おれは周子をがっちり囲う、一石二鳥で業務提携だ」
なにか余計な単語がついてきた、と思いつつ、カズマは冷静に腕組をした。
「堂々と手を出すためにお前を後見に据えたのだ、ごちゃごちゃ言うな」
「堂々と?」
ああ、とカズマはギャランの意図を理解して、たっぷりと長い間沈黙した。
「私はそれを許しません、では百歩譲って、他愛の無い女遊びというのなら良いですが、よりによって寵姫になど。笑止千万。あなたは国王ですよ、諸侯が揉めるのは必至。寵姫にとおっしゃるならば後見という立場、やめさせていただきます、もとより私にその意図はない」
「そうカッカするな。お前を後見に据えたのは、グランツ家からおれに寵姫を差し出させるためだ、グランツ家から出た女をおれが取れば一番分かりやすい形で周囲に伝わるだろう、金と女、王の関心を買う理由には十分だ」
カズマは小さく嘆息した。
「そもそも、そのような手段で重用されたいとはつゆ思っておりませんが」
「金と女、分かりやすいだろ。清廉潔白なグランツの若様がそのような手段で若き王を篭絡したとか、あざといことをささやかれるのが、口惜しいか?」
「いえ、全く。……そのようなもので穢れる我が名とは思っておりません」
「そうか? 少しぐらい、泥がつくだろ?」
「……つけてるのはどなたですか! しれっとして、もう!」
とうとう毒気を抜かれ、カズマは呆れて笑った。
「放蕩三昧の若き国王、あなたを見ていれば誰だって清廉潔白に」
この自分の、何処が清廉潔白なのだろう、と思いつつ。
―――グランツの貴公子……世間の目というものはなんと愚かなものか。
「とにかく、先ほども大騒ぎでした。この周子が大人しくあなたと王宮になぞ行くわけがないではないですか」
「タトゥーに命じる、実際危ないからな。手段はこの際どうでもいい。周子の警備にハロックとその直属の一個小隊をつける、この国きっての精鋭部隊をだ」
「ものものしいですね」
「おまえがトロいんだよ、さっき話したろ」
「ええ、周子の命を所望されていると。石ばかりではなく。ですが、こちらでもエンギワルーをつけてある。彼は強いですよ? 彼女のような向こう気の強いタイプは、むしろ少人数の方が、守りやすい。彼には幾度にもわたる周子の脱走を阻止した実績がある、周子の考えることならお見通しです。特に周子を御するアメには通じている、この酒もそうです。これがなければあなた方はまだ取っ組み合いの喧嘩の最中ですよ。彼が適任です、あなたよりもはるかに穏便に上手く周子をさばけること請け合い……」
「おれよりも! ああ、むかつく言い方だな! ケスリングの鷹は狙った獲物は外さぬぞ、あいつはセリアの軍人だ、信用出来ん。あいつはセリアに通じているぞ」
「はっ、なんの根拠で。いくら王でも無礼ですぞ?」
カズマは二言三言、的確にエンギワルーの立場をかばった。そして、ギャランをまっすぐ見つめて、言った。
「それに、ここには私もいる。では、私を信用なりませぬか?」
ギャランは黙った。カズマの剣の腕前、その強さはよく知っている。
十年前のあの朝、血盟砦に転がり込んだ後、カズマは、十六にもなってから今更剣とは遅すぎる、と渋るエロックを強引に説き伏せ、師事した。代々文人のグランツ家の若様が何を血迷ったか、と初めのうちは大いに馬鹿にしていたハロックも、今ではカズマの剣の腕を認めている程である。
嫌な、冷たい空気が抜けた。
「……では、おまえは何をそんなに気に食わない?」
「すべて」
「おまえはあくまでも他愛の無い女遊びだと言うか」
「申し上げます」
カズマは怯まずキッパリ返す。
ここで折れては取り返しのつかないことになる気がした。
「あなたはタトゥーにかこつけて、周子を陵辱するおつもりか」
「どこがだよ! 誠心誠意尽くしてるだろーが!」
「無理矢理、力づくで抱いておいて?」
それのドコが誠意です? とカズマは冷たく突っ込んだ。
押し黙るかと思えば、意外と強情にギャランは開き直った。
「この際順番なんざどうでもいい。おれはあいつが好きだ、ぞっこんだ、だから抱いたんだ、それで十分だろうが」
「好きだというそれさえも、タトゥーの所為だと、申し上げているのです」
「おれの気持ちさえもタトゥーの仕業だと申すか! 周子と同じだな! 敵将もそう言ったぞ、お前までそう言うか! なんなんだよ! みんなしてよってたかっておれのことを責めやがって! 惚れた女を抱いてそれがそんなに悪いか、これがおれの誠心誠意だ! お前おれをバカだと思っているんだろ、あっさりと呪に支配されやがって、と。冗談じゃないぞ、おれはどのつく本気だぞ!」
カズマはしらじらと頭を振った。
「その熱しぶり、予想以上に深刻ですね。お一人で盛り上がるだけならまだしも、周子を無理に抱いておいて、それを悪いとも反省しない、タトゥーとはまこと、人の心を踏みにじるものですな。ひどいものだ、つくづく、見下げ果てました、周子を御するに絶好の手段と思ってまいりましたが、こんな呪、早々に解くべきですね」
周子の言うとおりだ、とカズマは初めて周子に同情した。
不都合アリアリ、と言った理由がようやく分かったのだ。
「解かんぞ! 呪が解けるものか!」
「解けば、周子はあなたなぞ、それこそ見向きもしませんでしょうに。黒目黒髪が好きだと断言してますよ?」
「だー、ちくしょ、言いやがったな!」
ギャランはぶるり、と身体を震わせた。
「おまえ、今宵はとりわけキッツイな! おれに恨みでもあるのか! 目や髪の色がそんなに大事か!」
「周子にとっては、そうだと申し上げているだけです」
カズマは冷たくあしらった。
「元来気の多いあなたが、一人の女にそれほどに執着する理由がわかりません。まさしくタトゥーの所為としか思えません。呪を解くのを怖れるのも、また呪の所為でしょう」
ギャランは押し黙り、見るも明らかにはっきりと落ち込んだ。
もともと反応の手にとるほどわかりやすい男だが、ここ最近、特に周子が絡んだときの浮き沈みの激しさがどうにも気になる。
カズマは首を捻った。
―――なんとまあ、ばかばかしいのだろう、これが恋だというか?
呪われているのだ、二人とも。
―――そして周子は、解きたい、と私に言った。
「呪を、解きます。タトゥーの呪を解けば、あなたのその独り善がりな恋愛感情も不安も解けるでしょう。何も案ずることは無いですよ」
カズマは穏やかにそう言った。
「……医者みてぇなこと言いやがって」
くそう、と悔しがるようにギャランは一度目を擦った。
カズマは周子のことを思った、どうにも恋に疎い女である、むしろ恋だの愛だののない、自分との結婚生活のほうが、よほど彼女にとってマシなのではなかろうか、とさえ思った。
周子に群れ寄る男どもを蹴散らすには、既にその身が誰かのものになっていると徹底周知させるのが一番手っ取り早い、修三の論理はその点において正しい。
そして、グランツの次代宗主という立場は、そんな意味で庇護するにはまさにぴったりの権力と財力である。
カズマは、己の中で答えの出る音を聞いた。
しばらく黙って酒を呷る。
やがてしょんぼりとした風情でギャランが口を開いた。
「悪かったよ。そもそもおれが悪い。お前に預けなけりゃ良かったんだ、ひと目でおれのハートを射ぬいた女、この上物にお前が興味を持つかどうか、つい試したくなったのだ」
「は?」
「いままでおれが見た中で一番に見えた、これなら、お前は欲しがるだろうかと」
「私は特別な感情を抱いてはおりませんが」
「だが、周子はお前と結婚すると言いやがった」
カズマはつい冷笑して。
「はは。ルドルフ対策ですよ。その上私がグランツ家宗主となればそれこそ強力にあなたをバックアップできる。色々な意味で、周子の身を守ることも出来る、我がグランツ家の妻に、誰が手出しできますか」
こんな一石数鳥の策、ここ数年お目にかかってませんね。これだけでも私、ワクワクします、持つべきものは賢い妻だと思いますね、とカズマは続けた。
そして、ギャランを一度睨んで。
「私の情を試すとは、まこと浅はかで、無粋。いくら王とはいえ、無作法だ、不愉快です」
カズマはキッパリと拒絶を示した。もとより己の胸中を量られるのが嫌いな男である。
「おれが悪かったよ。だからもう勘弁してくれねぇか」
「何をです?」
「周子をおれから取り上げるな」
それはこれまで見たことのない、縋るような眼差しだった。
その眼差しにカズマは数秒の間たっぷりと呆気に取られたが、あまりに真剣なギャランのその眼差しに却って笑みがこぼれた。
「おれは本気だ、今更お前にはやれん」
「ああ、誤解なさらず。本当に周子のことが好きならば、タトゥーを解いた後に、もっとずっと真っ当にアプローチすれば良いではありませんか、周子本人があなたを望むのなら、私がそれに否を唱える筈がない、私はあなたの強引な手法にこそ反対しているのですから」
カズマの笑顔に、え? あ、そうなの? ときょとんとした表情をした後、イヤ! と短く叫んで、ギャランはぞっとしたように身体を竦ませた。
「無理だ、真っ当にアプローチしてあいつがオチるとは思えねぇ、蹴り殺されるのがオチだ」
蹴り殺される、って、と、あまりに的確でありがちなその予想にカズマはさらに笑った。
「しかしカズマ、お前、実は周子が好きだろう?」
「まさか」
「いいや、好きだろ」
「とんでもない」
ぎょっとしてカズマはギャランを見る。ギャランは引かない。
「いいや。だからそんなに文句を言うんだ、いつものお前なら自分に害がなけりゃ静観決め込むだろが」
カズマは目を丸くして首を傾げた。
「まさか。では、性的暴力に屈従させられる女性を前に、見て見ぬふりをするとでも?」
「お前はそういう奴だ」
「! 重大な事実誤認だ」
大間違いです、私を侮辱するおつもりか、とカズマは大きく鼻を鳴らしたが、ギャランはなおも繰り返して言った。
「周子だからお前はそんなに文句を言うんだ」
「ああ、しつこいですね!」
カズマはキッパリと否定した。
ギャランは食い下がる。
「確かにおれは最初はコイツをお前にやるつもりだったんだ。いい女だから、もしお前が欲しがれば下賜してやろうと」
カズマは露骨に眉をひそめた。
「王が女を下賜するのは仲良しの証拠だ。お前にもルドルフにもどえらく世話になってる、ルドルフが後継ぎのお前が女を寄せぬとさんざん泣いてたからな、女嫌いのお前に女をあてがう、これぞ最高の恩返しだろが。お前は相当に理想が高いはずだ、初見で、ひょっとしてこれならいけると思ったんだ」
「下賜、って……要りませんよ」
気味の悪い押し付けですね、とキッパリと切り返した。
「猫を可愛がると玄関先にネズミの死骸が置いてあるという、アレですか?」
冗談じゃない、と、気位高くツンと顔を背けた。
ますますギャランはしょんぼりした。
「だがそれ以上におれが手放せぬ」
「……おっしゃる意図が分かりません」
カズマは苛立ちも加わって、普段なら試みる、ギャランの意図を汲む作業も放棄してしまった。
いいですか、ギャラン様、とカズマは一度目を伏せて。
「私の興味は、あなた様をこの国の王に据えること、我がグランツ家が繁栄を続けること、この二点です。十年前からこの志はいささかも変わっておりません」
そもそも女の一人や二人で揺らぐ意志ではないのです、とカズマは冷静に告げた。
「サーデュラスを討ち、牙の教徒を潰す、そしてあなたをこの国の王に据える、このためには私は手段を選びません」
彼女は、そのための、手駒です、そう言って、微笑んだ。
ぞっとするほどの冷たさだった。
しかし、これを受けて意外なことに、ギャランは全く怯まなかった。
十年前のあの夜と同様、まっすぐにカズマを見つめてきた。
「では、これ一つで、この国を治めてやろうってんだ、安いだろ」
どんな策があるにせよ、とにかく周子から手を引け、とギャランは迫った。
ギャランの目は強い。
「おれは王になる、お前の望む、立派な王にだ。死にもしない、これでどうだ、引け。お前が折れろ」
ギャランがカズマを相手にこうも挑戦的に交渉をしようとするのは初めての事だった、論術でまともに挑んできて、返り討ちにされるのは百も承知しているはずだ。
カズマは納得のいかぬ表情をした。
―――これ一つ……
直感的に、それは非常に高くつきそうな気がした。
高くつくか安く済むか。利がらみのこの手の直感には自信があった。
カズマは腹を括った。
「周子は、王宮へは、やりません」
カズマは白々と笑った。
「後見人である私が、許しません。周子はあくまでも、私の、手駒です」
今のこの時期、国王の寵姫選びの色恋沙汰で諸侯が揉めるなぞ論外、とカズマは言って己の襟元をぴっと正した。
「使わぬ手駒を持つのか?それが手駒か?」
「手駒は手駒でも、寵姫として差し出せとなると話は別です。彼女は呪文を行使する稀少なミアムの、それも最強といわれるタチバナの血を引いた、いわば戦力です。協力者でありこそすれ、あなたの為の夜伽役ではない。王は、まさか私を敵に回すおつもりか?」
「……お前はなんだ? 保護者か何かのつもりか」
「無論。後見人ですから」
ギャランはたっぷりと長い間沈黙した後、忌々しげに呟いた。
「まるで修三だな」
ふっ、とカズマは真顔になった。
「なんとも……嬉しい言葉ですね」
ギャランはこの上なく嫌そうな表情をした。
「後見、ね。おれはとんでもなく厄介な立場をお前に与えたかもしれん。いつだっておれはとことんバカだな、そうだ、おれが悪い、おれはバカだ、ああ畜生」
ギャランは立ち上がると、首や肩を回し軽く身体を動かして酒気を払い、部屋の外へ向かって怒声を掛けた。
「ハリー、馬引け」
御し難い怒りを孕むとその場を立ち去るのはいつもの所作である。
ギャランが出て行って、しんと静まった部屋で一人、なんだか厄介な感じだな、とカズマは首を捻った。
どうにもすっきりしない。
ギャランの突っかかり様といい、自分の切り返し様といい、いままでに無い感じである。周子が絡むとどうにも今までに無い展開に転がってばかりで、落ち着かない。
先程拾った杯をシャツの裾で軽く擦って、また酒を注いだ。
酔う気配も無いのだが、なんとなく手酌で一人、幾度か呷って。
思う。
―――下賜?
自分はグランツ家を背負った男だ、下賜なぞされずとも、欲しいものがあれば、手を伸ばせる、と。
―――下賜?
なんだかバカにされた気分だった。
買いだと思って抵当権を打ったが、いざ蓋を開けてみると、自分よりも上位のそれを持つ人間がいるのを知った感じだった。
こんなバカな手に引っかかる自分ではないと思う。
株ではルドルフに痛い目に合わされたことがあるが、いや、それもまだもっとずっと若い時分のことだ、まして、利がらみの駆け引きでバカを見たことはいまだかつて無いのだ。
―――株……
そうだ、周子を見る感覚は、株か何かに似ている、と思って。
上がったり、下がったり。少し不安定な情緒を読んで、寄せたり突き放したり。率直に、時に全く予想外に、返ってくるその反応が実に面白くて。操っているのか操られているのか、謀っているのか謀られているのか、それはそれはひどく蠱惑的な、知的遊戯だった。
そして、不思議と妙な予感があった。
どうにも痛い目を見そうな感じだった。
周子の主張には、現状がどうであれ、過程がどうであれ、一切関係がない。あるのはただひとつ、修三が決めた男と愛ある人生を過ごすのだ、というその答えだけだ。
その点において、周子はその実とても強情で無粋で狡猾で、ロレンス以外に、あるいは、おそらくもっと正確に言うならば、修三以外に……そうだ、修三以外の人間に、どれほどの情を示されても、それを理解する気などないのだ、いや、理解する気があるとかないとか、そんな能動的なものではなく、また、理解出来るとか出来ぬとか、可能不可能で片付くものでもなく、理解しない、理解するようにはできていないのだ、周子、というものの作りには致命的な欠陥があるのだ。
それは、彼女の容姿の美しさ、強さ、頭の良さと根の優しさ、それらどの美点をすべて合わせてもなお補いきれぬ、まさに致命的な欠陥に思えてならなかった。
―――馬鹿馬鹿しい。
どん、と背に重みを感じた。
杯の液面が揺れ、反射的にカズマは杯と手元とを己の胸元から遠ざけた。
背面から肩に腕が回され、次いで酔いを存分に含んだ熱い吐息が耳元にかかる。
酒くさい、というよりもそれは……なにやらむやみに、甘い。思いがけず痺れるような甘い感覚が背筋を疾った。
「ネズミとはよくもまあ言ってくれたわね、それも死骸だなんて。失礼だわ、失礼よ。生憎このネズミは生きてましてね、入り込んでグランツ家の財産を根こそぎ喰ってやるわ。カズマ様、しかしまあよくぞ断ってくれた、あんたがギャランに私をやると言ったらさっきは殺すつもりだったわ、私はあなたと結婚するって決めたのよ、そしてその屋台骨をガッツリと、ガッタガタに齧り尽くしてやるわよ」
「ずいぶん恐ろしいネズミだな」
全く笑えない、と真顔でカズマは己の首だけを回すと、周子の顔を間近に見た。
いつのまにか意識を戻してギャランとの会話を聞いていたようだったが、だがそれもどのあたりを聞いていたことか。
疲れと相まって相当に酔っているのだろう、黒い瞳が不安定にゆらゆらと揺れている。
「あんたのそーゆー無粋で情け知らずなところが好きよ」
命拾いしたわねぇ、と物騒ながらも酔い任せの舌足らずなその言葉。
やすやすと他の男に身を任せておいてよくもまあ言うものだ、と思うと、胸の裡に、カッ、と何か熱い温度を持ったものが点った。
後から首っ玉に抱きついてきているその柔らかな体の主はあっさりとそのまま眠りに落ちてゆく。
くたり、と力なく伏せられた瞼の、黒い長い睫をしげしげと眺め。
首を正面に戻すと、カズマは再び杯に唇をつけた。
背に背負った柔らかな体の触れてもたらす熱をゆっくりと感じて。
はて、自分はどのくらいの間女を抱いていなかったかな、とカズマは思った。
しばし手酌で酒をやった後、胸の裡に点った暗い嫉妬の炎に突き動かされるように、やがてカズマは周子を背から下ろすと正面に抱きかかえ、深夜のいたずらを試みる。
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「美味い酒があるとこいつは早いな、楽しむということを知らんのか」
この飲みっぷり、むしろ無駄遣いに近いな、とギャランはあきれて笑う。
ギャランと周子の、全く治まる気配の無い言い争い、それを、次々と破壊されゆく備品調度品の数々にとうとう見かねたエンギワルーが間に割って入って仲裁した。
仲裁と言っても、単に機転を利かせて、周子お気に入りの例の酒を封切っただけなのだが。
むしろそれで十分だった。
周子があっけなく一番先に沈んだのである。
ギャランはやれやれ、と大仰に溜息を吐いて。
座っていたソファを立ち上がると、床の上にしどけなく転がった周子を抱き上げ、ソファに横たえた。
毛布を持って来てその体の上にそっとかけてやる。
頬にかかった黒髪を指先でそっと避けてやる。
そんなギャランの慈愛に満ちた仕種、カズマは一人窓際に立ち、それを白けた表情で眺めていた。杯に唇をつけたままだが、酒量はちらとも進まぬ。
そういえば、ああ見えても周子はかなり疲労していたはずだな、と思って。
実際、魔力も相当使っていたはずである。
魔力を増幅させる葉巻を咥えた荒んだ様子がまざまざと思いだされ、存外に彼女を追い詰めたことを思い出し、なんともいえぬ胸の痛みを覚えた。
―――似非修三、か。実によく言ったものだな。
確かに自分は周子を庇護したいと思っている。修三のように、絶対的に周子に頼られたいと思っている。
あの勝気な周子が全身全霊で縋るならば、修三は一体どんな心地であったろう。
彼女の寄せてくる信頼の情というのはなかなか率直で、実際それを向けられると、むしろそれだけでも十分な、それだけでも良いような気さえする、満足感、いや、もっと言えば、悦楽めいたものを感じると言っていい。
修三が己が娘に、常軌を逸脱した執着、血のつながった実の父親が示すものとは到底思えぬ粘度のそれを示していたにも関わらず、それほどに固執していながらも、だがしかし、指一本手を出していないのは、つまりはそこに尽きるのかもしれない。
修三は、一体どういうつもりで周子を育てたのだろう。
タチバナの血が万世一系の希少なものであるにもかかわらず、その情報をほとんど与えていない。代々伝わるというドランクドラゴンの盟約石も、それがどういうものでどういった役割を果たすのか、教えていない。
なぜそんな石を周子に渡したのか、そして、今、明確な理由も分からぬままに命を狙われ、それで生き延びろ、と、果たしてそれが父親のすることだろうか。そもそもベースとは、周子は極端に嫌っているようだが、だがそれでも、一族にとっては本来味方であるはずのものではないのか。
石について周子が問うても、周子には関係が無いと言い切ったらしい。
本当に関係がないのか。
あるいは、本気で、周子を守り抜くつもりだったのか。
一切の情報が要らぬほど、周子が自分で判断をせずに済むほど、完璧に庇護するつもりだったのか。
―――浅いな。
ソファのところで、ギャランが眠りこけている周子の頬を指先で突っついている。己が名を刻んだその傷を慈しむかのように左腕の無残な傷痕に口付けを落として。なんとも愛しげな、ギャランの甘い表情、カズマの見ているその先で、眠っている周子のほのかに開いた無防備で可憐な唇にキスをする。
―――そのツメの甘さが、のちのち、こんな男に娘をやることになるのだ。
カズマは唇を噛む代わりにくっ、と杯を呷った。
タトゥーの呪とはどれほどのものだろう、どうして自分がその呪の主にならなかったのだろう、とカズマは冷めた頭で考えた。なぜそのチャンスが自分には訪れなかったのか。
「あきれた、ホントにやりたい放題なんですね」
「意識があればこっちは半殺しだからな」
周子は一度寝ると眠りが深いからな、睡眠欲の塊だ、とギャランは悪びれる様子も無くカズマに言った。
「いくら眠っていても、でもさすがに犯せば気づくでしょうに」
周子を抱いた、と言う、コトの顛末をギャランの口から聞いて、カズマはあまりの周子のお粗末さにしばらくの間、開いた口が塞がらなかったものだ。
大体、ひとりの女の、一生に一度の貴重なその機会に、文字通り寝込みを襲われ……果たしてそんな目に遭ってよいものか? そんなことがあってよいものか?
「そのときには文句は出ないさ、出させない」
自信たっぷりにギャランはにやりと笑って見せた。
ちら、とカズマは眉根を寄せる。では、周子は嬉々としてその身を任せたというのだろうか、それこそありえない。
「では、タトゥーを使ったのですね」
「あいつとおなじことを言うな」
「あいつ?」
「牙の教徒にえらくつえー奴がいた。周子はロレンスの女だお前なぞ唾も引っ掛けん、だとよ、どえらいむかつく言い様だった。ロレンスだとよ! おれは絶対ロレンスを引きずり出してぎっちょんぎっちょんに叩き潰してやるんだ、覚えてろあんのマッチョめ」
ったく、ホントに人の気にしているところをぐさりと突いてくる奴だった、とギャランは舌打ちをする。次に会ったら絶対ぶっ殺す、と拳を握って。
「気の強いタチバナだ、ヤるとすればどうせタトゥーにモノ言わせて無理矢理に犯したんだろう、って、言いやがった」
カズマは憮然とした表情で一度頷き、メガネのブリッジを押し上げた。
「いや……まさにそのとおりではないですか。あなたのような所業を……失礼、はっきりと申し上げますが、男の風上にも置けない、というのですよ」
「なにが失礼、だ、丁寧ぶった挙句ごっつ直球で貶しやがって」
「……ん」
再びギャランに口付けられて、周子が息苦しそうに顔を避けた。
その嫌そうな様が、どうにもカズマの庇護心を刺激した。
「敵はどうも周子の性格を良く知っているような感じですね、タトゥーのことも」
ではやはり、五百年越しの旧知の仲だろうか、とカズマは思った。
「な? むかっぱら立つだろ?」
「立ちますね。その手をお放しなさい」
杯をギャランの金髪めがけて放る。
スコン、と際立っていい音がした。
「……いい音ですね」
「しみじみ言うな!」
窓辺に立っていたカズマは投げつけた杯を拾いに来ると、そのまま周子の横になっているソファの肘掛に浅く腰をかけた。
「今となっては私が彼女の後見人です。そう無体に手を出さぬように」
ギャランは一度カズマを睨むと、向かいのソファにどっかと腰を下ろし、そしてつい先ほどまで周子と喧嘩になっていた話を再び繰り出した。
「おれが王宮で暮らすと言っているんだ、お前は文句がないどころか万々歳だろう。お前はおれを王宮に戻したと周囲にもてはやされる、おれは周子をがっちり囲う、一石二鳥で業務提携だ」
なにか余計な単語がついてきた、と思いつつ、カズマは冷静に腕組をした。
「堂々と手を出すためにお前を後見に据えたのだ、ごちゃごちゃ言うな」
「堂々と?」
ああ、とカズマはギャランの意図を理解して、たっぷりと長い間沈黙した。
「私はそれを許しません、では百歩譲って、他愛の無い女遊びというのなら良いですが、よりによって寵姫になど。笑止千万。あなたは国王ですよ、諸侯が揉めるのは必至。寵姫にとおっしゃるならば後見という立場、やめさせていただきます、もとより私にその意図はない」
「そうカッカするな。お前を後見に据えたのは、グランツ家からおれに寵姫を差し出させるためだ、グランツ家から出た女をおれが取れば一番分かりやすい形で周囲に伝わるだろう、金と女、王の関心を買う理由には十分だ」
カズマは小さく嘆息した。
「そもそも、そのような手段で重用されたいとはつゆ思っておりませんが」
「金と女、分かりやすいだろ。清廉潔白なグランツの若様がそのような手段で若き王を篭絡したとか、あざといことをささやかれるのが、口惜しいか?」
「いえ、全く。……そのようなもので穢れる我が名とは思っておりません」
「そうか? 少しぐらい、泥がつくだろ?」
「……つけてるのはどなたですか! しれっとして、もう!」
とうとう毒気を抜かれ、カズマは呆れて笑った。
「放蕩三昧の若き国王、あなたを見ていれば誰だって清廉潔白に」
この自分の、何処が清廉潔白なのだろう、と思いつつ。
―――グランツの貴公子……世間の目というものはなんと愚かなものか。
「とにかく、先ほども大騒ぎでした。この周子が大人しくあなたと王宮になぞ行くわけがないではないですか」
「タトゥーに命じる、実際危ないからな。手段はこの際どうでもいい。周子の警備にハロックとその直属の一個小隊をつける、この国きっての精鋭部隊をだ」
「ものものしいですね」
「おまえがトロいんだよ、さっき話したろ」
「ええ、周子の命を所望されていると。石ばかりではなく。ですが、こちらでもエンギワルーをつけてある。彼は強いですよ? 彼女のような向こう気の強いタイプは、むしろ少人数の方が、守りやすい。彼には幾度にもわたる周子の脱走を阻止した実績がある、周子の考えることならお見通しです。特に周子を御するアメには通じている、この酒もそうです。これがなければあなた方はまだ取っ組み合いの喧嘩の最中ですよ。彼が適任です、あなたよりもはるかに穏便に上手く周子をさばけること請け合い……」
「おれよりも! ああ、むかつく言い方だな! ケスリングの鷹は狙った獲物は外さぬぞ、あいつはセリアの軍人だ、信用出来ん。あいつはセリアに通じているぞ」
「はっ、なんの根拠で。いくら王でも無礼ですぞ?」
カズマは二言三言、的確にエンギワルーの立場をかばった。そして、ギャランをまっすぐ見つめて、言った。
「それに、ここには私もいる。では、私を信用なりませぬか?」
ギャランは黙った。カズマの剣の腕前、その強さはよく知っている。
十年前のあの朝、血盟砦に転がり込んだ後、カズマは、十六にもなってから今更剣とは遅すぎる、と渋るエロックを強引に説き伏せ、師事した。代々文人のグランツ家の若様が何を血迷ったか、と初めのうちは大いに馬鹿にしていたハロックも、今ではカズマの剣の腕を認めている程である。
嫌な、冷たい空気が抜けた。
「……では、おまえは何をそんなに気に食わない?」
「すべて」
「おまえはあくまでも他愛の無い女遊びだと言うか」
「申し上げます」
カズマは怯まずキッパリ返す。
ここで折れては取り返しのつかないことになる気がした。
「あなたはタトゥーにかこつけて、周子を陵辱するおつもりか」
「どこがだよ! 誠心誠意尽くしてるだろーが!」
「無理矢理、力づくで抱いておいて?」
それのドコが誠意です? とカズマは冷たく突っ込んだ。
押し黙るかと思えば、意外と強情にギャランは開き直った。
「この際順番なんざどうでもいい。おれはあいつが好きだ、ぞっこんだ、だから抱いたんだ、それで十分だろうが」
「好きだというそれさえも、タトゥーの所為だと、申し上げているのです」
「おれの気持ちさえもタトゥーの仕業だと申すか! 周子と同じだな! 敵将もそう言ったぞ、お前までそう言うか! なんなんだよ! みんなしてよってたかっておれのことを責めやがって! 惚れた女を抱いてそれがそんなに悪いか、これがおれの誠心誠意だ! お前おれをバカだと思っているんだろ、あっさりと呪に支配されやがって、と。冗談じゃないぞ、おれはどのつく本気だぞ!」
カズマはしらじらと頭を振った。
「その熱しぶり、予想以上に深刻ですね。お一人で盛り上がるだけならまだしも、周子を無理に抱いておいて、それを悪いとも反省しない、タトゥーとはまこと、人の心を踏みにじるものですな。ひどいものだ、つくづく、見下げ果てました、周子を御するに絶好の手段と思ってまいりましたが、こんな呪、早々に解くべきですね」
周子の言うとおりだ、とカズマは初めて周子に同情した。
不都合アリアリ、と言った理由がようやく分かったのだ。
「解かんぞ! 呪が解けるものか!」
「解けば、周子はあなたなぞ、それこそ見向きもしませんでしょうに。黒目黒髪が好きだと断言してますよ?」
「だー、ちくしょ、言いやがったな!」
ギャランはぶるり、と身体を震わせた。
「おまえ、今宵はとりわけキッツイな! おれに恨みでもあるのか! 目や髪の色がそんなに大事か!」
「周子にとっては、そうだと申し上げているだけです」
カズマは冷たくあしらった。
「元来気の多いあなたが、一人の女にそれほどに執着する理由がわかりません。まさしくタトゥーの所為としか思えません。呪を解くのを怖れるのも、また呪の所為でしょう」
ギャランは押し黙り、見るも明らかにはっきりと落ち込んだ。
もともと反応の手にとるほどわかりやすい男だが、ここ最近、特に周子が絡んだときの浮き沈みの激しさがどうにも気になる。
カズマは首を捻った。
―――なんとまあ、ばかばかしいのだろう、これが恋だというか?
呪われているのだ、二人とも。
―――そして周子は、解きたい、と私に言った。
「呪を、解きます。タトゥーの呪を解けば、あなたのその独り善がりな恋愛感情も不安も解けるでしょう。何も案ずることは無いですよ」
カズマは穏やかにそう言った。
「……医者みてぇなこと言いやがって」
くそう、と悔しがるようにギャランは一度目を擦った。
カズマは周子のことを思った、どうにも恋に疎い女である、むしろ恋だの愛だののない、自分との結婚生活のほうが、よほど彼女にとってマシなのではなかろうか、とさえ思った。
周子に群れ寄る男どもを蹴散らすには、既にその身が誰かのものになっていると徹底周知させるのが一番手っ取り早い、修三の論理はその点において正しい。
そして、グランツの次代宗主という立場は、そんな意味で庇護するにはまさにぴったりの権力と財力である。
カズマは、己の中で答えの出る音を聞いた。
しばらく黙って酒を呷る。
やがてしょんぼりとした風情でギャランが口を開いた。
「悪かったよ。そもそもおれが悪い。お前に預けなけりゃ良かったんだ、ひと目でおれのハートを射ぬいた女、この上物にお前が興味を持つかどうか、つい試したくなったのだ」
「は?」
「いままでおれが見た中で一番に見えた、これなら、お前は欲しがるだろうかと」
「私は特別な感情を抱いてはおりませんが」
「だが、周子はお前と結婚すると言いやがった」
カズマはつい冷笑して。
「はは。ルドルフ対策ですよ。その上私がグランツ家宗主となればそれこそ強力にあなたをバックアップできる。色々な意味で、周子の身を守ることも出来る、我がグランツ家の妻に、誰が手出しできますか」
こんな一石数鳥の策、ここ数年お目にかかってませんね。これだけでも私、ワクワクします、持つべきものは賢い妻だと思いますね、とカズマは続けた。
そして、ギャランを一度睨んで。
「私の情を試すとは、まこと浅はかで、無粋。いくら王とはいえ、無作法だ、不愉快です」
カズマはキッパリと拒絶を示した。もとより己の胸中を量られるのが嫌いな男である。
「おれが悪かったよ。だからもう勘弁してくれねぇか」
「何をです?」
「周子をおれから取り上げるな」
それはこれまで見たことのない、縋るような眼差しだった。
その眼差しにカズマは数秒の間たっぷりと呆気に取られたが、あまりに真剣なギャランのその眼差しに却って笑みがこぼれた。
「おれは本気だ、今更お前にはやれん」
「ああ、誤解なさらず。本当に周子のことが好きならば、タトゥーを解いた後に、もっとずっと真っ当にアプローチすれば良いではありませんか、周子本人があなたを望むのなら、私がそれに否を唱える筈がない、私はあなたの強引な手法にこそ反対しているのですから」
カズマの笑顔に、え? あ、そうなの? ときょとんとした表情をした後、イヤ! と短く叫んで、ギャランはぞっとしたように身体を竦ませた。
「無理だ、真っ当にアプローチしてあいつがオチるとは思えねぇ、蹴り殺されるのがオチだ」
蹴り殺される、って、と、あまりに的確でありがちなその予想にカズマはさらに笑った。
「しかしカズマ、お前、実は周子が好きだろう?」
「まさか」
「いいや、好きだろ」
「とんでもない」
ぎょっとしてカズマはギャランを見る。ギャランは引かない。
「いいや。だからそんなに文句を言うんだ、いつものお前なら自分に害がなけりゃ静観決め込むだろが」
カズマは目を丸くして首を傾げた。
「まさか。では、性的暴力に屈従させられる女性を前に、見て見ぬふりをするとでも?」
「お前はそういう奴だ」
「! 重大な事実誤認だ」
大間違いです、私を侮辱するおつもりか、とカズマは大きく鼻を鳴らしたが、ギャランはなおも繰り返して言った。
「周子だからお前はそんなに文句を言うんだ」
「ああ、しつこいですね!」
カズマはキッパリと否定した。
ギャランは食い下がる。
「確かにおれは最初はコイツをお前にやるつもりだったんだ。いい女だから、もしお前が欲しがれば下賜してやろうと」
カズマは露骨に眉をひそめた。
「王が女を下賜するのは仲良しの証拠だ。お前にもルドルフにもどえらく世話になってる、ルドルフが後継ぎのお前が女を寄せぬとさんざん泣いてたからな、女嫌いのお前に女をあてがう、これぞ最高の恩返しだろが。お前は相当に理想が高いはずだ、初見で、ひょっとしてこれならいけると思ったんだ」
「下賜、って……要りませんよ」
気味の悪い押し付けですね、とキッパリと切り返した。
「猫を可愛がると玄関先にネズミの死骸が置いてあるという、アレですか?」
冗談じゃない、と、気位高くツンと顔を背けた。
ますますギャランはしょんぼりした。
「だがそれ以上におれが手放せぬ」
「……おっしゃる意図が分かりません」
カズマは苛立ちも加わって、普段なら試みる、ギャランの意図を汲む作業も放棄してしまった。
いいですか、ギャラン様、とカズマは一度目を伏せて。
「私の興味は、あなた様をこの国の王に据えること、我がグランツ家が繁栄を続けること、この二点です。十年前からこの志はいささかも変わっておりません」
そもそも女の一人や二人で揺らぐ意志ではないのです、とカズマは冷静に告げた。
「サーデュラスを討ち、牙の教徒を潰す、そしてあなたをこの国の王に据える、このためには私は手段を選びません」
彼女は、そのための、手駒です、そう言って、微笑んだ。
ぞっとするほどの冷たさだった。
しかし、これを受けて意外なことに、ギャランは全く怯まなかった。
十年前のあの夜と同様、まっすぐにカズマを見つめてきた。
「では、これ一つで、この国を治めてやろうってんだ、安いだろ」
どんな策があるにせよ、とにかく周子から手を引け、とギャランは迫った。
ギャランの目は強い。
「おれは王になる、お前の望む、立派な王にだ。死にもしない、これでどうだ、引け。お前が折れろ」
ギャランがカズマを相手にこうも挑戦的に交渉をしようとするのは初めての事だった、論術でまともに挑んできて、返り討ちにされるのは百も承知しているはずだ。
カズマは納得のいかぬ表情をした。
―――これ一つ……
直感的に、それは非常に高くつきそうな気がした。
高くつくか安く済むか。利がらみのこの手の直感には自信があった。
カズマは腹を括った。
「周子は、王宮へは、やりません」
カズマは白々と笑った。
「後見人である私が、許しません。周子はあくまでも、私の、手駒です」
今のこの時期、国王の寵姫選びの色恋沙汰で諸侯が揉めるなぞ論外、とカズマは言って己の襟元をぴっと正した。
「使わぬ手駒を持つのか?それが手駒か?」
「手駒は手駒でも、寵姫として差し出せとなると話は別です。彼女は呪文を行使する稀少なミアムの、それも最強といわれるタチバナの血を引いた、いわば戦力です。協力者でありこそすれ、あなたの為の夜伽役ではない。王は、まさか私を敵に回すおつもりか?」
「……お前はなんだ? 保護者か何かのつもりか」
「無論。後見人ですから」
ギャランはたっぷりと長い間沈黙した後、忌々しげに呟いた。
「まるで修三だな」
ふっ、とカズマは真顔になった。
「なんとも……嬉しい言葉ですね」
ギャランはこの上なく嫌そうな表情をした。
「後見、ね。おれはとんでもなく厄介な立場をお前に与えたかもしれん。いつだっておれはとことんバカだな、そうだ、おれが悪い、おれはバカだ、ああ畜生」
ギャランは立ち上がると、首や肩を回し軽く身体を動かして酒気を払い、部屋の外へ向かって怒声を掛けた。
「ハリー、馬引け」
御し難い怒りを孕むとその場を立ち去るのはいつもの所作である。
ギャランが出て行って、しんと静まった部屋で一人、なんだか厄介な感じだな、とカズマは首を捻った。
どうにもすっきりしない。
ギャランの突っかかり様といい、自分の切り返し様といい、いままでに無い感じである。周子が絡むとどうにも今までに無い展開に転がってばかりで、落ち着かない。
先程拾った杯をシャツの裾で軽く擦って、また酒を注いだ。
酔う気配も無いのだが、なんとなく手酌で一人、幾度か呷って。
思う。
―――下賜?
自分はグランツ家を背負った男だ、下賜なぞされずとも、欲しいものがあれば、手を伸ばせる、と。
―――下賜?
なんだかバカにされた気分だった。
買いだと思って抵当権を打ったが、いざ蓋を開けてみると、自分よりも上位のそれを持つ人間がいるのを知った感じだった。
こんなバカな手に引っかかる自分ではないと思う。
株ではルドルフに痛い目に合わされたことがあるが、いや、それもまだもっとずっと若い時分のことだ、まして、利がらみの駆け引きでバカを見たことはいまだかつて無いのだ。
―――株……
そうだ、周子を見る感覚は、株か何かに似ている、と思って。
上がったり、下がったり。少し不安定な情緒を読んで、寄せたり突き放したり。率直に、時に全く予想外に、返ってくるその反応が実に面白くて。操っているのか操られているのか、謀っているのか謀られているのか、それはそれはひどく蠱惑的な、知的遊戯だった。
そして、不思議と妙な予感があった。
どうにも痛い目を見そうな感じだった。
周子の主張には、現状がどうであれ、過程がどうであれ、一切関係がない。あるのはただひとつ、修三が決めた男と愛ある人生を過ごすのだ、というその答えだけだ。
その点において、周子はその実とても強情で無粋で狡猾で、ロレンス以外に、あるいは、おそらくもっと正確に言うならば、修三以外に……そうだ、修三以外の人間に、どれほどの情を示されても、それを理解する気などないのだ、いや、理解する気があるとかないとか、そんな能動的なものではなく、また、理解出来るとか出来ぬとか、可能不可能で片付くものでもなく、理解しない、理解するようにはできていないのだ、周子、というものの作りには致命的な欠陥があるのだ。
それは、彼女の容姿の美しさ、強さ、頭の良さと根の優しさ、それらどの美点をすべて合わせてもなお補いきれぬ、まさに致命的な欠陥に思えてならなかった。
―――馬鹿馬鹿しい。
どん、と背に重みを感じた。
杯の液面が揺れ、反射的にカズマは杯と手元とを己の胸元から遠ざけた。
背面から肩に腕が回され、次いで酔いを存分に含んだ熱い吐息が耳元にかかる。
酒くさい、というよりもそれは……なにやらむやみに、甘い。思いがけず痺れるような甘い感覚が背筋を疾った。
「ネズミとはよくもまあ言ってくれたわね、それも死骸だなんて。失礼だわ、失礼よ。生憎このネズミは生きてましてね、入り込んでグランツ家の財産を根こそぎ喰ってやるわ。カズマ様、しかしまあよくぞ断ってくれた、あんたがギャランに私をやると言ったらさっきは殺すつもりだったわ、私はあなたと結婚するって決めたのよ、そしてその屋台骨をガッツリと、ガッタガタに齧り尽くしてやるわよ」
「ずいぶん恐ろしいネズミだな」
全く笑えない、と真顔でカズマは己の首だけを回すと、周子の顔を間近に見た。
いつのまにか意識を戻してギャランとの会話を聞いていたようだったが、だがそれもどのあたりを聞いていたことか。
疲れと相まって相当に酔っているのだろう、黒い瞳が不安定にゆらゆらと揺れている。
「あんたのそーゆー無粋で情け知らずなところが好きよ」
命拾いしたわねぇ、と物騒ながらも酔い任せの舌足らずなその言葉。
やすやすと他の男に身を任せておいてよくもまあ言うものだ、と思うと、胸の裡に、カッ、と何か熱い温度を持ったものが点った。
後から首っ玉に抱きついてきているその柔らかな体の主はあっさりとそのまま眠りに落ちてゆく。
くたり、と力なく伏せられた瞼の、黒い長い睫をしげしげと眺め。
首を正面に戻すと、カズマは再び杯に唇をつけた。
背に背負った柔らかな体の触れてもたらす熱をゆっくりと感じて。
はて、自分はどのくらいの間女を抱いていなかったかな、とカズマは思った。
しばし手酌で酒をやった後、胸の裡に点った暗い嫉妬の炎に突き動かされるように、やがてカズマは周子を背から下ろすと正面に抱きかかえ、深夜のいたずらを試みる。
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- 2006-06-29 11:43
- カテゴリ : 「タトゥー・オブ・ギャラン」/長編/連載中
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