コハリトりみっと
長編恋愛FT「タトゥー・オブ・ギャラン」がメインの小説・雑記サイト。
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「あなたの所為よ! イビサ!」
蝶番が外れんばかりの勢いでドアを開けた、家に上がり込み、指を突きつけて、
「あなたがラッシュを、とんだ箱入りに育てたのが悪い!」
そう威勢良く罵倒し胸倉掴んで平手を一、二発……だがイビサを見たこの瞬間、シャアラはおどおどと視線を外し、なんて大それた事を考えたのかしらとたちまち後悔した。
この家の主たる彼の姿を居間に見るなり、その近寄り難い超然とした雰囲気に瞬時に萎縮したのだ。引いた血の気に寒気すら覚えた。
「……ああ、イビサ、ごきげんよう」
彼女の灰色の長髪はひどく乱れ、全力で走ってきたその表情は切羽詰っている。苦しげな呼吸を肩で繰り返し不躾に室内を見回す様子は、ごきげんようの言葉からははるかに遠い。
青ざめつつも、だがなんとか当り障り無く挨拶して寄越した娘の友人に、通り名イビサ、修三タチバナは無言で娘、周子のほうへ視線を投げた。
周子はといえば、目をまん丸にして飛び込んできた女友達を見たものの、飲みかけの牛乳を手離さず、グラスに口付けたままさらに一層傾けようとし……どうやら面倒そうな話を聞くより先に、飲みたいものはとっとと飲んでしまおうと思ったらしい。
空気を読まぬ娘のその軽薄さに、修三は知れず微笑んだ。
「ロンが、小さな女の子を人質にしてベースに篭城したの! ラッシュ、あなたを出せって!」
周子はそのまま牛乳を飲み干して口を拭った。
「人質? 篭城? で、私を出せって? なんで?」
「痴話喧嘩にも程があるわ。ロンがとうとう刃傷沙汰を。とにかくラッシュ、私と来て」
「うっわ、痴話喧嘩ならじゃあ他所でやってよもう、なに喧嘩したのよあんた達」
「あなたが当事者なのよ!」
「ええ?」
首を捻る周子をとにかく引っつかむと、シャアラはギクシャクと修三に一礼し、家を飛び出してゆく。左腕をキリキリと締め上げる熱い痛みに顔をしかめながら。
「……全く、私という恋人がありながら、ロンったら、まだラッシュをあきらめてないんだわ。ラッシュはこのとおりひどい恋愛音痴でぽややんとしてるし! よりによって刃傷沙汰だなんて……ゆうべ、おれには策がある、おれだっていざとなればあの美麗親父よりもはるかに切れ者だ、って意味不明な笑みを浮かべていたけど……」
私の体を抱きながら他の女のことばかり話すなんて、とシャアラは軋む胸の痛みに恋人ロンを詰った。
「だから痴話ってナニヨー!?」
自分に引きずられながらしきりに首を捻っているラッシュサマー、彼女をどうにも憎めないところがまた、辛い。三角関係ですら成り立たぬ不条理な事実が、シャアラの腕には刻まれていた。
隷属のタトゥー。
真の名を口にされ、次いでその相手が自らの名を名乗れば発動するという呪(しゅ)、ミアムの彼ら一族においては絶対の掟。
ロンに命じられのだ、ラッシュサマーを連れて来い、と。
左二の腕に刻まれたその名、隷属のタトゥーの呪主の命令は絶対なのである。
「ラッシュだ、あのラッシュサマーがきたぞ!」
「すっげえ綺麗だな!」
「みろよあの漆黒の髪!」
シャアラに引きずられようやく周子が姿を現すと、すでにベースの建物を取り巻いていた野次馬は口々に騒いだ。
その野次馬の中から、二人の男がわたわたと転がるようにして駆け寄ってくる。二人とも灰色の髪をした、周子と同じ年頃の若い男である。
「ラッシュ! こないだは悪かった、だからロンを止めてくれ!」
開口一番謝るなり、大袈裟な仕草で頭を下げた。
周子の黒目がやや驚いたようにきゅんと丸くなる、この二人の男よりも、いや女のシャアラよりもゆうに頭ひとつ分は小さい、可憐で華奢な印象、つやつやとした黒目とかすかに桜色を湛えた透き通るような白い肌、それが見上げてうん、と頷く、その可憐なことといったら、まるで天使か妖精のようである。
だが、その口から出た言葉は、
「べっつに怒ってないわよ、あんた達によってたかってヤられそうになったことくらい。結局返り討ち食らったのはあんた達だろが。私相手に力づくでだなんて、命知らずも甚だしい。死にたいのかと思ったら泣いて命乞いするから手加減してやったけど、二度目は無いわよ。……それで、なんの騒ぎだって?」
沈黙。
「それで、なんの騒ぎだって?」
黒眉を顰め、もう一度周子が聞いた。
一見可憐な美少女が訝しげに睨むその表情には、加虐的な、それでいて痺れるように甘美な、言うに言われぬ迫力がある。
十人とすれ違えば十人ともすぐさまハッと振り返る美少女だが、ここミアムにおいては、誰も振り向かないのがならいだ。すれ違って、ゆうに十歩ほどは距離を置いてから、改めてそっと振り返り、その小柄な背丈と敏捷そうで伸びやかな肢体、背に揺れる艶やかな黒髪に感嘆の吐息を漏らす、それがミアムのタチバナ、修三タチバナの一人娘、周子だった。
というのも、彼女の異性に対する態度は単純かつ一律で、気に食わない、ただそれだけ、声を掛けて寄越す男どもにもし下心があろうものなら、痛烈な拒絶の言葉とともに魔法なり体術なり、相手の無礼さに見合った一撃で返り討ちにするからだ。
見た目はウサギか何かのように可憐な小動物のようなのに、迂闊に手を出せば半殺しの目に遭う、周子の物騒さを我が身に思い出したのか、凍ったように沈黙した男どもの態度に周子はちっと舌打ちした。
「帰る」
「ろ、ロンが、お前の名を刻むと」
「私、奴隷なんて要らないわよ?」
取り付く島もなく、周子は拒否した。
「そ、そんでロンが、お前の腕に自分の名を刻ませると」
ぴゅぅ、と周子は高く短く口笛を鳴らした。
「この私相手にタトゥーの呪を刻むと?」
ふっくらとした薔薇色の唇が蔑笑を刻む。
「大きく出たな、あの馬鹿。脳みそ涌いてる、首から落としたほうがいいんじゃないの、頭」
「ななななあ、ラッシュ、お前やっぱロンとどうにかくっつ……」
「無理」
周子はキッパリと首を横に振った。
「ほうほう、相変わらず気位が高いの、その黒髪その黒目、艶やかな漆黒はまさに魔力の強さの象徴。さすがタチバナの百代目じゃ。その美しさ、父のイビサよりもはるかに良い値がつくのも然りじゃ」
「長老……申し訳ございません、このたびはロンがとんだ騒ぎを」
深々と頭を下げて畏まったシャアラを横目に、周子は口の端を思いっきり下げた。
「うッは、来たよ、ベースの強欲元締めババアが」
「しっ、く、口を慎め、ラッシュ」
二人の男友達が慌てて周子の腕を引き、頭を押して無理に下げさせたが。
長老、と呼ばれたベースの長は鷹揚に笑った。
「よい。タチバナの無礼は代々のことじゃ、この気骨のあるサマがまこと可愛いのじゃ。なぁんじゃ、この期に及んでまだロンでは不満だと抜かしておるのか、ラッシュサマー」
「この期も何も!」
周子はまた首を横に振った。
「なんでこんな騒ぎになってるのよ、ロンが人質とって篭城ですって? ありえない」
「お前があんまりにも待たせるからじゃろうて。焦らしすぎじゃぞ……のう、ラッシュサマー、この際だ、その腕にロンの名を刻んでしまえ」
「待たせてなんかないって! なにその婚約してますみたいな言い方! そもそもそんなん、父さんが許すはずないし!」
周子はたちまちぷうっと頬を膨らませた。
「冗談よしてよ、私はロンなんかのタトゥーを刻む気なんて、これっぽっちもないんだから! 父さんよかいい男じゃないと嫌。タトゥーを刻むに値しないね」
そう強く否定して、周子は長老を睨んだ。
「あー、なるほどこの騒ぎ、ひょっとしてロンをけしかけたのはあんただな?」
長老はたちまちにんまりと年季の入った笑みを浮かべた。狡猾さを存分に含んだ残酷な笑みである。
「ほほう、相変わらず勘が良いの」
ふん、と鼻を鳴らした周子に対し、畏まっていた三人は驚愕の声を上げた。
そんな彼らをまるきり無視すると長老は、おもむろに手を伸ばし周子の左腕を掴んだ。
「……未隷属とは、まこと美しい腕よのう」
そう呟いて嘆息して。
それは何かに憑かれたような不穏な声色だ。
「隷属のタトゥー、左腕に名を刻んだ呪主には絶対的な隷属を誓う、我らミアムの召喚の種一族における絶対的な掟じゃ、タチバナの血系のお前とて例外なく適用される。いい加減、ロンで手を打て。タトゥーの契約を結び、その腕に名を刻め。あの若造はお前の年代では一番マシな男じゃが」
そう言って、未だ名を刻んでいない周子の白い肌を、枯れ枝の如き指先で撫でた。
「齢十五にもなれば、みな刻むのが習わしじゃ。拒み続けてもう何年になる、我らが種においてはタトゥーの契約を結んでおらぬ未隷属の状態こそ危険なものじゃぞ?」
「結構」
周子は腕を執拗に撫でさする長老の皺だらけの手を払うと、ぶるりと身震いし、きつく睨んだ。
「私は、タトゥーの相手は自分で選ぶ、自分が惚れた男の名しか刻まないわよ、絶対に」
「強情よのう。恋情も知らぬ子供が大きな口を叩きおって」
そんな調子で一体いつになったら惚れたと申す男とやらが現れるというかのう、と恨みがましく呟いた。
黒目黒髪、タチバナの血系と呼ばれるその特殊な容貌には確かに、人の心を一瞬のうちに鷲掴みにしてしまう美しさがある。だがその美しい容姿に無頓着なのは、恋だの愛だのにまるで興味のない当人くらいなもので、痴話喧嘩どころか恋愛のれの字もピンとこないような幼いところがある。
「私、そんなに高値で取引されてるの?」
「父イビサの十倍の値がついておる」
「は! ボッタクリだね!」
「ボッタクリだのう!」
長老は、腰に手をあて軽くふんぞり返った周子の言葉そのままに繰り返してみせた。
周子の振る舞いに付き合うほどには十分に冗長、それは周子の、時には空回りなほどの気の強さ、無礼ともとれる態度にすら、とりわけ過分に目をかけている証拠といってよかろう。
「召喚の種は、ベースが依頼主と交わした契約に基づき召喚される。ひとたび召喚されればその依頼主のどのような願い事をも叶える、いわば天使のようなものじゃ。お前はその中でも最も高位、タチバナの百代目、それ相応の値がつくのは当然じゃ」
おまえのその生意気な減らず口と、依頼主の心の隙を突く頭の回転の速さは、天使というよりもまるで悪魔じゃ、先の召喚はまこと上手いことやらかしたものじゃ、と長老は上機嫌に誉めた。
ミアムは”召喚の種”という魔法を行使する種族を輩出する、きわめて特殊な国である。その異質さゆえ周囲の大国が手出しできぬほどの”強国”だが、その規模は国というよりもベースと称される派遣機関を中心とした小さな集落、自国の魔法使いを派遣しその対価で以って国を賄う仕組みとなっている。
「とりわけお前を召喚したがる輩は金持ちで、そして物騒じゃ。高値を吹っかければかけるほど、面白がる。高ければ高いほど売れるとは面白いものじゃ。地獄の沙汰も金次第、ベースはお前を抱えて大繁盛じゃ」
「じゃ、もう十分稼いだんじゃないの?」
さばさばと周子は聞く。
「稼いだのう、この小童どもが一生かけて稼ぐだけの契約金を、お前はたった二度の召喚ですでに凌駕しておる、格が違う」
鷹揚に頷いて、長老はシャアラ含め眼前の三人を顎で示した。
その仕草に滲むのはむしろ蔑み、取るに足らぬ者に対する心無さ……周子は、この老人のこういった態度こそがこの世で最も嫌いだった、召喚の種をまるで道具としてしかみていない。
「ラッシュサマー、真の名を明かせ。どれほど魔力の強い者でもベースに逆らうことは許さぬ。タチバナのお前とて然り。イビサはあのとおりの手に負えぬ変人じゃが、あの気狂いはともかく、お前はまだ若い、しかもタチバナの百代目じゃ、その絶大な魔力はなんとしてもベースに隷属せねばならぬ」
ふん、と周子は鼻を鳴らした。
決して悪いようにはせぬ、とまだ物心もつかぬ幼き頃より幾度となく問われ誘導され乞われ、あるいは時には脅された、己の真の名―――”周子”。
絶対に名を明かしてはならぬ、ときつく父親に言われてきた。
物心つくまで、いや、名を明かしてはならぬとの鉄則が周子の魂に刻まれるまで、父修三はいついかなるときも周子を傍から離さなかった。
―――その用心深さは、むしろ狂執といっても良い。
「父さんを気違い呼ばわりするなんて」
そんな陰口も、周子を守るものだと、彼女は信じ疑ったこともない。
「あ奴は世情を超越しとる。あの男が唯一言うことを聞く相手は実の娘のお前だけじゃ。お前を安全に養うためだけにイビサはミアムに籍を置き召喚に応じておる」
「父娘二人暮らしですもの、自慢じゃないけど結束は固いわよ」
結束? と長老は小馬鹿にしたようないやあな笑みを浮かべた。
「……つくづく子供じゃの」
「なっ、なによ、むかつくね! タトゥーがなくったって召喚に応じてやったじゃない、莫大な契約金でベースとこの国に繁栄をもたらしてる、この私に何の文句がある? その上名を刻ませようだなんて、貴様無礼にも程があるよ!」
文句あっかこんのクソババア、と途端に激昂した周子の腕を、男友達が二人がかりで慌てて押さえた。
「ぶ、無礼はどっちだラッシュ、長老様になんと無礼なことを。お前は父親が絡むと途端に凶暴になるな」
「だって!」
長老は動じず、周子を正面から見据えると、
「まこと、気位が高いの、ラッシュサマー」
低く威圧感のある声で唸った。
細く引いた目には、対峙する者にだけ分かる物騒な重力を秘めた殺気が光っている。
「タトゥーの呪は召喚契約よりもはるかに拘束力が強い。命を賭す呪じゃ。お前に名を刻みベースは確実にお前が欲しい。可愛いお前の頼みならば、イビサは一もニも無く無条件に己が呪竜を抜くじゃろうて」
「呪竜」
「おうよ呪竜じゃ」
そう言って長老は冷酷に笑った。
「タチバナの血系に眠る呪竜、おまえのそれはさぞ美しいじゃろうの」
正直、お前が刻む名は誰の名でも良い、と長老は吐き捨てた。
周子の黒目が竦んだように小さく丸くなる。
「お主はまだまだ子供じゃ、赤子の手を捻るようなもんじゃ。だがそれではイビサは二度とミアムに利することはせんじゃろう。わしの真の敵はイビサじゃ。あやつの呪竜を抜かぬ限り、なんぼお前を縛り奴隷に貶めようとも意味を為さん。揃えてこその百代じゃ、一代たりとも欠けてはならぬ。百匹の呪竜を抜くまで、百代ものタチバナの血系を為すまで、いったいどれほどの時を費やしたと思うておる」
―――いったいどれほどの時を?
「ひ、」
ぞっとする何か予感めいたものに、周子は一瞬、息を呑むのか吐くのか分からなかったが、
「人の恋路にちょっかい掛けンじゃないわよ、往生できないわよ、クソババア! なんなら私が地獄への片道切符を切ってやりましょうか!」
勢いよく制止の腕を振り払い、詠唱を始め印を結びかけたが、
「わあっ、ラッシュ、なんてこと言う!」
再度大慌てで飛び掛ってきた友人達に、三人がかりでべしゃりと地面に押し潰された。
「うぐぐ……ちょっと、あんた達、どっちの味方よ。このクソババアはロンをそそのかしたのよ! 頭に来ないの? タトゥーの呪で縛ってさ! あんたたちは自分達が飼い慣らされてるって、なんで思わない? 情けなくないの、道具みたいに扱われて、何が天使よ」
「タトゥーの契約こそ、我ら召喚の種の生きる理由だろが!」
だが返って来たのはミアムの掟たる常套文句。
「おれたちは惚れた相手に望んで隷属してるんだ、何も疑問に思うことは無いんだよ! 隷属の
タトゥーさえ刻めば、己が一切の論理はただひとつ呪主に利することのみ、こんな悦楽が他にあるか!」
「つべこべ言うな、刻めば分かる! おれ達ミアムの召喚の種は、タトゥーを刻んだ相手に尽くすことを信条とする、愛に生きる気高き種族だ、ってな!」
畳み掛けるように口々にそう言われ。
周子はじたじたと暴れた。
「なっ、なにその無茶苦茶な〜! いや、待って待ってよ好きな相手ができたらタトゥー刻んでもいいって私最初から言ってるじゃん、つまり好きな人がいないんだからしょうがな……」
「ロンを好きになれ、そうだこの際ロンに惚れちまえ! 手順はこの際もうどうだっていいだろが。刻め、今すぐ刻め! 刻むのが先だ、刻んじまえば後は呪がロンに惚れさせてくれるさ! 心配すんな」
「ナンダソレ! 畜生そこは譲んないよ絶対、だったらそんなに刻みたいんなら父さんを超えてみやがれこんのヘタレども」
ぎゅむぎゅむと押しつぶされながら、周子は叫んだ。
「……まったくあなたの恋愛音痴は筋金入りね」
三人がかりで押し潰したその一番上で、シャアラはやれやれと嘆息した。
「生まれてこのかた、誰も好きになったことが無いだなんて。情の欠落した世間知らずという陰口も、妥当すぎてフォローのしようが無いわ。そもそも、イビサの育て方が間違ってる」
ミアムの召喚の種は、情が豊かで細やかだ、一人と定めるまでは恋も多い、その生来の気質から恋情を殺ぎ落とすなど、父親としてあり得ぬ所業だ。一体どう育てればこんな欠陥品ともいえるまでに恋情に疎い娘が育つのか。
その父親イビサ、実力で言えばミアム一腕の立つ魔法使い、いかに厄介な任務でも確実に履行する切れ者であり、人間はもとより残忍劣悪な魔物と対峙しても確実に始末すると聞く。漆黒の双眸に宿る静かな獰猛さ、まこと底知れぬ物騒さ、近寄り難いオーラを放っているのだが。
―――ラッシュも長ずればあんな異質な感じになるのかしら、
シャアラはその血を思う。
黒目黒髪は圧倒的な魔力の強さを示す身体的な特徴、ミアムにはイビサとラッシュ、この二人しかいないのだ。この二人の共有する世界とは一体どんなものなのだろうか、そこには決して外の者には理解できぬ何かがある、決して踏み込むことの出来ぬ領域、それを思うとシャアラはぞっとした。
―――イビサはひょっとして、ラッシュを誰にも与えぬつもりではなかろうか
「ああ、なんかもう、ばっかみたい……帰ってお風呂入って寝よう」
よろよろと三人の体の下から這い出すと。
乱れた黒髪をばさり、と振って。ふう、と息をつく。その様子はどうにもこうにも全く気の無い様子、悪気がないものの冷酷にすら感じられる軽薄さ。
「んじゃねー、ばははーい……うをっ!」
腰にタックルされてよろめいた周子は目を三角にした。
「なんでシャアラがこうするかな! いい加減怒るよ?」
「ラッシュ、今となっては腕に名を刻んでいないのは、この国の中でもたった三人、ロンと、あなたと、あなたの父親のイビサよ。未隷属であることがどれほど危険なことか。もし万一、意に染まぬ相手に名を刻まれでもしたらどうするの、とんでもない無理難題を吹っかけられて、いいえあなたみたいな美少女、奴隷どころじゃないわ一体どんな目に遭わされるか」
「解くよ」
キッパリと一言。
「私が刻むのは好きな人の名前だけ、って決まってるもん」
さっきからそう言ってるじゃーん? と軽く笑い飛ばした周子、あまりにも素朴過ぎるその論理に、シャアラは目を剥いた。
「! タトゥーの呪を解けるはずが無いじゃない!」
シャアラはぶるり、と身を震わせた。
どうしてあなたはそんなに強いのに肝心なところで無防備なの、と痛ましげに周子を見つめてくるその瞳には、困惑の滲んだ親身な色がある。
まっすぐな灰色の髪が色濃くその額に頬に影を落として、周子は数秒の間シャアラに見惚れた。
周子はシャアラが好きだった。
同い年ながら姉のような存在だ。あのロンには本当に勿体無いと思う。
「私なんかよりもシャアラの方がよほど良いと掛け値なしに思うよ? どうしてロンがここまで私に執着するのか、さっぱり分からん。絶大な魔力を誇るこのタチバナの血系に自分の種をねじ込む、そんなことの一体どこがよいのか、ほんっとに私は分かんないよシャアラ」
シャアラは周子の手をとった。
「ラッシュ、あなたは強情を押し通して、とうとう未隷属のままで召喚された。上手いこと契約を果たして無事ベースに還ってきたけれど、私とても心配してたのよ、あなたは時々魔力が使えなくなるから」
そう言って、周子の呪いの指輪に目を落とす。
強すぎる娘の能力を父イビサが封じたのはミアムでは有名な話だ、その指輪の所為で急に魔力が使えなくなったことは一度や二度どころではないし、何度か危ない目に遭ったことだってある。そして、完全には封じきれずほとんど博打とも言える確立で強烈に発露する、却って物騒な存在になったその絶大な魔力はいわば伝説であり、周子を召喚することに国外の諸侯をより一層躍起とさせた、それこそ莫大な契約金を貢がせて。
むしろ奇妙な価値を高めたようにすら思える、そんなイビサの意図がシャアラには全く分からない。
だが。
こうして接する限り、この娘はただの娘で悪気の欠片も持ち合わせていないのだ。
思わずシャアラは胸の中の己が本音中の本音を口にした。
「あなたに名を刻むべき男が出来ないのは、どう考えてもあの父親の所為。あんな男が傍にいたんじゃどんな男も翳むに決まってる。好きな相手なんて一生できっこないわよ、あんな美形、はっきり言ってとんだ災難よ」
「? 殴られたいの、シャアラ?」
きょとん、と周子は首を傾げた。
シャアラの中に絶望がはっきりと形を成した。
「いつかあなたにだって好きな相手が出来ると私は信じてたけど」
「うん信じてるってば、私も」
「ラッシュ、私は過去形で言っているのよ」
ああ、とシャアラは大仰に空を見上げた。
「そんな出来過ぎな男を越える男など、果たしてこの世にいるものか」
「うえぇぇー?」
そりゃひどい言い様だ、と周子が仰け反った。
その様子はどこまでも子供じみていて。
その基準が最初から雲の上なのだ、この娘がそこいらの男に心揺れるなど到底ありえない、ましてロンに勝ち目など万にひとつもありえない、その事実をシャアラははっきりと悟って。
「ロンの名を刻みなさい」
タトゥーの呪を刻んで相手の望むがままに楽しく幸せに凡庸に暮らすのだ、そのほうがよほど生き易い、とシャアラは切々と説いた。
周子の目が驚いたように丸くなる。
「だってシャアラはロンが好きじゃない、タトゥーの原則は一対一だってベースだってそう言ってる、あのクソババアはともかく、番で刻むのが掟だってそんなの常識じゃん、ロンの馬鹿はシャアラの名前を刻んでそれで円満解決じゃんよ。もういい加減ロンの奴の首締め上げてそうさせるからさ私ちょっくら行ってとっちめてくっから待っ……」
ラッシュ、とシャアラは腕まくりせんばかりの周子を押し止めた。
「……私はロンが好きよ、このタトゥーだって後悔してない。ロンを好きだから彼に名を刻んでもらったのよ。ロンのためだったら何でもする、ロンはあなたが好きなんだもの、仕方ないわ、私は彼の願いを聞き入れるしかない、ねぇ、ラッシュ、どうか彼の女になって!」
「ちょっ」
唐突にシャアラの言葉に熱っぽさが増した。
その瞳に懇願の色が強く滲んで。縋るシャアラの手に、力が入った。
「彼の名を刻んでやって! どうか彼に抱かれて!」
「シャ……」
必死に縋るシャアラに周子は沈黙してしまった。
タトゥーの効力をそこに感じて。
自分の好きな男に他の女を抱かせて平然としていられるものか。
―――隷属のタトゥーはこうも無残に人の気持ちを踏みにじる。
恋情を枷に、相手の望みならばどれほど理不尽なことであろうとも受け入れさせる。軋む左腕を押さえて地面にしゃがみこみ、嗚咽を漏らしたシャアラを見下ろして。
左腕にキリキリと響くその強い熱い痛みは。
胸の空洞を埋めんと欲する激しい渇きは。
決して恋情ではない。
恋情に良く似せた、隷属のタトゥー、ただの呪だ、相手に隷属させるただの仕組みに過ぎない。
―――こんなものに振り回されて、何が”愛に生きる気高い種族”だ。
周子は沸々と込み上げてくる怒りで肌が粟立つのを感じた。
[tog]1:ミアム
Created: 2005-02-07 Modified: 2008-01-15
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蝶番が外れんばかりの勢いでドアを開けた、家に上がり込み、指を突きつけて、
「あなたがラッシュを、とんだ箱入りに育てたのが悪い!」
そう威勢良く罵倒し胸倉掴んで平手を一、二発……だがイビサを見たこの瞬間、シャアラはおどおどと視線を外し、なんて大それた事を考えたのかしらとたちまち後悔した。
この家の主たる彼の姿を居間に見るなり、その近寄り難い超然とした雰囲気に瞬時に萎縮したのだ。引いた血の気に寒気すら覚えた。
「……ああ、イビサ、ごきげんよう」
彼女の灰色の長髪はひどく乱れ、全力で走ってきたその表情は切羽詰っている。苦しげな呼吸を肩で繰り返し不躾に室内を見回す様子は、ごきげんようの言葉からははるかに遠い。
青ざめつつも、だがなんとか当り障り無く挨拶して寄越した娘の友人に、通り名イビサ、修三タチバナは無言で娘、周子のほうへ視線を投げた。
周子はといえば、目をまん丸にして飛び込んできた女友達を見たものの、飲みかけの牛乳を手離さず、グラスに口付けたままさらに一層傾けようとし……どうやら面倒そうな話を聞くより先に、飲みたいものはとっとと飲んでしまおうと思ったらしい。
空気を読まぬ娘のその軽薄さに、修三は知れず微笑んだ。
「ロンが、小さな女の子を人質にしてベースに篭城したの! ラッシュ、あなたを出せって!」
周子はそのまま牛乳を飲み干して口を拭った。
「人質? 篭城? で、私を出せって? なんで?」
「痴話喧嘩にも程があるわ。ロンがとうとう刃傷沙汰を。とにかくラッシュ、私と来て」
「うっわ、痴話喧嘩ならじゃあ他所でやってよもう、なに喧嘩したのよあんた達」
「あなたが当事者なのよ!」
「ええ?」
首を捻る周子をとにかく引っつかむと、シャアラはギクシャクと修三に一礼し、家を飛び出してゆく。左腕をキリキリと締め上げる熱い痛みに顔をしかめながら。
「……全く、私という恋人がありながら、ロンったら、まだラッシュをあきらめてないんだわ。ラッシュはこのとおりひどい恋愛音痴でぽややんとしてるし! よりによって刃傷沙汰だなんて……ゆうべ、おれには策がある、おれだっていざとなればあの美麗親父よりもはるかに切れ者だ、って意味不明な笑みを浮かべていたけど……」
私の体を抱きながら他の女のことばかり話すなんて、とシャアラは軋む胸の痛みに恋人ロンを詰った。
「だから痴話ってナニヨー!?」
自分に引きずられながらしきりに首を捻っているラッシュサマー、彼女をどうにも憎めないところがまた、辛い。三角関係ですら成り立たぬ不条理な事実が、シャアラの腕には刻まれていた。
隷属のタトゥー。
真の名を口にされ、次いでその相手が自らの名を名乗れば発動するという呪(しゅ)、ミアムの彼ら一族においては絶対の掟。
ロンに命じられのだ、ラッシュサマーを連れて来い、と。
左二の腕に刻まれたその名、隷属のタトゥーの呪主の命令は絶対なのである。
「ラッシュだ、あのラッシュサマーがきたぞ!」
「すっげえ綺麗だな!」
「みろよあの漆黒の髪!」
シャアラに引きずられようやく周子が姿を現すと、すでにベースの建物を取り巻いていた野次馬は口々に騒いだ。
その野次馬の中から、二人の男がわたわたと転がるようにして駆け寄ってくる。二人とも灰色の髪をした、周子と同じ年頃の若い男である。
「ラッシュ! こないだは悪かった、だからロンを止めてくれ!」
開口一番謝るなり、大袈裟な仕草で頭を下げた。
周子の黒目がやや驚いたようにきゅんと丸くなる、この二人の男よりも、いや女のシャアラよりもゆうに頭ひとつ分は小さい、可憐で華奢な印象、つやつやとした黒目とかすかに桜色を湛えた透き通るような白い肌、それが見上げてうん、と頷く、その可憐なことといったら、まるで天使か妖精のようである。
だが、その口から出た言葉は、
「べっつに怒ってないわよ、あんた達によってたかってヤられそうになったことくらい。結局返り討ち食らったのはあんた達だろが。私相手に力づくでだなんて、命知らずも甚だしい。死にたいのかと思ったら泣いて命乞いするから手加減してやったけど、二度目は無いわよ。……それで、なんの騒ぎだって?」
沈黙。
「それで、なんの騒ぎだって?」
黒眉を顰め、もう一度周子が聞いた。
一見可憐な美少女が訝しげに睨むその表情には、加虐的な、それでいて痺れるように甘美な、言うに言われぬ迫力がある。
十人とすれ違えば十人ともすぐさまハッと振り返る美少女だが、ここミアムにおいては、誰も振り向かないのがならいだ。すれ違って、ゆうに十歩ほどは距離を置いてから、改めてそっと振り返り、その小柄な背丈と敏捷そうで伸びやかな肢体、背に揺れる艶やかな黒髪に感嘆の吐息を漏らす、それがミアムのタチバナ、修三タチバナの一人娘、周子だった。
というのも、彼女の異性に対する態度は単純かつ一律で、気に食わない、ただそれだけ、声を掛けて寄越す男どもにもし下心があろうものなら、痛烈な拒絶の言葉とともに魔法なり体術なり、相手の無礼さに見合った一撃で返り討ちにするからだ。
見た目はウサギか何かのように可憐な小動物のようなのに、迂闊に手を出せば半殺しの目に遭う、周子の物騒さを我が身に思い出したのか、凍ったように沈黙した男どもの態度に周子はちっと舌打ちした。
「帰る」
「ろ、ロンが、お前の名を刻むと」
「私、奴隷なんて要らないわよ?」
取り付く島もなく、周子は拒否した。
「そ、そんでロンが、お前の腕に自分の名を刻ませると」
ぴゅぅ、と周子は高く短く口笛を鳴らした。
「この私相手にタトゥーの呪を刻むと?」
ふっくらとした薔薇色の唇が蔑笑を刻む。
「大きく出たな、あの馬鹿。脳みそ涌いてる、首から落としたほうがいいんじゃないの、頭」
「ななななあ、ラッシュ、お前やっぱロンとどうにかくっつ……」
「無理」
周子はキッパリと首を横に振った。
「ほうほう、相変わらず気位が高いの、その黒髪その黒目、艶やかな漆黒はまさに魔力の強さの象徴。さすがタチバナの百代目じゃ。その美しさ、父のイビサよりもはるかに良い値がつくのも然りじゃ」
「長老……申し訳ございません、このたびはロンがとんだ騒ぎを」
深々と頭を下げて畏まったシャアラを横目に、周子は口の端を思いっきり下げた。
「うッは、来たよ、ベースの強欲元締めババアが」
「しっ、く、口を慎め、ラッシュ」
二人の男友達が慌てて周子の腕を引き、頭を押して無理に下げさせたが。
長老、と呼ばれたベースの長は鷹揚に笑った。
「よい。タチバナの無礼は代々のことじゃ、この気骨のあるサマがまこと可愛いのじゃ。なぁんじゃ、この期に及んでまだロンでは不満だと抜かしておるのか、ラッシュサマー」
「この期も何も!」
周子はまた首を横に振った。
「なんでこんな騒ぎになってるのよ、ロンが人質とって篭城ですって? ありえない」
「お前があんまりにも待たせるからじゃろうて。焦らしすぎじゃぞ……のう、ラッシュサマー、この際だ、その腕にロンの名を刻んでしまえ」
「待たせてなんかないって! なにその婚約してますみたいな言い方! そもそもそんなん、父さんが許すはずないし!」
周子はたちまちぷうっと頬を膨らませた。
「冗談よしてよ、私はロンなんかのタトゥーを刻む気なんて、これっぽっちもないんだから! 父さんよかいい男じゃないと嫌。タトゥーを刻むに値しないね」
そう強く否定して、周子は長老を睨んだ。
「あー、なるほどこの騒ぎ、ひょっとしてロンをけしかけたのはあんただな?」
長老はたちまちにんまりと年季の入った笑みを浮かべた。狡猾さを存分に含んだ残酷な笑みである。
「ほほう、相変わらず勘が良いの」
ふん、と鼻を鳴らした周子に対し、畏まっていた三人は驚愕の声を上げた。
そんな彼らをまるきり無視すると長老は、おもむろに手を伸ばし周子の左腕を掴んだ。
「……未隷属とは、まこと美しい腕よのう」
そう呟いて嘆息して。
それは何かに憑かれたような不穏な声色だ。
「隷属のタトゥー、左腕に名を刻んだ呪主には絶対的な隷属を誓う、我らミアムの召喚の種一族における絶対的な掟じゃ、タチバナの血系のお前とて例外なく適用される。いい加減、ロンで手を打て。タトゥーの契約を結び、その腕に名を刻め。あの若造はお前の年代では一番マシな男じゃが」
そう言って、未だ名を刻んでいない周子の白い肌を、枯れ枝の如き指先で撫でた。
「齢十五にもなれば、みな刻むのが習わしじゃ。拒み続けてもう何年になる、我らが種においてはタトゥーの契約を結んでおらぬ未隷属の状態こそ危険なものじゃぞ?」
「結構」
周子は腕を執拗に撫でさする長老の皺だらけの手を払うと、ぶるりと身震いし、きつく睨んだ。
「私は、タトゥーの相手は自分で選ぶ、自分が惚れた男の名しか刻まないわよ、絶対に」
「強情よのう。恋情も知らぬ子供が大きな口を叩きおって」
そんな調子で一体いつになったら惚れたと申す男とやらが現れるというかのう、と恨みがましく呟いた。
黒目黒髪、タチバナの血系と呼ばれるその特殊な容貌には確かに、人の心を一瞬のうちに鷲掴みにしてしまう美しさがある。だがその美しい容姿に無頓着なのは、恋だの愛だのにまるで興味のない当人くらいなもので、痴話喧嘩どころか恋愛のれの字もピンとこないような幼いところがある。
「私、そんなに高値で取引されてるの?」
「父イビサの十倍の値がついておる」
「は! ボッタクリだね!」
「ボッタクリだのう!」
長老は、腰に手をあて軽くふんぞり返った周子の言葉そのままに繰り返してみせた。
周子の振る舞いに付き合うほどには十分に冗長、それは周子の、時には空回りなほどの気の強さ、無礼ともとれる態度にすら、とりわけ過分に目をかけている証拠といってよかろう。
「召喚の種は、ベースが依頼主と交わした契約に基づき召喚される。ひとたび召喚されればその依頼主のどのような願い事をも叶える、いわば天使のようなものじゃ。お前はその中でも最も高位、タチバナの百代目、それ相応の値がつくのは当然じゃ」
おまえのその生意気な減らず口と、依頼主の心の隙を突く頭の回転の速さは、天使というよりもまるで悪魔じゃ、先の召喚はまこと上手いことやらかしたものじゃ、と長老は上機嫌に誉めた。
ミアムは”召喚の種”という魔法を行使する種族を輩出する、きわめて特殊な国である。その異質さゆえ周囲の大国が手出しできぬほどの”強国”だが、その規模は国というよりもベースと称される派遣機関を中心とした小さな集落、自国の魔法使いを派遣しその対価で以って国を賄う仕組みとなっている。
「とりわけお前を召喚したがる輩は金持ちで、そして物騒じゃ。高値を吹っかければかけるほど、面白がる。高ければ高いほど売れるとは面白いものじゃ。地獄の沙汰も金次第、ベースはお前を抱えて大繁盛じゃ」
「じゃ、もう十分稼いだんじゃないの?」
さばさばと周子は聞く。
「稼いだのう、この小童どもが一生かけて稼ぐだけの契約金を、お前はたった二度の召喚ですでに凌駕しておる、格が違う」
鷹揚に頷いて、長老はシャアラ含め眼前の三人を顎で示した。
その仕草に滲むのはむしろ蔑み、取るに足らぬ者に対する心無さ……周子は、この老人のこういった態度こそがこの世で最も嫌いだった、召喚の種をまるで道具としてしかみていない。
「ラッシュサマー、真の名を明かせ。どれほど魔力の強い者でもベースに逆らうことは許さぬ。タチバナのお前とて然り。イビサはあのとおりの手に負えぬ変人じゃが、あの気狂いはともかく、お前はまだ若い、しかもタチバナの百代目じゃ、その絶大な魔力はなんとしてもベースに隷属せねばならぬ」
ふん、と周子は鼻を鳴らした。
決して悪いようにはせぬ、とまだ物心もつかぬ幼き頃より幾度となく問われ誘導され乞われ、あるいは時には脅された、己の真の名―――”周子”。
絶対に名を明かしてはならぬ、ときつく父親に言われてきた。
物心つくまで、いや、名を明かしてはならぬとの鉄則が周子の魂に刻まれるまで、父修三はいついかなるときも周子を傍から離さなかった。
―――その用心深さは、むしろ狂執といっても良い。
「父さんを気違い呼ばわりするなんて」
そんな陰口も、周子を守るものだと、彼女は信じ疑ったこともない。
「あ奴は世情を超越しとる。あの男が唯一言うことを聞く相手は実の娘のお前だけじゃ。お前を安全に養うためだけにイビサはミアムに籍を置き召喚に応じておる」
「父娘二人暮らしですもの、自慢じゃないけど結束は固いわよ」
結束? と長老は小馬鹿にしたようないやあな笑みを浮かべた。
「……つくづく子供じゃの」
「なっ、なによ、むかつくね! タトゥーがなくったって召喚に応じてやったじゃない、莫大な契約金でベースとこの国に繁栄をもたらしてる、この私に何の文句がある? その上名を刻ませようだなんて、貴様無礼にも程があるよ!」
文句あっかこんのクソババア、と途端に激昂した周子の腕を、男友達が二人がかりで慌てて押さえた。
「ぶ、無礼はどっちだラッシュ、長老様になんと無礼なことを。お前は父親が絡むと途端に凶暴になるな」
「だって!」
長老は動じず、周子を正面から見据えると、
「まこと、気位が高いの、ラッシュサマー」
低く威圧感のある声で唸った。
細く引いた目には、対峙する者にだけ分かる物騒な重力を秘めた殺気が光っている。
「タトゥーの呪は召喚契約よりもはるかに拘束力が強い。命を賭す呪じゃ。お前に名を刻みベースは確実にお前が欲しい。可愛いお前の頼みならば、イビサは一もニも無く無条件に己が呪竜を抜くじゃろうて」
「呪竜」
「おうよ呪竜じゃ」
そう言って長老は冷酷に笑った。
「タチバナの血系に眠る呪竜、おまえのそれはさぞ美しいじゃろうの」
正直、お前が刻む名は誰の名でも良い、と長老は吐き捨てた。
周子の黒目が竦んだように小さく丸くなる。
「お主はまだまだ子供じゃ、赤子の手を捻るようなもんじゃ。だがそれではイビサは二度とミアムに利することはせんじゃろう。わしの真の敵はイビサじゃ。あやつの呪竜を抜かぬ限り、なんぼお前を縛り奴隷に貶めようとも意味を為さん。揃えてこその百代じゃ、一代たりとも欠けてはならぬ。百匹の呪竜を抜くまで、百代ものタチバナの血系を為すまで、いったいどれほどの時を費やしたと思うておる」
―――いったいどれほどの時を?
「ひ、」
ぞっとする何か予感めいたものに、周子は一瞬、息を呑むのか吐くのか分からなかったが、
「人の恋路にちょっかい掛けンじゃないわよ、往生できないわよ、クソババア! なんなら私が地獄への片道切符を切ってやりましょうか!」
勢いよく制止の腕を振り払い、詠唱を始め印を結びかけたが、
「わあっ、ラッシュ、なんてこと言う!」
再度大慌てで飛び掛ってきた友人達に、三人がかりでべしゃりと地面に押し潰された。
「うぐぐ……ちょっと、あんた達、どっちの味方よ。このクソババアはロンをそそのかしたのよ! 頭に来ないの? タトゥーの呪で縛ってさ! あんたたちは自分達が飼い慣らされてるって、なんで思わない? 情けなくないの、道具みたいに扱われて、何が天使よ」
「タトゥーの契約こそ、我ら召喚の種の生きる理由だろが!」
だが返って来たのはミアムの掟たる常套文句。
「おれたちは惚れた相手に望んで隷属してるんだ、何も疑問に思うことは無いんだよ! 隷属の
タトゥーさえ刻めば、己が一切の論理はただひとつ呪主に利することのみ、こんな悦楽が他にあるか!」
「つべこべ言うな、刻めば分かる! おれ達ミアムの召喚の種は、タトゥーを刻んだ相手に尽くすことを信条とする、愛に生きる気高き種族だ、ってな!」
畳み掛けるように口々にそう言われ。
周子はじたじたと暴れた。
「なっ、なにその無茶苦茶な〜! いや、待って待ってよ好きな相手ができたらタトゥー刻んでもいいって私最初から言ってるじゃん、つまり好きな人がいないんだからしょうがな……」
「ロンを好きになれ、そうだこの際ロンに惚れちまえ! 手順はこの際もうどうだっていいだろが。刻め、今すぐ刻め! 刻むのが先だ、刻んじまえば後は呪がロンに惚れさせてくれるさ! 心配すんな」
「ナンダソレ! 畜生そこは譲んないよ絶対、だったらそんなに刻みたいんなら父さんを超えてみやがれこんのヘタレども」
ぎゅむぎゅむと押しつぶされながら、周子は叫んだ。
「……まったくあなたの恋愛音痴は筋金入りね」
三人がかりで押し潰したその一番上で、シャアラはやれやれと嘆息した。
「生まれてこのかた、誰も好きになったことが無いだなんて。情の欠落した世間知らずという陰口も、妥当すぎてフォローのしようが無いわ。そもそも、イビサの育て方が間違ってる」
ミアムの召喚の種は、情が豊かで細やかだ、一人と定めるまでは恋も多い、その生来の気質から恋情を殺ぎ落とすなど、父親としてあり得ぬ所業だ。一体どう育てればこんな欠陥品ともいえるまでに恋情に疎い娘が育つのか。
その父親イビサ、実力で言えばミアム一腕の立つ魔法使い、いかに厄介な任務でも確実に履行する切れ者であり、人間はもとより残忍劣悪な魔物と対峙しても確実に始末すると聞く。漆黒の双眸に宿る静かな獰猛さ、まこと底知れぬ物騒さ、近寄り難いオーラを放っているのだが。
―――ラッシュも長ずればあんな異質な感じになるのかしら、
シャアラはその血を思う。
黒目黒髪は圧倒的な魔力の強さを示す身体的な特徴、ミアムにはイビサとラッシュ、この二人しかいないのだ。この二人の共有する世界とは一体どんなものなのだろうか、そこには決して外の者には理解できぬ何かがある、決して踏み込むことの出来ぬ領域、それを思うとシャアラはぞっとした。
―――イビサはひょっとして、ラッシュを誰にも与えぬつもりではなかろうか
「ああ、なんかもう、ばっかみたい……帰ってお風呂入って寝よう」
よろよろと三人の体の下から這い出すと。
乱れた黒髪をばさり、と振って。ふう、と息をつく。その様子はどうにもこうにも全く気の無い様子、悪気がないものの冷酷にすら感じられる軽薄さ。
「んじゃねー、ばははーい……うをっ!」
腰にタックルされてよろめいた周子は目を三角にした。
「なんでシャアラがこうするかな! いい加減怒るよ?」
「ラッシュ、今となっては腕に名を刻んでいないのは、この国の中でもたった三人、ロンと、あなたと、あなたの父親のイビサよ。未隷属であることがどれほど危険なことか。もし万一、意に染まぬ相手に名を刻まれでもしたらどうするの、とんでもない無理難題を吹っかけられて、いいえあなたみたいな美少女、奴隷どころじゃないわ一体どんな目に遭わされるか」
「解くよ」
キッパリと一言。
「私が刻むのは好きな人の名前だけ、って決まってるもん」
さっきからそう言ってるじゃーん? と軽く笑い飛ばした周子、あまりにも素朴過ぎるその論理に、シャアラは目を剥いた。
「! タトゥーの呪を解けるはずが無いじゃない!」
シャアラはぶるり、と身を震わせた。
どうしてあなたはそんなに強いのに肝心なところで無防備なの、と痛ましげに周子を見つめてくるその瞳には、困惑の滲んだ親身な色がある。
まっすぐな灰色の髪が色濃くその額に頬に影を落として、周子は数秒の間シャアラに見惚れた。
周子はシャアラが好きだった。
同い年ながら姉のような存在だ。あのロンには本当に勿体無いと思う。
「私なんかよりもシャアラの方がよほど良いと掛け値なしに思うよ? どうしてロンがここまで私に執着するのか、さっぱり分からん。絶大な魔力を誇るこのタチバナの血系に自分の種をねじ込む、そんなことの一体どこがよいのか、ほんっとに私は分かんないよシャアラ」
シャアラは周子の手をとった。
「ラッシュ、あなたは強情を押し通して、とうとう未隷属のままで召喚された。上手いこと契約を果たして無事ベースに還ってきたけれど、私とても心配してたのよ、あなたは時々魔力が使えなくなるから」
そう言って、周子の呪いの指輪に目を落とす。
強すぎる娘の能力を父イビサが封じたのはミアムでは有名な話だ、その指輪の所為で急に魔力が使えなくなったことは一度や二度どころではないし、何度か危ない目に遭ったことだってある。そして、完全には封じきれずほとんど博打とも言える確立で強烈に発露する、却って物騒な存在になったその絶大な魔力はいわば伝説であり、周子を召喚することに国外の諸侯をより一層躍起とさせた、それこそ莫大な契約金を貢がせて。
むしろ奇妙な価値を高めたようにすら思える、そんなイビサの意図がシャアラには全く分からない。
だが。
こうして接する限り、この娘はただの娘で悪気の欠片も持ち合わせていないのだ。
思わずシャアラは胸の中の己が本音中の本音を口にした。
「あなたに名を刻むべき男が出来ないのは、どう考えてもあの父親の所為。あんな男が傍にいたんじゃどんな男も翳むに決まってる。好きな相手なんて一生できっこないわよ、あんな美形、はっきり言ってとんだ災難よ」
「? 殴られたいの、シャアラ?」
きょとん、と周子は首を傾げた。
シャアラの中に絶望がはっきりと形を成した。
「いつかあなたにだって好きな相手が出来ると私は信じてたけど」
「うん信じてるってば、私も」
「ラッシュ、私は過去形で言っているのよ」
ああ、とシャアラは大仰に空を見上げた。
「そんな出来過ぎな男を越える男など、果たしてこの世にいるものか」
「うえぇぇー?」
そりゃひどい言い様だ、と周子が仰け反った。
その様子はどこまでも子供じみていて。
その基準が最初から雲の上なのだ、この娘がそこいらの男に心揺れるなど到底ありえない、ましてロンに勝ち目など万にひとつもありえない、その事実をシャアラははっきりと悟って。
「ロンの名を刻みなさい」
タトゥーの呪を刻んで相手の望むがままに楽しく幸せに凡庸に暮らすのだ、そのほうがよほど生き易い、とシャアラは切々と説いた。
周子の目が驚いたように丸くなる。
「だってシャアラはロンが好きじゃない、タトゥーの原則は一対一だってベースだってそう言ってる、あのクソババアはともかく、番で刻むのが掟だってそんなの常識じゃん、ロンの馬鹿はシャアラの名前を刻んでそれで円満解決じゃんよ。もういい加減ロンの奴の首締め上げてそうさせるからさ私ちょっくら行ってとっちめてくっから待っ……」
ラッシュ、とシャアラは腕まくりせんばかりの周子を押し止めた。
「……私はロンが好きよ、このタトゥーだって後悔してない。ロンを好きだから彼に名を刻んでもらったのよ。ロンのためだったら何でもする、ロンはあなたが好きなんだもの、仕方ないわ、私は彼の願いを聞き入れるしかない、ねぇ、ラッシュ、どうか彼の女になって!」
「ちょっ」
唐突にシャアラの言葉に熱っぽさが増した。
その瞳に懇願の色が強く滲んで。縋るシャアラの手に、力が入った。
「彼の名を刻んでやって! どうか彼に抱かれて!」
「シャ……」
必死に縋るシャアラに周子は沈黙してしまった。
タトゥーの効力をそこに感じて。
自分の好きな男に他の女を抱かせて平然としていられるものか。
―――隷属のタトゥーはこうも無残に人の気持ちを踏みにじる。
恋情を枷に、相手の望みならばどれほど理不尽なことであろうとも受け入れさせる。軋む左腕を押さえて地面にしゃがみこみ、嗚咽を漏らしたシャアラを見下ろして。
左腕にキリキリと響くその強い熱い痛みは。
胸の空洞を埋めんと欲する激しい渇きは。
決して恋情ではない。
恋情に良く似せた、隷属のタトゥー、ただの呪だ、相手に隷属させるただの仕組みに過ぎない。
―――こんなものに振り回されて、何が”愛に生きる気高い種族”だ。
周子は沸々と込み上げてくる怒りで肌が粟立つのを感じた。
[tog]1:ミアム
Created: 2005-02-07 Modified: 2008-01-15
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- 2005-04-05 04:26
- カテゴリ : 「タトゥー・オブ・ギャラン」/長編/連載中
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