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[tog]67:切り火

 滾る欲情に任せさんざんに周子の身体を抱いて。
 ようやく一息ついてギャランが身を起こすと、周子は掠れた声で唸った。
「ちくしょー、タトゥーがなきゃあんたなんかに」
「タトゥーは関係ないだろ、強情はんな、ハニー」
 ギャランは軽く肩を竦めて浅く笑うと服を着、ぐったりと横たわる周子にキスを一つ。
「ギャラン……?」
 どっか行くの? と、ベッドの端から周子の手が伸びて不安そうにシャツの裾を掴んで。ギャランはたちまち蕩けるような甘い微笑みを浮かべた。
「寝てろ、すぐ戻る。戻ったらもいっぺんやる、それまでちっと寝とけ」
「……戻ってくんな!」

 後頭部に枕をくらってつんのめったギャランの背中を、周子はベッドの上でぼんやりと見送って。
 その背中はなんとも寂しげに見えた。
 その背中の主が、好きだと思った。
 身体を重ねれば重ねるほど、ギャランの気持ちが良く分かった。
 ギャランの言うことは正しいと思った。


 ギャランの探す相手はすぐに見つかった。
 ダイニングのテーブルに、えんどう豆の山を築き、数人の侍女に混じって豆の筋なぞを取っている。
 侍従長エンギワルー、厨房も預かるこの男は、仏頂面ながらに平然とこんならしくない作業を黙々とやっている事が多い。閑暇を知らぬ男だ。
 ギャランの姿を認めると、エンギワルーは手を止め、侍女達にテーブルの上を片付けるよう小声を発した。
 そしてギャランを見上げ、仏頂面のままにほんの少しだけ、目を細める。それはこの男の、ほんのかすかな、愛想、といってよかった。
「お食事になさいますか?」
「要らぬ」
 ひどく機嫌の悪そうな、ギャランの青く鋭い、厳しい眼差し。
 エンギワルーはそれを見て取ると、大きなザル山盛りに豆を片付けた侍女達に軽く手を上げ、さりげなく人払いをした。
「ではなにか御用ですか?」
 落ち着いた声でそう返し、椅子から立ち上がる。ぱっ、と腰に巻いたエプロンを軽く払うと、外して衣ずまいを正した。
 陰鬱な強い光を湛えたギャランの青い双眸に射抜かれても、エンギワルーはいつもと全く同じ仏頂面のまま、いささかもたじろがぬ。
 豆の筋を黙々と取っていようと、生クリームを泡立てていようと、その真は、ケスリングの鷹、との誉名を持つ、筋金入りの武人である。そのまっとうさにおいては何処までも強い。仕えて十年、その落ち着きと思慮の働く人となり、人を寄せぬカズマが信を篤くするのも実際分からぬでもない。

「渡りをつけろ」

 エンギワルーは首を捻る。
「……渡り? なんのことやらさっぱりですな」
「とぼけんな」
 ギャランはぴしりと言った。
「ロレンスだよ」
「…………」
「ロレンスを引きずり出して来い。奴はコッチを全部知ってるんだろう。お前が通じているのはおれは知ってるぞ」

 ぎり、と歯軋りのようなものが聞こえた。
 無言の、だが圧倒的な威圧感が、仏頂面の男の肌から立ち上る。
 ははあ、とエンギワルーは低く、押し殺すような声を出した。

「物騒な箱の蓋を、敢えて開ける気でございますか」
「ほう、脅すか。開き直ったな」
「脅すも何も」
 エンギワルーは一度ギャランを真正面に見据えてから、
「ロレンスなど存じません」
 ぞっとするその声音のまま、重々しくだが平然と答えた。そこにいささかの揺らぎも無い。
「おれは周子に手を出す輩を徹底排除する。牙の教徒然り、だがまずはロレンスだ。なにかにつけ周子のハートをちょろちょろ掻き回しやがって、目障りだ。ばっくれるな、よいか、早いうちにだ。周子の目に触れる前に確実にぶっ殺す、そうだ、周子はロレンスには会わせない」
「はて」
 真顔で再び首を捻るエンギワルー。
「なぜに王が私にそのように迫るのか、全くもって分かりかねる」
 威圧感をさらに増した仏頂面で、エンギワルーは再度シラを切った。
「お考え違いも甚だしい」
「さもなくば」
 ギャランの喉仏がぐぐっと奇妙に動いて、不意にドスの利いた声を出した。

「カズマを、叩くぞ」
 唐突なその低い声は、地獄の底から響くような、恐ろしくぞっとする色だった。
 エンギワルーはその物騒な声の色と痺れるような重さに、ひたりと肩を強張らせた。

「あいつが熱いうちに、それこそもう二度と立ち上がれん位に叩きのめすぞ。ロレンスを先に、あいつを後回しにして、せめてその熱が冷めるようにとおれは案外優しいぞ、おれの意を、汲め」
「……………」
「あれがどれほど周子に惚れ込んだか、おれはよーっく分かってっぞ」
 はっとしたような、軽く息を呑む気配。
 エンギワルーの痛点の一つを確実に突いた手応えを感じ、ギャランは言葉を続ける。

「あいつは優しいな、あんな間抜けた笑える顔を残しやがって、当の周子にさえ気づかせぬほどに優しい注意を払って、よくもまあ、抱いてくれたもんだな。おれへの情、それを押し切ってまでも、おれが惚れたと公言して憚らぬ女を抱いたのだ。いい度胸だ、その上、寄越せ、とごねるわけでもない。しれっとヒゲなんか描きやがって、まったく、困った男だな」
 ギャランは何もかもを分かっているような静かな声を出した。
「たかがヒゲで騙される女が何処にいる、ちくしょう、周子は馬鹿だ、分かってるくせにとんだ馬鹿オンナだ。おれはどっちになにを怒ってるんだろうな、だが一番怒ってんのはやっぱ自分にだろうな」
 言葉が、おのずと切れる。
 沈黙して、ギャランは一寸天井を仰いだ。
「夕べのおれは大馬鹿だ。気を急いてカッコつけて何が牙の教徒狩りだ。それより先にキッチリ押さえとかにゃあならぬものがここにあるのにな! まだ周子は放し飼いにして安心できるほどおれに惚れちゃいない、迂闊だった」
 まるで己が身を責めるようにそう吐いた。
 そしてエンギワルーを見据える。
「ロレンスは相当に物騒なんだな? むしろおれがやられるか?」
 言い逃れも誤魔化しも許さぬ言外の圧力を込めたその問いに、とうとうエンギワルーは答えた。
「……クロース、かと」
「では、賭けろ」
 すかさずギャランはキッパリと命じた。微塵の迷いも無い。
「おれがロレンスにやられれば、カズマは万々歳だろう」
「若は決して王を裏切りませぬ。王をロレンスに討たせるなどとんでもない、ありえない。どんなことがあってもだ」
「うむ。だがお前はいっそ、おれがロレンスに返り討ちに合えば良いと思うだろう? だから、賭けろ、とおれは言っている」
 ギャランはエンギワルーをピタリと見据える。

「おれをロレンスに討たせて周子をあいつにあてがえば良かろう」

 ぶるり、と一度エンギワルーが大きく身体を震わせた。
「ふざけるな。若は王が討たれることなど微塵も望んでいない」
「おれが話しているのはお前のことだ」
「ですから、そんなことをしても若が喜ぶはずがないと申し上げておる」
 ギャランは、ばん、と手のひらでテーブルの面を一度強く叩いた。

「お前のハナシをしてるんだ、馬鹿」

 ギャランはニヤリ、と笑った。
「お前は、はなっから、おれを殺る気だろうが」

「まさか」
 エンギワルーは掠れた声で否定した。
「いくら私がセリアの亡命者とはいえ、そのような命は受けていない、とんだ言い掛かりだ」
「十年、そのためにおれを張っていたろう、少なくともカズマは、下手に泳がせ不穏な諸侯とつるませるよりも、手許に置いて見張っているほうが安全だと思っている、カズマを何だと思っている? 四十過ぎのおっさんにいちいち細かく世話を焼かれねば何も出来ぬただの貴族のぼんぼんだとでも? カズマを甘く見るな」
 ギャランはそう言って冷たくエンギワルーを見た。
「天下のグランツ家がセリアの内偵を家内に引き入れているのは、立派な謀反だ。カズマを妬む者は多い、この十年、おれの寵を独り占めしてきたツケは大きい、カズマの言葉などいくらでも捻じ曲げることができるぞ」
 ロレンスを出さぬなら、おれはカズマを突き出すぞ、とギャランははっきりと告げた。
 傍目にもはっきりと分かるほど、エンギワルーは身体を硬直させた。

「私は若に、若は王に忠誠を誓っている、然れば即ち、推せぬか」
 知るか、とギャランはキッパリと答えた。
「動かねばカズマを殺す、即刻ロレンスを引きずり出して来い」

 お前とカズマは別人じゃねぇか、バカ、と返して寄越すその言葉は実に明確で、隙が無い。

「ベンジンは?」
 ギャランはエンギワルーから透明な液体の入った小瓶を受け取って。
 目線の高さに持ち上げ、軽く振る。

「希釈してお使いください」
「まさに危機一髪だな! ははっ! ヒゲ!」
 思い出したように不意にギャランが大きく笑った。
 その笑いはむしろぞっとするほど壮絶な殺気を帯びていて。
「デンジャラスだなぁ! 迂闊だなぁ! うっかりカズマにあれを取り上げられるところだった、少なくとも、かろうじて、今朝戻ってきて正解だったな!」
 あのままハリーと血盟砦に転がり込んでいたら、もうアウトだったろうな、とギャランは笑う。
 キレたように一度大笑いをして。それから、クツクツと抑えるように肩を揺すって笑って。その異様さに、エンギワルーはただ沈黙してギャランを見つめた。気違いじみたその様子に圧倒された、萎縮した、といってよい。
 ダンダンッ! とギャランは厚い瓶底を強くテーブルに打ちつけた。
「ロレンスだ、ロレンス!」
 ばさりと金髪を振り乱し、怒りを孕んだ壮絶な表情でエンギワルーを真正面から睨み据えた。
「即刻ロレンスの野郎を引きずり出せ!」
「無茶を仰るな!」
 エンギワルーが苦々しい表情ですかさず拒み、ギャランはガッ、とテーブルを強く蹴り上げた。唐突に怒りが炸裂したようだった。
 勢い良く宙に飛び、派手な音を立ててテーブルが壁に激突する。ギャランは虚しくそのままに残った椅子をも軒並み足蹴にし、四方八方に無残に蹴散らした。
 ギャランはギッ、とエンギワルーを再び睨みつけ。
「いま、おれの怒りを向ける相手を他に差しださねぇと、まじで、カズマを殺すぞ、いいな」
 ギャランの声にはまるで地獄の底から響くような色があった。
 なにか正体の知れぬそら恐ろしい獣にでも睨まれたような、あるいは、煮えたぎる鉄を掬ったひしゃくを口許に手向けられ飲めと迫られるような、なんとも恐ろしく逃れ難い、腰が痺れ背骨の芯が引き攣れるような物騒な色があった。
 エンギワルーは生まれて初めて、身体が竦む感覚、というものを知った。こんな風に総毛立つほどの殺気を感じたことはいまだかつて無い。戦の場数を踏んだ自分のこの身が竦むなど、そんなことがまさかあるとは思わなかった。この手の恐怖に、相手の年など関係ないことを知って。

 ―――若、なんと危ない橋を渡る気だ。

 それは、ガーナの若獅子、と呼ばれる、華やかで壮絶な殺気を色濃くまとったギャランを髪の毛一筋ギリギリで躱す、カズマの本気だった。

 ―――若は、私まで引きずり出す気か。
 エンギワルーは下唇をきつく噛んだ。
 カズマを殺すと正面切って脅されて、動かぬわけには行かぬ。
 若はそれさえも計算に入れているのか。
 己が身を賭けて、よもや、まさかこのようなタイミングで、私を疑う気か。

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