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[tog]71:内に飼うもの

 カズマは馬車を走らせている途中で、後続の馬車の中にエンギワルーの馬車が無いことに気づき、問い質すと周子もいないという。
 すぐに馬車から飛び降り、己の四頭仕立ての馬車から一番手前の、筆頭馬を外すと、ひらりとまたがり、力強く蹴り上げた。
 馬車に使う馬は複数立てで使われるため、瞬発力よりも持続力、他馬との協調性に優れ周囲の馬に合わせて一緒に走るという特性をもっているものではあるのだが。
 カズマによって無理に駆られた馬は、案の定、馬列に戻るなり疲れきった様子で足を引きずだし、途中へばったその一頭に合わせ他の三頭の馬も足並みあわせてのんびりと歩き始めたのだった。
「遅いね?」
「…………………」
 無論カズマは、そんな周子の何気ない一言が非常に気に食わない。
 おそいおそい、と周子は繰り返して。
 だが、それでも窓の外を楽しげに見つめている周子、カズマはひと睨みしたものの、無言のまま彼女から視線を外した。
 ―――結局、周子を自分と同じ馬車に乗せてしまって。
 絶対に置いてくるつもりだったのに、全く自分は一体何をやっているのだ、と思う。

 途中の休憩で馬車から馬へと乗り換えたエンギワルーが、窓から覗き込んでくる。
「まもなく宿場町がありますが、馬を替えますか?」
「無論」
 短く、不機嫌にカズマは応えると、エンギワルーはてきぱきと指示を飛ばし、数名の従者を先に宿場町へと向かわせた。
 まだ日の高い陽光を背負ったエンギワルーの騎乗姿はなかなかにりりしく、かつて、ケスリングの鷹と呼ばれた腕の立つ軍人の姿を髣髴させた。たしかに、四十過ぎの、男盛りの良い男である。その判断も所作も無駄が無く、出過ぎた真似も無く万事よく弁えている。身近に置いてその立ち居振る舞いが心地良い男というのは、まさに持って生まれた品格そのもののなせる業である。エンギワルーは実際よく働く、ただの従者にしてはむしろ出来すぎている位によく出来た男だ。
「……ケスリングの鷹って、なに?」
 きた、とカズマは思った。
 やはり、周子はエンギワルーのことを気にかけている。
「ハゲタカのことでしょうかね」
 視線も合わせず、憮然と応える。
 ハゲタカと言われたときのエンギワルーの表情を思い出し、噴出しそうになってカズマは慌てて唇を一文字に引いた。
「すーんごい、機嫌が悪いのね」
「あたりまえです、あなたの所為で、ルートを変更し、わざわざ遠回りをして宿場町で馬を調達するんです」
「……カズマ様が馬に無理をさせたからでしょうが」
「あなたが私の臣下を誘惑するからです!」
「誘惑も何も」
 周子はやれやれと肩を竦めた。
「エンギワルーに怒られてるの聞いたよ、女性の身支度には時間がかかるものですとか何とか恋愛指南を」
「冗談じゃない」
 何が恋愛指南だ、とカズマはすこぶる嫌そうに眉間に皺を寄せた。

「今度はエンギワルーを引き込んで、逃げだすおつもりか」

「エンギワルーのこと、信用してんじゃないの? そりゃ私は自由になりたいと思ってるけどさ? はっはーん、エンギワルーが私に寝返ると思ってるんだ?」
 カズマは一層不機嫌な顔をした。
「あなたは、牙の教徒に追われ……いや、命を狙われているのですよ? 自由? 召喚に失敗した上、タトゥーを刻まれ、いわば王の奴隷になったのに? 私がいなければ、あなたなんてとうに王にもっとずっとひどい目にあわされています、あの方はいま、まるで初めて恋を知った少年のように、てんで抑えが利かないのですよ? もっとはっきり言いましょうか、あなたは彼の性の奴隷だ」
「やめてその言い方!」
 カズマは小さく息を吐いた。
「まぁ、とにかく。今後は、気安くエンギワルーと話をしないように。エンギワルーは実はああ見えてものすごい子供好きなのです。可能であれば一ダースでも欲しがるでしょう。子がどうの、と話をしていたな。つくづく、あなたは上手いところに目をつけるものだ。どうせ自分が多産だのなんだの、適当なことを吹聴したのでしょう。あなたが子を産めるかどうかなぞ、私、興味のあるところではないが、冗談にも程がある、そんな話を持ちかけるな、特にあの男にはそれが一番響くのですから」
「あーほらほら、私若くてピチピチで、きっと子供も沢山産めるに違いないよ」
「それか! そうエンギワルーに言ったのか、あなた!」
 カズマはギョッと慌てて、この話は打ち切りです、と言った。
「了解。一番響くわけね、エンギワルーには、一ダース」
「あなたはつくづく最低だな」
 カズマはうんざりとメガネのブリッジを押し上げた。
 窓の外を指差し、あれはなに、これは何? が再び始まった好奇心旺盛な周子に、アラカンサスモートのガイドブックを放って、カズマは腕組をして目を伏せた。
 目を伏せ、改めてエンギワルーのことを思って。
 エンギワルーという男は本当に気が利く。実に準備が良い。このガイドブックがなければ、道中ずっと自分が周子の質問攻めにあうところだった、と感心し……だがまた同時に、どうにも不穏な感覚を払拭することが出来ない。
 ―――特にアラカンサスモート行きへの同行を決めたあの態度はなんだ?
 そしてここ数日の二人の距離、やけにその距離が、近くはないか? なんだか二人が、急にぐぐっと近づいた、親しくなったような気がして。
 ―――下手な勘繰りか、いや。
 やはり、二人で何かこそこそとやっているような雰囲気がある、あるのだが、エンギワルーは平然としている、つまりは、周子に強要されての何か、ではなく、エンギワルー自身にその意志があるということだ、とカズマは思って。
 こうなるとエンギワルーは岩よりも固い。周子も同じだ。一切口を割る気配がない。この二人は実に手ごわい。そこでコンジョナシのほうから取り崩そうとしたが、疑念を投げかける矛先が息子コンジョナシへ向かうであろうことも、エンギワルーは当然読んでいるのだろう、ここ数日の間、実に巧に、エンギワルーに阻まれ、カズマはコンジョナシには一切近寄れないといった有様だった。
「周子」
 カズマの眼差しに、正面から見つめ返してくる黒い強い瞳。
 わかってるわよ、とその赤い唇が不服そうにちらと突き出される。
 カズマは真面目な顔をして黙ってうなずいた。
 周子は自分のまとう、ぴりぴりとした緊張感を察しているはずだ。
 他人の話を素直に聞かない、ということは、他人の視点で言われた話をそのまま鵜呑みにするのではない、ということで。
 話の筋を通して、彼女が納得しさえすれば、周子は案外ちゃんと言うことを聞く。
 むしろ、非常に聡明な女だ、とカズマは思う。
 その点は信用しても良いだろう。
 カズマは気持ちを切り替えた。
 ―――なんとしても、ルシウスをかき口説き、王宮へ引きずり出さなくては。
 ルシウスを王宮へ引きずり出す、それは、これまで経験してきた中で最も難解な交渉ごとだと思われた。


 翌朝、周子はベッドから身体を起こすなり、うんざり、と低い声でうめいて再びベッドに突っ伏した。
「馬車の揺れがまだ身体に残ってるよ……ふらふらぐらぐら。馬車での旅ってしんどいんだな……。あーあ、テレポ石でもあればなぁ、こんな苦労しないのになぁ。ねえ、カズマ様の買ったっていう魔石窟、テレポ石は出てこないの?」
「さてね。もし出たとしても、渡さないに決まってるではないですか」
「ケチ」
 本当の金持ち貴族ってのはミアムの種にテレポ石使わせるもんよ、翌朝はそんな周子の文句から始まった。
 頭が痛い、とベッドに仰向けになって不機嫌そうにうめくその様は、しどけないというよりだらしがない。周子は、既にすっかり身支度を整え、例の優雅な微笑とやらを浮かべているカズマを見、うんざりと一度寝返りを打って頬を枕に擦り付けて。
「ったく、朝から胡散くさい笑顔」
「朝の挨拶とはまるで思えませんね」
 カズマはさらりと笑って流して。
「昨夜は良い眠りっぷりでしたね」
「おかげさんで。あんたは全然ロクに寝れてないって顔してる。まじ神経が細いんだな」
「あなたに比べれば、そりゃ誰だって」
 どうせ旅先の宿でなぞ眠れないのだ、だったら自分で周子を見張る、とカズマが言い出した所為で、周子はカズマと同室で一夜を過ごす破目になった。
 やがて部屋に食事が運ばれ、朝食を摂った周子は、茶を一杯飲んだだけで済ませてしまったカズマに眉を顰めて。
「……ちゃんと食べればいいのに」
「とてもとても」
 食など進むはずが無い、とカズマは冷えた声で言った。
 カズマがその口で、手ごわい相手、というのだから、その従兄弟とやらは相当に切れ者なのだろう。周子はカズマの肌近くの空気がぴりぴりしていて、カズマがこれからの交渉ごとにひとかたならぬ緊張をしているのがよく分かった。それは、交渉術に長けた普段のカズマの様子からしてみれば、異様といってもよいほどだった。
 カズマは開け放った窓の向こうを静かに眺めている。
「この町で馬車から馬に乗り換えます。ルシウスは極端な人嫌い、とどのつまりはかなりの変人ですから、その屋敷に訪ねるのもひと苦労なのですよ。深い森の奥の奥に屋敷を構えているのです。たしかに、湖が大変綺麗な、美しいよい土地ではあるのですが」
 カズマの目線の先ではエンギワルーが従者達に指示を飛ばしている。宿屋の外できびきびと大勢の従者達を御している様は、やはり力強く頼もしい。
 やがて、エンギワルーは一頭の馬を、カズマの窓のすぐ近くまで引いてきた。
「若、こちらの葦毛でよろしいでしょうか?」
「ああ」
 精悍に引き締まったしなやかな体躯は艶良く、確かに良い馬である。ちらと馬を見、ひと目で満足したのだろう、カズマは短く頷いた。
「ねぇ、私のはどんなの? 背が低めのがいい、メスがいいな、優しいし」
「周子は若と一緒ですよ」
「え? 私、馬乗れるよ? 知ってるじゃん、クレリック・リザート仕込みだって」
「それが問題だ。もし万一、暴れでもしてどこかにすっ飛んでいかれたら、さすがに困るからな、でしょう、若?」
「馬を駆り殺すほどのハードな乗り手ですからね」
と、カズマも頷く。
「えっ、だってあれは」
「もう二度と、一人で馬には乗せぬ」
 唐突に恐ろしい表情になってエンギワルーはキッパリと却下すると、馬を引き、出立の準備をしている従者達の所へと戻っていった。
「……うわ、まだ怒ってるのかな、前にコンジョナシの馬を殺したこと……私これでなかなか反省してるのにな」
「エンギワルーは、一度恨みに思ったことはずっと覚えている性分ですよ。理性で許しても、その芯は非常に固い。あれは私の従者だが、怒らせると本当に大変な男です、気をつけなさい」
 カズマは厳しい表情を見せたが、すぐにまたにこりと微笑んで、まぶしい朝の光で満ちた外を眺めた。
「大丈夫、良いこともよく覚えている性分です。あなたの好きな酒の銘柄も、気に入った料理も、よく覚えています。そう、もっと、いい思い出ばかりでその内を満たすことができれば、人は幸せなのでしょうがね」
 エンギワルー、あれほどの男が、ただの従者として日夜別なく仕えている、そしてそれがなぜ、己よりもはるかに年若なこのカズマなのか、と周子は思って。
 一体この二人の間にはかつて何があったのだろうか、とそつなく端正に整ったカズマの顔立ちを見た。

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