Entries

[tog]73:岸辺

 ルシウスの屋敷にて通された客室は、従者に与えられるものとしては破格に広く、上等な設えの、美しい部屋だった。すごい、と部屋に入るや周子とコンジョナシは感嘆の声を上げ、窓辺に駆け寄って開け放つ。
「きれい!」
 窓のその先には、美しい湖が陽の光にきらめいている。
 風が木立を抜け、湖面を撫でる、その美しい漣を眺めて。
「ルシウス様のご領地は、緑と湖とに恵まれた、この国でも最も美しい景勝地だそうです、確かにこれは素晴らしいです」
 こんな綺麗な湖というものは僕見たことないです、とコンジョナシは周子の手をきゅっと握った。
 そして、その手を引いて。
「周子様、散歩、散歩行きましょう!」
「あっ、いいね! それいいね!」
「……んンッ!」
 すぐ後で喉を鳴らす音がした。
 振り返れば、エンギワルーがあきれたような顔をして立っている。
「周子、もう約束を忘れたか」
「えーと、ほら、庭から出ないし、ね?」
「駄目だ。勝手に出歩くな」
「じゃ、エンギワルーの監視付きで。さ、行こう!」
 周子は身を翻すとエンギワルーの腕を掴んだ。
「! だから私を巻き込むな……って……」
「パパとお散歩? うわ、久しぶりだ! 周子様、僕嬉しいです!」
 エンギワルーは、周子の振る舞いに一度ぎろっと目を剥いたが、コンジョナシに手を取られると、たちまちくしゃりと破顔した。
 えへへー、と周子とコンジョナシが顔を見合わせて笑い、エンギワルーは手を引かれるままについつい数歩、共に踏み出したものの、すぐにハッと息を飲んで、いつもの仏頂面を繕って首を横に振った。
「いや、しかし駄目だ」
 若の荷解きもまだ済んでいないのだ、とエンギワルーはコンジョナシに自分の手荷物を押し付け、それから、室内に運び込んだ私物の荷物類を指差して。
「私は他の部屋の従者達の様子を見た後、すぐに若の御前に上がらねばならぬ。コンはここで自分の荷物の荷解きだ。しっかり片付けておくように。お前は周子の世話をするのだろう、それは父との約束だろう、違えるな」
「父との約束!?」
 周子はまじまじとエンギワルーを見上げた。
 エンギワルーとコンジョナシがゆびきりげんまんをしているところを想像し、ぷっと吹いてしまう。全然似合わないが、この男は子供好きなのだ、一粒種のこの息子を非常に大切にしているのだ。
「周子、あなたの部屋はこの奥だ」
 エンギワルーは奥のドアを指す。居間のほかに寝室が二つついているタイプの部屋をあてがわれるあたり、侍従長ともなるとやはり待遇も良いらしい。
「ええっと……あれ? じゃあ私はひょっとしてエンギワルーと同室?」
 周子はエンギワルーとコンジョナシを見比べた。
「念のため、我々と同室にしておいた、この地で逃亡されると捜索が厄介だしな」
「ええっ? 信用ないなー」
「実際のところあなたを監視するのはコンジョナシだが。万一逃亡してコンジョナシが若やギャラン王に責められることがあってみろ、ただでは済まさんぞ」
「あ、ああ! そういうことね! コンジョナシの相手ならまかしといて。ご心配なく!」
 一見脅しのその言葉、つまりは周子にコンジョナシの面倒を見て欲しいというのである。
 エンギワルーは、的確に汲んだ周子に、ふむ、とひとつ頷いて、その太い腕を胸の前で組んだ。
「無礼を承知で言うが、カギは掛けてくれるな。何かあったとき踏み込めぬと手間だ」
「カギ?……ああ、ドアを破りますって? 物騒だな」
「あなたを守るためだ、万一があっては困る」
 そう言って、エンギワルーは目を細めた。
「あなたはこれの恩人だ、恩は生涯忘れぬ」
 エンギワルーはコンジョナシを抱き上げ、ぎゅっと抱きしめて息子の胸の鼓動を確認して。
「温かい、音がする」
「さて、解呪したところでロレンスは何て言うかしらね?」
「保険を失った程度だ、さほど堪えぬ」
 ふうん、と周子は首を捻る。
「それであんたは、でもロレンスは知らぬ、と言うわけね」
「そうだ」
「知らぬ、か。息子を人質に取られりゃ、さすがのあんたも形無しだよね。そんなにロレンスが怖いの」
「……乱暴な物言いだな」
 怖いさ、とエンギワルーは一度苦笑した。
 そしてエンギワルーは真面目な表情になると、周子を見た。
「私はもう覚悟はついている、私がそう望んだんだ、ロレンスではなくあなたを、望んだのだ、息子の呪を解いてくれたそれ相応の報いをするつもりだ。ロレンスの正体は明かせない、だがその下へ連れて行くことはできる、あなたがそれを望むというのなら」
 エンギワルーはコンジョナシを下ろすと、ぐい、と周子の肩を引いた。
 周子の華奢な身体を、己の身体に引き寄せ、声をひそめてその耳元に囁いた。
「抜けるか、セリアへ」
 複雑な色を込めた、低くて太い熱い男の声だった。

「なにか抜け駆けの相談ですか?」

 耳に馴染んだやわらかい声が突然降りかかった。びっくーん! と周子が大きく飛び上がるのを、エンギワルーの太い腕がすかさず強く押さえ込んだ。
 いかなる状況下でも落ち着いている、エンギワルーのその堅牢な冷静さを周子はその強い腕の力に感じて。この瞬間、腹の底まで感心した、と言ってもいいくらいだった。
 いつのまに室内に入ってきたのか、すぐ背後にカズマが立っている。足音は勿論、気配すらなかった。
 カズマはエンギワルーの手を払って周子の手を取ると、それを、きゅっ、と握る。
 にっこりと微笑んで、周子の黒目を覗き込む。
 ぞっとするほど凄みのある微笑だった。
「どうせ周子のことです、散歩に行こうと画策していたのではないですか?」
「おや、良くお見通しで」
 エンギワルーがいつもの仏頂面で軽く流す。
 それは、いつもと全く変わらぬ調子である。
 カズマは数瞬の間沈黙した。
 推し量るように周子とエンギワルーとを見比べ、一度、砂でも噛んだかのような嫌な表情を見せたものの、すぐにまた微笑んだ。
「……出ますか? 庭へ」
「え? いいの?」
 周子はカズマに握られた手を戸惑ったように見て。
 痛いまででは無いが、その手にははっきりと力、カズマの意志を込めて握られていて。
「ええ、私がそばにいる限りは。ルシウスとの挨拶も、先ほど玄関先で済ませてしまいましたし。彼はもともと形式ばったことは嫌いな男ですからね、あれで十分。夕食の刻限までのひと時、移動で疲れた身体を水辺で静かに休めようかと思っていたところです」
 夕暮れのこのひと時、水辺の風はさぞ心地よいでしょう、と言って、カズマはそのまま周子の手を引いた。
「じゃ、コンジョナシ、行こ!」
 周子がぱっ! と快活に利き手を伸ばしたが、すかさずエンギワルーが断った。
「コンは私と荷解きがある」
 ええっ! とコンジョナシは短く抗議の声を上げた。
「コン、一人前の従者になるための修行中の身だぞ。遊びに来たのではない」
 強く毅然とした声で窘めると、エンギワルーは有無を言わさずコンジョナシの頭をぐいとわしづかんで自分に引き寄せた。
 カズマが周子を連れて部屋を出て行ったのを確認してから、そっと言い聞かせる。
「……コン、若はああいうときはものすごく怒っておられる。お前は寄るな」
「え? じゃあ周子様は?」
「案ずるな」
 コンジョナシは心配そうに父親の仏頂面を見上げたが、エンギワルーはそれ以上は何も教えなかった。


 カズマはしばらくの間黙ってそのまま手を引き歩いていたが、やがて幾分か気を取り直したのか、周子の手を放した。
 湖の縁まで来ると、その美しい湖面の目映さに目を細めて。
「美しいでしょう。ここは昔から、竜の伝説のある土地で、とりわけここの湖には、竜が棲んでいると言われているのですよ」
「竜なら水竜ね、父さんが昔、東方には綺麗な湖があって水晶の鱗がきらめくそれはそれは美しい竜がいるって言ってた、ひょっとしたらここのことかもしれない」
 ミアムから見たらこっちは東に当たるもの、と周子は言う。
「そうですか。湖は五百年くらいではそう変わらないでしょうね」
「そのうろこが見たい、って言ったら、父さん出てちゃって。それからしばらく日が経ってから父さんが”断られた”ってしょんぼりして帰ってきたっけ……そうね、五百年か」
 周子は軽く肩を竦める。
 そして笑って。
「いやあ、別に、うろこ剥いで来て、なんて全然言ってないんだけどね? やっぱ父さんは、あの人どっかズレてるっていうか……変な人よね。竜は五百年位は生きているものかしら、水竜に会ったら、父さんの話でも聞けるかな。五百年前の、父さんの記憶の欠片を共有できるものなんて……もしそんなものがあったら、あるいは居たら、私は夢中になるかもしれない、人でも、魔物でも、魔法のアイテムでも、なんだって構わない、父さんの話が聞きたい」
 周子は途端に淋しそうな表情をした。
 カズマはそんな周子の様子に小さく嘆息して。
「死んだものに拘ると老けるって言いますよ?」
「うっさいな」
 周子はカズマを蹴り上げた。
「そういやあのヘンなトリも、そうかも知れない。ギャランからさっさと取り上げとくべきだったか。だけど……だけどさ、そう、なんか、いざとなると話を聞きたくない気もして……。よくないことばかり聞かされそうで、正直、怖いのよ」
 周子が消え入りそうな微笑を浮かべる。
 怖い、と言う周子のその言葉に胸を焼いて。
 周子にとって、実際に修三が側にいないこと、このこと以上によくないことがあるのだろうか、とカズマは思いもして。これほどまでに父親に囚われたその魂を解き放つ術など、果たしてあるのだろうか。
「元気出さなくっちゃ」
「おや殊勝な」
「元気出していっぺん、あのヘンなトリを締め上げて吐かせなくっちゃね、いろいろと聞きたいことだらけなのは、ま、本当だし」
 微笑みかけたカズマは、後に続いた周子の言葉に苦笑して、やれやれと一度己の首筋の辺りに手をやった。
「でもほんと、綺麗。妖精でもいそうな感じね」
「見えましたか?」
「え?」
 周子のきょとんとした応えに、カズマは一瞬硬直しかけた身体の緊張を解いた。
 ほっと安堵の息を漏らして。
「見えなかったですか。そう。それなら良かったです。あなたが魅入られたら、なんだか面倒なことになるかもしれないし。いるのだそうですよ、妖精が」
「妖精?」
「ルシウスが懇意にしている妖精が。彼には妖精が見えるのだそうです、ここアラカンサスモートは、昔から魔物の多く出没する地といわれておりまして……さすがに竜の話は少々大袈裟な伝説だとは思いますが」
 湖面は陽の光をキラキラと反射しているばかりだ。
「妖精と懇意? ありえない。ルシウスって何者なの」
 周子が厳しい表情をしてカズマを見上げた。
 そしてすぐに、湖の方へ、目を凝らし、やや肩を強張らせた。
 それから、ニヤッと笑って、低い声で呟いた。
「ほう。貴様がルシウスか」
「え?」
 カズマがはっとしたその瞬間。
 突然周子が、膝から力が抜けたように、ぱさり、と岸辺の芝に膝を落とした。
 一度強くその黒髪を振って、何かを堪えるかのように両の手を地面に付けた。
 がくがくと数度、大きく震えて。
 はっ、と唐突に周囲の酸素を失いでもしたかのように苦しげに喘いだ。
 うつむいた所為で黒髪が頬にかかりその表情は見えぬ。
 かすかに震える肩、呼吸を求めて小さく肩を揺すって。
 喘ぐ拍子にちら、と赤い唇が見えた。
 その、かすかに打ち震える様子はなんとも壮絶な色香を湛えていて。
「……長い銀の髪。すんごく真っ直ぐでさらっさら。灰色の瞳が、光を湛えて、ものっすごく綺麗な……」
「周子? どうしました?」
 カズマは慌てて周子の肩を揺すった。
 周子ははっとして顔を上げると、宙に視線をさまよわせ……カズマは周子の頬を手で挟むとしっかり自分に向けてその黒目をのぞき込んだ。怪訝な眼差しをねじ伏せるように己の眼差しに力を込める。
「周子」
「あ、ああ、大丈夫。……なんだろ、いま、すっごい美形の男の人が見えて」
 ふっと、一瞬、うつろな何かが抜けて、周子の目が正気に返った。
 いつもの勝気な黒目が見つめ返してくる。その光に彼女の強さが戻っているのをしっかり確認して、カズマは、安堵と引き換えにどっと冷や汗が噴いたのを感じた。
 やはり、魔力の強い周子はこの地に感応しやすいのかもしれない、とカズマは一度手のひらで額を拭って。
 小妖精は精神攻撃を得意とする魔物だと、かつてルシウスに聞いたことがある。なにやら精神感応に近い作用が起きたようだ、とカズマは周子の微かに上気した頬を横目で盗み見た。
 ―――いや、この手の感覚は恐らく周子のほうがはるかに聡く、また、詳しいだろう、己が身に起きた作用ももう分かっているはずだ。
 やられた、と不愉快そうに呟いて、周子は唇を尖らせている。
「油断も隙もないな」
「……まさか本当に妖精が見えたので?」
「見えたのはルシウス」
「ル……!?」
「羽根ついたなんかチッコイのが隠れて悪戯してきたってとこかしら」
 私にちょっかい掛けて寄越すとはいい度胸してる、と言って周子はおもむろに腕を宙に伸ばすと、むんずと掴み寄せ、手許でまるで鶏の首でも捻るかのような手仕種をした。そして、あ、はずれ、逃げられたか、と呟く。
 そんな周子の奇妙な素振りをすぐ隣で眺めて。
 ―――ひょっとして、今、妖精の首でも手折るところだったか!?
 そう、周子を連れてくるのをためらった最大の理由は、ここアラカンサスモートがその昔から魔物に縁のある土地であるからだ。ひょっとして何か出るのでは、あるいは遭遇した魔物となにか揉め事でも起こすのではないか、と、だがまさかそんなことは杞憂に過ぎぬと思おうとしていたのだが、あるいは実際、杞憂では済まぬかも知れぬ。
「カズマ様、ルシウスって、そんな感じ? きらっきらの銀髪した、もんのすごい美形だったりするわけね?」
「美形、ってあなた……」
 たっぷり間を置いて、カズマがため息をついた。
「確かに美形かもしれませんが。小妖精と情を交わした、そう、一種の魔物の使い手というか、魔物に魅入られた男です。ある意味ひどく物騒な男ですよ」
 見た目に騙されると痛い目に遭わされますよ、私と血がつながっているとは到底思えぬ、大変にシュールなキレ者です、とカズマは真顔で言う。
「シュールでクレイジーな血なら、まさしくご親戚そのものだな」
「へらず口が利けるのなら安心です」
 カズマはうむ、とひとつうなずいて。
「ルシウスは王宮から離れて十年、この地で日がな一日、詩を吟じ音楽を奏で、絵画を描き……自然を愛で、芸術を愛する、実に享楽的で自由気ままな隠遁生活を送っている男です。つまりは世間の時間軸から大きくズレた面倒な男です」
 あなたに引き合わせると、魔物だのなんだのと物騒な方向に意気投合しそうで恐ろしくて紹介は出来ませんから、そのつもりでくれぐれも大人しくしていてくださいね、とカズマはわざわざ釘を刺す。
「でももう会っちゃったわよ」
「これ以上は会わない。約束だ」
 カズマの断言に周子は苦笑する。
「立てますか」
「うん、大丈夫。あー、でもなんかすっごい気持ち良かった、くらあ! って。眩暈? 魂をがつんといきなり宙に引っ張られたみたいな」
「気持ちいい? 魂を引かれるのが?」
 ―――うん、あーそういやアノ時の感じに似て……
 周子は飛び上がった。
「っていや! イヤなんでもないから! ギャランがどうとかじゃ絶対ないし!」
 周子は途端に大慌てで頭をぶんぶんと振り、今度こそ本当に眩暈を起こして倒れかけた。
 何が何でもないのです、そんな様子で大丈夫なものですか、とカズマは真顔で心配すると、よろける周子をぐっと引き起こした。
 細い、小柄華奢なその身体を支えて。
 さきほど垣間見た周子の常ならぬサマを思い出し。
 周子を抱いた夜のことを唐突に思い出した。

 かっ、と胸を焼くようなこの痛みを、どう消せばよいのか、カズマには見当もつかぬ。

<< [tog]72 Back | [tog] Top | Next [tog]74 >>

Appendix

最近のエントリ

過去の記事タイトル一覧 はこちらから

ブログ内検索

QRコード

QRコード

小説「タトゥー・オブ・ギャラン」も読めるよ!
http://klimit.blog7.fc2.com/

最近のブクマ byコハ

    Read more...on koharitoのブックマーク