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[tog]75:兄の上機嫌

 窓から差しこむ朝の白い光を浴びて、ルシウスの銀の長髪がキラキラと輝いている。
 細身のグレーのパンツにあわせ白いシルクのシャツを一枚羽織っただけのひょろりとした長身のルシウスは、呼び付けたカズマが来室したのを見るや、待ちかねたようにいそいそと書斎のデスクの前に立ち、大仰に両手を広げてその入室を促した。
「おはよう! 良い朝ですね、昨夜はゆっくり休みましたか?」
 この上なく上機嫌な声。
 そんなルシウスの朝の挨拶に、カズマは尻尾を踏まれた猫のように全身総毛立った。
 ルシウス・フォン・ソルティス、この男には朝も昼も夜も全く関係がないに違いない、興がのればすべてがその魂の活動時間、芸術家というべきか、まさに生きている時間軸そのものが常人とは違う、そんな異様なテンションの高さだった。
 というよりも。
 これほどに上機嫌なルシウスは、近親者たる従兄弟のカズマでさえ、いまだかつて見たことが無い。

「喜びなさい。なんですそのうろたえた頼りない眼差しは」
「……………………」

 聞けば、ルシウスが王宮へ参内するというのである。しかも、王宮に留まり新国王陛下に仕えるのだという。新国王陛下とはすなわち、ギャランのことである。
 ルシウスがあの男、と呼ばって憚らぬ、ギャランである。

「珍しく、私、やる気を出してみることにしました、良かったですね、カズマ」

 上機嫌に語尾が上がる。
 カズマは力なく首を横に振った。やはり事態が悪化したような気がする。
 いや、確実に悪化への一途を、たどっている、にちがいない。現在進行形で。

 昨夜カズマは、それでもしつこく裾に縋って食事を勧めるルシウスを振り切って酒宴をどうにか切り上げると、その足でエンギワルーの部屋へと向かった。
 周子に割り当てられた部屋を聞きに行ったのだが、エンギワルーの居室をノックしたそれに応えたのは明るい女の高い声。ドアを開けたカズマの見た光景は、気の抜けるほど、平和な光景だった。
 夜着に着替えたコンジョナシと周子が、二人ごろりとベッドの上に横になり、周子はコンジョナシに絵本を読んでやっているところだった。
 この上なく平和な光景。カズマはほっとして軽く肩を落とし、身体の力を抜いた、いったい何を心配していたのだろうと、どっと噴出した疲れに、襟のボタンを一つ外した。
 この取り合わせは正解だな、と、気がゆるゆると緩み行くのを感じながら、だが、とカズマは軽く腕組みをするとあごに手をかけ、周囲を見回し、周子を見据えた。
「ですが、ここは……ええと……コンジョナシと同室ですか? つまりはエンギワルーと?」
「奥の寝室は鍵が掛かります、ご心配無用です」
 ちょうど従者の各部屋の見回りを終え、ランプを片手に戻ってきたエンギワルーが、落ち着いた声できっぱりとカズマの懸念を払った。
 え? と首を傾げかけた周子をエンギワルーは目で制して。
 周子には監視が必要なことは若もご承知のはずです、とエンギワルーは揺るがぬ声で言う。そして、軽く笑って。
「それとも若は、今宵も周子と同室の方がよろしかったですかな?」
「よくない」
 その言い草、まるで昨夜は私がそれを望んでそうしたかのように聞こえる、無礼者め、とカズマはつくづく迷惑そうな表情をした。
「ご心配は無用ですよ、若。周子は存外、これでなかなかやさしい女です。実際コンジョナシの面倒を見てもらっていますし、ま、コンジョナシにもし万一何かあれば私が正気を失うと思っているようですが」
「うん、怒ったらしつこいって聞いたからね、エンギワルーは。怒らせないようにしなくちゃとは思ってるよ」
 怒らせないように怒らせないように、と呪文のように繰り返し言って周子は軽く笑うと、ベッドの上で軽く伸びをした。なんともくつろいだ、平和な様である。
「寝るかな。コン君、お休み。それからカズマ様も、グナイ」
 手をヒラヒラと振って周子は奥の部屋に消えた。さっぱりしたものだった。
「して、若。なにか御用で?」
「ん? んん、いや、特段用はない」
「周子のことなら心配要りませんよ」
 エンギワルーは、カズマの意図を正確に読んで、まだ幼いコンジョナシの面倒を見てくれるので実は大変助かっております、と真顔で周子を誉めた。
 それがどういうわけか、唐突にカズマの気に障った。
 いつのまにかエンギワルーが周子を懐柔しているような気がしたのだ。
 確かに、周子の殺伐とした心持を落ち着かせるためにコンジョナシを近づけた、だが、なにやらこのごろは、エンギワルーがコンジョナシを使って、むしろエンギワルーが周子を上手く御しているような、そんな感じがしてならぬのである。
 己が配した手駒を期せずして上手く敵方に取り上げられたような、そんな感じだった。
 ―――敵方……いや、
 どうにもこのごろは、エンギワルーが自分よりもはるかに大人に見え……、いや、実際相手は四十過ぎの大人の男なのだから、当然といえば当然なのだが、眺めることのできる視野そのものが違うような、そんな理不尽な焦燥すら感じてしまう。劣等感に近い。
 ―――やさしい女?……女?
 あの周子を、物騒で剣呑で攻撃的で暴力的な周子を、やさしい、と思える状態に御したことなぞ一度もない。
 己の部屋へと戻り、ひどく心がささくれた感じで床についたカズマは、その夜、どっと噴出した旅の疲れにうなされる破目となった。

 そして、寝苦しい夜が明けてみれば、至極上機嫌にしてたくらみ顔のルシウスが、まさにてぐすね引いてうずうずとカズマを待ち構えていたのである。
「さあ、御覧なさい!」
 ルシウスは昨夜のうちに新政権で必須とされるいくつかの施策の骨子を書き上げ、朝一番にカズマを自室へ呼びつけるや、今まさにこの瞬間、カズマの鼻面にびしり、とそれを突きつけたのである。
 たっぷりと長い間沈黙し、ルシウスの顔を見つめた後、カズマは仕方なくその鼻面に突きつけられた書類の束を受け取った。
 銀の細かい細工を施した留め金で括られた、華美なルシウス好みの真っ白に輝く上質な紙の束、そこにはっとするほど見事なインクの文字が、白と黒との見事なコントラストが、むしろ書の芸術作品にすら見える、見事な達筆が躍っている。
 カズマは諦めにも似た長い吐息を漏らした。
「……まこと、兄上の手蹟は美しいことでありますね」
「評価するところが違いますよ、カズマ」
 鈴のような美しい声で、だが冷酷なまでにキッパリと、ルシウスは、読め、と言い渡した。
 カズマはそんな見事なインク文字を目で追いながら、低くうめいた。
「この数字は……読みどおり動けば、十年後には十歳以下の若者が三倍に。特に少子化に拍車のかかる今のこのご時世、ここ数代の歴代の王の中でも最も優れた業績では」
 ルシウスは読みを外さない。そして、定めた目標は必ずクリアする男だ。
 ルシウスの目は笑っていない。
「歴代の王の業績なんてどうでもよろし。私が王宮に戻って指揮をとれば、今の世であればこのくらいの数字は妥当です、もうね、子供がね、新しい人間がね、生まれてこないのは国としてダメダメですよ。もっと活気がないと。バカなあの男でもこれくらいの業績は残すことが出来るはずです、それに、もう少しきつくあの男の尻を叩けば、あと十パーセントのプラスは可能です、それに……」
 言葉を切り、ちら、と首を傾げる。
「……もっとずっとずっときつくあの男の尻を蹴り上げれば、あと十五パーセントのプラスも可能ですね」
 そう言ってルシウスは、目の笑っていない顔で、だがにっこりと微笑んだ。
 王の仕事というのは、優秀な臣下を重用することですよ、と、さらりと言って寄越したルシウスの言葉に、思わずカズマの喉が不穏に音を立てた。
「この私を重用すると言うのならば、彼は立派な王になります、ただそれだけです」
 そらおそろしいことを平然と言い放つ従兄弟である。カズマは再びうめいたが、
「感嘆のうめき、というヤツですね、よろし!」
 ぐっ! とこぶしを握ってルシウスは得意げな笑みを満面に浮かべた。
「さ! お分かりですね、私、本気で王宮に乗り込みますよ! お前の望みの通り!」

「なんだかお願いしたくなくなってきたな……」

 カズマは眉間に刻んだ深い皺を揉みながら下を向いた。
 ギャランは嫌い、王宮は嫌い、と公言して憚らぬ、その己の節を曲げた、ルシウスの興味の対象は昨夜のうちに既に定まっているのだ。

 ―――この、従兄弟をどう御せというのか、無理だ。

「あらやだ、私を御そうと思っているのですね。はは、無理ですよ」
 ルシウスはあっさりとそう言い当てて笑う。そしてカズマの手を取り己の方へ引き寄せると、きゅっと抱きしめて、言う。
「御すなどと、つまらぬコトを考えるでない。望みがあれば、”お願い”なさい。さすれば何でも叶えてあげますよ、お前の頼みならね? 私の可愛いカズマ」
 ぴしり、と硬直したカズマを己の腕の中に感じ、はは、石化した! とルシウスは笑って身を離す。
 常ならばもっとしつこくカズマに構ってくるところなのだが、ルシウスはあっさりとカズマを解放すると、その手の内から書類を取り上げ、ふんふん、と鼻歌を歌いながらそれを机の上にぞんざいに放り投げる。
 己の優れた施策案にはいささかの敬意も払わぬ様子で、長髪をさらりとかきあげると、己の襟元をちょちょいと正す。
 その仕種は、いそいそとしていて。
 政治など二の次でよろし、とその美麗な顔にでかでかと書いてある。
 鼠を狙う猫のような、欄欄とした眼差しでカズマの紫瞳をひた、と見据え、言う。
「さてと、朝食の時間です。まずは双黒の娘と朝食をご一緒するとしよう、文句はないでしょう? 私はお前に助力するのだ、これぐらいの譲歩は当然、するでしょうね? して当たり前」
「…………………」
 鼻の先が触れんばかりにぐい、とカズマに迫って。
「全く、紹介ぐらいするものです! 女性の扱いを本当に知らないのですね、無礼者めが。ええ、もう勝手にさせてもらいますからね? これでもお前の面子を潰さぬよう、一晩我慢したのです! さあこれで文句は無いだろう、では!」
 カズマを無視し、ルシウスは上機嫌に身を翻す。
 朝日の中に美しい銀の髪がしゃらり! と舞う。ルシウスのそのはしゃぎぶりはまさにキラキラと輝く妖精のようである。

「ルシウス」
 カズマが短く、呼び止めた。

「彼女なら、たぶん、東の洞窟ですよ。昨日、こちらに来る途中の馬車で、ガイドブック片手にずいぶん唸ってましたから。東の洞窟のピクシー小妖精の逸話が気に入ったようです。つい先ほど、こちらへ来る前に、彼女の居室へ様子を見に行きましたが、既にもぬけの殻でした。一応エンギワルーには断ってから現地へ行っているようですが……ええ、渋るエンギワルーに昼食の、ええ、弁当を作らせて。意気揚々と出かけたとかなんだとか……」
「! ひとりで?」
 振り返ったルシウスの顔は驚いている。ふつり、と冷や汗がその額に浮くのが見て取れた。その美麗な顔からだんだんと血が引いて蒼白になってくるのを見、カズマは首を傾げる。
「? エンギワルーの息子と一緒だと思います、あの子もいませんでしたから」
「息子? ああ、なんだかチビッコイのが紛れていたな、あれは……どう見ても、ねぇカズマ? あれは……あんなチビッコイちびっこは、当然その、強くはないですよね……どう見てもまだほんの子供だ……大変だ! 衛兵!!」
 ルシウスが悲鳴に近い甲高い声で叫んだ。
 ドアの外に控えていた警備兵が慌ててドアを開け室内に入ってくる。
「全兵を東の洞窟へ向けろ! 馬引けい!」
「るるるる、ルシウス?」
 思いもよらぬ力で腕をつかまれ、廊下を引きずられながら、カズマは鬼気迫る形相を浮かべた美形の従兄弟を見上げた。
「とにかく馬に乗りなさい! 話は後です!」
 女の如き美形な割に意外と馬鹿力なルシウスに馬の背に放られ、カズマはわけのわからぬままにルシウスの駆る馬の後に続いた。

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