コハリトりみっと
長編恋愛FT「タトゥー・オブ・ギャラン」がメインの小説・雑記サイト。
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「青いピクシー?」
「そうです、恐ろしく凶暴で、いたずら好きの」
途端カズマは顔をしかめた。馬を全速力で駆りながらの会話に舌を噛んだのである。
口中でじんわりと血の味が広がってくる。思いっきり舌を噛んだ痛みのせいか、舞い上がる土埃のせいか、目の端に浮いた涙がなかなか引かない。
不覚にもあふれる涙に目をしばたたせながら、カズマは隣を駆けるルシウスを見た。
銀の長い髪が、馬の地を蹴るのにあわせて激しく上下している。乱れれるほどにいっそう色めいて美しい。己が視界が滲んでいる所為であろう、やたらとルシウスがキラキラと輝いて美しく見える。
どうして自分の周りにはこんなに美形ばかりがそろっているのだろう、と唐突に恨めしく思った。こうもはっきりと外見の美醜について劣等感を感じるのは初めての事だった。そもそも己の姿形にはこれまでまるで興味が無かったのである。だが実際に感じてしまえばなんというかそれは……強烈なものに思えた。
「ブルーピクシーが出たのは半年ほど前かしら。どうも、王が例の真っ二つの剣を手に入れた頃だったか、その頃から国内のあちこちで魔物が出没しているとかいう噂でしょ。当領内も例外ではないようで、ええ、私もまっとうな一領主としてこのところ頭を悩ませていたのです、真っ当な一領主としてね」
真っ当な一領主、という言葉をルシウスは二度ほど繰り返した。領内の見回りをカズマに覗き、と言い捨てられたことを意外と根に持っているらしい。
「待て。魔物が出没するのは例外だ。王はかの剣を手に入れる前もその後も、幾度か魔物狩りに出ているがそのようなものは一切確認していない筈だ」
あら、とルシウスは興ざめしたような表情をした。
「アンテナが鈍いんですよ、なんでしたっけ、あの、ハニーとかいうおっさん」
「ハリーです、ハロック・スレルム、この国の軍部のトップですよ! からかうな!」
「ああそうそう、彼はいつもハズレばっかり」
いないところを探してもそりゃいないに決まってますよ、とルシウスは笑う。駄目だ、埒があかぬ、とカズマは唸り、論点を切り替えた。
「真っ二つの剣をご存知か?」
「ええ、存じ上げてますよ、王がかの魔剣を手に入れたと、もっぱらの噂です、妖精達の間ではね」
「妖精、って……いや、いい、それよりも、魔剣? 兄上はあれが魔剣だと仰るか、聖剣ではなく? ひょっとして、あの剣の本当の姿をご存知か」
「トリでしょう?」
「なぜそれをいままで黙っていた!」
「? 聞かれなかったから?」
ルシウスはさらりと応える。
「黙っていた、も何も。お前はもう何年もあからさまに私を避けていたじゃないの、それこそつい先日、あのハゲを寄越すまで、まるきり音沙汰も寄越さなかったくせに。ほんと、つれないんだから。誰のおかげでそんな賢い子に育ったと思っているの」
と、カズマをなじる。
なんだかまるでまともな会話をしている気がしない。この隣で馬を駆っている男ははたして人間だろうか、とカズマはたちまちに不安になる。物知り、にしても周子でしか知らぬようなことを平然と口にするところが気味が悪い。既に物知り、では済まぬ範疇にあると思う。
「だが私のシルフィ達も駆逐された」
不意にルシウスがぴしり、と厳しい声を出した。
シルフィ、というのは、ルシウスが長年懇意にしているピクシー小妖精の別称である。
もともとはルシウスの領地であるアラカンサスモートに古くから存在している魔物の一種だというが、その姿の可憐さと性格の穏やかさで、その印象は魔というより神に近い。豊かな自然、緑と水と清涼な空気とを好み、主に湖のある土地に生息し、古くから湖畔の小天使と称えられ大切にされてきた魔物であるという。
カズマは幼少の頃よりこの手の話をイヤというほど従兄弟のルシウスから聞かされていたが、いままで一度たりともまっとうに取り合わなかった。
そもそも、カズマにはそれが見えなかったからであるし、非科学的云々、というのももちろんあるが、それよりなにより、妖精などといったそもそも金銭の絡みようの無い、まるきり詩人好みの夢うつつな話であるから、カズマの食指が動くはずが無い。
周子に出会い、魔物を実際に目の当たりにするまで、カズマは魔物というものの存在さえ、ひとまとめに丸ごと否定していた。ギャランとハロックが魔物狩りに出掛けるのも、ただの憂さ晴らし程度にしか思っていなかったのが実際である。
「なんとかせねばと思っていたところなのですよ」
ルシウスの声はいつもとは打って変わって厳しく、真面目である。
「そう思っているうちに数がどうにも増えましてね。ブルーピクシーが、私の可愛いシルフィー達を駆逐したのだ、あの洞窟から。あそこはシルフィー達のねぐらとして古くから大切にしてきた場所なのに。私は結構怒っているのですよ。近々、いっそ洞窟ごと破砕して奴らを埋めてしまおうかと、思っていた位なのですが」
ブルーピクシー、湖畔の小天使と称えられるシルフィーとは、姿形のサイズや体つきは似たようなものであっても、その肌は青黒く、爪も牙も鋭く、すぐに噛み付くという。する事はまさに小悪魔、いたずら好きできわめて凶暴凶悪、畑の作物を荒らしたり、家の中に忍び入ってはものをめちゃめちゃに散らかしたり壊したり、時には人間の喉笛に喰らい付き噛み切ることもある物騒な魔物なのだ、とルシウスは説明した。
「それは……」
「そう! 今は危ないんですよ! あの洞窟は!」
カズマの表情が引き締まる。
力いっぱい馬の腹を蹴って、ルシウスよりも一馬身抜きん出た。
周子とコンジョナシが東の洞窟に着いてみると、その入り口には、立ち入り禁止の札とロープが張られていて。
コンジョナシは馬から降りると、その警告の立て札を読み上げる。
「えー、ええとえとえと? 洞窟への立ち入りを禁ずる、アラカンサスモート領主、ルシウス・フォン・ソルティス……って、周子様、入っちゃダメだって書いてありますー!」
二頭の馬の手綱を手近な木に結び付けると、周子もコンジョナシのところへ歩み寄る。
その看板をしげしげと眺め、うむむ、と周子は唸った。
「綺麗な字。……つーか、達筆過ぎて読めん。立て札として激しく失格」
「え?」
「コン君こんなの読めるだなんてまるで五歳児とは思えないよ」
ロープをくぐろうと、近場の岩に足をかけたコンジョナシの腕を、周子は慌ててつかんだ。
「だめ!」
「ええっ? そんなせっかく来たのに。行きましょうよう、周子様!」
「ダメ。立ち入り禁止なんでしょ。あんたに何かあったら、私エンギワルーに殺されるわよ。私一人ならたぶんきっと行くけど。でも人様の子を預かって連れて行くわけにはいきませんて。コン君、私をあの仏頂面に殴り殺させたいの?」
「ぱ、ぱぱぱぱぱぱ、パパはそんなことしませんよ」
「する! あのハゲはね、息子には甘いけど息子に害成すものにはめっちゃ厳しいんだから。コン君、ちみは自分の父親のことぜーんぜん分かってないな」
―――そもそも剣を持たぬ自分は不測の事態には弱い、
突然不意を突かれて物理的に打撃されればこんな身体、あっという間に骨の一本や二本折り飛ばされるのだ、既に周子は己が身体に知っている。
カズマが同行しているならまだともかく、わずか六歳のコンジョナシを、いざというとき自分が守るのはなかなか難しい話だ。そもそも後衛向きなのだ、まして、洞窟にはまるで良い記憶が残っていない、と周子はぐう、と独り唸った。
―――真っ二つの剣の洞窟、
―――あの時、ギャランが助けに来てくれなかったら殺られていた。
「あー、あー、あれだよあれ、デートにさ、お化け屋敷とか高い吊り橋だとかなんか怖いところとか出かけてってそのドキドキを恋愛のドキドキに勘違いさせるっていう……えらく姑息な口説き方の一種だとかなんだとか……ふふふふははははずるっこさんめ騙されるものか金髪馬鹿め」
ギャランのことを思うなりドキリと鳴った、突然の胸の鳴音は、異常な状況下での切迫感を思い出したことによるものだと断定し、周子は強く頭を振る。
「駄目。とにかく駄目よ。公務中はくれぐれも、とエンギワルーに頼まれているのよ。自分より小さな子を連れて、無茶なんて到底できないもの」
「ええええー、せっかくここまで来たのにい〜!」
コンジョナシは、すぐにこうやって子供の特権、おねだり、とわがまま、を行使する。この、見上げてくるちょっぴりうるんだ褐色のまあるい目は、本当に天然なのか、と疑惑を抱きつつ、だが周子はコンジョナシが可愛くて仕方が無い。どんな無茶でも聞いてやりたい、エンギワルーの気持ちが良く分かる、あの仏頂面が妻に、とか言い出してもマァ許してやるか、と周子は軽く思う。
「あきらめな」
弁当タイムにしよう、と断言して周子はさっさと洞窟の横の岩肌を上り、洞窟の入り口の上に少し突き出た屋根のような場所に腰を下ろした。
洞窟の入り口付近の上方の突き出した部分には柔らかな下草が生えていてすわり心地の良い、こじんまりとした空間が出来ている。身を乗り出さしさえしなければ、そう危なくも無い、抜群の特別席である。
コンジョナシがリュックを下ろして、空を見上げ、日の位置を確認する。
「お弁当にはまだ早いのでは?」
「そうね、じゃ、これで!」
周子はコンジョナシのリュックをまさぐると、中から”かわいいおはなのことりちゃん”を取り出し、パッケージを開けた。
瞬時に小鳥が空に舞い、ぽん! と可愛らしい音を立てて花びらになる。
「気に入ってますねぇ」
僕は昨日からそのおまけのラムネばっか食べさせられてる気がします、というコンジョナシの口にまたそれを突っ込んで。周子は身を乗り出し、洞窟の入り口あたりに花びらがひらひらと可憐に舞い落ちる様子を眺めた。
それから、気持ちいいわねぇ、と空を見上げ、おもむろにごろりと寝転がる。
空が、青い。
雲ひとつ無い、晴れ渡った青空。
吸い込まれそうなその青さ、誰かに似ている、と思い……、離れてなおその男のことを想うのかと腕に刻んだその名を思い浮かべ、周子はがっくりと落ち込んだ気分になった。
「寝るんですか?」
「ん? ああ、なんか落ち込んできたから昼寝する。気分が悪い。コン君も昼寝しな。ったく、つくづく、あの男にタトゥーを刻まれるだなんて、とんだヘマをやらかしたわ……クルの言ったとおりだちくしょう」
「お昼寝、って、まだお昼にも早い、ってたった今言ってたばっかりですよ!」
周子様は時々すんごく強引です、とコンジョナシがひとしきり文句を言う。それからしばらくしてスナック菓子の袋を開ける音がした。
ぱりぱり、とあまり気の進まそうな音がする。まあ、ここでお菓子でも食べながら景色を眺め、時間をつぶすことにしたらしい。
この子はなかなか聡い、と周子は思う。こちらが機嫌が悪いのを察知するとそっとしておいてくれる、そんな良さがある。
「コンジョナシ、あんたはエンギワルーからいいところ継いだね」
「そうですか? パパはぼくのあこがれですから嬉しいです」
「パパ、ね、あこがれ、ね……うん、私も父さんにあこがれてたよ」
「じゃ、周子様もお父様からいいところを継ぎましたか?」
う、と周子は軽く眉を寄せた。
「……どうだろうね、血は、継いじゃってるけどね、望まずとも、ね」
周子は低く唸った。修三の記憶が胸中に再び蘇る。父から継いだのはまさに血だけであった気がする、タチバナの血と、魔力、呪文を行使する技の一切は確かに父から教わった、だが、その他の……たとえば、世渡りの術とでも言おうか、なんと言おうか、世間一般的に言うところの、父親らしい役目、というものは、そう、思えばクレリック・リザートがそれを担ってくれていたような気がする。
―――父さんは……
「コン君、ごめん、さっきあんたに父さんのこと全然分かってない、って言ったけど、それは私だ」
「周子様?」
「だって私、父さんの考えてること、さっぱりわからないもの……」
置いてけぼりを喰らって、私ほんとに此の世でたった独りっきりになっちゃったんだわ、と周子は小さく鼻を啜って、ごろりとコンジョナシに背を向けた。
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「そうです、恐ろしく凶暴で、いたずら好きの」
途端カズマは顔をしかめた。馬を全速力で駆りながらの会話に舌を噛んだのである。
口中でじんわりと血の味が広がってくる。思いっきり舌を噛んだ痛みのせいか、舞い上がる土埃のせいか、目の端に浮いた涙がなかなか引かない。
不覚にもあふれる涙に目をしばたたせながら、カズマは隣を駆けるルシウスを見た。
銀の長い髪が、馬の地を蹴るのにあわせて激しく上下している。乱れれるほどにいっそう色めいて美しい。己が視界が滲んでいる所為であろう、やたらとルシウスがキラキラと輝いて美しく見える。
どうして自分の周りにはこんなに美形ばかりがそろっているのだろう、と唐突に恨めしく思った。こうもはっきりと外見の美醜について劣等感を感じるのは初めての事だった。そもそも己の姿形にはこれまでまるで興味が無かったのである。だが実際に感じてしまえばなんというかそれは……強烈なものに思えた。
「ブルーピクシーが出たのは半年ほど前かしら。どうも、王が例の真っ二つの剣を手に入れた頃だったか、その頃から国内のあちこちで魔物が出没しているとかいう噂でしょ。当領内も例外ではないようで、ええ、私もまっとうな一領主としてこのところ頭を悩ませていたのです、真っ当な一領主としてね」
真っ当な一領主、という言葉をルシウスは二度ほど繰り返した。領内の見回りをカズマに覗き、と言い捨てられたことを意外と根に持っているらしい。
「待て。魔物が出没するのは例外だ。王はかの剣を手に入れる前もその後も、幾度か魔物狩りに出ているがそのようなものは一切確認していない筈だ」
あら、とルシウスは興ざめしたような表情をした。
「アンテナが鈍いんですよ、なんでしたっけ、あの、ハニーとかいうおっさん」
「ハリーです、ハロック・スレルム、この国の軍部のトップですよ! からかうな!」
「ああそうそう、彼はいつもハズレばっかり」
いないところを探してもそりゃいないに決まってますよ、とルシウスは笑う。駄目だ、埒があかぬ、とカズマは唸り、論点を切り替えた。
「真っ二つの剣をご存知か?」
「ええ、存じ上げてますよ、王がかの魔剣を手に入れたと、もっぱらの噂です、妖精達の間ではね」
「妖精、って……いや、いい、それよりも、魔剣? 兄上はあれが魔剣だと仰るか、聖剣ではなく? ひょっとして、あの剣の本当の姿をご存知か」
「トリでしょう?」
「なぜそれをいままで黙っていた!」
「? 聞かれなかったから?」
ルシウスはさらりと応える。
「黙っていた、も何も。お前はもう何年もあからさまに私を避けていたじゃないの、それこそつい先日、あのハゲを寄越すまで、まるきり音沙汰も寄越さなかったくせに。ほんと、つれないんだから。誰のおかげでそんな賢い子に育ったと思っているの」
と、カズマをなじる。
なんだかまるでまともな会話をしている気がしない。この隣で馬を駆っている男ははたして人間だろうか、とカズマはたちまちに不安になる。物知り、にしても周子でしか知らぬようなことを平然と口にするところが気味が悪い。既に物知り、では済まぬ範疇にあると思う。
「だが私のシルフィ達も駆逐された」
不意にルシウスがぴしり、と厳しい声を出した。
シルフィ、というのは、ルシウスが長年懇意にしているピクシー小妖精の別称である。
もともとはルシウスの領地であるアラカンサスモートに古くから存在している魔物の一種だというが、その姿の可憐さと性格の穏やかさで、その印象は魔というより神に近い。豊かな自然、緑と水と清涼な空気とを好み、主に湖のある土地に生息し、古くから湖畔の小天使と称えられ大切にされてきた魔物であるという。
カズマは幼少の頃よりこの手の話をイヤというほど従兄弟のルシウスから聞かされていたが、いままで一度たりともまっとうに取り合わなかった。
そもそも、カズマにはそれが見えなかったからであるし、非科学的云々、というのももちろんあるが、それよりなにより、妖精などといったそもそも金銭の絡みようの無い、まるきり詩人好みの夢うつつな話であるから、カズマの食指が動くはずが無い。
周子に出会い、魔物を実際に目の当たりにするまで、カズマは魔物というものの存在さえ、ひとまとめに丸ごと否定していた。ギャランとハロックが魔物狩りに出掛けるのも、ただの憂さ晴らし程度にしか思っていなかったのが実際である。
「なんとかせねばと思っていたところなのですよ」
ルシウスの声はいつもとは打って変わって厳しく、真面目である。
「そう思っているうちに数がどうにも増えましてね。ブルーピクシーが、私の可愛いシルフィー達を駆逐したのだ、あの洞窟から。あそこはシルフィー達のねぐらとして古くから大切にしてきた場所なのに。私は結構怒っているのですよ。近々、いっそ洞窟ごと破砕して奴らを埋めてしまおうかと、思っていた位なのですが」
ブルーピクシー、湖畔の小天使と称えられるシルフィーとは、姿形のサイズや体つきは似たようなものであっても、その肌は青黒く、爪も牙も鋭く、すぐに噛み付くという。する事はまさに小悪魔、いたずら好きできわめて凶暴凶悪、畑の作物を荒らしたり、家の中に忍び入ってはものをめちゃめちゃに散らかしたり壊したり、時には人間の喉笛に喰らい付き噛み切ることもある物騒な魔物なのだ、とルシウスは説明した。
「それは……」
「そう! 今は危ないんですよ! あの洞窟は!」
カズマの表情が引き締まる。
力いっぱい馬の腹を蹴って、ルシウスよりも一馬身抜きん出た。
周子とコンジョナシが東の洞窟に着いてみると、その入り口には、立ち入り禁止の札とロープが張られていて。
コンジョナシは馬から降りると、その警告の立て札を読み上げる。
「えー、ええとえとえと? 洞窟への立ち入りを禁ずる、アラカンサスモート領主、ルシウス・フォン・ソルティス……って、周子様、入っちゃダメだって書いてありますー!」
二頭の馬の手綱を手近な木に結び付けると、周子もコンジョナシのところへ歩み寄る。
その看板をしげしげと眺め、うむむ、と周子は唸った。
「綺麗な字。……つーか、達筆過ぎて読めん。立て札として激しく失格」
「え?」
「コン君こんなの読めるだなんてまるで五歳児とは思えないよ」
ロープをくぐろうと、近場の岩に足をかけたコンジョナシの腕を、周子は慌ててつかんだ。
「だめ!」
「ええっ? そんなせっかく来たのに。行きましょうよう、周子様!」
「ダメ。立ち入り禁止なんでしょ。あんたに何かあったら、私エンギワルーに殺されるわよ。私一人ならたぶんきっと行くけど。でも人様の子を預かって連れて行くわけにはいきませんて。コン君、私をあの仏頂面に殴り殺させたいの?」
「ぱ、ぱぱぱぱぱぱ、パパはそんなことしませんよ」
「する! あのハゲはね、息子には甘いけど息子に害成すものにはめっちゃ厳しいんだから。コン君、ちみは自分の父親のことぜーんぜん分かってないな」
―――そもそも剣を持たぬ自分は不測の事態には弱い、
突然不意を突かれて物理的に打撃されればこんな身体、あっという間に骨の一本や二本折り飛ばされるのだ、既に周子は己が身体に知っている。
カズマが同行しているならまだともかく、わずか六歳のコンジョナシを、いざというとき自分が守るのはなかなか難しい話だ。そもそも後衛向きなのだ、まして、洞窟にはまるで良い記憶が残っていない、と周子はぐう、と独り唸った。
―――真っ二つの剣の洞窟、
―――あの時、ギャランが助けに来てくれなかったら殺られていた。
「あー、あー、あれだよあれ、デートにさ、お化け屋敷とか高い吊り橋だとかなんか怖いところとか出かけてってそのドキドキを恋愛のドキドキに勘違いさせるっていう……えらく姑息な口説き方の一種だとかなんだとか……ふふふふははははずるっこさんめ騙されるものか金髪馬鹿め」
ギャランのことを思うなりドキリと鳴った、突然の胸の鳴音は、異常な状況下での切迫感を思い出したことによるものだと断定し、周子は強く頭を振る。
「駄目。とにかく駄目よ。公務中はくれぐれも、とエンギワルーに頼まれているのよ。自分より小さな子を連れて、無茶なんて到底できないもの」
「ええええー、せっかくここまで来たのにい〜!」
コンジョナシは、すぐにこうやって子供の特権、おねだり、とわがまま、を行使する。この、見上げてくるちょっぴりうるんだ褐色のまあるい目は、本当に天然なのか、と疑惑を抱きつつ、だが周子はコンジョナシが可愛くて仕方が無い。どんな無茶でも聞いてやりたい、エンギワルーの気持ちが良く分かる、あの仏頂面が妻に、とか言い出してもマァ許してやるか、と周子は軽く思う。
「あきらめな」
弁当タイムにしよう、と断言して周子はさっさと洞窟の横の岩肌を上り、洞窟の入り口の上に少し突き出た屋根のような場所に腰を下ろした。
洞窟の入り口付近の上方の突き出した部分には柔らかな下草が生えていてすわり心地の良い、こじんまりとした空間が出来ている。身を乗り出さしさえしなければ、そう危なくも無い、抜群の特別席である。
コンジョナシがリュックを下ろして、空を見上げ、日の位置を確認する。
「お弁当にはまだ早いのでは?」
「そうね、じゃ、これで!」
周子はコンジョナシのリュックをまさぐると、中から”かわいいおはなのことりちゃん”を取り出し、パッケージを開けた。
瞬時に小鳥が空に舞い、ぽん! と可愛らしい音を立てて花びらになる。
「気に入ってますねぇ」
僕は昨日からそのおまけのラムネばっか食べさせられてる気がします、というコンジョナシの口にまたそれを突っ込んで。周子は身を乗り出し、洞窟の入り口あたりに花びらがひらひらと可憐に舞い落ちる様子を眺めた。
それから、気持ちいいわねぇ、と空を見上げ、おもむろにごろりと寝転がる。
空が、青い。
雲ひとつ無い、晴れ渡った青空。
吸い込まれそうなその青さ、誰かに似ている、と思い……、離れてなおその男のことを想うのかと腕に刻んだその名を思い浮かべ、周子はがっくりと落ち込んだ気分になった。
「寝るんですか?」
「ん? ああ、なんか落ち込んできたから昼寝する。気分が悪い。コン君も昼寝しな。ったく、つくづく、あの男にタトゥーを刻まれるだなんて、とんだヘマをやらかしたわ……クルの言ったとおりだちくしょう」
「お昼寝、って、まだお昼にも早い、ってたった今言ってたばっかりですよ!」
周子様は時々すんごく強引です、とコンジョナシがひとしきり文句を言う。それからしばらくしてスナック菓子の袋を開ける音がした。
ぱりぱり、とあまり気の進まそうな音がする。まあ、ここでお菓子でも食べながら景色を眺め、時間をつぶすことにしたらしい。
この子はなかなか聡い、と周子は思う。こちらが機嫌が悪いのを察知するとそっとしておいてくれる、そんな良さがある。
「コンジョナシ、あんたはエンギワルーからいいところ継いだね」
「そうですか? パパはぼくのあこがれですから嬉しいです」
「パパ、ね、あこがれ、ね……うん、私も父さんにあこがれてたよ」
「じゃ、周子様もお父様からいいところを継ぎましたか?」
う、と周子は軽く眉を寄せた。
「……どうだろうね、血は、継いじゃってるけどね、望まずとも、ね」
周子は低く唸った。修三の記憶が胸中に再び蘇る。父から継いだのはまさに血だけであった気がする、タチバナの血と、魔力、呪文を行使する技の一切は確かに父から教わった、だが、その他の……たとえば、世渡りの術とでも言おうか、なんと言おうか、世間一般的に言うところの、父親らしい役目、というものは、そう、思えばクレリック・リザートがそれを担ってくれていたような気がする。
―――父さんは……
「コン君、ごめん、さっきあんたに父さんのこと全然分かってない、って言ったけど、それは私だ」
「周子様?」
「だって私、父さんの考えてること、さっぱりわからないもの……」
置いてけぼりを喰らって、私ほんとに此の世でたった独りっきりになっちゃったんだわ、と周子は小さく鼻を啜って、ごろりとコンジョナシに背を向けた。
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- 2006-11-13 11:37
- カテゴリ : 「タトゥー・オブ・ギャラン」/長編/連載中
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