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[tog]81:くつわ

 洞窟の闇は息が詰まるが、これはこれで強烈だな、と思わずカズマはうめいた。分かってはいたが、明るいところで改めて煤やら土くれやらブルーピクシーの体液とおぼしきものやらでどっぷりと汚れているのを見て。
 外のその明るさに顔をしかめつつあたりを見回し、そして、洞窟から少し離れた木陰に幾つかの人影を認めた。
「ルシウス、大丈夫でしたか?」
 足早に駆け寄りそう声を掛けると、ルシウスは右手を上げ、ひらひらと振った。
 ほっと安堵したように緩んだ後、カズマの表情は再び心配そうに締まった。振って寄越したその手の角度、彼が横になっているのを知ったからだ。
「兄上、お怪我でも?」
 ルシウスの顔が見えるようすぐに彼の正面に回りこんだカズマに、ルシウスはにっこりと微笑んだ。たちまちのうちにご機嫌になったようだった。
 カズマの、その態度に。
「貴殿がどんどん先行くからさ、もうやんなっちゃって、外で待つことにしたのですよ」
「…………………」
 にっこりと鷹揚に応えるルシウス。
 柔らかな下草の生え揃った、寝心地のよさそうな木陰に、凝った金糸刺繍を施した緋毛氈を広げ、彼は優雅に昼寝を決め込んでいたようである。
 ルシウスの典雅な銀髪は美女の膝の上にある。膝枕の美女は華美なレース張りの日除け傘をルシウスの為に翳し、さらに二人の美女が彼を挟んで左右に座し瀟洒な扇子で風を送っていた。
 そうだ、この従兄弟は、身体を使うのがとびきり不得手だからとて書斎に引きこもる性質では全くなかった、好奇心と知識欲の強い男だ、浮き足立ったルシウスのフィールドワークとやらに強引に駆り出され付き合わされ、いったい何度大変な目に会ったことか……。
 昔のことを思い出し、力なく首をふるふると振ったカズマにルシウスは微笑む。
「ふふ。思い出しましたか? せっかくの血縁なのだから、疎遠にするのは良くないね?」
 せっかくたくさん痛い思いをして学んだのに、それを忘れるとはね、と、続けて、カズマがこの十年来疎遠にしていたことを、再度婉曲に詰った。しつこい男である。
「……全く、散々な目に遭った」
「ふむ。お前が勝手に早とちりをして洞窟に飛び込んだのでしょうに。私に文句を言うのならお門違いですよ」
 ルシウスはきっぱりと言い返し、ようやく身体を起こした。
 頬にかかった銀の長髪をかきあげると、お飲みなさい、と銀杯に冷えた水を注いでカズマに差し出す。
「なんだかもう、非常に脱力ですね……って、ああ、……綺麗ですねぇ」
 杯に手を伸ばしかけ、カズマは目を細めた。
 敷物の上にゆらりとあぐらをかいたルシウスの右肩のあたりに、虹色に輝く、小さな妖精を見たのである。
 ルシウスが言ったとおり、四枚羽根の、可憐な妖精だった。
「……はじめて見ました、たしかに、美しい」
「ほう、見えるの? ははあ、カズマも少しは精進したかしら」
 ひゅん! と恥ずかしそうにシルフィーが身を竦めルシウスの背に隠れた。
「……って、何が?」
「見えないんですか?」
「見えてるわよ」
 カズマのすぐ後で、ふんぞり返るように腰に手を当てて立ち、すすやら土くれやら肉塊やらでどっぷりと汚れた顔をこぶしで拭いながら、
「……言っとくけど、私がブルーピクシーが見えてるのは劣等感アリアリなんじゃなくて、魔力が強いからなんだからね、真正面から貶さないでよね」
 周子は顎をしゃくってぞんざいにそう言い返した。
「ふん。こないだのシルフィーか。人間に飼いならされたちんまい下賎な魔物めが。飼い主はこの銀髪のルシウスね。……あー……っと、ああ」
 そう言ってから、周子は汚れでごわついた髪の毛をバリバリと掻いて苦い表情をした。
「ごめんカズマ様」
「なにがです?」
「従兄弟殿に会っちゃった、会うなって言われてたのに」
「……なんかもう、今さらな感じですからもういいです……しかも最悪な装いで最悪な態度で」
 なるほどシルフィーが隠れたのは周子が怖かったからだ、とカズマは思った。
 ルシウスがまじまじと周子を直視している、その興味津々といったその表情に、カズマは小さく吐息を吐いて視線を逸らせた。
「やあ、双黒の娘」
「……そうこく? なに?」
 ルシウスはふむ、つくづく見事な黒目黒髪だ、と呟いた。
「名前を伺ってよいかね? 双黒の娘」
「ええ、もちろん。周子です」
「そう、良い名だね、ラッシュサマー」
 びくり、と周子は肩を強張らせた。
「シルフィーは軽く五百年は生きているのです、貴殿の通り名も承知しているそうだ、イビサの娘ラッシュサマー、魔物の間では大変に有名な名だそうですね。だが、そのタチバナがこう、真の名を名乗るということは、既に名を刻んだということですね?」
 そう言うと、ルシウスは真顔でカズマを見上げた。
「お前がこんなにもこの黒いのにぞっこんなのは、お前がそのタトゥーの呪主ということかしら」
「ルシウス、一体何を知っている? 名やタトゥーに言及するとはどういうことだ」
 すぐに態度を硬化させたカズマのその反応に、ふん違うのか痛いな、とルシウスは片目を顰めた。短く断って周子の左手を捻るようにして引き寄せ、その二の腕の名を見、ほんの一瞬、厳しい表情になった。
「こんな美女を同伴しているとはカズマはちっとも教えてくれなくってね? ご挨拶が遅れて大変失礼をしてしまいました。まことカズマは礼儀知らずも甚だしい」
 兄に恥をかかす気かしらね、とルシウスはにっこりと笑って周子の腕を解放すると柔らかく詫びた。
「いえ。私が無理言ってついてきたので。あなたには紹介しない、と、もともとそういう約束でしたし。できればここでこうしてご挨拶してる事実を消した方が良いかもしれない、今現在もんのすんごく機嫌を悪くしてゆきつつあるのが隣でひしひしと伝わってきてますし。ああもうほんと、いっつもこんなんばっか、常識に欠け態度が粗野だと言って自由に人前には出してもらえない、実際お屋敷ではほとんど軟禁状態で、アレをするなーこれをスルナーと、細かいことイチイチそりゃぁやかましくって厳しいったら」
 嫌味を添えて返す周子に。
 カズマはもともと他人などどうでも良い男です、だが実際それほどに貴女に口やかましいか、と、呟き、ふううん、とルシウスは軽く唸った。
「私は彼の従兄弟にあたりましてね。カズマとはもうずいぶんと長い付き合いですが、女性でこんなにもカズマに女性扱いされていない方を見るのは初めてですよ、カズマはちゃんと女のあしらい方を知っている、テクニックとしてね、だが、あなたにはまるで女性に対する気遣いが無い、連れの女性を兄に紹介しないなどひどい扱いだ、その上あなたのような美女をこんなに汚してしまって。まったく、なんのプレイ?」
「兄上、」
 窘めかけたカズマにルシウスは微笑んで。
「距離の無いのは良いことだと言っているのですよ、カズマ」
 カズマの動揺ぶりに、くつくつ、とルシウスは笑った。
「グランツ家の嫡男、カズマはその血の通り、財力には目が無くてね、金が好きといえば話が早いかな? 大切なものは金庫にしまっておかないと気が済まぬ性質なのですよ?」
「? 鳥が出てくるお菓子は気前よく全種類買ってくれましたけど? お菓子を買うぐらいの細かいお金は気にしないだろうけど? ……ああでも、カズマ様はどんなちまちまとした小金でも貯金をするのは大好きだって、前に自分で言ってましたけど」
 そう言って、真顔でどっちだ? と首を捻った周子を見て、ルシウスは銀杯を呷りかけた身体を小さく跳ねさせ、ぶふっ! と水を噴いた。
 ますます興味津々、といったキラキラ輝く眼差しで周子を見つめる。

「いや、金庫の話さ! カズマは金庫に貴女を入れたいのさ!」

「グランツ家の金庫は真空になるって。前に聞いた。ああ? 私を殺すと。あんな親切そうな顔して裏でそんなひどいこと言ってるの? ちょっとひどくない? いや、腹に一物もニ物もあるタイプだとは知ってるけど」
 むうと唸った周子に、とうとうルシウスは銀杯を放り投げるようにして大笑いした。
「いや、愉快だな!」
「そう?」
 周子は軽く肩を竦めた。いかにも興味が湧かないといった表情でカズマを見上げると、
「この人ちょっと変わってるわね。さすがカズマ様の従兄弟」
 やっぱ変態か、と言ってくるりと踵を返した。
「コンジョナシ探してくる」
「おや、カズマ、ずいぶんといろんな色をしているね?」
 ルシウスがちら、と真顔になった、それから、
「気にするでない、私は確かに頭は良いが、身体を使うのはからきし駄目です、王は確かに強いが、頭はとんだバカです、カズマ、双方のバランスが取れているというのも、これもまた、他との比較を寄せ付けぬほどに優れた特徴の一つです。もっと自信をお持ち」
 こう言って、まあでも、と、ルシウスはにっこりと微笑んだ。
「お前はあらゆる方面において抜群にバランスが取れていますが、圧倒的に欠けているのは感情表現です、まあ、それも……お前の眠っていたそれを揺さりぶり起こし情の機微というものを骨身に刻んで教えてくれるだけの相手がとうとう現れ……」
 ルシウスはふと、言葉を切った。
 そういえば、あの黒目黒髪は既に王が先約しているかと思うと、ちくり、と胸を痛めた。ふううん、と軽く微笑むように唸って。それからカズマに気づかれぬよう、さらりと切り替えた。
「……お前にそれを教えてくれるのは、そう、この、おっさんですね」
 ちょうどカズマの下へと歩み寄ってきた仏頂面の男を、にっこりと、扇子の先で指した。
 間。
「エンギワルーですかっ!」
 カズマは眼を剥いた。
「良く出来た男です、主従の垣根を越えた愛情を感じます」
「はは、光栄ですな」
 領主殿のお眼鏡に叶うとは、とエンギワルーはいつもの仏頂面をやや緩め、一礼した。話の筋はわからぬが、ルシウスが周子がらみで何か話をそらした、その意図は分かったからである。
「このエンギワルーは時折冗談が過ぎて扱いにくいくらいです」
 こんな仏頂面で冗談を言うのですよ、とカズマは真顔でルシウスに返した。
「愛ですよ、愛。お前をからかうのはお前が可愛いからです、ええ、私も含めてね」
 お前の感情をこう、ちくりちくりと揺さぶり起こすのが楽しくてたまらないのですよ、と、ルシウスは上等な微笑で畳み掛けた。
「若、私の息子が同行して、洞窟に飛び込むなぞ危険な真似をする輩がいるわけがございませんよ。コンジョナシは賢く優しい子ですから、周子の無茶を止めたに違いありません。周子にとっては抑止剤のようなものですな。若、さすがに私めがお嫌であれば、この、コンジョナシをお貸しいたしますぞ」
 こう軽く流してエンギワルーは、連れていたコンジョナシをカズマに押し付ける。
「領主様のお屋敷は蜂の巣を突付いた大騒ぎでございますゆえ、私は一足先に戻ります。湯殿の支度もさせておきましょう。若、御用の向きはこのコンジョナシにお申し付け下さい」
と言い残し、きっぱりと一礼すると、馬にまたがり軽くその腹を蹴った。
 ルシウスはコンジョナシを見るなり、カズマに一言呟いた。
「周子殿はもてるのだね」
「ル……」
 それはエンギワルーがか、と口にし掛け、
「あのハゲたおっさんはお前をからかっているだけですよ、カズマ」
 さっさと先制されたほうが、よほどよほど羞恥を煽ると知った。
 ルシウスは羞恥に肩を震わせたカズマの様子に満足すると、コンジョナシを見て。
「おチビ、お前は随分とあの娘が気に入っているのだね」
「ええとても。周子様には、父上と再婚して僕の母親になってくれないかと……カズマ様でもルシウス様でもいい、いっそ、父上にそう命じてはくれませんか」
「命じ……! 面白いこと言うわね、この子」
「面白くないですから、全然」
 コン、お前はもう下がりなさい、と軽く胸のあたりを押しやろうとしたカズマの手を邪険に払う者があった。
「私の望みを聞いてくれるんなら、条件次第で考えてもいいよ」
 そう言って、私のコンジョナシに何すんのよ、と唇を尖らせた周子が割り込み、ぎゅむとコンジョナシを抱きしめた。
「条件次第!?」
 ルシウスがどっと笑った。カズマを見、確認するかのように、言う。
「この言い草、この娘は恋をしたことが無いのだね? こんなものを貢ぐのかね? 王に? 王はあの能天気な調子でこんな粗忽な娘を御せるのかね?」
「口を慎め、ルシウス」
 ごほん、とカズマは大きく咳払いをし、周子を担ぎ上げるとひょいと馬に乗せた。
 その光景を眺めながら、ルシウスはやはり面白そうにくつくつと笑っている。
「朝から何だし、と思っていたが、やはり水じゃあないな、酒だ、ああもうちょいと一杯やりたい気分になりました、カズマ、おまえもここで私に付き合いなさい」
「結構です!」
 人を肴にするな! と噛み付かんばかりに勢い良く断って、カズマは周子の後ろに飛び乗ると、その身体を抱き寄せるように手綱をとった。

「さ、我々は帰りますよ!」
 そう言ってカズマは有無を言わさず馬首を帰路へと向けた。
「ああ、じゃあ、私も帰るとしよう、カズマ、支度が済むまでお待ち」
「嫌です! 貴方がそんな大仰に敷物を広げるからです! もう行きます!」



 結局はルシウスの出立を待ち、カズマはルシウスと馬を並べて帰路についた。裸眼のカズマの馬術が危ういとルシウスが再三主張し忠告したからだったが、
「ただの詭弁です、裸眼でもさすがに道か叢かは分かる」
 ふっ、と力なく溜息を吐くその様子がどうにも周子の微笑を誘った。
「……そのシャツ、気持ち悪くない?」
「良いわけがありますか。あなたさえ構わなければ脱ぎ捨てたいところですが」
 誰に譲らせたのか周子は既に着替えているものの、カズマは貴公子然と未だに着込んでいた。
「それは私に許可を求めてるの? 脱ぎたいなら脱げばいいじゃない、脱げ脱げ、回りっくどい言い方しないでよ。私がそんなこと気にするわけないじゃない」
 馬上でカズマに背を預け、それがどうにも居心地が悪いのは、別にその汚れたシャツの所為などでは決してないのだが、それをどう説明すればよいのか周子には分からない。
「そうあっさり脱げ脱げと言われるとむしろためらいを感じますが。では遠慮なく。おっと、手綱、引いてはいけませんよ?」
 カズマは手綱を周子に持たせると、馬上で器用にシャツを脱いだ。そして後方に続いたコンジョナシに放る。ひぇ、とコンジョナシの小さな悲鳴が上がった。
「しかし、周子、ブルーピクシーをあの一撃ですべて撃退したのです、おかげでルシウスは上機嫌ですよ」
 気を取り直した声で周子を誉めた。
「今夜はきっとご馳走を食べさせてもらえますよ」
「夕べもすっごいご馳走だったわよ、っていうか、カズマ様は私がご馳走を食べれば機嫌が良くなるとでも」
「思っていますが?」
 ははは、とカズマは機嫌良く笑った。
「んもう! それこそ読み違いだわ」
「おっと、馬上で暴れるな」
 カズマに肩をぐっと押さえられ。
 周子は背にあたった硬い胸板の感触に驚いて、再び身を捩りカズマを見た。
 広い肩と太い喉が逆光に色濃く映え、筋肉の締まった男らしい身体がそこにはあった。
 メガネの無い素顔は、妙に男っぽくりりしくて。
「は、はれっ?」
 ―――意外だ。
 周子は慌てて顔を前に戻した。
 普段は柔和で優男なカズマが。貴公子然とした仕種の似合うカズマが。男らしさとはかなりかけ離れているはずのカズマが。デスクの上でお金でも数えている方がよほど似合うはずなのに。
「どうかしましたか?」
 無言で首を振ると、ルシウスがすっと隣に馬を寄せ、彼の上着をカズマに渡した。
「サービス過剰です」
「は?」
 カズマはぐっとかがむと周子の頬近くまで顔を寄せた。
 確かに、赤くなっているのを見て大真面目な表情をした。
「なんです、脱げ脱げと言ったのはあなたでしょう。というより、先ほど洞窟で人の胸をさんざん撫で回しておいて今更なんですその微妙は反応は。むしろ失礼だ」
 カズマは憮然とルシウスの上着に袖を通すと、一番上のボタンまできっちりと留めた。
 そんな、一見表情ひとつ変えぬ冷静そうなカズマを見て、ルシウスは面白くてたまらない。
 じいっと見詰めていると、案の定、その視線に堪えかねたのかカズマは赤面して小さくこほっと咳払いをした。
「あ、兄上、そんなに楽しいか」
「ええ。お前はこう優男に見えてしかし良い身体をしているものだから」
 ルシウスはさらに機嫌を良くしたようだった。
「なんてったって、四年に一度の剣術大会で四位の成績ですもの、身体はきっちり鍛えているのです、良い体をしていて当然、着込んで隠さずもっとセックスアピールし……」
「兄上!」
 ルシウスの美麗な顔を押しのけようと手を振ったが、それより先にルシウスが馬を離したのでカズマのその手はむなしく宙をかいた。
 馬上で暴れるのはお前じゃないの、落ちるわよ、とルシウスは銀髪をさらりとかき上げ、自慢気に悠然と微笑んだ。
「なんです? 四位とは大変に立派な成績ですよ? 何を恥じている、グランツ家から出たというのもこれまでに無い快挙です、もっと胸をお張り、胸を。自信をお持ち。グランツの次代宗主がそんな覇気のない姿勢でいてはなりませんよ」
「……姿勢の話ですか何ですか一体、まったくもう」
 カズマはルシウスの茶化した調子にうんざりとうめいた。
「四位?」
 周子が首を傾げた。ああ、とカズマは思う。
 ―――自分はこの微妙な数字が嫌いだ。
 周子との会話の切り口が見つかったとみたルシウスはすかさずそこへ会話を接いだ。
「ええ、四年に一度、剣術大会が、国中から腕の立つ者が集まるとてもとても大きな大会がありましてね。予選でさえ残るのは厳しいのに、カズマは本戦をずいぶんと勝ち進みましてね。ええ、もちろん、試合とはいえ真剣の、場合によっては命の危険とてある大変な戦いですよ。跡を継ぐべき子供が一人しかいないグランツ家宗主、ルドルフ・フォン・グランツはそりゃあ猛反対しましたが」
 ルドルフとカズマとの確執の話がしばらく続く。
 やはり、カズマとルドルフの仲は良くないのらしいと周子は知って。
 だが、ルドルフが襲われたと聞いて助けに向かったカズマの勢いを思うと……。

 カズマは、つんけんしているようで案外面倒見の良い男だとあの時思ったのだ。

 見上げるとカズマはお手上げ、といったような表情で。
 ルシウスの話は興がのると異様に長いですよ、とカズマは周子に囁いた。
「……でね、カズマより上位というのは、難関不落の西の血盟砦大将、ハニー・フラッシュでしょう、その右腕ともいわれる直属部隊の上級士官でしょう、……二人ともとにかくものすごく腕の立つ、この国では一流の武人として大変に名高い猛者なのですよ、そこに並ぶのですから、うちのカズマは十分に強い」
「ハニー・フラッシュ?」
「ハロック・スレルムのことですよ」
 こうなるとちょっとした嫌がらせですね、とカズマはやれやれと呟いた。
 四位という上位に食い込んだ人間は、長い歴史を誇るグランツ家の血統の中でもカズマただ一人、文武どちらと聞かれれば間違いなく文、と応えが返るグランツ家、カズマのその業績は近縁の者にしてみればあまりに畑が違いすぎ、むしろ喜んでよいものかどうか皆困惑したという。
 しかし、筋金入りの従兄弟好き、弟とまで呼ばってカズマを可愛がっているルシウスは、特にその点において大いに心酔しているらしく、その長い話の中で何度も何度も繰り返しカズマの腕っ節の確かさを興奮気味に褒め称えていた。
 周子はちら、と首を捻る。
「四位、って、言うならでもあと一人足りないんじゃない?」
 ずきり、とカズマの胸が痛む。
 ルシウスはあっさり微笑んだ。
「ええ、もちろん、前ガーナ王の正嫡、現ガーナ国王のギャラン様ですよ」
「へ、へぇ? そんなに強いの?」
 強いって当人自分で言ってたけど、とさすがに周子も気を惹かれた様子で軽く眉を上げた。
 ルシウスはこう見えてこの男、格闘技や剣技を観戦して猛烈に燃える性質なのだろう、ギャランの名を出すなりさらに一層興奮した様子で銀髪を振り振りギャランを誉め称えた。
「強いも何も! 戦うお姿はまるで獣、いや、悪鬼のようで」
 ああ、バカはバカなりにとことん容赦なさそう、と唐突に興を削がれたように呟く周子の口をカズマは押さえて。
 カズマは一つ息をついた。
 剣の腕でギャランにかなう筈も無く。鍛錬を重ね磨いた剣技ももちろんだが、体力も動態視力も瞬発力も、ギャランは常人のそれよりはるかに抜きん出て優れている。それは己には望むべくもない、まさに才の極みたる煌めきだ。
 その美しさ、その強さ、周子がギャランに惹かれるに相応しい理由は揃っている。仮にタトゥー抜きだとしても、十分に過ぎる、そこへ一体何を以って異議を差し挟もうというのか、とカズマは己の胸に巣食った嫉妬の巣、ブルーピクシーの邪気に当てられたかのようなそれを、くしゃりと握りつぶした。

「ギャラン様の異名はガーナの若獅子。強さの象徴、いわば男のロマンですね」
 さっぱりとそう言って、話を打ち切ろうとしたカズマに、周子はぼそりと呟いた。

「王子だと、王だと誰も手が出せないなんて、さすが」

 滔々と続いていたルシウスの賛美の演説がぴたり、と止んだ。
 たちまち長い沈黙が生じた。
 ややしばらくして、カズマはハッと正気に返ると、慌てて周囲をうかがった。
 従者達は一馬身間を空けその後ろに従っている、今の周子の呟きは自分とルシウスしか聞いていないと確認するや、ほう、と安堵の息を吐いた。冷や汗が一気にどっと噴出した。
 ルシウスの方を見ると、目をまん丸に見開き魂を抜かれたが如くぽかんと硬直している。
 カズマは厳しい顔をして周子を窘めた。
「かの剣術大会は決して出来勝負ではないのです。それは王への最大の侮辱の言葉です。くれぐれも、言葉には気をつけるように。王を貶めるようなことを言ってはいけないと常日頃言っているではないですか。特に、ここは私の私邸ではない、口を慎め。あなたは先ほどまるで私が軟禁しているかのような言い草でしたが、そんな軽忽な態度で人前に出せるわけがな……」
 周子はたちまち口を尖らせた。
「ちっ。また、始まった。アレヲスルナーコレヲスルナー! いいじゃん、あんなろくでなし。どう持ち上げたって、ろくでなしはろくでなし。周りみんなに甘やかされてやりたい放題なあーんな金髪バカエロ男、バカをバカと言って何が悪い……」
「! 周子」
 カズマが短く悲鳴を上げた。
「……ろくでなし?」
 ルシウスが耳を疑うといった表情をした。
 自分以外にギャランをこき下ろす人間がいるとはつゆ思わなかったのである。
「言うわね、この小娘」
「何も言いません、何も言いませんとも彼女は」
 ひく、とカズマは頬を引きつらせ、戒めるように周子の唇を一度強く抓ると、いま少し馬歩を速めた。

 ―――ああ、この女にくつわをはめたい
 余計なことを言わぬように、御しやすいように。
「やすいというよりむしろ、とりあえず御せるように」
「ああ? まだあんた私を御すとか言ってんの!? しっつっこいな!」
「あ、いや聞き違いでしょう」
 それこそ、この女は一体どのように御せば良いのか。
 命ずれば背く、読めばどうにも違えてしまう、まったくもって手に負えぬ、とカズマは深い心労にも似た懐柔の欲求を感じた。
 ―――その腕にタトゥーを刻んだのが自分であれば、最初から大人しく言うことをきいたろうか
 ミアムの召喚の種、名を明かした相手には命尽きるまで誠心誠意を尽くす、愛に生きる気高き種族。手順さえ間違えなければ、恋に落ちたはずなのである。深く真摯に愛情を示し決して裏切らない、それが召喚の種の本質であり、伴えば愛と愉悦とを真に魂に知るはずなのである。タトゥーを刻むその手順さえ間違えなければ。
 彼女を最初に見つけ、名を刻みたかった。隷属のタトゥー、二度と外れぬその恋情の鎖で繋ぎ止めたい。
 彼女を手に入れるにはそれしか方法はなく、そしてその方法は既に間違ったやりようで遂行され、いまやその傷は彼女の逆鱗と化した。
 なんというやりようをしたのか、と。
 カズマは生まれて初めて、その二の腕に刻まれた名を、呪った。
 その名こそ、自分にとってこの世で最も大切な男の名である。
 それこそシルフィーが、ある瞬間突然目に見えるように。ある日ふと、すんなりと己の腕の中に降りてきてくれやしないかと、カズマは強く願った。


[tog]81:くつわ [2007/03/21]
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