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[tog]83:おれは仕事をするつもりで

 堂々とした男らしい勢い、いつもの大振りな仕草で執務室のドアを開けるなり、ギャランは足下床一面に散らばった大量の書類を視認、次いで大きく踏み込んだ一歩を無難に降ろすために奇妙なステップを踏む破目になった。
 ―――いや、アシューはこんな嫌がらせの出来る性質では無い
 かすかに鼻腔をくすぐる香気のほうへと視線を向ける。
 その華やかな香気の主は、ギャランの視線を迎えると、彼と同じ鮮やかな青色の瞳に微笑を浮かべた。あでやかな金髪。
「アシューも粋なことをなさるのね、王と二人っきりなんて久しぶり……」
「違うと思うぞ、絶対」
 大体なんでお前が執務室にいるんだ、と詰ったギャランは、それと全く同じ言葉でイヴに返され、思わずピクリと片眉を上げた。イヴのそれは、ギャランが国王として執務をとることがどれほどあり得ないかという意味だ。

「おれは心を入れ替えて仕事することにしたの! 一仕事一中出しで!」

 執務デスクに歩み寄り、一仕事とやらを律儀にカウントして刻みつけたデスクの端を指先でなぞる。
「これじゃ全然足ンねーだろ」
「ではこちらの大きく抉れた傷あとは?」
 一仕事一中出しで! と宣言するなり、周子が突き立てた真っ二つの剣の切先の痕だ。
 デスクの上に座っていたから、あの時咄嗟に避けなかったら周子は確実におれの股間をデスクに縫い留めていた、とギャランは思う。そう、容赦なく。剣を留め針の如く。
「と、とにかく」
 思い出し笑いならぬ思い出し恐怖にぞっとしながら、愛だよ愛とにかく邪魔すんな、と言って、ギャランはどっかと椅子に腰を下ろした。
 執務デスクの上には、書類はおろかペンの一本もなく。あるのは国王たる者の要務にこそ相応しい、一枚仕上げの重厚にして品格ある平面のみ。
 ギャランはじろっとイヴを睨み上げた。
「イーヴ、机の上に乗っているとかいう書類はどれだ? アシューが大事な書類が机の上に乗っているからと言っていたが、そこに散らかっているもののうち、実際どれが机の上にあった?」
 顎先をしゃくってデスクの向こうの床上を指す。
「さあ。全部でしたかしら。私が机の上から落とす前には、床の上には何も落ちていませんでしたけれど」
 あれ全部がか? とギャランは眉を寄せるが、ええ、と頷くイヴはどこ吹く風といった様子で。拾おうとする素振りすら見せぬイヴに、仕方なくギャランは立ち上がると、長身を屈め床上に散らばった書類を自ら手早く拾い集めた。なかなか真摯な態度である。
「お前が邪魔したっておれは仕事をするったらす……するのか? これ全部をか?」
 宣言のつもりが途中で疑問符に変わった。
 拾った書類を机の上に置いてみたら、結構な書類の山が出来上がったのだ。溜息を吐く。
「イーヴ、アシューは大事な書類とそうでないのとの区別がつけられんような神経症持ちではないぞ、おれを書類の山に埋めるつもりか、つまりはどれだ?」
「私が嘘を吐かないのは王はよくご存知の筈ですけれど」
「では全部が全部アシューの言ってた大事な書類だと?」
「さあ?」
「大事な書類とやらに決裁のサインを、とアシューは言っていたが」
「まあ」
 大変ですわね、と小首を傾げゆったりと微笑むイヴの眼差しに、嘘の成分は微塵も含まれていない。
「つまりはこの山全部の書類に対しておれは目を通しサインをするのか?」
「まさか。そんなことより、王、今日は素敵なものをお持ちいたしましたわ」
 まるで唐突に。
 国務をそんなこと、と言い捨てると、執務室の現実にまるで幻想のカーテンでも引き下ろすかのように、イヴはうふふふ、ととても楽しそうに笑い声をたてた。
「拾いましたの。面白いでしょう?」
 イヴの指先に摘まれているものは白にグレーの斑の入った、不恰好な羽根。
 瞳を上機嫌で悪戯めいた弓形にして、イヴはその大きな羽根でギャランの鼻下や首筋をひらひらとくすぐった。
 一片の羽根だが、大きい。ギャランの両手のひらを広げて左右繋いだくらいの大きさがある。その存外の大きさに、一片がこんな大きな羽根ならば一体全体どんだけでかいトリなんだ、とギャランは一度興味を示しかけ……が、直ぐに、あいやおれは仕事するんだった、と首を強く振って拒否を表明。
「まあ」
 イヴはじゃれるのを拒否した猫でも見たかのような、拗ねた表情になった。
「ですが、素敵でしょう? こんな大きなゴマちゃんの羽根……」
「ゴマ?」

「ぬおっ! ワシじゃ! 勝手に奇妙な呼び名を振るでないワ!」

 真っ二つの剣がギャランの腰でカラカラと鳴ったかと思うと、ぼんっ、と小さな変化音をたて、剣は鳥の姿になった。
 軽快な羽音とともに、執務デスクに積まれた書類の山の上に降りたそれは、両の手に収まるほどに小さな、濡れそぼったように艶やかな漆黒の鴉。
 ギャランの知らぬ鳥の姿である。

「おんめー誰だ?」
「ララクロノフじゃ!」
「小さっ!」

 ララクロノフが憮然とカシラ毛を逆立てた。

「ぬっ、バカにしおったな? これぞ我が完全体じゃ! 魔力を十二分に湛えればこのような闇色の美しい姿になるのじゃ! あんな図体ばかりでかい白い羽根はもうこりごりじゃ。その珍妙なまだら模様の羽根も、いくら羽根の生え変わる移行期だからとて、我が身の恥じゃ!」
 カッ! とララクロノフがその鋭いくちばしの奥から火炎を吐いた。
 イヴが小さく悲鳴を上げ、指先から火のついた羽根が落ちる。瞬時に炎が机上の書類を舐め、パッと乾いた音を立てて書類が踊った。

「ああっ、書類が!」
「見苦しい羽根は消滅じゃ」

 ふんっ、と鼻を鳴らす満足げなララクロノフ。

 ギャランが大きく飛び上がってばたばたと慌てて火を消した。
「てめー! やりやがったな、ヘンなトリ! おれがアシューに怒られっぞ、どうしてお前らは揃いも揃っておれの邪魔をするのだ! 待てやコラ!」
 ララクロノフをとっ捕まえようと、執務室の中をあちらこちらと追いかけ回す。勢いよく腕を伸ばしたが、ララクロノフは絶妙なタイミングで旋回、ギャランの手の先をすり抜け、一瞬にして背後を取る。
「むむっ! 素早くなったな、トリ!」
「ふふぉ! これほどに魔力が充実したのは実に五百年ぶりじゃ! 此度のタチバナめ、気前良くたんまりとチャージしよった! ぐれいとじゃ! 若返った気分じゃ! ふははははは、ワシはゴキゲンじゃ!」
 硝子が軋むが如き奇ッ怪なララクロノフの哄笑。そこへ礼儀正しいノック音が割って入った。

「王、失礼しま……ああっ!」

 執務室に入ってきたアシューが短い悲鳴を上げた。慌ててデスクに駆け寄ると、焼失した書類の一片を手に取り青ざめる。

「書類が! なんてことを!」

 金髪を掻いてギャランはごまかすように笑って見せたが、それはむしろ不謹慎である。
「う、うあ、すまん?」
「そ、そんなに執務がおイヤならば、焼き捨てる前にそうおっしゃってください! そしてあなたは鳥と戯れておられるですかっ!」
 咄嗟にかき集めた燃え滓が、だが虚しく黒い煤塵となってアシューの両手と胸元を汚し、彼は珍しく痛烈に文句をまくし立てた。
 それを一通り聞き流して、ギャランはやはり、ばつの悪そうな笑顔を浮かべてひらひらと手を振った。どう説明すればよいのか上手い言葉が見つからぬ。
「あ、いや、別におれはイヤで燃やしたんではなくてだな、こいつらが、おれがせっかくまともに仕事しようとしてんのに、こいつらが……」
 不謹慎な笑みを添えて弁解するその様子が、とりわけアシューの神経を逆撫でしたのだろう、アシューの渋面に一層の渋味が増した。

「王! これはあなたにお願いした仕事です、他人の所為になさるおつもりか! こんなお美しいイーヴ殿に? こんな小さな可愛らしい文鳥に何が出来ますか! 無責任な! 王たる自覚がおありか!」

「可愛らしい文鳥っ!?」

 思わずギャランの声が裏返った。
 ギョッとして振り返る。
 ララクロノフは窓際に降り立つと、いかにも私は文鳥です、といったような無垢な様子で、きょとん、と小首を傾げている。
 濡れたようにあでやかに輝く、そのまん丸な二つの小さな黒いまなこを見てアシューは、文鳥ではないですか、と再度うなずく。

 ギャランは首を捻った。

「文鳥って、どんなトリだったかな? 百歩譲っておれは鴉だと……」
「文鳥でも鴉でもどちらでもよろしい! 鳥は書類を焼きません!」

 図鑑とかって、あったっけ? と真顔で問うてくるギャランに、アシューはがつりと怒鳴るときっぱり首を横に振った。
 なかなかの勢いだった。
 ギャランは目を丸くしてアシューを間近に見て。
「ア、アシューずるいぞお前、今のタイミング周子と同じ……」
「は?」
 ―――居丈高に眉を顰めるこのタイミングまで周子と同じ。アシューはこんな男じゃなかったぞ、
 周子め、とギャランはつい苦笑した。
「周子の残した気配の、まじで愛しいもんだなァ。アシュー、早く周子が帰ってこないかな? この傷見たらなんて言うかな、おれってばこんなに仕事しちゃってマァ」
 つかつかとデスクに歩み寄り、刻んだ傷を再びなぞる。
「王、デスクに剣を突き立てられた後、神速の第ニ撃目三撃目をかわせず半殺しにされたのをもうお忘れですか」
 アシューの白々とした眼差し。
「砕かれた王の顎を、元通りに直していただくために私が土下座までして泣いて周子殿に頼んだのをお忘れですか? 彼女があんなに怒ったのを見たのは初めてです、ともすれば二目と見られぬ相貌と成っていてもおかしくはないところでした。ひょっとしてあれは治癒ではなく、蘇生の呪文だったかとさえ、今でも疑念を抱くほどの惨劇でしたが」
「うぐ」
 ギャランは思わず顎を押さえて目の前の宰相アシューを見た。
 ―――この頃のアシューは諸事に渡って手厳しい。距離が縮んだとでも言おうか、言いたいことをズバリと言ってきやがる、これがあの実直さだけがとり得の宰相か?
 自分があえて距離を置いていたことがはるか昔のことである気がするくらい、アシューを近くに感じる。それどころか、実際にアシューを側に置いて仕事をしてみれば、今まで思ってもみなかった彼の不思議な表情を見ることが出来た。
 アシュー……ガーナの政務一切を取り仕切る男。造りはそう悪くはないものの政務の厳しさゆえか常に渋面を作っている男が、その渋面の所為で実際よりも十は老けて見えるその男が、ほんの少し、破顔するのである。
 それは、なかなかよい表情だった。
 実直さだけが取り得の男が、いつも難しい顔をして政務を執り忙しげに王宮を歩いている男が、こんな表情をすることがあるとは全く思ってもみなかった。
 この男が、ひいては臣下というものがこんな表情をするのを見ることがあるのなら、王というものも決して悪くは無いと……ギャランはふと思ってしまったのである。

「だから、書類はもういいだろ、燃えっちまったもんをうだうだ言うな」

 煤に汚れた手と胸を払い、アシューはデスクの上から急ぎの書類を選りすぐって抱えると大きく頷いた。
「ええ、もう、よろしゅうございます、後宮へでも何処へでも、お気の済むまで堂々とおサボリなさいませ! やはり私がやります。全く、周子殿に上手くのせていただいたは良いもののこんな調子では……」
「おっ。やっぱ周子はそれでオッケと言ったんだろが。ったくあの照れ屋さんめ」
「ちがいますから」
 殺されかけておいてまだ仰るか王は、とアシューはこれ以上刻みようがないといったくらいにまで眉間の皺を深くした。
「国務とセックスを同等に扱うなど、まるで王たる自覚がない。何たる無責任。こんな調子では、王たる御自覚をお持ちになられるのは一体いつの日になることやら。なんと、なんと情けない。あの人心に篤く施策に優れたサーデュラス前王陛下をもっとずっと見習って……あ」

 刹那、アシューは全身の血の気が、足裏から大理石の床を突き破り地の底へと一気に引き抜かれる感覚を味わった。つい軽口が過ぎた、その直感は急激な勢いでアシューの肌を痛烈に痺れさせ、恐怖に視野が狭まる。
 しまった、と思ったのと、機嫌の悪い竜が身じろぎをするが如く動いたギャランのこめかみを見たのは、どちらが先だったか。

「みなまで申せ。サーデュラス前王陛下が、ははあ、どうした? 何が言いたい?」
「は、いや……」

 前王陛下サーデュラス。
 つい油断して、ギャランの逆鱗に触れたのである。
 びりびりと張り詰める空気に、アシューは一歩後退った。

「ふむ、そうであろうな、サーデュラスは人心に篤く施策優れた王であったとみな言うな。あれが。あれがな。どんだけ外面が良いことか。ほほう、あれと、このおれとを比べるか! あまつさえ、おれに奴を見習えと!?」
 アシューを睨みつける冷ややかな青い眼差しに、狂気にも似た凄みが増した。

「おれに奴を見習えと!?」

 ふっざけんな! 罵声とともに蹴り上げたデスク、机上の書類が再び床に散乱する。

「なぜおれが逃げた王のケツを持たねばならんのだ! そんなにサーデュラスが良ければ、奴を探して引きずり出し王に据え直せば良いだろう! 自分で探しもせず何を抜かしてやがる!」
「いえ、そのっ……」
 ギャランの烈火の如き激昂ぶりに、アシューの身体が竦む。
「ハリーを呼べ!! おれは好き好んでこんなことをやっているのではないぞ! 貴様の望みどおりこれからサーデュラスの首を探しに行って来てやる、生きてようが死んでようがサーデュラスを連れ戻せばよいのだろう! サーデュラスを! それこそ泣いて頼んで周子に蘇生させやがれ。ああそうだこの国の王は逃げたサーデュラスだ、おれなぞ仰がずともサーデュラスを仰げばよかろうが!」
 ギャランの怒声が飛ぶ。
「召喚の書を持ち去った国逆の王がそんなに素晴らしいか! 奴の持ち去った召喚の書の所為でどんだけの兵が負傷したと思ってやがる、魔物の襲撃をくらったこないだの血盟砦の惨状を、てめぇは報告書の紙っぺらでしか見てねえのか! あの強襲の責はおれにあると思っていたが、唐突にバカらしくなってきた! おれの責とはただの思い上がりだったな! おれは王になぞならん!」
「そんなっ……王!」
「うっせぇ!」
 振り払った腕がアシューの顎を強く打った。
 意図せぬ一撃ゆえの、手加減の一切ない強烈な衝撃。鈍く濁った音がした。だがギャランがハッと息を飲むより先に、躊躇無く胸に飛び込んで組み付いたのはアシューだった。
 振り払われ殴られても間髪いれず縋ってきたアシューの腕の、予想外の強さに。
 ギャランの気が一瞬、逸れた。
 刹那―――。
 二人の眼差しが至近距離で絡んだ。
 と、たちまちアシューの眼差しが揺れた。放心するかのように唐突に脱力したアシューと、はっと表情を硬くしたギャラン、アシューの手から書類が床に落ちたが、次いで彼が身を屈めたのは、書類を拾い上げる為ではなくギャランの足下に膝まづくためであった。
「我々は、ガーナ国王陛下たるギャラン様を、まこと心よりお慕いしておりますゆえ」
「……これかよ、畜生」
 ギャランは冷めた表情になると首を横に振った。
「本心はサーデュラスがいいんだろが」
 おれと迂闊にまなこを合わせるな、とギャランは奥歯を一度ギリリと噛み鳴らし。
「下がれ」
 ギャランは冷たく一言、アシューに命じた。
 アシューはまるで何かの憑き物でもついたかのように恭しく一礼すると、大人しく執務室を出て行った。


[tog]83:おれは仕事をするつもりで [2007/07/11]
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