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[tog_p2_37]「娘は安全」/タトパラ2

「トライフル刑事」〜狂気のロンド ガーナ署トリニティ〜/タトパラ2
第37話:「娘は安全」



「では、二人きりになる場を提供する、それでよいだろう、修三タチバナ」
 ひときわ凛としたカズマの声が機内の爆音を割って響いた時には、ギャランは周子に殺される寸前だった。
「ギャラン、何か異論はあるか?」
 ギャランは周子の下から、よろよろと身を起こした。
 カズマの問いは形式的な同意を求めるためだけのもので、仮に異論があろうと差し挟める余地なぞない。
 ―――異論どころか、
 ギャランは修三を見た。
 その額のど真ん中を撃って、ギャランは今すぐこの男を文字通り宙に、機体の外に投げ捨てたかった。
 嫌な予感がした。

「これから私のセーフハウスに向かう」
「えっ、スキー場じゃないんですか」
 途端、カズマが前方にくず折れた。
 この期に及んで何を言うんだ君は、と、拳で床を叩いたカズマはうんざりと頭をもたげ、周子を睨みつけた。
「確かに表向きはスキー場と温泉施設を備えたリゾートホテルだが、私の所有するセーフハウスの一つでもある。五階から上は厳重なセキュリティの効いた極めて特殊なプライベートフロアだ。そこでじっくりと厳密に修三タチバナの取調べを行う、課長の同意はこれから取る、法的には問題ない、……ように措置する
「! ありありってことじゃないんですか! ナニソレその言い草!! 取って付けたようなその言い草ってば!」
「せっかく修三タチバナが生きて手に入ったんだ、この機会を逃すわけには無論行かない」
「ですから、父さんは死んでない、って。もう何度も言ったじゃないですか。それに、父さんは、新聞に載った補佐官と私の写真を見て新居を尋ねて来てくれた、って……父さんがここに来た動機なんて、最初ッから父さんがそう自分ではっきり言ってますよ。んもう、補佐官ってばホンットに飲み込み悪……」
「君は黙ってろ、周子刑事」
 私は断じて飲み込みは悪くない、とキッパリ首を振ると、ヘリ風に乱れた緑髪をざっと手で撫で付けて。いかにも潔癖といった具合に髪と身なりを正すと、
「修三タチバナ、要求どおり周子を呼び寄せたが。さて、改めて聞こう、一体何の用だ? 国際指名手配されている身で、わざわざ姿をあらわす理由がどこに?」
 すっと表情を強張らせた周子を横目で警戒しながら、カズマはそう言って修三を見た。
 修三の側に寄ろうとする周子の手首を掴んで、彼女を制して。
 手首を掴むなり向けられた、野生の獣のような凄みのあるきつい黒目に、一言一言はっきりとカズマは噛んで含めるように言った。
「周子刑事、私は彼と少し話をしたいだけだ、悪いようにはしない」
 真意を量るように周子の眉がほんの少し顰められる、その強い視線を無理に外して、カズマは再び修三を見た。
 修三まで、ほんのニ、三歩の距離を、カズマは周子に許さなかった。
 無言の修三に、カズマは注視する己の瞳に力を込め、言外に回答を要求する。
 数拍の間を置いて、やがて修三が静かに口を開いた。
「……周子を連れ戻しに」
「なぜ?」
 カズマの、端的な反問。
 途端。
 そんな分かりきったことを聞くのか、とでも言いたげな嘲笑の色が、修三の今この瞬間までまるで無表情だった黒目に、唐突に浮かんだ。
 ―――気に食わないから
 まさしくそんな表情。
 それを見た瞬間、カズマは己の中の血の温度がカッ、と上がったのを感じた。
 その、ほんの微かな瞳の表情の変化が実にこの上なく好戦的で、それは対峙するカズマに何か得体の知れぬ厄介な焦燥を抱かせたといっていい。
 瞳に浮かべる色一つで劣情を煽る、その高度な技術をやすやすと行使する瞬間を目の当たりにし、挑発にのってはいけないと心のどこかで警鐘が鳴るが、もう遅い。
「牙の教徒とはどういう関係がある、五年前、なぜ娘を残して姿を消した」
「周子」
 名を呼ばれた周子の手首を、カズマは改めて力を込めて握って。修三の側へ寄ろうとした周子を再び制し、答えになっていない、とカズマは冷たく拒絶した。
「納得できる回答を得られるまで彼女は側にも寄せない」
「……補佐官、痛いです」
 周子の声が痛みに掠れたが、
「ああそうだ、私は腕力には自信がある。伊達に車椅子を扱っていない」
 こんな女の細い指の一本や二本、と言いかけて、刹那、カズマに悪寒が疾った。
 ひゅっ、と直ぐ耳元で風を切る鋭い擦過音、次いでどさっ、と人の身体の崩れる重い音があった。
「わりぃ、周子ちゃん」
 周子を組み敷いて、ギャランが早速後悔したような声を上げるが、その色には余裕がない。
「カズマを殺らせるわけには行かない、絶対に。親友だって、言ってるだろ」
「こっちこそ」
 周子はキッ、とギャランの青い瞳を間近に睨んで。
「父さんに手を出すんなら、」
「落ち着けって」
 周子の手首を床に打ちつけ、握った拳銃を取り上げるとカズマに渡す。
「手ェ出してるわけじゃ無ェだろ、話を聞こうってぇんだ、実際、指一本触れちゃいねぇ」
「思いっきり銃口向けてますけど!!」
 え? と顔を上げたギャランは、エンギワルーの銃か、本当に抜け目ない女だな、一体どんな教育を施されてきたんだ、と銃を吟味しながら唸ったカズマが、丁度ぴたりと修三の胸に銃口を向けるところを見た。
「ちょっ……カ、」
「動くなギャラン、周子刑事、修三は私のものだ」
 凄みのある声で、カズマはそう宣言すると、殺気濃い眼差しで修三を睨んだ。
「確信を得たよ、修三タチバナ。ひどく特殊な形状だが、エタニティヴァリアスとは、いわゆるクリプテックスだな。自身が出張ってきたのが何よりの証拠だ」
 そう言うと、はっきりと修三の表情の色が変わった。
「どこで見た?」
「ほう。行方を知らないのか。むしろ探しているといった表情だな」
 修三が小さく息を吐いた。
「五年前に、機上から拉致された騒動の際、洋上に棄てた。あのまま失せればよいものを」
「国滅んでなお膨れ行く謎の国庫、とある亡国の機密口座ともなれば、牙の教徒は躍起になって探すだろう」
 沈黙した修三に、
「実に美しい時計だったが。お前がそれをどの筋から託されたのか、答え次第では娘は命を落とすことになる……」
 修三の胸に向けた銃口を、今度は床上にギャランに強く組み敷かれたままの周子の頭部へと向ける。
 だが修三は表情一つ変えなかった。
「では、新婚早々政界は大騒ぎだな、フォン・グランツ」
 修三の言葉に、ふ、とカズマは酷薄な笑みを浮かべた。
「殺せと?」
 そう口にしたとき、明らかな何か、交渉の仕方を間違えた、という直感が身体を貫いた。
 周子の父親に対する特殊な拘泥、それは裏返せば、修三の娘に対する異様な執着そのものだ、その異様さは常識では量り知れぬ類のものだ。
 娘を殺すような話には、決してならないはずだ、なるとすれば、この会話はミスリード以外の何物でもなく、真実には繋がらない。
 迂闊に挑発に乗った、という実感が唐突に襲ってきた。
 どっと血流が逆流するかのような衝撃。
 それが、焦りなのか羞恥なのか、カッ、と赤面したのが自分でもわかった。
 修三の静かな表情、それを前に、この上の詰問を重ねることは無粋以外の何物でもないと知る。
 ―――難しい
「とんだ気狂いだな。牙の教徒が手を焼くのも分かる気がするよ」
 ―――ああそうか、
 己の言葉を己の耳で聞いて初めて。
 カズマは、何も語らぬ修三から、修三と牙の教徒とが同一ではないということ、ただその一点をのみ、唐突に飲み込むことになった。
 与えたい情報を与える、あるいは、与え得る情報を与える、のではなく、与える情報しか与えない、極めて主体的で即物的な、彼独特の専横論理、恐ろしく高度にして禁欲的なロジックに満ちた彼の世界観を垣間見た。
 とにかく、とカズマはぞっとしかけた思考を引き戻した。
「とにかく修三は私のものだ。身柄を拘束しているのは他の誰でもなく、この私だ。ヘリが現地に着き次第、じっくりと聞かせてもらう」
 初戦を退いた、そう自認したものの、その自覚は吐き気すら感じるほどのひどい屈辱、知れず歯の奥が鳴るほどの頭痛を伴った。
「エンギワルーに連絡する、ギャラン、修三をきつく縛っておけ」
「補佐官!」
 たちまち周子が抗議の声を上げる。
 ああそうか、とカズマは苛立ちのこもった低い唸り声を上げた。
「ついでだ、周子刑事も縛り上げろ」
「ええっ? ちょっ、カズマ、タンマ……」
 縛りあげるなんてそりゃあんまりだ、と慌てて周子とカズマを交互に見比べたギャランに、父親が絡んだ際のこの女が、どれほど危険かお前だって分かってるだろうがっ、とカズマが怒鳴りつけた。
「いやだって、だってさ、え? えええっ? ちっ……父親が絡むってオイ!?」
 つつっ、と鼻血と垂らしたギャランに、なんでそうなる!? とカズマは髪を逆立てた。
 取り出したロープをギャランの金髪目掛け強く叩き付けると、キッ、ともう一度修三を睨んで。
「とにかく修三タチバナ、貴様の身柄は私のものだ。絶対に、誰にも、渡さない」
 ふんっ、とひとつ大きく鼻息を鳴らして。
 通信のため、コックピットのほうへと這うようにして身体を移動させた。
「…………」
 修三はしばらくの間押し黙った。
 至極不本意そうな表情、だが、ちらと周子を見て、まあそれならそれで、とあっさりと納得したように微笑した。
 そして、呟いた。
「夫が男色なら周子は安全だな」
 カズマは、耳に当てようとしたヘッドセットを思わず取り落とした。


 ヘリから降りて車に乗り換えたエンギワルーは、調達するようカズマに渡された機材のリストに再度目を通し、何度目かの溜息を吐いた。
 あの爆破でもセーブルームはやはり頑強に外観を留めていた、ともすれば、セーブルーム内にあるいくつかの機材を引き上げてくるのは全く問題ない、あの一連の騒動の際の監視データ一切を引き上げてくるのも大した手間ではない、だが。
 この、最後の一項目、
「エタニティヴァリアス……」
 ―――既に公的に押収されているものを、どう取り上げてこいと?
 メーターパネル脇のデジタル時計に目をやる。
 ヘリでの移動に一時間、帰りに一時間、いくら薬を服用しているとて、現在ホテルの自室で仮眠を取っているカズマが目を覚ますには、それほど多くの時間はない。目を覚ませば、早速修三の尋問を始めようとするだろう。
 いくら良く出来た息子でも、六歳のコンジョナシ一人で、カズマ、ギャラン、周子、修三の四人の曲者を相手にするには、明らかに荷が勝ちすぎる……というより無理だ。
 ―――あまり時間は掛けられないな、
 やれやれ、と深い吐息を吐いて、エンギワルーは脇下にはさんだ銃の尻に指先で軽く触れた。

 邸宅屋上のヘリポートは使えない、となると一番近くのヘリポートから車で向かうわけだが、これがなかなか時間が掛かった。
 カズマ・フォン・グランツの邸宅にたどり着いたエンギワルーは、その跡地に銀髪の長身の男が立っているのを見た。
「ああ、丁度いいところに来たこと」
 ルシウスはやれやれ、といった具合に携帯電話を耳から離し、エンギワルーを見る。
「伯父御ががなり立てるものですからね。長い時間切らせてくれないものだから、ああ疲れた。全く、携帯なんて持つもんじゃないね」
 警視総監たる多忙なその身におよそ相応しくないことをしれっと言って微笑む。
「エンギワルー、説明して差し上げなさい」
 ぽいっ、と軽快に投げ寄越された携帯をキャッチするなり、エンギワルー、お前の通り一辺倒の説明なぞもうとうに聞き飽きたわ! と怒声が響いた。
「エンギワルー、家督を継ぐ気があるのなら今すぐあれに出頭するように、出頭し、わしに直接事情を説明するよう……」
「それは無理かと存じます」
 エンギワルーは一拍置いてから、落ち着いた声で応えた。
「若は既に家督を継ぐ条件を満たしておりますゆえ」
 家督を継ぐ気があるのなら、という類の恫喝はもはや使えません、とエンギワルーはわざと論点をずらしてそこに柔らかい笑いを挟んだ。
「なにっ、わしがいつ恫喝したと?」
「いえ。若の御身はご無事ですので。とにかく今はご容赦いただきたい。ええ、行き先も。若から直接お電話を差し上げていると存じますが、若ご自身の口から、詮索無用と申し上げた旨伺っておりますれば、私から申し上げることは出来かね……いや、はは、まあそのなんですな、ははは、実際宗主様とて、既に若の居所は押さえておられるのでしょうに」
 グランツ家宗主の権力と情報網とを以ってすれば、知れぬことなどないでしょう、とスキンヘッドをくるりと撫で、エンギワルーは穏やかに窘めた。
「若のお体の具合は大変にお気掛かりでしょう、ぜひともひと目、直接にお確かめなさりたいお気持ちは重々承知いたしておりますが、」
「誰があんな傲慢息子の心配なぞしているものか!」
 わしはただグランツ家次代宗主の身を、と続いた大仰な親馬鹿的焦慮から耳を離し、エンギワルーは、ちら、とルシウスを横目で盗み見た。
 すぐにルシウスが両の人差し指でバツの形を作って眉を顰め、制止する。
「お前、今そこのお池に放りこもうとか思ったね?」
「目ざといですな。あと零点一コンマ秒遅ければ、最も適切な放物線を描いて水中へ」
 ぱっとエンギワルーのその手から、ルシウスは自分の携帯を取り上げ。
「これでなかなか手間掛かったんだから。水に浸けるには、惜しい」
「若に知れたら、きっと般若のような形相になりますよ」
 ルシウスの携帯は、エメラルドとアメジスト、ダイヤ、トパーズなどといった細かな輝石でびっしりと埋め尽くされ、緑髪紫瞳のメガネを掛けた男のモザイク画をなしていた。デコ電をはるかに超えた、緻密にして華やかな芸術品と言って良い。
「これがあの子に見つかった瞬間を想像するだけで私は楽しくて」
 ぞくぞくします、と笑ったルシウスは、だが、再び携帯を耳に当てると、いままでとは打って変わった厳しい声を出した。
「伯父御、……奴ら仕掛けてきますよ」
 あの子はとんだ大物を吊り上げたようです、と言ってルシウスは携帯の電源を切った。


(第38話へつづく)
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