コハリトりみっと
長編恋愛FT「タトゥー・オブ・ギャラン」がメインの小説・雑記サイト。
初めての方へ | 絵板 | RSS![]()
Entries

2年の科学11月号の一コマ。まんが偉人伝ウェグナーの話。ウェグナーはともかく、こう、世間に大否定される発見って、昔はたくさんあったんだよなぁって、このマンガみて思った。私は今時代的にそういう所に戻ってきていると思うんだ、以下私の主観的かつ限定的にしてかつその指摘範囲を明かさ(せ)ないのでスルーして結構。
大勢が正とすれば、それは正だ。
この国は民主主義なので、それはそれでそういうものなのだろうとは思う。
だから、「だれがそれを正としている」が重要で、「これが正だ」は重要ではない。
既に権威ある教授がこれはいいと推奨する手法があったとして、周囲や後進がそれを受け入れるとする、大勢はそれを正とするわけだ、そこへこれは論理的に違ってる、と自分が理解したとして、すでに大勢が正としているものを覆し自分の主張を通すのは大変に面倒くさい。
自分以外の人間が理解できるよう噛み砕いて説明するための資料を作らなければならないからだ。
仮に10日間を与えられたとして、
正たるものを論証するためだけに使えばどれほど有意義に使えるだろうかと夢想せざるを得ない。
私の知った学会社会は、10日間のうち9日間は他者を納得させるための、わざわざ他者の理解可能知領域へ下り、他者に理解可能な情報で以って他者を理解したと頷かせるための作業が必要だということだ、めんどくせぇ!
(まああれだ、夢想する時点で自分はへぼい、現実それを突き詰めないのは己に哲学的狂気はなく、無尽蔵に金を出してくれるスポンサーもなくそして自分は飯を食う必要があるからだ、自分は研究者にはなれない)
科学の「言葉」は大学とか学部とか研究室とか、それぞれの研究分野で学ぶだろう、研究者はそこですでに共通言語(巨人の肩)の上にあるわけだが、自らの研究が自前の専門分野内の考証で得られるものでフォローできるのは実際もう無理な段階にきている。
例えばデータ解析は、厳密には研究者の専門分野外だ、技術者から研究者へ事象のフィードバックが必須で、解析結果にある新たな発見が研究者に絶対正を突きつける。
技術者は研究者の巨人の肩に乗れるし、その肩から下りることもやる、他にいくつもの巨人の肩の存在を知っているからだ。
時代的に、技術力というのは、ものを作り出す力ではなく、絶対正だというものを見つけ出す力だ、正を見つけ出すことのできる技術者とつながる研究者や企業は今後伸びる。
今後、っていっても、ウェグナーの場合、50年。かつての昔ほど時間はかからないだろうとは思うけど……なんといっていいか分からんが、時代の裂け目みたいのが見える気がする。
2件のコメント
- 2007-12-02
- 編集
二重虹さん、こんにちは。……まいったなこのエントリに何かしらレスがつくことをあまり想定していなかったですね。
それは訳者が馬鹿か解説者が無知か編集者が捻じ曲げたかですよ、と客前で笑い飛ばすことがあったとしても、私の場合自分が情報の起点になるのとはまた少し違い、既存の、既に受け入れられている参照渡しのポインタ(call by reference)を叩き壊して自分が正しいポインタです、と言い出すのだから却って始末が悪い、正解に対してのルート表示というのは問題とその解決に対する動機付けや意味付けをも含む、ややもすると夢想家とか革命家とか、境界越えたら思想犯罪者のドアが見えますよ、よって私の理性が妥協を乞います。
難しい話が苦手なので、自分の位置まで引き下ろします、転回。
私的には既にいろんな部分で社会的に揺り戻しがきている感触があり、正直もうこの国だめじゃね、世界恐慌クラスの震度があればそれはそれでよし、だがそうでない場合を思うと、もう産んじゃったこの子供をどう教育しようかと、特にこっち田舎はほんとまわりばかばっかなので、大勢に流されるとどうにも逆らえぬものがあるのですが、かといって子供はまだ私ほどそう上手には戦えない。
実際ここ一年ばかし子供の生かせ方で悩んでいたんだけど、しかし子供もそれなりに生き物のようで、いつのまにかそれなりに周囲を御せる、あるいは親を誤魔化せるようにはなってきたようで、ああこいつは私とはまた別物なんだなぁと。人生悪くない。
それは訳者が馬鹿か解説者が無知か編集者が捻じ曲げたかですよ、と客前で笑い飛ばすことがあったとしても、私の場合自分が情報の起点になるのとはまた少し違い、既存の、既に受け入れられている参照渡しのポインタ(call by reference)を叩き壊して自分が正しいポインタです、と言い出すのだから却って始末が悪い、正解に対してのルート表示というのは問題とその解決に対する動機付けや意味付けをも含む、ややもすると夢想家とか革命家とか、境界越えたら思想犯罪者のドアが見えますよ、よって私の理性が妥協を乞います。
難しい話が苦手なので、自分の位置まで引き下ろします、転回。
私的には既にいろんな部分で社会的に揺り戻しがきている感触があり、正直もうこの国だめじゃね、世界恐慌クラスの震度があればそれはそれでよし、だがそうでない場合を思うと、もう産んじゃったこの子供をどう教育しようかと、特にこっち田舎はほんとまわりばかばっかなので、大勢に流されるとどうにも逆らえぬものがあるのですが、かといって子供はまだ私ほどそう上手には戦えない。
実際ここ一年ばかし子供の生かせ方で悩んでいたんだけど、しかし子供もそれなりに生き物のようで、いつのまにかそれなりに周囲を御せる、あるいは親を誤魔化せるようにはなってきたようで、ああこいつは私とはまた別物なんだなぁと。人生悪くない。
- 2007-12-02
- 編集
コメントの投稿
0件のトラックバック
- トラックバックURL
- http://klimit.blog7.fc2.com/tb.php/680-4665df5d
- この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)




殆どは、絶対正と言うより相対正ですね。それはマイナーな立場にある人間にじゃ暗黙の了解で、メイジャーな立場の人間ですら、分かっている人(第1世代)には分かっている、それを絶対正と思っているのはメイジャーな立場で教育を受けた第2世代です。そういう第2世代には、彼らの信じているものの正当性が正しく評価できずに、次第に拡大解釈を初めて、最後には滅茶苦茶な事を言い始める者が増えて来ます。分野の終焉ですね。だから、第一世代の段階で『相対正』の方向を見きわめる事の出来る者は『世間的』に成功するけど、その30年後に揺れ戻しが来ます。
ただウェーゲナーの場合は、本当にそれまでの『常識』を覆したかから、上記のような『相対正』という世界でなかっただけで、そういう例は現実には殆どありません。というわけで、ウェーゲナーの例は一般化が難しい。ただ、彼のお陰で、『絶対』の無意味があまねく知れ渡ってのは大きいですがね。