コハリトりみっと
長編恋愛FT「タトゥー・オブ・ギャラン」がメインの小説・雑記サイト。
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ぐらり。
体が大きく傾ぐ感覚……急に増した重力を感じるなり、ばたりと地面にうつ伏せに落ちた。
強い夏の陽射しと、頭を撫でる微かな風、地に付けた頬と体の下から土の湿気がじんわりと染みて来るのが分かった。
頬のすぐ横に、誰かの黒光りする革靴を見て、ああ、召喚されたのだ、と周子は思った。
ゆっくりと身を起こそうとし、地面に立て支えた腕が震えた。
―――重い。地面が恋しい。
召喚されたときはいつもこうだ、ミアムの結界は身体を軽くする、国外に出るなり、どん、と急激に重力の負荷が身体に掛かるようで、まるで羽根でももがれた気分がする。
―――恋しい。
―――地面が、いや、……み、ず、水っ!!
意識の焦点が合うなり、強烈に喉の渇きを感じた。体の内から上がった悲鳴にも似た強い欲求、乾きすぎて喉がひりつくようだ、そう思って顔を上げた矢先、ちゃぷん、と音がして、すぐ目の前に小瓶を見た。
不意に鼻先に突きつけられた小瓶のその水音、すぐさま奪い取り、口づけた。その液体が何か、よりも先に、とにかくこの渇きを癒すことを本能が選んだ、のだが。
ぶ――っ!
勢い良く三口ばかり嚥下し、残りを周子は激しく噴出した。喉を焼くこの熱さ、
「酒!」
噴出した口許をこぶしでぬぐって、うめく。
取り落としたボトルからは琥珀色の液体が地面に注がれていて。とくとくとく、地に零れる小さな音がいやに大きく聞こえた。芳醇な酒の香りが、染み込んだ地面からゆっくりと立ち上ってくる。
―――どうして、その匂いに気づかなかったんだろう。
地面にへたり込んだまま、呆然とそんなことを考えて。
「口が利けるほどには喉の渇きは癒えたようだな」
黒い革靴の主が、すっと、自分の隣に屈み込む気配、周子はその顔を真横に見た。
逆光のために昏く輝く男の影、それがやや小首を傾げ、周子の顔を覗き込んでくる。ハチミツのようなあでやかな金髪が華麗な陰影を刻み、キラキラと光に散り輝くその様子はひどく豪奢で神々しく、その目ははっとするほど綺麗なブルーだった。
「あなたが、私を呼んだのね?」
「呼んだ?」
疑問で返す男のいぶかしげな表情、間近で見たその瞳は酒気を帯びている。
周子は知れず微笑んだ。
―――相手が酔っ払いなら、楽勝だ。
「いずれにせよ、私がここにいて、あなたを最初に見たということは、あなたが召喚主、ロレンスってことね」
「ロレンス?」
周子はよろ、と立ち上がり、首を回し、腕を回し、地に堕ちてなお体が無事なのを確認すると、こほん、と一つ咳払いをした。
足下に屈んだままの男を見下ろして。
威厳を感じさせる、普段よりもずっと低めの声で、言葉を発した。
「聞こう、お前の望みはなんだ?」
―――こう、召喚主に問うのは三度目だ。三度目の召喚、先の二回同様上手くこなせばそれでよい、ただの召喚、それだけだ。
交わした召喚の契約によりお前の望みを叶える、と周子は続けた。
男は呆気に取られたような、ぽかんとした青い目でこちらを見上げている。
―――バカみたいな、青い目だな、
自分を見上げて寄越す目は、すがすがしいほどに青い。何の悩みも憂いもなさそうな、途方も無く美しい青色、晴れた夏の空の如き見事なまでの青い瞳を見下ろして、周子は軽く眉を上げた。
青い瞳は他に見たことがある、だがこれほどまでに色鮮やかで澄んだ綺麗な目は見たことがない。ずいぶんと美形な召喚主だな、と周子はその瞳を遠慮なくまじまじと覗き込み、
「お前が私を召喚したのだ、望みを述べよ」
短くそう命じた。
まして相手は酔っ払いである。
―――適当に転がせば、簡単な望みの一つや二つ、あっさり吐くだろう。
そう思った矢先、
「ねぇよ」
答えを待つ間もなく、男は即答した。
「バカ言え、無いことは無いはずだ」
今まで、召喚しておいて望みがないと言った人間なぞ聞いたことがない。そもそも召喚とは莫大な対価を要するものだ、冗談や悪戯で費やせる額では到底無い。
見下ろされるのが気に食わなかったのか、男は立ち上がると、ふん、と小さく鼻を鳴らし、腕組みをする。思った以上に背が高い。今度は周子を見下ろして。
「望みなど、ない。ないものは無い」
それはビックリするほどの、キッパリとした良い声だ。張りと艶のある意志の強そうな雄々しい声、周子が今まで聞いたことのないほどの男前な声だった。
精悍な、引き締まった頬と、口角のやや上がった形の良い唇。
それが動いてもう一度。
「おれには望みなど、ない」
「……あんたはなんか、人生に絶望でも?」
あまりにも鮮やかで端的、揺らぎのないその言葉に、思わず周子は興味を惹かれそんな問いを返した。
何をそんなに驚いたのか、男は、息を止め目を剥いた。
上背があり肩幅は広い、腕組をして軽くふんぞり返ったその体は実にバランス良く。周子はその美丈夫な男の腰のあたりを、パンパンと気安く叩いて笑った。
「だーいじょうぶ、大丈夫。あんたには望みがある、人生そんなに捨てたもんじゃない、だって、この私を呼んだんですもの!」
さらに驚いたように眉を上げた男に、周子は自信たっぷりに微笑んで。
「この私を呼んだ以上、それ相応の歓びを。アンタ生きてて良かったって思うわよ」
べらぼうに高額な召喚契約金を課している自分をあえて召喚したのだ、望みはない、などと強がりを言ってみたところで、実際は相当の覚悟をしているに違いないのである。
「なあに? ミアムで一番高値で取引されてるのがこんな小娘でびっくりしてるの?」
「あ、新手のサービスか? カズマの差し金にしちゃずいぶん気が利き過ぎてる……っつーかありえ無ぇ、あいつはそんなエロ刺客を差し向ける奴じゃ無ぇ、だって、そもそも、宙から落ちてきたし? なんで降って来る? 宙から? なんかすげえな?」
どういう趣向だ? と唸ったその口調、困惑しふるふると金髪を振るその仕種は、見た目よりもずっと子供臭い。
「そぉーんな知らんカオしちゃってマァ。召喚された以上、なんでもご希望に添うわよ……さ、言ってご覧」
周子はそう言いながら、召喚を知らぬはず無いでしょう? ほら、と己の実体を確認させるべく、男の手を掴んで自分の胸に押し当てた。
「ちょ、ちょっと?」
胸に押し当てた男の大きな手が、一度離れたかと思うとそそくさと裾から中へと入り込んできて。
ぷにぷにと乳房を揉んだ。
「やっぱエロ刺客?」
お望みのままにとは強烈だな、青い瞳が涼しげに微笑んだ。
「ふにゃっ! 何がエロ刺客だっ、ばかっ!」
真っ赤になってその手を払うと、周子はびゅっと足を一閃、鋭く蹴り上げ……おや、と思った。上背のあるその身体が、ほんの少しだけ無駄なく動き、蹴りを躱した、自分の間合いもスピードも良かった、蹴りとしては良い蹴りだった、それをこう容易く躱すとは一体どういうことだ、と思ったのだが。
―――なんだこの男……いやそんなことより!
「さあ、ロレンス、ふざけてないで早く望みを言って!」
くそう、胸を揉まれた、と口惜しげに吐き捨て、周子は人差し指をびしっと目の前の男に突きつけた。
「長居する気は無い、召喚主のあんたの望みさえ履行すれば、私はベースに還ることができる、さぁ、望みを言え!」
男は首を捻り、己に突きつけられた指先を不快そうにかわした。斜に構えて周子を見下ろすその眼差しは、偉そうでひどく不遜だった。
「ベースって?」
「そりゃ、ミアムの……って、ところでここはどこ?」
周子は言いかけた口を押さえて、男を見た。
男は軽く目を見開いて、周子を見つめていた。
「ガーナだ」
望みだ何だというよりも前にもっと互いに話をする必要がありそうだな、こい、と、強引に腕をつかまれ、引きずられるようにして連れて行かれるのを、周子はやっとの思いで振り払った。
「……女とは思えん力だな」
手の甲にできた掻き傷を見て、あきれたように男が呟いた。
振り返った地面には、引きずられた周子の踵の跡が延々と続いている。
何処かの庭なのか、手入れの行き届いた景色が広がっている。丁寧に刈り込まれた植栽とその向こうに広がる一面の柔らかそうな芝。
眩しい夏の陽射しを斜に背負い色濃く影を落とす木々、涼しげな木陰と鳥のさえずり、さわやかな風に凪いでキラキラと輝く湖面。どこを見ても美しい庭だった。
ただ、庭というには広すぎるかもしれない。
池というよりは湖。植えこみというよりは、木立。
庭というよりは、森の中。
散策にはまさにぴったりの景色が広がっているが。
―――これだけ広い庭園を維持するのに、いったいどれほどの労力と金がかかるだろうか。
力づくの連行を必死で抗った周子は肩で大きくぜえはあと息をしながら男を睨みつけた。確かに、体に感じる圧倒的な重力の差が、この地が自国ミアムでないことを語っている。
「……ミアム、かの地にまだ生命があるとは知らなかったが」
「は?」
「かの地への立入りは禁忌の筈だが」
ガーナはもちろん、セリアとて認めていない、セリアが協定を破ったか、とその男は機嫌を損ねたように唸った。
「…………………」
たっぷり、間があった。
「おい、女……いや、待てよ」
ふと何かを思い出したかのように、男はちょっと眉を上げると、言葉を切り、まじまじと周子の黒目を覗き込んでくる。
「黒目黒髪といえば、お前はそうだ、タチバナ。そう、タチバナ、だ。シュウ……、んー……シュウ? シュウ……シュウコとか言ったか?」
「!!」
唐突に、心臓が破裂したかと思った。
強い衝撃と共にどくどくと荒く鳴り出した心臓のあたりを胸の上から強く押さえ。
腕が、肩が、身体が震えるのが分かる。周子は信じられない思いで目の前の男を見上げた。
「ロレンス、あんたは、どうして……」
―――どうして私の名を。
名を、当てられた。もしくは、何らかの事情で知られていた、そう思うなり、恐怖と焦りで呼吸がますます苦しくなった。
こんな見ず知らずの男に、隷属のタトゥーを刻まれたら……。
恐れおののいた表情の周子を前に、対する男は微笑んで、お、ビンゴか? と急に機嫌を直したようだった。上から下まで、しみじみ周子を眺めて、いい女だなぁ、と明るい声を上げた。
「まさか本物を見ることがあるとは思わなかったなァ。その黒目黒髪、紛れも無い。はて、もう少し、妖艶な印象のする美女だったと思ったがなぁ」
などと、名を当てた当人はあごを撫で撫で、沈痛な面持ちの周子をよそに感心することしきりである。
周子は不安を隠しきれぬ声で男を見上げ、呟いた。
「ロレンス、私を知ってるの?」
たちまち男は眉を顰めた。
「先ほどからなぜおれをロレンスと?」
「だって、呼んだのはあんたでしょう、ロレンス」
「ロレンス、ね……お前は本当におれのことを知らんのか?」
こんな金髪で青い目の、これほどいい男は他にいない筈だが、と真顔で尋ねてくる。
「知るか!」
「命知らずだな」
面白そうに目を丸くした。
「ねぇロレンス、これはいったいどういうこと?」
ミアムにあるベースが、周子の真の名を漏らすはずが無い。
召喚の種の真の名はベースが管理しているが、あの狡猾な長老ですら、それを洩らしてロンを動かすことはしなかった。修三の言うとおり、ベースでさえ、長老でさえ、タチバナたる周子の真の名は知らない筈なのだ、漏らせるわけが無い。
ふうむ、と男は軽く唸った。
「どういうことかだって? おれの方が聞きたいぞ、いま、この世で最も有名な新国王様の御尊名すら知らぬ者がいようとはな! しかも、ロレンスなぞと三流の名を勝手に命名しやがって! おれを知らぬからそんなぞんざいな口が利けるのだな! 無礼者めが!」
男は、威張りくさったように腰に手を当てふんぞり返り、大きく息を吸った。
「いいか、周子タチバナ、覚えとけ、おれの名は……」
周子は途端に飛び上がった。
「わわわわわっ! ちょっ、ちょっと待っ……」
周子の制止を聞かず、その男は堂々と、名乗った。
「おれの名は、ギャラン・クラウンだ」
「しまった!!」
周子は短く叫んだ。
―――呪が!
刹那、肉の裂ける嫌な音を立てて、血飛沫が上がった。
噴出し宙に拡散した細かい血飛沫、霧の如きその向こうに、突然の出来事に驚きのあまり硬直したギャランを見た。大きく目を見開いたまま、呼吸すら忘れた様子で周子の腕から溢れ出る大量の鮮血を見つめている、その、なんと、間抜けな様か!
「何のために通り名があるんだ、ロレンス!!!」
怒りに任せ激しく一喝することで、意識を保った。
気力を振り絞り、首を捻って己が左腕を見た。激痛の涙に滲むその先に、獣牙に裂かれたが如き荒々しく生々しい肉の裂け目を見た。溢れ出る鮮血に、すぐには判読できないが。
周子は、認めた。
ギャラン・クラウン、その名が刻まれた、と。
痛みよりも何よりも、名を刻まれたその事実に、心が折れた。
「あ、あ、」
衝撃のあまり、言葉が出なかった。
混乱し、だがそれでも伸ばして寄越したギャランのその手、周子はそれを払うのが精一杯だった。
ギャランがたちまち不服そうに唸った。
「だからおれはロレンスなぞではないぞ? そもそも召喚ってなんだ? おまえ、どっかおかしいな?」
「おっかしいのはあんたじゃ!」
そう叫んで、周子の胸に嫌な予感が過ぎった。
「あんた、まさか、ほんとに、私のこと、呼んでない?」
「呼んでないな」
にべも無い。
ギャランは簡潔に言葉を継いだ。
「大体、金なんて払ってないし? そもそも、望みのないおれが、なんで召喚とやらということをしてお前のような女を呼び出し、望みを叶えてもらわないとならんのだ?」
「じゃ、これって」
―――召喚に、失敗した? 召喚ミス?
「ロレンスの野郎!」
一声、荒々しくそう叫ぶと、地団駄を踏み、周子は本来対面すべき相手である召喚主の名に思いっきり毒づいた。
黒髪を逆立て怒り狂う様、その、およそ人間とは思えぬ凶暴な姿を見て、ギャランはどうやら自分が何か致命的な失敗を犯した、そんな、奇妙な高揚を実感した。
理屈はまるで知れぬ、だが、彼女をこうせしめたのは明らかに自分だとギャランは思った。湧き上がる正体不明な高揚と何か強い衝動があった、ギャランは素早く周子の後ろに回り込み、暴れるその腕を取った、野生の獣を保護するかのように、その小柄な身体を後ろから両腕で強くしっかりと抱きしめた。
ハッ、と身を竦めた周子が、ゆっくりと首を回し振り返る。
殺気立ち、怒りと絶望とを湛えたその黒目の、なんと艶やかで美しいことか。
「タトゥーが……」
タトゥー? とギャランは、周子の腕に刻まれた己の名を見て眉を顰め……
「おれの所為なのか?」
「―――嫌ッ、触らないで!」
鋭い拒絶の悲鳴と共に強烈な平手を一発、ギャランはまともに喰らった。炸裂したその痛烈な激しさに目を丸くし頬をさすったのもほんの一瞬、ギャランは着ていたシャツを脱ぐとそれで周子の腕の傷を上からきつく押さえた。
みるみるうちに血に染まるシャツを二人は見た。
ギャランはすぐに無言でシャツのまだ白い部分を引き裂くと、周子の腕の付け根を固く縛った。手馴れた仕種だった。
止血のためとはいえ、腕を存外にきつく縛られて周子はぎゃっ、と短い悲鳴を上げた。
その拍子に舌を噛んだのをすぐに察したギャランが己の指を口中に強引に差し込んできた。顎を開かされ指で舌を押さえられ身体を強く抱きしめられる、気性の荒い獣をあやすような彼のその仕種が、それがとにかく無性に気に喰わなくて周子は喉奥で叫んで強く噛んだ、血の味がした、もはやどちらの血の味か、咽返るような血臭ばかりを感じて周子は目を回しかけた。
「大丈夫か?」
心配そうに問い掛けてきたその声は、心に深く沁みるような、周子がこれまで聞いたことのないほど思いやりに満ちた優しい声で。
心痛を露わにした半ば伏せた青い目に、長い睫が色濃く陰を落としていて。
ものすごく、綺麗な横顔だ、と周子は思った。
胸がぎゅっと強く鳴った。何か、重力を伴う大きな穴が空いた感覚だった。
恋に落ちる瞬間、というものを周子ははっきりと身体に知った。
どうしてこの男が自分の名を口にしたのか、到底分からぬが。
―――だが。
タトゥー……
それはまるで恋情に近く。
―――恋情に近く……
早くも呪に囚われた体の反応を確認し、周子は崩れ落ち号泣した。
[tog]6:バカみたいな青い目だな
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体が大きく傾ぐ感覚……急に増した重力を感じるなり、ばたりと地面にうつ伏せに落ちた。
強い夏の陽射しと、頭を撫でる微かな風、地に付けた頬と体の下から土の湿気がじんわりと染みて来るのが分かった。
頬のすぐ横に、誰かの黒光りする革靴を見て、ああ、召喚されたのだ、と周子は思った。
ゆっくりと身を起こそうとし、地面に立て支えた腕が震えた。
―――重い。地面が恋しい。
召喚されたときはいつもこうだ、ミアムの結界は身体を軽くする、国外に出るなり、どん、と急激に重力の負荷が身体に掛かるようで、まるで羽根でももがれた気分がする。
―――恋しい。
―――地面が、いや、……み、ず、水っ!!
意識の焦点が合うなり、強烈に喉の渇きを感じた。体の内から上がった悲鳴にも似た強い欲求、乾きすぎて喉がひりつくようだ、そう思って顔を上げた矢先、ちゃぷん、と音がして、すぐ目の前に小瓶を見た。
不意に鼻先に突きつけられた小瓶のその水音、すぐさま奪い取り、口づけた。その液体が何か、よりも先に、とにかくこの渇きを癒すことを本能が選んだ、のだが。
ぶ――っ!
勢い良く三口ばかり嚥下し、残りを周子は激しく噴出した。喉を焼くこの熱さ、
「酒!」
噴出した口許をこぶしでぬぐって、うめく。
取り落としたボトルからは琥珀色の液体が地面に注がれていて。とくとくとく、地に零れる小さな音がいやに大きく聞こえた。芳醇な酒の香りが、染み込んだ地面からゆっくりと立ち上ってくる。
―――どうして、その匂いに気づかなかったんだろう。
地面にへたり込んだまま、呆然とそんなことを考えて。
「口が利けるほどには喉の渇きは癒えたようだな」
黒い革靴の主が、すっと、自分の隣に屈み込む気配、周子はその顔を真横に見た。
逆光のために昏く輝く男の影、それがやや小首を傾げ、周子の顔を覗き込んでくる。ハチミツのようなあでやかな金髪が華麗な陰影を刻み、キラキラと光に散り輝くその様子はひどく豪奢で神々しく、その目ははっとするほど綺麗なブルーだった。
「あなたが、私を呼んだのね?」
「呼んだ?」
疑問で返す男のいぶかしげな表情、間近で見たその瞳は酒気を帯びている。
周子は知れず微笑んだ。
―――相手が酔っ払いなら、楽勝だ。
「いずれにせよ、私がここにいて、あなたを最初に見たということは、あなたが召喚主、ロレンスってことね」
「ロレンス?」
周子はよろ、と立ち上がり、首を回し、腕を回し、地に堕ちてなお体が無事なのを確認すると、こほん、と一つ咳払いをした。
足下に屈んだままの男を見下ろして。
威厳を感じさせる、普段よりもずっと低めの声で、言葉を発した。
「聞こう、お前の望みはなんだ?」
―――こう、召喚主に問うのは三度目だ。三度目の召喚、先の二回同様上手くこなせばそれでよい、ただの召喚、それだけだ。
交わした召喚の契約によりお前の望みを叶える、と周子は続けた。
男は呆気に取られたような、ぽかんとした青い目でこちらを見上げている。
―――バカみたいな、青い目だな、
自分を見上げて寄越す目は、すがすがしいほどに青い。何の悩みも憂いもなさそうな、途方も無く美しい青色、晴れた夏の空の如き見事なまでの青い瞳を見下ろして、周子は軽く眉を上げた。
青い瞳は他に見たことがある、だがこれほどまでに色鮮やかで澄んだ綺麗な目は見たことがない。ずいぶんと美形な召喚主だな、と周子はその瞳を遠慮なくまじまじと覗き込み、
「お前が私を召喚したのだ、望みを述べよ」
短くそう命じた。
まして相手は酔っ払いである。
―――適当に転がせば、簡単な望みの一つや二つ、あっさり吐くだろう。
そう思った矢先、
「ねぇよ」
答えを待つ間もなく、男は即答した。
「バカ言え、無いことは無いはずだ」
今まで、召喚しておいて望みがないと言った人間なぞ聞いたことがない。そもそも召喚とは莫大な対価を要するものだ、冗談や悪戯で費やせる額では到底無い。
見下ろされるのが気に食わなかったのか、男は立ち上がると、ふん、と小さく鼻を鳴らし、腕組みをする。思った以上に背が高い。今度は周子を見下ろして。
「望みなど、ない。ないものは無い」
それはビックリするほどの、キッパリとした良い声だ。張りと艶のある意志の強そうな雄々しい声、周子が今まで聞いたことのないほどの男前な声だった。
精悍な、引き締まった頬と、口角のやや上がった形の良い唇。
それが動いてもう一度。
「おれには望みなど、ない」
「……あんたはなんか、人生に絶望でも?」
あまりにも鮮やかで端的、揺らぎのないその言葉に、思わず周子は興味を惹かれそんな問いを返した。
何をそんなに驚いたのか、男は、息を止め目を剥いた。
上背があり肩幅は広い、腕組をして軽くふんぞり返ったその体は実にバランス良く。周子はその美丈夫な男の腰のあたりを、パンパンと気安く叩いて笑った。
「だーいじょうぶ、大丈夫。あんたには望みがある、人生そんなに捨てたもんじゃない、だって、この私を呼んだんですもの!」
さらに驚いたように眉を上げた男に、周子は自信たっぷりに微笑んで。
「この私を呼んだ以上、それ相応の歓びを。アンタ生きてて良かったって思うわよ」
べらぼうに高額な召喚契約金を課している自分をあえて召喚したのだ、望みはない、などと強がりを言ってみたところで、実際は相当の覚悟をしているに違いないのである。
「なあに? ミアムで一番高値で取引されてるのがこんな小娘でびっくりしてるの?」
「あ、新手のサービスか? カズマの差し金にしちゃずいぶん気が利き過ぎてる……っつーかありえ無ぇ、あいつはそんなエロ刺客を差し向ける奴じゃ無ぇ、だって、そもそも、宙から落ちてきたし? なんで降って来る? 宙から? なんかすげえな?」
どういう趣向だ? と唸ったその口調、困惑しふるふると金髪を振るその仕種は、見た目よりもずっと子供臭い。
「そぉーんな知らんカオしちゃってマァ。召喚された以上、なんでもご希望に添うわよ……さ、言ってご覧」
周子はそう言いながら、召喚を知らぬはず無いでしょう? ほら、と己の実体を確認させるべく、男の手を掴んで自分の胸に押し当てた。
「ちょ、ちょっと?」
胸に押し当てた男の大きな手が、一度離れたかと思うとそそくさと裾から中へと入り込んできて。
ぷにぷにと乳房を揉んだ。
「やっぱエロ刺客?」
お望みのままにとは強烈だな、青い瞳が涼しげに微笑んだ。
「ふにゃっ! 何がエロ刺客だっ、ばかっ!」
真っ赤になってその手を払うと、周子はびゅっと足を一閃、鋭く蹴り上げ……おや、と思った。上背のあるその身体が、ほんの少しだけ無駄なく動き、蹴りを躱した、自分の間合いもスピードも良かった、蹴りとしては良い蹴りだった、それをこう容易く躱すとは一体どういうことだ、と思ったのだが。
―――なんだこの男……いやそんなことより!
「さあ、ロレンス、ふざけてないで早く望みを言って!」
くそう、胸を揉まれた、と口惜しげに吐き捨て、周子は人差し指をびしっと目の前の男に突きつけた。
「長居する気は無い、召喚主のあんたの望みさえ履行すれば、私はベースに還ることができる、さぁ、望みを言え!」
男は首を捻り、己に突きつけられた指先を不快そうにかわした。斜に構えて周子を見下ろすその眼差しは、偉そうでひどく不遜だった。
「ベースって?」
「そりゃ、ミアムの……って、ところでここはどこ?」
周子は言いかけた口を押さえて、男を見た。
男は軽く目を見開いて、周子を見つめていた。
「ガーナだ」
望みだ何だというよりも前にもっと互いに話をする必要がありそうだな、こい、と、強引に腕をつかまれ、引きずられるようにして連れて行かれるのを、周子はやっとの思いで振り払った。
「……女とは思えん力だな」
手の甲にできた掻き傷を見て、あきれたように男が呟いた。
振り返った地面には、引きずられた周子の踵の跡が延々と続いている。
何処かの庭なのか、手入れの行き届いた景色が広がっている。丁寧に刈り込まれた植栽とその向こうに広がる一面の柔らかそうな芝。
眩しい夏の陽射しを斜に背負い色濃く影を落とす木々、涼しげな木陰と鳥のさえずり、さわやかな風に凪いでキラキラと輝く湖面。どこを見ても美しい庭だった。
ただ、庭というには広すぎるかもしれない。
池というよりは湖。植えこみというよりは、木立。
庭というよりは、森の中。
散策にはまさにぴったりの景色が広がっているが。
―――これだけ広い庭園を維持するのに、いったいどれほどの労力と金がかかるだろうか。
力づくの連行を必死で抗った周子は肩で大きくぜえはあと息をしながら男を睨みつけた。確かに、体に感じる圧倒的な重力の差が、この地が自国ミアムでないことを語っている。
「……ミアム、かの地にまだ生命があるとは知らなかったが」
「は?」
「かの地への立入りは禁忌の筈だが」
ガーナはもちろん、セリアとて認めていない、セリアが協定を破ったか、とその男は機嫌を損ねたように唸った。
「…………………」
たっぷり、間があった。
「おい、女……いや、待てよ」
ふと何かを思い出したかのように、男はちょっと眉を上げると、言葉を切り、まじまじと周子の黒目を覗き込んでくる。
「黒目黒髪といえば、お前はそうだ、タチバナ。そう、タチバナ、だ。シュウ……、んー……シュウ? シュウ……シュウコとか言ったか?」
「!!」
唐突に、心臓が破裂したかと思った。
強い衝撃と共にどくどくと荒く鳴り出した心臓のあたりを胸の上から強く押さえ。
腕が、肩が、身体が震えるのが分かる。周子は信じられない思いで目の前の男を見上げた。
「ロレンス、あんたは、どうして……」
―――どうして私の名を。
名を、当てられた。もしくは、何らかの事情で知られていた、そう思うなり、恐怖と焦りで呼吸がますます苦しくなった。
こんな見ず知らずの男に、隷属のタトゥーを刻まれたら……。
恐れおののいた表情の周子を前に、対する男は微笑んで、お、ビンゴか? と急に機嫌を直したようだった。上から下まで、しみじみ周子を眺めて、いい女だなぁ、と明るい声を上げた。
「まさか本物を見ることがあるとは思わなかったなァ。その黒目黒髪、紛れも無い。はて、もう少し、妖艶な印象のする美女だったと思ったがなぁ」
などと、名を当てた当人はあごを撫で撫で、沈痛な面持ちの周子をよそに感心することしきりである。
周子は不安を隠しきれぬ声で男を見上げ、呟いた。
「ロレンス、私を知ってるの?」
たちまち男は眉を顰めた。
「先ほどからなぜおれをロレンスと?」
「だって、呼んだのはあんたでしょう、ロレンス」
「ロレンス、ね……お前は本当におれのことを知らんのか?」
こんな金髪で青い目の、これほどいい男は他にいない筈だが、と真顔で尋ねてくる。
「知るか!」
「命知らずだな」
面白そうに目を丸くした。
「ねぇロレンス、これはいったいどういうこと?」
ミアムにあるベースが、周子の真の名を漏らすはずが無い。
召喚の種の真の名はベースが管理しているが、あの狡猾な長老ですら、それを洩らしてロンを動かすことはしなかった。修三の言うとおり、ベースでさえ、長老でさえ、タチバナたる周子の真の名は知らない筈なのだ、漏らせるわけが無い。
ふうむ、と男は軽く唸った。
「どういうことかだって? おれの方が聞きたいぞ、いま、この世で最も有名な新国王様の御尊名すら知らぬ者がいようとはな! しかも、ロレンスなぞと三流の名を勝手に命名しやがって! おれを知らぬからそんなぞんざいな口が利けるのだな! 無礼者めが!」
男は、威張りくさったように腰に手を当てふんぞり返り、大きく息を吸った。
「いいか、周子タチバナ、覚えとけ、おれの名は……」
周子は途端に飛び上がった。
「わわわわわっ! ちょっ、ちょっと待っ……」
周子の制止を聞かず、その男は堂々と、名乗った。
「おれの名は、ギャラン・クラウンだ」
「しまった!!」
周子は短く叫んだ。
―――呪が!
刹那、肉の裂ける嫌な音を立てて、血飛沫が上がった。
噴出し宙に拡散した細かい血飛沫、霧の如きその向こうに、突然の出来事に驚きのあまり硬直したギャランを見た。大きく目を見開いたまま、呼吸すら忘れた様子で周子の腕から溢れ出る大量の鮮血を見つめている、その、なんと、間抜けな様か!
「何のために通り名があるんだ、ロレンス!!!」
怒りに任せ激しく一喝することで、意識を保った。
気力を振り絞り、首を捻って己が左腕を見た。激痛の涙に滲むその先に、獣牙に裂かれたが如き荒々しく生々しい肉の裂け目を見た。溢れ出る鮮血に、すぐには判読できないが。
周子は、認めた。
ギャラン・クラウン、その名が刻まれた、と。
痛みよりも何よりも、名を刻まれたその事実に、心が折れた。
「あ、あ、」
衝撃のあまり、言葉が出なかった。
混乱し、だがそれでも伸ばして寄越したギャランのその手、周子はそれを払うのが精一杯だった。
ギャランがたちまち不服そうに唸った。
「だからおれはロレンスなぞではないぞ? そもそも召喚ってなんだ? おまえ、どっかおかしいな?」
「おっかしいのはあんたじゃ!」
そう叫んで、周子の胸に嫌な予感が過ぎった。
「あんた、まさか、ほんとに、私のこと、呼んでない?」
「呼んでないな」
にべも無い。
ギャランは簡潔に言葉を継いだ。
「大体、金なんて払ってないし? そもそも、望みのないおれが、なんで召喚とやらということをしてお前のような女を呼び出し、望みを叶えてもらわないとならんのだ?」
「じゃ、これって」
―――召喚に、失敗した? 召喚ミス?
「ロレンスの野郎!」
一声、荒々しくそう叫ぶと、地団駄を踏み、周子は本来対面すべき相手である召喚主の名に思いっきり毒づいた。
黒髪を逆立て怒り狂う様、その、およそ人間とは思えぬ凶暴な姿を見て、ギャランはどうやら自分が何か致命的な失敗を犯した、そんな、奇妙な高揚を実感した。
理屈はまるで知れぬ、だが、彼女をこうせしめたのは明らかに自分だとギャランは思った。湧き上がる正体不明な高揚と何か強い衝動があった、ギャランは素早く周子の後ろに回り込み、暴れるその腕を取った、野生の獣を保護するかのように、その小柄な身体を後ろから両腕で強くしっかりと抱きしめた。
ハッ、と身を竦めた周子が、ゆっくりと首を回し振り返る。
殺気立ち、怒りと絶望とを湛えたその黒目の、なんと艶やかで美しいことか。
「タトゥーが……」
タトゥー? とギャランは、周子の腕に刻まれた己の名を見て眉を顰め……
「おれの所為なのか?」
「―――嫌ッ、触らないで!」
鋭い拒絶の悲鳴と共に強烈な平手を一発、ギャランはまともに喰らった。炸裂したその痛烈な激しさに目を丸くし頬をさすったのもほんの一瞬、ギャランは着ていたシャツを脱ぐとそれで周子の腕の傷を上からきつく押さえた。
みるみるうちに血に染まるシャツを二人は見た。
ギャランはすぐに無言でシャツのまだ白い部分を引き裂くと、周子の腕の付け根を固く縛った。手馴れた仕種だった。
止血のためとはいえ、腕を存外にきつく縛られて周子はぎゃっ、と短い悲鳴を上げた。
その拍子に舌を噛んだのをすぐに察したギャランが己の指を口中に強引に差し込んできた。顎を開かされ指で舌を押さえられ身体を強く抱きしめられる、気性の荒い獣をあやすような彼のその仕種が、それがとにかく無性に気に喰わなくて周子は喉奥で叫んで強く噛んだ、血の味がした、もはやどちらの血の味か、咽返るような血臭ばかりを感じて周子は目を回しかけた。
「大丈夫か?」
心配そうに問い掛けてきたその声は、心に深く沁みるような、周子がこれまで聞いたことのないほど思いやりに満ちた優しい声で。
心痛を露わにした半ば伏せた青い目に、長い睫が色濃く陰を落としていて。
ものすごく、綺麗な横顔だ、と周子は思った。
胸がぎゅっと強く鳴った。何か、重力を伴う大きな穴が空いた感覚だった。
恋に落ちる瞬間、というものを周子ははっきりと身体に知った。
どうしてこの男が自分の名を口にしたのか、到底分からぬが。
―――だが。
タトゥー……
それはまるで恋情に近く。
―――恋情に近く……
早くも呪に囚われた体の反応を確認し、周子は崩れ落ち号泣した。
[tog]6:バカみたいな青い目だな
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- 2005-04-25 14:04
- カテゴリ : 「タトゥー・オブ・ギャラン」/長編/連載中
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