コハリトりみっと
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「トライフル刑事」〜狂気のロンド ガーナ署トリニティ〜/タトパラ2
第7話:「ブレシッド・オフ」
とにかく出よう、と言われて周子は、車椅子のカズマに引きずられるようにセーブ・ルームを出た。
「うわ!片付いてる!」
居間に戻ってみれば、さっきの騒ぎがまるで嘘だったかのように綺麗サッパリ片付いている。あの瓦礫はドコへやったのか。しかしある意味、そう聞いてみるのもなんだか妙に恐ろしいような気がして、周子はただ黙ってギャラン刑事を見た。
ギャラン刑事は一人、ソファに座ってぼんやりと天井を見上げ、煙草を吸っていた。
どこから持ち出したのか、灰皿がソファの前のテーブルの上にのってはいるものの、綺麗なままで、見れば煙草も火がついたばかりなようだった。
「うん、ぴったりだ」
ギャランの作業スピードまで読んでいたのか、まるでパズルのピースでも嵌めたかのようにカズマはにっこりと微笑んで。
「ずいぶんと仲良しさんなんだな?」
返すギャラン刑事の声は機嫌が悪い。いくぞ、と周子をひと睨みすると立ち上がる。
「まあ、落ち着けよ。ギャラン刑事。コーヒーでも入れよう、お前の好きなラテにしよう」
「おれはあんな泡だらけのは嫌いだぞ」
「好きなくせに。周子刑事の前だからって格好つけるな」
ぐ、とギャラン刑事は唸った。
周子を見て。
「な、何もされなかったか?」
「あたりまえだ!お前と一緒にするな!」
キッチンの方から鋭い声が飛ぶ。
カズマの声、その鋭さに周子は肩を竦めてギャランを見上げた。単純でぞんざいなこの男の言葉や振る舞いがなんだか妙に懐かしい気さえしてきた。
「ラテ、お好きなんですか?」
「いや違う」
「男は黙ってブラックだ、って仰ってましたけど」
「ああそうだ」
「目が、泳いでます」
周子は、ああ、やっぱりこの男には秘密ごとは無理だろう、と改めて納得して。カズマの読みは正しい。結局のところはなんだかよく分からないが、だが、カズマがギャランの嗜好も性格もよく知り尽くしているのはよく分かった。
コーヒーなら、自分といるときのギャランはブラックを飲んでいた、それがラテのような、ふんわりしたほの甘い奴の方が好きだという。そんな拙い嘘をなぜか誤魔化すギャランの子供のような様子が、周子にはなんともあたたかいようで、ほっとした。
「彼女は捜査資料を届けに来ただけだよ、ギャラン刑事。課長のお遣いだとかで」
カズマはギャランを呼ぶと、キッチンからカップを三人分運ばせた。その間合い、おそらくいつものことなのだろう、ギャランも黙ってそのままカップを運ぶとテーブルに並べ、勝手に席についた。カズマもキッチンから居間へ、するすると車椅子を巧みに操り戻ってくる。その仕草、コーヒーの支度をするにしてもなにをするにしても、まるでごく普通にこなれた仕草で。車椅子での生活が板についているようだった。これで狂言だとは全く思えない。
「課長も課長だ、お前に用ならおれに言えってぇんだ」
「おおかたお前がいなかったんだろう」
「ええ、私を呼ぶ前、課長はずいぶんギャラン刑事の事をお探しでした」
「ぐ」
うん、いつもは彼が来るからね、とカズマは穏やかに言う。
「ま、周子刑事は彼の相棒だそうだから、そんな些細な用事も当人がいなければ自然とそちらに流れるんだろう、新人だし、なぁ、ギャラン刑事?」
「あ?」
「お前の相棒の新人はヒゲの生えたおっさんだって聞いてたが?」
「のわ!」
ギャランは危うくカップを取り落とすところだった。
「補佐官、またひげの話ですか!ひょっとして無類のおヒゲ好き!?」
「きみは黙って、周子刑事……ん……ああ、おひげさんだね」
カズマは、ふと見た周子の鼻の下にラテの泡がついているのを見、くすりと笑って。ちら、と思わせぶりにギャラン刑事を見上げる。
「ずいぶんとかわゆいおひげさんなんだな?」
そう言って手を伸ばすと、ティッシュで周子の口元を拭いた。
そんなカズマの仕草に、ギャランはびっくりしたように一度金髪を逆立てて。
「だー!なんだなんだこの甘い空気は!」
「うん、だって周子刑事は私の……」
え?と周子はカズマを見、そのメガネの奥の紫の瞳が楽しそうに細く引かれるのを見た。
―――まさか!ナニイイダスンデスカー!
おくさんだから、とそんなことを言い出しそうな雰囲気だった。
慌ててカップを置き、腰を浮かせかけた周子に、カズマはにこりと微笑んで。
「後輩にあたるからね?」
それは優雅だが、ひどく物騒な微笑だった。
明らかに、こちらの反応を面白がっている。
さっきのアレ、私はなにか大変な過ちを犯したかもしれない、とカズマの予想外の物騒な素振りに周子は呆然となって。そこへギャランが強い勢いで割って入った。
「お前は刑事辞めてんだ、後輩でも何でもねぇ、まして周子ちゃんの口を拭くなんざ、てめぇに一体何の権限がありやがる!ここはひとつおれが、おーれーが!おれが先輩だからな、しかも相棒だし!おれが……おれが、おれの周子ちゃんにあんなことやらこんなことやら」
「ちゃん付けはやめてください、なんかどれもセクハラに聞こえます」
おれの、ってなんすか!と周子は口を尖らせた。
おれのおれの、と繰り返し主張しわなわなと肩を震わせつつ、ギャランはつくづく心外そうな表情をして。
「セクハラセクハラって、お前さっきからそればっかだな?」
「ギャラン刑事が変な格好させるからです!」
「変って、正規の制服だぞ?それ」
―――このミニ丈スカートで!これで正規の制服ですと!?
たちまちムッとなった周子の顔を覗き込み、ギャランはまいったな、と頭を掻いた。これだからカズマが入ると何がナンダカややこしくなるんだ、おれの新人教育を邪魔しやがって、とぶつぶつ文句を言い、テーブルに肘を突くと、トントン、と指でテーブルを打って周子の注意を引いた。それはギャランが取調室で見せる、何処か脅しの入った間合い、ガーナ署きっての凄腕刑事こそが醸し出す真摯な雰囲気である。
「カズマに何かややこしい概念を仕込まれたか?ある意味、ぐぐっとフェチズム?」
「フェチ?フェチズムって!何よもう!んもう最低っ!」
フェミニズムって言いたいんならなんか用法とか間違ってます!いずれにせよ殴られますよ!と周子は黒髪を逆立てて叫んだ。
くすくすと愉快そうに笑う、向かいの席のカズマにも周子は食ってかかる。
「補佐官!ギャラン刑事にフェチズムなんて言葉教えてるんですか!こんのど変態!」
「へんた……」
カズマの口の端がすこぶる嫌そうに歪んだ。鋭い眼差しで周子を睨む。
「全く!とんだやかましい女だな、ホントにこれで私のおくさ……」
「わー!」
周子は慌ててテーブルの向こうに飛び掛り、カズマの頭を押さえ込んだ。
「仲良しだな」
不服そうにギャラン刑事が唸る。
「よくありません!」
「そうだ、ないぞ、誰がこんな暴力的なおくさ……」
「!わざとですか、カズマ特別補佐官!」
「ちくしょう、一体いつの間にそんな急接近ラブなんだ?カズマ、おれに黙って何しやがった?お、おれに言えねぇようなあんなことやらこんなことやら、ブラ一枚で!?ウッソ!聞いてねぇ!ってか聞きたくねぇ!」
でもどうしよう、めっさ気になる、とギャランは不意に落ち込んで親指の爪を噛んだ。
「勝手に人を決め付けるな、とんだ誤解だ」
ラブという言葉の定義は変わったのか?とカズマはつくづく嫌そうな真顔である。
「そうですよ、ギャラン刑事!この人とんだへんた……」
「聞いてないんじゃなくて、特段話すこともない、ただそれだけだ、ギャラン刑事」
カズマは周子を遮り、冷えた声で言った。
へんたい、と言おうとした周子に冷たい一瞥、そして、言葉に気をつけろ、と短くぴしゃりと周子を制した。
「うっわ、エラソーです、補佐官」
そんな周子をカズマはついー、と無視して。
「隠すも何も、彼女とは今日が初対面だし、特段お前に話すこともない、ギャラン刑事、我々の間には隠し事はナシだろう?親友だからな」
「ん?ああまあな?」
―――なんですって!?
思わず目を剥いた周子をまたも無視して、ギャランを見詰めたまま、カズマはあっさりと微笑んだ。
「ラテのヒゲをつけてのほほんとしている、こんな色気のない女にぞっこんとは見損なったぞギャラン刑事」
「だー!だまってろ!カズマ!」
「そらみろ、隠し事はお前だろう、何がひげのおっさんだ」
ギャランの反応に満足したのか、カズマはたちまち上機嫌になった。
「いつも、もっとこう、ぐぐっと色っぽい女とばかり遊んでいたじゃないか」
「わー、いうなー!」
オレガフジュンニオモワレルダロー!とギャランが慌ててカズマの頭を押さえにかかる。
二人の思いも寄らぬ言葉の応酬に目を丸くする周子だが、しかし、どう見ても目の前でギャラン刑事とカズマ特別補佐官がいちゃついているようにしか見えなかったので、このホモ野郎ども、と内心毒づいて、視界から二人の姿をはじき出した。
―――このふたりはおかしい、早いとこ署に戻ろう、
周子はやれやれ、と吐息を吐き、視線を斜めに床に投げやったままラテをすすった。と、次の瞬間、座っていた椅子を蹴り倒していきなり立ち上がるや、ばっちゃん!と派手な音を立ててテーブルをひっくり返した。
「シーカー!」
鋭い、悲鳴に近い声を上げて、周子は、床の上をものすごい勢いで移動する何か小さなものを注視し、履いていたスリッパを咄嗟に手に、それで狙い定めるや、ばちん!と思いっきり床を打った。
ヒットした手応えが走る。
バチバチっという、かすかな電子音が耳に届いた。
「やった!」
スリッパを上げると、その裏底に何かの金属の欠片のようなものが光った。スリッパに叩かれた衝撃で無残に砕けたそれは、めり込んでいたスリッパの裏底からぼろぼろと瓦解し床に零れ落ちた。ジ、ジ……と虫のようなかすかな鳴き声が上がり、すぐに消えた。
「周子刑事!」
「カズマは下がってろ!」
カズマの悲鳴に近い、甲高く鋭い声とギャランの厳しい声とが同時に響いた。
周子は切羽詰った二人の声も聞こえぬ様子、再び続けて鬼気迫る真剣な表情で何かを探して床を這いずり回った。
「ちっくしょ、あと一匹、近くにいるはずなのに!」
「しかも残るはメスだ、気をつけろ!噛むぞ!」
「え?」
明らかにそれの特徴を知っている、その言葉に驚いて周子はギャランを振り仰ぎ、次の瞬間には、ものすごい勢いで襟首を掴まれ力づくでソファの上に身体を放られた。
「おれが仕留める、お前はそこでじっとしてろ!」
ギャランは厳しい声で短くそう言うと、ヒップホルスターから素早く銃をドロウした。
それは、ギャランがいつも捜査で携行しているものとは違う、周子は見たことのない形状の銃だった。ギャランが銃をドロウする、既に見慣れてしまったその仕草だが、そういえば、いつもより少し余計に手が後ろの方に回っていたような、かすかな違和感があった。
ギャランの構えた銃は見たことのない流線型で、そのがっしりした手には不釣合いなほど、小さかった。何かのエネルギーが集中するような、かすかに電子が擦れる音が鳴った。
「ギャラン刑事っ!?」
―――シーカーを知ってるの!?
周子は銃を構え鋭く周囲の気配を探っているギャランの向こうに、竦んだ眼差しでこちらをじいっと見つめてくる紫の二つの光を見た。その身体は車椅子ごと廊下に出されている、ギャランがとっさに居間から避けたようだった。そのカズマが、ひどいショックを受けたような、信じられないといったような、怯えの混じった鋭い眼差しで廊下の向こうから周子をただひたすら注視していて。それは、予想外の死に直面した人間が見せる、恐怖に竦んだような、まさに異様な表情だった。カズマの肩が激しくガタガタと揺れ、それは明らかにショック症状を示していた。
「何、ですか……?カズ……」
「危ない、周子!」
ギャランの鋭い声に反射的に周子は咄嗟にソファに身を伏せた。頭上を青白い閃光が疾って、かすかなスパーク音が弾けた。
ヒットした瞬間、火の粉のような光が散ったがそれはむしろ冷たかった。目の前でレーザーに撃たれ瓦解するそれを見つめ……何か恐ろしく怜悧な感覚が周子の中に広がった。
周子の中で何かのスイッチが入ったような音がした。
―――父さんを殺った、シーカー……見つけた
それがカズマ宅にどうして侵入したかなんてどうでも良かった。とにかくそれを捕まえて通信部分を取り出し、奴らのしっぽを捕まえ、この目の前に引きずり出さねば。
突然酸素の薄い空間に押し込まれたかのように、周子の動悸は早くなり、息は小刻みに荒くなった。
「おし!」
仕留めた、とギャランがほっとした声を上げた。その声に弾かれるように周子はソファに伏せた頭を起こすと、立ち上がりつんのめって床の上を転がるようになりながら、その物体を確かめに窓の付近に落ちたそれに近寄った。
「バカ、寄るな周子、危な……」
やはり、見覚えのある、小さな自動走行型無線通信装置だった。
五年ぶりに見る、その物騒な忌々しい姿に周子の全身の肌はふつふつと粟立った。
ちか、と小さく光った、と思った。
―――あ、
「まだだ!逃げろ!周子!」
ギャランの鋭い声が飛んだ。
周子は咄嗟に身を捩って後方に勢いよくダイブした。
反射的に飛んだ自分のその先に、先ほど自分がひっくり返したテーブルが目に入った。裏返しになっていて、ちょうどヒットする角度で足がこちらに向いている、間違いなく激突する、と周子はぎゅっと目をつぶった。
―――何があろうと構わない、とにかく離れるのが先だ、
頭の中で本能が激しく警鐘を鳴らす。
身を翻した周子の後ろで、一瞬遅れて派手な爆音が轟いた。
予想以上の大きなその爆発音、難を逃れるには距離がなさ過ぎるのは明白だった。
まずい、と思ったときには、突風のような激しい衝撃に身体を打たれ、弾かれるようにして宙を飛んだ。特殊加工の窓ガラスが雪のように細かく砕けて派手に舞い散った。テーブルに激突する、と思った瞬間、ハッカのような、鋭く甘い匂いがした。
(第8話へつづく)
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第7話:「ブレシッド・オフ」
とにかく出よう、と言われて周子は、車椅子のカズマに引きずられるようにセーブ・ルームを出た。
「うわ!片付いてる!」
居間に戻ってみれば、さっきの騒ぎがまるで嘘だったかのように綺麗サッパリ片付いている。あの瓦礫はドコへやったのか。しかしある意味、そう聞いてみるのもなんだか妙に恐ろしいような気がして、周子はただ黙ってギャラン刑事を見た。
ギャラン刑事は一人、ソファに座ってぼんやりと天井を見上げ、煙草を吸っていた。
どこから持ち出したのか、灰皿がソファの前のテーブルの上にのってはいるものの、綺麗なままで、見れば煙草も火がついたばかりなようだった。
「うん、ぴったりだ」
ギャランの作業スピードまで読んでいたのか、まるでパズルのピースでも嵌めたかのようにカズマはにっこりと微笑んで。
「ずいぶんと仲良しさんなんだな?」
返すギャラン刑事の声は機嫌が悪い。いくぞ、と周子をひと睨みすると立ち上がる。
「まあ、落ち着けよ。ギャラン刑事。コーヒーでも入れよう、お前の好きなラテにしよう」
「おれはあんな泡だらけのは嫌いだぞ」
「好きなくせに。周子刑事の前だからって格好つけるな」
ぐ、とギャラン刑事は唸った。
周子を見て。
「な、何もされなかったか?」
「あたりまえだ!お前と一緒にするな!」
キッチンの方から鋭い声が飛ぶ。
カズマの声、その鋭さに周子は肩を竦めてギャランを見上げた。単純でぞんざいなこの男の言葉や振る舞いがなんだか妙に懐かしい気さえしてきた。
「ラテ、お好きなんですか?」
「いや違う」
「男は黙ってブラックだ、って仰ってましたけど」
「ああそうだ」
「目が、泳いでます」
周子は、ああ、やっぱりこの男には秘密ごとは無理だろう、と改めて納得して。カズマの読みは正しい。結局のところはなんだかよく分からないが、だが、カズマがギャランの嗜好も性格もよく知り尽くしているのはよく分かった。
コーヒーなら、自分といるときのギャランはブラックを飲んでいた、それがラテのような、ふんわりしたほの甘い奴の方が好きだという。そんな拙い嘘をなぜか誤魔化すギャランの子供のような様子が、周子にはなんともあたたかいようで、ほっとした。
「彼女は捜査資料を届けに来ただけだよ、ギャラン刑事。課長のお遣いだとかで」
カズマはギャランを呼ぶと、キッチンからカップを三人分運ばせた。その間合い、おそらくいつものことなのだろう、ギャランも黙ってそのままカップを運ぶとテーブルに並べ、勝手に席についた。カズマもキッチンから居間へ、するすると車椅子を巧みに操り戻ってくる。その仕草、コーヒーの支度をするにしてもなにをするにしても、まるでごく普通にこなれた仕草で。車椅子での生活が板についているようだった。これで狂言だとは全く思えない。
「課長も課長だ、お前に用ならおれに言えってぇんだ」
「おおかたお前がいなかったんだろう」
「ええ、私を呼ぶ前、課長はずいぶんギャラン刑事の事をお探しでした」
「ぐ」
うん、いつもは彼が来るからね、とカズマは穏やかに言う。
「ま、周子刑事は彼の相棒だそうだから、そんな些細な用事も当人がいなければ自然とそちらに流れるんだろう、新人だし、なぁ、ギャラン刑事?」
「あ?」
「お前の相棒の新人はヒゲの生えたおっさんだって聞いてたが?」
「のわ!」
ギャランは危うくカップを取り落とすところだった。
「補佐官、またひげの話ですか!ひょっとして無類のおヒゲ好き!?」
「きみは黙って、周子刑事……ん……ああ、おひげさんだね」
カズマは、ふと見た周子の鼻の下にラテの泡がついているのを見、くすりと笑って。ちら、と思わせぶりにギャラン刑事を見上げる。
「ずいぶんとかわゆいおひげさんなんだな?」
そう言って手を伸ばすと、ティッシュで周子の口元を拭いた。
そんなカズマの仕草に、ギャランはびっくりしたように一度金髪を逆立てて。
「だー!なんだなんだこの甘い空気は!」
「うん、だって周子刑事は私の……」
え?と周子はカズマを見、そのメガネの奥の紫の瞳が楽しそうに細く引かれるのを見た。
―――まさか!ナニイイダスンデスカー!
おくさんだから、とそんなことを言い出しそうな雰囲気だった。
慌ててカップを置き、腰を浮かせかけた周子に、カズマはにこりと微笑んで。
「後輩にあたるからね?」
それは優雅だが、ひどく物騒な微笑だった。
明らかに、こちらの反応を面白がっている。
さっきのアレ、私はなにか大変な過ちを犯したかもしれない、とカズマの予想外の物騒な素振りに周子は呆然となって。そこへギャランが強い勢いで割って入った。
「お前は刑事辞めてんだ、後輩でも何でもねぇ、まして周子ちゃんの口を拭くなんざ、てめぇに一体何の権限がありやがる!ここはひとつおれが、おーれーが!おれが先輩だからな、しかも相棒だし!おれが……おれが、おれの周子ちゃんにあんなことやらこんなことやら」
「ちゃん付けはやめてください、なんかどれもセクハラに聞こえます」
おれの、ってなんすか!と周子は口を尖らせた。
おれのおれの、と繰り返し主張しわなわなと肩を震わせつつ、ギャランはつくづく心外そうな表情をして。
「セクハラセクハラって、お前さっきからそればっかだな?」
「ギャラン刑事が変な格好させるからです!」
「変って、正規の制服だぞ?それ」
―――このミニ丈スカートで!これで正規の制服ですと!?
たちまちムッとなった周子の顔を覗き込み、ギャランはまいったな、と頭を掻いた。これだからカズマが入ると何がナンダカややこしくなるんだ、おれの新人教育を邪魔しやがって、とぶつぶつ文句を言い、テーブルに肘を突くと、トントン、と指でテーブルを打って周子の注意を引いた。それはギャランが取調室で見せる、何処か脅しの入った間合い、ガーナ署きっての凄腕刑事こそが醸し出す真摯な雰囲気である。
「カズマに何かややこしい概念を仕込まれたか?ある意味、ぐぐっとフェチズム?」
「フェチ?フェチズムって!何よもう!んもう最低っ!」
フェミニズムって言いたいんならなんか用法とか間違ってます!いずれにせよ殴られますよ!と周子は黒髪を逆立てて叫んだ。
くすくすと愉快そうに笑う、向かいの席のカズマにも周子は食ってかかる。
「補佐官!ギャラン刑事にフェチズムなんて言葉教えてるんですか!こんのど変態!」
「へんた……」
カズマの口の端がすこぶる嫌そうに歪んだ。鋭い眼差しで周子を睨む。
「全く!とんだやかましい女だな、ホントにこれで私のおくさ……」
「わー!」
周子は慌ててテーブルの向こうに飛び掛り、カズマの頭を押さえ込んだ。
「仲良しだな」
不服そうにギャラン刑事が唸る。
「よくありません!」
「そうだ、ないぞ、誰がこんな暴力的なおくさ……」
「!わざとですか、カズマ特別補佐官!」
「ちくしょう、一体いつの間にそんな急接近ラブなんだ?カズマ、おれに黙って何しやがった?お、おれに言えねぇようなあんなことやらこんなことやら、ブラ一枚で!?ウッソ!聞いてねぇ!ってか聞きたくねぇ!」
でもどうしよう、めっさ気になる、とギャランは不意に落ち込んで親指の爪を噛んだ。
「勝手に人を決め付けるな、とんだ誤解だ」
ラブという言葉の定義は変わったのか?とカズマはつくづく嫌そうな真顔である。
「そうですよ、ギャラン刑事!この人とんだへんた……」
「聞いてないんじゃなくて、特段話すこともない、ただそれだけだ、ギャラン刑事」
カズマは周子を遮り、冷えた声で言った。
へんたい、と言おうとした周子に冷たい一瞥、そして、言葉に気をつけろ、と短くぴしゃりと周子を制した。
「うっわ、エラソーです、補佐官」
そんな周子をカズマはついー、と無視して。
「隠すも何も、彼女とは今日が初対面だし、特段お前に話すこともない、ギャラン刑事、我々の間には隠し事はナシだろう?親友だからな」
「ん?ああまあな?」
―――なんですって!?
思わず目を剥いた周子をまたも無視して、ギャランを見詰めたまま、カズマはあっさりと微笑んだ。
「ラテのヒゲをつけてのほほんとしている、こんな色気のない女にぞっこんとは見損なったぞギャラン刑事」
「だー!だまってろ!カズマ!」
「そらみろ、隠し事はお前だろう、何がひげのおっさんだ」
ギャランの反応に満足したのか、カズマはたちまち上機嫌になった。
「いつも、もっとこう、ぐぐっと色っぽい女とばかり遊んでいたじゃないか」
「わー、いうなー!」
オレガフジュンニオモワレルダロー!とギャランが慌ててカズマの頭を押さえにかかる。
二人の思いも寄らぬ言葉の応酬に目を丸くする周子だが、しかし、どう見ても目の前でギャラン刑事とカズマ特別補佐官がいちゃついているようにしか見えなかったので、このホモ野郎ども、と内心毒づいて、視界から二人の姿をはじき出した。
―――このふたりはおかしい、早いとこ署に戻ろう、
周子はやれやれ、と吐息を吐き、視線を斜めに床に投げやったままラテをすすった。と、次の瞬間、座っていた椅子を蹴り倒していきなり立ち上がるや、ばっちゃん!と派手な音を立ててテーブルをひっくり返した。
「シーカー!」
鋭い、悲鳴に近い声を上げて、周子は、床の上をものすごい勢いで移動する何か小さなものを注視し、履いていたスリッパを咄嗟に手に、それで狙い定めるや、ばちん!と思いっきり床を打った。
ヒットした手応えが走る。
バチバチっという、かすかな電子音が耳に届いた。
「やった!」
スリッパを上げると、その裏底に何かの金属の欠片のようなものが光った。スリッパに叩かれた衝撃で無残に砕けたそれは、めり込んでいたスリッパの裏底からぼろぼろと瓦解し床に零れ落ちた。ジ、ジ……と虫のようなかすかな鳴き声が上がり、すぐに消えた。
「周子刑事!」
「カズマは下がってろ!」
カズマの悲鳴に近い、甲高く鋭い声とギャランの厳しい声とが同時に響いた。
周子は切羽詰った二人の声も聞こえぬ様子、再び続けて鬼気迫る真剣な表情で何かを探して床を這いずり回った。
「ちっくしょ、あと一匹、近くにいるはずなのに!」
「しかも残るはメスだ、気をつけろ!噛むぞ!」
「え?」
明らかにそれの特徴を知っている、その言葉に驚いて周子はギャランを振り仰ぎ、次の瞬間には、ものすごい勢いで襟首を掴まれ力づくでソファの上に身体を放られた。
「おれが仕留める、お前はそこでじっとしてろ!」
ギャランは厳しい声で短くそう言うと、ヒップホルスターから素早く銃をドロウした。
それは、ギャランがいつも捜査で携行しているものとは違う、周子は見たことのない形状の銃だった。ギャランが銃をドロウする、既に見慣れてしまったその仕草だが、そういえば、いつもより少し余計に手が後ろの方に回っていたような、かすかな違和感があった。
ギャランの構えた銃は見たことのない流線型で、そのがっしりした手には不釣合いなほど、小さかった。何かのエネルギーが集中するような、かすかに電子が擦れる音が鳴った。
「ギャラン刑事っ!?」
―――シーカーを知ってるの!?
周子は銃を構え鋭く周囲の気配を探っているギャランの向こうに、竦んだ眼差しでこちらをじいっと見つめてくる紫の二つの光を見た。その身体は車椅子ごと廊下に出されている、ギャランがとっさに居間から避けたようだった。そのカズマが、ひどいショックを受けたような、信じられないといったような、怯えの混じった鋭い眼差しで廊下の向こうから周子をただひたすら注視していて。それは、予想外の死に直面した人間が見せる、恐怖に竦んだような、まさに異様な表情だった。カズマの肩が激しくガタガタと揺れ、それは明らかにショック症状を示していた。
「何、ですか……?カズ……」
「危ない、周子!」
ギャランの鋭い声に反射的に周子は咄嗟にソファに身を伏せた。頭上を青白い閃光が疾って、かすかなスパーク音が弾けた。
ヒットした瞬間、火の粉のような光が散ったがそれはむしろ冷たかった。目の前でレーザーに撃たれ瓦解するそれを見つめ……何か恐ろしく怜悧な感覚が周子の中に広がった。
周子の中で何かのスイッチが入ったような音がした。
―――父さんを殺った、シーカー……見つけた
それがカズマ宅にどうして侵入したかなんてどうでも良かった。とにかくそれを捕まえて通信部分を取り出し、奴らのしっぽを捕まえ、この目の前に引きずり出さねば。
突然酸素の薄い空間に押し込まれたかのように、周子の動悸は早くなり、息は小刻みに荒くなった。
「おし!」
仕留めた、とギャランがほっとした声を上げた。その声に弾かれるように周子はソファに伏せた頭を起こすと、立ち上がりつんのめって床の上を転がるようになりながら、その物体を確かめに窓の付近に落ちたそれに近寄った。
「バカ、寄るな周子、危な……」
やはり、見覚えのある、小さな自動走行型無線通信装置だった。
五年ぶりに見る、その物騒な忌々しい姿に周子の全身の肌はふつふつと粟立った。
ちか、と小さく光った、と思った。
―――あ、
「まだだ!逃げろ!周子!」
ギャランの鋭い声が飛んだ。
周子は咄嗟に身を捩って後方に勢いよくダイブした。
反射的に飛んだ自分のその先に、先ほど自分がひっくり返したテーブルが目に入った。裏返しになっていて、ちょうどヒットする角度で足がこちらに向いている、間違いなく激突する、と周子はぎゅっと目をつぶった。
―――何があろうと構わない、とにかく離れるのが先だ、
頭の中で本能が激しく警鐘を鳴らす。
身を翻した周子の後ろで、一瞬遅れて派手な爆音が轟いた。
予想以上の大きなその爆発音、難を逃れるには距離がなさ過ぎるのは明白だった。
まずい、と思ったときには、突風のような激しい衝撃に身体を打たれ、弾かれるようにして宙を飛んだ。特殊加工の窓ガラスが雪のように細かく砕けて派手に舞い散った。テーブルに激突する、と思った瞬間、ハッカのような、鋭く甘い匂いがした。
(第8話へつづく)
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- 2005-05-10 04:57
- カテゴリ : タトパラ2/長編/連載中
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