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[tog_p2_08]「現場の男」/タトパラ2

「トライフル刑事」〜狂気のロンド ガーナ署トリニティ〜/タトパラ2
第8話:「現場の男」



「…………して、……どうして」
 切羽詰った声で揺すられて。
「どうしてきみが、シーカーを知っているんだ」
 その言葉で、はっ、と意識を取り戻す。
 頭がぐらぐらする。先ほどからひどく揺さぶられていたようだ。怒ったような厳しい紫の目で見据えられ、周子は言い知れぬ不安に身体が竦んで声も出ない。
 ―――この人は怖い。
「シーカーってなんだ!?答えろ!」
「ほ、補佐官、いたい、痛いです」
 よろよろと身を起こすと、すぐさま両肩をつかまれ、再びガクガクと激しく揺さぶられて。その衝撃に思わず掴んだ白いシーツはいまだ知らぬ肌触りで。触れるベッドは周子の知らぬ硬さで。消毒薬の匂いがした。見れば、腕には点滴が刺さっている。
 周子はぼんやりとあたりを見回して。
 ―――清潔で白い部屋。個室。消毒薬の匂い。
「病院?」
「とぼけるな!貴様、シーカーを知っているのか!?なぜ!?」
 罵倒に近い。それはものすごい勢いだった。
 カズマがしがみつくように周子を激しく揺さぶる。
「シーカー……」
 そう呟くなり正気に返ったのか、弾かれたようにカズマの腕を払うと、咄嗟に周子はミニスカートをめくって太ももに手を這わせた。そして、はっとしたように、ない!と短く悲鳴を漏らした。
「あいにく押収させてもらった!」
 カズマがライターほどの大きさの金属物を周子の目の前にかざした。
 一見、女性が香水を入れて持ち歩くアトマイザのような形状だが、カズマがボタンを押すと、その先から鋭い針が勢い良く飛び出した。針の先端は鋭利でその用途は明らかに皮下注射である。使いこなすスキルさえあれば、長さ的には頚椎に一突きして相手の命を奪える代物ですらある。
「ずいぶんと物騒なものを仕込んでいるんだな、周子刑事?」
 カズマが冷徹な眼差しで周子を正面から見据える。
「おっと!」
 飛びつかんばかりの勢いでそれを奪い返そうとした周子の喉下をぐっと掴むと、カズマは一度強く押して周子の身体をベッドに突き飛ばし、周子がすかさず猛然と起き上がろうとしたところで、再びその首を押さえつけ、こめかみに銃を突きつけた。
 微塵の容赦もない、冷徹で無駄のない動きだった。
 しかも、車椅子に座ったままである。一見優男に見えてその実、その腕力にはかなりの自信があるらしかった。
 圧倒的な力の差、そして、ぞっとするほど冷たく硬い銃口をこめかみに知り、周子はぴたりと抵抗を止めた。
「凝った細工のインジェクタだな」
「アトマイザです」
 バカ言え、私を舐めるな、とカズマは怒気をはらんだ低い声で言った。
「シッチ・プルーフ、ほんの少量で強烈な昏倒作用をもたらす薬だ、そんな物騒なものをなぜきみが持っている?新人刑事のきみが?お前は何者だ?」
 容赦ない力で銃口がこめかみに食い込む。
 周子はきっ、と唇を噛んで鋭く言った。
「そんなに押し付けて撃ったらそっちもアオリ喰らいますよ」
「試したいか?」
 ちょっとでも動けば引き金を引くぞ、とカズマは押し殺した声で告げた。
「こんなインジェクタをホルスターに仕込み、お前はそれを何に使う気だ?」
 周子は黙ったままカズマを睨んだ。
 カズマはそこに、形勢を逆転する隙を狙う野生の獣のような鋭さを見た。しなやかであざとく、致命的な一撃を喰らわせるチャンスを狙ったまま、喉笛に噛み付かれても意識を失うその最期の瞬間まで決して屈しない、そんな野生の獣に通じる気高さを見た。
 鋭く、ぞっとするような気迫だった。
 これまで直面したことのないほどの手ごわさを感じ、カズマの表情は一層厳しくなった。
「お前は何者だ?」
 事と次第によってはこの場で死んでもらう、とカズマは圧倒的な威圧感を伴う眼差しで周子を睨み返した。喉を掴みベッドに押さえつけるその手に一層力を込め、厳しい表情で周子の答えを待つ。
「答えろ」
 トリガーにかけた指がちら、と動きかけた。
「私は本気だ」

 がちゃ、とドアの開くような音がしたかと思うと、何か強い力が割って入って、食い込むように周子の喉を掴んでいたカズマの手を引き剥がした。
「バカ、なにやってる、カズマ!落ち着け!」
 よく通る、男らしい声がカズマを一喝した。ギャラン刑事の声だった。
 げほげほとむせつつ何とか身体を起こすなり、周子は素早くあたりを見回してベッドを飛び降り……途端に伸びたギャランの腕に強く手首をつかまれて。
「逃げるのはナシだ!大人しくしろ、これは命令だ!」
 それは周子が今まで聞いたことのないほどに威厳に満ちた、絶対的に強い言葉だった。その圧倒的な強さに周子の身体はぴたりと止まった。背を向ければすぐさま撃たれるのは必至だと、ギリギリの直感が周子の身体を縛った。
 ギャランのすかさず響いたその声と、凛とした威圧感、容赦ない間合いはまさにガーナ署きっての敏腕刑事と称される男のそれだった。
 これまでともにしたどんな現場でも見たことのないほどの、絶大な抑止力を持っていた。
 ぞっとして、体が動かなかった。動けなかった。
 周子はギャランがカズマの腕をひねり上げ、その手から拳銃を取り上げるのを見た。
「離れろ、いきなりこれはないだろう、カズマ、お前も頭を冷やして来い」
「そんなヒマはない、この女、シーカーを!」
 カズマはものすごい勢いでギャランに食ってかかる。
「シーカーを知っているんだぞ!」
「ごちゃごちゃうるせぇ!」
 ギャランは、ごちん、とすこぶるいい音を立ててカズマの頭を殴った。
「頭冷やして来いって、言ってるんだ!じゃなきゃお前とは一切口をきかん!」
 ギャランが金髪を振り乱し、大声で怒鳴った。
「うわ、冷たっ……」
 突然降りかかった水滴に周子はびくりと身体を竦め、ギャランを見上げた。
 よく見れば、きらっきらの金髪が、ぐっしょりと濡れており、はたはたと滴ってはギャランの肩を濡らしている。その異様ないでたちに、周子は目を丸くしてギャランを見つめた。どうやら水を頭からかぶってきたらしかった。
「冷やすって……ぎゃ、ギャラン刑事?何?」
「おれは一足お先にクールボーイだ」
 全く想定外の事態だがおれは今、どえらく冷静だぞ、と腰に手をあててふんぞり返る得意げなその言葉に、周子はしばし呆気にとられて。
 呆気にとられ思考が停止したその空白の所為で、突如、頭の中を占めていたわけの分からない恐怖感がすかん、と抜けたような感じがした。
「クールというよりそれはクレイジーというべきだ」
 カズマもそんなギャランの珍妙な真顔に正気に返ったらしく、メガネのブリッジを一度押し上げるといつもの冷静な表情に戻った。
「犬みたいに滴を飛ばすな」
 あきれたようにギャランを見上げ、不快そうに眉を寄せ、憮然とそう呟いて。
 周子もカズマも押し黙った。
 まさに水を打ったようにその場は鎮まり、オッケー、カームダウン、カームダウン、とギャランは一人満足げにうなずいた。
 たっぷり間を空けて後、ギャランは周子とカズマを交互に眺めて。
 それから、ギャランは晴れ晴れとした表情で親指をびしっと突き立て、カズマに言った。
「気持ちいいぞ、カズマ!お前も行って来い、男だろ!」
 はたしてそれはわざとなのか天然なのか、何がどこまで計算なのか、周子にはさっぱり分からない。
 なんかどっかおかしい、と思いつつ、そのまばゆいばかりの勢いが、周子にはなんだかありがたくて。身を苛むような、切羽詰った何かから一時的にせよ息をつける空間を与えられたような気がした。
 不意に現実感が襲ってきた。
「ギャラン刑事……」
「!おっと」
 周子はギャランの腕を強く引いた。思いがけぬ強さだったのだろう、ギャランは一寸揺れ、その拍子に自分を見上げてくる周子の頬に落ちてしまった水滴を、慌てて指の腹で拭いた。優しげなその仕草を拒むように周子はその手を掴んだ。
「なぜカズマ特別補佐官の所にシーカーが」
 カズマが割って入った。
「いや、周子刑事それはこちらこそ問い正すべき所……」
「カズマは黙ってろ」
「いやしかし」
「黙れと言ってる!」
 不意にギャランはどすの利いた低い声でカズマを制した。
 その声の色に周子は驚いてギャランを見る。怒りの色が見えた。
「周子刑事が震えてんのが分かんねぇのか、この天才バカ」
 このとき初めて周子は自分の身体がガクガクとひっきりなしに震えていることに気付いた。自分でも制御不能なその震えを知って。この身を御する術を失い、はたしてどうすべきかと途方に暮れた次の瞬間、力強い腕に抱かれて。
「心配すんな」
 とギャランの声が上から降ってきた。
 水も降ってきた。
 ―――わけがわからない。
 気が付いたら病院で、カズマには銃を突きつけられ、ギャランはカズマを怒鳴りつけ、なにやら対立模様。これが一体どういう状況なのかわけのわからぬまま、周子にはガタガタとひっきりなしに震える身体をただただギャランに預ける以外の選択肢はなかった。ただ、がっしりと抱きしめるその腕が、どれほど周子が震えても決して揺れることがないのが無性にありがたかった。
 ギャランは毅然とした表情でカズマを見据え、言った。
「話はおれが聞く。現場はおれが仕切る。五年前のお前との約束だ、忘れたか。おれがいいって言うまでお前は一切口出しするな」
 ギャランはそうはっきりと言い渡し、胸に一度抱いた周子を離すと、カズマの車椅子をくるりと反転させ病室のドアから押し出すや、長く長く続く廊下の向こうめがけ、どりゃあー!と元気のいい掛け声を掛けて力いっぱい車椅子を突き押した。
「わっ、止せ!ギャランっ!」
 カズマの絶叫が廊下にこだました。
 フロア全体が絶叫に震え、あっという間にその絶叫が小さくなり、やがて派手な転倒音が響いた。
「ギャラン刑事!なんてことするんですか!どどどどどうしよう!た、助けに」
 いくらなんでもそれはやりすぎです、と周子は驚いて飛び上がった。
 慌てて廊下へ飛び出そうとした周子は、いたっ!と叫んで腕を押さえた。点滴のスタンドが床に倒れ、その下敷きになったチューブが激しく引き攣っている。
 体内に刺さったままの針に引き止められ、その予想以上の痛みに周子はたちまち涙目になった。
 ほっとけ、とギャランはさばさばしたように言う。おれの周子ちゃんに乱暴しやがって、と悪態をつき、どうやら怒りはこれでさっぱり解消したようだった。
「ここは病院だ、何とかなるだろ」
「なりません!他の患者さんにぶつかりでもしたら……って、はれっ?」
 それでも廊下にカオを出し左右を見渡せば、長い廊下にリノリウム張りの床、清潔そうな壁と連なる手すり。確かに病院らしきフロアの造りではあるのだが、人気がまるでない。まるで自分達しかいないかのように閑散としていた。
「ここは病院ですよね?」
「警察病院だ」
 ギャランはこくりとうなずく。
「ここの特別フロアの白衣のお姉ちゃん方はすこぶる美人揃いだし、カズマは少し怪我でもして、イーイ気持ちにニ、三発、ヌイてもらったほうがいい」
 周子は思わず目を剥いた。
「看護師をお姉ちゃんと呼んじゃ駄目です!っていうかもんのすごいセクハラです、事実誤認です!ちょっと許しがたいです、逮捕しますよ!」
 ものすごい勢いで周子に胸倉をつかまれて、ギャランは笑った。
 周子の手を優しく外すと、おー、セーフ、濡れてなかったァと言いながら胸のポケットから煙草を取り出し、唇に軽く咥え火を点した。
 逃げ出す周子の動きを止めたときの、カズマを一喝したときの、つい先ほどまでの絶対的な威厳は一体どこへ掻き消えたのか、煙草をくわえたギャランの様子は、どう見てもいつもと大差ない、ぞんざいな様子だった。
 ギャランは青い目を細めて機嫌良さげに周子を見つめる。
「そんだけ勢いありゃもう大丈夫そうだな?聞かせてもらおう、あいにく、おれもシーカーとはまんざら無関係ではなくてね」
 そう前置きするや、お前、シーカーについて何を知ってる?といきなり核心に触れる直球勝負のギャランに、周子は首を横に数度振った。キッパリと回答拒否を示して。
「黙秘してもカツ丼は出さんぞ」
「ギャラン刑事、ここは病室です」
 何がカツ丼ですか!と言い返すと、ギャランの口から煙草を引っこ抜いた。すぐさま床に投げ捨てようとした周子だが、
「止せ、下に捨てると床が焦げる」
 素早くそう言って寄越したギャランの言葉に思わずためらい、煙草をつまんだまま、手はぴたりと空中で止まった。
 困惑したように宙を彷徨う黒目にギャランは微笑んで。
「だから口に突っ込んでおいてくれりゃあそれでいい」
 ゆったりとした、穏やかな口調だった。
 いっそ煙草なんかよりちゅーがいいな、と言って軽く唇を突き出して笑みを浮かべるその口に、周子は遠慮なくそして素早く、取り上げた煙草をつまんだ指を近づける。
「だー!待て!火の点いてるほうをおれの口に挿すな!」
 すんでのところで気付いて、ギャランは慌ててカオを避けた。
 避けた、と思うと、次の瞬間には周子のその手首を掴み捻り上げ、ぐっ、とカオを近づけて。油断を逆手に取った、絶妙な間合いだった。
 唇が触れるほどの近さで、ギャランは言った。
「インサニティ・レッド、ラジカル・ブルー、お前、知ってるな?」
 はっ、と小さく息をのみ竦んだ黒目を、間近に深く深く覗き込んで、ギャランはビンゴ、と囁いた。
 低く物騒な色をはらんだ声だったが、また同時に深く色めいた、痺れるような甘い声だった。
 ギャランは答えを待つように、無言のまま周子の黒目をじっと見つめた。胸のうちまで見透かすようなまっすぐなその青い瞳に周子はひどく混乱し、やがてその威圧感に堪らなくなって目を伏せた。首を振って回答を拒絶する。
 ギャランは困ったようにちょっと唸った。そして、気分を変えるようにしけった金髪を一つまみつまんで、くりくりと弄んだ。やがて、何か納得したのか、ああもういいや、と軽く呟いた。
「ま、それより。点滴、外した方がいい」
 周子の手から煙草を取り戻し、再び口に咥え、冷静にそう言った。
 硬直したままの周子の腕を取ると、留めていたテープを丁寧にはがして点滴針を引き抜いた。
 点滴を忘れてベッドから飛び上がり、部屋を駆け廊下へ飛び出し、あまつさえギャラン刑事の胸倉を掴んだりなんだりと騒いだ所為で、点滴スタンドは倒れた挙句に引きずりまわされ、その下敷きになったチューブはひどくよじれて引き攣り、周子の腕から血液が多量に逆流していた。
 よじれていた所為で、外した途端にチューブは弾け、弧を描くように床を叩くと、跳ねた針の先から、たちまち鮮血があふれ、床を濡らした。周子の腕から放たれた細い管は、まるで腕から血管を引きずり出したかのように真っ赤だった。
 ―――インサニティ・レッド、ラジカル・ブルー……。
 そう口にした時の父、修三の、抑え難い狂気に揺らめく眼差しを思い出し、周子はぞっとした。
 ―――父さんの記憶は何処か怖い。
 ―――いや、常軌を逸している、怖いという言葉すら、相応しくない。
「おっと」
 周子の腕の針を抜いた箇所から血がふつり、と盛り上がるのを見て、ギャランはためらうことなくそこへ口づけた。周子は肌に口づけられる、痺れるようなその感覚に困惑した。
 肌を這う、その痺れを周子は既に知っている。
 ―――この男は何を知っている?
 あの夜の父さんの言葉が脳裏に甦る。あれは果たして遺言なのか。
 ―――インサニティ・レッド、ラジカル・ブルー、お前の存在を揺るがすものか、あるいは、
 ―――あるいは?
 ―――あるいは、なんだろうな……。いっそ、何がいい?
 父の残した言葉の色と余韻。炯々と光る眼差しと甘い唇、夜の闇に浮かぶ白い肩、肌に触れる長くしなやかな黒髪、ほのかに引き細められる黒瞳。掠れた息遣い。触れる指先の、眩暈のするようなその記憶、息が苦しく、肌が粟立つような感覚。
 ―――殺せば分かる……
 ―――殺す、って、何を?
 父さんのことを思い出すと何か得体の知れぬもので身体を、魂を、きつくきつく縛られるような気がする。
 五年も前に記憶の底に封印した父の姿がまざまざと脳裏に浮かび、周子は説明の出来ぬ何かに鳩尾を抉られるかのような、重くクラクラするような吐き気に襲われた。
 周子はぼんやりと、腕に口づける眼下の金髪に目を落とした。
 眩暈のような感覚の中、それでも何とか正気を取り直すように、周子はゆっくりと首を振った。低く呟いた。
「とても不潔な気分です、舐めないで」
 あるいは不快というべきか、と周子は一寸唸った。
 ギャランは、お?強気な感じ?と言って笑う。
「血なんざ舐めときゃ治る」
「病院で聞く言葉とは思えません」
 血は、治るとかそんなんじゃないですし、と言葉を続け、周子はギャランの手を振り払った。
 ぱちん、と思ったより強い音が出た。
 神経質そうな張り詰めた音だった。
 ギャランの青い目が一瞬丸くなった。
 そして、お前は気が強いなァと笑って、ぽんぽんと周子の頭を軽く叩いた。そんだけ正気なら大丈夫だな、とほっとしたように笑いかけてくる。それは周子がいままで生きてきた中でも初めて見るような、これまで一度も見たことのないような、まるで天使のような、どうにも優しい笑顔だった。
「なんかメシでも食うか?」
 ずいぶんマジなカオしちゃって。気分が落ち込んだときは美味いものを食うに限る、いよし、奢ってやろう何がいい?と言ってギャランは周子の肩を抱き寄せ、真顔で顔を覗き込んでくる。
 その間合いは、昼休みにしつこく食事を誘ってくるいつものそれと全く変わりがない。
 床上に落ちている周子の血で真っ赤なチューブを指差して。
「吸血鬼にはたまんねぇだろな」
「きゅ……?」
 なぜここで吸血鬼がその口から飛び出してくるのか、周子にはさっぱり分からない。この男は張り詰めた現場の空気の中でこそ初めてまともに身体と頭とが連携するのだろうか。先ほど自分を制したその絶対的な威厳は文句ナシに一流の刑事のそれだったのに、ひとたび現場の緊張が解けるとたちまちいつもの珍妙な感じに戻っている。ほんの一時、現場に降臨した神のような。不意に魔法が解けたような。あれはほんの一時的なものに過ぎないのか。
 血を作るなら肉だ!だったらぜひとも焼肉でがっつりと栄養補給だ、とギャランはひとり納得したようにうなずいて、晴れ晴れと笑った。
 周子は身体のあちこちから、するすると力が抜けるような複雑な気分を味わった。
 到底、焼肉なぞ食える心境ではない。
「……何処まで本気なんですか?」
「ああ、カズマにはおれが上手いこと話といてやる」
 一体何をどう話すつもりなのか、周子にはサッパリ見当がつかない。だがギャランの中では、なにかはっきりした答えが出ているようだった。
 心配すんな、おれはお前に本気だ、とギャランはぎゅっと周子を抱きしめた。強く抱きしめられたその胸の中に、爆発の瞬間に知った匂いがした。そういえば、あれほどの激しい爆発でありながら己の身に傷ひとつないのはこの男の所為かと、その胸板に厚く巻いた包帯の感触に周子は、ありがたいやら情けないやらで、泣きたい気持ちになった。
「ギャラン刑事……」
「お前がなんだろうと、おれはお前の味方だ、…………ああ、駄目だ、あー、好きだー周子ちゃん、すきー、すっげ好き」
 抱きしめる周子の女の身体の柔らかさに、ギャランはそのうち堪えきれなくなったのか、あっさりとそう白状して切なげに深く深く息を吐いた。男の欲情を存分に含んだ、ずいぶんと熱い吐息だった。
 お前、イイ匂いすんなァー、としみじみ呟き、おあずけを喰らった犬のようにひとつ低く唸って。強く抱きしめていた腕が解けて、その手が周子の胸のあたりにするりと動き、もう一方の手はがっしりと周子の腰に回って自分の腰に強く引き寄せた。
 額を周子の首筋に擦り付けて、甘えるように、キスしていい?とねだってくる。
「なんか……」
「ん?」
「このタイミングでそう正面切って口説かれると、すっごくむかつきます」
 黙ってさえいれば、もう少し手がおとなしければ、さぞいい男なのに、と周子は思って。
 思いっきりギャランのむこうずねを蹴り上げた。
「!!」
 声にならぬ悲鳴を上げ、涙目になって飛び上がるギャランを無視して、周子はひとりさっさと病室を後にした。

 ―――インサニティ・レッド、ラジカル・ブルー、そう口にする者はすべて殺せ、
 修三の声が頭の中で警鐘を鳴らす。

 悪かったー!と涙声で叫んで慌てて追いかけてくるギャランの足音を背後に聞いて。
 周子は先ほど廊下でギャランとカズマが騒動していた隙に抜け目なく掠め取った、カズマの拳銃を取り出すと、身を翻し、構えて、真正面からギャランに向き直った。一弾でケリをつけるべく狙いを定め、冷たく硬質なトリガーに指を掛けたその瞬間。

「おお!かっこいいー、ベレッタ似合うな!お前!」
「…………」
 どうにも、この男は殺せないような気がした。



(第9話へつづく)

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